西舞鶴駅の東口は駅東。大型スーパーで混み合う伊佐津道路西側には、高層住宅団地3号棟が聳え、その隣りに板壁の大きな家屋が1軒、目についた。
長い煙突と鎧(よろい)窓。思わず屋根の排気口から湯煙りが立ち上がる光景を連想。これぞ「駅東公衆浴場」なるも平成16年2月、遂に閉鎖宣言。残念無念! されどその経緯と背景は―。
思えば昭和11年、海軍工廠復活後、順次舞鶴の軍事施設を拡充し、終戦直前の人口は20万人近くにもなった、とある。昭和15年、工廠第2造兵部新営。同16年ごろ、舞鶴海軍に徴用された工廠の工員のための伊佐津住宅(木造瓦葺き2階建て)約70戸有余をここに建設し、駅東住宅地区が誕生した。この時、住宅の共同浴場として建てられ、既に60年以上を経て今日へ。
戦後は、旧軍港市転換法などによる変遷を辿りながら、「駅東浴場組合」を設立して自主運営に。中は正面に広い板場と脱衣場、右が女湯、左に男湯で、4畳程もある大きな浴槽があり、何回かの改装もしてきた。燃料はオガクズが主流、近年は重油を使用、炊き屋さんもいた。風呂代は大人・子供の家族構成による月額制にて隣組で集金。また、休浴日には板場を会場として、映画会、演劇観賞、唄と踊り、性教育などにも活用されたと、懐かしむ。
一日の仕事を終えた地域の人々が、ここに集い入浴する。毎日馴染みの顔で会話もはずむ…まさに裸のつき合い。大衆浴場は地域づくりの原点でもある。
今年は戦後60年。ここで暮らしてきた戦後の“泣き笑いの拠点”が、いま静かに消えていく…。
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