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2004年5月28日

嵜山さん、吉坂の茶山で新茶葉摘み取り
野趣に富む中にもやさしい味で人気
 吉坂の茶山で新しい茶葉の摘み取り作業が行われている。農薬と化学肥料を使わず草取りも全て手作業。自然のままで育った茶の木から摘んだ茶葉は、紅茶と緑茶(せん茶)に加工され、野趣に富む中にもやさしい味。鯨が空を飛ぶ絵柄のラベルで親しまれる紅茶は甘い香りとまろやかな味で、全国にファンがいる。晴天の日には緑の木々に囲まれ鳥の鳴き声がこだまする茶山に、友人の援農隊も訪れ作業を手伝っていた。  龍宮町の嵜山靖治さんが20年前、荒れていた茶山(2ヘクタール)を整備して生産を始めた。山道を抜けると突然目の前にすり鉢状となった谷が開ける。その斜面の一面に茶の木の畝が段々状に並び、所々に桜などの樹木が枝を伸ばし、涼しげな木陰をつくっている。  今年は例年より一週間ほど早く摘み取りが始まった。柔らかい新芽の葉を袋の付いた大きな鋏で刈り取っている。茶山の気持ちのいい風景と嵜山さん、そのお母さんの作るお弁当に誘われ、市内をはじめ京都や大阪、滋賀、徳島などから友人たちが手伝いに訪れることも。  茶工場で緑茶と紅茶に加工する。紅茶は市内の喫茶店や産直グループで扱っているほか、自然食などを置く東京のエコロジーショップ、京都の天然酵母のパン屋や自然食レストランなどでも販売。口コミで知ってファンになった人たちは直接、嵜山さんに注文している。緑茶1キロは3000円、新茶の紅茶は100グラム800円、2番茶の紅茶100グラム600円。  問い合わせは〒625―0034龍宮町6 嵜山靖治(電話63・2245夜間のみ)。

写真左=斜面一面に段々状に並ぶ茶の木の畝
写真右=茶葉を袋の付いた鋏で摘み取る嵜山さん
ドキュメンタリー映画「奇妙な出来事アトピー」
6月22日、“おにぎりくらぶ”が上映会
 アトピー性皮膚炎などの食物アレルギーに苦しむ子供たちの母親らでつくる「舞鶴アレルギーの会“おにぎりくらぶ”」(吉永ゆかり代表、会員20人)は、6月22日午前10時半から余部下の中央公民館で、ドキュメンタリー映画「奇妙な出来事アトピー」(高橋一郎監督)などを上映する。映画はアトピーの治療に取り組む医師や親たち、その背景となっている化学物質漬けとなった現代社会の生活などを報告している。入場無料。  食物アレルギーは化学物質の増加や自然環境の悪化などの変化が子供たちの体に現れたもので、農薬や添加物を含む食品を食べることが発症のきっかけとなったりする。その症状は体調不良や皮膚のかゆみなど外から分からないのに加え、複雑・長期化しており、家族は周囲の理解も少なく孤立しがちだった。  そのため互いに励まし合おうと、母親たちが2001年におにぎりくらぶを結成。例会と学習会▽学校給食に関して市教委との話し合い▽原因となる食材を除去した食品や無農薬の農産物の共同購入などに取り組んできた。  映画「奇妙な出来事アトピー」は治療や予防に取り組む小児科医師、保育園などの様子を紹介するほか、高度成長期以降に蓄積された環境汚染など社会の歪みにも焦点を当てている。もう一本の映画は「アトピーから暮らしを見つめて」。託児もする。 【問い合わせ】電話090・9215・4330、吉永さん。

2004年5月25日

森と海との関係解明へ間伐材魚礁
舞鶴水産実験所などが国内初の研究始める
 間伐材でつくった魚礁の効果を確かめようと、長浜の京都大学フィールド科学研究センター・舞鶴水産実験所(山下洋所長)は、美山町の同センター・芦生研究林(芝正己所長)と共同で、国内では初めてという研究を開始した。芦生の森で伐採した広葉樹と針葉樹でつくった魚礁を、同実験所そばの舞鶴湾の海底に設置し、2年間にわたって観察を続けて魚が集まるメカニズムを調査する。森と海との関係の一端を解明できればとしている。  木を伐ってつくった間伐材(原木)魚礁は、昔から漁師たちによって利用されており、コンクリートや鉄による魚礁よりも早く魚が集まると言われている。京都府でも昭和四十年代から間伐材魚礁を丹後半島の漁場に設置する事業に取り組んできた。しかし、その魚礁の効果と魚が集まるメカニズが科学的に検証されてこなかった。  また、海を豊かにするために、古くから漁師らが山に木を植えて森をつくることもしてきた。これまで京大の各研究施設は森や海の領域ごとに個別に研究を進めていたが、同センターは森・里・海を1つのつながりとして捉えて、その関係を明らかにしようと、今回2施設が協力した。  魚礁はブナやシデなど6種類の広葉樹、スギの針葉樹、塩化ビニールパイプの3種で、それぞれ3基ずつ製作した。1基は縦、横1.5メートル、高さ1.3メートル。5月21日、実験所の岸から約30メートルの水深7メートルの海底に、15メートルの間隔を空けて3種類を交互に重りを付けて並べた。  今後は2週間に1度、潜水して魚の集まり具合を観察するほか、魚礁付近の海水を採水して、木から海中に溶けだしている窒素やけい酸などの物質、植物プランクトンの量などを分析する。山下所長は「森の神秘を海の中で研究する取り組み。その関係の一端でも明らかになれば」と話している。

写真=6種類の広葉樹でつくった魚礁
「語り部」養成講座スタート
引き揚げの歴史を語り継ぐ
 引き揚げの歴史を語り継いでもらおうと、市と市教委は5月22日、平の大浦会館などで、舞鶴引揚記念館「語り部」養成講座をスタートさせた。市内をはじめ宝塚市などの25人が受講した。来年3月まで10回の講座を開き、ワークショップなどを通して近代史を学び、体験者の話をもとにシナリオづくりなどをする。  舞鶴港は昭和20年から同33年までの間、旧ソ連や中国などから約66万5000人の引揚者を受け入れた。その史実を伝えるために同63年に引揚記念館がオープンした。また、引揚者でつくる引揚を記念する舞鶴・全国友の会が語り継ぐ活動をしてきた。  しかし、同会の会員が高齢化し活動が困難となったため、今回同講座を開設した。市は修了後、受講者らにボランティア組織を結成してもらい、同館を拠点にした活動のほか、学校での出前講座に参加するなどを計画している。  募集定員10人程度としたが、市内や福知山、京都市などから20代〜70代の28人が応募した。第1回目は同館を見学した後、大浦会館で開講式。同友の会副理事長で舞鶴語り部会代表の神原崙さんが「舞鶴を本当の意味で平和の発進基地にしてほしい」とあいさつした。続いて同友の会事務局長の藤村正己さんが引き揚げについて講義した。  受講者らは「祖父が引揚者だった」「引揚公園で清掃をしていた時、来場者からいろいろ質問されたが十分に答えられなかった」とそれぞれ自己紹介した。

写真=開講式であいさつを聴く受講者
2004年5月21日













市の青少年善行表彰
岡田中生徒会など3団体1個人に
 舞鶴市は5月17日、青少年健全育成を目的に設けている顕彰制度「青少年善行表彰」の受賞者(団体)を発表した。受賞するのは3団体、1個人で、市政記念日の同27日、北吸の市政記念館で表彰する。  善行表彰は、社会生活や教育、文化などの分野で、顕著な善行があったと認められる20歳以下の青少年を顕彰する制度。昭和60年度に第1回目の表彰を行い、今回で20回目。  今回の受賞者は、岡田中学校生徒会(松嶋綾希子代表、68人)▽白糸中学校陸上部(山本翔代表、25人)▽日星高校Sクラブ(藤井小百合代表、45人)と、青葉中学校1年の森永裕紀子さん(12)。  岡田中生徒会は、ペットボトルを加工して作った花鉢に、校庭で育てた花を植え替え、校区内の70歳以上の一人暮らしのお年寄り91人にメッセージを添えてプレゼントするなど、地域の「花いっぱい運動」を展開している。  白糸中陸上部は、夏休みに校区内の小学校に出向き、児童に陸上競技の指導を行っているほか、冬の積雪時には、始業の1時間前に登校して、学校前の歩道を除雪して、地域住民から喜ばれている。  日星高Sクラブは、毎年12月に余内地域の一人暮らしのお年寄り宅を、2、3人1組になって訪問、手作りのクッキーとクリスマスカードをプレゼントしている。このほかにも、各種団体から依頼を受け、障害児のサポートや託児ボランティアも行っている。  森永さんは、小学校入学当初から生け花を習い始め、1、2年生の時には、週1回のけいこの帰りに倉梯幼稚園に花を生けに出向いた。また、3年生から卒業まで、舞鶴東署行永交番に毎週花を飾りに生き、市民の目を楽しませた。

写真上左から岡田中生徒会、白糸中陸上部、日星高Sクラブ、写真下は青葉中1年の森永さん
余江さん制作、韓国の民衆劇仮面「タル」展
6月11日まで近畿産業信組舞鶴支店で
 民衆が貴族などの支配者を風刺した韓国の民衆劇「タルチュム」に使われる仮面「タル」が、下安久の近畿産業信用組合舞鶴支店(杞山暢志支店長)ロビーで展示されている。制作者は元中学校教師の余江勝彦さん(63)=白浜台。その文化に魅了されルーツを探ろうとハングル語を学び、劇が盛んな現地の訪問を続けてきた。仮面はユーモラスな表情と独特の色彩で強烈なエネルギーを放っている。  美術教師の余江さんは、昭和25年8月24日、青森県から朝鮮半島に船で戻る途中、舞鶴湾内で爆沈した「浮島丸事件」の犠牲者たちを追悼する殉難の碑を制作、市民団体の一員として追悼集会を開く。そうした体験から、在日韓国・朝鮮人、日本人の交流を目的に、京都市内で毎年11月に開かれる祭りに参加し、美術担当として2年前にタルの制作を依頼された。  タルチュムは、堕落した僧侶や貴族の不正をつき特権階級を鋭く風刺した筋立てなどで、正月や旧盆などに野外で公演される。タルは地域によって紙やヒョウタン、木を材料に、僧侶や貴族の特徴を誇張した容貌を施す。庶民の反抗精神にあふれる仮面に引かれ、その文化と背景の生活を知ろうと、観光地化されていない東海岸の村を歩くなど韓国へ20数回渡った。現地で購入したタルの美術書などを参考に20点を制作、今回は在日韓国人も利用する同支店で展示した。  余江さんは「仮面は自由な発想で面白い。劇はいまも韓国の人たちと一体となって生きています」と話している。展示は6月11日まで。 【問い合わせ】電話76・5001、同支店。

写真=「サジャ」と呼ばれる仮面を手にする余江さん
2004年5月18日

西高1年の小宮山さん(囲碁将棋部)
府大会で3位入賞、全国大会へ
 西舞鶴高校(北野茂校長)の囲碁将棋部の一年生部員、小宮山舞さん(15)=余部上=が、第40回全国高校将棋京都府選手権大会の女子個人戦で3位に入賞し、7月の全国大会(日本高等学校芸術文化連盟主催)の出場権を手にした。同高の囲碁将棋部からの全国大会出場は、昭和48年の男子団体以来30年ぶり。小宮山さんは「まず1勝を」と棋譜の研究に励んでいる。  小宮山さんは中学2年のころ、父の裕さんの手ほどきを受けて将棋を覚えた。最初は負けてばかりだったが何度も対戦しているうちに勝てるようになった。高校受験に専念するため一時遠ざかったが、高校ではもっと強くなろうと、卓球部と掛け持ちで同部に入部。部員19人の中で唯一の女子部員となった。  今月(5月)9日に京都市内で府大会があり、女子個人戦に10人が出場した。予選で3勝1敗とし決勝トーナメントに進出。初戦で負けたが3位決定戦で勝った。全ての勝負で得意とする棒銀の戦法で指した。日ごろは週2回のクラブ活動と、自宅で好きな女流棋士の棋譜を見て研究している。  小宮山さんは「府大会では1つ勝てればいいと思っていたので結果にびっくり。粘り強くあきらめずに指したのがよかったのかも。次はミスしないように冷静に指したい」と話していた。顧問の古川博也教諭は「荒削りだが1局の中にキラリと光る指し手があり、これから強くなっていく」とエールを送っている。全国大会は7月30、31日、徳島県阿南市で開かれる。

写真=部活動で指し手を考える小宮山さん
亀井選手(一条卓球)世界選手権へ
胸に「日の丸」ベテランの部全日本代表
 一条卓球クラブ(小畑喜生代表)の亀井毅志選手(43)=すとろべりぃあいすバラ園、福来=が5月31日、横浜市のパシフィコ横浜で開催される第12回世界卓球選手権大会ベテランの部に、全日本代表として出場する。胸に「日の丸」をつけて、世界各国の選手との試合を楽しみにしている。  亀井選手は、小学校5年生から卓球を始めた。城北中、舞鶴高専、専修大と卓球部一筋に歩み、社会人になってから一条クラブに所属して練習を続けている。昨年2月の全国ベテラン大会でベスト8に進出、また、五年連続して京都予選を勝ち抜いて、全日本選手権年代別大会に出場している。  京都予選での優勝2回を含む予選突破の実績を評価され、京都卓球協会が世界卓球選手権の全日本代表に推薦、日本卓球協会に承認を受けて大会出場が決まった。同選手権には男子40歳代の部シングルスに、京都からただ1人出場する。  世界選手権では、40歳代から80歳代の部まで5クラスに分かれ、第1ステージの予選リーグと決勝トーナメントで優勝が争われる。亀井選手は「日の丸をつけて試合出来るのは夢のようです。世界各国の選手と好きな卓球の試合をするのを楽しみにしています」と話している。

写真=全日本代表のユニフォームを着た亀井選手
2004年5月14日

江戸時代、松尾寺までの巡礼の道
「舞鶴地方史研究会」 若狭街道を実地調査
 舞鶴地方史研究会(小林清会長)は5月9日、江戸時代に西国33札所の29番の松尾寺までの巡礼の道ともなっていた若狭街道を歩き、街道筋にあった道しるべや昔の道の様子を実地調査した。明治時代に作成された地図で街道が通る倉谷などの家や橋を調べたり、一里塚があった場所などを探った。昨年の京街道ウォークに続いて、11月には市民に呼びかけて、この街道を歩く会を開催する予定だ。  若狭街道は田辺城下町の田辺大橋を起点に、白鳥峠から森、浜、市場、小倉を通って吉坂まで続く道。若狭へ至る道であることから別名「北国街道」、または宮津市の28番札所の成相寺から29番の松尾寺までつなぐ道として、多くの巡礼者が行き交った。  同研究会は昨年11月に京街道ウォークを開催し、約50人が参加して歩いた。事前に作成したマップをもとにして京街道と道しるべ、当時の旅や暮らしなどを歩きながら市民とともに学んだ。その続編として、今年と来年の2回にわたって、若狭街道を西地区から大森神社まで、そこから松尾寺までのコースに分けて歩く計画を立てている。  この日は会員6人がマップ作成のため、西地区から白鳥街道まで徒歩と車で下調べをした。西図書館では明治六年に作成された倉谷村などの地図を見て、当時の道や家並みを確認。続いて府道(白鳥街道)を東へ進み、福来の「制札(せいさつ)」と呼ばれていた四辻と道標と思われる立石、石で組まれた常夜灯を見て回った。さらに府道沿いに残る元の街道や、白鳥トンネルの上の昼なお薄暗い山道を歩き峠を越えた。  途中で会員たちは元旅籠だったらしい民家や、小浜藩へケガ人を送った往時などを話し合った。会員の栢分逸郎さん(74)=清道=は「子供のころ、街道を歩いて東へ遊びに行きましたが、人通りが少なくて寂しい道だった。よく海軍機関学校の学生たちが訓練でこの道を走っていたのを覚えています」と話していた。

写真=昼なお薄暗い街道の山道を歩く会員たち
5月23日に「まいづる田辺城まつり」
武者行列や町内太鼓競演など多彩に
 城下町・西舞鶴の伝統と文化の継承と町おこしを狙いとした恒例の「まいづる田辺城まつり」が5月23日、南田辺の舞鶴公園一帯で催される。勇壮な鎧武者や可愛いちびっ子武者の行列や町内太鼓の競演など多彩なイベントが繰り広げられる。  舞鶴公園に城門が再建されたのを機に始まり、今回で13回目。舞鶴商工振興会や西自治連、城下町倶楽部などでつくる同実行委員会(松本昭司委員長)主催。  午前9時半に城門前で、みつる幼稚園児のチアリーディング、よさこい舞鶴の踊りでオープニング。この後、城門が開門され、公園内で相愛保育園児の太鼓演奏に続いて、特設ステージで開会式典がある。明倫小学校マーチングバンドの演奏・演技、舞鶴つばさ連の阿波踊りに続いて、伊賀流忍者・黒党のショー、峰山和太鼓集団「飛龍天衆」の豪快な演奏、子供たちに人気の特捜戦隊デカレンジャーのショーがある。  正午から城門前で、町内太鼓など15基が勢ぞろいする時の太鼓競演会。午後1時にメーン行事の武者行列が出発する。京都府警平安騎馬隊を先導に、鎧武者、ちびっ子武者に続いて町内太鼓、子供神輿の総勢約900人が市街地を練り歩く。この間、特設ステージでは、午前中のショーなどが再演されるほか、芸屋台で子供たちが語り部や踊りを披露する。  このほか、近くの明倫小学校グラウンドで午前11時から正午、平安騎馬隊のちびっ子乗馬体験(4歳から小学生まで先着100人)がある。  同実行委員会では、会場周辺に駐車場がないため、下福井の舞鶴公設市場とJR西舞鶴駅間に、午前9時から30分間隔でシャトルバスを初めて運行、多くの市民の来場を呼びかけている。

2004年5月11日

昭和40年代の舞鶴線の蒸気機関車
城陽市の小菅さんが写真集『京都府北部編』
 昭和47年3月まで走っていた舞鶴線や宮津線などの定期蒸気機関車(SL)を撮影した白黒写真51枚を掲載した写真集『蒸気機関車 京都府北部編』(縦25センチ、横26センチ、38ページ)が、このほど自費出版され話題となっている。撮影・作成したのは城陽市の会社員、小菅一己さん(54)。雪が舞う中で東舞鶴駅に向かって走るSLや、貨物列車をつなげて西舞鶴駅を煙を勢いよく上げて発車するSLの姿をとらえた貴重な記録となっている。  小菅さんは幼児のころから蒸気機関車に魅了され、高校1年の昭和40年からゆくゆくは姿を消すSLを写真で思い出に残そうと、京都府や奈良、遠くは九州まで出向き中判カメラで撮影を続けた。「急勾配を登る時には『パッパッパッパッ』と、4拍子でエントツの下から水蒸気を上げてがんばっている姿は、人とそっくりでした」  記録として手にとってもらおうと、3年前に第1集『保津峡編』を、続いて第2集『京都府南部編』を出版。3集目の今回は、昭和46年4月に姿を消した山陰本線の定期蒸気機関車を起点に、舞鶴線などのSLの写真をまとめた。海水浴シーズンに走った臨時急行「はしだてビーチ1号」や、収穫の終わった田園風景の中をのんびりと走る姿を収めた。2000部作成した。  学生だった当時は京都市内から西駅までSLに乗り、撮影地点を探しながら東駅や丹後由良まで歩いたり、西駅機関区内に泊めてもらったことも。いまのように自動販売のなかった時代、真夏の太陽が照りつける下、海水浴客を乗せた臨時列車の撮影のため歩いていると、農家の女性がお茶をいれたやかんを持ってきてくれたことや、寺の境内のたまり水をごみを避けながら飲んだ思い出も添えている。  小菅さんは「どんな写真が撮れるかと楽しみででかけました。見た人からは懐かしいと感想をもらっています」と話していた。ブックスアスカで若干部数販売している。小菅さんへの申し込みははがきで。あて先は〒610―0111、城陽市富野南清水75―22

写真=昭和46年5月5日、貨物列車をつなげて西駅を発車する蒸気機関車
子ら自然環境の大切さを学ぶ
舞鶴東RCが「がってんスクール」
 子供たちに環境保全について学んでもらおうと、舞鶴東ロータリークラブ(高橋行雄会長)は5月9日、木ノ下の木ノ下集会所で、「がってんスクール〜けもの達はいま〜」と題して、初の環境学習会を開いた。  同クラブでは、環境保全委員会(田中守正委員長)が地球環境について、青少年委員会(藤本茂樹委員長)が青少年健全育成について、それぞれ例会で講演して、会員の認識を深めてきた。この両委員会が、子供たちを対象に環境学習する機会をと、「がってんスクール」を開校した。  スクールには、ボーイスカウト隊員ら小中学生とクラブ員合わせて約50人が参加。田中委員長の基調講演に続いて、地元農家の坪内貞夫さんらが講師を務め、イノシシによる農作物の被害状況も含めて、近隣に出没する動物の生態などについて話した。  この後、坪内さんの案内で、参加者らはイノシシの被害防止のために設置されている電気柵や捕獲檻を見学。身近に生息する動物と人間との共生について学んだ。

写真=坪内さんからイノシシの捕獲檻の説明を受ける参加者ら
2004年5月7日

平飼いで安全・こだわりの卵づくり
西方寺の養鶏農家・霜尾さん
 西方寺の養鶏農家、霜尾政幸さん(48)が、鶏舎内を自由に動き回れる平飼いと、安全な野菜などを独自に配合したえさで、こだわりの卵(有性卵)を生産している。2月に起きた丹波町での鳥インフルエンザウイルス問題で、一時取り引きがストップした業者もあったが、逆に個人消費者の間では安全な卵としての認知が広がった。鶏をなるべく自然な状態で、健康に育つ環境づくりをする養鶏を目指している。  霜尾さんは父の代には動くスペースのないゲージ飼いをしていたが、自然農法の実践を見学したことをきっかけに、1982年ごろから徐々に平飼いをする鶏を増やした。現在は家族四人が協力し、5棟で採卵用とヒヨコを含めて5600羽と、市内の養鶏農家5戸の内で最多の鶏を育てている。  飼育で気をつけているのは、棟内の羽数を減らして密飼いにしない▽遺伝子組み替えなどのないトウモロコシや国内産の魚粉、天然の牧草などを独自に配合したえさを与えることなど。  1棟内を6区画(1区画8メートル×9メートル)に分け、天井から日光が入るようにした。鶏が少ない方が適度に運動がしやすく、地面も乾燥して病気になりにくい環境となる。えさにはビタミン剤や病気予防のための抗生物質などは使っていない。病気になっても抗生物質は与えず、自然に回復するのを待つ。5棟の内1棟では屋外へ出し、地面に生える草も食べさせている。  卵の生産は1日約3000個。市内の飲食店、産直グループ、西駅での直売(毎週火曜日)などに出荷し、安全な卵として知られるようになってきた。丹波町で鳥インフルエンザがあったが、市内の消費者がいつもよりも多く直売所で購入した。  霜尾さんは「将来は無農薬の野菜くずをえさにし、鶏糞を田畑の肥料にするなど循環型の複合経営を目指したい」と話している。卵は10個入り1パック(Mサイズ)380円。
【問い合わせ】電話83・0695。

写真=卵を手にする霜尾さんと平飼いの鶏舎
「母の日」にちなみ「お母さんの絵『絵画展』」
「さとうバザールタウン店」にズラリ
 「母の日」(5月9日)にちなんで、伊佐津のショッピングセンター「さとうバザールタウン店」(四方博之店長)で、「お母さんの絵『絵画展』」が開かれている=写真。5月9日まで。  絵画展は、同店の恒例行事で、毎年「母の日」に合わせて、市内の幼稚園や保育園の園児、小学校の児童に、母親の似顔絵を描いた作品を募集。応募のあった全作品を展示している。  今年は、園児213点、児童58点の計271点の作品が寄せられた。クレヨンや色鉛筆を使って、母親の生き生きとした表情が描かれ、来店客らは作品の前で、思わず笑みを浮かべて見入っていた。

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