2002.5.31  

「ちゃったまつり」1口1000円の募金で
みんなの花火を打ち上げよう!

 みんなの花火を打ち上げよう―と、みなと舞鶴ちゃったまつり実行委員会(安達清司委員長)は、ちゃったまつりのフィナーレを飾る恒例の花火大会=写真=を一層盛り上げるため、今回から新たに市民の協力で花火を打ち上げることを企画した。これまでの企業・団体スポンサーの花火に加え、「まい花火募金」(1口1000円)として市民から寄付を募り、7月28日夜の花火大会で、「みんなの花火」を打ち上げる。
 今年で27回目を迎える「ちゃったまつり」は、第1回から花火大会を開催、夜空を焦がす大輪の花火が大勢の市民を楽しませている。花火は例年どおり、今年も約5000発を打ち上げる。企業・団体がスポンサーとなって花火を打ち上げるほか、「まい花火募金」で市民から寄付を募って花火を打ち上げ、花火大会を盛り上げるのが狙い。同実行委員会では市民の協力を呼びかけている。
 「まい花火募金」の受け付け期間は、6月3日から7月28日まで。舞鶴市役所商工観光課、西支所庶務係、舞鶴商工会議所のほか、舞鶴信用金庫、東舞鶴信用金庫の各本・支店、市内の郵便局で受け付ける。両信用金庫には、専用の振込用紙、郵便局には専用の振替用紙が備えられている。寄付した方の氏名は舞鶴市民新聞紙面に掲載する。
【問い合わせ】電話62・4600、舞鶴商工会議所内、みなと舞鶴ちゃったまつり実行委員会事務局。

地球温暖化防止に関心をと市民グループ
6月6・7日、市内200カ所で二酸化窒素測定

 市民環境グループ「エコネットまいづる」や労働団体などでつくる大気汚染測定運動舞鶴連絡会(石束輝己代表)は、6月6、7日、市内200カ所で二酸化窒素(N02)の測定を実施する。地球温暖化防止に向けて市民の関心を高め、舞鶴地域の大気汚染データ蓄積を狙いに、平成6年から毎年実施(昨年は2回)しており、今回で10回目。
 二酸化窒素の測定は、環境週間にちなんで、全国一斉に実施される。二酸化窒素は、地球温暖化ガスの二酸化炭素(CO2)に比例していると言われ、測定が容易にできるのが特徴。舞鶴連絡会では、市民ら約120人の協力を得て、市内の主要幹線道路沿いなど200カ所の地点で測定する。測定方法は、6月6日午後6時に各測定地点にカプセルを取り付け、翌7日午後6時に回収、これを分析して二酸化窒素濃度を調べる。
 測定に向けての説明会が5月27日、南田辺の西総合会館であり、舞鶴連絡会を構成する各団体の代表らが出席。石束代表のあいさつ=写真=の後、昨年までの測定結果が報告された。報告によると、昨年12月の測定で二酸化窒素の国の環境基準(0.061PPM)を超えている地点は、国道27号沿いの二地点で、車の通行量と濃度が比例しているという。
 舞鶴連絡会では、二酸化窒素のほか、酸性雨、浮遊粒子状物質(SPM)の測定も同時に実施。平成16年8月に操業開始予定の舞鶴火力発電所の事前測定にもつなげたいとしている。測定についての問い合わせは、電話76・8304、舞鶴地労協内、エコネットまいづる。

京大水産実験所・益田玲爾さんの
若狭湾水中散歩2
「メバル稚魚の群れ」目隠ししても巣に戻る

写真は海藻に集まる体長3センチの稚魚の群れ=撮影地は宮津市越浜、水深2メートル
内容は舞鶴市民新聞をお読み下さい。




2002.5.28  

市が青少年善行表彰
西高3年の奥野君と城南中2年の高橋君

 市は5月27日、青少年善行表彰を行った。18回目の今年は、人命救助活動をした西舞鶴高校3年の奥野史拓君(17・写真左)=三日市=と、障害をもつ友人の手助けをする城南中学校2年の高橋聖到君(13・写真右)=引土=が受賞した。
 善行表彰は、社会生活や教育、文化などの分野で顕著な善行があったと認められる20歳以下の青少年に贈られる。毎年、市制記念日に表彰が行われている。
 奥野君は平成13年12月5日の夕方、八田の国道178号で交通事故を目撃。すぐに119番通報すると同時に救急隊が到着するまでの間、路上に倒れていた女性を救護し、交通の安全を確保する行動をとった。高橋君は足に障害のある友だちのために、小学校のときから一緒に通学し、時には荷物を持つなどしている。

「市シルバー人材センター」仕事受注の勢いダウン
会員の拡大や開拓めざし「中・長期計画」

 高齢者の社会参加を図るために就業機会を紹介する社団法人・舞鶴市シルバー人材センター(蒲田忠夫理事長)の第14回通常総会が5月24日、浜の東公民館ホールで開かれた。長引く景気の低迷を受けて、同センターの設立以来、昨年始めて仕事の受注額が前年を下回ったことが報告され、今後は中・長期目標を定めて、会員の拡大や仕事の受注開拓をめざすことを決めた。
 総会には、おおむね60歳以上の会員ら約120人が出席。蒲田理事長は、同センターの仕事受注の勢いがダウンしたことと、仕事の安全面で労働災害が前年の10件から昨年度は2件に減少したことなどを報告、「舞鶴商工会議所跡にオープンしたワークプラザを拠点に、自立・自主・共働・共助の理念を再認識してスタートしたい」とあいさつした=写真
 同センターの平成13年度事業報告、決算報告によると、受注件数は前年比3.2%減の2159件、受注額は同4.8%減の2億5749万9000円、就業延べ人員は同0.1%減の5万4566人となっている。会員総数は今年3月末現在で571人。
 平成14年度の事業計画では、同17年度に会員数を600人とすることや介護援助、事務系職種の受注開拓を盛り込んだ「中・長期計画」の実現をめざすことを決めた。また、同14年度収支予算では、受注額を2億7200万円としている。

2002.5.24  

労働者の福祉向上へ決意新た
社団法人・舞鶴労働基準協会が創立50周年

 社団法人・舞鶴労働基準協会(前田宏三会長)の創立50周年記念式典が5月22日、伊佐津の西駅交流センターで開かれ、舞鶴の産業の発展と労働者の福祉向上に向けて取り組む決意を新たにした。
 記念式典には、同協会に加入する489事業所の代表ら約150人が出席。前田会長は「我が国は、構造改革に伴う雇用不安、少子・高齢化社会の進展など、これまでに経験したことのない状況にあるが、こうした困難な状況を一つ一つ乗り越え、100周年記念へとつなげていきたい」と式辞。
 来賓の江守光起市長は「舞鶴労働基準協会は、地域産業の発展と安心して働ける職場づくりに貢献された。これからも培ってこられた長い歴史と伝統を生かして、労働者の福祉の向上により一層の尽力を」と祝辞を述べた。
 この後、京都労働局長から舞鶴労働基準協会に感謝状が贈られた。引き続いて、前田会長から長年副会長を務めて協会の発展に貢献した故・福井淳藏氏のほか、同協会参与で協会機関紙「舞鶴労基」の編集委員を務めた山崎卓男氏ら11人に感謝状が贈られた。
 同協会は、昭和23年に民間企業有志で設立された舞鶴事業場連絡協議会が前身。同27年に労働基準法の周知を図るため設立され、労務管理や安全衛生に係わる行事や研修会の開催、普及・啓発活動、特殊健康診断、技能講習、特別教育など各種講習会の実施などを行っている。
 創立50周年を記念して、記念誌「50年のあゆみ」を刊行。創立40周年記念誌から10年分を追補したもので、この間に発刊した「舞鶴労基」を掲載している。  山崎氏のほか、感謝状を受けたのは次の皆さん。
 小西剛▽大槻宗晴▽武田尚孝▽上林茂▽飯田利雄▽川又甫▽岸田嘉一▽長田榮雄▽中村將夫▽山下敬三

第10回舞鶴デュアスロン大会
市内の4選手が10回連続出場と完走果たす

 5月19日に開催された「2002舞鶴インターナショナル・デュアスロン大会」(市主催)で、第1回から今回の10回大会まで、市内の4人の選手が連続出場と完走を果たした。今回の出場選手542人の中で、10回連続出場したのは36人。市内の4人の中で最高齢選手の黒岩健三さん(61)=白浜台=は「みんなで20回連続出場を目指してがんばりたい」としている。
 4人は黒岩さん▽千坂恭寛さん(八反田南町)▽塩田洋一さん(西神崎)▽小池正穂さん(行永東町)。同18日の開会式では、10回連続出場を自己申告した36選手が、江守光起市長から記念品を受け取った。その中には福岡県や愛知県、岐阜県から出場した選手らもいた。
 同デュアスロン大会は第1ラン10キロ、自転車で大浦半島を1周するバイク(自転車)60キロ、再び第1ランと同じコースを走る第2ラン10キロで順位を競う。特に大浦半島の林道コースは、標高差450メートルでアップダウンが激しいので有名。また、新緑の間を抜けるコースからは舞鶴湾を見ることができ、コースの美しさでも知られている。
 黒岩さんは「今回自転車がパンクしたがボランティアに雨具をかけてもらい、必ず完走しようと思った」と話していた。

2002.5.21  

小倉・国指定重要文化財の民家
「行永家住宅」の保存修理進む

 小倉の国指定重要文化財の民家「行永家住宅」(行永壽二郎さん所有)の保存修理が順調に進んでいる。府教委が昨年2月から建物の半解体と調査をしていたが、今年2月から復元の工事にかかっていた。現在は棟上げが終わり建物の骨組みが完成した。来月からは上屋(2階)の屋根に、雨漏れを防ぐための新しい手法の工事をした上で、瓦を葺く予定。一つひとつの仕事が職人らによって手間をかけて積み重ねられ、民家は少しずつ命を吹き込まれているようだ。
 民家は平屋1部2階建ての入母屋造り。丹後地方では最古の瓦葺き家屋。田辺城城主らが松尾寺に参拝する際、休憩所として立ち寄ったとされ、民家の奥座敷近くには専用の出入り口も設けられている。今回の解体調査で、天井を受ける横木に「文政三年」(1820年)の墨書きが見つかったことから、建築は182年前で、完成までに6年かかったことが分かった。
 現在京都市に住む行永さんが管理してきたが老朽化が著しいことから、修理の委託を受けた府教委が建物を半解体し、家屋の変遷過程を調査してきた。今後の保存計画では建物正面の座敷は当初の姿とし、土間に牛小屋とかまどを復元する。
 保存修理は全体の60%まで進んでいる。屋根は真竹を並べて縄でしばっているが、煤(すす)で真っ黒になっていた解体前のものをヘラで磨き、建物の南側半分などの屋根に再度使っている。いまは上屋の軒先に土を塗る作業もしている=写真。来月には真竹を組んだ上にむしろを敷き、さらにその上に雨を直接軒先へ落とすため杉皮を敷く。こうした手法は府内の民家修理では初めて導入するという。12月に完成の予定。
 解体と保存作業を担当する大滝工務店の棟梁、福田豊さん(48)は「ほぞやけたの組み方など、すべて手作業できちっとした仕事がしてある。この家から大工として学ぶことは多い」と話していた。

西高落語部など2団体1個人に
「舞鶴ユネスコ協会賞」

 教育や文化の振興に貢献した市内の個人や団体を表彰する「舞鶴ユネスコ協会賞」の第17回表彰式が5月18日、南田辺の西総合会館で開かれた。今回は西舞鶴高校落語部などの2団体、1個人が受賞した=写真
 舞鶴ユネスコ協会(福嶋正美会長)が同協会賞を設置。教育賞、文化賞、体育賞の3部門がある。
 教育賞を受けた西高落語部(足立尚志部長、部員3人)は、平成8年に創部以来、福祉施設への慰問や舞台出演などに活躍してきた。文化賞を受けた城下町倶楽部は平成3年に結成し、田辺城城門のかがり火の催しや散策マップの作成など、城下町の歴史に対する啓発に務めてきた。
 同じく文化賞を受けた小川一郎さん(65)=引土=は、昭和38年に吟道神心流に入門し、同50年に西舞鶴教場、続いて東舞鶴教場を開設。全国大会の競吟の審査員を務めるなど指導と普及に取り組んでいる。
 表彰式では、福嶋会長が各団体の代表と小川さんに表彰状を贈った。

2002.5.17  

市政記念館と北吸隧道
国の登録有形文化財に

 国の文化審議会(高階秀爾会長)は5月17日、文化財建造物を対象とした登録有形文化財の新規登録を答申した。今回の答申では、舞鶴市の市政記念館と市道北吸・桃山線北吸隧(ずい)道が登録を受けた。両施設とも、明治34年(1901)に舞鶴鎮守府の開設直後に造られた旧海軍のれんが建造物。連絡を受けた市教委では「これをきっかけにれんが建造物と近代化遺産のPRにつなげたい」としている。
 登録制度の対象は建築後50年を経過した建造物で、再現が難しいものなど。今回は府内24件の登録を受けた。市内では平成10年に渡邊家住宅など、同11年に神崎ホフマン窯の計4件。市教委では昨年、市内の近代化遺産を冊子にまとめたが、さらにこうした登録制度を利用して文化財への関心を高めようと、今回市が所有する2つの建造物を申請した。
 北吸の市政記念館は明治35年に造られた旧海軍兵器廠予備艦兵器庫。れんが造り2階建て、延べ床面積1633.4平方メートル。戦後は民間の舞鶴倉庫、市役所第2庁舎として利用された。
 市はその建物の構造補強などの改修をし、平成6年に市政記念館として開館した。コンサートや展示会などに使えるホール、2階には明治から平成までの市の歩みを紹介する展示コーナーを設けた。同記念館を含めその周辺には12棟の旧海軍れんが倉庫が現存し、舞鶴の近代化を物語る景観を形成している。


 北吸隧道(トンネル)は明治37年建造の旧軍港引込線隧道。れんが造りで長さ110メートル、幅3.8メートル。北吸から浜の間に通じている。
 当時、ロシアと日本との関係が悪化し、国防上から舞鶴軍港に続く鉄道の敷設が緊急の課題となり、明治37年、福知山―新舞鶴間の「舞鶴線」が完成。続いて開通した軍港引込線は、新舞鶴駅から余部町の海軍施設までの専用線で、同施設へ物資の運搬に利用された。昭和47年に廃線となり、現在は自転車歩行者専用道路として利用している。
 今回の答申について、市教委は「この2つの施設が登録を受けたということは、同時期に造られたれんが倉庫や鉄道関連施設も同程度の価値があることも示したものだと思う。さらに近代化遺産への意識の啓発に努めたい」と話していた。

7月21日のまいづるクリーンキャンペーンに参加を
ポスターデザイン最優秀は今儀さん(倉梯小)、標語は柴田さん(余部下)

 まいづるクリーンキャンペーン実行委員会(佐古田政彰実行委員長)は、キャンペーン2002の参加者募集ポスターデザインと散乱ごみ防止啓発標語の受賞者を発表した。  同実行委員会は7月21日、市内の海岸や道路、公共の場所などで環境美化活動を行うが、市民や団体の参加を呼びかけるポスターと標語を市民から応募していた。
 ポスターデザインには134人が応募。その中から、行永の倉梯小学校3年の今儀和弥さんが、最優秀の市長賞に選ばれた。優秀の実行委員長賞は矢之助町の新舞鶴小学校4年の近藤亜美さんだった。今儀さんの作品は募集ポスターとチラシに使われる。標語には202人が応募し、最優秀の実行委員長賞に余部下の柴田信枝さんの「そのごみと一緒に心も捨てますか」が選ばれた。
 昨年のキャンペーンには市内の120団体、約4100人が参加し、約22トンのごみを回収した。参加者の募集は5月16日〜6月28日。
【問い合わせ】電話66・1005、事務局の市生活環境課。

2002.5.14  

市老連女性部会結成当初からの部長
二谷すゑのさん勇退

 舞鶴市老人クラブ連合会女性部会の総会が5月12日、北吸の市老人福祉センター「文庫山学園」で開かれ、女性部会の結成当初から2期14年間、部長を務めた二谷すゑのさん(88)=常=が勇退した。二谷さんは活動資金を捻出するため、「1円玉募金」を始めるなど、まさに「女性部会の顔」として活動に取り組んだ。
 二谷さんは、元小学校教諭で、退職した数年後に老人クラブに入会した。女性部会の結成は、女性の会員が半数以上を占める市老人クラブ連合会に是非とも必要と、昭和62年に有志と準備委員会を立ち上げて協議を重ね、翌63年5月11日に結成総会を開催した。当初、婦人部会としていたが、平成元年に女性部会と改めた。
 結成の年から女性部会の自主財源確保のため、「1円玉募金」を会員に呼びかけた。初年度に59万407円の募金が集まり、平成13年度までの累計では、1988万8099円にのぼっている。この募金は、女性部会の活動資金とする一方、これまで台湾地震(平成11年)、鳥取地震(同12年)の被災者への義援金、市老人クラブ連合会30周年記念式典(同6年)などに総額80万円が役立てられている。
 このほか、二谷さんは、平成10年に国連の「国際高齢者年」を記念して、市内在住の留学生などの外国人を招待して「国際交流親睦のつどい」を開催した。このつどいは、昨年まで4回続けている。
 総会では、二谷さんが「1円玉募金」を中心に、14年間の活動を振り返り、「ここまでやってこられたのは、皆さんの協力のお陰です。この14年間はほうとうに楽しかった。これからも前向きに、脱老人で活動に取り組んでほしい」とあいさつした。
 この後、新部長に選任された安達一重さん(75)=伊佐津=に、「1円玉募金」の預金通帳、出納簿、台帳を引き継いだ=写真。二谷さんとともに退任する副部長の南ふさ子さん(83)=引土=の2人に、長年の功績をたたえて花束が贈られた。
 安達部長のほか、女性部会の平成14、15年度の役員に決まったのは次の皆さん。  ▽副部長=田端美代子(田中町)松本ミサエ(長浜)岸本美佐子(岸谷)山下昭子(下見谷)▽役員=大谷静子(溝尻中町)小川阿佐乃(森本町)岡野鶴代(京橋)池上悦子(西神崎)藤田幸子(余部上)

訪韓した「浮島丸殉難者を追悼する会」
光州市民との交流について報告会

 先月(4月)、韓国光州市の市民グループから招かれ、訪韓した「浮島丸殉難者を追悼する会」(野田幹夫会長)が5月11日、浜の勤労者福祉センターで、韓国市民との交流についての報告会を開いた。会場には、事件を題材にした映画「エイジアンブルー」の製作者、伊藤正昭さん=写真=も出席、映画を見た韓国市民たちから舞鶴での追悼運動に大きな反響が寄せられていると紹介した。事件を語り継ぐ舞鶴市民の草の根の取り組みは、今後も広がっていきそう。
 終戦直後の昭和20年8月24日、舞鶴湾佐波賀沖で海軍特設輸送艦「浮島丸」が爆沈し、乗客ら549人が死亡した。乗客らは青森県下北半島で強制労働に従事していた朝鮮人らで、釜山へ向けての航行中に舞鶴湾に針路変更して浮島丸事件が起きた。
 舞鶴市民らは事件の犠牲者を悼み、昭和29年に第1回の追悼集会を開催し、同53年には爆沈現場近くの地に追悼の碑を建立。平成7年には「エイジアンブルー」が全国公開されると、追悼集会には年々多くの人が訪れた。
 伊藤さんの働きかけで昨年は韓国各地で映画上映が実現した。アジア各国の人権擁護運動をする光州市民連帯も上映会を主催し、舞鶴での取り組みに関心を寄せた。映画に出演した韓国出身の歌手の新井英一さんの初の韓国ライブツアーが光州市でも企画され、それにあわせて市民連帯は追悼する会にこれまでの運動に感謝したいと、来韓を招請した。
 追悼する会の会員10人と伊藤さんらが、先月(4月)24日から26日にかけて韓国を訪れた。一行らは事件に関わる市民団体による歓迎レセプションに出席し、感謝牌を受け取った。また、市民連帯のメンバーと交流するなどした。
 報告会には野田会長や伊藤さんら12人が参加。交流の様子を撮影したビデオが上映された後、会員らが韓国訪問の感想を述べた。韓国の上映会にも参加した会員の余江勝彦さんは「初めての交流の出会いができ、うれしいのと同時に二度と悲惨な歴史を繰り返していけないと思った。何度か韓国へ足を運ぶ中で、自分はアジアの一員であるのを感じている」と話した。
 伊藤さんは「映画を見た韓国の人たちは、舞鶴市民の追悼の運動は映画の中の作り物と思っていた人もいたが、それが本当のことだと知って非常に喜んでいた。今年の8月24日の追悼集会には韓国から多くの人が訪れると聞いている」と語った。

2002.5.10  

旧海軍時代の名残留める水産実験所の本館
赤煉瓦倶楽部舞鶴が専門家による調査求める

 今夏以降に取り壊される予定の京都大学大学院付属水産実験所の本館について、NPO法人「赤煉瓦倶楽部舞鶴」(松井功理事長)は5月6日、長浜の同本館を訪れ、建物内部などを見学した。本館は昭和4年(1929)に建設された旧海軍の火薬厰爆薬部の元庁舎で、最近まで赤れんが造りであることが知られず、れんが建造物の調査対象からもはずれていた。今回建物を簡単に見ただけだが、爆薬部時代の名残を留める特徴も分かり、同団体はあらためて専門家による調査を求めている。
 爆薬部には工場やボイラー室、兵舎、病院などが建設され、同17年に朝来へ移転。その後、跡地は特殊潜航艇の訓練をする潜水艦基地隊となった。戦後の同22年、京大農学部水産学科がこの地に開設され、元庁舎は研究室などの本館として利用。同47年に水産実験所となった。
 本館は鉄骨れんが造り二階建て。外壁のれんがにモルタルが塗られていたため、れんが造りと気づかれず、専門家や市などによる調査もされずにきた。そうした中、京大は老朽化した本館の建て替えを決め、今春新しい研究棟などを建設。それに伴って本館は取り壊す予定になっている。
 同舞鶴は昨年秋、京大側に未調査の本館の調査と保存の検討を求める要望書を提出。それに対して京大からは現在まで何の回答もないという。このままでは調査されずに壊される恐れもあるため、同舞鶴はあまり市民が入る機会がない本館内部を見学しようと、この日、15人の会員が訪れた。
 会員らは建物の東側にある緊急避難用のスロープと思われる施設や、玄関のテラスの意匠などを見て回った。建物内部に入り、室内の漆喰(しっくい)で塗られた天井の飾りのほか、2階の廊下に取り付けられた防火シャッターを調べた。爆発の事故に備えた施設がそのまま残っていた。また、旧海軍時代に建てられたれんが造りの煙突に使われたと見られるれんがの一部も見つけた。
 同舞鶴事務局長の馬場英男さんは「他の海軍施設も見ているが、スロープや防火シャッターがあるのは初めて見た。かなり老朽化しているが、専門家による調査で建物の評価をしてほしい」と話していた。

恒例の鎧武者行列など多彩に
5月26日、まいづる田辺城まつり

 第11回まいづる田辺城まつり(同実行委員会主催)が5月26日、南田辺の舞鶴公園一帯で催される。恒例の鎧武者行列やチビッコ武者行列、町内太鼓などの西市街地巡行のほか、人気キャラクターショーなど多彩な催しが繰り広げられる。
 田辺城まつりは、田辺城城門の復元を期に、旧城下町の西舞鶴の活性化を図ろうと、平成4年から始まった。田辺城主・細川忠興の上杉征伐中の慶長5年(1600)に、細川幽斎が城を守り抜いた「田辺籠城戦」を模した武者行列など、毎年時代絵巻を再現したまつりとなっている。
 田辺城まつりは、午前10時に相愛保育園児の「相愛太鼓」でオープニング。堀和義実行委員長の開会宣言があり、明倫小学校のマーチングバンド演奏、中筋小学校体操教室のトランポリン演技、舞鶴つばさ連とクレインズ舞の阿波踊りと和太鼓がある。午前11時半と午後3時からは、堺鉄砲研究会の稲富流古式砲術が公開される。
 正午と午後2時半から忍者戦隊「ハリケンジャー」ショーがあり、午後1時に鎧武者行列などが田辺城門を出発、西市街地を練り歩く。このほか、舞鶴市民吹奏楽団の演奏、チビッコ大合唱、町内対抗綱引きなど内容は盛りだくさん。
 また、舞鶴観光協会の物産展、ポリテクカレッジ京都の染色プリントシャツの実演即売、関西電力のアルミ空き缶3個と引換えに苗木プレゼントがあるほか、野点茶席も設けられる。
 雨天の場合は、市民会館で主な催しがある。

2002.5.7  

福井さん(福来)が自費出版
本紙への投稿文を1冊にまとめる

 福来の福井秀一さん(84)が、五年間にわたって本紙に投稿した文章を一冊にまとめ、「道標」(131ページ)のタイトルを付け、このほど自費出版した。戦争中に出会った忘れえぬ人物の思い出のほか、時事問題への関心も綴っている。
 福井さんは旧制舞鶴中学校を経て、岐阜高等農林学校(現在の岐阜大学農学部)を卒業。一時東京で産業組合中央会(現・全国農業協同組合中央会)の家の光編集部で仕事をし、昭和18年8月に中部第40部隊(野砲隊)に入隊。戦後は東舞鶴高校などで生物を教えた。
 教師を退職後は農業をしながら、平成10年から本紙の「潮騒」や「海鳴り」のエッセーコーナーに投稿してきた。戦後の教師生活よりも、戦時下と2年間の軍隊生活、終戦時の混乱の時代の印象が強く残っており、海軍少将に畑の作り方を指導したことやコント作家の思い出を記した。このほかにも開発と自然保護、臓器移植問題への意見など23編の原稿を書いた。
 こうした投稿を自分の記録として1冊にまとめることにした。300部作成し、知人らに無料で配布した。福井さんは「話すよりも書くことのほうが、何度でも読み返して書き直すことができる点で気楽です。うれしいことも苦しいことも、みんなで助け合った軍隊時代が一番強く記憶に残っています」と話していた。

舞鶴高専専攻科棟が完成
より高度な研究拠点に

 白屋の舞鶴高専専攻科棟が完成し、5月9日、関係者らが出席して、しゅん工式が開かれる。5年間の本科を終えて入学した学生らが、より高度な技術と知識を学ぶ場として、最新の研究施設となっている。
 舞鶴高専には電気工学科や建設システム科など5年課程の本科を設けているが、最近の科学技術の高度化に対応するため、より深い専門知識と視野をもつ技術者を養成しようと、平成12年に専攻科を開設した。
 専攻科は電気・制御システム工学専攻と建設・生産システム工学専攻の2科。2年間の課程を修了して大学評価の審査を経て、大学の工学部卒業者と同様の学士が取得できる。実験や実習などを重視した教育内容となっている。現在の学生数は電気・制御専攻が1、2年生の計20人、建設・生産専攻が計21人。
 専攻科棟は図書館棟の南側に建設。鉄筋コンクリート造り三階建て、建築面積は401.7平方メートル。1階は実験室、2階には演習室やセミナー室、3階は講義室や教官研究室などがある。外観は赤れんがを模した外壁タイル張りとした。総工費は約3億円。
 本科の施設と異なって建物への出入りが少ないため、各階とも防犯監視カメラを設置し、インターネットのパソコン画面でその映像を見ることができる。2、3階には電磁調理器などを備えたリフレッシュコーナーがあり、学生たちが自分でコーヒーなどをつくるのに利用できるようになっている。
 5月9日午後3時から現地でしゅん工式を開き、関係者らが完成を祝ってテープカットなどをする。