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NO.56 由緒ある「寺子屋」(泉源寺)   

 青葉大橋から天火明命が志良久と言った志楽を眺め、旧村の泉源寺へ。千年も昔「泉源寺」が村名となったとき、寺基をついだのは中央通り山手にある上寺(かみてら)の智性院(ちしょういん)で、その西隣に構えて建っているのが阿弥陀堂。村では「泉源寺の公会堂」と呼ぶ。学校沿革誌によると、「明治四年泉源寺智性院ニ於テ始メテ学校ナルモノヲ設ケラレ(略)之ヲ以ッテ学校ノ始メトス」とあり、この公会堂が教場として開かれていた由緒ある「寺小屋」で、今もここに残って健在している。その名は「遵法堂(じゅんぽうどう)」。建物は阿弥陀堂なるも、寺子の人数により掛け出して拡張し、軒下の古釘は草紙をかけた跡だとも…。教師3名、生徒は泉源寺、田中、市場、溝尻の旧4カ村。後に田辺藩の漢学者、恒川竹香(つねかわちっこう)氏が加わり、読み、書き、算術、漢文も教えたという。このように智性院の遵法堂(校)に続いて金剛院の含章堂(がんしょうどう)(校)が。また松尾寺なども学問所となっていたが、明治9年、これらが合併して今日の志楽校の誕生となっている。寺子屋は今もそのまま。泉源寺の地で学問を志した先人たちの夢とは―しばし、立ちすくんで動ぜず!(記 鹿原神社の境内には氏の遺徳を偲んで「恒川竹香先生碑」が建立されている)

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