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NO.92 「桜ケ坪公園」(行永東町)   

 “三つの安らぎ”を願う三安通りを南へ折れると閑静な住宅街…何故か“桜”の名に魅せられ、桜木町の「桜ケ坪公園」にてひと休み。広さは1564平方メートル、三方の入口の中央にはパーゴラの東屋(あずまや)、滑り台、ブランコなどの遊具を11基のベンチで囲む。一角にお地蔵さんの祠もあり、手ごろな地域の広場である。公園は昭和29年に児童公園として計画、同35年に完成した。エリアは行永東町の字正己町、桜木町、元川町。地蔵盆も3町が当番制で見守る。  「桜」との縁は、大字行永の旧土地台帳図に字桜ケ坪の地名あり。側に位置する海軍病院の桜など軍と桜が縁で桜木の町名に、とも。道理で公園には桜の古木が目立って多い。昔は辺り一面深い田んぼ。戦時中の突貫工事で整地され、軍関係の住宅街に変貌した。その建物は、昭和23年の福井地震復興に解体して被災地へ送られたという。更にこの地では、良質の水が滔々と湧く川の道筋でも知られている。  倉梯村史(昭和8年発行)に与保呂川は「往時は常村行永村の界亀岩より西に直流し、今の森村地内を経て寺町の本流をなせしが如く…」とある。以来、川は洪水の度に氾濫。河床に高さを加え天井川となり、付け替えて現在の与保呂川に―。そのためか、周辺には豆腐屋、ラムネ屋、風呂屋さんなど、水を扱う店があった、と。  この公園で、風呂上がりに冷えたスイカを食べ合った夕涼みが懐かしい。公園を取りまく暮らしの変遷―公園は地域をつなぐオアシスなのである。

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