城の正面を“大手”という。その大手通りと田辺城門の正面に、小さな森と神明造りの社殿がある。これが「うの森神社」。地元では「うの森さん」と呼び、市街地にあるがもとは円満寺の氏神さんである。
天正年間、細川氏が築城の際、円満寺村は喜多村へ移村。うの森は二の丸に残し城内で祀られていた。かなり後、数人の有志によって移転の動きがあるも財政難で中断、さらに浄財を集めて漸く完成したと古老の話。現在の社は大正元年10月竣工とある。屋根はカヤ、随所に銅板が用いられ、神社には築城時に近いころの石垣が今も残っている。これは自然の石を積んだ「野面(のづら)積」で、博打岬の花崗岩を切り出した石であるといわれ、境内も格調高い。
初詣に神砂の民話のひとつ。昔、田辺郷に美しい森があり、一面カヤの野原に渡り鳥が飛来し、虫や魚を採っていた。ある日、屋根屋の与平さんがカヤ刈りでマムシに巻き付かれた。そこでソロリと「うの森」さんまで歩いて鳥居の傍らの白い砂をマムシにかけた。すると不思議にもマムシは離れ、森から出ていった−と。これが「マムシ除けに霊験あり」の神霊物語。
祭礼は春まつりと秋の2回。7日前の幟立て、前日清掃などは地区の振興会が管理。円満寺は47世帯。城下町の名残りとともに円満寺自治会発足から70年の歳月を刻む。
街の真ん中で、この氏神さんは先祖が生きてきた証として、今なお地域で守られて健在である。トリ年にあやかり、新年の光輝く未来に願いを込めて初詣!
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