舞鶴・大浦半島の一隅に「大山(おおやま)」という地区があります。話によると、大山は室町時代に越前若狭方面から移り住んだ人々が苦労を重ねて開拓し、今に至っております。
ここに鎮座された八幡神社は、天正年間(安土桃山時代)の創建といわれており、八幡神社秋の例祭日は10月8日(今は8日に近い日曜日)とされ、おごそかに五穀豊穣を感謝する神事が執り行われています。
社殿では吉備楽が太鼓、琴、笙(しょう)、ひちりき、横笛により厳粛で古式豊かな合奏が奉納されます。吉備楽は雅楽を基に琴が加わっているのが特徴だそうです。静かな鎮守の森から奏楽の音(ね)が大山の里に響きわたると、地区全体が清浄に清められ、人々は身も心も素直な気持ちで神殿に手を合わせ、自然の恵みと先祖に感謝してお参りします。
大山地区は17戸の少ない集落ですが吉備楽をはじめ、太刀振りは幼児から大人まで鉢巻きに襷(たすき)掛けのキリッとした勇ましい装束で、7つの演目が演舞されます。続いて獅子舞は悪魔払い、鈴と太刀、カニ掘り、父親追い、といった舞が奉納されます。これだけたくさんの出し物を伝承し、今に伝えられてきたことに頭が下がります。
祭りは本来、農耕、特に稲作に関する行事が中心と考えられてきました。春の祭りは種をまき、田植えをしたときに1年の収穫を祈願するもの、秋祭りは収穫を感謝して行われ、農耕の神様を山へ送る行事とされてきました。農山村ではこの秋祭りを境に農耕から山仕事へと作業が切り替わっていきます。
一方では、楽しむ「祝祭」の要素と共に、「祭儀」という厳粛な要素がありますが、今では後者の要素が薄らいできています。祭りの意味は本来地域の共同体によって子供たちに伝えられてきました。
しかし、今は共同体が希薄になり、年配者の話を聞きながら大人も子供も一緒になって共同作業をする機会が少なく、子供たちはさまざまな伝統や習俗についての関心が低くなっており、徐々にこうした伝統行事や習俗がすたれ消えていくのが寂しい限りです。
幸いにも大山地区には今に伝わる伝統行事があります。絶やすことなく永遠に祭りの音色を鳴り響かせてほしいと願っています。(ふ)
写真上=社殿で吉備楽奉納
写真下左=社殿で幼児の太刀振奉納
写真下右=社殿で獅子舞奉納
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