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NO.55 伝承の「国分寺」跡(和江)   

 三国岳を源流とする由良川。河口から由良の湊への一帯は、ここを舞台とする「山庄太夫」伝説の地である。その一つ、宮津に最も近い村が和江。国道左の和江谷川に沿って1本の道が村から山に続き、約3キロ入って「国分寺」跡へ―。昔、和江には東雲(しののめ)駅で降りて、「ベタ舟」で川を渡り、この村の道へ。つまり、長谷地蔵に通じる唯一の参拝道として賑わったという。さて、陸奥(むつ)の国判官正氏(ほうがんまさうじ)の子、安寿と厨子王は父恋しさのあまり、母子3人と召使と共に九州へ旅立つ…と始まる山庄太夫の物語は、名高いので略するとしても、厨子王が屋敷を逃れて国分寺の和尚に身を匿われ、京都へ脱出。後に丹後の国守となって山庄太夫の仇を打つ「きっかけ」となった重要な伝承地なのである。寺の本尊は毘沙門天。国分寺は、後に焼き払われ再建されることもなく、毘沙門堂だけが残っているだけだった。そして平成5年、老朽した堂は立派に建立されて今日へ。堂の中には、畳1帖もある姉弟の別れの場面と旅立ちの姿を描いたI画伯の水墨画も奉納されている。鴎外の小説とは異なり、伝承地にかける村の心意気が尽々と胸を打つ…。

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