初詣では千歳の天満宮へ。ここは大浦半島の西端、海上交通の要所である。慶長年間、千歳は波佐久美(はさくみ)村と呼び、連歌師の紹巴(じょうは)や校歌にも“千歳の松”を詠み、今も松の名残と舟屋がある35戸の漁村。村では、北野神社(天満宮)よりも上(かみ)の宮さんとして親しまれ、初詣では一ノ宮、大将宮の古社のあと、天満宮へ参拝するのが習わしとなっている。昔、大浦組の大庄屋、津田惣右衛門が京都の北野天満宮を勧請したと言われ、鳥居には「天満宮」の額が― つまり、菅原道真を祀る文道の大祖なのである。特に大浦地区では天満宮が7社もあり、天神信仰が厚い。さて、ここで注目すべきは境内を囲む見事な石垣である。正面には畳1帖半もある分厚い花崗岩の板が何枚も貼られ、裏からは約30メートルにわたり、壁2層分ほどの石積みで境内を取り囲み、まさに“城壁”そのもの。昔から千歳は石積みの技術が高く、田辺城の石垣造りをしたとある。11人衆と呼ばれる石切衆が産地の千歳から博奕岬の花崗岩を切り出し、2艘舟で運んで積み上げた、と伝えられている。また、神社の後方には、津田家の仏像140体を納めた如来堂がある。以前、鳥居の前はすぐ海。潮が引くとアサリがいっぱい…が、今は埋め立てて親海公園に変貌。今年、この一帯から新しいエネルギーが誕生する。正月飾りの境内は、梅も膨らんで満願成就の春へ! 「技」を今に伝える天満宮の初詣でに心が和んだ―。
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