2004.2.24
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■舞鶴の音楽シーン盛り上げへ
6月に稲葉さん、第2回ブルースライブ
協賛者を募る!
ブルースバーを経営し、ライブ活動をする上漆原の稲葉浩幸さん(43)が岡田中地区の仲間とともに、舞鶴の音楽シーンを盛り上げようと、6月19日のブルースライブ「舞鶴BLUES MEETING2004」の開催に向けて準備を進めている。昨年第1回目を開き、熱気を帯びたライブは好評だった。今回も日本のブルースの第1人者の塩次伸二さんを招く。ライブを応援してくれる協賛者を募っている。
ブルースの発祥は1890年ごろ、アメリカ南部の黒人たちが農作業の後に疲れを癒すために歌ったものという。その後、ブルースを根にしてジャズ、ロック、ポピュラー音楽が生まれたとされる。
稲葉さんは2000年に舞鶴へ転居。昨年六月、多くの人にブルースに触れてほしいと、市政記念館で第1回のライブを開き、舞鶴観光協会や飲食店など30以上の企業・団体の協力・協賛を得た。176人が来場し、出演者も気持ち良く演奏し来年もと約束してくれた。稲葉さんはその後、引土にブルースバーを開店、店でライブを企画したりと、舞鶴に音楽を根づかせようと取り組んでいる。
第2回ライブは6月19日午後5時半から市政記念館で開催予定。出演は塩次伸二さんのブルースバント、特別ゲストに国内外で活躍する実力派歌手、小林エミさんを迎える。稲葉さんのバンドBLUES800と市内の人たちでつくるバンドB.bも歌う。前売りは2500円。岡田中地区の新規就農者らと作った岡田中風知空知人が主催。
稲葉さんは「いまのことろ6つの店と会社などがスポンサーとして協賛してもらいました。舞鶴の音楽シーンの発展のためにも協力をお願いします」と3月上旬をめどに協賛者を募っている。協賛金は1口5000円(チケット1枚付き)。
【問い合わせ】電話76・2141(午後7時以降)、バー「ドッカリー・ファームス」。Eメールはy−numa@nifty.com
写真=今回も招かれる日本のブルース第1人者・塩次伸二さんが出演した昨年のライブ
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■日星高校Sクラブが1年間の活動報告会
国際ソロプチミスト舞鶴が支援
国際ソロプチミスト舞鶴(滝口不三子会長)が活動を支援する日星高校Sクラブ(点字クラブ、手話クラブ、ボランティアクラブ)の活動報告会が2月20日、上安久の同校で開かれた。ソロプチミスト舞鶴の会員9人を前にして、クラブ員たちがこの1年間のボランティア活動などを発表、また手話歌の合唱を披露し応援に感謝を述べた。
福祉を教育の柱の一つにしている同校には点字クラブと手話クラブ、ボランティアクラブがあり、仕事を持つ女性たちで構成する社会奉仕団体の国際ソロプチミスト舞鶴が、20年以上前から3つのクラブを支援しようと活動費を寄付してきた。そうした活動の成果を応援してもらっている会員に見てもらおうと、毎年年度末に報告会をしている。ソロプチの「S」にちなんで、3つのクラブをSクラブという。
点字クは24人、手話クは29人、ボランティアクは8人が在籍。昨年4月からの1年間に、与謝の海養護学校のサマースクールでの介助や一人暮らしの高齢者宅へのクッキープレゼント、障害を持つ子供たちとの行事のサポートなど、16件の活動をした。
卒業式を控えた3年生たちも出席した報告会では、Sクラブ会長の3年生、五十嵐翔子さんが「3年間の体験で学んだことを忘れずにいたい」とあいさつ。点字クの代表者が点訳した絵本を東京の国際視覚障害者援護協会へ寄贈したことを報告。手話クの部員らは「世界にたった一つだけの花」など2曲を手話で合唱し、昨年8月に全国高校生の手話スピーチコンテストに出場した向山智子さんが、ボランティア活動で学んだ心のつながりの大切さを手話で発表した。
滝口会長は「ボランティアの意志を持った若い人たちが育ちうれしい。社会に出ても活動を続けてもらえれば」と報告を喜んでいた。
写真=ソロプチミスト舞鶴の会員を前に手話歌を合唱する部員たち
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2004.2.20
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■松山さん(市文化協会会長)に芸術大賞
「日ロ友好交流展」から書を出品依頼され
舞鶴市文化協会会長で書道家の松山正道(雅号・龍雲)さん(78)=南田辺=が、昨年9月にロシア・サンクトペテルブルク市で建都300年を記念して開かれた「日ロ友好交流展」に作品を出品し、最高の世界芸術文化都市推薦芸術大賞を受賞した。このほどロシアから記念の受賞盾が贈られてきた。シベリアで抑留生活の体験を持つ松山さんは受賞を喜んでいる。
サンクトペテルブルクが建都300年を迎えたことから、日本政府が「ロシアにおける日本文化フェスティバル2003」を開催。その関連事業として阪神電鉄が主催し、昨年9月21日から同23日まで同市で交流展が開かれ、日本から活躍する作家の書や絵画などが展示された。
松山さんは全日本書道連盟正会員でもあり、京都市文化使節団員として1994年と97年、メキシコに渡って作品を出品した経歴から、今回も出品依頼があった。戦時中は旧満州で国境警備隊として、戦後は3年間シベリアで抑留された経験を持っているが、建都300年を祝して心よく引き受けた。
作品は祝い事に供される文字にしようと、谷迪子の俳句から情景を浮かべ、「獅子舞」を書いた。同芸術大賞の受賞盾には、プーチン大統領やサンクトペテルブルク国際協会の代表者のサインが入っている。松山さんは「今年で書を始めて50年になりますが、機会の少ない国際展に出品できるだけでありがたいことです」と話していた。2月19日には江守光起市長に受賞報告をした。
写真=ロシアから贈られた受賞盾を手にする松山さん
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■ライブで反響、音楽プロダクションも注目
舞鶴出身の熊倉優さんがCD製作
舞鶴出身の熊倉優さん(27)=東京都狛江市=が、自分で作詞作曲した歌10曲を収録したCDアルバムをこのほど製作した。東高時代に作った歌など同世代の若者たちへのメッセージを、魅力のある声とまっすぐに心に入るメロディーで伝えている。いまは東京などでストリートライブをして歌っているが、その歌が音楽関係者の関心を集めている。そんな彼を舞鶴の友人らも応援している。
熊倉さんは東高時代に友人らとつくったロックバンドで、京都の音楽大会で優勝、バンドメンバーと東京に出た。新人歌手を発掘するソニーのオーディションに応募し、1万人の中からただ1人選ばれ、その才能を見いだされたが、なかなかチャンスを生かすことができず一度は夢を諦めた。再度好きな歌をやりたいとギター1本でソロ活動をしている。
自分の原点に戻ろうと、高校生の時に作った曲を含め、CD「自由への扉」を昨年10月に500枚製作。新宿や神奈川などでストリートライブをしながら手売りしている。友人へ感謝の気持ちを素直に歌った「ありがとう友よ」など、迷いをふっきったストレートな思いが共感を広げている。音楽プロダクションの注目も引き、プロへのチャンスを手に入れた。
熊倉さんは「ライブでの反響が自信につながった。ぜひ舞鶴の人も聴いて下さい」という。高校生のころから応援している丸山西町の鷲田マリさんは「発表の日が分からない宝くじを持っているようで、10年前も今もこれからも楽しみです。熊倉君と世の中がシンクロする日が必ず来ることを信じつつ」とエールを送っている。CDは1000円。市内のJEUGIA東・西店で販売中。
写真=市内の音楽ショップでも販売している熊倉さんのCD
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2004.2.17
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■地域おこしへミュージカル「安寿と厨子王」
加佐の住民ら上演準備進める
「安寿姫塚」(下東)のある加佐地域の住民らが、「安寿と厨子王」の物語をミュージカルで上演する準備を進めている。全国各地に伝承されているこの物語をミュージカルで発信して、地域おこしにつなげたいという。
ミュージカルの上演にあたって、1月に「安寿と厨子王ミュージカル塾」を開設。塾長には、これまでに数多くのミュージカル作品の制作、作曲、演出を手掛けている岩本唱道さん(64)=奈良県北葛城郡當麻町=が就任した。岩本さんの父親が舞鶴出身だったことから、塾長に白羽の矢が立った。
岩本さんは、ミュージカルの構想を練るため、地元取材から始め、シナリオの執筆と作曲を進めている。これと並行して、公募した出演者らに発声や演技法も指導している。現在、地元の若者4人が主な役柄を演じるソリスト(独唱者)として入塾して特訓を受けている。
岩本さんによると、物語のシナリオは、中世に全国各地を巡り、仏教説話を伝えた法師による説教節「さんせう太夫」をベースに書いているという。また、大きなテーマとして、「人間の煩悩を越えた美しさ、憎悪から許しへの愛を描きたい」と話している。上演時間は約2時間で、日本独特の旋律を交えた10数曲を使うことにしている。
塾生の練習は、丸田の八雲保育園で月2回行われているほか、熟生だけでも練習を続けている。塾生の農業、霜尾共造さん(25)は「ミュージカルを通じて、地域おこしにつながれば…」と参加、ほかの塾生とともに練習に励んでいる。
ミュージカル塾では、ソリストと合唱団員を募集している。初演は7月17日の「安寿姫塚」の夜祭で、ミュージカルの安寿をたたえるパートを発表。その後、秋にミュージカルの全音楽の独唱、合唱、朗読を上演、来年春に演技も含めた全編を上演する。
入塾についての問い合わせは、電話82・0719、同塾事務局担当の岩見二三子さん。
写真=塾長の岩本さん(右端)から基本のリズムの指導を受ける塾生たち
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■丸山小の桜の元気を取り戻そう!
小橋地区の住民ら土壌改良など
小橋と三浜地区の子供たちが通った旧丸山小学校の桜の元気を取り戻そうと、小橋地区の住民たちが2月15日、樹勢が衰えた桜に肥料を与えたり土壌の改良をする作業をした。今後も世話を続けるのに加え、新たに植樹も検討するなどして、かつてのきれいな花を咲かせてほしいと夢を紡いでいる。
旧丸山小は明治9年に開校した。学校前にすぐ砂浜の海岸が広がる小学校として、地域の人たちに愛されてきたが、平成10年に閉校した。それ以降は小橋と三浜区が1年ごとに交代して管理している。学校の正門の左右に沿ってソメイヨシノなど12本がある。いつ植えられたものかはっきりしないが、約50年前には若木もあり花がきれいに咲いていたという。
ここ最近は次第に枝に病気が出るなどし、花が少なくなっていた。かつて春には満開の桜をくぐって登校した子供たちの姿を見守ってきた母親たちが、再び花を咲かせてと住民らに呼びかけ、昨年秋に「小橋地区桜を守る会」(濱田節子会長)を作り、11月に病気の枝を切るなどした。今回は約20人が木の周囲の地面を掘って土を入れ換え、今後は苗木の植樹もしようと話が弾んだ。
作業をした会長の濱田さん(56)と嵯峨瞳さん(61)は「この桜の下で花見をしたことがないので、息長く取り組みいつか花見ができるまでにしたい」と話していた。
写真=桜の木の根元の土を掘り土壌改良に取り組む住民ら
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2004.2.13
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■京都市から西方寺平へ移住の新規就農者
布施さん夫婦、イチゴ栽培本格スタート
2000年秋に京都市から西方寺平へ移住した新規就農者の布施直樹さん(30)と京子さん(29)夫婦が、ビニールハウスでイチゴの栽培に取り組んでいる。イチゴは大粒で甘味が特徴の「章姫(あきひめ)」を扱っているが、市内のイチゴ農家らが舞鶴の特産に育てようとしている品種。3年間の研修期間を終えて、今年から本格的に栽培をスタートさせ、2月の収穫シーズンを迎えている。2人は田舎での自給自足の暮らしに向けて、ゆっくりと歩んでいる。
京都市内で会社員をしていた布施さんは、田舎での暮らしに憧れを抱き、仕事をするなら農業をしようと思っていた。府の農業会議の相談窓口で、新規就農者の受け入れ先として西方寺平を紹介され、2000年夏に訪れた。棚田や渓流の自然と有機農業を実践する地元農家の熱意に触れ、すぐ移住を決意した。
冬場は積雪がある地域のためハウスででき、また舞鶴であまり栽培していない作物をと、西方寺に農地を借りて冬から春はイチゴ、夏は万願寺甘とうに取り組むことにした。府立農業大学校(綾部市)での研修を受けたり、畑近くのイチゴ作りの名人にも教わった。西方寺平では米やジャガイモも作っている。
人気のある品種の章姫を選び、ハウス1棟(2.4アール)で栽培。3、4月に苗をポットから畑に植え替え、12月末から翌年の4、5月まで収穫する。ただ繊細で栽培が難しいとされ、病虫害対策や水やりなど手間ひまがかかる。布施さんは牛ふんなどの有機肥料を九割近く入れる工夫をしている。
公設市場に出荷しているほか、毎週火・木・土曜日(午前8時半〜午後1時)に大川のJA京都にのくに加佐支店、毎週火曜日に伊佐津の西駅交流センターでの夕市で直売している。そのおいしさが口コミで広がり、直接畑に買いにくる人もいる。
直樹さんは「この時期はじっくりと育つので特においしい。章姫をもっと舞鶴の人に知ってもらえるようにしたい」、京子さんは「今年こそは自分たちの食べる分の野菜をいろいろ作りたい」と話していた。
写真=大粒で甘味が特徴の「章姫」を収穫する布施さん夫婦
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■病魔乗り越え市展賞受けた橘さん(引土)
2月16〜28日、「ダリ」で初の作品展
脳梗塞で倒れる病魔を乗り越えて日本画を趣味で描き、昨年の舞鶴市展賞を受賞した引土の主婦、橘みや子さん(61)の初の作品展が、2月16日から天台新町のカフェギャラリー「サルバドール・ダリ」で開かれる。同28日まで。
橘さんは、若いころから絵画作品を書き写すことが好きで、ちょっとした時間の合間に色鉛筆を走らせていた。この模写作品を見た知人に勧められ、10年前から日本画教室を開いている津島はるさん=下安久=の指導を受け、本格的に日本画を始めた。
1週間に1のペースで教室に通っていたが、6年前に脳梗塞で倒れ、1カ月の入院生活を送った。病状は軽度だったが、左半身麻痺の後遺症が残った。夫の時夫さん(68)が営む寿司と仕出し弁当の店を手伝い、リハビリに励んだ。洗い終わった弁当箱を布で拭く作業がリハビリに効果があり、医師も驚くほどの回復ぶりだったという。
左半身の麻痺も癒え、再び絵筆を持つようになった。自分では自信がなかったが、津島さんの「ユニークな作品」との評価や勧めで、作品展にも出品するようになった。1昨年の第34回舞鶴市展に出品した「エンジェルトランペット」(20号)が「特選」に選ばれた。また、昨年の舞鶴市制60周年記念となった第35回舞鶴市展では、「晩秋の大波」(30号)で、市展賞を獲得した。
今回の作品展では、これらの受賞作品など大作、小品合わせて15点を展示する。橘さんは「私のような素人でも描ける絵の楽しさを感じてもらえればうれしい」と話している。
「サルバードール・ダリ」の営業時間は、午前10時半〜午後5時。ただし、水曜日は午前10時半〜午後3時で、第1、3日曜日は定休日。
写真=作品を前に橘さん
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2004.2.10
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■市職員有志らの「桜研究会」と地元市民ら
共楽公園で手探りの桜再生に取り組む
舞鶴の桜の名所として知られる中舞鶴地区の共楽公園で、市職員有志でつくるグループ「桜研究会」(堤茂会長、会員17人)と地元の市民らが、桜の再生に向けた取り組みをしている。戦後に植えられたソメイヨシノなど約700本の桜があるが、ここ10年花が少ないなど樹勢の衰えが心配されてきた。桜の復活の参考にしようと海上自衛隊隊員も参加し、病気の枝の切除や土壌改良などを手弁当で行っている。今春には1年以上にわたる世話が成果となって実るか、楽しみに見守りたいという。
昭和21年、戦後の荒廃で困窮していた舞鶴市民を励まそうと、進駐していた日系米国部隊員らが70本の桜の苗木を同公園に贈り、市民らが大切に育ててきた。その後も市民らが植樹を続け、4月には毎年、地元自治会や実業会が花祭りを開き、多くの花見客が訪れている。
50年以上が経過した共楽公園の桜は、ここ10年で花が少なくなっている。公園を管理する市職員は庁内で善後策を話し合っていたが、再生に向けた事業のノウハウがなかった。それなら市民として手探りで何かをやってみようと、呼びかけに応じた職員有志で平成14年10月に桜研究会を結成、その秋からまず同公園でボランティアの活動を開始した。
桜で有名で青森県弘前市に出掛け世話の方法を学び、桜で木が休眠状態となる秋から冬の間に、枯れた枝や病気の枝などを切り、菜種カスなどの肥料を木の回りの土を掘って入れた。特に弱っている木では、幹の周囲直径2、3メートルの土を根を傷つけずに掘り出し、そこに新しいまさ土と堆肥を入れる土壌改良も施した。これまでに94本の木の世話を終えた。
今冬最後の活動となった2月7日、約20人がスコップを手に汗をかいて重労働をこなした。地元実業会の会員が手伝ったほか、旧丸山小学校の桜を再生させようと願う小橋区の市民らも、参考にしようと作業に加わった。参加した中舞鶴実業会会長の谷岡年夫さん(62)は「桜の世話はあまりされてこなかったので、こうした活動はありがたい。地元も協力したい」と話していた。
堤会長は「これまでの活動の成果がどう出るか楽しみ。ここでの取り組みが地域に広がればうれしい」と満開の花の下での花見を思い描いている。
写真=桜の幹周囲の土を掘り土壌改良する会員ら
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■多くの人が音楽を楽しめる場に!
櫻井さん、丸山口町に「パレットスクール」オープン
障害を持った子供からお年寄りまで楽しく音楽が学べ、少人数のコンサートや会合に使える部屋を備えた「パレットスクール」が、このほど丸山口町にオープンした。19年間子供たちにピアノなどを教え、音楽を使って心身のリハビリに役立てようという療育音楽を学ぶ櫻井みどりさん(40)=丸山中町=が主宰している。多くの人が音楽を楽しめる場にしたいとしている。
櫻井さんは自宅などで子供たちにピアノやオルガンを指導するほか、南公民館でキーボード教室の講師もしている。そうした中で登校拒否の子供に出会って音楽を教える機会があったが、音楽で元気になって学校に戻った体験を持った。それをきっかけにして楽器の演奏と歌で心身のリハビリをする療育音楽を学び、その仲間たちと「舞鶴音楽療法の会」を結成して、市内のデイサービスセンターなどで指導もしている。
だれもが音楽を楽しめる場づくりを昨年から考え、行政書士の夫の寛さんの協力も得てスクールを開設。木造1階建ての建物は内部は段差をなくし、木目が見えるログハウス風になっている。ピアノとエレクトーンを教えたり、ミニコンサートができる「ミュージックルーム」(約25人)、町内やサークルの会合に使える「セミナールーム」(約15人)がある。今後は各種のカルチャー教室も開く予定。
櫻井さんは「絵のパレットのようにいろんな個性が輝く場になれば」と話している。使用料は1時間につきミュージックルーム1500円、セミナールーム1000円。時間は午前9時〜午後10時。
【問い合わせ】電話62・8662。
写真=オープンした「パレットスクール」
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2004.2.6
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■先天性筋ジストロフィー症で20歳で亡くなった
坂間さん(藤沢市)の絵画展「ほのぼの屋」で
2月14日〜3月14日まで
先天性筋ジストロフィー症を持ちながら、1997年に20歳で亡くなるまで多くの作品を残した神奈川県藤沢市の画家、坂間弘康さんの絵を紹介する作品展が、2月14日から大波下の障害者地域生活支援センター「ほのぼの屋」で開かれる。体が動かないため寝ころびながら、左手の指に挟んだフェルトペンを口元で支え、約300点の作品を描いた。死後も各地で遺作展が開催されている。3月14日まで。
坂間さんは重い障害を持ちながら養護学校に通い、15歳で絵と詩の創作を始めた。ポスターコンクールでその才能が評価され、NHKや新聞などで紹介された。亡くなる半年前に作品集『ぼく青春してるんだ』を自費出版。透明な明るさが作品の魅力となっている。
その後、彼の絵や生き方に心を動かされた人たちが、2002年に本格的な画集『ぼくのまちへ』(かもがわ出版)を刊行した。幼いころ父の転勤で移り住んだ町の風景などが、鳥瞰的な視点で精緻に描かれており、カラーを含めて約70点が掲載されている。
舞鶴出身で藤沢市に住む高橋緑さんは全障研神奈川支部に所属し、画集づくりなどに関わったが、故郷でも多くの人に坂間さんの障害を越えた作品を見てほしいと、「まいづる共同作業所・まいづる作業所友の会」(蒲田忠夫会長)に作品展の開催を依頼した。同会などが主催し、「けんたくんのものがたり」などの作品約30点を展示する。入場無料。午前10時〜午後9時。カフェレストランほのぼの屋の定休日(水曜日と第1・3火曜日)は午後五時まで。
【問い合わせ】電話66・7707、同センター。
写真上=精緻に描かれた坂間さんの作品「坂道」(画集『ぼくのまちへ』より)
写真下=故・坂間さん
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■岡田中学、全校で年間800冊の読破を達成
田主さんが記念版画を生徒全員にプレゼント
岡田由里、岡田中学校(水谷昭校長、68人)は、昨年4月から1年間で800冊の本を読破する目標を達成し、2月2日、水谷校長が生徒らに読破の認定証を授与した。この取り組みのきっかけをつくり応援してきた版画家の田主誠さん=茨木市=も来校し、記念の版画を生徒全員にプレゼントした。
社会人講師を務めた田主さんから読書の大切さを聞き、読む力と豊かな心を育もうと、今年度から図書専門委員会の生徒らが、1人毎月1冊以上を読み、全校で1年間800冊の読破を目標にした。購入してほしい本のリクエストのアンケートをとり、図書ニュースを発行して新刊の紹介もした。田主さんも読書スタンプを贈り応援した。
昨年12月24日の集計で800冊を超えたことが分かった。1月末で1学年が400冊、2学年が304冊、3学年が252冊、計956冊。個人ランキングでは1位が2年生の村上智美さんで76冊、2位が3年生の小島愛さんの44冊、3位が3年生の道林光さんの35冊だった。
認定証の授与式では、同専門委員会委員長の小島愛さんが「読書でいろんな人の話を知ることができました。今年度が終わるまでに1000冊を読破しよう」と述べた。読書をする少年時代の川端康成の版画を贈呈した田主さんは「小学5年のときに読んだ2冊の本が、その後の私を勇気づけてくれた。好きな本は自分のお金で買い、繰り返して読んでほしい」と話していた。
写真上=水谷校長から読破個人ランキングベスト3の表彰を受ける生徒たち
写真下=田主さんが生徒たちに贈った版画。少年時代の川端康成を描く
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2004.2.3
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■府の「現代の名工」に米山さん(生菓子製造)
「明日の名工」には芝原さん(建築塗装)
府は、産業分野で優れた技能を発揮している人を対象とした府優秀技能者表彰(現代の名工)と、次代を担う優れた若手技能者に贈る府青年優秀技能者奨励賞表彰(明日の名工)の受賞者を発表した。舞鶴からは現代の名工に生菓子製造に54年携わる「双鶴庵」会長の米山博章さん(73)=南田辺=、明日の名工に建築塗装の「芝原塗装店」工務部長の芝原隆浩さん(35)=福来=が選ばれた。表彰式はきょう2月3日、京都市の府公館であった。
今年は現代の名工に府内から17職種の18人、明日の名工には12職種の12人が選ばれた。受賞者の職種は人体模型製作やクリーニング、西洋料理、和服仕立てなどがある。
米山さんは先代の父の鉄治さんと、地名の鶴にちなんだ和菓子をつくろうと取り組み、昭和27年に「鶴の里」を創作した。鶴の頭部、くちばし、胴体を表す赤、黒、緑の羊羹を、鶴の羽に見立てた白い羽二重もちで手巻きし、絶妙の味と触感を生みだした。
気温や湿度によって羊羹の固さも異なるため、それを調整して炊き上げるのは長年の勘が必要。さらに、3種類の羊羹を組み合わせたり、外のもちを適当な厚さにするのもすべて手作業となっている。このため力仕事は3代目の息子の隆一朗さんに任せるが、博章さんの経験が製造には欠かせない。
「鶴の里」は昭和30年には全国菓子観光大博覧会で名誉大金賞を受賞するなど多くの賞を受けた。舞鶴の土産物として受け取った全国の人から注文が相次ぎ、息の長い舞鶴を代表する名産品に育った。米山さんは「これからも体が動く限り作り続けたい」と話している。
芝原さんは家業を継いで昭和63年からこの仕事を始めた。兄とともに3代目となる。建築塗装をはじめ公共塗装など6種類の1級技能士資格を持っている。平成11年の日本塗装工業会主催の建築塗装技能競技会では努力賞も受けた。天気に左右される仕事で、顧客のニーズを的確に把握しての塗装が難しいという。
住宅やビルなどの外壁や内装関係の仕事が多い。最近では環境に配慮した無鉛の塗料の数も増え、鉄やコンクリートなどの現場に合わせて使い分ける必要も生まれている。仕事の段取りを指示するため軽トラックで現場を飛び回り、6年間で約16万キロも走った。芝原さんは「賞に恥じないように仕事を続けていきたい」と話していた。
写真上=舞鶴を代表する名産品を作り出した米山さん
写真下=塗料を調合する芝原さん
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■アフガンとイランの子らに文房具セット
ガールスカウト京都35団隊員たちが袋詰め
ガールスカウト京都35団(榎本明子代表)の隊員たちが2月1日、余部下の中総合会館で、アフガニスタンとイランの子どもたちに送る文房具セットの袋詰め作業を行った。近くガールスカウト日本連盟を通じて、両国に届けられる。
長引く内戦で国内が疲弊している両国の子どもたちを励まそうと、ガールスカウト日本連盟では、10年前から文房具セットを送るピース・パックに取り組んでいる。京都35団でも協力、二年前から市民に文房具の提供を呼びかけ、昨年初めてピース・パックを送った。今年で2回目で、ピース・パックの送付は、これで最後になるという。
ピース・パックの中身は、ノートや鉛筆、ボールペン、消しゴムなどの文房具と洗面具の合わせて13点、これに隊員の英訳したメッセージを添える。京都35団では、市民に協力を呼びかける一方、街頭募金を行って文房具などを購入したほか、提供された品物が重複した場合は、これをバザーに出して換金して、必要品を購入したという。
ピース・パックの袋は、隊員たちが手縫いして作った。30袋を用意して、隊員たちが中身を仕分けした後、袋に詰めた。隊員の大橋佑果子さん(11)=余内小五年=は「市民の皆さんから寄せられたものなので、大切に使って、しっかり勉強してほしい」と話していた。
写真=袋詰め作業をする隊員ら
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