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2015年9月8日

想いふれ行動のきっかけに
ドキュメンタリー映画 美術作家の佐野さん描く
9月19日 市民ら市政記念館で上映会

 阪神・淡路大震災で救助され、ネパールでボランティアの美術教師を務めた佐野由美さんを撮影したドキュメンタリー映画「With…若き女性美術作家の生涯」の上映会が9月19日、北吸の赤れんがパーク2号棟(市政記念館)で開かれる。榛葉(しば)健監督の講演と交流会も行なわれる。(青木信明)
 この映画を4度観た倉谷の会社員、浅野幸人さん(59)が上映会を企画。同じく榛葉監督が製作した東日本大震災の被災地・南三陸町で生きる女子高生の姿を追ったドキュメンタリー映画「うたごころ」の上映会を2013年に開いた。
   主人公の佐野さんは美大生だった19歳の時、阪神・淡路大震災で自宅が全壊し瓦礫の下から助け出され、やがて被災者の支援活動を始めた。その経験を元にネパールに飛び込み、差別と貧困の中に生きる人たちを目の当たりにして悩みながら、子供たちに美術を教える日々を過ごした。
 監督の榛葉さんは毎日放送の報道記者時代、阪神・淡路大震災に関する番組を制作し、坂田記念ジャーナリズム賞を受けた。佐野さんの撮影は98年から4年間かけて行ない、完成させた。「日本賞」ユニセフ賞などを受賞し、いまも各地で自主上映会が続けられている。
 上映会は1回目が午前11時〜午後1時。この後監督の講演。2回目は午後3時〜同5時。同5時半から監督と交流会。浅野さんは「佐野さんを通して何かを感じて行動するきっかけになれば」と話す。収益金は4月に大地震の被害にあったネパールの子供たちの支援に役立てる。
 前売りは一般1,500円、学生・障害者1,000円。総合文化会館、市民会館などで販売中。
【問い合わせ】電話090・5643・9662、浅野さん

チケットを3人に

 主催者の協力で舞鶴市民新聞社はこの映画に3人を招待する。希望者は郵便番号、住所、氏名、電話番号、市民招待席「女性美術家」係と明記し、9月12日までに申し込みを。
 応募ははがき(あて先〒624―0905福来912―1 舞鶴市民新聞社)、FAX(77・1750)、eメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)で受け付けている。応募者多数の場合は抽選。チケットの発送をもって発表にかえる。


写真=映画「With…若き女性美術作家の生涯」の一場面より


底引き網漁解禁
高級魚ノドグロ豊漁
舞鶴地方卸売市場で初せり

 底引き網漁業が9月1日解禁され、舞鶴の底引き網漁船5隻が出漁し、2日、下安久の舞鶴地方卸売市場に水揚げされ初せりが行なわれた。高級魚のノドグロ(赤ムツ)が豊漁となり、仲買人たちが次々とせり落としていった。
 脂がのって白身のノドグロは最近高級魚として都市部で人気を集め、すしネタや塩焼き、小さなものは煮付けや干物になる。舞鶴港から約3時間かかる経ヶ岬沖の漁場で、海中の山の地形に多く集まるノドグロを狙って網を引いた。
 1日夕方の強風と雨で早めに帰港したため、水揚げ総量は昨年の初日より約1トン少ない3・56トン。しかしノドグロは昨年より多い1・4トンだった。主に京阪神などに向け出荷された。このほかササカレイ300キロ、アンコウ476キロなど。セリ値の最高はノドグロ1箱1万8,000円、ニギス10キロで4,400円、アンコウ6キロ3,300円、ササカレイ2キロ2,900円。  府漁協販売部の佐戸慶太次長は「昨年よりはノドグロの水揚げが多かった。これから魚は脂が乗っておいしくなるので、舞鶴の魚を味わってほしい」と話していた。

写真=ノドグロをせり落とす仲買人たち



2015年9月4日

七転び八起きで元気に
舞鶴出身シンガーソングライター榊原さん
舞鶴の皆さんに歌って欲しい
だるま祭り出演で曲作る
童謡チックなメロディーで

 舞鶴出身で、関西を中心に活動するシンガーソングライターの榊原粧子さん(26)=大阪市北区=が、昨年出演した舞鶴だるま祭りにインスピレーションを受け、「七転び八起き〜だるまさんのうた〜」を作詞作曲し、シングルアルバムを発表した。転んでも立ち上がるだるまの強さを、親しみのある童謡チックなメロディーで歌っている。(青木信明)
 榊原さんは新舞鶴小学校、白糸中学校、綾部高校に通い、その間バレーボールのエースアタッカーとして活躍。中学生のころから聴きだしたポルノグラフィティの音楽が大好きになり、憧れのアーティストに会いたいとの一心で、大阪の専門学校に入ってから1人でギターと歌の練習をし、学校などのイベントに出演した。
 専門学校卒業後、4人でバント「CHiCHi(チチ)」を結成し、ギターとボーカル、作詞作曲を担当する。かわいい曲や大人っぽい歌など幅広い音楽性を備える。関西のライブハウスなどに出演し、2011年からプロ活動をする。  昨年からソロ活動もしているが、ふるさとのだるま祭りの出演依頼を受けたのをきっかけに、だるまの歌を作った。にらめっこなどするだるまや、七転び八起きで強くなるだるまのことを子供にもわかりやすいように歌詞にし、おもちゃのラッパなどの演奏も加えて録音した。
 今年に入ってシングルCDを制作した。ジャケットには自らデザインしただるまの絵を入れ、赤れんがや肉じゃがにちなんだだるまも描いている。
 もう1曲は舞鶴を思って作った歌「私とふるさと」を収録。青春時代の友人たち、立て替えられた白糸中の校舎、優しかった祖父らのことを振り返っている。
 東地区の夜の市や8月の八雲地区の夏祭りなどにもソロで出演する機会が増え、だるまのうたを披露している。榊原さんは「自分の想いを伝えることができるのが音楽。だるまの歌は子供たちにも喜んでもらえるような曲づくりを心がけました。舞鶴の皆さんに歌ってもらえたら」と話している。
 今月末に舞鶴市内でプロモーションビデオを撮影し、秋のだるま祭りにも出演が決まっている。シングルCDは800円。イベント出演時に販売する。



写真=だるまの歌が入ったシングルアルバムを出した榊原さん


近畿秋季学童野球京都府大会
共楽少年野球ク強豪制し初優勝

 8月21日〜23日に京丹後市内で開かれた第9回近畿秋季学童軟式野球京都府大会で、府内の強豪24チームが対戦し、中舞鶴小学校児童がメンバーの共楽少年野球クラブが初優勝した。田村俊介投手(中舞鶴小6年)を中心に、全員野球で勝利をものにした。
 少年野球夏季大会で優勝した共楽が、舞鶴市代表として出場した。左投げで速球を武器にし、京都でナンバーワン投手の評価を得る田村投手を中心に守りが堅い。
 2回戦から登場し7―0でコールド勝ち、準々決勝は3―0、準決勝は7―3で順当に勝ち上がった。決勝は城陽市代表の山田荘マシンガンズと対戦、8―0で5回コールド勝ちした。田村投手が2回戦、準々決勝、決勝で投げて完封し、決勝では3打席連続ホームランを放った。準決勝は山口修歩投手(同6年)が先発した。
 この大会で舞鶴市のチームが優勝するのは初めて。西川幸満監督は「今年は大きな大会の出場が続き、子供たちは自信をつけた。全員で勝ち取った優勝です」と選手たちをたたえていた。
 11月28、29日に亀岡市で開かれる近畿大会に、京都代表で出場する。

写真=優勝して喜ぶ共楽少年野球クラブの選手たち



2015年9月1日

学童疎開体験を語り合おう
明倫国民学校元教師 荒木さんら
子供たちの命を守ることが大事
1人でも多くの児童と会いたい

 戦時中、戦況の悪化に伴って米軍の空襲を逃れるため、国が実施した学童集団疎開から70年。舞鶴市も疎開都市に指定され、子供たちが強制的に親元を離れ、地方の寺などで暮らした。明倫国民学校の児童と教師らは疎開中に台風の洪水被害も重なった。戦後70年経って当時の体験を語り合おうと、元教師と元児童らは同級生の消息を捜している。(青木信明)
 集団疎開は1944年8月から東京や横浜など全国13の都市で開始され、翌年4月からは舞鶴市など4都市が加えられた。京都府下では京都市と舞鶴市のみで、終戦後の10月まで続いた。舞鶴では8つの国民学校の3年〜6年の児童約1300人が丹後地域に受け入れられた。
 明倫国民学校では45年4月に京丹後市の旅館などで第1次疎開が始まった。7月29日の舞鶴空襲を受け、8月から第2次疎開が決まり、1班50人が桑飼下の公会堂へ、2班42人が宇谷の荘厳寺に寄宿し、岡田上の学校へ通った。
 水間の荒木花子さん(90)は、45年4月に新卒教師として同学校に赴任、荘厳寺への疎開に付き添った。親から離れた子供たちは寂しさから学校に行きたくないと泣き、なだめて学校へ連れて行った。食事は配給米だけでは足りず、子供たちのため教師たちがヨモギやニラ、芋ツルなどを採り、米に混ぜて弁当に詰めた。
 疎開中、台風による由良川の洪水を体験。昼ごろ本堂にまで水が押し寄せると、児童たちと階段を上がり位牌堂に逃げた。しばらくすると消防団が船で救助に来て、屋根から船に乗り込み、山に下ろしてもらった後、宇谷神社の舞堂に避難し、いろりに火をつけて一晩を過ごした。翌朝水が引いているのを確かめ、子供たちを寺に戻した。
 疎開中の思い出について荒木さんは「台風では子供たちの命を守ることだけを考えた。避難した舞堂でマッチに火をつけると、暗闇に寝ている子供たちの並んだ足が浮かび上がったのを覚えています」という。
 戦後、しばらく子供たちと手紙のやりとりが続き、自宅に遊びに来る人もいた。最近になって荒木さんは元児童たちと思い出を語りたいと話し合い、市内在住のクラスメート6人を見つけた。荒木さんは「1人でも多くの児童と集まりを持ちたい」と話していた。心当たりのある人は壷内正治さん(電話75・2448)へ。



写真=宇谷の荘厳寺に集団疎開した明倫国民学校の児童と教師たち(1945年)


幸せの青い蜂市内初記録
府レッドデータ絶滅危惧種

 京都府レッドデータブックの絶滅危惧種であるルリモンハナバチが8月21日、舞鶴市内で初めて採集・記録された。瑠璃色の美しい斑紋を持ち、「幸せを呼ぶ青い蜂」として知られている。
 ルリモンハナバチはミツバチ科で体長13〜14センチ。本州や四国、九州、朝鮮半島、中国などに分布し、夏から秋にかけて現れる。宿主が餌として確保したものを食べる「労働寄生」をするが、生態の詳細は不明。京都府内では1970年代に京都市内で記録された後は、2014年に同市と京丹後市のみで目撃されただけだった。
 14年9月2日、余部下の自転車道脇に咲いていたアキノタムラソウの花にいたハチを、環境省自然公園指導員の山口裕さんが撮影し、後日調べるとルリモンハナバチであることがわかった。
 今年8月12日、山口さんは再び同じ場所でこのハチがいたのを確認し、連絡を受けた市内のアマチュア昆虫研究家の黒田悠三さんが8月21日、ルリモンハナバチ1匹を採集した。
 山口さんは「青い不思議なハチだなと思った。同じ場所で見つけてびっくりした」、黒田さんは「舞鶴がいかに自然に恵まれた環境であるかを感じ、自然保護や生物多様性の大切さを理解するきっかけになれば」と話している。

写真=瑠璃色の美しい斑紋を持つルリモンハナバチ(2015年8月12日、山口裕さん撮影)



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