JR舞鶴線の電化で、橋上の駅と施設を併設したガラス張りの西舞鶴駅に降り立った。城下町の駅前広場には、大きな“太鼓櫓(たいこやぐら)”の時計塔が待ち受けている―。「丹後田辺に過ぎたるものは、時の太鼓に野田希一(きいち)」と東海道の馬子唄にもあるように、田辺城内にあった太鼓堂は、朱子学の大家で明倫館の執政者・野田笛浦(てきほ)(希一)とともに田辺藩の誇りであった。明倫とは、人の道を明らかにして教え導くの意。その明倫館は、牧野宣成(ふさしげ)公の天明年間(1781〜)に明倫斎として始まり、大手門を入った現在の市民会館の位置にあった藩校。その後、牧野誠成(たかしげ)公の時に増築し明倫館と改称。建物の屋上には櫓を造り、太鼓を据えつけて時刻を知らす「太鼓堂」があった。また、太鼓の打ち方や「時鼓方、月二円宛四人」と明倫小学校設立見込表が、明倫100年史に記されている。想像だが、この太鼓堂から時を打てば寺がこれを聞き、鐘を撞いて城下一円に時刻を知らせたのでは、と。その太鼓堂がすなわちモニュメントの時計塔なのである。高さ12メートル、東西に時計表示板。正午に舞鶴風流音頭、夕方5時は舞鶴小唄のメロディーと太鼓で時を告げている。外壁に瓦職人を偲ぶ瓦の平板、広場は田辺城の形をモチーフにし、夜になるとガラスブロックの城壁に灯りを入れて城下町をイメージ…。平成6年3月完成。―過去と現在、そして未来をつなぐ太鼓堂のモニュメント―は、いま誕生してから10年目。
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