終戦記念日に因んで「海軍墓地」へ。共楽公園の裏手に位置し、花木通の入口標識は近畿自然歩道の登り口でもある。途中の駐車場から更に広い坂道を上ると、2段に台地が開け様々な墳墓記念碑が林立している―。
この墓地は明治31年、民有地約2500坪を買収。4年間の歳月をかけて舞鶴鎮守府所管の海軍墓地として設置された。海軍では毎年春秋の2回(4月21日、9月23日)例祭が行われていたが戦後の昭和21年、復員省から舞鶴市に維持管理の一切が移管。昭和29年までは舞鶴地方復員残務処理部で、30年からは舞鶴水交会の管理委託に。毎年春4月、海軍に縁の深い雲門寺で会員や遺族関係者によって慰霊祭が今も行われているという。
墓地に建立された数々の塔と碑。いずれにも英霊の由来が刻まれ、生々しい戦歴と戦禍の無残さは筆舌に及ばぬ。立ちすくむ…。
その1例。舞鶴鎮守府大東亜戦没者碑には、同管下の在籍軍人軍属戦没者4万55柱が碑下に。さらに昭和24年4月、太平洋戦争の殉職者4万有余名と引き取り不明となった遺骨を埋葬し、永久供養の碑を建立した萬霊塔。また、戦争の熾烈化で金属回収のために、尼港殉職者碑前にあった砲弾や軍艦「新高碑」の鉄の鎖なども提供されて、記念碑も戦争の犠牲に…。
終戦記念日は単なる“夏の風物詩”ではなく戦争絶滅の日! この墓地こそ、世界平和祈念の発信基地なのである。
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