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歴史民俗研究会の伝統文化を訪ねて

−「小橋(おばせ)の精霊船(しょうらいぶね)」−
(平成20年8月22日、本紙掲載)


麦わらのはかまをそぐる  幸運にも今年でくじゅう(90歳)やとおっしゃる古老からお話が頂けました。わしの子供の頃はと言いながら、精霊船行事は「何十年は確かやけーど」とおっしゃる。もっともっとでしょう。  今年は上町が当番ですが、消防団、老人会、参加する子供の親など力を合わせて取り組まれています。精霊棚の飾ってある家は約半分、場所も玄関の横にある家、少し離れた座敷の端にある家とまちまち、棚の作りも微妙にちがいます。  海(かい)きょう寺(じ)で施餓鬼供養の準備をしておられた寺係の3人に伺いました。「精霊船は帰ってこられたご先祖の精霊が盆の終わる8月15日、再び西方浄土に帰られる送り舟やと聞いて育ちました。お迎えは家ごとにしますが、お帰りのときは集落全部の精霊が乗られて帰られるのです」  14日、早朝から精霊船づくりが始まります。前の日曜日に切り出しておいた孟宗竹8本、真竹30本、篠竹50本。およそ10メートル以上もある真竹の先端(上部)を束ね、舳(へさき)をつくりますがこれがなかなか難しい作業のようで、ずいぶん時間をかけておられます。  子供たちの構成は中1が3人、小5が3人、それに小6の女子2人。女子が参加したのは7年前から。老人会の会長さんは「子供たちにとって精霊船は単なるお盆行事ではないのよ、精霊船を境に驚くほど成長するの、特に心のね」とおっしゃる。  彼らの午前の仕事は麦藁のはかまをそぐって、精霊船の舷側に取り付ける素材の整備や、寺係が作る施餓鬼供養時の「ハタ立て」の材料を調えること。役名は「オオセンドウ」「チュウセンドウ」「コセンドウ」「カコ」「カコのカコ」。女子には役名もありません。尋ねても「女の子は手伝いですから」と皆さんつれない返事です。  数年前からボンナゼと呼ばれた砂の線香立ても作らなくなったそうです。昼近くになって精霊船は飾り立てられ、完成に近づきました。舳には浜に自生しているトベラの木を添えます。  15日午前10時から施餓鬼法要。ハタとよばれる紙細工の仏花、寺係の方が何日もかかって作られたものの1つです。数は200数十本、昨日子供たちがそぐっていた麦藁は2基のハタ立てになっていました。  先祖代々、初盆、年忌、戦死者、それぞれに読経と供養が行われます。「家の仏の位が信士信女、居士大姉に関係なく戦死の方は皆さん院号なの」と老人会の会長さんはおっしゃいます。戦死者はみな神様。こんな形で示され意表を衝かれた思いがしました。  朝から参拝が絶えずそのたびに供物が増えていく精霊船。お寺に飾ってあった旗ざしものやハタ、白米、瓜、なす、そうめんなどの供物も積み込まれ、美しく飾り立てられます。  平成20年の出立は12時17分。掛け声ととともに海に浮かびます。十数年前までは「コセンドウクラス」の子供たちが泳いで船の跡を追い、相当な沖合まで従ったそうですが、今年の6人は全員引き船に乗り、女の子2人は浜で見送りです。精霊船の舵取りは1番の新仏のお役目。はじめ前浜に添って名残を惜しむかのように西進した船は、冠島を目指すように北へ向きを変え、やがて船影は空と海に溶けてしまいました。(お)

写真上=麦わらのはかまをそぐる子供たち。後方には冠島が見える
写真下=全ての供物を載せ出船直前


出船直前
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