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NO.4 東舞鶴の街  

東舞鶴の町は碁盤の目、南北を歩いていると各通りを示す「艦船」の看板が目につく。由来は、明治31年に樹立された市街地計画が明治35年11月に完成し、そこで浜地区を中心に、通りの名を付けることになった―。その時、町は京都のような碁盤の目に区画造成されていたので、寺川から与保呂川 の南北の通りを、一条から九条と名づけた。また、舞鶴市は海軍の町としてふさわしく、戦艦・巡洋艦など艦種別、建造年代順に軍艦の名が用いられたという。つまり八重山・富士・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠……である。そして、道路名の名付親は、当時の高等小学校の校長さんとか。看板には、当時の軍艦の勇姿と近隣の各国語で「ようこそ舞鶴へ!」。それほどにまで「艦船」の呼び名が鮮明に刻まれている「軍港の町」、東舞鶴の町並みである。

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