2002.2.26  

「むつぼし会」が目の不自由な人に
点字の「お医者さん案内」作成

 目の不自由な人たちに、点字の印刷物づくりをするボランティアグループ「むつぼし会」(稲野マリ子会長、会員20人)は、市内の医療機関の一覧を点字で記した「お医者さん案内(平成13年度版)」をこのほど作成した。
 むつぼし会は昭和56年から、目の不自由な人で点字を必要とする人たちに対し、バスやJRの時刻表、病気予防や薬の知識などを点訳したものを配布してきた。最近では新聞などに新しいカタカナ語が増えてきたことから、カタカナ語辞典の点訳のほか、赤れんが博物館の点字パンフも作成した。
 昨年、市と舞鶴医師会などが六十五歳以上の高齢者向けの「保健・福祉・医療サービスマップ 事業所ガイド」を発行したが、視覚障害者が医者にかかる際の案内書になればと、同ガイドを参考に点訳した。
 同ガイドは病院ごとに紹介されていたが、リハビリ科や皮膚科、内科などの18科に並べ替え、病院名や住所、電話番号などを期した。歯科医と5つの総合病院も掲載した。点字専用の用紙に点字機を使って、根気のいる作業を続けた。大きさは縦26センチ、横19センチ。20部作って配布した。
 稲野さんは「リハビリに行きたいならどんな病院があるか、すぐ分かるような体裁としました。今後はまだ作っていない観光施設のパンフの点訳も進めたい」と話している。

丸山さんが収集した昨年の日刊紙「号外」
「文庫山学園」で3月5日まで展示

 昨年、日刊紙が発行した号外で1年を振り返る「2001 号外で見る『あの時』」が、北吸の市老人福祉センター「文庫山学園」で開かれている。新聞保存研究会の丸山宏さん(67)=引土=が収集した。米国同時テロの報道など、大きな暗い事件が続いたことが分かる。3月5日まで。
 丸山さんは中学生時代に新聞部に所属。戦後は引き揚げ者を取材するカメラマンの助手をした体験もあり、昭和30年ごろから継続して号外を集めるようになった。文庫山学園の園長だった8年前、号外展を開いたがそれ以来の開催。昨年大きな事件があったため、号外で振り返ってもらおうと開いた。
 昨年は103点の号外を収集した。同研究会のメンバーを通して手に入れた号外もある。その中から76点を展示した。2月の「米原潜と衝突、沈没」(毎日新聞)、9月の「新宿ビル火災44人死亡」(岩手日報)など大きな事件が続いた。その一方、野茂や新庄、イチローの活躍、高橋尚子選手の世界記録、雅子さまの女児出産などの号外も並んだ。
 丸山さんは「暗いニュースの号外が続きましたが、最後に愛子さま誕生というホットなニュースがあってよかった」と話していた。

2002.2.22  

4月の開設めざす精神障害者社会復帰施設
作業所「友の会」の募金活動で目標の1800万円を超える

 社会福祉法人・まいづる福祉会(黒田隆男理事長)が、今年4月開設を目指している精神障害者社会復帰施設の建設に向け、「まいづる共同作業所・まいづる作業所『友の会』」(小林義和会長)が建設資金の募金活動に取り組んでいるが、目標の1800万円を超える募金が寄せられている。個人や企業・団体など多くの市民の善意が積み重なった。施設は来月には完成の予定だが、備品の購入などで予算が膨らんだため、引き続き募金活動を続ける。
 精神障害者の地域生活を支える拠点として、通所授産施設と生活支援センターを大波下に建設している。建設資金には国や府、市などの補助金のほか借入金も当てたが、それでも1800万円の自己資金が不足。共同作業所を支援する友の会が、昨年9月から個人1口1000円、企業・団体1口5000円で募金を始めた。
 友の会会員や作業所職員、利用者の家族らが市民や企業を訪ねて協力を依頼した。舞鶴美容組合(山中みち子代表)が呼びかけ、加盟店71店舗に募金箱を置いた。また、映画上映をした市民グループが収益金の寄付を約束。募金を呼びかけた職員は、市民から施設の完成を楽しみにしていると励まされた。
 2月20日には、鳩レースを主催する京都府北部と丹後但馬の競翔連合会が開いた鳩のオークションで得た10万円を、府北部連合会の中島知之さん(45)=西=が、作業所の新谷篤則所長に手渡した=写真。昨年11月末で1000万円を超えた募金額は、この日までに個人7014口、企業993口、団体777口など、計1870万円となった。今後も市内300カ所に置いてもらった募金箱の回収で募金は増えていく。しかし、施設の備品購入で400万円が不足するため、3月末まで取り組むことにした。
 友の会事務局次長の材木淳志さんは「広く薄く市民や企業から善意をいただきました。募金活動に合わせ、友の会会員も1565人、2306口と過去最高の入会があり、支援の輪が広がったのを感じました」と話していた。新谷所長は「この不況時に1800万円を超える募金をいただき感謝しています。精神障害者が安心して生活できる場の建設に向け、市民からがんばれと言ってもらったものと受け止めています」と話している。
 募金の問い合わせは友の会(電話68・0600、まいづる作業所内)。

2月27日に箏教師の立道さんと教室生が渡米
シアトルの小学校で演奏会

 矢之助町の箏教師の立道明美さんと、その教室生の山下美穂さん=常=、国光佐恵子さん=倉谷=の3人が、2月27日から3月6日までの日程で渡米し、ワシントン州シアトルの小学校で演奏会を開くことになった。地域に根づいた演奏活動を続ける立道さんだが、その延長として米国の子供たちに日本の音楽をプレゼントする。また、倉梯小学校の児童から預かったメッセージと書き初めも渡すことにしている。
 立道さんは生田流の沢井一恵さんに師事。教室生らと他のジャンルの演奏家と一緒に、枠にとらわれない演奏活動をするほか、地域の幼稚園やイベントなどにも出演し、地元に密着した活動もしている。
 約6年前まで生徒だった1人が、4年前から米国で音楽と日本語を教えているが、小学校などで箏のボランティア演奏もしている。その活動を知った立道さんが応援をしようと、山下さんらと自費で米国に行くことにした。また、社会人講師として招かれた倉梯小学校の児童から、書き初めなどを預かった。
 シアトル市内の小学校3校を回って子供たちと父母らに、「六段」「陽炎」「世界の民謡メドレー」などを4、5重奏で演奏する。立道さんは「アメリカ行きは特別なことではなく、自分たちのできることをどこででもやるといった気持ち。言葉が通じなくても音楽で自分の思いを伝えてきたい」と話している。

2002.2.19  

起点の田辺大橋から1里を示す石柱
京街道の一里塚立て直し

 江戸時代に田辺藩から京までの主要道路だった京街道の一里塚が、旧京街道と呼ばれる京田の道のそばで見つかり、地元の人たちがこのほど立て直した=写真。起点の田辺大橋から1里を示す石柱。これまで何度か探されていたが、竹やぶに隠れて倒れていたため、見つけることができなかった。街道の歴史を伝える貴重な道しるべとして、現在、作成中の中筋地区の歴史をまとめた郷土誌でも、紹介することにしている。
 京街道は田辺大橋を起点とし、藩主が参勤交代にも使った。いまも京田に立つ道標「右 まつのを 若狭 左 御城下 ミやづ」から、新旧2つの街道に分かれ、真倉で合流していた。旧京街道は真倉川に架かる秋葉橋を渡り、山に沿ってできた道で、享保12年(1727)の「田辺城之絵図」にも記され、古い街道の面影が残っている。新しい京街道は真倉川右岸に沿った堤防道。
 京街道には1里(約4キロ)ごとに距離を記した石柱の一里塚が立てられた。弘化3年(1846)に郡奉行の役人が田辺藩の一里塚の位置を記した中で、「京田山端ニ有田辺大橋ヨリ壱里」とあることから、地元の人らが旧京街道で何度か調べたが分からなかった。
 見つかったのは、旧京街道に立つ法華塔の石柱から南へ約50メートルの場所。道からは見えない竹やぶに倒れていた。以前そこにあったのを知っていた七日市の川崎千代子さん(77)から、位置を聞いた近所の人が見つけ、地元の人たちで立て直した。石柱には「田邊大橋ヨリ壱里」と刻まれていた。川崎さんによると、昭和28年の13号台風で、山から流れてきた水で倒れたという。
 田辺藩内の街道の道標を調べ、「まいづる田辺 道しるべ」の本を書いた安田重晴さん(80)=堀上=は「えっ、ありましたか。いくどか現地調査をしたのですが発見できなかったので、明治16年以後再三の大水害によって流失したのかと思っていました」と話していた。

府現代の名工に井上さん(建築板金・高野由里)
安本さん(電気工事・鹿原)が明日の名工に

 平成13年度京都府優秀技能者表彰(府の現代の名工)と同青年優秀技能者奨励賞表彰(明日の名工)の受章者が決まり、2月18日に発表された。舞鶴からは建築板金の井上一男さん(63)=写真左・高野由里、井上一板金=が現代の名工に、電気工事の安本博彦さん(33)=写真右・鹿原、明和電工=が明日の名工に選ばれた。
 府内の各産業分野(伝統産業を除く)で優れた技能を発揮し、産業発展のために貢献している人たちをたたえる表彰制度で、今年度は現代の名工に20職種の21人、明日の名工に11職種の11人が決まった。
 井上さんは、建築板金47年のベテラン。銅板による鬼の製作や屋根葺きなどの伝統技能に精通していることが評価された。特に、平成6年に落慶法要が営まれた龍興院(泉源寺)の唐破風様式の屋根施工を手掛け、屋根の膨れ上がった蓑甲部分の曲線など微妙な形状を左右対称に美しく葺き上げた。このほか、数寄屋造りの茶室なども数多く手掛けている。
 また、1級技能士の資格を持ち、技能士会の発足当初から参加し、北部地域の会員増加を図るとともに、技術研究会を開いて後進の指導と技術水準の向上に力を尽くしている。井上さんは「仕事一筋に打ち込んで来たことが、認められたと思います。現在は既製品中心となりつつありますが、手作りの良さを残すためにも技術を伝えていきたい」と話している。
 安本さんは、電気工事に10年携わっており、これまで一般住宅や工場の屋内配線はもちろんのこと、滑走路の照明、清掃工場のダイオキシン削減装置などの最新技術を駆使して幅広い工事を施工している。「不景気な時代ですので、この賞を励みにより一層仕事に励みたい」と話している。
 表彰式は2月20日、京都市上京区の京都府公館レセプションホールで行われる。

2002.2.15  

ヴェネチア国際芸術協会が作成する美術学術画集に
小坂けいしんさんの水墨画収録

 イタリアから現代日本美術を世界に紹介する事業として、ヴェネチア国際芸術協会が作成する美術学術画集に、朝来西町の画家、小坂けいしんさん(54)の水墨画が収録されることになった。画集には、平山郁夫氏や加山又造氏といった日本を代表する画家の作品も掲載される。小坂さんは昨年の2001年版の画集にも作品を寄せた。2002版は9月発刊の予定で、世界の美術館や大学に収蔵される。来年にはフランスでも同じような画集の計画があり、小坂さんに制作の依頼があった。
 日本の芸術を高く評価するヴェネチアの美術研究者らでつくる国際芸術協会が、日本を代表する作品を一同に集めた画集「ヴェネチア国際芸術大全」を制作した。画集の総監修を務めた美術学者のトニーノ・ガルシア氏が2年前、来日して収録する作家をリストアップしていた際、美術誌に載っていた小坂さんの作品に目が留まり、制作を依頼した。
 絵画教室を主宰する小坂さんは日本や海外での美術展で入選。舞鶴市展委員や日本中国水墨交流協会評議員を務めている。依頼を受けた後、水墨画「雪上がる」を制作した。2001年版画集には活躍する290人の絵や書などが収められた。小坂さんの作品には「欧米諸国には真似のできない構成力。表現力のみならず精神性も卓越した深みをもつ芸術家」と紹介文が添えられた。
 昨年5月にも、2002年版の画集に掲載したいと依頼文が届いた。前回に続いて、水墨画「飛雪(ひせつ)」を制作。雪の朝来川にかかる橋にコートを来て立つ人物を描き、冬の寒さをノスタルジックに表現した。画集は世界の研究者の目に触れることになる。
 また、昨年の画集を見た元ルーブル美術館館長のフランソワ・レノ氏が、フランスのルーブルロイヤル芸術評議会が現代日本美術の研究書として、来年発行する画集「ラ・セゾン」にも小坂さんを推薦した。フランスでの現代日本美術の学術画集は、これが初めてという。
 小坂さんは「はじめ依頼を受けた時、収録される顔ぶれを聞いてなぜ私がと驚いた。ヨーロッパでは私の作品が日本とは異なる見方がされたのかもしれない。日本の美術が世界に紹介されるのは有意義なことなので協力しました」と話していた。

舞踊家の奥田昭さんとジュン子・オクダさん夫妻
南フランスのニースとモナコで「青の舞」公演

 パリやシドニーなどで海外公演を行ってきた舞踊家の奥田昭さん(69)とジュン子・オクダさん(65)の夫妻=北吸=が、南フランスのニースと隣国のモナコで公演することが決まり、2月20日に渡仏する。米国同時多発テロ以降の不安な世界情勢に、安らぎと平和がもたらせるようにとの願いを込めて「青の舞」を踊る。
 今回の海外公演は、世界的なファッションデザイナー、宮崎東海さんの要請を受けて決定した。奥田夫妻と親交のある宮崎さんは、舞踊衣裳のデザイン・制作を手がけており、25日にモナコのエルミタージュホテルで、日本の伝統の布地を使ったファッションショーを開催。これに花を添えるため、奥田夫妻の舞踊公演を依頼した。
 また、宮崎さんの夫の岳麗さんは21日から25日まで、ニースのアジア博物館で、自作の「画展 書展」を開催。この会場でも数回、舞踊公演を行うことになっている。
 モナコとニースで公演するのは創作舞踊「青の舞」。「あ」は天の光、「お」は地の声を意味し、「青」は天地の合体、陰陽の調和、さらに無限創造の世界を暗示した舞踊という。奥田さんは「国内外にも、天地にも平和が達成されるようにとの願いを込めて踊りたい」と話している。
 奥田夫妻は、そろって世界的に著名な舞踊家、邦正美氏に師事。平成5年にダンスデュオを結成して以来、精力的に国内外で公演活動を続けている。平成4、5年には、2年連続して、中国・大連市のアカシア祭、オーストラリア・シドニー市でのジャパンフェスティバルで公演。このほか、同7年には、駐仏日本大使館主催でパリ公演も行っている。

2002.2.12  

内閣府の高齢者叙勲(88歳対象)
布敷の川崎さんに教育功労・勲五等瑞宝章

 内閣府はこのほど、高齢者叙勲の受章者を発表し、市内からは勲五等瑞宝章(教育功労)で、布敷の川崎隆さん(88)が選ばれた。七日、府中丹教育局の池田博局長から川崎さんに表彰状が伝達された。
 高齢者叙勲は八十八歳を対象者とした制度で、教育功労は長年学校教育にたずさわった人に贈られる。今年度は市内では川崎さん一人だった。
 川崎さんは教員だった叔父の姿を見て、小学生のときに学校教諭になろうと思った。昭和10年に吉原小学校で教員としての生活を始め、明倫小などを経て、同48年3月に余内小の校長で退職した。38年間、学校教育にかかわった。
 軍国主義の色濃い戦時中でも、上から子供たちに教え込むという立場でなく、「教育とは子供を育てること」の信念に基づき教壇に立った。少年義勇兵に1人も送りだしたことがなかった。戦後は新しい時代に対応した教育を目指し、社会科に力を入れて、自分で調べて考える指導をした。こうした取り組みをしたことで、後年老人会などで会員らと一緒に社会参加する活動につながった。
 退職後も、池内幼稚園の園長をはじめ、市老人クラブ連合会や府老人クラブ連合会、舞鶴ユネスコ協会の会長などを歴任し、広く地域社会への奉仕活動に取り組んだ。
 川崎さんは「年齢のことを考えずに日々過ごすことができた。受章は大変ありがたいことで、とくに仕事を支えてくれた妻に感謝したい」と話していた。

東高ウィンドアンサンブル部
月刊ビデオマガジンが紹介

 部員8人で廃部寸前だった状態から、3年間で部員90人ほどに増え、再び活発な演奏活動をするまでになった東舞鶴高校ウィンドアンサンブル部の様子が、吹奏楽のための月刊ビデオマガジンを発行する「ウィンズ」(広島市)の取材を受け、このほどビデオになって発売された。題名は「新任教師奮戦記 少人数をふっとばせ!!」。同部顧問となった教諭の部員獲得作戦、足りなくなった楽器購入の募金の呼びかけなど、練習風景とインタビューを交えて紹介されている。
 ウィンズは、全国の学校の吹奏楽部の活動を毎月ビデオマガジンとして発行している。東高OBが同部をウィンズに紹介したのをきっかけに、昨年6月に来校したスタッフが3日間で撮影・取材し、30分にまとめ、10月号として発売された。
 ビデオの冒頭では、平成11年3月廃部に近い部に、同高OBの音楽科教諭の早田太郎さん(30)が顧問に就任し、あの手この手で新入部員を獲得する様子を描いた。授業で音楽に興味のある生徒を見つけて声をかけ、時には他のクラブへの入部を決めていた生徒や、ギターの演奏がしたい生徒らを勧誘。20人がそろい部活をスタートさせた。
 新入部員のほとんどが音楽は好きでも、楽器の演奏は初めてのものばかり。早田さんは最初、部員に楽器の音を出す喜びを感じてもらうことから出発し、次に高校生に親しみのあるポップス、ベースやドラムを入れた曲を取り入れた練習を指導。徐々に吹奏楽の魅力も伝えた。
 翌年春には部員が中学時代の後輩を勧誘するなどして、約30人の新入部員を獲得。しかし、2年生は多くの後輩を教える立場となり、その苦労が部員らによって語られている。また、部員増に伴って楽器が不足し、定期演奏会で楽器購入のための寄付を呼びかけ、市民から総額約370万円の寄付が集まった。
 定期演奏会では、来場者と一緒に楽しめるステージづくりをと、早田さんと部員が一緒になって新しいスタイルを模索した。部の存在が知られるようになって、3年目の昨年春は40人以上が入部。続いて市民への感謝の気持ちを伝えるサンクスコンサートをした。ビデオでは、全日本吹奏楽連盟副理事長の平松久司さんが「吹奏楽の演奏会というと1つの枠にはまっていたが、今後はお客さんに楽しんでもらう演奏会もあっていい」とコメントを寄せている。
 1年目で入部した前部長の3年生、福村陽太君は「友達について部に行った際、早田先生に勧められて仕方なく入部したけれど、3年間楽しいことばかりだった。先生は練習中は厳しいけれど、それ以外はよく一緒に遊びました」という。早田さんは「ビデオは恥ずかしいので1度しか見ていません。この3年間で1つの形ができ上がりつつあるので、これからさらに発展させていきたい」と話している。
 来月(3月)21日には卒業する3年生も出演して、第18回定期演奏会が浜の総合文化会館で開催される。入場無料。

2002.2.8  

紙漉き作家・真下さん(久田美)が「舞鶴の和紙」展
2月13日から25日まで浜のギャラリー・サンムーンで

 楮(こうぞ)栽培を復活させて、舞鶴の和紙づくりをする久田美の紙漉(す)き作家、真下八十雄さん(37)が、2月13日から25日まで浜のギャラリー・サンムーンで、3年ぶりの個展を開催する。舞鶴の和紙を展示するほか、様々な風合いや質感の紙の作品を展示する。期間中の16日と17日には、原料から加工、作品に仕上げるまでの手作りの面白さを伝える話をしたり、手漉きの体験教室も企画した。
 真下さんは1995年、舞鶴へUターンして綾部市の黒谷和紙協同組合で研修をした後、紙すき作家として独立した。舞鶴では3年前に個展をしたほか、神戸市などでグループ展などを開催。手仕事で仕上げた紙の表情の面白さが知られるようになった。また、小学校で紙漉きの体験教室も指導してきた。
 紙の原料は和歌山などから仕入れているが、昔久田美でも原料となる楮を栽培し、紙をすいていたことから、地元の紙にこだわって作品づくりをしたいと思った。九五年から少しずつ久田美の山に入って、野生化した楮を持ちかえり、畑に植え替える取り組みを続け、いまは200株を栽培している。
 収穫は12月から始め、刈り取った楮の枝を蒸して外皮をはぎ、アク抜きなどの加工をして、紙の原料とする。こうした原料を使って、昨年に「舞鶴の和紙」を制作した。昨年は原料3.7キロを収穫、今年は楮の成長もよく倍の7.5キロを取ることができた。
 今回の個展では、こうして育てた楮から作った舞鶴の和紙を展示する。このほかにも、楮の外皮の繊維や杉皮をそのまま漉き込んだ紙の壁掛け、草木染の紙も並べる。真下さんは「道を歩いていると、けっこう道沿いの山に野生化した楮を見かけ、紙にできるのにもったいないなと思う。今年は作家の力が試される個展を多くしたい。 また、呼ばれればどこへでも紙作りを教えに行きます」と話していた。
 個展は午前10時〜午後7時。入場無料。火曜休み。16日と17日の紙の話と手漉き体験教室は午後1時〜同3時半。参加費2000円。定員は1日10人。予約が必要。 【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。

高野小4年生たちが企画
「すこやかの森」でお年寄りと交流学習会

 引土の介護老人保健施設「すこやかの森」(肥後晃施設長)に2月6日、高野小学校(水嶋純作校長)の4年生36人が訪れ、児童たちの企画でお年寄りと交流する「地域福祉交流学習会」が行われた。
 市社会福祉協議会の福祉協力校の指定を受けている高野小では、総合学習として福祉教育に取り組んでいる。また、すこやかの森では、施設の役割や高齢者への理解を深めてもらうため、児童・生徒の施設体験の受け入れ対応を検討しており、これまで両者は交流を続けている。こうした経過から、この日、交流学習会が開かれた。
 交流学習会では、4年生たちが、施設見学や事前学習、福祉交流会などの準備の成果を生かして、まずお年寄りの移動介助と会場づくりを行った。会場に集まったお年寄りたちと、児童たちは「すこやか体操」を行い、「雪」「幸せなら手をたたこう」を一緒に歌った。また、お年寄りたちに「いつまでもお元気で」と書いた手作りのペンダントをプレゼントした。
 この後、児童とお年寄りたちが共同で、色紙をちぎって15センチ四方の板に張り、この板を合わせて「パワフルパネル」(横1.8メートル、縦0.9メートル)を完成させた。お年寄りたちのリハビリを兼ねた制作で、児童たちはお年寄りたちに作り方を教えていた。4年生を代表して、交流学習会の進行役を務めた岩見健史君は「おじいさん、おばあさんは、とっても温かくやさしかった」と話していた。

2002.2.5  

精神障害者の地域生活支援へ
ボランティアグループ「心の会」結成

 府舞鶴保健所などが精神障害者への理解を深めてもらおうと昨年講座を開いたが、受講を終えた市民たちがこのほど、精神保健ボランティアグループ「心の会」を結成した。すでに、今春に開設予定の精神障害者社会復帰施設の建設を支援するなどしているが、今後は医療や福祉と連携して活動を考えていきたいという。障害者たちの地域で暮らしたいとの願いに応え、地域生活を支援する施設や制度は今後整備されていくが、それをサポートする市民のボランティアの役割も課題となってくる。
 同保健所と市社会福祉協議会が、精神障害者とその家族を理解し心の触れ合いを目指して、昨年6月から8月に計5回、初めての「心の健康講座」を開いた。元看護婦やホームヘルパーなどの20人が受講し、国立舞鶴病院精神科の看護婦の話を聞いたり、精神障害者が働くまいづる共同作業所で実習を体験。修了後、その内の18人が今後も継続した活動をしようと、ボランティアグループをつくった。
 同会は昨年、作業所の運営を支援するバザーや社会復帰施設建設の募金づくりに協力した。続いて今後の活動について、同病院精神科デイケアセンターや共同作業所とも協議し、作業所へは2月から週2回メンバーらが通い交流を始めた。また、精神障害者の社会復帰を支援する同センターも見学し、職員から利用者らの活動の説明を受けた。その中で何ができるかを検討し、4月からの活動を考えている。
 同センター精神保健福祉士の下坂真澄さんは「今後患者は病院から地域で暮らす人が増えてきますが、まだ精神障害者への偏見はあります。そうした時、地域に暮らす市民がボランティア活動を通して、障害者への理解を広げていくという役割も担ってくれると思います」とボランティアを歓迎していた。
 また、まいづる共同作業所でも「今春オープンする社会復帰施設で利用者との交流のほか、4月から本格的に始まる精神障害者を対象としたホームヘルプ事業でも、ヘルパーの手の回りにくい分野でボランティアの力を貸してもらえれば。そのためにも精神障害について一緒に学んでほしい」と期待を寄せている。
 同会代表の伊藤靖枝さん(55)=安岡=は「デイケアセンターを見学して、何とか自分たちでもできそうかなと話し合いました。必要な人に役立つことができればとの思いで、ゆっくりと息長く取り組んでいきたい」と話していた。

棋鶴会の市小学生将棋竜王戦
竜王に高野小6年の亀井君

 舞鶴将棋倶楽部「棋鶴会」(谷奥喜代晴会長)主催の第8回舞鶴市小学生将棋竜王戦が2月3日、森本町の将棋・囲碁サロン「紅陽」で行われ、高野小6年の亀井勇佑君が優勝した。
 棋鶴会では、将棋の普及と小学生のレベルアップを図る目的で、竜王戦と名人戦の2大会を開催している。竜王戦の参加者は、市内の小学生に限定、名人戦は近隣市町の小学生の参加も認めている。
 今回の竜王戦には、市内の小学1年生から6年生の26人が参加。予選を勝ち抜いた14人が、決勝トーナメントに進出して優勝を争った。また、予選敗退者による特別棋戦も行われ、小学生たちは盤上で熱戦を繰り広げた。
 試合の後、表彰式が行われ、谷奥会長から優勝した亀井君に賞状と優勝トロフィー、盾が授与された。
 竜王戦の2位以下と特別棋戦の結果は次の通り。
 竜王戦=(2)諏訪裕吾(高野小6年)▽(3)上野容秀(余内小6年)▽(4)井本浩章(与保呂小5年)
 特別棋戦=(1)上羽浩二(新舞鶴小4年)▽(2)秦岡健幸(余内小6年)▽(3)若林進之助(同4年)▽(4)奥田浩貴(新舞鶴小6年)

2002.2.1  

舞鶴岳人クラブ結成1年
仲間増やしたいと会報つくり山登りの感動と記録

 山登りの愛好者らでつくる「舞鶴岳人(がくじん)クラブ」が、その山行きの記録をまとめた会報づくりに取り組み、このほど創刊号から2号までを同時に発行した。ハイキングから沢登り、本格的なロッククライミングまでの魅力を伝える内容で、山登りの仲間を増やしたいとしている。
 同クラブの会員は元会社員や自営業者らの13人。10数年前から山登りが好きな人たちが、浜の喫茶店「ワンモア」に自然に集まるようになり、個人や2、3人のグループで山に行っていた。そうした中、その感動と記録を伝える報告を発表する会報を作ろうと、昨年1月に代表者は置かず同クラブを結成した。
 会員らはハイキング、白山の山スキー、穂高のロッククライミング、大峰山の沢登りなどの報告を寄せ、今年1月に会報を発行した。喫茶店を経営する水谷勝彦さん(57)=写真=が編集を担当し、創刊号と1号、ロッククライミング特集の2号の会報(A4判、各30部)を作成した。各号の題名は「うらにし」「たむしば」などと変えている。今後は年に2、3号発行する予定。
 水谷さんは「クラブといっても全員で何かするのではなく、これまで通り各人がそれぞれに活動して、その報告をまとめようというものです。会報でロッククライミングの魅力を伝え、仲間を増やしたい」と話していた。
【問い合わせ】電話64・2002、水谷さん。

西市民プラザ(仮称)の管理運営
有志らでミーティング、最終案まとめ市に提案へ

 円満寺のスーパー跡地に、市が平成14年度中の完成をめざして建設している西市民プラザ(仮称)の管理運営の方針などについて、市民が主体となって計画づくりを考える会議「市民の手で運営するための西市民プラザ・ミーティング」が1月29日、伊佐津の西駅交流センターで開かれた=写真
 市では、西市民プラザの管理運営について、公設市民営方式とする方針を決めており、これを受けて市老人クラブ連合会増山寛一さんや城下町倶楽部の米山隆一朗さんら市民有志4、50人のスタッフが、この会議を開いている。4回目のこの日は、これまでの会議でまとめた管理運営方法のたたき台について検討した。
 同会議のまとめた管理運営方法によると、市民で構成する管理運営団体を新たに設立し、この団体は、NPO(非営利活動)法人とする。また、同団体は管理運営だけでなく、市民活動を支援する業務を行うほか、既存公共施設では、専門業者に委託している管理業務の1部を可能な限り受託する。このほか、開館日を365日に、開館時間を午前9時から午後10時に、さらに施設の利用料金設定についてもまとめた。
 このたたき台について、3月29日に5回目となる最終会議を開いて、同会議の最終案をまとめ、市に提案する。