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NO.42 「伊藤雋吉」顕彰の碑(宮津口)   

 田辺藩と縁の深い瑞光寺の裏側は宮津口。当時、「橋西」一帯は武家町として栄え、足軽長屋が並んでいた宮津口の道路脇に、御影石の顕彰碑が1基。高さメートル、幅21センチの碑には、「海軍中将正二位男爵・伊藤雋吉(しゅんきち)誕生の地」と刻まれ、郷土の誇りを次世代へ…を旨として昭和63年1月、生家の一角に地元の顕彰会によって建立された。同会の資料によると、伊藤氏は天保11年(1840)、田辺町(現宮津口)の生まれ。幼名を徳太(とくた・後に改名、明治維新後は雋吉)といい、幼児から和漢書を読み解き、特に数学に堪能で問題を与えられると瑞光寺の墓地で解いたという。やがて藩命により江戸へ出て、蘭学・兵学・数学を学び、海軍へ。「筑波」の艦長などを務めた後、海軍兵学校長、海軍次官(中将)を歴任。その後、貴族員議員、男爵、正二位に叙せられた。詩文に長じ、書は巧みで艦名の字など多く残した。また、舞鶴出身で爵位を受けたのは牧野元藩主と当人の2人だけ。「草葺続く宮津口、伊藤海軍中将の、生家を訪(と)へば松枯れて、株(くひせ)に蒸すや苔の花…」と舞鶴唱歌に歌われた希代の希代の逸材・伊藤男爵が没して80年余り。碑は、町の歴史を語りながら郷土を育んで15年目を迎えた―。

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