2003.5.30  

平の坂根さん夫婦、有機肥料でハウス栽培
糖度の高い味本位のトマトが人気

 平の専業農家、坂根敏一さん(70)と秀子さん(63)夫婦が、中田のビニールハウスの畑でトマト作りに取り組んでいる。水分を控えて有機肥料を使うなどして、糖度の高い味本位のトマト栽培を続け、近くの朝市や畑まで訪れて買いに来る人も多い。今年は天候不順の影響で収量は少ないが、甘味は最近にない出来という。次の収穫に向けて準備作業に汗を流している。
 坂根さん夫妻はハウスと露地の畑で、イチゴや桃、キュウリなどを栽培。ハウス二棟で作るトマトは「桃太郎」の品種。収量よりも味を優先しようと、油かすなどの有機肥料を使い、畑に敷設したパイプで1カ月に1度水を散布するだけ。その結果、豊かな香りと強い甘さの中にも酸味がある、味の濃いトマトができた。収穫は3月〜10月。
 1つのハウス(間口12メートル、奥行き57メートル)で、昨年10月に約1200本の苗を植え、今年3月中ごろから収穫を始めたが、この冬の低温と日照不足で収穫は例年よりも遅れた。
 公設市場に出荷するほか、大浦小学校そばに朝市の売り場を設け、1キロ500円〜600円で販売。また、畑まで直接来る人は自分で枝から選び、摘むことができる。市内や大阪のフランス料理店のシェフにも人気という。いま出荷は一段落し、もうしばらくしたら収穫できる。敏一さんは「今年は小ぶりになったがその分甘味が強くなった」と話していた。
 朝市は毎週土・日曜の午前6時半〜同8時。野菜のある時に限られる。

写真=トマトの香りでいっぱいのハウスの畑で世話をする坂根さん


1口1000円でみんなの花火打ち上げよう!
6月2日から募金の受け付け開始

 みなと舞鶴ちゃったまつり実行委員会(安達清司委員長)は、祭りのフィナーレを飾る花火大会で、今年も「みんなの花火」を打ち上げるため、6月2日から「まい花火募金」の受け付けを開始する。
 今年で第28回目を迎える、ちゃったまつりは、7月26日に西地区商店街で前夜祭、同27日に東地区海岸で各種イベントとともに、夜に恒例の花火大会が催される。
 花火大会は、企業・団体スポンサーの寄付に加え、今年も市民からの募金「まい花火募金」を充て、花火を打ち上げる。「まい花火募金」は、昨年初めての取り組みだったが、総額約200万円が寄せられた。同実行委員会では、昨年を上回る募金を目標にしており、市民に協力を呼びかけている。
 「まい花火募金」は、1口1000円で、舞鶴市役所商工観光課、西支所庶務係、舞鶴商工会議所のほか、京都北都信用金庫本支店、市内郵便局で、7月27日まで受け付ける。京都北都信金、郵便局には専用の振り込み用紙を備えている。また、同募金に寄付した方の氏名を舞鶴市民新聞紙面に掲載する。
【問い合わせ】電話62・4600、FAX62・4933、舞鶴商工会議所内、みなと舞鶴ちゃったまり実行委員会事務局。

写真=昨年「まい花火募金」で打ち上げられた大スターマイン


京大水産実験所・益田玲爾さんの
若狭湾水中散歩14「アメフラシ」

まさに、欲望の権化!

写真は長浜の水深1メートルで観察されたアメフラシ。体長25および30センチ

内容は舞鶴市民新聞をお読み下さい。




2003.5.27  

舞鶴赤十字病院に異色の新人男性看護師2人
意欲を見せる原さんと永石さん

 倉谷の舞鶴赤十字病院に今春、異色の新人男性看護師2人が就職した。1人は右耳がまったく聞こえないハンディキャップを乗り越え、もう1人は大手衣料品販売店の店長から転職した経歴を持っている。同じ看護学校の同期生でもある2人は互いに励ましあいながら、訪問看護やがん患者の緩和ケアの目標に向かって、生き生きと先輩看護師から学び患者と接している。
 原貴洋さん(21)=十倉=と永石洋一さん(31)=福知山市天田。2人は今春に国立舞鶴病院付属看護学校を卒業し、現在は舞鶴赤十字病院の3階病棟(整形外科、耳鼻科など)に勤務している。
 原さんは小学生のころ、病気が原因で右耳がまったく聞こえなくなった。その後は相手との位置を考えて左耳で聞く習慣を身に付け、日常生活に支障がなくなるまでになった。高校生の時に同居の祖父が脳梗塞で倒れ、車いすや入浴の介助をした体験から看護師を目指した。
 その経験を通し将来は患者宅を訪れて看護をしたいと、訪問看護を行う同病院を志望。病院でも仕事に支障はなく、難聴の患者の場合には同じ障害の立場で心を開いてもらいやすく、他の患者にも時間を作っては話を聞き信頼関係を築くよう努めている。
 永石さんは大手衣料品販売店に就職したが、仕事への疑問を感じるようになったある日、看護師の妻の真希さんから、入院中の子供が死を受け入れて亡くなった話を聞き、看護の仕事に興味を引かれた。そして転職の決意をし西宮店の店長を辞めた。
 看護学生のころ、府北部の病院の医師や看護師らでつくるがんの緩和ケア研究会に出席し、舞鶴赤十字病院の看護師の学ぶ姿が強く印象に残ったことから、同病院に就職した。接客の経験が生き患者とも打ち解けて話ができ、先輩看護師の患者に向かう姿勢に刺激を受けている。
 原さんは「永石さんは相談できる心強い存在。男性にしかない魅力を引き出した看護ができれば」、永石さんは「命に関わる仕事なので馴れが生まれないないようにしたい。将来はがんの緩和に取り組みたい」と意欲を見せている。

写真=ケアマネージャーなどの目標を持つ原さん(右)と永石さん


舞鶴市青少年善行表彰
プロジェクト〜eco〜(白糸中)など3団体に

 舞鶴市は5月27日、青少年善行表彰を行った。市制記念日に合わせて、社会生活や教育、文化で顕著な善行をした青少年を対象にして贈っている。今回はリサイクル活動をしたプロジェクト〜eco〜(永田康人代表)のほか、白糸中学校生徒会(福村勇作会長)、青葉中学校生徒会(山根寛盟会長)の3団体が選ばれた。
 プロジェクト〜eco〜は白糸中生徒の有志で結成。生徒の呼びかけで地域も協力して、牛乳パックを回収・換金し、ユニセフに送金するなどしている。白糸中生徒会は与保呂川の清掃活動や牛乳パックのリサイクル運動にも協力している。青葉中生徒会も同川のクリーン活動のほか、募金活動の収益金を学校へ行けない子供たちの支援活動に役立てている。

写真上=リサイクル活動をする白糸中の「プロジェクト〜eco〜」
写真下=与保呂川を清掃する「青葉中生徒会」



2003.5.23  

舞鶴ユネスコ協会賞に川勝さんと清水さん
白糸中オリオンクラブなど4団体にも

 舞鶴ユネスコ協会(福嶋正美会長)は、第18回舞鶴ユネスコ協会賞の受賞者を発表し、5月17日、南田辺の西総合会館で表彰式を開催した。今回は教育賞に舞鶴高専教授の川勝邦夫さん(59)=木ノ下=と4団体、文化賞に書道家の清水清春さん(79)=市場=が受賞した。
 同協会賞は舞鶴において教育・文化・体育の振興に優れた業績を残した個人、または団体を対象に顕彰している。1986年から毎年、市民の中から教育賞・文化賞・体育賞の受賞者を決めている。
 今回の教育賞には川勝さん、白糸中学校吹奏楽部のオリオンクラブ、青葉中学校生徒会(山根寛盟会長)、朝来小学校(佐藤裕之校長)、西方寺平農業小学校(霜尾誠一校長)が決まった。川勝さんはものづくり教育を積極的に導入し、自身は国際協力事業団派遣専門家として海外に赴任、その体験を通し国際交流活動も進めている。オリオンクラブは昨年の京都府吹奏楽コンクールで金賞を受賞した。
 文化賞の清水さんは書道教室や公民館講座の講師などを務め、多くの書道家を育成するなど書道文化の振興に取り組んできた。

写真上=教育賞を受けた高専教授の川勝邦夫さん
写真中=文化賞を受けた書道家の清水清春さん
写真下=教育賞を受けた白糸中オリオンクラブ



来月から市がネットワーク予約サービス
スポーツ施設の空き情報や図書館の蔵書検索

 舞鶴市は、6月1日から光ファイバーケーブルで接続した高速情報通信ネットワークを利用して、スポーツ施設の空き情報や図書館の蔵書の検索、予約ができるサービスを開始する。
 スポーツ施設の空き情報の検索、予約は、インターネット、市内21施設に設置した公衆端末機、携帯電話(web機能)、電話(自動音声応答)で行う。東・西図書館の蔵書の検索、予約は、インターネットと公衆端末機で行う。
 このサービスを利用して、スポーツ施設や図書館の蔵書の予約を行うには、利用者登録をして、利用者番号とパスワードを取得する必要がある。利用者登録は、図書館蔵書については5月16日から東・西図書館で受け付けており、スポーツ施設については、5月26日から東体育館、文化公園体育館、西支所、中央公民館、加佐分室で受け付ける。
 高速情報通信ネットワークは、通信事業者が敷設した光ファイバーケーーブルの一部を市が賃借して、市役所を拠点に小・中学校、消防署、市民病院など58施設を結んでいる。
 利用者登録についての問い合わせは、スポーツ施設は市教委スポーツ振興課(電話66・1093)、図書館蔵書は東図書館(電話62・0190)、または西図書館(電話75・5406)。

写真=市内の21施設に設置された公衆端末機


2003.5.20  

6月14日、市政記念館でブルースライブ
上漆原に移住した稲葉さんが企画

 市の空き家バンクを利用し上漆原に移住したブルースシンガーの稲葉浩幸さん(42)と、岡田中地区の新規就農者や農家の後継者の若者たちが、6月14日午後5時半から北吸の市政記念館で、「舞鶴BLUES MEETING2003」(舞鶴市民新聞社など協賛)を開催する。若者らが地域からその魅力を発信する初めてのイベント。稲葉さんをはじめ、日本にブルースブームを巻き起こした塩次伸二さんのバンドも出演する。
 稲葉さんは平成12年に京都市内から移住、同地区で野菜づくりをしながら音楽活動をする百姓ブルースマン。主に出演の場は京阪神だが、舞鶴でもブルースを聴いてほしいとライブを企画。岡田中への移住者ら九人の仲間たちと実行委員会を結成し、多くの団体や市民と協力して準備を進めてきた。
 出演するのは塩次伸二BLUES BAND、稲葉さんがボーカルを務めるBLUES800、市内のアマチュアでつくるB.b。塩次さんは日本のブルースの第1人者。ウエスト・ロード・ブルース・バンドを結成し、B.B.キングの大阪公演でオープニング演奏をしたほか、ネルソン・マンデラ氏の来日歓迎コンサートで音楽制作も監督した。バンドのボーカルは山本夏美ら2人の女性が務める。
 前売りは2500円(当日300円増し)。市民会館、総合文化会館、JEUGIA東西店、JA加佐支店などで販売。稲葉さんは「ライブを通して地域のPRと人のつながりをつくりたい」と話していた。5月24日午後7時半から西市民プラザのライブにも出演する。 【問い合わせ】電話82・1091、稲葉さん。Eメールはy-uma@nifty.com

写真上=ライブに出演する日本のブルース第一人者の塩次伸二さん
写真下=企画した稲葉浩幸さん



5月24日の舞鶴寄席を前に「安寿苑」で
舞鶴出身の遊喬さんと小学生2人が小咄

 5月24日に舞鶴寄席が開かれるのを前に、出演者の舞鶴出身の落語家、笑福亭遊喬さん(39)と小学生の2人が同17日、上安の特別養護老人ホーム「安寿苑」を慰問し、上方古典落語や小咄を披露した。
 遊喬さんは松喬氏の弟子となり、現在は多くの落語会に出演。また、新舞鶴小5年の田村樹希也君=愛宕中町=と同5年の美矢修佑君=溝尻=は、市文化事業団主催の落語講座で遊喬さんから指導を受けた。
 この日は小学生の2人が小咄、遊喬さんが「角力場風景」を演じお年寄りらを笑わせた。舞鶴寄席には遊喬さんほか、近隣出身の落語家が出演する。

写真=お年寄りの前で小咄を披露する新舞鶴小5年の美矢修佑君


2003.5.16  

日本代表選考会で7戦全勝した上田選手(一条卓球)
8月の東アジア・ホープス選手権大会へ

 一条卓球クラブ(小畑喜生代表)の上田仁選手(11)=新舞鶴小6年=が5月10、同11日、大阪府立体育会館で開催された第12回東アジア・ホープス卓球選手権大会日本代表選考会で、7戦全勝の好成績を挙げ、日本代表に選ばれた。中国や韓国など東アジアの各国代表のホープス(小学6年生以下)と大会(8月28、29日、大阪府立体育会館)で対戦する。
 日本代表選考会には、各都道府県の卓球協会の推薦を受けた男女各代表が出場。男子の部には、京都府代表の上田選手をはじめ70人が出場して、シングルスで第1、2次ステージのリーグ戦を行い、この対戦成績を基に10人の代表選手を決定した。
 上田選手は、2月に行われた府予選で1位となり、代表選考会に出場。5人のグループで争う第1次ステージで4戦全勝、さらに各リーグの1、2位選手の4人のグループで争う第2ステージでも3戦全勝で日本代表に決まった。
 上田選手は、3歳からラケットを握り、兄や姉とともに一条卓球クラブの選手たちが練習する北吸の一条卓球研究所に通った。これまで年代別に争う全日本選手権のバンビ、カブ、ホープスの部に、京都府予選を勝ち抜いて幼稚園児から6年連続して出場。小学4年生で出場したカブの部で、ベスト16に入ったのが最高の成績。
 昨年9月のホープスの部では、初戦で敗退するという苦い経験をした。これをバネに一段と練習に励み、日本代表の座を獲得した。上田選手は「昨年の敗退の反省から、できるだけ自分の力が出せるように練習しました。足も良く動き、フォアハンドの攻撃が出来たのが勝因です」と話し、東アジア・ホープス大会では、「日本代表の一員として、団体戦の勝利に貢献したい」という。
 小畑代表は「シェイクハンドの攻撃型で、戦術能力の高い選手。最近『がまん』することを覚えたのが、日本代表につながった。大会では世界トップレベルの選手と対戦することになり、よい勉強が出来ると思う。活躍を期待している」と話していた。

志楽小図書室一角に「池崎和也くん文庫」
一昨年、交通事故で亡くなり母親が10万円寄付

 平成13年11月30日に交通事故で亡くなった志楽小学校1年の池崎和也君(当時7歳)の母親の恵子さん(33)=小倉=が、子供たちの読書活動に役立ててほしいと同校に10万円を贈った。同校では95冊の本と本棚の購入費に充て、図書室の一角に「池崎和也くん文庫」としてこのほど開設した。児童らは本好きだった池崎君を思い出しながら本を手にしており、同校は読書と交通安全の啓発に役立てたいとしている。
 和也君は小倉の市道で大型ダンプカーにはねられて亡くなった。池崎さんは長男の和也君が冒険ものなどの本が好きだったことから、子供たちが息子のことを思い出しながら読書に親しむ機会になればと、同校に図書購入費の寄贈を申し出た。
 寄贈を受けた同校は低学年を中心に楽しめる本を選び、「ズッコケシリーズ」や「ハリーポッター」などを購入。本の1冊1冊に和也君の「和」と書いたシールを張り、「池崎和也くん文庫」と名付けた。また、文庫名を記したプレートを張った本棚を、4000冊の蔵書がある図書室に設置した。児童らはこれまでに図書室になかった人気シリーズの本を次々と借りている。
 藤村由紀校長は「子供たちの活字離れが進む中で、いい寄贈を受け喜んでいます」とお礼を述べていた。池崎さんは「息子の名前を学校に残してやりたかった。先日学校を訪れた時、子供たちが本を借りているのを見て、名前を覚えてもらえると思いうれしくなりました」と話している。

2003.5.13  

舞鶴移送ボランティア立ち上げ
ヘルパーが視覚障害者をマイカーで送り迎え

 目の不自由な人たちの外出を手助けする「舞鶴移送ボランティア」(大槻高義代表)が5月11日、立ち上げられた。ガイドヘルパーのマイカーで視覚障害者を送り迎えするボランティアで、ヘルパーと移送ボランティアが一体となった全国でも初めてのボランティア組織という。
 視覚障害者の通院や買い物などの外出に際しては、公的介助としてガイドヘルパー制度が設けられている。しかし、今年度から従来の措置制度から支援費制度に移行したため、視覚障害者の外出保障が困難な状況となったという。  昨年度までは、市がガイドヘルパーを派遣し、移動手段は原則として公共交通機関を利用するように定められていた。しかし、僻地などに在住する視覚障害者は、バス停留所までの距離が遠く、また、運行便数が少ないなど時間的制約を受けることから、例外的にヘルパーのマイカーを移動手段としていた。
 今年度からの支援費制度では、公共交通機関のみの利用と決まり、マイカーでの移動介助が禁止された。このため、視覚障害者の移動手段の確保が難しくなり、移送ボランティアの設立が望まれていた。
 京都府視覚障害者協会舞鶴支部の高野光武支部長ら同協会の役員、舞鶴市身体障害者団体連合会の役員らが、マイカーでの移動介助が認められるように行政と交渉。隣接の綾部市で活動するマイカーによる移送ボランティア「あやべ福祉フロンティア」の存在を知り、これを参考にボランティア組織を立ち上げたという。
 設立総会は、行永の舞鶴視力障害者福祉会館で開かれ、参加したガイドヘルパーや視覚障害者ら約20人が、舞鶴移送ボランティアの名称や役員を決めた。同ボランティアは、大槻代表ら10人のガイドへルパーの有志で構成、この日登録した17人の視覚障害者が移送サービスを受ける。
 登録には年会費1000円と事故が発生した場合に損害賠償を放棄する旨の誓約書(本人と家族)の提出が必要で、移送サービス1回につき300円(ガソリン代)を負担する。同ボラティアの相談役である高野支部長は「これで視覚障害者の外出が保障されます。将来は、高齢者ら社会的弱者の移送サービスまで手掛けられればと考えています」と話していた。
【問い合わせ】電話64・2578、高野支部長。

写真=「舞鶴移送ボランティア」設立総会で話し合う参加者ら


5月25日に「まいづる田辺城まつり」
総勢700人の御城下大行列、巨大太鼓演舞など

 武者行列や太鼓の競演など多彩なイベントを繰り広げる第12回まいづる田辺城まつりが5月25日、南田辺の舞鶴公園一帯で開催される。
 田辺城まつは、舞鶴商工振興会や西自治連合会などでつくる実行委員会(松本昭司委員長)主催。城門の復元を契機に、西地区の住民らが、旧城下町の歴史と伝統を見直し、まちの活性化につなげようと始まったまつりで、今年で12回目。  午前9時半から城門前で、「YOSAKOI舞鶴」によるオープニングセレモニーの後、同10時に城門が開門。相愛保育園児の太鼓演奏に続いて開会式があり、明倫小学校のマーチングバンドの演奏・演技、舞鶴つばさ連の「阿波踊り&和太鼓」がある。
 このほか、宮津の滝上神社の「火の滝太鼓」の演舞(午前11時10分と午後2時40分)、直径1.2メートルの巨大太鼓を打ち鳴らす石川県松任市の浅野太鼓「はるか」の演舞(午前11時半と午後3時)、キャラクターショーなどがある。
 正午からは地元西地区の町内太鼓による「時の太鼓競演会」、午後1時からは鎧兜姿の武者行列、園児らによるチビッコ武者行列と町内太鼓、子供神輿の総勢約700人の「御城下大行列」が城門を出発して西市街地を練り歩く。
 このほか、午前11時から正午まで明倫小学校グラウンドで、京都府警察平安騎馬隊のチビッコ乗馬体験も行われる。先着百人の子供たちが乗馬を体験できる。
写真=「田辺城まつり」ポスター

当日、まつり記念オリジナル日本手ぬぐい販売も

 まいづる田辺城まつり実行委員会は、まつりを記念して、オリジナル日本手ぬぐいを製作した=写真。手ぬぐいは、法被の形に折り畳まれ、表面には紫色で「まいづる田辺城」の文字と牧野家の家紋、石垣のデザイン、裏面に城門が染め抜かれている。まつりの当日、会場で限定200枚(1枚500円)を販売する。





2003.5.9  

市と市教委が冊子「舞鶴の民家」
貴重な歴史的財産の魅力を紹介

 市と市教委はこのほど、市内に残る主な民家(住宅建築)をまとめた冊子「舞鶴の民家」(A5判変形、84ページ)を作成した。城下町の面影を残す近藤家の商家や、農村に残る江戸時代に建てられた茅葺きの水口家、旧海軍に関連する飯野寅吉旧家など、舞鶴の多彩な民家の魅力を多数のカラー写真で紹介し、美しい仕上がりとなっている。貴重な歴史的財産として民家への関心を高めてほしいとしている。
 小倉の国指定重要文化財の行永家住宅の保存工事が完了し、江戸時代の大庄屋だった西方寺の上野家住宅の保存の取り組みが始まったのをきっかけに、市は市内の民家を後世に引き継いでもらおうと冊子を作った。発行部数は1500部。事業費は215万円。
 冊子では、京都工芸繊維大学教授の日向進さんが舞鶴の民家の特徴を紹介・解説した。また、行永家住宅の保存工事をした府教委の塚原十三雄専門員が、その建物の変遷などを執筆。さらに、舞鶴の近代化遺産調査研究会の矢谷明也さんが、民家再生について論じている。
 長屋状の建物に門をつけた長屋門の構えを持つ森の高橋家、西地区の土井家などの商家、成生の船屋、明治時代に海軍と取引した高田商会の事務所兼住宅だった擬洋風建築の中南家など、27軒の民家を写真で紹介した。販売価格は1100円。市役所情報公開コーナー、郷土資料館などで販売している。

写真=大川神社参道の茅葺き民家「荒木家」の小屋裏=冊子より


阪神の杉山投手、バッティングマシン贈る
所属していた舞鶴ベースボールクに

 阪神タイガースにドラフト自由獲得枠で入団した東舞鶴高校出身の杉山直久投手が、中学生時代に所属していた硬式野球の舞鶴ベースボールクラブに、バッティングマシン1台(86万円相当)を寄贈、5月5日、クラブの選手たちが初めてマシンを使用した。後輩の選手はプロ野球選手の先輩に続けと、熱心にバッティング練習に取り組んだ。
 杉山投手は倉梯小、青葉中、東高の出身。小学生時代には南舞鶴スポーツ少年団、中学生時代には舞鶴ベースボールクラブに所属した。高校で投手として注目され、龍谷大学では1年生からマウンドに立ち、関西6大学で通算15勝をマーク。本格派右腕として昨年タイガースに入団が決まり、今年からプロ選手としてスタートを切った。
 お世話になった同クラブにお礼をしようと、杉山投手がバッティングマシンを寄贈。同クラブにはこれまで1台のマシンがあったが、直球だけしか投げることができなかった。贈られたマシンはカーブなど変化球も投げ分け、最高130キロまで出る。この日は杉山投手に代わって父の明美さんが、大波下の日本板硝子グラウンドでの練習に参加し、マシンにボールを入れて選手らの練習を手伝った。

写真=息子が贈ったマシンを使って選手の練習を手伝う杉山投手の父の明美さん(右)


2003.5.6  

中筋文化協会が郷土誌発行
地元の80人が執筆協力

 中筋文化協会(池田賢二会長)の郷土誌編さん委員会は、中筋地区の郷土誌「中筋のむかしと今」(B5判、上下巻の400ページ)を発行した。地元の約80人が執筆に関わり、約3年をかけて完成させた。中筋の古代から現代までの歴史、村の暮らし、年中行事など幅広い内容を、わかりやすい文章と多数の写真で構成した。子供からお年寄りまで親子3代で読んでもらえるものを目指し、「住民の心を一つに結びつける役割を郷土誌が果たせれば」としている。
 中筋は西地区の中心に位置し、18の自治会と住民3400世帯を抱えている。近年では農地の宅地化が進むにつれ流入人口が増加、旧住民の間でも世代交代が進み、自然景観も大きく変わってきている。
 そんな中、中筋全体の歴史をまとめた郷土誌を作る機運が高まり、また、この作業に多くの人が関わることで地域づくりにも役立てようと、同協会は平成12年に地元の郷土史家らに編さん委員を委嘱。地元の団体や町内からも委員を募り、多くの人が執筆などに協力した。
 編さん事業への関心を高めるため講演会を6回開き、江戸時代に庄屋を務めた伊佐津の水島家の古文書調査を、舞鶴地方史研究会の協力で行うなどし、その成果も盛り込んだ。また、地区内の京街道を調べている中で、享保11年(1727)の丹後国田辺図に書かれていた一里塚と石柱を、京田の街道に確認する貴重な発見もあった。
 郷土誌は田辺籠城戦、江戸のころの村人らの暮らし、近代の紙漉きなどの産業や農業、子供たちの遊びや民話、祭りなど8編からなっている。地誌的な要素も加え、本編に書けなかった話題はコラムの読み物として紹介、池田さんによるスケッチも多用し見やすくなっている。小学校の学習にも活用してもらえるように、内容もわかりやすくした。2000部発行。上下巻セットで2300円。送料は500円。
 池田会長は「新旧の住民がふるさとに愛着を持つには共通の心棒が必要。その心棒の役割を本が果たしたい」、委員会事務局の嵯峨根一正さんは「まず読んでもらえるものをと構想した。同じ中筋でも行事が隣の村で異なるなど比較でき、興味深く作業ができた」と話していた。発刊を記念して6月には執筆者を中心にした行事も計画中。本の問い合わせは嵯峨根さん(電話75・1200)。

写真=完成させた郷土誌上下巻を手にする池田会長(右)と郷土誌編さん委員会事務局の嵯峨根さん


五輪メダリストの大江・久内選手
2人の資料ふるさとに

 ベルリンオリンピック棒高跳びのメダリストで舞鶴出身の大江季雄選手(1914〜41年)と、極東オリンピック円盤投げ銀メダリストで同郷の久内武選手(1909〜97年)に関する資料が、武さんの長男の徹さん(69)=埼玉県上尾市=らによって、市教委と武さんの母校の与保呂小学校に寄贈された。久内さんが大江さんに陸上競技の指導をしたことで、その後も親交を持っていた。同校は「展示をして子供たちに郷土の人物として紹介したい」としている。
 大江さんは旧制舞鶴中学(西舞鶴高校)、慶応大学へと進学。1936年のベルリンオリンピックで、西田修平選手と2位と3位のメダルを分け合い、「友情のメダル」として知られている。常出身の久内さんは東京高等師範学校(筑波大学)に進み、1930年の極東オリンピックで2位、戦争の影響で開催されなかった1940年の東京オリンピックにも代表選手になっていた。戦後は順天堂大学体育学部の創設に関わり、同学部長や関東学生陸上連盟会長も務めた。
 1928年、師範学校の学生だった久内さんが舞鶴中学で円盤投げの練習をしている時、中学生の大江さんが陸上の指導をしてほしいと申し出て、円盤投げを教えた。その練習で筋力がつき、後年の棒高跳びの記録が伸びた。大江さんがお礼にスイカを届けると、久内さんは自宅裏から切った竹でポールを作ってプレゼント。また、大江さんは大学進学の相談をしたり、戦地への出征の際には東京にいた久内さんが自宅から送りだすなど、親交を結んでいた。
 2人に関する資料の多くは戦災で焼けたがその後に徹さんが収集、先人を知る手掛かりにしてとふるさとに贈ることにした。徹さんと長女の高取都さん(67)=東京都新宿区=らが5月1日、市教委の小林舜治教育長に、大江さんの映像記録や久内さんの陸上部時代の写真、幻の東京オリンピックの選手の制服などを贈った。
 徹さんと都さんは「父と大江さんは同じふるさとという点で強く結びついていました。晩年の父は与保呂の村の話をよくして、帰りたいと最後まで言っていました」と話していた。

写真=小林教育長に資料写真を説明する久内徹さん(右)


2003.5.2  

かかりつけ医と共同治療
舞鶴赤十字病院に開放型病床開設

 倉谷の舞鶴赤十字病院(弘中武院長)は、院内に開放型病床を開設し、4月から試行している。事前にかかりつけの開業医から紹介を受けて入院した患者に対し、開業医と同病院主治医が入院中は共同で治療に取り組む。患者にとっては入退院の前後にわたり、継続した治療を受けられるメリットがある。市内の総合病院では初めて。当面は5床を開放し、6月から本格的に実施する。
 厚生労働省は病院と開業医の「病診連携」を進め、その制度として「開放型病床」を創設。かかりつけ医は病院側に患者の症状を詳しく伝え、入院中は患者の必要に応じて訪床し、病院の主治医と共同で検査や手術、経過を診断して治療方針を協議する。退院後も引き続きかかりつけ医が担当。患者は訪床回数に応じて費用を負担する。
 舞鶴赤十字病院は舞鶴医師会に所属する開業医から開放型病床の利用に同意した患者を受け入れている。内科や外科などすでに5床の利用がある。同病院の加藤宣誠外科部長と一緒に診察にあたる開業医の梅原秀樹医師(54)は「これまでは見舞客として患者を訪れるだけでしたが、この制度を利用すれば共同の主治医の立場でカルテを見て診察ができる。患者にも安心感を与えている」と話していた。

5月11日、開院50周年記念イベント
 また開院50周年を迎え5月11日午前10時〜午後2時、同病院と特設会場で記念イベントを開催する。診療や介護などの健康相談、50年を写真で振り返る展示もする。同日は近隣のキリンビバレッジと資生堂でもジョイントフェスタが行われる。
 昭和28年6月、5つの診療科と90床でスタート。平成8年から3年間をかけ全面増改築に着手し、本館や療養型病棟などが完成。11科198床で地域に密着した医療機関として役割を果たしている。また、訪問看護や在宅介護支援サービスも実施し、退院後のケアにも力を入れている。
 記念イベントは健康相談会、琴や和太鼓演奏、野点(無料)、車いすの体験、よさこい踊りなどがある。
【問い合わせ】電話75・4175、同病院。

写真=患者を共同で診察する開業医と医師


韓国に招かれ光州市民らと交流
浮島丸殉難者を追悼する会

 浮島丸事件の犠牲者の追悼を続ける「浮島丸殉難者を追悼する会」(野田幹夫会長)が、韓国の光州市民らの招きで5月7日〜同10日の4日間、同市を訪問する。事件を題材にした映画「エイジアン・ブルー」の上映運動をする韓国仏教会などが開く2万人規模のイベントに参加し、市民らと交流を図る。今年8月の追悼集会には光州市民約100人が出席、また同市のプロ芸能研究団が韓国舞踊を披露する計画も進められている。
 強制労働に従事した朝鮮人労働者らを乗せ、釜山港に向けて青森県大湊港を出航した浮島丸が1945年8月24日、寄港した舞鶴港で爆沈し549人が亡くなった。その後、舞鶴市民が殉難の碑を建立し、舞鶴ロケも行われて事件は映画化された。
 映画で事件を知った光州市の市民団体が昨年4月に追悼する会を招き、同年8月の追悼集会には同市から12人の市民が参加し交流が始まった。光州市民らは継続して交流したいとの思いを強くし、韓国に追悼碑建立を計画。また、映画を韓国全土で上映する手始めとして、韓国仏教会などが今月(5月)8日に同市でイベントを開くのにあわせ、舞鶴市民を招待した。

8月、芸能集団の舞鶴公演計画も

 追悼する会の野田会長ら市民15人が訪問を決めた。イベントの中で野田会長が追悼の取り組みを報告するほか、同市南区庁を表敬訪問する予定。同会は「8月には芸能集団オルスから舞鶴市民に舞踊を見てほしいという要望があり、打ち合わせもしてきたい」としている。オルスの公演は無料とし、8月23日に浜の総合文化会館で開く計画。

写真=光州市民も出席して交流が始まった昨年8月の追悼集会