2002.3.29  

日本とブラジルの橋渡しを…
市職員の川勝さんが2年間の派遣終え帰国

 青年海外協力隊の日系社会青年ボランティアの一員として、ブラジルのアマゾン川下流の都市、ベレン市に滞在していた市職員の川勝尚子さん(28)=木ノ下=が、2年間の派遣を終えて今月帰国した。現地のアマゾニア日伯(にっぱく)援護協会の広報誌の作成を担当し、日系のお年寄りから開拓などの歴史を聞き取った。今後は日本とブラジルとの橋渡しの役割が果たせればとしている。
 大学でスペイン語を学んだ川勝さんは、舞鶴市に働きに来ているブラジル人と話し、移住した日系人の歴史を知り、実際に現地に住んで体験から学びたいと思った。そんなことから2年前、協力隊のボランティアに応募した。
 日伯援護協会は病院運営のほか、会員向けの広報誌「援協便り」を発行。発行は不定期で、日本語の間違いも多く、最初は日本とブラジル社会のペースの違いもあり、現地職員と衝突。徐々に自分の考え方を変えて、現地職員のサポート役に徹した。発行を定期にし、日本語版とポルトガル版を1冊にまとめた。同誌はA4大で40ページ。取材や広告の営業をした。
 「長老からのメッセージ」の企画を立て、日本から移住したお年寄りから体験を取材した。重い口から語られる開拓や花嫁移住の苦労に圧倒されたが、個性ある存在に魅了された。日本語を懐かしむ日系1世のお年寄りらに隅々まで読んでもらい、初対面の読者から声を掛けられた。ブラジル人の親切さや明るく生きる姿にも影響を受けたという。
 川勝さんは「移住したお年寄りたちは何もないことを不自由と思わず、自分の手で作りだしてきた。そのシンプルさが本来の姿だと思った。日本のいまの生活は機械に遊ばれている感じがする」と話していた。4月から復職する。

舞鶴生活学校、今年度の取り組み終え閉校式
ふろしきの結び方や様々な使い方学ぶ

 ごみの減量化などを実践する「舞鶴生活学校」(織田悦子運営委員長、会員66人)の今年度の取り組みが終了し、3月26日、南田辺の西総合会館で閉校式が開かれた。「ふろしきで素敵にエコラッピング」と題した講演も行われ、ふろしき研究会代表の森田知都子さんが、実際にふろしきの結び方、様々な使い方を指導した=写真
 生活学校は昭和46年、女性の立場から生活や食品などの問題を考えようと結成、食用廃油の回収運動、空き缶回収などを続けてきた。今年度は古い傘の布でバックを作り、買い物袋として利用するマイバック推進のほか、空き缶を使ったリサイクル楽器「水カンリンバ」の作り方も紹介した。

2002.3.26  

五老岳頂上へのドライブウエー沿い
ツツジ「花回廊」が完成

 舞鶴湾内が一望できる観光名所、五老岳(標高297メートル)頂上へのドライブウエー沿いに、市の花ツツジを植栽して「花回廊づくり」に取り組んでいる舞鶴ロータリー(森津徳夫会長)、舞鶴東ロータリー(玉林久人会長)の両クラブは3月24日、同岳の中腹で、植樹会を開いた。レンゲツツジ600本が植樹され=写真、これで累計2200本となり、山麓から頂上までの「花回廊」が完成した。
 「花回廊づくり」は、近畿一と言われる眺望の五老岳を訪れる観光客の目を楽しませ、イメージアップを図るとともに、市の花づくり運動に協力した環境美化を狙いに取り組まれた。両クラブの共同の奉仕活動で、複眼都市・舞鶴の東西の融和も狙いとしている。  植樹会は、平成12年に第1回目が催され、同岳頂上付近にレンゲツツジ700本を植樹。翌13年に900本、今年は600本を植樹し、約3キロのドライブウェー沿いの法面に、ほぼ植樹を完了する。
 この日の植樹会には、両クラブの会員のほか、地元の上安町内会、農事組合、森林組合の代表ら約40人が参加。高さ60センチのレンゲツツジを道路沿いに植樹した。レンゲツツジは花芽をつけており、今年植樹した木も、5月にはオレンジ色の花を咲かせる。

京大水産実験所・中村泉さんが定年退官で
米スタンフォード大の特別研究員に

 京都大学大学院農学研究科助教授で、長浜の付属水産実験所に勤務する中村泉さん(63)=上安=が、今月末で定年退官する。魚類分類学を専攻する中村さんは、42年間舞鶴の研究室を拠点にしながら、世界の海を航海してマグロなどの調査をする数少ない研究者。退官後は、米国のスタンフォード大学ホプキンス臨海研究所で、特別研究員として研究生活を続けることになった。
 中村さんは昭和33年、京大水産学科に入学、4回生から魚類分類学を専攻した。当時はまだ同学科の講座は長浜で行われており、修士、博士、助手、助教授と42年間舞鶴で研究を続けてきた。
 魚類分類学は、魚類の進化と系統を解明することから、水産生物学の基礎となっている。京大には日本の魚類分類学の基礎を築いた故・松原喜代松教授がおり、中村さんもその研究室に入った。マグロやカジキを研究対象としたのは、水産庁のマグロ漁業調査船「昭洋丸」に乗ってから。同船はドクトルマンボウで有名な北杜夫氏が、船医をしていたことでも知られる。
 それ以後、マグロを追いかけて太平洋や大西洋、地中海などを回った。また、パリの国立自然史博物館や米国のスミソニアン博物館などへの留学や共同研究で90カ国に滞在。マグロの外部形態から魚の生活や進化に関する論文を発表し、世界の第一線で活躍してきた。さらに、松原教授や中村さんらが集めた魚の標本は約30万点にのぼり、実験所の標本館は東洋一の規模を誇る。
 舞鶴では漁業関係者の協力を得て、魚市場で水揚げされた魚の調査や標本の採集を続けてきた。中村さんは「魚市場の関係者をはじめ多くの方に協力していただき感謝しています。42年はあっという間だったが、まだまだ分からないことがあるので研究を続けたい」と話している。
 今後は、カリフォルニア州のスタンフォード大学の特別研究員として、秋から冬にかけて滞在する予定。

2002.3.22  

まいづる福祉会・精神障害者社会復帰施設
建設募金が2100万円突破、3月30日にしゅん工式

 社会福祉法人・まいづる福祉会(黒田隆男理事長)が開設する精神障害者社会復帰施設の建設募金に、目標額を超える2100万円が寄せられている。募金活動は3月末までだが、さらに市民の善意は増える見込み。大波下に建設中の施設もほぼ完成し=写真、3月30日にしゅん工式が催される。施設事業のレストランのシェフには、一流ホテルの元料理長を迎えることも決まった。すでに施設の利用の問い合わせも受けており、施設が果たす役割へ期待が膨らんでいる。
 通所授産施設と地域生活支援センターを開設する。授産施設ではレストランや福祉機器のリサイクル事業も行う。建設には自己資金が不足したため、「まいづる共同作業所・まいづる作業所『友の会』」(小林義和会長)が、昨年9月から1800万円を目標に募金を始めた。
 募金には多くの市民が協力を申し出ている。3月13日の友の会会議では、「地球交響曲第四番」を上映したコズミックネットワーク「えんや」(西村佳子代表)が、上映の収益金100万円を寄付。同団体の7人が施設建設に役立ててほしいと、6年前と昨年の上映会の収益金を合わせて贈った。この日で募金額は2148万385円となった。
 会議ではすでに施設利用の相談を受けていることや、舞鶴市から施設運営の補助として年間380万円の補助金が、新年度予算に盛り込まれていることも報告された。小林会長は「多くの方のご協力で目標額を超えることができ感謝しています。こうした活動が拡大し、社会的弱者の支援のきっかけになればうれしい」と話していた。
 しゅん工式は午前11時から。施設は4月から開設するがレストランだけは4月下旬か5月初めの予定。シェフには、大阪ヒルトンホテルの料理長や京都ロイヤルホテルの総料理長を務めた塩原勝さん(53)を迎えることが決まった。施設利用の問い合わせは第2まいづる共同作業所(電話62・1010)へ。

春の風物詩、イサザ漁が最盛期
今年の水揚げは例年より少なめ

 舞鶴地方の春の風物詩、イサザ漁が最盛期を迎えている。上安久の相生橋下の伊佐津川河口に、漁師らが落とし網を仕掛け、1日数回網を引き揚げて、網に入った体長4、5センチの透き通ったイサザを生けすに入れている
 イサザは、別名シロウオと呼ばれるハゼ科の沿岸魚。春先に海水と淡水が混じり合う汽水域で産卵するため、この習性を利用して、海から川へそ上するイサザを落とし網で捕獲する。
 イサザ漁は、今月(3月)1日から解禁され、4月10日まで続けられる。漁期の半分を過ぎたが、今年の水揚げは例年より少なめ。舞鶴淡水漁業協同組合の月見忠組合長によると、雨が降らなかったため、川の水量の少ないことが影響しているという。
 イサザは、踊り食いや吸い物、玉子とじにして食べる。1合(180cc)1000円前後で取り引きされている。

2002.3.19  

国の登録有形文化財・神崎ホフマン窯
小型煙突1本が倒壊、保存の措置が急務に

 国の登録有形文化財になっている西神崎の神崎煉瓦ホフマン式輪窯(りんよう)(通称・ホフマン窯)の小型煙突の1本が、このほど倒壊しているのが分かった。全部で11本あった小型煙突のうち、これで残るのは4本。主煙突にも亀裂が生じているなど、倒壊の危険さえ出てきた。れんがの町・舞鶴のシンボル的な存在だが、所有会社の倒産で競売にかけられるなどして、修復へ向けた具体策は宙に浮いたまま。保存運動に取り組む市民団体は「状況は悪化している。何とかして残したい」としている。保存の措置が急務となってきた。
 以前から斜めになっていた小型煙突の半分から先の部分が崩れ、真下のトタン屋根の小屋も半壊させた。窯がある「神崎コンクリート」の従業員は、「今月初旬ごろ突風が吹いて倒れた。近くの事務所にいたらものすごい地響きがした」という。従業員らは老朽化した煙突付近には近づかないようにしている。
 窯は明治30年(1897)に登り窯として建設、大正末期にホフマン式に改造された。だ円形で内部はトンネル状。高さ24メートルの主煙突と小型煙突を備えていた。れんがを大量に焼ける画期的な窯で、作られたれんがは旧海軍鎮守府の赤れんが倉庫建設に使われた。昭和33年ごろまで稼働していた。
 現在、ホフマン窯は全国に四基しかない。神崎のものは平成11年11月に国の有形文化財の登録を受けた。すでに小型煙突のうち6本は半倒壊し、主煙突も老朽化が目立ち補修が必要となっていた。NPO法人「赤煉瓦倶楽部舞鶴」(松井功理事長)は、その保存に向け基金を設置するなど運動に取り組んできた。
 が、同時期に神崎コンクリートの親会社が倒産し、抵当権を設定している金融機関が窯を含む土地や建物の競売を申し立てた。同団体の運動もあり一時入札は延期。その後公告したが買い受け人の申し出がなかった。そのため、最低売却価格を4496万円に変更して再び競売入札を公告。入札期間は今月(3月)27日〜4月3日。
 同団体や地元住民らの熱心な運動が続き、保存への機運は高まっているが、次の所有者が決まらない状態で、その声を具体的な活動につなげることができていない。こうした中、小型煙突が倒壊し、主煙突も7カ所に大きな亀裂が入っており、補修が急務となってきた。このまま放置すれば危険で近づくことさえできなくなる。
 同倶楽部舞鶴の松井理事長は「保存を訴えてきたが、手の出しようがないことに憤りを感じる。残りの煙突もいつ倒れてもおかしくない状況かもしれない」と危機感を募らせている。市教委では、今後の対応について関係機関と協議する。

伊佐津地区の高齢者でつくる「粟島クラブ」
「すこやかの森」外庭を清掃ボランティア

 伊佐津地区の高齢者でつくるボランティアグループ「粟島クラブ」(安達信一代表、10人)は、毎月第1木曜日の午前中に、引土の介護老人保健施設「すこやかの森」で、外庭の清掃活動などに取り組んでいる。家に閉じこもりがちな高齢者が一緒に集い、社会に少しでも役立てればと、ボランティア活動を始めたという。
 粟島クラブのメンバーは、全員75歳以上の高齢者。「すこやかの森」の開設に合わせて、「将来、自分たちもお世話になるかも知れない」との思いから、同施設でのボランティア活動を始めた。クラブの名前は、ボランティア活動に出掛ける際、近くの粟島神社に集合することから名付けた。
 毎月第1木曜日の早朝に集合。徒歩で「すこやかの森」に行き、ほうきなどを手に玄関周辺の清掃や雑草を引き抜いたりしている。作業しながら仲間同士の会話も楽しんでいるほか、高齢者同士である同施設の利用者から、声をかけられることが励みになっているという。
 また、「すこやかの森」でのボランティア活動について、同施設から感想を求められ、仲間の1人、野里常房子さん(81)が詠んだ短歌六首のなかから二首を紹介する。
 眞っ新(さら)な空がこぼせし朝の陽を 背に受け園のガラス戸磨く
 一握の愛あたためて集ひ来し すこやかと云ふ巨大なる園に

2002.3.15  

丸木舟テーマに歴史の謎に迫る
3月24日、西駅交流センターで古代史座談会

 浦入遺跡から出土した日本で最古・最大級と見られる丸木舟をテーマに、「舞鶴地方史研究会」(小林清会長、会員33人)は、3月24日午後1時から伊佐津の西駅交流センターで、「古代史座談会―丸木舟を囲んで―」を開催する。丸木舟が出土して4年が経過したいま、丸木舟とその時代について話し合い、歴史の謎に迫りたいとしている。市民の来場を呼びかけている。
 丸木舟は平成10年2月、浦入湾の砂嘴(さし)のつけ根部の地下1メートルから見つかった。船体半ばから船尾にかけての部分が残っていた。断面はU字形で、長さ約4.6メートル、幅約0.8メートル。約5300年前の縄文時代前期に造られたものと判明。幅から推測した船体の長さは約8メートル。大型であることから外洋の航海用に使われたとも見られている。
 発掘後、奈良市の元興寺文化材研究所科学センターで保存処理。昨年4月に舞鶴に返された後は、市役所や市観光商工センターで一般公開した。また、昨年11月には東京都の国立科学博物館で開かれた「日本人はるかな旅」展で展示された。現在は西駅交流センターで展示中。4月4日まで置かれ、その後同13日から泉大津市の弥生博物館の特別展に出品予定。
 同研究会は、丸木舟を通して舞鶴の歴史を深めようと、市民を交えての春の例会として座談会を企画した。はじめに発掘を担当した市教委文化財保護係長の吉岡博之さんが、出土の経過や浦入遺跡を紹介。その後、大浦半島はじめ舞鶴の海との関わりを古代史の目線で探り、座談会形式で古代ロマンを語り合う。
 小林会長は「聞きたいこと、言いたいことを気軽に話し合い、歴史の事実を深めたい」と話していた。当日だれでも参加できる。入場無料。 【問い合わせ】電話62・3133、小林さん。

人権の花運動で中舞鶴幼に感謝状
協力の舞鶴学園・高野小にも

 京都地方法務局舞鶴支局と舞鶴人権擁護委員協議会は3月11日、人権の花運動に参加協力した中舞鶴幼稚園(真木康則園長)に感謝状を伝達した。
 水仙の花を育てることで子供たちの情操を豊かにしようという運動。同園には昨年10月に球根120個を贈り、園児らが世話をして今年2月に花を咲かせた。
 この日、同支局の川崎均支局長らが訪れ、園児らに感謝状と四ツ葉のクローバーの種を贈った。また、協力した舞鶴学園と高野小学校にも感謝状が伝達された。

2002.3.12  

京大水産実験所・本館は赤れんが造りだった
建て替えで取り壊しの危機

 長浜の京都大学大学院農学研究科付属水産実験所の本館が、建て替えに伴って今夏以降に取り壊されるおそれが出てきた。本館は赤れんが造りで、昭和4年(1929)に建設された旧海軍の火薬厰爆薬部の元庁舎。終戦近い一時期、特殊潜航艇の基地としても使われていた。が、外見かられんが造りと分からなかったため、市内の赤れんが建造物の調査対象からはずれ、未調査のまま。NPO法人「赤煉瓦倶楽部舞鶴」は、すでに京大側に調査と保存の検討を要望。市は近代化遺産をまちづくりに活かしているが、今後市民の間でも論議を呼びそうだ。
 昭和四年、海軍の爆薬を開発、製造した爆薬部が神奈川県平塚から舞鶴へ移転し、長浜に建設された。同16年に第3海軍火薬厰となり、翌年朝来地区へ移転。その後、火薬厰は特殊潜航艇(人間魚雷)の訓練をする潜水艦基地隊となった。
 同22年、京大農学部水産学科がこの地に開設され、元庁舎を本館として使用。同47年、同学科は京都市内に移転、跡地に水産実験所が設置され、本館は教育研究棟として職員と学生の研究室などに使われてきた。
 本館は鉄骨れんが造り2階建て、建物面積1766平方メートル。20年前に専門家が耐震診断をした際、部屋の漆喰(しっくい)の壁をはがし、中に積まれた赤れんがを見つけた。建物の所々かられんががのぞいているが、外壁のれんがにモルタルが塗られていたため、その後もれんが造りとは気づかれなかった。日本ナショナルトラストが平成8年市内の赤れんが建造物約120件を確認し、報告書を出したが本館は調査されずにきた。
 壁の崩壊の危険が高く、実験所は京大施設部に建て替えを長年要求。最近では雨漏れや壁の表面がはがれるなどしている。昨年、京大は歴史的建造物に考慮して改修も念頭に入れ建物を点検したが傷みがひどい上に、耐震構造工事に約2、3億円かかるため改修での建て替えを断念。代わって新しい建物を作ることにし、3月から本館前に研究棟と飼育棟を建設、4月中旬までには完成する。新施設の完成後、すぐに本館は取り壊される予定にないが、予算がつけば今夏以降にもとりかかる可能性もある。
 昭和35年から本館で学び、42年間実験所に在籍している同研究科助教授の中村泉さん(63)は「本館2階の研究室にはえらい先生ばかりで近づけなかった。記念館として残らないか」、本館に研究室をもつ同科助手の上野正博さん(51)は「老朽化しているので仕方ないのだが、価値ある赤れんが建造物なのでサマーハウスなどの形で残してほしい」と話していた。
 赤れんが建物を活かしたまちづくりに取り組む「赤煉瓦倶楽部舞鶴」は昨年、「専門家による調査を行い、保存再利用の方向で検討を」との要望書を京大学長あてに提出した。同舞鶴事務局長の馬場英男さんは「歴史的、建築学的な記録をとる必要があり、まず専門家による調査が先決。その上で現状のまま置いておき、活用法を考えては」と性急な取り壊しを回避してほしいとしている。また、市教委文化財保護係長の吉岡博之さんは「近代化遺産という位置付けであるなら残してほしい。まず京大側で建物の調査をしてほしい」と話している。

高専電気工学科の5年生40人
思い出を歌に刻み卒業記念CD

 白屋の舞鶴高専電気工学科の5年生40人が、学生生活の思い出を歌に刻み、卒業記念のCDとして制作した。軽音楽部に所属した学生らが中心になって作詞・作曲、全員が各パートに分かれて歌に参加した。楽しかったことや不安などの心の軌跡を、切なく美しいギターのメロディーで綴っている。学生らは3月14日、卒業式を迎える。
 同科が開いた昨年末の忘年会で、軽音楽部の部長を務めた今西勇仁君が、卒業の記念になる歌を作ってCDに残すことを提案し、全員で取り組むことにした。これまで同校では卒業文集を作ったことはあったが、学生らが記念のCDを作るのは今回が初めてという。
 曲名は「Blue Spring」。「不思議な時間 素敵な時間 大切にしまっておくよ」と5年間を静かに振り返っている。作詞は今西君と斎藤博文君、岩浅翔君、作曲は今西君が担当した。時間は7分10秒。
 録音機材を揃えている今西君の自宅で、歌の各節を1人から4人までで分担、最後は全員で合唱し録音した。CDケースのレイアウトも学生らが協力して仕上げた。費用は1人300円を持ち寄り、約60枚作って教官らにも贈った。
 制作に参加した坂本洋君(20)と小室圭太君(同)は「勇仁君がいたからこそできた。自分の声を聴くのは恥ずかしかったが記念に残ります」と話していた。

2002.3.8  

京都生協舞鶴支部の組合員で「助け合いの会」
家事や子育て援助など、3月13日に発足のつどい

 京都生活協同組合舞鶴支部の組合員同士が、高齢者の家庭などで食事作りや掃除などの援助活動をしようと、「舞鶴くらしの助け合いの会」を発足することにした。若い夫婦の核家族化や高齢者世帯が増える中、ちょっとした家事や子育て援助などのニーズが増えてきた。3月13日午前10時から伊佐津の西駅交流センターで、発足のつどいを開く。
 助け合いの活動は、組合員らが生活の中で援助がほしい場合に、支え合う取り組み。産前産後や高齢者の家庭で、食事作りや買い物、通院介助などのケースがある。対象となるのは助け合いの会の会員で、生協組合員ならだれでも入会できる。年会費は1000円。
 会員は実際に活動する会員、援助を希望する会員、趣旨に賛同する会員からなる。援助希望者が会に電話で申し込み、コーディネーターが活動会員と希望者の調整をする。週1回、2時間を1単位としての活動で、援助者には1単位1200円と交通費を支給する。
 16年前に京都市で活動が始まり、いまは市内全域と福知山などで取り組んでいる。舞鶴支部では昨年4月、組合員らにアンケート調査をして、高齢者や産後の母親たちから多くの要望があり、舞鶴での活動を検討。すでに昨年7月から高齢者夫婦宅で家事援助を先行して実施している。
 2年前まで京都市内でコーディネーターの体験がある中野和子さん(65)=上福井=は「多くの人に活動に参加してもらい、支え合いを広げていきたい」と話していた。つどいは活動を寸劇形式で紹介し、会員の交流をする。会の問い合わせは生協舞鶴支部(電話75・6111)。

丹後の山村に伝わる「藤織り」伝承へ
保存会が講習会(計7回)の受講者を募集

 丹後の山村に伝わる藤織りを伝承しようと、丹後藤織り保存会は、5月25日から来年3月9日までの7回、宮津市下世屋の世屋小学校と府立丹後郷土資料館・旧永島家住宅で、第18回藤織り講習会を開催する。藤切りや灰汁炊き、機織りなど10工程を学ぶ。受講者を募集している。
 藤織りは藤づるの皮をはいで糸として、これから布を織り上げる。万葉集にも出てくる古い織物で日本各地に見られた。江戸時代ごろから綿が普及するにしたがい姿を消したが、綿の栽培ができない高冷な山間地で藤織りがなされ、宮津市上世屋でもお年寄りらによって続けられてきた。
 同資料館が昭和60年講座を開き、修了者で同保存会を結成。平成3年には藤織りは京都府無形民俗文化財に指定された。舞鶴からも10人が会員となっている。講習会は1泊2日として、藤織りが生まれた生活文化も学んでいる。昨年は27人が受講。全国で藤織りが学べるのはここだけで、京阪神や北海道からも受講者があった。
 5月25・26日、6月22・23日、9月7・8日、10月5・6日の前期、11月9・10日、30日・12月1日、3月8・9日の後期。定員は20人(先着順)。すべての講座に参加でき、修了後は保存会に入会意志のある人。参加費は初回の第1講座が2万5000円(受講料、1泊3食代)、第2講座以降6400円。
 希望者は受講申込書に必要事項を記入し、返信用封筒(80円切手を張る)を同封して、〒629―2234 宮津市国分 丹後郷土資料館内「丹後藤織り保存会」事務局へ申し込めばよい。

2002.3.5  

西方寺平から食べ物をありがとうの会(仮称)
農村と都市の交流へ3月10日、発足のつどい

 西方寺平で栽培された無農薬や省農薬の米や野菜、卵、加工品などを中心にして、会員宅に届ける産直グループ「西方寺平から食べ物をありがとうの会(仮称)」が、同地区の専業農家と市内の人たちによって設立の準備が進んでいる。安全な食べ物を作って食べてもらうだけでなく、農村と都市との交流を深め、農業やそれを取り巻く問題も話し合っていきたいとしている。発足のつどいを3月10日、同地区の赤岩小屋で開き、正式にスタートさせる。
 西方寺平は山間部に棚田が広がる地域で、西方寺平農業小学校や棚田オーナー制度などが取り組まれるなど、地元の人らは積極的に豊かな自然を活かした村づくりに励んでいる。また、新規就農者の受け入れにも力を入れ、定着している人も出てきた。
 こうした取り組みを重ねる中、同地区で養鶏や米づくりをする農家で、同農小に関わる霜尾誠一さん(52)・閑子さん(54)夫婦、泉金雄さん(50)・真弓さん(48)夫婦=写真=と、まちの人たちが農産物を提供し、土の恵みや農業のあり方を西方寺平から発信しようと、同グループの設立を決めた。
 昨年10月から今年1月を試行期間として、市内と綾部市内の会員約80戸に、地域の世話人宅や個別に配ってきた。品物は霜尾さんと泉さんのほか、同地区の農家が作った無・省農薬の米、野菜、鶏肉、卵、小麦粉のほか、各地で有機農業を実践するグループ「愛農会」のネットワークを使って、果物や農産加工品も取り寄せた。事前に注文を聞いて、毎週金曜日に届ける。
 霜尾さんと泉さん夫婦は「生産者と消費者が手をつなぎ、これからの農村や農業のために長い目で取り組んでいきたい。1人でも多くの人に平に来てもらって空気を吸ってほしい」と話していた。つどいは午前11時から赤岩小屋で開き、おもちつきなどをする。
【問い合わせ】電話83・0234、霜尾さん。

「第7回春を呼ぶ 舞まいフェスタ」
家族連れら1万1000人の人出でにぎわう

 男女共同参画社会の実現をめざして、市内の女性たちが企画・運営する恒例イベント「第7回春を呼ぶ 舞まいフェスタ」(同実行委員会など主催)が3月3日、余部下の中総合会館であり、家族連れら約1万1000人の人出でにぎわった。
 昨年春にオープンした中総合会館内に、「女性センター」が開設されたことを受け、昨年まで総合文化会館から会場を移し、「女性センターからあたらしい風を」をキャチフレーズに催された。
 オープニングは、同会館1階ホールでの阿波踊り。海上自衛隊舞鶴航空基地隊の隊員らでつくる「舞鶴つばさ会」(石塚伸示代表、25人)が、躍動感あふれる踊りを披露した=写真。同会では、阿波踊りを市民に広めることをめざしてをり、午後からは来場者に講習会も開いた。
 イベントは、中総合会館の全フロアを使って行われた。料理教室や着付け教室、健康チェックコーナーなどの催しのほか、アニメ映画の上映、ジェフ・バークランドさんのトークショーなど多彩な催しが繰り広げられた。

2002.3.1  

西署管内の駐在所やパトカーなどに簡易救命具配置
身近なポリ容器を利用して水難事故防止へ

 舞鶴西署(小手石康行署長)は、春休みを控えて、子供たちの水難事故防止を図るため、ポリ容器を利用した簡易救命具20個を製作、管内の交番や駐在所、パトカーなど警察車両に配置した。また、簡単に作れることから、作り方と使い方を示したパンフレットを作成し、防犯推進委員ら関係者、池や川近くの住民に配布して協力を呼びかける。
 簡易救命具は、取っ手のついた洗剤などのポリ容器(2リットル用)を使用する。この容器に3分の1ほど水を入れ、取っ手にナイロン製のロープ約10メートルを結び付ける。ロープの端には、輪を作っておく。子供が池や川に落ちた場合、岸からこの容器を投げ入れ、子供につかんでもらい引き上げる。ロープの輪の部分は、救助者の足に掛ける。
 京都府田辺市内で2月16日、ため池に落ちた保育園児を助けようとして、園児の兄の小学生が水死するという痛ましい事故が発生。これを知った同署地域課の村上泰巡査長(34)=写真=が、日本赤十字社京都府支部の救急法・水上安全法指導員会指導員の溝江幸太郎さん(51)=引土=のアドバイスを受けて考案した。「身近にあるもので、痛ましい水難事故が防げれば…」と思いついたという。
 同署地域課の佐藤光男課長は「池や川に子供が落ちた場合、岸から近いため、この救命具をつかんで助けるもので、浮輪ではありません。だれでも簡単に作れるので、万一に備えて多くの方に協力を呼びかけていきたい」と話している。

視覚障害者のためのの「パソコン講座」終了
パソコン提供呼びかけとボランティア募る

 京都府視覚障害者協会舞鶴支部(高野光武支部長)主催の「パソコン講座」が、このほど終了した。行永東町の舞鶴視力障害者福祉会館で、土・日曜日に延べ5日間15時間の講座が開講され、視覚障害者9人が、パソコンを使ってEメールを学んだ=写真。ボランティアらに支えられての講座で、受講者らは「コミュニティー手段がひとつ増えた」と喜んでいる。
 視覚障害者を対象としたパソコン講座は、市のIT講習会でも、昨年秋に開講された。目が不自由なため音声ソフトをインストールしたパソコンを使用しての講座だが、健常者と同じ18時間の講座では理解しにくいため、現在、第2回目の講座が開講されている。このほか、余部下の市障害者生活支援センターでも開講されている。
 舞鶴支部の講座は、京都府視覚障害者協会の委託事業として、今回初めて開講された。講師の国立舞鶴病院理学診療科勤務の小松広和さんのパソコンや受講者が持参したパソコンを使って講義が進められた。また、講義は市のIT講習会を受講した健常者と視覚障害者でつくるパソコンサークル「コスモス」(清本隆行代表)の会員がサポートした。
 パソコン操作は、マウスを使用せず、音声の指示でキーボードにたたいて行う。パソコンに初めてさわった受講者も、この音声に従ってキーボードをたたいて文字を入力、Eメールのやり方を学んだ。高野支部長は「バリアフリーと言われていますが、パソコンを使えばひとつのバリアが除かれます。視覚障害者にもっとパソコンを広めていきたい」と話している。
 一方、ボランティア活動として、視覚障害者のパソコン普及をめざしている「コスモス」では、パソコンは高価で、しかも高価な音声ソフトも必要なため、家庭で不要となったパソコンの提供を呼びかけている。また、トラブルが発生した場合、今回の講師となった小松さん1人に頼る以外にないため、パソコンに詳しいボランティアも募っている。
【問い合わせ】電話76・5653、コスモス代表の清本さん。