ひらがなの「ん」の字を描いて南北に貫流する由良川。この大きな川に架かる橋が「大川橋」。ここを通る175号線が旧名を鎮守府西街道とも呼ばれ、日本の裏から表への動脈であり、また、加佐地区と結ぶ要所でもある。300年の昔「田辺城絵図」には川の舟渡しが往来し、竿で漕いだ高瀬舟や帆掛け舟で賑わったとも。初代の大川橋は、明治34年の藤津船橋で小舟15隻を浮かべ、その上に板を敷いた「船橋」が始まり。しかし、年々歳々起きる洪水で再三再四流出し、続いて板橋土造りを架設した。その後、何回も再建を繰り返しつつ、昭和28年5月に現在の鉄筋大川橋の竣工へ。同年の13号台風でも微動だにせず、救助移送に大活躍したという。橋は由良川に180キロの鋼材で架けた2脚のトラスト橋。高さ制限は4.5メートル、幅員6メートルの各1車線で、すれ違いも厳しい。交通センサスによると、利用車両は1万台を突破するが、車両の増加と大型化で難所の橋となってしまった。工事中の新橋完成は5年後。長さ約400メートル、幅23メートル、歩道付き4車線の「超大川橋」。6基の橋脚に鋼4経間(八田側)、及び鋼3経間連続合成ラーメン箱桁構造とうかがう。完成すれば、藤津峠から一直線に由良川を渡り切る―。やがてこの橋も、50年間の大役を終えて世代交替か。とは言え、時代変われど「心のかけ橋」だけはいつまでも…と願うばかり。
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