2003.1.28
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■長年、地域への文化活動に貢献
舞鶴市文化協会に知事表彰
舞鶴市文化協会(松山正道会長)は、長年にわたる地域への文化活動の貢献が評価され、京都府から地域文化活動功労団体の知事表彰を受賞し、1月24日、浜の総合文化会館で開催した同協会の新春互礼会の席上で、辻逸司・府舞鶴地方振興局長から表彰状が伝達された。
同協会は昭和20年12月に発足し、57年の歴史を持っている。同45年からは毎年秋に総合文化祭を開催しているほか、最近では団体の枠を超えての交流、近隣市の文化協会と合同で中丹文化芸術祭に参画している。現在は109団体、3678人の会員がいる。
知事表彰は舞鶴と福知山、綾部の市文化協会に贈られた。112人が出席した新春互礼会の席上、表彰状を受け取った松山会長は「先輩たちが積み重ねてきた功績を受け止め、ますます努力して文化の発展に努めたい」とお礼を述べた。
写真は舞鶴市文化協会の松山会長(左)に辻振興局長から表彰状が伝達される
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■ソフトテニス「舞鶴ひまわりクラブ」の
小学4・5年生の3ペア全国大会へ
小中学生のソフトテニスクラブ「舞鶴ひまわりクラブ」(野田幹夫代表)の3ペアが、京都府小学生4・5年生のインドア大会で、ストレート勝ちで優勝をするなどの活躍をし、3月に千葉県で開催される全国小学生大会に出場することが決まった。全国大会でも力を出し切ろうと練習に取り組んでいる。
府インドア大会の4年生以下女子の部で、余内小4年の石角彩花さん(10)=天台新町=、同4年の海老原智絵さん(同)=清美が丘=ペアが優勝。同5年女子の部で、倉梯第2小5年の文字朋子さん(10)=行永=、中筋小5年の野田汐莉さん(同)=七日市=ペアが3位、同5年生男子の部で、倉梯第2小5年の竹中亮介君(11)=行永=、新舞鶴小4年の関小田幸大君(10)=市場=ペアが2位に入った。3位以上が全国大会へ出場できる。
石角・海老原ペアは4戦すべて3―0のストレートで勝ち進んだ。有効なサーブが決まり、ボールを相手コートに深く打ち込むことが好調につながった。男子では2位は初めてで、野田代表は「男子も次第に力をつけてきた」という。
石角さんと海老原さんは「府大会では自分たちのペースでプレーできました。昨年の全国大会では3回戦で負けたので今年はそれを上回りたい」、全国大会が初めての竹中君と関小田君は「一つ勝ちたい」と話していた。
写真は府小学生4・5年生インドア大会での賞状を手にする3ペア6人
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2003.1.24
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■カフェレストラン「ほのぼの屋」開業7カ月で利用客1万人突破
市民グループ「えんや」が記念に版画寄贈
社会福祉法人・まいづる福祉会が運営する大波下のカフェレストラン「ほのぼの屋」が、昨年4月末に開業してから約7カ月間で、利用客が1万人を突破し、建設に協力した市民グループがそれを記念して、世界的な美術家の草間彌生さんの版画作品を1月19日に寄贈した。本格的なフランス料理店として市民の人気を集めているだけでなく、ここで働く精神障害者のメンバーたちにとっては生きる自信を取り戻す場となっている。
市民から2270万円の募金を得て、精神障害者の授産施設と地域生活支援センターが昨年3月に完成した。授産施設の事業として、元京都ロイヤルホテル総料理長の塩原勝さんをシェフに迎え、4月末に開店。店の収益はすべて障害者らの賃金となっている。
舞鶴湾が見渡せる高台で、おいしいフランス料理が安く味わえるとあって、支援者以外にも口コミで市民に評判が伝わり、一時はランチには行列ができ、予約制のディナーは1カ月先まで一杯に。チャリティー演奏会の会場としての利用もあった。食数をカウントした結果、昨年11月末で1万人を超えた。
現在、同店では9人のメンバーが接客と調理補助の仕事で、体の調子に合わせて1日2〜7時間勤務。週2〜6日間働き、多い人で約8万円の賃金を得ている。ランチの利用も落ち着いてきており、ディナーの予約も平日と日曜日なら取りやすくなってきた。
1昨年、映画「地球交響曲第4番」の上映会の収益金100万円を建設資金として同福祉会へ寄付したコズミックネットワーク「えんや」(西村佳子代表)が、草間さんの版画「花」(10号)を寄贈、同店を訪れて手渡した。草間さんは幼児から幻覚などに悩まされ、病院に入院しながら近くのアトリエで創作を続けている。
国立舞鶴病院精神科病棟の看護師長を務める代表の西村さん(59)=浜=は、「患者さんの中にはここで働きたいと意欲を持つ人もおり、この施設がみんなの希望となっています。ここに来る人たちで花瓶に夢と希望を入れてもらえるように、草間さんの『花』を選びました」と話している。
施設長の西澤心さん(41)は「施設ではなく店として来てくれる人が多く、人気は料理の味に因るところが大きい。自分に自信を失っていたメンバーたちも、ここで働くことで人としての誇りを回復しています。市民のプレゼントにみんなで喜んでいます」と話し、店内に版画を飾った。
写真は版画を西澤施設長らに贈る「コズミックネットワーク・えんや」の西村さん(左端)
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■4都市体育大会冬季大会&府民総体市町村対抗駅伝
両大会での健闘誓い市選手団結団式
第51回4都市体育大会冬季大会と第25回府民総体市町村対抗駅伝競走大会に出場する舞鶴市選手団の結団式が1月22日、浜の市政記念館で行われ、選手たちは大会での健闘を誓った。
選手団は、2月2日に大江スキー場で開催される冬季大会の42人(うち選手33人)と、2月16日に福知山市三段池公園をスタート・ゴール地点に、大江町を折り返すコース(8区間、36キロ)で開催される駅伝競走の29人(うち選手16人)。
結団式では、市の室一雄助役から選手団団長の桜井義昭・市体育協会副会長に市旗が伝達され、安達渉・市体育協会長が「健闘を期待します」とあいさつ。室助役は「市制60周年の節目の年によい成績を残せるよう、ベストを尽くして頑張ってほしい」と激励した。
選手を代表して、駅伝競走に出場する松田恵巳子選手が「持てる力を存分に発揮して頑張ります」と決意を述べた。
写真は決意を述べる市町村対抗駅伝に出場する松田選手
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2003.1.21
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■建築業の太田さん(田中町)
詩集「愛の詩」を文芸社から出版
建築会社を経営する太田雅伸さん(50)=田中町=が、これまで書きためた詩をまとめた詩集「愛の詩(うた)」(129ページ)を、このほど文芸社から出版した。仕事や生活の合間にふと感じたことを、形式にとらわれない自由詩として表現した。家族とのふれあいや自然の風景などを描き、人との絆や人生の意味、人への信頼などをうたい上げ、「不信の時代に心の一服になれば」とメッセージを送っている。
詩や小説が好きだった太田さんは、東舞鶴高校時代に思春期の思いや人生への興味などを、詩で表していた。30代のころはほとんど詩を書いていなかったが、7、8年前から思っていることを少しずつ言葉に表現できるようになった。
50歳を迎えたのを区切りにして、形に残してみようと、ここ3年間に書きためた150編から50編を選び、本にする原稿を探していた文芸社に送ったところ、採用となって詩集として出版された。作品は、散歩や仕事で目にする風景や人の姿から感じた印象を、その場でメモに取って後で詩として書き上げたものばかり。1000部印刷され、全国の書店で販売されている。
友人の父の葬儀に参列した際、残った友人の母が夫を見送っている姿を見て詠んだ「葬奏」では、母を自分に置き換え生きてきた道を振り返って幸福の意味を噛みしめている。「笑い転げて」では我が子の屈託なく笑う顔につられて、家族で笑っている様子を描いた。「田は鏡」では水を張った田に写った空の美しさを描写し、自然と人の営みへの共感を伝えている。
太田さんは「いつも経験している生活の中に、見えてくるものがあります。入院中の人から枕元に置いていますとの感想ももらい、詩で人に何かを与えることでこれまでお世話になったことへのお礼ができれば」と話していた。1冊952円(税別)。
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■今年で5回目「立命館まいづる講座」
市民スタッフ加わりスタート
舞鶴市と立命館大学の学術協定に基づいて、市民を対象に開講している「立命館まいづる講座」が1月18日、浜の市商工観光センターでスタートした。今年で5回目を迎える同講座では、初めて運営や講義テーマの検討に市民スタッフが加わり、市民により身近な講座となった。
立命館まいづる講座は、平成11年から始まり、毎年この時期に、6講義前後が開講されている。これまで市の担当者と立命館大で講座を運営してきたが、今回から公募した市民スタッフが加わった。
市民スタッフは、40代から70代の11人で、会議を重ねて講義テーマの検討などを行ってきた。この日は、会場の設営や受講者の受け付け、開講式の司会など務めた。
開講式の後、立命館大学国際関係学部の大島堅一助教授が「地球環境と経済学〜環境のコスト、環境はいくらか?」をテーマに講義。受講した約100人の市民らがノートを取りながら熱心に講義に耳を傾けていた。同講座は、3月22日まで計6講義が開講され、5講義以上の受講者に修了証書が授与される。
写真は講義に耳を傾ける受講者ら
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2003.1.17
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■福知山赤十字血液センターが献血状況まとめる
減少する冬期の献血に協力呼びかけ
京都府福知山赤十字血液センターは1月14日、舞鶴市での昨年4月から12月までの献血状況をまとめた。献血者数は平成13年の同期間と比べて、400ミリリットル献血73人増だったが、200ミリリットル献血122人減、成分献血41人減となっていることが分かった。同センターでは、冬期に献血者が減少することから、献血の協力を呼びかけている。
昨年の舞鶴市での採血車稼働日数は35日で、平成13年と比べて0.5日減少。400ミリリットル献血1745人(平成13年比73人増)、200ミリリットル献血352人(同122人減)、成分献血221人(同41人減)だった。
月別にみると、400ミリリットル献血が最も多かったのは、12月の299人(平成13年199人)、次いで6月の238人(同248人)、11月の214人(同199人)の順だった。平成13年2月の400ミリリットル献血は99人で、冬期は大幅に減少することが予想される。
同センターによると、医療分野で血液の需要の主流となっているのは400ミリリットル献血で、昨年の200ミリリットル献血の大幅な減少は止むを得ないとしている。また、成分献血の減少も成分献血日の減少が影響しているとしているが、献血そのものは減少傾向にあるという。 現在、京都府内の献血在庫は650単位(400ミリリットル換算で2単位)で、通常確保しなければならない1500単位の半分にも満たない状況。この状況を改善することが急務になっている。
※舞鶴市民新聞社では、献血の協力を呼びかけるため、毎月初めに前月の舞鶴市での献血状況を掲載します。
写真は昨年12月、採血を受ける西高生たち
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■亡き和田康子さん偲び娘らパッチワーク遺作展
7回忌を迎えた節目に、19日まで「サンムーン」で
平成9年に亡くなった和田康子さんの娘らが、7回忌を迎えたのを節目にして、母親が残したパッチワーク作品を展示する遺作展を、1月19日まで浜のギャラリー・サンムーンで開催している。退職後に趣味として始めたものだが、入院先のベッドでも針と布を手放さなかったほど、康子さんの心の支えとなっていた。和田さんの職場の元同僚と娘らは、手の込んだ数々の作品を見ながら康子さんを偲んでいる。
和田さんは昭和3年に秋田県で生まれ、戦時中は東京で空襲の被害に遇い、敦賀への疎開を経て昭和21年に舞鶴市に転居。出産後肝炎を患ったが、府職員を続けながら2人の娘を育てた。同62年に59歳で府土木事務所を退職後、以前からやってみたかったパッチワークを始めようと、市田島枝さんが主宰する「パッチワークキルトSHIMA」に通った。
若いころから娘たちの洋服を自分で作るなど、針仕事を得意としていたことから、寝る間も惜しんで多くの作品を制作し、グループ展に出品したり友人らにプレゼントすることを生き甲斐としていた。が、晩年は肝臓病で視力が衰えて、思うように針を運ぶことができなかったという。69歳で亡くなった。
長女の和田きよみさん(43)=引土=と次女の竹橋えりかさん(40)=上安=が、今年1月で7回忌を迎えたことから、お世話になった人たちへお礼の意味を込め、また、パッチワークを通して母を知ろうと遺作展を温めてきた。西町の自宅から作品を探し、その中からタペストリーやポーチなどの約50点、収集した古布を展示した。目を悪くする前に仕上げたタペストリーを、柩に掛けて母を送りだしたという思い出の作品をはじめ、色使いにこだわった作品が並んでいる。
きよみさんは「入院先の病院にも布を持ち込み、色合わせをしていました。昔の布を集めて、もっと作品を作ろうと思っていたようです」、えりかさんは「黙々と針を動かしていた姿が印象的でした」と思い出を話していた。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。
写真は和田さんが遺した作品と長女・きよみさん(右)、次女えりかさん
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2003.1.14
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■成生の陶芸家・高井さん
日展に入選、通算6度目の受賞
大浦半島の成生在住の陶芸家、高井晴美さん(38)が、このほど第34回日展工芸美術部門に入選し、通算6度目の受賞となった。漁村である成生の海をイメージした大作を作り続けている高井さんは、今回は岩に砕ける波をヒントにして力強い作品を出品した。今後も見る人に元気を与えるものを作って、日展に挑戦していきたいとしている。
日展は明治40年の第1回文部省美術展覧会を最初としてスタートし、日本の美術界をリードしてきた。毎年、日本各地から作家が応募し、東京美術館を始めてとして各地で巡回展が開かれている。
平成3年から京都市内で作家活動を始めた高井さんは、この年から3年連続して日展に入選。同6年にふるさとに戻ってアトリエを開設してからは、入選を果たせずにいたが同11年に入選し、翌年には初めて市内で個展を開いた。その後も毎年挑戦を続けて、1昨年と昨年に入選した。
第34回に応募した作品「濤(なみ)の華」は、岩にくだける波しぶきが上に向かって飛び散る様子から希望を表現した。高さ63センチ、幅31センチ、全体は青紫色。約4カ月かかって8点を制作し、素焼きの時点でひびが入るなどして完成したのは1点だった。陶器やガラス、鉄などの同部門に1133点の応募があり、その中から625点が入選した。昨年11月から東京の同美術館、12月から今年1月13日まで京都市の市立美術館で展示された。
高井さんは「成生に暮らしていても全国に通用する作品を作りたいと思い、各地の作家が集まる日展に挑戦し続けてきました。陶芸だけでなくいろんな分野の作品が集まるので刺激にもなっています」と話していた。今後も成生の海とここに暮らす人たちを作品で伝え、人に勇気を与えていきたいとしている。
写真は入選作「濤の華」と対になる作品と高井さん
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■「110番の日」園児が一日署長
「お巡りさん」の絵画展も
「110番の日」の1月10日、舞鶴東署(味田良夫署長)は、南浜町のショッピングセンター「らぽーる」で、幼稚園児を「一日署長」に任命して、緊急時の110番通報のポイントなどの広報活動を行った=写真。
「一日署長」になったのは、浜の橘幼稚園(布目潮崇園長)の西村健太君(6)と西村茉利子ちゃん(6)。味田署長から任命を受けて、警察官の制服・制帽を着用した2人は、同じ幼稚園の園児たちと、アニメソング「鉄腕アトム」を合唱、続いてピアニカで「威風堂々」を合奏した。
続いて、2人は「事件・事故 緊急ダイヤル110番です」と、今年の「110番の日」の標語を述べ、女性警察官と一緒に正しい緊急通報の仕方を来場者らに説明。ビラ配りも手伝った。
また、会場では、橘幼稚園児が描いた「お巡りさん」の絵画展も開かれ、買い物客らは園児たちが描いた警察官やパトカーの絵に見入っていた。
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2003.1.10
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■舞鶴市出身の岡本さんメジャーデビュー
音楽追い求めロックバンドで熱いメッセージ
舞鶴市倉梯町出身のミュージシャン、岡本郭男(あつお)さん(47)=東京都墨田区=が、桑名正博さんらとハードロックバンド「THE TRIPLE X」を結成し、メジャーデビューとなる3枚目のCDアルバムをこのほど発表した。多くの歌手のバックなどでドラムを演奏してきた実力派だが、今回のバンドではレコード会社の制約を受けず、自分たちの音楽を追い求め、熱いメッセージを送っている。舞鶴でも演奏の機会があればという。
岡本さんは桑名さんのレコーディングを手伝ったのをきっかけにして、約5年前桑名さんと元桑田バンドのギター、河内淳貴さんのユニットに参加しトリプルXを結成した。70、80年代のハードロックを彷(ほう)ふつさせるサウンドで、同じ年代の人たちに聴いてほしいと、2枚のCDアルバムを制作して、演奏活動のかたわらに1枚1枚手売りした。
現在は六人のメンバーで最新の3枚目「人生の訓示」を制作。「黒い河」など10曲を収録し、ポップで骨太な音楽を聴かせている。今回が同バンドのメジャーデビューで、全国のCDショップで発売している。
青葉中学校時代にフォークやロックの魅力にはまってドラムを始め、東高生のころ友人らとバンドを作り、卒業後は東京の音楽専門学校に進学。学校の先輩を通して知り合った浜田省吾さんに、躍動感あるドラムの才能を見い出され、浜田さんのバンドメンバーとして19歳でプロデビューした。
バンド解散後は、松山千春や谷村新司らのツアーのバックミュージシャン、CMやドラマの音楽を担当したり、「スペクトラム」などのバンドでも演奏してきた。通算15枚のアルバムを制作し、高校卒業の資格が取れる東京自由学園の音楽科の講師も務めている。
岡本さんは「東京に来て自分の下手さに音楽を止めようと思ったが根が楽天的だった。自分がどこかで一番だと自信を持ち、継続して前に進むことが大切。舞鶴でもライブの機会があればやってみたい」と話していた。今後は国内ツアーや海外でのレコーディングも予定している。
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■舞鶴海上保安部の巡視船「わかさ」乗組員
本番さながらに初稽古で逮捕術披露
舞鶴海上保安部の巡視船「わかさ」の乗組員約20人による初稽古が1月8日、下福井の舞鶴港湾合同庁舎武道場で実施された。空手や柔道の組手の模範演武のほか、ヘルメットやプロテクターを着用して、不法密入国者の身柄を取り押さえる本場さながらの逮捕術を披露した。
第八管区海上保安本部主催の初稽古は道場開きを兼ねて毎年行われている。植田良美本部長が「重い任務を全うするため、実力の保持・精励に努めてほしい」と訓示した。
その後、柔道着姿の乗組員らが突きや蹴りの基本技、武器を持った相手を組み伏せる演武を披露した。続いて、ヘルメットなどで身をかためた乗組員らが楯や特殊警棒を使って、抵抗する犯人役と格闘したり=写真=、船内に不法密入国者が隠れているとの想定のもと、不審者を捜し出して取り押さえるといった迫力ある訓練を見せていた。
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2003.1.7
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■小倉の重文民家「行永家住宅」
半解体・保存修理が終了、182年前の姿に復元
府教委が小倉の国指定重要文化財の民家「行永家住宅」(行永壽二郎さん所有)で進めていた半解体・保存修理が昨年12月末で終了し、182年前の建築当初の姿に復元された。元の桟瓦や竹を再利用するなどして、当時の風合いと暮らしを伝えるとともに、建物の後ろはここに住む予定の行永さんの住居として整備された。居住空間を併せ持った民家の復元は、全国的にも珍しいケースとなり、今後の民家保存の事例として関心を集めそう。
行永家は天明時代(18世紀後半)から小倉村の庄屋を、明治維新前には大庄屋を務めていた。京都市在住の行永さんが管理していたが老朽化が激しく、1昨年2月から行永さんの委託を受けた府教委が調査と復元を進めていた。工事は地元の大滝工務店が担当した。
行永家住宅は平屋1部2階建て。丹後地方では最古の瓦葺き家屋だが、建築年代がこれまでよりも5年さかのぼる江戸時代後期の文政3年(1820)であることが、今回の解体調査でわかった。また、原型は丹後地方に広く見られる「ダイドコロ」(広間)と「オモテ」(座敷)などからなる「広間型3間取」と判明した。
座敷は手をつけずに、土間にかまどや庭に仕切りとなる中間も設けたり、広間の畳を撤去して板敷きと囲炉裏、天井は竹簀の子に復元。一度も葺き替えられなかった屋根瓦の約3割とその下の真竹を再利用した。また、最初は撤去予定だった座敷前の石は、講で集まった住民らが手を洗う桶を置いた手水台だったことが、地元の人からの聞き取りで分かり残した。土間の後ろ半分は仕切りで見えないようにして、台所などに整備した。
担当した府教委文化財保護課専門員の塚原十三雄さん(54)は「農家での生活体験がないので復元には苦労した。住むことを前提にしての保存修理は珍しいので、行永家が文化財と住居としての共存の事例になればと願っている」、同専門員の森田卓郎さん(46)は「天井の簀の子の竹がきれいに残っており、地域の人たちが協力して竹を切り出し、むしろを編んでいったのが目に見えるようだった。それらを再利用して再現した行永家から、長い目で物を考えた先人らの知恵を感じてもらえれば」と話していた。
行永さんは今年春ごろから移り住む準備をし、5月末には全国重文民家の集いの総会を同住宅で開催する予定。
写真上=板敷きと囲炉裏などを復元した広間。写真下=元の桟瓦を使った建物正面の屋根
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■第2回舞鶴絵手紙コンクールに513点
17、18、19日、市商工観光センターで作品展
第2回舞鶴絵手紙コンクール(舞鶴絵手紙実行委員会主催、舞鶴市、同市教委など後援)の作品展が17、18、19日、浜の市商工観光センター一階観光情報プラザで開催される。絵手紙大賞を受賞した瀬野あけみさん=余部上=の「五老岳の雲海」のほか、各入賞作など応募全作品513点が展示される。
舞鶴絵手紙コンクールは、舞鶴市民新聞社などで構成する舞鶴絵手紙実行委員会(松本昭司委員長)が、ふるさと・舞鶴の再発見をと、昨年初めて開催。今回は「舞鶴の秋を探そう」をテーマに作品を募集、一般の部168点、小・中学生の部345点の総数513点の応募があった。
応募作品は、紅葉の美しい金剛院など市内の各社寺の風景、秋が旬の魚介類、野菜類などを題材に温かい色調で描かれ、舞鶴をアピールする一文が添えられている。いずれも舞鶴の魅力を再認識させる力作がそろっている。
写真は寄せられた絵手紙作品の一部
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