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■ NO.10 安寿姫塚(下東の谷) |
天暦年間(947年)、無実の罪で筑紫に送られた父を慕い、母とともに安寿と弟の津塩丸が下る途中、山岡太夫という悪者にだまされて、母は佐渡へ、姉弟は丹後の三庄太夫に売られ、奴隷にされた。姉は海に汐汲みに、弟は山仕事など毎日むごい仕打ちを受け、ついに2人は堪えきれず屋敷を逃れた。津塩丸は和江(わえ)の国分寺に匿(かくま)われ、後に京に上り出世して仇を討った。安寿は太夫の家を逃れ京へ上る途中、由良川の川向かい逃れ、その後中山から下東へ出る坂道で(現在の由良川畔より舞鶴へ至る旧道)、飢えと疲れのため絶命した。この坂を「かつえ坂」と呼んでいる。また、建部山のふもとの下東には、姫を葬ったという安寿姫塚があり、毎年7月の夜祭りには、村の青年団によって灯りがつけられ、「かつえの神」として安寿の霊を慰めている。森鴎外の小説「山椒太夫」で有名な安寿姫と厨子王丸の悲しい物語のもと。 |
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