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2012年11月30日

多門院地区の老人会、住民ら
地域のいこいの場に整備
集落の中心地で桜の広場づくり
子供たちと一緒に夢膨らます

 祖母谷川をさかのぼった谷あいに位置する多門院地区(55世帯)で、歴史的に集落の中心地とされる場所を、地域のいこいの場にする取り組みが進められている。老人会の「長生会」のメンバーたちが協力してつる草などに覆われた空き地を整備し、子供たちに呼びかけ、11月25日、ソメイヨシノ12本を植樹した。住民たちは美しい桜の広場にと夢を膨らませている。  古代のころ、丹後風土記に記載されている天蔵(あまくら)社がこの場所にあり、梯(橋)をのぼって参る高梯郷(たかはしごう)の中心地と合致していると伝えられている。高床式で荘大な規模を誇ったといわれる天蔵神社はその後、近くの山に移転しいまも残っている。  住民たちが公園づくりをする場所は、昔の地名の名残をとどめるハシキ林と呼ばれている。2003年に開通した舞鶴自動車道の舞鶴東インターから小浜間の工事に合わせ、ハシキ林の土が採取された。山を削った後は3段の平地ができあがったが、災害時の避難場所を兼ねた住民たちの集いの場にしようと取り組みを開始した。  一番下の広場はゲートボール場に整備し、昨年にはしだれ桜9本を植えた。今年は真ん中の平地を長生会の会員たちが、重機などを使って草刈りをして広場とし、舞鶴市緑化推進委員会の緑の募金を活用してソメイヨシノの苗木を子供たちと一緒に植えた。来年以降も桜の植樹を続けることにしている。  長生会会長の榎与一さん(77)は「子供たちには植樹を思い出にしてもらい、ふるさとの大切さを考えるきっかけにしてほしい。来年、花を咲かせてくれればお花見をやりたい」と話している。今後も住民たちで手入れを続け、地域の桜の名所づくりに励む。

写真=ソメイヨシノの苗木を植える子供たち



厚生労働大臣表彰受賞
電話相談、訪問活動で支援
認知症の人の家族を援助する会

 「認知症の人の家族を援助する会」(隅垣道子代表、会員9人)が、電話相談や家庭訪問を28年間続けるボランティア活動で、このほど厚生労働大臣表彰を受賞した。結成当初は認知症の相談機関もなく、先駆け的な活動として功績が評価された。  認知症の母親を持つメンバーの1人が、京都市内で認知症の家族を支援する団体があることを知って、昭和58年に設立した。メンバーには主婦や介護職員、生活相談員もいる。当初は余部上の社会福祉会館に事務所を置き、電話相談を受け付け、家庭を訪問する活動を実施。必要に応じて医師ら専門職からのアドバイスも受けた。  認知症の理解が深まり、市内各地に支援センターもできるようになり、電話相談と訪問活動は少なくなっているが、地域の人たちから直接相談を受けることもある。府中丹東保健所の水谷直弘次長から同表彰の伝達を受けた。  隅垣さんは「いまは制度や施設ができ、その橋渡しの役割をしています。話を聞いてもらえてうれしかったという言葉が私たちの活動の大きな支えです。今後も自然体で続けたい」と話している。相談の電話は63・2086、同援助する会。

写真=厚生労働大臣表彰を受けた同会のメンバーたち



2012年11月27日

雄大さ 筆に込め
佐久市の全国臨書展 第1回天来賞受ける
東高教員・前田さん 「評価されうれしい」

 「現代書道の父」といわれる比田井(ひだい)天来(てんらい)(1872―1939)の生誕140周年を記念して、長野県佐久市が設けた第1回の全国臨書展・一般の部で、東舞鶴高校の書道教員、前田智さん(43)=安岡=が最優秀賞の比田井天来賞を受賞した。中国古典の中から「龍敬」の文字を選び、手本を見ながら書く臨書でありながら、雄大さを強調する個性を筆に込めた。  佐久市生まれの天来は漢字や哲学を学び、古典を基本にした書法を追求し、生涯を書の研究に費やした。弟子たちには手本を書かず、自分の書を真似ないように指導し、その結果、弟子たちは自らの書風を確立し新しい書の表現が生まれたことで、現代書道の先駆けとして評価されている。  初の佐久全国臨書展は、中国や日本の古典の臨書を課題に、著名な書家たちが審査員を務めた。一般の部には各地から521点の応募があり、天来賞には3人が輝いた。  舞鶴書道連盟会員でもある前田さんは、毎日書道展で公募部門最高の毎日賞、最大の会員を数える創玄書道会の創玄展で大賞を受賞した経歴を持つ。公募展には創作の作品を書くことが多く、臨書は勉強のため書くことをもっぱらとしている。今回は中国・北魏の時代に洞の壁に造られた弥勒像の碑文「鄭長猷(ていちょうゆう)造像記」の中から、字の形の面白さとチャーミングな表情を感じた「龍敬」の2文字を全紙に書いた。  前田さんは「にじみとかすれの線で一体感を出し、少し大胆に書こうと試み、それが評価されてうれしい」と話している。12月2日まで佐久市立近代美術館に展示されている。

写真=出品した「龍敬」の書と前田さん



レンタルスペースの町家完成
「宰嘉庵」12月2日オープン 記念の写真展コンサートも

 市民グループ「KOKIN」(大滝雄介代表、20人)が進める、国道175号沿いの平野屋にある舞鶴町屋「宰嘉庵(さいかあん)」の改修工事がほぼ完成し、12月2日にオープンする。これまでの作業の様子を撮影した写真展やミニコンサートを行う。ギャラリーや教室などレンタルスペースとして利用を呼びかけている。  城下町の魅力を発掘し地域の活性化を図ろうと、明治初期に建てられた木造2階建ての町屋を活用することにし、自己資金と府補助金の300万円を使って改修し、運営を担うことにした。  ワークショップ形式の改修作業は8月から6回実施し、大工や会社員ら延べ64人が参加。岡田地区の赤岩山で土を採取して漆喰を混ぜて壁土を塗り、玄関の土間は土に石灰などを混ぜて人力で固めた三和土(たたき)に仕上げ、アルミサッシは木製建具に取り替えた。  オープンは午前10時から。午後5時から市民たちがジャスを演奏する。大滝さんは「昭和の感じが出て、かっこよく出来上がった。こうした町屋は舞鶴にまだまだあるので、掘り起こしていきたい」と話している。  土間と座敷などがスペースT(6畳、4畳半)、奥の和室がスペースU(同)。レンタル料は一つのスペースが半日1,000円、一日2,500円。利用時間は午前9時〜正午、午後1時〜同5時、同6時〜同10時。予約は矢野さん(電話090・7362・1561)。

写真=壁土を自分たちで塗った室内



2012年11月24日

全国大会の陸上競技で金と銅
支援学校高等部2年 齋藤さん 障害者スポーツの祭典で
50メートル走と400メートルリレーで活躍

 府立舞I支援学校高等部2年の齋藤翔太さん(17)が、岐阜市の長良川競技場などで開催された「第12回全国障害者スポーツ大会・ぎふ清流大会」に出場し、陸上競技50メートル走で金メダル、400メートルリレーで銅メダルを獲得した。国内最大の障害者スポーツの祭典で、全国の高校生から高齢者までの5400人が参加。正式競技13競技とオープン競技3競技が行われた。同校からは齋藤さんのみが出場し、2つのメダルを獲る活躍をみせた。  齋藤さんは白糸中在学時は卓球部に入り、現在はソフトボール部に所属している。同校の卒業生で兄の貴佳さん(20)も一昨年の同大会に出場し、リレーで銀メダルを獲った経験を持つ。そんな貴佳さんから「挑戦してみては」と背中を押され、出場を決意。1年生だった昨年の京都府大会で好成績をあげ、全国大会出場への切符を掴んだ。  今年の6月から5カ月間、丹波自然運動公園陸上競技場などで行われた、京都府選手団の強化合宿に毎週参加して練習に励んだ。  先月に行われた大会当日は、1日目に50メートル走に出場し、6秒75のタイムで優勝。つづく2日目は200メートル走に出場したが惜しくも4位に終わった。その時のとても悔しかった気持ちをバネに、必ず挽回すると思い挑んだ3日目の400メートルリレーでは、第1走者を走り51秒42のタイムでチームを3位に導いた。  齋藤さんは「暑い真夏の練習はつらかったけど、友達も出来て楽しかった。家族はすごいと言ってくれているので、来年も京都府大会に出場して、自分の記録を伸ばしたい」と喜びを表していた。京都府大会の規定では、たくさんの人が全国大会に出場できるように、1人が1度しか出場できないことになっている。齋藤さん兄弟はともに出場しメダルを獲得した。

写真=全国大会の陸上競技で2つのメダルを獲得した齋藤翔太さん



体力づくりと強い心育む
志楽幼稚園マラソン大会
園児たち元気よく完走

 田中町の志楽幼稚園(常塚義一園長、園児111人)がこのほど、近くの新川そばの農道でマラソン大会を実施した。毎朝、園のグラウンドを走っている園児たちは、その成果を精一杯披露して完走した。  体力づくりと強い心を育もうと、一昨年から全園児が1周88メートルのグラウンドを走るようになった。年長組で20周、年中組10周、年少組5周で、3年間走ると総距離は約375キロになる。  マラソン大会は昨年から実施している。年長組からつくし組(満3歳)までの組別に、農道で1000メートル〜200メートルまでのコースを設定した。沿道で保護者たちの応援を受け、園児たちは元気よくゴールを目指して走った。  5分13秒のタイムで1位になった年長組の岡見優斗君(6)は「ちょっとしんどかったけど、楽しく走れた。1位になれてうれしい」と話していた。

写真=毎朝のランニングの成果を見せる園児たち



2012年11月20日

木の実、落ち葉贈る
由良川小児童 みどりの宅配便に協力
野外活動制限の福島の子らへ

 福島第一原発事故によって放出された放射性物質の影響で、野外活動が制限されている福島の子供たちに、工作などに使ってもらおうと、丸田の由良川小学校(山口正裕校長、児童87人)が、「福島っ子みどりの宅配便」に協力し、木の実と落ち葉を拾って持ち寄る活動に取り組んでいる。イチョウなど紅葉して色づいた落ち葉を集め、全員で押し葉にして贈る。  福島では放射線量が高く、野外での体験や自然に触れる活動ができない地域もある。秋は落ちた木の実や木の葉を拾って、お面や工作など作品づくりに活用している幼稚園や小学校が多いが、その活動もできずにいる。  そのため財団法人福島県都市公園・緑化協会が、ホームページなどを通じて学校や地域での体験活動に使う落ち葉などの提供を呼びかけた。昨年、被災地の学校へ万華鏡を作って贈った由良川小の児童たちが、今年はこの活動に取り組むことにした。  今月13日から活動を開始し、神崎などに出かけドングリや松ボックリを拾ったり、自宅周辺でも落ち葉を集めた。また、学校内でも最近の冷え込みで色づきだしたイチョウやハナミズキ、モミジなども集め、新聞紙にはさんで押し葉を作成した。  児童会会長の和泉涼花さん(6年)は「福島の子供たちは外で遊べないので、自然の恵みが豊かな由良川小の落ち葉などを使って、好きなものを作ってほしい」と話していた。ダンボール五箱分を集め11月29日に発送し、同協会を通じて学校に届けられる。

写真=イチョウの落ち葉を拾い集める児童たち



手作りドレッシングが評判
ほのぼの屋10周年記念 糸井シェフ3種類考案
無添加で新鮮なものを

 オープンから10周年を迎えた大波下のカフェレストラン「ほのぼの屋」が、記念のオリジナル商品第2弾をこのほど完成させた。シェフの糸井和夫さんが3種類の手作りドレッシングを考案した。舞鶴特産の万願寺甘とうを素材に使ったり、店でも提供しているドレッシングなどを製品化して販売している。  社会福祉法人まいづる福祉会が運営するほのぼの屋は2002年に開設、障害を持つ人たちが接客やクリーニングなどの仕事に励み、人気レストランとして市内外から多くの人が利用する。10周年を記念し糸井さんのレシピで、イセエビのスープなど五種類のクッキーを販売した。  第2弾はドレッシング。1つは京の伝統野菜の万願寺甘とうを利用した。まいづる作業所の障害者たちが育てるものも使い、甘味を出すため炒め、隠し味にパプリカなどを入れる。苦味を少し残しつつ食べやすいマイルドな味になった。  2つ目はリンゴとニンジン味。レストランの料理に使っており、来店者から「売ってほしい」との要望がある定番のドレッシングで、風味豊かな味わい。3つ目はトマト味でほどよい甘味がある。  3品ともサラダや冷たいパスタ、焼き魚などにも合う。着色料と保存料を使わず、新鮮なものを届けるため、まとまった注文を受けた後に製造している。障害者たちもびん詰めやラベル貼りなどに関わる。  糸井さんは「無添加で全て手作り。万願寺甘とうの味は珍しいと評判です。レストランの味を家でも楽しんでほしい」と話している。1本240ミリリットル入りで500円。同店(電話66・7711)で販売中。作業所の冬の物品販売のカタログにも載せている。

写真=販売しているトマト味などのドレッシング



2012年11月16日

被災地へ本贈ろう
舞中8 図書館プロジェクトに協力
生徒ら アルミ缶回収で購入資金

 市内の7つの中学校、舞鶴支援学校中等部と分校の生徒たちが、昨年に引き続き東日本大震災の被災地支援に取り組んでいる。被災地の仮設住宅で図書館づくりをするプロジェクトに協力するため、各学校で回収したアルミ缶の収益金を元に本を購入し、メッセージとしおりとともに12月上旬ごろに贈ることにしている。  昨年、「舞中8〜絆プロジェクト」を立ち上げ、全校生徒で募金と折り鶴づくりに取り組み、宮城県名取市の中学校へ送った。今年は8月の舞鶴市中学生の集いで、青葉中の生徒が「みんなの図書館プロジェクト」への参加を提案した。  図書館プロジェクトは、一般社団法人みんなのとしょかん(栃木県足利市)が主体となり、地域コミュニティーをつくる場として図書館を設置し、本の贈呈をはじめ運営もサポートする。石巻市や南相馬市などの中学校や集会所、仮設住宅に開設している。  伊佐津の西駅交流センターで各学校の生徒13人と教諭らが集まり、11月12日現在で回収したアルミ缶は約2万8千個で350キロ、収益金は2万4,500円になったことが報告された。  続いて本のカタログから生徒たちがあさのあつこさんの小説、歴史マンガ、絵本、図鑑など、寄贈する本をリストアップ。今月末までにメッセージとしおりを作成することを話し合った。  提案した青葉中3年の帯刀可菜さんは「自分が引き込まれた武士道シックスティーンを候補に推しましたが、いろんなジャンルから多くの本が上がりました。被災地の中学生たちに思いが届き、少しでも元気になってもらえればうれしい」と話している。

写真=贈る本のリストアップをする中学生たち



自分にできる支援で継続を
NPO難民を助ける会 野際さん、中高生・市民へ被災地報告
障害者の死亡率は健常者の2倍も

 東日本大震災の被災地で支援に取り組むNPO法人難民を助ける会の東北事務所長の野際紗綾子さんがこのほど来鶴し、日星高校と青葉中学校の生徒、市民たちに活動報告をした。  被災地でボランティア活動などをした日星高校で、野際さんは震災時、耳が聞こえずに避難が遅れたケースを紹介し、障害者の死亡率は健常者の2倍に上ったと指摘した。  原発事故の影響のある福島では、障害者が未来の計画を立てられない現状にあるとし、「今後何ができるか福島の人たちに寄り添って考えていきたい」と述べた。最後に支援イベントに参加するなど、生徒たちにもできる支援のあり方をアドバイスした。  看護科四年の岡本実紗さんは「現地ではボランティアの人手が足りず、私たち1人1人が関心を持ち続けることが大切とわかりました」と話していた。  市民向けのチャリティー報告会では来場者たちから12万円の募金が寄せられ、主催者から同助ける会に寄付された。

写真=活動を報告する野際さん(日星高で)



2012年11月13日

築百年の土蔵で展示
服部さん 村山さん 桑飼下の自宅で陶磁器200点
11月16〜18日 義士の道に合わせた湯飲みも

 佐賀県有田町から舞鶴に移住して作陶活動を続ける服部克哉さん(41)と村山朋子さん(33)夫妻が、11月16日〜18日、桑飼下の自宅と蔵で3回目のおひろめ展を開催する。築100年以上経過した土壁の蔵を初めて展示スペースとして開放し、同18日に地元である義士の道歴史ハイキングとタイアップした赤穂義士の湯飲みも作った。  服部さんは大学の陶芸部で活動し、綾部市出身の村山さんは陶芸家の両親の元で育った。薪窯が設置できる環境を求めて2009年に舞鶴の空き家に移り住み、耐火れんがを積み上げ、24時間で均一に焼きあがる西洋式の薪窯を完成させた。  服部さんが陶器、村山さんが磁器に取り組んでいる。今年は明治時代に建築され農具が収納されていた蔵を片付け、展示スペースとして活用するなどして、皿や茶碗、小鉢など日用品の約200点以上を並べる。  赤穂義士の1人である寺坂吉右衛門が、討ち入り後に豊岡にいた大石内蔵助の妻リクに報告すべく、途中に田辺領内に立ち寄り桑飼下地区を歩いたことにちなみ、加佐ふるさと塾が歴史ハイキングを実施する。このイベントに合わせて寺坂家などの家紋を入れた磁器の湯飲みを制作した。ハイキング参加者に限定して販売する。  2人は「今後も地元で1年に1度は作品展を続けていきたい」と話している。3日間とも午前10時〜午後5時。入場無料。
【問い合わせ】電話60・1096、服部さん。

写真=展示スペースとなる土壁の蔵の前に立つ服部さん(右)と村山さん



届け!みんなの「夢のまち」
支援学級・校の児童・生徒たち 第50回連合作品展
監修に「未来へ号」の遠藤さん
27校の作品 赤れんが彩る

 市立小中学校の特別支援学級と府立支援学校、ろう学校舞I分校の児童、生徒たちの美術作品を一同に集めた「連合作品展」(同実行委主催)が11月7日から9日、赤れんがパーク5号棟で行われた。想像力豊かな個性あふれる24の「夢のまち」と、約170点の絵画や書、「ふれあいレクリエーション」で揚げた約370枚の「夢の連凧」などが、赤れんが倉庫を華やかに彩った。平日の3日間で545人が訪れ鑑賞した。  毎年開催し50回目を迎えた今年は、監修に未来美術家の遠藤一郎さん(32)を迎え、「あったらいいな こんなまち」をテーマに自由な発想で話し合うワークショップなどを全27校で行った。一般社団法人torindo(まいづるRB事務局)が企画し、同実行委が初めて赤れんが倉庫での展示を提案。節目の年にふさわしいスケールの大きな作品展に仕上がった。  ろう学校出展のカラフルなトーテムポール2体が出迎える会場に入ると、遠藤さんが伸びていく木をイメージして作った、赤れんがにマッチしたライトオレンジに塗られた段ボールの道がそれぞれのまちへ繋がる。水中で魚と一緒に学校へ行ったり電車にも乗れる城北中の「水中ワンダーランド」。スイッチでメリーゴーランドが回転する支援学校小学部の「ゆめのふね」。  秋の木の実などで飾られた新舞鶴小の「げんきもりもり村」。しずかな地元のまちをにぎやかにしたい気持ちを込めて、動物園やお店をたくさん並べた大浦小の「明るい大浦の町」。広い野原に大きな川と、周りに水族館や植物園などがあり、作った感想文がそのままタイトルになっている由良川小の作品。  災害に強い海に浮かぶまちに放射能バリアーや自然発電などがつけられた、中学生の未来への希望が現実的に描かれた城南中の「ノーコストタウン」。使わなくなったビート板を切り、ペットボトルなどと組み合わせて高速道路や建物を作った中筋小の「あしたをつなぐ夢のまち」など、各学校で材料も工夫し、様々なアイデアが広がっていた。  昨年から何度も舞Iを訪れている遠藤さんは、「未来へ号」という黄色いバスで全国を回り、海外も含め様々な創作活動を行ってきた。会場に3日間滞在し作品展を見届け、「全く予想していなかった発想の作品が舞鶴の子供たちから生まれてきたので驚かされました。これまでに見たこともない、とてもとても大切な作品展になりました」と話していた。

写真=個性豊かな作品が並んだ赤れんがパーク5号棟



2012年11月9日

学生日本一に輝く
全日本大学卓球選手権
一条ク出身の上田選手 男子シングルスで初優勝
全日本チャンピオン破って

 一条クラブ(小畑喜生代表)出身の青森大学3年生、上田仁選手(21)が、第29回全日本大学総合卓球選手権大会・男子シングルスで初優勝した。全日本チャンピオンのタイトルを持つ吉村真晴選手(愛知工業大学1年)を決勝で破っての優勝だけに、舞鶴の卓球関係者たちがその活躍に祝福を送っている。  大会は10月25日〜28日、横浜市の横浜文化体育館で開催され、男子シングルスには223選手が出場した。上田選手は2回戦から登場し、決勝までの七試合において、ストレート勝ちか一ゲームしか落とさない安定したプレーを見せた。中でも決勝は、今年の全日本選手権男子シングルスで、ロンドン五輪に出場した水谷隼選手を破って優勝した吉村選手を4―1で降した。  上田選手は3歳から小学6年生の9年間、一条クラブで小畑代表から指導を受けた。最後の一本まであきらめない姿勢を身につけるため、小畑さんは練習を途中でストップして帰すこともあったという。卓球の名門である青森山田中学に進んだ当初は、厳しい練習についていけず居残りで練習もした。青森山田高校時代には、最大のライバルである松平健太選手を破り、全日本卓球選手権大会・ジュニアの部男子シングルスで2年連続優勝に輝いた。  今大会の優勝の報告を受けた小畑さんは「仁は人一倍努力ができる選手。1年1年逞しくなり、成長をしているのを実感している。また、どんなに強くなっても謙虚な姿勢は変わらない。チャンスをつかんでリオのオリンピックを目指してがんばってほしい」と話している。

写真=優勝カップなどを手にする上田選手(一条クラブ提供)



北都信金舞鶴中央支店
園児たちの作品で和やかに
キッズコーナーに展示

 円満寺の京都北都信用金庫舞I中央支店は、顧客満足活動の一環として、広い店内を活用し、ロビーの空きスペースに「キッズコーナー」を設置している。管轄地区の幼稚園、保育園の園児たちが作ったかわいい作品が壁面などに展示されている。今月末までは、三鶴幼稚園の園児たちが秋の風景を彩った作品を展示している。  今年の6月から、子ども連れのお客さんが手続きで待つ間、負担にならないようにと、以前はお客様相談所だった場所に子どもが遊べるスペースを設けた。支店職員が持ち寄った絵本や玩具なども置き、作業をしている職員からも子どもに目が届くように配置されている。  信用金庫からの声かけで、これまでに池内幼稚園や相愛保育園の作品がコーナーに展示された。お客さんからは、「店の中が明るくなった」という声があり、園児の親たちが作品を見に訪れることもあるという。  田中誠次長は「今後も地域の方が和やかな雰囲気の中で集える場所として、園児たちの作品などの展示を継続していきたい」としている。

写真=秋をイメージした三鶴幼稚園の作品



2012年11月6日

最高齢で現役の通訳ガイド
活躍する15人 1冊の本で紹介
ジョー岡田さんも掲載
平成の侍、不屈の歩み語る

 様々な分野で最高齢で現役として活躍するプロ15人を掲載した書籍がこのほど発行され、その中で、サムライショーで知られる通訳案内士のジョー岡田さん(83)=福来=が紹介されている。英語と通訳ガイドの仕事に出会ったきっかけや自己流で学んできた不屈の歩み、仕事への向き合い方などを熱く語っている。  書籍のタイトルは『最高齢プロフェッショナルの条件 これができれば、好きな仕事で一生食べていける!』(徳間書店)。106歳の教育学者のf地三郎さん、90歳の漫才師、内海桂子さんら、いまも仕事に打ち込む人をライターたちが取材した。  岡田さんが通訳ガイドを目指したのは、外国人観光客を相手にタクシー運転手をしていた27歳。京都ホテルで外国人を案内していた堂々とした態度の観光ガイドを見たことがきっかけだった。  旅行会社の運転手に転職し英語を学び、運転を担当した米国の会社社長夫妻に気に入られ、米国で働く機会を得て夜は大学で学び、帰国後、国家資格の通訳案内士の試験に合格した。  ガイドとして独立し、外国人観光客向けツアーの企画を立て、居合いを実演するなどのサムライショーは14年間に13万人を集客した。円高不況などで京都から舞鶴に移るが、何度も立ち上がり新たな挑戦を続ける。米国の武道家を居合いの弟子に受け入れ、空中リンゴ切りをギネス記録に登録し、81歳で中東のアブダビで1カ月間、企業通訳として働いた。  本の中で、「50年以上ガイドしてて、今日はしんどいと思ったことなんて1度もない。朝になれば、よっしゃあ、今日も行ったるで、お客さんをニコリとさせたるで」、「国に帰ってから『こんなガイドがおったで』と話をしてくれたら、幸せなこっちゃ。オレはそういう自己満足のために働いているんやと思う」と記されている。  岡田さんは「自分のやりたいことを続けた結果、いまがある。88歳までは現役で続けたい」と話している。10月も11日間かけ、米国人20人を北海道や東京などへ案内した。  本は四六判、250ページ。1,470円。書店で販売中。

写真=侍姿で本を手にする岡田さん



京フィルが指導
ドラムセットでビートを学ぶ
志楽小4年生 体を使った演奏に挑戦

 オープンスクールウィーク中の10月31日、小倉の志楽小学校(島和夫校長)で4年生55人を対象に、京都フィルハーモニー室内合奏団を招いての打楽器教室が開かれた。ドラムセットを使って、同団の越川雅之さんが講師を務め、4拍子のビートの説明や、体を楽器にして全員で演奏するボディーパーカッションを指導した。  合奏団員との音楽の授業は、府の次世代文化継承・発展事業の一環で、9月にも行った。計4回の授業で、来年2月には児童と団員が合同演奏する。  足でペダルを踏んで鳴らす大太鼓や、スティックを使って手で叩く小太鼓やシンバルなど、ドラムセットの説明を受けた。銅鑼(どら)に近い音が鳴る、反りが逆の中国の大きなシンバルや、カウベルなどの楽器に児童たちは興味を示し、越川さんのドラムプレイに大きな歓声をあげていた。  また、4拍子のボディーパーカッションを全員で練習。4拍子の指揮の手の動きをしてビートの取り方を学んだり、手と足でリズムをとりながら、口では別のリズムをとる練習などをした。口と足だけで音を出す演奏になると、足の動きがおろそかになってしまい、リズムを別々でとる難しさを体感していた。  4年生を代表して馬場真聖くん(10)が「今日は初めて見るドラムセットや、ボディーパーカッションを教えていただきありがとうございました」とお礼を述べた。次回は12月に行う。

写真=越川さんからドラムセットの説明を受ける児童たち



2012年11月2日

泉源寺の住民たち
傷んだ百日紅再生を
11月17日、樹勢回復作業
文化財級の貴重な古木

 泉源寺の智性院前の児童公園「ちびっこ広場」にある百日紅(さるすべり)の木が、幹の中心部分が空洞になるなど傷みが激しくなっている。地元にはその由緒は伝えられていないが、幹回りが約1.5メートルで樹齢は200〜400年と推定され、貴重な古木との指摘を受けた。住民たちは樹勢を回復するため、11月17日、造園業者らと枯れ枝の剪定などの作業に取り組む。  百日紅は中国南部の原産の落葉小高木で、いまでは住宅の庭先にも植えられる。泉源寺の広場で育つ木は幹の中心部は腐って空洞になり、側だけで持っている状態になっている。長年の風雪で折れた枝も目立つようになった。それでも毎年夏に淡い紅紫色の花を咲かせている。  今年の大雪後、区長のア山正美さん(65)が枯れているのではと心配し、話を聞いた舞鶴市文化財保護委員が樹木を調査した。樹高は約5メートル、葉の茂りの幅6メートルと大きな木であり、樹齢は200〜400年と江戸時代に植えられたものと思われ、京都府内では最も古い百日紅で文化財級の価値を持つという。  樹木医に診断してもらったところ、手当てをすれば保存が間に合うと聞き、緑の募金の緑化事業の助成金を受けて再生することにした。11月17日午前8時半から枝につくウメノキゴケの除去、周囲の土の入れ替えと施肥、柱を取り付け枝を支える作業をする。  ア山さんは「子供のころにはこの木に登って遊んでいました。こんなに古く、傷みもひどいことにびっくりしました。なんとか長生きさせ、2代目を育てる方策も考えたい」と話している。

写真=樹齢200〜400年と推定される百日紅(ちびっこ広場で)



中筋体操教室 31年間指導の松本さんへ
感謝の気持ち伝える
教え子ら50人集まって

 31年間、中筋体操教室で子供たちを指導する代表の松本昭司さん(71)=引土=に、感謝の気持ちを伝えようと、教室の父母会や生徒、コーチたちが10月27日、円満寺の西市民プラザで、「松本先生と中筋体操教室の歴史を語る会」を開催した。元教え子ら約50人が駆けつけ、お礼を述べた。  東舞鶴高校体操部に所属した元小学校校長の小川彬さん(77)が中筋小に勤務時代、PTAだった松本さんに器械体操を子供たちに教えてほしいと依頼し、昭和56年に中筋体操教室が開設された。  西舞鶴高校で体操部員だった松本さんは高校総体や国体に出場し、大学時代には東京五輪体操競技の代表候補を選ぶ選考会に出場した経験を持つ。帰郷後は仕事の傍らボランティアで子供たちを指導し、平成18年には体育館を私費で建設、舞鶴市体操協会の設立にも尽力した。  体操教室はマットなど3種目からスタートし、いまではトランポリンなども取り入れている。毎週日曜日、中筋小体育館で同校の児童3〜6年生を指導し、これまでに約300人が通った。中には2代にわたって教わる親子もいる。平成15年から舞鶴小学生体操競技大会を開催する。  この日は遠足や餅つきなどのレクリエーション活動、同志社大学での学生との練習体験などの懐かしい写真を見ながら、参加者たちは思い出を語り、生徒たちが松本さんに似顔絵と花束をプレゼントした。  キャプテンの高岡美羽さん(中筋小6年)は「優しくいつも元気な先生です。これからも指導を続けてください」、教室生だった吉川裕耶さん(25)は「体を動かすのが好きだった。教室は楽しい思い出が多い」と話す。  松本さんは「先輩やコーチ、保護者たちに支えられ、そして何より子供たちから元気をもらって継続できました。これからも口は動くので続けていきたい」と話していた。

写真=松本さんを囲みお礼を伝えようと集った参加者たち



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