2003.2.28  

がんを発病の糸井さん(倉梯町)回復して再び生きる喜び
すし店経営の夫も協力、本場「さぬきうどん」で店切り盛り

 3年前にがんを発病し、その後の治療で回復した倉梯町の糸井利美さん(55)が、出身地のふるさとの味を食べてほしいと、念願だったさぬきうどんの店を切り盛りしている。病気の告知後にがんと向き合って妻を支えてきた夫の功さん(57)が協力し、経営するすし店で昼間だけうどんのメニューを始めた。病気の悩みの中、2人は出会った同病者からの励ましを受けてきた。再び生きる喜びを得た利美さんは、毎日笑顔で来店者と接している。
 利美さんが卵巣がんの診断を受け、入院したのは平成12年2月だった。抗がん剤で患部を小さくしてから、摘出する手術を受けた。抗がん剤での治療は手足がしびれ、歩けなくなるほど苦しかった。病気を知った功さんも、どうしていいか分からず悩んだ。  医師や看護師から励ましを受ける中、2人は同病者がいる病室に入ることを勧められた。ここで出会った女性の話を聞き、病気と共存する気持ちへ次第に切り替わった。利美さんは治療で髪が抜けた時、「お父さんから命の方が大切だと励まされた」。また、妻を支える功さんは「ガン告知いろ色すぎし冬の薔薇」など俳句を詠み、自分の気持ちを見つめた。
 同年11月に退院したが、翌年に再発し長期入院。この間も2人は同室者たちと、渓流や野山にハイキングに出掛け、春の風景やお弁当を楽しんだ。功さんが毎日見舞いに訪れる病室は笑いが絶えなくなり、同室者からよく相談も受けるように。専門家によるカウンセリングの必要を感じた。再手術の予定だったががんは消えていた。退院後は毎月1度、血液検査を続けている。
 利美さんは発病前はすし店を手伝っていたが、さぬきうどんの本場の香川県観音寺市で生まれ育ったことから、舞鶴で本物を出す店をしたいと願っていた。功さんも回復後は自分の生き甲斐を持った方がいいと賛成し、同市へ出掛けて一番おいしいと思った店から、同じうどんとだし汁を直送してもらい、昨年11月から利美さんが1人で昼間(午前11時〜午後2時)だけ店を始めた。
 メニューは釜あげうどん(430円)、しょう油をかける釜ぬきうどん(同)など4種類。本場のさぬきうどんが楽しめるとあって、口コミで人気を得ている。利美さんは「今日は何の天ぷらにしようかとか、お客さんと話もできて楽しい毎日です。病気のことも忘れています」と話していた。功さんも「生き生きとしている。元気になった」と見守っている。
【問い合わせ】電話62・7652、鯛福。

3月8日〜4月6日、市郷土資料館寄贈品展
中世山城や舞鶴近代史の歴史資料や関連文書など

 この1年間に市民から贈られた歴史資料や関連する文書などを展示する市郷土資料館寄贈品展が、3月8日から北田辺の同館で開催される。舞鶴の中世山城の研究の先駆けとなった故岡野允さんの論文をはじめ、約20年ぶりの公開となった嶽(だけ)家文書、舞鶴鎮守府など舞鶴近代史の資料が並べられる。4月6日まで。
 元舞鶴地方史研究会の岡野さんは8年をかけて、「舞鶴地方史料集 丹後の山城」を完成したことで知られている。その資料と蔵書が遺族から同館へ寄贈された。今回はその資料とともに舞鶴の中世山城を紹介しようと、大俣城の模型や市内にある山城の位置を示した地図も展示。また、岡野さんが市内各地の山城を歩いた際、その基にした嶽家や竹原家の文書を借りて公開する。戦国時代の舞鶴を知る貴重な資料となっている。
 さらに、平成8年に引土で発見された鎌倉時代末期などの埋蔵銭も出品。これらの中には、国内で数枚しか見つかっていないものもあり、昨年市指定文化財となった。このほか、舞鶴市史の編纂専門委員を務めた戸祭武さんと小川高さんから、舞鶴鎮守府と交通史などに関する資料を寄贈されたのを受け、2人の研究に関連する舞鶴西港修築工事資料も並べた。月曜は休館。

写真=展示される山城の資料や文書など


京大水産実験所・益田玲爾さんの
若狭湾水中散歩11「イイダコ」

目玉模様で敵の攻撃くらます

写真は体長15センチのイイダコ=長浜、水深3メートル

内容は舞鶴市民新聞をお読み下さい。




2003.2.25  

小論文コンテスト「オート・スカラシップ」で
日星高の谷口さんが佳作

 第35回オート・スカラシップ「高校生文化大賞」(産経新聞社主催)に、日星高校国際コース3年生の谷口友美さん(18)=下漆原=の小論文「希望への道」が佳作に選ばれた。異なる人種と文化が共存するカナダへの留学体験をもとに、本当の理解と支え合いが平和への近道だと論じた。
 同大賞は高校生を対象とした小論文コンテスト。「あたにとって家族とは」「平和について」など3つのテーマから1つのテーマを選び、原稿用紙(400字詰め)8〜10枚にまとめる。入選10人、佳作10人が選ばれる。今回は全国の217校から1412点の応募があった。
 谷口さんは「平和について」をテーマに選んだ。ニューヨークでの同時多発テロをはじめ、各地の紛争などを例に挙げて、人間は限りなく弱い存在と指摘。その一方、自分の人生を賭けて困難の中にいる人たちを支援する人もいると述べた。
 また、留学先のセント・パトリック高校で多くの民族が共存している中で過ごした体験をもとに、同じ人間という枠で世界の人たちとつながることは難しいことではないとし、人は弱いからこそ支え合うことが大切と論じた。
 2月24日に高校を卒業した谷口さんは「小学生のころからボーイスカウトに入り、そこでの募金や清掃活動、ネパールでの学校建設などのボランティア活動に影響を受けました。将来はNGOのマネージメントや企業の環境保全などの仕事をしたい」と話していた。4月からは上智大学経営学部で学ぶ予定。

3月12日、西総合会館で長唄「みつる会」
初の発表会で本格的な古典芸能披露

 長唄「みつる会」の初めての発表会が、3月12日正午から南田辺の西総合会館四階、多目的ホールで開かれる。長唄に合わせて日舞花柳流の花柳龍美社中の舞踊も披露され、本格的な古典芸能の舞台となる。入場無料。
 みつる会は、杵屋勝欣十郎師に師事する長唄愛好者の会。舞鶴では、同会の世話役を務める石原文江さん=引土=と、稲葉恵美子さん=行永▽四方芙佐子さん=余部下=の3人が入会。3年前から杵屋師が月1回のペースで来鶴、大阪の会員とともに長唄と三味線を習っている。
 発表会は、古典芸能を一人でも多くの人達に観賞してもらおうと、初めて開催する。杵屋師と親交のある花柳龍美師の協賛を得て、長唄とともに舞踊も披露される。
 本番を前に2月22日、引土の東引土公民館で、リハーサルが行われた。杵屋師のほか、賛助出演の杵屋禄人さん、杵屋佐喜人さんが三味線と長唄を演じ、花柳龍美師の指導で社中の人達が踊った。また、石原さんらも三味線の音合わせをした。
 石原さんらは、古典芸能に興味のある人の来場を呼びかけている。
【問い合わせ】電話75・2021、石原さん。

写真=本番を前にリハーサルする出演者ら


2003.2.21  

俳句結社「七曜」同人の岡田さん(余部下)
3人の子供の成長詠み初句集「子ら」発刊

 俳句結社「七曜」(橋本美代子主宰)同人の主婦、岡田陽子さん(54)=余部下=が、3人の子供たちの成長を詠んだ初句集「子ら」(163ページ)を、このほど発刊した。長男が20歳を迎えたのを節目にして、これまでの句をまとめた。兄弟で遊んでいる様子や少年野球の緊迫したゲームのプレーを見守る気持ち、小学校での運動会の一コマなどを、17文字に刻み込んでいる。
 岡田さんは七曜同人の母親の影響で俳句に親しむようになり、18歳で入会した。短大卒業後は仕事などで忙しく休会し、その間に25年間住んだ京都市からふるさと舞鶴へUターン。7歳の長男と3歳の長女、1歳5カ月の次男を育てながら作句を再開した。平成9年には月よう句会を結成、母親の指導で15人と創作に励んでいる。
 子供たちとの毎日の生活や自然の風景などに接して作った句の中から、学生時代、平成元年〜14年の句の300を選び、句集にまとめた。兄弟が仲良く遊んでいる様子が印象に残った「独楽まはす兄に向ひて這ひ出せり」、次男の野球の試合をハラハラして見守った「雲の峰勝負の一点守りきる」など、母親の眼差しで生み出した。
 このほか、「まっさらにひらききったり白牡丹」や、桜の花見や新緑の寺院での縁日での作品など、季節感を折り込んでいる。300部作成し、友人や句友らに寄贈した。表紙の目の覚めるような青色には、澄みきった空の気持ちを持ちたいとの希望を込めた。
 岡田さんは「ここまで俳句に夢中になれたのも、自由で豊かな句が魅力の橋本先生とのすばらしい出会いがあったからこそだと思います。句集を踏み台にして前に進んでいきたい」と話している。

3月末で休校の岡田中小の児童
4月から通学する岡田下小で学習交流会

 久田美の岡田下小学校(林桂代子校長、71人)で2月18日、今年度末で休校となるため4月から同校に通学する西方寺の岡田中小学校(荻野隆三校長)の全校児童19人を迎えて、学習交流会が開かれた。両校児童たちは一緒にゲームを楽しんだり、学年別の学習を通じて、仲間意識を育んだ。
 岡田中小は、児童数の減少に伴い、地元から「切磋琢磨できる教育環境を」との要望が出され、3月末で休校することが決まった。児童たちは、4月から岡田下小に通学することになり、一日も早く新しい環境になれてもらおうと、両校児童の学習交流会が開かれた。
 両校の全校児童が参加した全体集会では、岡田下小6年の日置幸佑君(12)、岡田中小6年の千阪耕平君(12)の両児童会長が、それぞれ「楽しく交流して、友達になりましょう」とあいさつ。全員でドッジボールを模したゲーム「ドッジピー」を楽しんだ。
 続いて、各学年別に学習交流会も開かれ、岡田中小の児童たちが、各学年の教室で、岡田下小の児童と一緒に授業を受けた。学習交流会は、2月25日も行われる。

写真=ゲームで交流する両校児童たち


2003.2.18  

精神障害者たちが働くカフェレストラン
「ほのぼの屋」の誕生エピソードなどが本に

 精神障害者たちが働くカフェレストラン「ほのぼの屋」のエピソードや、その誕生の大きな力になった障害者福祉連続フォーラムの記録をまとめた本が、クリエイツかもがわ(京都市南区)から、このほど出版された。同店で働くメンバーたちの成長や、フォーラムで障害者自身が語った体験や願い、専門家らによる障害者の地域生活支援の課題を盛り込んだ内容。編者の社会福祉法人まいづる福祉会は、フォーラムの成果とその後の実践を文章と写真で伝えたいとしている。
 障害者が地域であたりまえに暮らすことをテーマに、同福祉会などが2000年から翌年にかけ6回連続のフォーラムを開催した。医療や福祉の専門家が講演、当事者と家族が実情を語り、毎回200人〜300人が来場する反響があった。その取り組みが昨年、精神障害者授産施設と生活支援センターに実った。
 フォーラムの成果を参加できなかった人にも知ってもらおうと、その発言などを記録した本を企画。授産施設の事業であるレストランが好評であることから、同店での実践報告も加えることにした。フォーラムの講演者でもある国立精神・神経センター総長の高橋清久さんも、編者として協力した。
 題名は「いらっしゃいませ『ほのぼの屋』へ このまちであたりまえに暮らしたい」。1章では1977年に開設したまいづる共同作業所の歩み、古本屋での市民との交流、レストランでさらに多くの市民と出会い、生き生きとするメンバーの様子が描かれた。
 また、田辺市のふたば第2作業所施設長をする米川徳昭さんが、コーヒー店や古着屋、老人ホーム内での出店などの活動を紹介。さらに、日本障害者協議会常務理事の藤井克徳さんが、精神障害分野での国の施策の遅れなどを指摘し、将来の地域生活支援の展望を語った。
 このほか作業所に通う当事者が、発病までの生活歴や健常者と一緒に仕事がしたいなどの思い、当事者の親たちが自分が亡くなった後、子供たちを安心して託せるものが欲しいとの切実な願いも収録した。仕事などをしているメンバーの写真約40枚も載せた。
 同支援センター施設長の石束陽子さん(37)は「フォーラムでのメンバーや家族の発言は貴重な財産。また専門家による今後の福祉のあり方の話は、希望を与えてくれるものとなりました」と話していた。本は四六判、238ページ。初版は2500部。1冊2000円(税別)。書店のほか、行永のブックハウス「ほのぼの屋」、大波下の同支援センター(電話66・7707)で販売している。

写真上=クリエイツかもがわ(京都市南区)から出版された本
写真下=雪の中、配達するメンバー(出版された「いらっしゃいませ『ほのぼの屋』へ」より



中筋小学校「わいわいふれあいクラブ」児童たち
舞鶴赤十字病院に入院中のお年寄りらに紙人形劇

 中筋小学校(阿波敦子校長)の「わいわいふれあいクラブ」の児童たちが2月14日、倉谷の舞鶴赤十字病院を訪れ、紙人形劇(テープサート)を演じて、入院中のお年寄りたちの心を和ませた。
 同クラブは、多くの人たちとのふれあいを図ることを目的に、昨年4月に結成された。クラブ員は、部長の6年生、竹内美織さん(12)ら4、5、6年生の8人。同校が委嘱している社会人講師「まちの先生」で、城南校区主任児童委員の福島イツヨさん=公文名=と川北笑子さん=伊佐津=が、クラブの指導に当たっている。
 クラブ活動では、これまでに近くの中筋保育園を訪れ、園児たちに手作りの紙芝居を上演。今回は、今年度の活動の締めくくりとして、同病院を訪問、紙人形劇「オオカミと6匹の子ヤギ」を上演した。
 昨年9月から絵本などを参考に高さ30センチのオオカミや小ヤギの人形を製作。また、6年生の長内理奈さん(12)が脚本を書いた。オオカミに襲われ、家にいた5匹の子ヤギが飲み込まれるが、隠れて助かった1匹の子ヤギと母親のヤギが、オオカミのお腹から子ヤギたちを助け出す物語。
 部員たちは、棒の付いた紙人形を舞台の上に差し上げて、それぞれの役柄の台詞とともに人形を動かした。お年寄りたちら入院患者ら約50人は、子供たちの劇を熱心に観賞していた。
 このほか、校歌の合唱や縦笛の合奏も発表、また、お年寄りたちとゲームを通じて交流した。竹内さんは「お年寄りの皆さんの笑顔がうれしかった。うまく劇が出来ました」と話していた。

写真=紙人形劇を演じる児童たち


2003.2.14  

3月3日に民家ギャラリーオープン、利用を呼びかけ
安岡の森田さん、自宅裏の母屋改造

 昭和12年建築の木造2階建ての民家を改造したギャラリーが、3月3日にオープンする。安岡の主婦、森田満美子さん(45)が、昨年夏ごろから自宅裏の母屋だった民家で準備してきた。展示スペースの2階天井には、すすで真っ黒になった大きな梁(はり)がむき出しとなり、以前使っていた農具や生活用具なども並べられ、家全体を展示物としている。昔の建物や道具のよさを伝えると同時に、手仕事の展示場や教室、常設販売所として利用を呼びかけている。
 20年近くカントリークラフト作りをする森田さんは、古い建築物に興味はなかったが、近くの小倉の重文民家「行永家住宅」の保存の取り組みを知り、物置状態だった屋根裏部屋に初めて入り、古い物を大切にしようと思った。家そのものを使ってアートに結びつく活動をと、大工に改造を依頼した。
 森田さん宅は昔はナシ園や養蚕などを営み、いまも田畑で農作業をしており、民家には田下駄などの農具、かまどや水屋箪笥、おひつなどの生活用具が大切に残っていた。2階は天井板を取り除き大きな梁を見せるようにし、床は板張りとして縦約7メートル、横約6メートルの展示スペースを作った。
 また、隣室には交流できる和室、1階にも教室などに使える部屋を設けた。入り口の土間や台所だった空間には生活道具などを展示。2階に荷物を揚げる滑車もそのままにし、昔の暮らしが分かるようにした。
 屋号にちなんで、和風コミュニティーギャラリー「仁平"(にへい)」と名付けた。森田さんは「先祖の残したものや、いまの人の作品を見てもらおうと思いました。見学に来たご近所の人が、うちにも古いものがあるので出してみようと、関心を持つきっかけにもなったようです」と話していた。展示会場や作品の委託販売、集会所などに利用してもらえればとしている。利用料金は公共施設より低額にする予定。問い合わせは森田さん(電話62・3913)。

写真=すすで真っ黒の梁がむき出しとなった2階展示スペース


学校農園にイノシシ除けの防護柵
三笠小6年生が卒業記念にボランティア活動

 桃山町の三笠小学校の6年生たちが卒業を前にして、2月10日、校舎裏の学校農園で、イノシシ除けの防護柵を設置した。学校アドバイザーを務める高橋正延さん(67)=桃山町=が、畑の作物がイノシシに荒らされるのを知って学校側に提案し、選挙ポスター用の掲示板をリサイクルして児童らと作った。
 三笠小では各学年で約1アールの農園を理科などの授業で利用し、サツマイモなどを栽培している。しかし、ここ数年はイノシシなどに畑が荒らされ、収穫できずに児童らはがっかりしていた。
 高橋さんはその事情を知って、防護柵づくりを提案し、6年生40人が卒業記念のボランティア活動として作業をした。児童たちはかなづちを使って、不要となった高さ約1メートルの掲示板数枚を釘でつなぎ、畑の三方を囲んだほか、板の上には漁業用の網を張りめぐらせた。また、高橋さんの友人夫婦も周囲の竹を払ったりして手伝った。
 6年生の松本泰子さん(12)=北吸=は「この畑でジャガイモを育てました。柵を作ったのでイノシシは来なくなるかもしれない」と話していた。

写真=畑の三方を板で囲む児童たちと高橋さん


2003.2.12  

舞鶴高専・教育環境改善へ校舎改修
不要の机&いすを市民に無償で提供、申し込み受け付け

 白屋の国立舞鶴高専は教育環境の改善事業として、平成13年度から校舎改修に着手、狭かった教室を広くしたり、学科の枠を超えた共通実験室などを整備した。これに伴って改正前の日本工業規格(JIS)の机といすの各360脚を、改正後の大きなサイズに入れ換えることにしている。同校は使わなくなる机といすをリサイクルできればと、市民に無償で提供することにした。申し込みを受け付けている。
 多様化する教育環境に対応して、教室用の机やイスのJISが平成11年(1999)に改正された。従来の机は天板(メラニン加工した木製)の縦40センチ、横60センチ、天板までの高さ(スチール製脚)73センチだが、改正後は縦45センチ、横65センチ、高さ70センチ。国立の学校では順次導入されている。
 改正を契機に同校は、63平方メートルの普通教室を80平方メートルに拡大するほか、研究の活性化を目指して学科共通の実験室を計画した。また、教官研究室の一画には、異なる学科の研究者と学生の交流を図るスペースも設置。13年度から着工し、すでに教室の利用は始まっている。全ての改修は来年度で完了。総事業費は約15億円。
 昨年秋に一部の机といすを交換し、古いいす60脚はゲートボールをするお年寄りに贈った。10年〜20年使用した机といすの各360脚を今月(2月)26日から交換の予定だが、必要な人に無償で提供する。これ以外にも机60脚を用意した。
 同校会計課の福永重智課長は「これまでに差し上げた机は盆栽を置く台として、また天板を外してバーベキューコンロの台に利用しているケースもあります」という。希望者は2月末までに同校会計課総務係へ電話(62・8871)で申し込みを。引き渡し期間は2月24日から3月初めまで。

写真=新しくなった教室と市民に提供する机といす


東署の歓楽街総合対策で浜地区の違法駐車が激減
安心・安全の地域づくりに大きな成果

 舞鶴東署(味田良夫署長)は、通行の妨げや交通事故の要因にもなる違法駐車する車両の追放などを目的とした浜地区の歓楽街総合対策の実施状況をまとめた。平成13年7月から始まった同対策は、1年半を経過して、違法駐車は激減したほか、酔客によるけんかなども少なくなる波及効果もあり、同署では「安心・安全の地域づくりに大きな成果があった」と分析している。
 飲食店など約300店が密集する浜地区では、夜間になると、違法駐車車両が路上を占拠する状況が続いていた。このため、平成13年6月に、商店街の夏の恒例行事「土曜夜の市」の暴走族対策として、府警察本部と綾部署以北の8署で「北部銀河部隊」を編成して、取り締まりを実施したのを契機に、同署で同年7月から総合対策を実施してきた。
 連日午後8時から地域課の制服警察官が、パトカーやミニパトカーで出動。浜地区の駐車違反取り締まりを徹底したほか、午後10時前後からは、周辺道路で飲酒運転の取り締まりも併せて実施した。また、少年非行対策として、コンビニなどに集まっている少年の街頭補導にも取り組んだ。
 この成果として、総合対策実施前の平成12年1月から同13年6月までと、実施後の1年半の同じ期間の駐車取り締まり件数を対比すると、実施前528件、実施後1833件と3倍以上となった。駐車取り締まりは、実施直後の数カ月は月200件以上あったが、最近の数カ月は月40件前後に激減している。飲酒運転検挙件数は、実施前200件から実施後295件と1.5倍となった。
 一方、制服警察官やパトカーの赤色灯の犯罪抑止効果で、酔客によるけんかなど凶悪・粗暴犯罪認知件数は、実施前の17件から実施後の7件と半減。また、街頭犯罪(窃盗)の認知件数も実施前の329件から実施後の228件と減少した。
 同署によると、最近では地域住民からの違法駐車に対する苦情やけんかなどの通報も、ほとんどなくなったという。今後も総合対策を継続していく。

写真=一昨年9月、違法駐車を取り締まる署員


2003.2.7  

「神崎ホフマン窯」保存へ第1歩
財団法人理事の高橋さんが落札

 国登録有形文化財になっている西神崎の「神崎ホフマン窯」を含む土地や建物の競売入札の開札が2月5日、南田辺の京都地方裁判所舞鶴支部であり、財団法人理事の高橋博さん(52)=丸山口町=が2381万円で落札した。高橋さんは保存の意向で買い取りを決め、今後は自身が理事を務める舞鶴文化教育財団(高橋照理事長)へ寄付するなどの予定という。窯は親会社の倒産で持ち主が決まらず、市と市民団体も動きがとれなかったが、ようやく保存へ向け動きだした。が、れんが造りの煙突などは傷みがひどく、修復が急がれている。
 窯は明治30年(1897)に登り窯として建設、大正末期にホフマン式に改造され、だ円形で内部はトンネル状となっている。高24メートルの主煙突と11本の小型煙突を備えていた。製造されたれんがは旧海軍鎮守府の赤れんが倉庫などに使われた。昭和33年ごろまで稼働していた。
 平成11年11月に国の文化財指定を受けたが、小型煙突の内6本はすでに半倒壊、昨年3月にはさらに1本(高さ6メートル)が半分崩れ落ちた。主煙突もひびが入っており、NPO法人・赤煉瓦倶楽部舞鶴(松井功理事長)が、ホフマン窯の保存に向け、署名活動や基金を設置するなどして取り組んでいた。
 そんな中、ホフマン窯を所有するコンクリート会社の親会社が倒産。親会社への貸付金を金融機関が回収するため、担保のコンクリート会社の敷地と土地を競売にかけた。1昨年9月の1回目の競売(最低売却価格7225万円)と昨年3月の2回目(同4496万円)も入札者はなかった。3回目は2371万円で今年1月に入札があり、2件の入札があった。
 落札した高橋さんは「文化財であるホフマン窯の保存に努めようと買い取りを決めた。今後は舞鶴文化教育財団へ寄付、もしくは無償で貸し出すつもり。あそこに何か新しいものを作るとか、手を加える予定はなく現状のまま残したい」と話した。さらに、将来は公園のようなものにして市民に開放したいという。同倶楽部舞鶴では「新しい所有者に対してこれまで通り保存を訴えていきたい」としている。
 2月12日に同支部で売却許可決定が出される。正式な所有者が決まることで、次は老朽化した煙突などの修復・保存が急務となる。

写真=ひびが入っている主煙突と小型煙突


スイセンが見事な花を咲かす
相愛保育園の園児が丹精込め育てる

 魚屋の相愛保育園(江上サキ園長)で、年長組園児26人が丹精込めて育てたスイセンが見事な花を咲かせている=写真
 スイセンは、京都地方法務局が昭和57年に「人権の花」として制定。それ以降、人権啓発活動の一環として、府下の小学校や幼稚園、保育園などにスイセンの球根を贈り、子供たちに育ててもらっている。
 相愛保育園には、昨年秋、舞鶴人権擁護委員協議会と同法務局舞鶴支局からスイセンの球根50個とプランターや鉢、土の栽培用具が贈られた。園児たちは、球根を植えて、毎日水を与え、雑草取りをして育て花を咲かせた。
 スイセンの鉢は、同園玄関ホールに飾られ、白い可憐な花から、ほのかな香りを漂わせている。同園では、花を咲かせたスイセンを、園児たちが交流を続けている上安久の特別養護老人ホーム「安寿苑」のお年寄りにも届けた。

2003.2.4  

アフガンの子らへ文房具や遊具で教育支援
ガールスカウト京都35団が袋入れ作業

 ガールスカウト京都35団(榎本明子代表、33人)は、長い戦争を終えて復興を進めるアフガニスタンの子供たちの教育を支援しようと、文房具と遊具を入れたピースパックのプレゼント運動に取り組んでいる。昨年12月に市民からノートやボールペンなどの提供を受け、スカウトらが2月2日、余部下の中央公民館で、14種類の品々を手作りしたバッグ30袋に入れる作業をした=写真
 旧ソ連の侵攻と内戦、それに続く米国の侵攻を受けた同国の子供たちに向け、ガールスカウト日本連盟が7年前から新品の文房具のプレゼント運動を実施。舞鶴の同団でも今回初めて取り組み、30セットを目標に昨年秋から文房具を集め、それを入れる袋作りをしていた。昨年12月には文房具などの提供を市民に呼びかけ、約40人からノートや募金、日用品などが寄せられた。
 この日はスカウト6人とリーダーの4人が、ノート4冊やタオル2枚、縄跳びのロープ1本などのほか、英文で「心を込めて作りました」と書いたメッセージも添えて、布製の袋に詰め込んだ。スカウトの西舞鶴高校3年生の中村紘子さん(18)=紺屋=は「多くの市民や友達からノートなどをいただき感謝しています。少しでもアフガンの子供たちに喜んでもらえれば」と話していた。同連盟を通して春には現地へ届けられる予定。

青少年健全育成市民集会で
高橋さん(北浜町)ら4人に功労者表彰

 平成14年度の青少年健全育成市民集会(市青少年育成協会主催)が2月1日、南田辺の西総合会館であり、長年にわたって地域で太鼓や野球の指導などにたずさわった市民4人が功労者表彰を受けた。
 市内の子供会やスポーツ少年団などで、ボランティア活動を10年以上続け、青少年の健全育成に功績のあった人を対象に表彰している。今年で16回目。
 受賞したのは北浜町の高橋俊彦さん(55)▽余部上の藤山信義さん(65)▽今田の波多野将秀さん(50)▽青井の大下敏明さん(54)。
 高橋さんは新舞鶴校区青少年育成指導員委員会の委員長として、学校や地域のパイプ役を務めたほか、地域でオリエンテーリング大会なども開催した。藤山さんは地域に伝わる聖徳太鼓を子供たちに指導し、伝統を継承することの大切さを伝えている。波多野さんは池内少年野球チームのコーチ、監督を長年務めている。大下さんは釣り客らが捨てたごみの回収活動をし、小学校では海の環境保全を呼びかける取り組みを指導した。
 約100人の同協会会員や民生児童委員らが出席する中、同協会の白石明会長から4人に記念の盾が贈られた。

写真=白石会長から功労者表彰記念盾を受け取る高橋さん(左)