2002.8.30  

半世紀の歴史、貝谷バレエ団舞鶴研究所
9月2日、大橋厚生会館で初のスタジオコンサート

 貝谷八百子バレエ団舞鶴研究所が1953年(昭和28年)に設立され、約半世紀の歴史を重ねている。生徒の中からプロダンサーを輩出するなど、地方でクラシックバレエの普及に努めてきた。最近では少子化の影響で生徒が減少しているが、来年50周年を迎えるのを機会に、バレエの魅力を知ってもらおうと、9月2日午後4時から余部下の大橋厚生会館で、初めてのスタジオコンサートを開く。
 バレエ団創設者の故貝谷八百子さんは、くるみ割り人形などの日本初演を行い、バレエ界の先駆者として活躍。日本バレエ協会副会長なども務め、1991年に70歳で亡くなった。東京に本部を置き、研究所は舞鶴と名古屋、大阪、福知山、小浜にある。
 バレエを学びたいという舞鶴市民の要請で貝谷さんが講師を派遣し、研究所が設立された。当初は橘幼稚園をレッスン場としていたが、大橋病院が1960年に建設した厚生会館をレッスン場として提供。舞鶴に在住し東京本部に所属するプロダンサーの荒井利恵さん、東京の講師が幼児から大人までに、本格的なクラシックバレエを指導している。
 以前は50人以上の生徒が学び、高校卒業後は東京本部に移り、数人がプロデビューしたり、国立韓国バレエ団の芸術監督を務めた人もいた。が、最近は少子化と習い事が増え、いまは4歳から16歳までの生徒18人が毎週2回通う。舞鶴研究所代表の大橋裕さん(48)は「人数が少ないと全幕ものの舞台ができません。今後も継続できるようがんばりたい」と話していた。
 スタジオコンサートは小学生クラスが「かわいいポルカ」、中高校生クラスが「さくらの精」などを披露する。フリーダンサーの長谷川秀介さんが特別出演する。だれでも来場できる。入場無料。
【問い合わせ】電話64・5716、大橋さん。

写真はレッスンを受ける生徒たち


大連市との友好都市提携20周年記念 代表団が来鶴、寄贈されたアカシアを植樹
 舞鶴市と中国・大連市の友好都市提携20周年を記念して、大連市の李永金市長を団長とする同市代表団の一行が来鶴。8月29日、記念行事として多祢寺の舞鶴自然文化園内で、大連市のシンボル、アカシアの記念植樹が行われ、両市の友好の絆を深めた。
 記念植樹には、大連市代表団一行と、舞鶴市から江守光起市長、山本公彦市議会議長らが出席。江守市長は「アカシアが次代を担う青少年と同じようにすくすくと育ち、50年、100年と両市の絆を深める証としたい」とあいさつ。李市長は「アカシアが順調に育ち、毎年5月下旬にきれいな花を咲かせ、多くの市民が花を見られるよう期待します」と述べた。
 この後、大連市から寄贈されたアカシア20本(1本の高さ約2.5メートル)を、江守市長と李市長=写真=のほか、大連市と舞鶴市の出席者が2人1組となって植樹した。
 大連市代表団一行は、記念植樹を前に、市役所を表敬訪問、江守市長、山本議長らと意見交換し、より一層友好を促進することを確認した。一行は植樹の後、多祢寺を見学して、京都へ向かった。

京大水産実験所・益田玲爾さんの
若狭湾水中散歩5
漁師さんの嫌われ者「ミズクラゲ」

写真はミズクラゲ(撮影場所は小浜の先の宇久という漁港周辺、水深3メートル)

内容は舞鶴市民新聞をお読み下さい。




2002.8.27  

大浦半島で京都観光アカデミーが研究会
冠島と漁村の体験型観光を探る

 府内の大学や行政などが連携して、観光振興を検討する京都観光アカデミーの「京都のエコ・ツーリズム研究会」(座長・宗田好史京都府立大学助教授)が8月22、23日、大浦半島で開かれた。冠島と漁村の体験型観光などのフィールドワークを行い、丹後の古代文化圏を活用した観光策を話し合った=写真
 京都観光アカデミーは産官学の連携で、観光関連産業の高度化、人材育成などに関するセミナーを開催している。会員は206人。今回は大浦半島をフィールドとして、丹後のエコ・ツーリズムのあり方を探った。
 22日は、府職員や舞鶴、宮津など各市町村の観光課職員、市文化財保護委員会、近畿日本ツーリスト、観光ボランティアら25人が参加した。田井漁港を出発してスダジイの巨木を見学し、冠島の説明を受けた後、冠島周辺で飛ぶオオミズナギドリを観察。夜は野原の民宿に宿泊し、翌朝は野原の大敷網漁業を見学した。
 引き続き、野原漁業協同組合の施設で行われた研究会には21人が出席、市職員が市観光基本計画を説明したり、舞鶴を含めた若狭湾の歴史・民俗を紹介した。また、旅行代理店の担当者が6月に行った大浦半島のエコ・ツーリズムで、旅行者からのアンケート調査の結果を発表。ツアーの満足度が高かった一方、民宿のトイレの問題やネイチャーガイドの育成などの課題が上げられた。
 また、大浦から見た舞鶴の歴史観を確立することや、伊根から宮津、舞鶴の冠島までの観光ルートの開発のアイデアの意見も出された。

本社など後援「市長旗全舞鶴少年野球」学童下級の部
高野少年野球クが5年ぶり2回目の優勝

 第13回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)は8月25日、行永の舞鶴球場で、学童下級の部の準決勝、決勝戦が行われ、高野少年野球クラブが5年ぶり2回目の優勝を果たした。
 高野少年野球クは、南舞鶴スポーツ少年団を12―5で破り決勝に進出。決勝戦では、共楽少年野球クラブを10―6で破った志楽ドリームズと対戦した。1回に大量12点を奪い、志楽ドの反撃を3点に抑え、13―3の大差で破った。
 試合後、表彰式があり、舞鶴野球連盟の倉橋貢副会長が、優勝した高野少年野球クに市長旗、舞鶴市民新聞社杯、準優勝の志楽ドに準優勝盾を授与。「試合は大差がついたが、両チームとも最後まで一生懸命戦った。さらに練習を積んで、来年は上級の部で頑張ってほしい」と健闘をたたえた。

2002.8.23  

保存修理中の国指定重要文化財・民家「行永家住宅」
8月31日、小倉の現地で見学会

 保存修理中の小倉の国指定重要文化財の民家「行永家住宅」の見学会が、8月31日午後1時半から現地で開かれる。文化財講座の一環として、府立丹後郷土資料館(宮津市)が主催する。昨年は解体中の柱の骨組みだけとなった行永家住宅を見てもらったが、今回は上屋(2階)の瓦葺き作業が終わり、ほぼ完成に近い姿が公開される。江戸期の民家建築の魅力に触れることができる。
 行永家は天明時代(18世紀後半)から旧小倉村の庄屋を務めた。その民家は平屋1部2階建ての入母屋造り。建築は182年前で、丹後地方では最古の瓦葺き家屋。田辺城主らが松尾寺に参拝する際、休憩所として立ち寄ったとされ、民家の奥座敷近くには専用の出入り口も設けられている。
 京都市左京区の近畿大学教授、行永壽二郎さんが所有しているが、老朽化が激しいため府に解体と保存修理を委託。昨年2月から府教委が建物を解体し、建築の変遷過程を調べた。その後、保存修理に取り組んでいる。完成は12月末。総事業費は1億9000万円。
 作業は現在、約七割が終了した。上屋には瓦が葺かれ、軒先には土壁が塗り込められている。内部の部屋には床をはる作業も終わり、今後敷居を入れて壁を塗る。瓦の約3割、木材の部材の約8割は元のものを使って、以前の姿をとどめるように配慮した。  見学会は府教委職員が講師を務める。足場が悪いので靴をはき、駐車スペースもあまりないので乗り合いで来てほしいと呼びかけている。無料。
【問い合わせ】電話0772・27・0230、同資料館。

「精霊船」でお盆に迎えた先祖の霊を海に送る
白杉地区のお年寄りら麦わらで復元

 白杉地区のお年寄りたちが8月21日、お盆に迎えた先祖の霊を海に送る精霊船を、昔ながらの麦わらで製作した。完成した精霊船は地域の人たちに披露され、お盆の伝統行事を懐かしんでもらった。
 白杉では精霊船を昭和50年ごろまで作って海に送って燃やしていたが、海の汚れに考慮して製作を中止した。昨年、舞鶴市発行のグラフ誌の撮影のため、お年寄りらが稲わらで以前の半分の大きさのものを作った。今年は水に浮かびやすい本来の麦わらを使い、以前の大きさを復元した。
 区長の戸島敏明さん(55)が知人を通して麦わらを手に入れ、谷中伊作さん(86)と水嶋武男さん(72)、梅垣才一郎さん(84)、白浪亘さん(72)らが作業をした。骨組みの竹に麦わらをしばり、お経を書いた紙を付けた竹を飾り、翌日には長さ約3メートルの船が完成した。
 水嶋さんは「昔をしのんで作りましたが、お盆の伝統行事を後世に伝えたい」と話していた。今回は海に流さず地元の玉泉寺で展示した後、市教委に寄贈する。市教委では収蔵庫で保管する。

2002.8.20  

8月23日〜9月29日、市郷土資料館で
縄文時代から昭和初期の大工道具など並ぶ「夏季企画展」

 縄文時代の石斧や昭和初期の大工道具などを並べた夏季企画展「木を截(き)る・削る・刻む展〜縄文丸木舟から行永家住宅まで〜」が、8月23日から9月29日まで北田辺の市郷土資料館で開催される。実際に大工たちが使っていた毛引(けびき)やチョウナなど約100点のほか、棟上式の手順を記した書物も展示。あまり見られなくなった道具と手仕事の面白さを伝える。
 浦入遺跡から縄文時代前期の丸木舟が出土し、小倉の国指定重要文化財の民家「行永家住宅」の保存修理が進んでいるが、こうした構造物を作り上げた知恵と加工技術の変遷を、道具を通して知ってもらうのが狙い。市内の工務店が協力、実際に使っていた道具を提供した。
 大工道具は縄文時代の木工技術が中世・近代の木造建築技術へと受け継がれ、大工が手作りするなど多くの道具を生み出した。長い間道具に大きな変化はなかったが、電動工具の急速な普及で姿を消したものもある。
 今回は丸木舟を作るのに使われたと思われる縄文時代の石斧、行永家民家の建築に使われたとされる同型の道具を展示する。明治から昭和初期にかけての鉋、のみ、鋸などのほか、線を引く道具の毛引、家の門の吉凶占いも兼ねた道具の門尺(もんじゃく)、珍しいやり鉋、西洋鉋も見ることができる。このほか柱の組み方を記した江戸時代の書物、棟上式に使った破魔矢(はまや)も並べる。
 墨壺を使った体験コーナーも設けている。入館は無料。時間は午前九時〜午後四時半。月曜などは休館。
【問い合わせ】電話75・8836、同館。

写真は展示される明治から昭和初期の大工道具


全国大会に出場する選手
小学生から社会人28人を江守市長が激励

 卓球や陸上競技などの全国大会に出場する選手らが8月16日、市役所を訪れ、江守光起市長に出場を報告するとともに激励を受けた=写真
 出場選手は、全国ホープス卓球大会(団体戦)、全日本卓球選手権ホープスの部、カブの部(ともに個人戦)に出場する一条卓球クラブの小学生5選手、全日本中学校陸上競技選手権大会に出場する中学生3選手、第15回全国グラウンド・ゴルフ交歓大会に出場する社会人6選手ら28人。
 1人ずつ自己紹介した選手たちを前に、江守市長は「全国大会の出場は、皆さんの努力が報われた結果。練習の成果を発揮して、目標に向かって頑張ってほしい。10万市民が応援しています」と励ました。
 選手たちは、「優勝めざして頑張ります」「全国大会は夢の舞台。悔いのないよう精一杯がんばります」など、それぞれの決意を披露した。
 全国大会の出場選手は次の皆さん。
 ▽第20回全国ホープス卓球大会(8月24〜同26日 東京体育館)=藤原優(高野小)上田仁(新舞鶴小)中西優太(同)長曽我部知貴(中舞鶴小)
 ▽全日本卓球選手権(9月6〜同8日 帯広市総合体育館)=男子ホープスの部・上田仁(新舞鶴小)同カブの部・松田幸大(三笠小)
 ▽第18回「日清食品カップ」全国小学生陸上競技交流大会(8月23〜同25日 国立競技場)=6年生女子100メートル・嵯峨根温子(中筋小)5年生女子100メートル・川端美貴(朝来小)5年生男子100メートル・中上拓司(明倫小)
 ▽第16回全国中学生ウエートリフティング競技選手権大会(8月23日 千葉県松戸国際高校体育館)=坂尾雄紀(白糸中)谷口亜純(同)三谷洋平(城北中)
 ▽第29回全日本中学校陸上競技選手権大会(8月20〜同23日 西京極陸上競技場)=男子3000メートル・辻泰樹(白糸中)男子砲丸投げ・山内薫(城北中)女子100、200メートル・荻野里絵(城南中)
 ▽第33回全国中学校卓球大会(8月21〜同24日 大阪府立体育館)=団体戦・桑村沙智、雲丹亀司、田鹿真琴、西村彩香、高野昇子、西田京加、上田萌、高瀬麻衣(以上白糸中)個人戦・雲丹亀司(白糸中)
 ▽第15回全国グラウンド・ゴルフ交歓大会(9月6〜同8日 愛媛県総合運動公園)奥田稔、澤田文男、猪野浩芳、後野信夫、本山勉、畑中正男

2002.8.16  

引揚援護局の元医師や看護婦ら
戦争と引き揚げの歴史語り継ぎたい

 終戦後の昭和20年10月から同33年9月まで、舞鶴港は中国や旧ソ連から66万人の引き揚げ者と約1万6000柱の遺骨を迎えた。引き揚げ者の受け入れのため、平に厚生省の引揚援護局検疫所が設置された。勤務した医師や看護婦らの37人が今年7月、約半世紀ぶりに各地からやってきて舞鶴で再会を果たした。出席者から当時の様子を撮影した写真を寄せてもらい、看護婦から見た引き揚げを語ってもらった。
 京都や千葉、富山などの看護婦が日本赤十字社から派遣され、同20年〜同27年、援護局検疫所に勤務。入港した船に乗り込み、船内の衛生状況のチェック、引き揚げ者への予防接種、荷物の消毒などの業務をした。藤本チヨさん(77)=大阪市=の呼びかけで、7月に集まった。
 室田節子さん(72)=鹿児島県入来町=は同23年〜同25年、ナホトカに向かう引揚船「高砂丸」に乗船するなどした。長い北桟橋で引き揚げ者を出迎えたが、橋を歩く軍靴の音で「お帰りなさい」という声がかき消された。夏になると、赤痢にかかった患者が粗末なベッドに横たわっていたのを思い出す。
 「無言で無表情で帰国した人々の面影が、今でも痛く私のまぶたに焼きつき、忘れることができません。50年ぶりに舞鶴を訪れましたが戦争をしてはいけないという気持ちを新たにしました」という。
 滋賀県信楽町の岡村ヤエ子さん(74)は同20年から3年間勤務した。引き揚げ者が入所した上安寮では、中国で親を亡くし、はぐれた子供たちが帰国したものの、その場で置き去りにされているのをよく見かけた。そうした子供たちは森寮に送られ、休みのたびに行って歌や折り紙を教えた。「子供たちも喜んで待っていてくれた。いまどうしているのかと1日も忘れたことがない」
 引揚桟橋では担架を持って待機していた。桟橋に着いた人たちが歓迎する人からもらった鉛筆を海に捨てていた。「だれがこんな苦労をさせたのか」。吐き捨てるような言葉が耳に残っている。帰国しても故郷の家族が亡くなった知らせを受け、援護局内で首をつって自殺した引き揚げ者も何人もいた。
 元看護婦たちは「戦争と引き揚げの歴史を語り継ぐ時間は残り少ない。いま私たちにできることをしよう。そしてまた舞鶴で再会したい」と話し合っている。

写真は戦後間もないころ引揚船「高砂丸」に乗船した看護婦ら(西港)


本社など後援・全舞鶴少年野球
学童上級の部で中筋ク、少年の部は鶴友クAが優勝、学童下級の部の準決勝・決勝は8月25日

 第13回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)の学童下級の部の1、2回戦が8月10日、学童上級の部と少年の部の準決勝、決勝が同11日、行永の舞鶴球場などで行われた。学童上級の部では中筋少年野球クラブ=写真上=、少年の部では鶴友クラブA=写真下=が優勝し、市長旗と舞鶴市民新聞社杯などが贈られた。
 今大会には同上級の部15、下級の部14、少年の部9の計38チーム、総勢約500人が出場した。
 学童上級の部決勝では余内少年野球クラブを2対1で下した志楽ドリームズと、中舞鶴少年野球クラブを11対1で破った中筋少年野球クラブが対戦。初回に4点を入れた中筋少年野球クが8対4で志楽ドリームズに勝った。主将の高田賢介選手は「みんなの応援とチームワークで勝てた。10月の両丹大会でも優勝を目指したい」と話していた。
 少年の部決勝は池内少年野球クラブを3対2で破った鶴友クラブA、与保呂スポーツ少年団を2対0で下した鶴友クラブBが対戦した。鶴友Aが最終回に逆転し、4対1で勝った。主将の冨田聖選手は「しっかりとバントで決めるところを決められた」と優勝を喜んでいた。
 学童下級の部の準決勝と決勝は8月25日に行われる。1、2回戦の結果は次の通り。
 1回戦=南舞鶴スポーツ少年団5―4余内少年野球クラブ、高野少年野球クラブ11―2池内少年野球クラブ、明倫ヘッピリーズ9―8中筋少年野球クラブ、福井少年野球クラブ21―8舞鶴東スポーツ少年団、共楽少年野球クラブ10―4中舞鶴少年野球クラブ、与保呂スポーツ少年団9―3志楽少年野球クラブ▽2回戦=志楽ドリームス8―6福井少年野球ク、共楽少年野球ク21―7与保呂少年野球ク、南舞鶴スポーツ少年団23―7三笠少年野球ク、高野少年野球ク14―4明倫ヘッピリーズ

2002.8.13  

新聞は休刊です


2002.8.9  

市指定文化財「糸井文庫」の「丹後国内伝説」資料
市が調査委託、コレクションの充実ぶり確認し公開へ

 舞鶴市の委託研究として、市指定文化財「糸井文庫」(市郷土資料館蔵)の「丹後国内伝説」に関する資料約五百点を調査していた立命館大学アート・リサーチセンターは8月7日、市役所で調査・分析の結果を発表した。これまで未調査だった錦絵(浮世絵)類のコレクションの充実ぶりが確認され、市では「赤れんがフェスタ」の主要な催しとして、10月12日から20日、北吸の市政記念館で企画展「〜糸井文庫浮世絵から〜彩られた丹後伝説」を開催して、資料を公開する。
 市は、「糸井文庫」の中核をなす錦絵類が未調査だったこと、「丹後郷土資料目録」と題した市教育委刊行の同文庫目録に誤記があったこと、古典籍や錦絵などの文化財の保存と活用をはかることなどの問題の解決のため、立命館大学アート・リサーチセンターに調査を委託。大江山酒呑童子、浦島太郎、三庄太夫、石川五右衛門などの六つの丹後国内伝説の資料を預けた。
 同リサーチセンターでは、副センター長で文学部の赤間亮教授(近世文学)を中心にプロジェクトを組み調査。錦絵(浮世絵)180点、書籍など313点を集めた「丹後国内伝説」の資料は、全国で類のない地域色の濃いもので、特に「酒呑童子」に関連した錦絵は、幅広い時代のものを収集しており、武者絵の流れが把握できるほど充実していることが分かった。
 また、各資料の詳細な書誌データを採り、書名、刊行年、作者、絵師など多岐にわたって、これまでの目録の不備な個所を訂正した。目録は「糸井文庫」のコレクションを収集した岩滝町出身の実業家、糸井仙之助氏(1874〜1949)の覚書によったところも多く、書名の間違いなどを訂正した。このほか、これまで不明だった錦絵の制作年代は、同センターの資料と照合して特定できたという。
 また、調査を通じて、各資料を最新の機器を駆使して、約五千カットのデジタル撮影を行った。このデータをインターネットなどにより閲覧できるシステムをつくり、閲覧による資料の劣化を防ぐとともに、広く公開することによって、今後の新たな研究活動が進められることになるとしている。

白糸中吹奏楽部のオリオンクラブ
府のコンクールで高い評価受け初の金賞

 浜の白糸中学校吹奏楽部のオリオンクラブが、このほど京都市内で開かれた「第39回府吹奏楽コンクール」(府吹奏楽連盟など主催)の中学校A組部門で、初めて金賞に輝いた。同コンクールで、府北部の中学校が金賞を受賞するのは、昭和48年の城北中以来の快挙。惜しくも関西コンクールへの出場は逃したが、吹奏楽本来の楽しさを表現した演奏は高い評価を受け、部員らも歓喜の声を上げた。
 演奏者50人を上限とした同A部門には府内59校が出場、課題曲と自由曲を演奏する。審査の結果、上位6校に金賞が贈られ、18校が関西コンクールの代表選考会に出演できる。毎年上位には府南部の中学校が顔を並べ、府北部の学校にとって入賞は壁となっていた。
 部員64人の同クラブは、47人と顧問の松田孝可子教諭が指揮者として出場。課題曲は「ミニシンフォニー変ホ長調」、自由曲は同じ作曲者の「大地と水と火と空の歌」を選んだ。演奏後、帰りのバスの中で金賞の連絡を受け、会場にひき返して代表者が表彰式に出席した。審査員からは「若々しく元気がいい」「指揮者とバンドの一体感がある」と評価された。
 松田教諭は「部員は楽器を修理しながら練習してきた。いつも通りに演奏を楽しめればいいと臨みました」、部長の3年生、上野沙世さんは「最初は銀賞かと思った。コンクールの演奏はこれまでで一番の出来でした」と喜びを表していた。

2002.8.6  

元舞鶴市史専門委員の故・中嶋さん(宮津市)の
論文などまとめ郷土史家らの手で著作集

 舞鶴市文化財保護委員や市史専門委員などを務め、先月90歳で亡くなった宮津市喜多の中嶋利雄さんの論文などをまとめた著作集・天橋立編が、交友のあった宮津や舞鶴の郷土史家らの手で、このほど出版された。国宝となっている雪舟の「天橋立図」で謎とされていた構図について、新しい解釈を提示するなど、中嶋さんが愛情を寄せた天橋立に関する論文を収録している。今後も続編が計画されている。
 元上宮津小学校校長だった中嶋さんは、舞鶴の由良川中学校や福井小学校にも赴任した。舞鶴市史専門委員として中世の歴史の執筆を担当。舞鶴の未解放部落が中世からそのまま続いたのでなく、戦国時代を経て牧野藩制時代に形成、固定された事実を発掘するなど、科学的な市史研究の先駆けとなった。また、舞鶴地方史研究会の会員でもあり、丹後の歴史について論文を多数発表し、舞鶴や宮津など丹後の郷土史家と親交を結び、後進の指導にもあたった。
 多くの研究の中でも、室町時代の画僧、雪舟が描いた「天橋立図」について新見解を提示したのが注目された。図は手前から中景、遠景、近景といったように遠近が不規則で、宮津湾外にある冠島と沓島が図では湾内に描かれているのが謎とされてきた。これに対して中嶋さんは3カ所で描いた絵を合成し、下部の栗田半島の山並みの図は裏返して描いたという考えを発表し、研究者からも評価された。
 中嶋さんの同人誌「私のリポート」の同人の5人が刊行会を作って、昨年から編集作業をしていた。宮津の中野遺跡発掘調査の報告書、新見解の論文、観光と風景の文章、「天橋立図」の解釈に対する府立丹後郷土資料館技師の伊藤太さんの解説も掲載している。今後、「舞鶴編」「宮津編」なども計画。
 刊行会の1人で舞鶴市文化財保護委員の加藤晃さんは「中嶋さんの元気なうちに出そうと思ったが、間に合わず残念です」と話していた。著作集はA4判、93ページ。1冊2000円。市内の書店で発売予定。
【問い合わせ】電話0772・22・1158、あまのはしだて出版。

市民活動を支援し情報の収集発信など
「まちづくりサポートクラブ」が設立総会

 市民活動の支援を目的としたNPO法人「まちづくりサポートクラブ」の設立総会が8月3日、南田辺の西総合会館であり、設立趣旨や事業計画などが説明された。建設中の仮称西市民プラザの管理運営を、市民の手で行う「公設市民営」に取り組むなどを盛り込んでおり、今後市と具体化に向けて協議を進める。
 仮称西市民プラザの整備をきっかけとして、市民の手で運営をと考えるメンバーらが勉強会に参加し、NPO法人の設立へと発展した。多くの市民団体が活動する中で、「活動拠点がない」「相談窓口がない」などの課題を受け、市民活動を支援しまちづくり事業の推進を目的としている。
 設立総会には会員26人が出席。安全なまちづくり事業やまちづくり情報の収集発信などの事業計画を承認し、理事などの役員を決めた。代表には同団体設立発起人の座長の上山利彦さんが選ばれた。今月(8月)中に府にNPO法人の認証を申請し、今年までに取得を目指している。

2002.8.2  

赤煉瓦倶楽部舞鶴が神崎ホフマン窯の保存へ冊子
8月3・4日のジャズ祭で無料配布

 国の登録有形文化財となっている西神崎の神崎ホフマン窯の保存に取り組んでいるNPO法人「赤煉瓦倶楽部舞鶴」(松井功理事長)は、写真や文章などで窯の大切さを紹介する冊子(A4判、4ページ)を作成した。8月3、日の赤煉瓦ジャズ祭で、来場者に無料配布して保存を呼びかけることにしている。
 ホフマン窯はドイツ人のフリードリヒ・ホフマンが考案した焼成窯で、国内では明治5年に初めて築造された。かつては50基以上あったが現在は4基しか残っていない。
 神崎ホフマン窯は明治30年に登り窯として建設された。主煙突にもひびが入るなど老朽化が進んでいる。また、所有する親会社の倒産から窯を含む土地が競売に掛けられたが、新しい所有者が決まっていない。近く3回目の競売に掛けられる予定。
 冊子では神崎ホフマン窯のほか、いまも残る3カ所の窯やホフマン氏を紹介。ジャズピアニストの山下洋輔さんら全国の人から寄せられた保存メッセージも掲載している。3000部作成した。

親子で水カンリンバ作り
市リサイクルプラザ「夏休み工作教室」

 市リサイクルプラザ主催の夏休み工作教室「水カンリンバ作り」が7月29日、森の同プラザで開かれた。親子の29人が空き缶を使ったリサイクル楽器の制作に挑戦し、缶の間を流れる水の音に耳を傾けて面白がっていた。
 民族楽器演奏者の丸山祐一郎さんが考案した。つないだスチール缶の間を水が流れる音が共鳴して聞こえ、水の万華鏡のような不思議な魅力がある。各地で水カンリンバ作りの輪が広がっているが、市内ではごみのリサイクルと減量化に取り組む舞鶴生活学校が昨年から水カンリバを紹介している。今回初めて教室が開かれた。
 同生活学校の会員5人が講師となり、事前に同プラザが用意したスチール缶を使って親子が取り組んだ。空き缶の蓋を切り取って、水を入れてからボンドでつなぎ、表面に布を巻いて約2時間で完成させた。親らはさっそく出来上がった水カンリンバに耳を当て、水の流れる音を楽しんだ。