国道から雁又(かりまた)のヘリポートに通じる坂道を少し上がると、正面に白い門が迎えてくれた。これが旧水交社の正門である。水交社とは明治9年に創設され、舞鶴では同29年に開設された旧海軍将校の親睦団体で(陸軍には偕行社があった)、海軍士官、高等文官、士官候補生の「社交場」であった。この門柱の高さは約3.3メートル、周囲2.5メートル、門扉幅は4.5メートルもあり、両前方へ5メートルのカーブを描いて広がる素敵なデザインの門構え。大正3年建造、レンガ造りとあり、側には「東郷大将手植松」の碑も建っている。1昨年、宿舎の改築に伴い化粧したが、原型は当時のまま。思わず、その優美な姿と格調高い旧海軍の遺産に脱帽!当時、水交社は2階建て、バルコニーや池もあり粋な建築。戦後は在日米軍が使用していたが、昭和27年11月に警備隊舞鶴地方総監部が移転。同29年、警備隊が自衛隊に改称され、同総監部は同32年12月、元海軍機関学校(現在地)へ移転し、その後解体されて防衛庁の宿舎となっている。顧みれば、旧海軍の誕生以来、戦後の警備隊、保安隊から自衛隊へ。日本の平和と独立を守り、安全を保つための変遷が、門の中でもあったとは…。戦前戦後を通じて、この「正門」の向こう側にもうひとつの「舞鶴が生きてきた姿」を見た思いであった。
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