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2013年2月26日

自閉症への理解 映画で深めて
つなサポ 赤アさん監督作品「ちづる」上映会
妹を撮影したドキュメンタリー
3月3日、マイコム・スペースTで

 大学生だった赤ア正和さん=千葉県在住=が監督したドキュメンタリー映画「ちづる」の上映会が3月3日、浜のマイコム・スペースTで開かれる。自閉症の妹の千鶴さんと母を1年間撮影し、カメラを通じて家族と対話した優しくみずみずしい物語として、高い評価を受けている。つなサポ運営委員会が主催する。来場を呼びかけている。
 立教大学在籍中に赤アさんが自身の卒業制作として企画。重度の知的障害と自閉症を持つ妹のことを、どう言葉で伝えていいのかわからず、思いついたのが映像にすることだった。最も身近な存在の妹に正面から向き合ってこなかったが、撮影を終えた後には家族との新しい関係を築きあげていることに気づいた。制作者の成長も映像に刻まれている。
 自閉症は先天的な脳の機能障害。人とのコミュニケーションがうまくとれなかったり、周囲の雰囲気を察して行動ができない、同じ行動や動作を繰り返す、特定の物や場所に強くこだわるなどの特徴がある。
 同委員会は2010年に5団体が連携しようと結成。各団体は障害を持つ子供や大人たちの支援、相談活動、余暇活動などをする。同委員会は障害児者とその家族を知ってもらおうと、多くの人がつながるイベントの開催や情報の発信をしている。
 同委員会事務局の橋本伸子さんは「自閉症について知っている人はあまりいません。ぜひ映画を観て理解してほしい」と話している。上映は@午前10時半A午後1時半。定員は各回100人。前売りチケットは1,000円(当日300円増し)。高校生以下無料。【問い合わせ】電話090・8794・9869、橋本さん

写真=自閉症の千鶴さん((c)CopyRight:2011「ちづる」上映委員会)



抑留の記憶 水彩画で伝える
ロシア人とのふれあいユーモラスに
木内さん、引揚記念館に寄贈

 漫画川柳作家の木内信夫さん(89)=千葉県柏市=が自らのシベリア抑留体験を描いた水彩画(A5判)66点が、平の引揚記念館に寄贈された。収容所で日本兵とロシア兵が相撲をとる様子など、過酷な抑留生活だけではなかった、現地の人たちとの人間らしいふれあいの日々が、ユーモラスなタッチで描かれている。
 旧満州で陸軍航空隊兵だったが、ウクライナのスラビヤンスク収容所で抑留生活を送り、れんが作り工場、建物の解体などの作業をし、1948年に舞鶴港に引き揚げた。
 帰国後、元々好きだった絵で息子たちに抑留体験を伝えようと、水彩画に描くようになった。抑留中に見たものは色から表情までを覚えている。抜群の記憶を活かし、劇団四季の公演「異国の丘」で舞台衣装の時代考証を担当した。
 また、長男の正人さん(49)=同=は父の絵と体験を広く発信しようと、1996年からホームページで「旧ソ連抑留画集」として公開している。同年には水彩画40点を同記念館に寄贈した。
 昨年同館の企画展で木内さんの絵が展示され、来館時に引き揚げ資料をユネスコの記憶遺産に登録する舞鶴市の取り組みを知って協力しようと、正人さんが水彩画の寄贈を申し出て、2人は同館を訪れ馬場俊一副市長に手渡した。
 工場で知り合った身長2メートルのロシア兵の肩に乗る日本兵、同じく抑留中のドイツ兵と楽器演奏を楽しむ様子、ヒマワリ畑で羊を追うロシアの少女、現地の女性から草刈を習って作業をする日本兵など、餓死や凍死に脅かされた抑留生活とは異なる日常を明るい眼差しでとらえている。
 木内さんは「つらいことばかりではなく楽しい思い出もたくさんあった。いまでも思い出して描けることはたくさんある。抑留の記憶を伝えることができ、天国の戦友に犬死じゃなかったといいたい」と話している。同館は木内さんの絵を公開する企画を検討する。

写真=「楽しい思い出もたくさんある」と話す木内さんと長男の正人さん






2013年2月22日

地元住民が送別会を企画
「瀬戸山さん、ありがとう」
志楽交番に5年間勤務
地域に溶け込み親しまれる

 地域住民に密着した活動に取り組み、2月末に定年退職する舞鶴警察署志楽交番勤務の瀬戸山定さん(60)に感謝の気持ちを伝えようと、志楽ダイヤモンド協議会が2月17日、浜のホテルマーレたかたで送別会を開いた。住民たち1人1人がお礼を述べ、瀬戸山さんも住民との垣根を取り払って地域に溶け込んだ思い出を語った。
 機動隊や警察学校など警備、教育部門を長く務めた後に、2008年から5年間、住居を備えた志楽交番に勤めた。3年目の終わりに転勤を打診されたが、残ることを希望して42年間の警察官人生を志楽で終えることにした。
 防犯推進委員や民生委員と連携し防犯パトロール、小学生たちの登下校の交通安全の見守り活動、様々な地域の行事や会合への参加、困りごとや相談を受け対応し、住民たちもその気さくな人柄に親しみを感じていた。
 送別会には同協議会や防犯委員ら約20人が出席し、ア山正美理事長が瀬戸山さんに感謝状と記念品を贈呈。参加者たちは思い出を語り、「志楽を忘れないで」と別れを惜しんだ。
 同協議会の福谷寿子さん(66)=安岡=は「きめ細かな心遣いや強い責任感を持ち、すぐ行動してくださいました。親しい友人のような方なので別れは寂しいです」と話していた。
 瀬戸山さんは「自分のほうから声をかけ、時には制服を脱いで住民と触れ合うことで、次第に皆さんに交番に立ち寄ってもらえるようになりました。志楽の地での仕事はやりがいがあり、楽しかった。送別会をしていただき光栄です。また舞鶴に来たい」と述べた。

写真=「ここでの仕事にやりがいを感じた」と住民たちに話す瀬戸山さん



俳句で原発と向き合う
地元、京阪神の俳人 高浜原発など吟行

 東日本大震災と福島原発事故後、短歌や小説など文芸の分野で被災地や原発に向き合う動きが生まれている。ここ若狭でも舞鶴や京阪神の俳人たちが、関西電力高浜原発などの吟行を企画し、それぞれの想いを作品へと表現した。
 事故から約2年を経過するが、俳句の世界では福島や避難生活などを詠む作品が発表され、注目を集めている。原発は避けては通れないテーマになっている。
 舞鶴在住の南うみをさんが所属する結社を越えた勉強会「醍醐会」(京都市)と「空の会」(大阪市)のメンバー約20人が2月16、17日、高浜吟行をした。内浦半島の道路わきから運転停止中の高浜原発の施設を静かに眺めてメモを取り、日引集落も歩き句の題材を探った。
 句会では200句が寄せられた。原発に関する作品は「原発を差し歯のごとく春山に」「熊眠る山のふもとに炉心冷ゆ」などが詠まれた。
 京都市から参加した滝川直広さん(45)。朝日新聞編集センターに勤務する記者だ。これまで原発を取材したことはなく現場を見ようと訪れた。ひなびた集落に巨大な施設がなぜ置かれたのか、来てみて実感としてわかったという。
 続けてこう話す。「原発のことは人ごとではない。でもノーというだけではだめだと思う。地元の人たちは雇用や経済面で原発に頼らざるをえない現実がある。それに代わる産業やエネルギーなどを考えないといけない」
 そして「今回のことを1つの足がかりにし、俳句なりの切り口で考えていきたい」と海からの強い風を受ける集落を歩いた。
 「俳句を通してどう向きあって表現するのか。原発を見たこともない俳人たちが、どのように受け止め考えるか、これからの出発点になった」と話す南さん。次のように詠んだ。
観音と原子炉を抱き芽吹山

写真=高浜原発を眺めメモを取る吟行参加者たち






2013年2月19日

3月1日〜3日はオール1,000円
舞I八千代館開業75周年
完全デジタル化で生まれ変わる
懐かしい映画のポスター展も

 浜の舞鶴八千代館が3台目のデジタル映写システムを導入し、3月2日から三スクリーン全てがデジタル館となる。映画のデジタル化に対応できず地方の多くの映画館が閉館する中で、映画館を地域に残そうと熱意を傾けている。今年は八千代館の開業から75周年。2月20日から映画ポスター展と同館の懐かしい写真で歩みを振り返り、3月1〜3日はファン感謝デーとして入場料を1,000円とする。
 八千代館は1938(昭和13)年に野村鎌太郎氏が創業。第1回の上映作はトーキー映画の「河内山宗俊」。1スクリーンで2階は畳敷きだった。このほかにも浜に旭座、中地区に旭キネマ、西地区に旭館を運営していたが、戦後順次閉館した。
 81年に現在の建物に建て替え2スクリーンに、2000年から3スクリーンとした。08年から「シマフィルム」(志摩敏樹代表)の運営に変わり、10年と11年にかけ2台の3Dデジタル映写機を入れた。
 1957(昭和32)年ごろには朝6時までオールナイトで上映し、入館者を京都市内の東映撮影所に招待して俳優らとの食事会のファンサービスも行った。DVDの普及などで観客が減少する中でも、アニメ映画を楽しみに開館時間前に並ぶ子供たち、観たい映画のため愛知県豊橋市などから訪れた熱心なファンもいた。
 ポスター展は、コレクターから借りた「ゴジラ」「日本沈没」「七人の侍」「戦場のメリークリスマス」など約50点を展示する。3月8日まで。
 支配人の野村正男さん(65)は「フィルムがなくなるのは少し寂しいが、時代の流れなのでしかたがない。お客さんからがんばってと声を掛けられたことが、映画館の火を守る一番の励みになった」と話している。
【問い合わせ】電話62・3583、同館

写真=1938年にオープンしたばかりの八千代館



歴史上の役割明らかに
市、最新の研究成果まとめ 幽斎の業績本にする

 舞鶴市が、初代田辺城城主の細川幽斎(1534〜1610年)の業績をまとめた本を完成させた。信長、秀吉、家康に仕えた幽斎の歴史上の役割、日本文化に秀でた文人、城下町のまちづくりなどに光を当て、研究者や市民たちが執筆している。今春から中学校で学習の教材にも役立てる。市役所などで市民にも販売している。
 市は2011年度に市民参加のワークショップを開き、続く12年度に熊本大学文学部附属永青文庫研究センターの稲葉継陽教授、市文化財保護委員の加藤晃さん、舞鶴山城研究会会長の廣瀬邦彦さん、田辺城ガイドの会会長の野々尾理一さんら5人の作成委員会が執筆した。総費用は480万円。
 本「細川幽斎と舞鶴」はA5版、176ページ。幽斎が天下統一に果たした意義、城下町づくりと検地などの政策、芸能や学芸活動など四章の構成で紹介している。信長から幽斎へあてた多くの書状や図版なども掲載、幽斎ゆかりの市内の地を示したマップも付けた。
 信長の天下統一への足がかりを幽斎がつくり、豊臣政権では文化を通じて諸大名と秀吉の関係をつなぎ、家康には室町幕府の伝統についての知識を使って将軍家の権威を高めることに力を貸すなど、権力者のブレーンとして影の立役者だったことを明らかにしている。
 稲葉さんは「熊本に残る多くの幽斎関係の資料研究と、舞鶴の地域史研究の成果の共同作業で完成しました。読みやすく読み応えのある内容となり、今後のまちづくりに活かしてほしい」、加藤さんは「幽斎の最先端の研究成果が紹介され、日本史の中での幽斎の位置と丹後での活動がくわしく分かります」と話していた。
 完成を記念し2月16日には、南田辺の西総合会館で執筆者らによるシンポジウムもあった。
 冊子は2000部作成し、千部はふるさと学習に活用する。定価は1冊1,000円。市役所情報公開コーナー、中央公民館、加佐分室などで販売している。

写真=多々見市長に本の完成を報告する稲葉さん






2013年2月15日

野原さんの歌声聴いて
美浜町のソプラノ歌手 舞鶴市民らの手作りコンサート
市商工観光センターで 3月16日 木声会と合唱も

 3年前にイタリア・フィレンツェから生まれ故郷の福井県美浜町に活動の拠点を移したソプラノ歌手、野原広子さんの歌声を聴いてほしいと、舞鶴市民たちがコンサートの準備に取り組んでいる。地元の合唱グループ「木声会」がゲスト出演し、海にちなんだ曲などを一緒に歌う。ピアニストの三ツ石潤司さんを伴奏者に迎え、3月16日午後2時から浜の市商工観光センターで開かれる。舞鶴市民新聞社など後援。
 京都市立堀川高校音楽科、東京藝術大学大学院で声楽を学び、1989年にウィーンを経てイタリアでオペラの研鑽を積んだ。92年にはV.Belliniコンクールで2位を受賞し、ヨーロッパ各地で出演した。帰国後も美浜町に在住しながらコンサート活動を続けている。
 野原さんの元で歌のレッスンを受ける市民が、その魅力を知ってほしいと実行委員会を組織して舞鶴で初のコンサートを企画。2部構成で1部は日本の歌、2部はイタリアの歌曲を解説しながら歌う。ピアニストで作曲家の三ツ石さんは、東京藝大で非常勤講師も務めている。
 市民でつくる木声会合唱団(山下弘団長)が協力して、「浜千鳥」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を野原さんと歌い上げる。1月から合同練習にも取り組み、野原さんが発音や気持ちと声を届けるようにと指導している。
 野原さんは「合唱団の皆さんと一緒に歌ってハーモニーを楽しみたい。聴く人と一体感を持てるコンサートを心がけており、舞鶴でも音楽を通じて仲良くなれれば」と話している。実行委員長の藤原知子さんは「野原さんの歌声から元気と感動を分かち合えるコンサートにしたい」と来場を呼びかけている。
 入場料は2,500円。チケットはカワイ舞鶴ショップ、ギフト館藤善東舞鶴店などで扱っている。
【問い合わせ】電話0770・32・3120、梶さん

写真=木声会メンバーと練習に取り組む野原さん(右端)



ジェルトロン普及で床ずれゼロへ
「パシフィックウェーブ」 2月19日にセミナー

 昨年の日本男子ゴルフツアー賞金王に輝いたプロゴルファー、藤田寛之さんも愛用するジェルトロンを開発した京田の「パシフィックウエーブ」(田中啓介社長)が、床ずれゼロに向けジェルトロンを使ったマットレスの普及に取り組んでいる。最新の床ずれ防止対策を知ってもらおうと、市民向けのセミナーを2月19日、南田辺の西総合会館で開く。
 ジェルトロンは宇宙船内用の衝撃緩衝材の研究開発から生まれ、素材はミネラルオイルとポリマーから成る。体圧分散性やねじれの吸収に優れている。同社はマットレスやクッションなど介護や睡眠用具などを開発・製造する。各地の在宅や福祉現場で床ずれ防止に利用されている。
 藤田プロは2007年から同社のジェルトロンまくらを利用し、転戦するツアーの宿泊でも常に持参し安眠を確保しており、同社とアドバイザー契約を結びPRにも務めている。藤田プロ専属キャディーがジェルトロンのキャディバッグ用ショルダーベルトを利用したことがきっかけで、いまでは多くのプロキャディが使用している。
 市内でも舞鶴赤十字病院や在宅でも徐々に利用が進むが、市のリーディング産業チャレンジファンドを受け、市民への認知度を高める取り組みも始めた。レンタルの介護用品としても扱われており、利用者は国や市などの補助金を受け貸与されるが、負担費用の110%も同社が後にキャッシュバックして利用しやすいようにする。
 田中社長は「ジェルトロンの床ずれ防止効果は、日本褥瘡(じょくそう)学会で治験データにより実証されています」と話している。セミナーは午後6時半〜同8時半。3月19日、4月18日も同会場で同時間に行う。入場無料。
【問い合わせ】電話75・8688、パシフィックウエーブ

写真=プロゴルファーの藤田寛之さんも愛用するジェルトロン(パシフィックウエーブ提供)






2013年2月12日

大事業の歴史刻む記念碑
東駅南側地主組合 駅周辺区画整理を後世へ
昭和から平成 南北の市街地を一体化

 JR東舞鶴駅南側の地主組合が、駅周辺地区の土地区画整理事業完成の証として制作した記念石碑が、南浜の「ドラッグユタカ東舞鶴駅前店」の駐車場隣接地に建てられている。24年間の大事業の歴史と、関わった人々を後世に伝えていくため、記念碑制作事業に約一年を費やし、約500万円をかけ設置された。
 記念碑は横幅2・4メートル×高さ1・87メートルの、インド産の「クンナム」という最高級黒御影石。中国産白御影石の台座の上に建てられている。耐久性が2000年あるとされるクンナムを使ったこれだけ大きな石碑は、全国でも珍しいという。昨年の12月25日に設置され、府や市と協議を重ね、事実を明記した内容の文面などが記されている。
 明治37年に軍港引込線として新舞鶴駅(現・東舞鶴駅)から余部まで、貨物や乗客を運んでいた中舞I線が昭和47年に廃止されるまで、東舞鶴駅は中舞I方面や小浜方面への貨物経由の分岐点となっていた。
 浜地区の商店街がある北側は乗客の出入り口で、森・行永・倉梯地区がある南側は、貨物ヤードがあり、その周辺には田畑が広がっていた。同55年に貨物の取扱いは廃止されたが、ヤード跡地は未利用のままだった。
 戦中から戦後にかけて強制疎開などもあり、南側へ北側や市外からの移住者が増え始め、同46年に白鳥団地、同47年に芥子谷団地など、山裾に複数の市営団地が建設され始めると、南側の人口は急激に増加した。
 それに伴い、道路整備も進められたが、南北間の移動には、1日に200回近く遮断される鉄道の踏切遮断機を通過しなければならず、勤務先や商店街への買い物などで年々大渋滞を招くようになり、都市生活に支障を来たしていた。
 この状況を改善し、南北の市街地の一体化と、効率良い土地利用をするために、当時の地主組合が、国、府、市、JRに同意を求め、総面積約21・5ヘクタール、総費用約250億円の土地区画整理と連続立体交差事業の話を本格的に進め始めた。
 昭和60年に区画と街路計画がまとまり、同61年に準備事務所が森に設立された。同62年、国鉄がJRとなり、同事業は、地方都市中心市街地活性化計画モデル対象都市に認定された。
 平成元年にJR東舞鶴駅周辺整備事業・都市計画が決定し、事業は同2年度から開始。同八年に駅付近が高架され、同10年に高架下道路が開通し、府が請け負った連続立体交差事業が完成した。同11年にJR舞I線が電化。同21年に土地区画整理事業も竣工し、清算期間五年を含んだ事業は同25年度に終了する。


写真=ドラッグユタカ東舞鶴駅前店の駐車場隣接地に建てられた石碑



特集「人物館」より

ニャンドゥティ伝えたい
パラグアイ出身
秋栗(あきぐり) マキさん
舞Iで繋がった糸





 南米のパラグアイで生まれ、永住権を取得して日本に住んで17年目。その大半を舞Iで過ごし、人との繋がりが増える中、母国の伝統手芸品「ニャンドゥティ」や、クラシックハープに似た民族楽器「アルパ」を、舞Iの人たちにも知ってもらいたいと思い始めた。
「舞Iで初めて働いた工場は、差別もなく、みんな優しくしてくれて仕事も楽しかった」。14年間、日本板硝子の下請け工場でガラス検査の仕事をしていた。ほとんど話せなかった日本語は、学校には通わず、工場の仕事で接する周りの人たちとの交流の中で覚えていった。
 パラグアイに家族で移住した日本人の母が、パラグアイ人の父と結婚。母親の家族は離ればなれになり、母方の祖母を捜すため、19歳で母国を離れ日本へ来た。クリーニング工場の求人を頼りに、母と2人で島根県に移り住む。半年後、父と弟も来日。仕事が無くなり、母方の叔父のいる滋賀県へ4人で移り、次の年にガラス工場の求人をみつけて一人で舞Iにやって来た。
 数年後から姉を含めた家族5人が揃い、10年程舞Iで暮らしていた時期もある。弟の竹辺エイジさんは、今も舞Iでフットサルの指導やスポーツバーの経営などを続けている。「舞Iでフットサルを続けている弟を誇りに思います」
 現在は、赤れんがパーク5号棟で開催中の「種は船ドキュメント展」で、受付などのアルバイトをしている。イベント関係者や展示物とのふれあい、5号棟のアンテナショップ「舞I巧芸」や「アトリエ海(うみ)」の出店者らとの交流の中で、自身も挑戦してみたかった母国の伝統手芸や音楽を伝えたい思いが溢れてきた。
 「工場の仕事が多かったので、こんなにいろいろな仕事をしている人たちと出会える場もあることを初めて知った。一つのきっかけで生まれた繋がりを活かしたい」
 東京でニャンドゥティ教室を開く、パラグアイ人の岩谷みえエレナさんを舞Iに招待し、新たな繋がりの扉が開くことに胸を膨らませている。
 パラグアイの伝統手芸品「ニャンドゥティ」に興味のある方は、【問い合わせ】電話080・1446・0228、秋栗さんまで。

【プロフィール】1977年生まれ。パラグアイ・首都アスンシオン出身。1997年から舞Iに居住。スペイン語、ポルトガル語、日本語が話せる。現在はアルバイトと、9歳の娘と4歳の息子の子育てに奮闘中。泉源寺。

写真右=ニャンドゥティ:グアラニー語で「蜘蛛の巣」という意味の、極細の糸を使った細かい刺繍の手芸品。小さな敷物からワンピースまで製作できる。(岩谷みえエレナさん提供)






2013年2月8日

散策のガイドブック完成
東ロータリークラブ
見所もたくさん!27コース収録
4月1日から希望者に無料配布

 実業家たちでつくる社会奉仕団体「舞鶴東ロータリークラブ」(佐藤良樹会長、会員40人)が、市内のハイキングに役立ててもらおうと、27の散策コースをまとめたガイドブック「舞鶴の道・山」を完成させた。巡礼の古道や舞鶴湾沿いを巡る道、志楽地区を歩くコースなど、マップと解説などを付けて紹介している。希望者には4月1日から無料で配布する。
 舞鶴の歴史や自然などの地域資源を歩きながら見直してもらおうと企画し、クラブ内のジョギング同好会やボーイスカウト舞鶴第5団OBらの協力で、昨年4月から今年1月にかけて実際に踏査。地元の人から案内を受け、地域の伝承や道端にある石碑の由来などを聞き取りもした。
 ガイドブックはA6版、150ページ。最短で5キロ、最長30キロの27の初級〜上級コースを紹介した。与保呂川沿いの桜街道、松尾寺への巡礼道、白鳥峠から吉坂峠までの若狭街道、由良川流域から河口の神崎、建部山周辺などを収録する。
 ルートの説明だけでなく、松島橋たもとの石塔や蛇切岩伝説、杉山集落の神社、志楽地区の山城跡、城下町の歴史、由良が岳の仁王岩などの見所も多数の写真を使って解説している。
 国際ロータリー第2650地区から50万円の補助を受け、総費用150万円で千部作成した。500部は幼稚園、小・中・高校、近畿地区のロータリークラブなどに配布し、残り500部を希望者に渡す。
 佐藤会長は「学校や団体などの地域行事やレクリエーションに活用してもらい、舞鶴の再発見をしてもらえれば」と話している。  ガイドブックの問い合わせは浜の市商工観光センター内の同クラブ事務所(電話64・6906)へ。

写真=ガイドブックを手にする佐藤会長(中央)と会員たち



村コン in まいづる屋台村
2月24日、中央酒場で新しい出会いを

 浜の八島商店街の「まいづる屋台村 中央酒場」で、2月24日の午後6時から同9時、「村コン―まいづる屋台村カップリングパーティー―」が開催される。同屋台村が企画し運営する。参加者を募集している。
 昭和レトロな雰囲気の屋台村内を開放して行うカジュアルなパーティーで、初対面の男女ができるだけ多く会話できるよう、グループで参加する人の席もバラバラにし、ゲーム、イベントなども盛り込み、席替えをしながら交流を深めてもらう。司会に落語家・桂雀々さんの専属ライター・柱丸々さんと、フリーの女性アナウンサーを招いて進行する。最後に気に入った人を紙に書いて提出する。
 参加資格は20歳以上の独身男女で、居住地の制限はなし。募集人数は男性50人、女性50人。参加費は男性8,000円、女性2,000円。
 参加者同士がコミュニケーションできるように、アルコールとソフトドリンクは、ドリンクバー形式で3時間飲み放題。食事は各店舗から2〜3品ずつ提供されたバイキング形式の食べ放題。
 当日券はなしで、前売り券のみ。屋台村の各店舗で販売している。売り切れ次第終了。問い合わせは電話64・5050、まいづる屋台村、または各店舗まで。

写真=イベントのポスター






2013年2月5日

由良川の歴史ロマン一冊に
あやべ市民新聞社 「タカラガイの壷」発刊
本紙にも17年間掲載
「由良川考古学散歩」から選抜

 本紙で17年間にわたり連載した歴史随筆「由良川考古学散歩」が単行本になった。全200編の中から48編を選抜したもので、タイトルは「タカラガイの壷」。舞鶴市を含む由良川流域の数々の古代遺跡にふれながら、普遍的な歴史の夢やロマンも楽しめる1冊。あやべ市民新聞社から1日に発刊され、舞鶴市民新聞社の窓口で購入できる。B6判、153ページ、ソフトカバーで、定価1,260円。
 「由良川考古学散歩」は、中丹3市で古代遺跡の発掘調査に携わる専門職員らが交代で執筆した全200編。
 1994(平成6)〜2010(同22)年の17年間、舞鶴市民新聞、あやべ市民新聞、両丹日日新聞の3紙で連載したところ、古里の先人たちが暮らした時代に思いを馳せながら綴った軽妙な筆致で、当時から好評を得ていた。
 本書は、綾部市資料館の近澤豊明さんの作品の中から48編を選抜し、出版のために再編集。南海産の貝「タカラガイ」が日本海側の北近畿の遺跡から出土する不思議や、先人たちの交流の広さを表現して「タカラガイの壷」のタイトルにした。
 舞鶴関連では、タイトルにも使われた「タカラガイ」が見つかった「志高遺跡」をはじめ、「浦入遺跡」「中山城跡」「桑飼下遺跡」などが登場。遺構や出土品にまつわるエピソードや、そこからヒントを得た筆者の随想などが多数収録されている。
 2千部の限定出版で、増刷はしない。発刊前から多数の予約もあり、残り1千冊余り。
 購入方法など詳しい問い合わせは、舞鶴市民新聞社電話78・2055、またはあやべ市民新聞社電話0773・42・1125へ。

写真=舞鶴の遺跡も紹介した本「タカラガイの壷」



吉兆の使者!?全身真っ白のナマコ
舞鶴湾で見つかる 京大水産実験所で飼育
研究者たちもびっくり!

 舞鶴湾内で全身が真っ白なナマコが捕獲され、長浜の京都大学舞鶴水産実験所で飼育されている。研究者たちも「部分的に白いナマコは時々見られるが、全身が白いナマコは初めて」と観察を続けている。
 ナマコの仲間のマナマコで体長は約15センチ。突然変異で体に色素が現れないアルビノ(白化)と見られる。1月29日、漁業者が西湾でけた曳きで捕まえ、府漁業協同組合舞鶴支所を通じて実験所に持ち込まれた。前日の28日にも別の漁業者が潜水漁で獲り、宮津市の丹後魚っ知館に譲られた。
 実験所の研究者たちは「こんなに真っ白なのは珍しい。まるでシリコンのよう」と話題にしている。瀬戸内海では白いナマコが「幸せを呼ぶ」「縁起がいい」と珍重されており、2日連続の吉兆の使者かも!?

写真=体長約15センチの全身が白いナマコ






2013年2月1日

京都選抜チームでプレー
3月に開会 全国中学生ソフトボール大会
「マリンガール」の藤原さん
パワフルな打撃持ち味に

 舞鶴女子ソフトボールクラブの中学部「マリンガール」(鈴木次郎総監督)に所属する藤原麻由選手(白糸中1年)=溝尻=が、3月に開かれる全国都道府県対抗中学生ソフトボール大会に、京都選抜チームのメンバーとして出場する。キャッチャーとショートをこなし、長打力を持っている。日本一を目指し練習に励んでいる。
 ちびっ子ソフトボールを体験して、小学3年生から小学部のマリンガール・キッズに入部した。投手や内野、捕手とオールマイティーな選手で、強肩、俊足、パワフルな打撃で中軸をまかされてきた。
 小6の時、全京都大会で準優勝だった悔しさから上を目指そうと決意し、さらに厳しい練習に取り組むようになった。中学校のクラブには所属せず、マリンガールでは中学生が2人しかいないため、鈴木総監督(73)が所属する一般男子のチームに混じって試合や練習に参加している。大人たちのボールを相手に打ち、捕球することで打撃とキャッチングも向上している。
 昨年10月にあった府選抜チームの選考会に臨み、府北部からただ1人だけ選出された。京都選抜チームの監督は、シドニー五輪で銀メダルに輝いたメンバーの田本博子さんが務めている。
 藤原さんは「選抜チームに選ばれうれしい。チームの目標である日本一に向け全力でプレーをしたい。将来は1部リーグのチームに入り、日本代表として世界でもプレーしたい」と話している。鈴木総監督は「基本を重視した確実性のある選手。全国大会で自分の力を発揮してほしい」と励ましている。
 大会は3月23日〜26日、三重県熊野市で開かれる。

写真=男子社会人の試合にも出場する藤原さん



岡田さん、的場さんに感謝状
溝尻中町の火災で消火と救助

 民家の火災で早期発見と初期消火・避難誘導を行った、溝尻中町の主婦、岡田安香さん(34)と、同、無職、的場正雄さん(60)に1月29日、浜の東消防署で感謝状が贈呈された。
 昨年12月31日の午前10時49分頃、同所に自転車で帰宅途中の岡田さんが、民家から煙が上がっているのを発見。通り過ぎようとしたが、心配になり家の中を確かめると火災報知器が鳴っており、気付いていなかった住民女性(85)に声をかけ、外に避難させた。
 その時偶然、姉を見送るため外に出ていた隣家の的場さんが、岡田さんから事情を聞き、すぐに119番通報。自宅のバケツで、居間の燃えている仏壇へ初期消火を始めた。一度目で3分の1程度燃えていた仏壇の火は鎮火していたが、30秒後の2度目の消火時には再び炎上し、仏壇全体を真っ赤に覆っていた。天井まで炎が上がっていたが、あきらめずに消火を続け鎮火させた。
 隣への被害はなく、57平方メートルの家屋の9.975平方メートルを焼く部分焼に押さえた。出火原因は特定されていない。
 2人は千坂守東消防署長から感謝状を受け取った。岡田さんは「戻って確認した時は頭が真っ白になっていましたが、助けなければという気持ちで動いて、本当に良かったです」と話し、的場さんは「岡田さんに出会ったタイミングがもの凄い偶然で、奇跡のよう。もう少し遅かったらと思うと、消火できて良かったです」と話していた。

写真=火災現場の様子を語る岡田さん(右)と的場さん






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