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歴史民俗研究会の伝統文化を訪ねて

−「野原地区のお盆・変わりゆく両墓制」−
(平成22年9月10日、本紙掲載)


仏迎え  野原地区は、大浦半島成生岬の基部西側に位置する漁村で、両墓制(りょうぼせい)が残っています。両墓制とは、一般的に死体を埋葬する埋墓(うめばか)と、その人の霊を祀って石塔を建てる詣墓(まいりばか・石塔墓)を持つ墓制ですが、土葬が無くなり火葬化したため、現在、多くの埋墓が放置され、荒廃しつつあります。  野原地区においては、2年ほど前、野原小学校跡地に共同墓地が造成され、徐々に埋墓とお寺の墓地にある石塔墓とが合葬されており、将来、両墓制の形態が無くなる可能性がありますので、野原地区の「盂蘭盆会(うらぼんえ)=お盆」を御紹介します。  昭和36年頃から始められた民宿は、昭和45年頃には本格化し、お盆の頃もお客対応で、10日遅れの8月23日から25日に行われるようになりました。23日の「仏迎え」に当たり、仏壇に近い縁側で精霊棚(しょうりょうたな)を作り、ナス、瓜、団子、ミタマ(小豆御飯を丸めて、竹の箸十二膳を作る)を供えて、提灯を吊します。お供え物は、各家により異なり、小豆御飯が白御飯や「おはぎ」であったり、瓜がキュウリであったりと個性があります。この精霊棚も、昔はどの家でもされたそうですが、今年は6軒確認できただけでした。中には、キット化されたお宅もありました。多くは簡素化され、室内に設置されていました。  お盆当日の「仏迎え」は、午前中に各家の女性が浜へ行き、紙を燃やして仏さんをお迎えしますが、時間は各組で異なるとのことで、私たちが確認したのは、午前7時30分頃でした。その後、埋墓へ、次に詣墓へお詣りします。一部の家は、合葬された共同墓地へお詣りされていました。「仏送り」は、25日の午前中に、仏迎えと同様に、紙を燃やして行われます。  なお、各家には家号・家印(シルシ)があり、家号は○○右衛門、△△兵衛などで、家印は、下駄に焼き印されたり、埋墓の石に記されたりしています。  習俗は、時代とともに変遷していくものですが、今回の取材でも一抹の寂しさを感じました。 (春よ来い筆)

写真上=海辺での「仏迎え」(松岡秀雄氏提供)
写真下左から=縁側に設けられた「精霊棚」(右側)、海辺近くの「埋墓」、共同墓地、埋墓の家印


「精霊棚」(右側) 埋墓 共同墓地 埋墓の家印
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