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NO.34 古今伝授の松と心種園(舞鶴公園)   

 室町時代の智将といわれ、歌聖とうたわれた細川藤孝(幽斎)が、天正8年(1580)織田信長から丹後の国をあてがわれ、その子忠興父子によって築城された田辺城は、以後京極氏から牧野氏の居城となって明治維新に及んだ。現在、この城跡は「舞鶴公園」として桜、バラなどの名所となっている。慶長5年(1680)関ケ原の役に際し、東軍に与した幽斎がここに籠城し、二ノ丸の老松の下で「古今和歌集相伝文書」に古(いにし)へも 今もかはらぬ世の中に 心の種を 残す言の葉の一首をそえて勅使に渡したが、後に牧野氏が藩主として入城し、老松のある庭の跡を偲び、下の句にちなんで「心種園」と命名したという。なお由来は碑に詳しく記されている。(註 古今伝授=古今集の中の難解な箇所の解明を師弟の間に伝授すること)

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