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2005年4月30日

舞鶴かまぼこ組合
土産用パッケージのデザイン公募
 舞鶴かまぼこ組合は、舞鶴名産のかまぼこのお土産用のパッケージのデザインを公募している。組合に加盟するメーカー5社はこれまで各社ごどにお土産用のかまぼこを詰めた箱を作ってきたが、舞鶴ブランドを高めようと統一したデザインを採用することにした。  公募するのはかまぼこの化粧箱(土産用箱)の上ぶた部分に印刷するデザイン。応募サイズは横32・7センチ、縦14センチの比率(縮小サイズも可)、ロゴやタイトルは特に指定はない。デザイン原画、プリントアウトしたもので応募。住所、氏名、年齢、電話番号、応募理由を明記すること。  採用の可能性のある優秀作品の1人には、特賞として賞金10万円と舞鶴かまぼこ箱入りセットを贈る。このほかに主婦を対象としたファミリー賞(1人)は賞金1万円と同セット、高校生までの学校在学者を対象にスクールデザイン賞(1人)は図書券(5000円分)と同セットを贈る。公募の締め切りは6月30日。発表は7月31日に同組合ホームページなどでする。  詳しい規定内容はホームページ(http://www.kamaboko.coop)で。
【問い合わせ】電話75・0865、同組合。

写真=応募されたデザイン(右)と土産用の箱
巡視艇「一日船長」「一日海上保安官」で
盲・聾学校舞鶴分校の児童7人、湾内巡る
 府立盲・聾学校舞鶴分校(大槻洋子教頭)の小学部の児童7人が4月28日、舞鶴海上保安部の巡視艇の「一日船長」と「一日海上保安官」の任命を受け、舞鶴湾内を巡った。  任命式は、喜多の舞鶴西港第4ふ頭であり、舞鶴海上保安部の杉田勝美部長が、吉岡千尋さん(盲学校2年)と田中萌さん(聾学校3年)の2人を「一日船長」、5人を「一日海上保安官」に任命する辞令と制帽、タスキを手渡した。  この後、児童たちは海上保安官から救命胴衣を着用してもらい、引率の教員や保護者とともに巡視艇「あおい」「ゆらかぜ」に乗船、操舵装置やレーダーなどの航海計器に触れて船について学習するとともに舞鶴湾内を航行した。  同保安部では、ゴールデンウイーク期間中のマリンレジャーの事故防止活動を実施しており、児童たちはこの業務を学習するため社会見学に訪れた。

写真=巡視艇に乗船する児童
2005年4月26日

舞鶴出身の樫田さん(横浜市)
湯河原文学賞小説部門で最優秀賞
 舞鶴出身の樫田哲平さん(25)=横浜市=の短編小説「朝焼けギムレット」が、神奈川県湯河原町の主催する第4回湯河原文学賞・小説部門の最優秀賞に輝き、祥伝社(東京都)が発行する文芸誌「小説NON」の4月22日に発売された5月号に、受賞作が掲載された。父親と息子の絆をテーマとした作品で、同町在住の作家、西村京太郎さんらが最優秀に推した。樫田さんは今後も作家を目指して、作品づくりに取り組みたいとしている。  余部上出身の樫田さんは西舞鶴高校卒業、東京の大学に進学し、卒業論文を執筆中の気分転換にと、以前から好きだった小説を書き始め、恋愛小説「鎮魂花」を完成させた。2003年に出版社との共同出版の形で、この作品を本にした。その後、小説を書くことに専念しようと広告会社を辞め、アルバイトをしながら創作活動を続け、今回が初めての文学賞の受賞となった。  湯河原文学賞はミステリーや恋愛など現代を舞台とした短編小説を対象とし、第4回の募集には174編の応募があった。その中から最終選考に四編が残り、樫田さんの「朝焼けギムレット」が選ばれた。  作品は妻を亡くしたバーテンダーの男が、ふとしたことから妻との交換日記を見つけ、関係がぎくしゃくした息子とも交換日記を始め、親子の絆を取り戻していくストーリー。タイトルが先に浮かび、そこからイメージを膨らせた。受賞に対して「これでようやく『作家を目指しています』といえるかな、と。受賞したことより、家族や友人が喜んでくれたことの方がはるかに嬉しかった」という。  「小説NON」5月号に全文が掲載されたほか、作家の西村さんが「小さなエピソードが楽しく、筆力があるので、将来性を感じた」と選評を寄せている。雑誌を手にして「これからもいろんな雑誌に掲載してもらえるように頑張ろうと気合が入った」。自分が感じた大事なこと、悲しいこと、切ないことなどを伝えるため、小説という1つの例え話を描く。  「将来は芥川龍之介の作品のような寓話的でシンプルな中に、教訓を含んだ作品に進むかもしれない」と小説に向き合う日々を続けている。5月号は500円。市内の書店で発売中。

写真=「小説NON」5月号に掲載された小説と 樫田哲平さん
舞鶴国際交流協会・NPO認証記念
難民を助ける会の相馬さんが講演
 NPO法人・舞鶴国際交流協会(木村祥介理事長)が設立認証を記念し、4月23日、南田辺の西総合会館で記念講演会を開催した。紛争地で地雷撤去活動の支援など、国際的なボランティア活動をするNPO法人・難民を助ける会の相馬雪香さん(93)を招いた。相馬さんは一人一人ができることから始めることの大切さを強調。対岸諸国との交流の拠点となりうる舞鶴の重要性を指摘し、同協会が果たすべき役割に期待した。終始エネルギッシュに語りかけた。  明治45年生まれの相馬さんは、「憲政の神様」と言われる元衆議院議員の尾崎行雄氏の3女。同会の前身となるインドシナ難民を助ける会を設立し、難民問題をはじめ諸外国での地雷被害者への職業訓練、最近では子供たちを兵士に仕立てる小銃などの小型武器の削減に取り組む。  この日は「世界平和のために〜今、私たちにできること〜」をテーマに講演。行雄氏と米国滞在中の1931年に満州事変を知り、父が日本の間違いを指摘したことから33年に帰国した時には国賊扱いされ、36年の2・26事件では父が暗殺のリストに一時入っており、警察官らが警備に来たなど軍国主義の歴史を生々しく語った。時代が戦争へつき進む中、文句をいう前に自分を見直し、自分を変える行動をとることを学んだとも話した。  インドシナ難民が大きな問題になったころ、何とか難民を支援しようと思ってところに多くの人からの手助けがあった。そうした体験から「国を動かすのはエライ人ではなく、私たち国民一人一人です。国のことをどうやって考えるのかと手に余るという人がいますが、それぞれが気づいたことに取り組めばいい。小さくてもどこかで広がっていく」とした。また、大きな声の議論より、静かに話す声の方が大切なことを含んでいると述べた。  講演後も相馬さんは報道関係者らのインタビューに応じた。世界の中でどうあるべきかと常に広い視点で考えることの大切さを指摘し、「志を持っていれば不思議に人と出会える」と語った。また、最近の韓国や中国での対日批判に対して、「これまで私たちがどのようなことをしてきたのか考える必要がある」という。  さらに戦後60周年を迎える舞鶴に向け、「引き揚げの部分だけがクローズアップされるのでなく、なぜ満州へ行かなければならなかったのか、来られた側の気持ちや歴史にまでさかのぼり、原因をしっかり勉強して伝えてほしい」とメッセージを寄せた。  NPO法人・舞鶴国際交流協会(MIA)は南田辺の西総合会館2階に、MIAワークプラザを開設し、同日、現地で開設式を開いた。ワークプラザでは委託事業の準備作業などを行うほか、市民や在住する外国人に気軽に訪れてもらい、相談の窓口の役割も果たしていく。開設日は火、水、木、土曜の午後1時〜同5時。電話75・8801、FAX75・8802。

写真=講演後、インタビューに答える相馬さん
2005年4月22日

稀少種「サケガシラ」浅瀬に迷い込む
水産実験所、謎の深海魚の生態解明へ
 深海魚の仲間とされるサケガシラが4月19日、長浜の海上自衛隊・第四海上訓練指導隊前の浅瀬で泳いでいるところを捕獲され、隣の京都大学フィールド科学教育研究センター・舞鶴水産実験所に運ばれた。太平洋側などに生息する珍しい魚であることから、世界的にも標本数が少なく、生態はほとんど分かっていない。実験所ではさっそく標本にして研究に取り組む。  フリソデウオ科のサケガシラは、着物の振り袖のように長く銀色の体表をしている。暖流で水深数百rの外洋中層域に生息しているが、深海魚の仲間とされる。実験所でも過去3度ほど、舞鶴湾口の定置網に入ったものが持ち込まれたケースがあったが、今回のように湾から入り込んだ浅瀬で見つかるのは初めて。  指導隊の隊員が見たことのない魚がヨロヨロと泳いでいるのを岸からたも網で捕まえた。メスで全長は190センチ、体高28センチ。目玉が大きく眼径5.5センチ。重さは11キロと大物の部類。遊泳力がないので浅瀬から戻れず力尽きたのではという。実験所は国内で最大の魚類標本30万点を所蔵しているが、サケガシラは数点だけしかない。  魚類分類学を専門とする実験所助手で甲斐嘉晃さん(28)は「元々稀少種なので標本が少なく、生態などが解明されていない。貴重な研究資料となりました」と話していた。

写真=長浜の浅瀬で捕獲された全長190センチのサケガシラ
「こども110番」表示マグネットシート寄贈
子供の安全、舞鶴・舞鶴東RCが市に
 舞鶴ロータリークラブ(小西剛会長)と舞鶴東ロータリークラブ(岸本良博会長)は、「こども110番」と表示したマグネットシート360枚(50万円相当)を市に寄贈、4月18日、両クラブの会長たちが市役所を訪れ、江守光起市長に手渡した。市はこのシートを同20日から公用車約80台に貼り、子供の安全に役立てている。  京都や福井地区のロータリークラブは今年度、「青少年の健全育成」 を活動方針に取り組んでおり、舞鶴の両クラブも子供たちの安全に関する寄付を検討。今年は米国シカゴでロータリーが生まれ100年になることから、記念のチャリティーコンサートを5月に企画し、それに先駆けてシートを贈った。  シートは縦20センチ、横40センチ。市は160枚を公用車に貼り、200枚を地域子育て支援協議会20団体に配布し、会員らのマイカーに貼ってもらう。車に貼ることで犯罪の抑止効果だけでなく、乗車する人にも子供たちを守る意識が高まればという。  チャリティーコンサートは5月27日午後7時から北田辺の市民会館で。出演は京都フィルハーモニー室内合奏団とソプラノ歌手の日紫喜(ひしき)恵美さん。入場料は2500円。 【問い合わせ】電話76・6111、舞鶴ロータリークラブ(月・火・木・金の午前10時〜午後3時)。

写真=江守市長にシートを手渡す小西会長と岸本会長(左から)
2005年4月19日

台風23号被害農家支援へ心強い助っ人
市内外から農業災害ボランティア53人
 昨年10月の台風23号で被害を受けた農家を支援しようと、市内はじめ京都市などから53人が4月16日、加佐地区の被災農家のもとに集まり、田畑の水路などの泥出しのボランティア作業に取り組んだ。まいづる農業災害ボランティアセンター(事務局・市農林課)が、冬場の参加者が少なかったことからこの日を強化日として実施。また府などもふるさとボランティア活動として、京都南部で参加者を募った。春の農作業を控える農家たちには、心強い助っ人と励ましとなった。  災害ボランティア派遣事業は、市やJAなどで組織する同センターが、国の災害復旧事業の対象外の田畑で、土砂やごみの片付けにボランティアを派遣する。昨年12月から土・日に実施、これまでに派遣要請のあった延べ39カ所で、延べ313人が作業した。しかし、冬場は悪天候などで人手が集まらず、同センターは3月から月1回の活動強化日を設け、集中的に作業をすることにした。先月はその効果が表れ55人が参加した。  今月の強化日のこの日は、府などもふるさとボランティア活動の一環として実施。同活動は、都市部の市民に農地保全の活動に参加してもらうもので、京田辺市や向日市などから27人が集合しバスで来鶴した。現地で合流した参加者らは、要請のあった上漆原や桑飼下など8カ所に分かれ、スコップなどを手に作業にあたった。  今回初めて派遣を依頼した西方寺の霜尾喜三さん(26)は、4.6ヘクタールの田で米を作る。この田の排水路から泥を上げた日馬保行さん(63)=京都市=は「週に2回は仕事で舞鶴を通り、以前から被害が気になっていた。同じような田舎の生まれなので人ごととは思えない。田植えに間に合うように役に立てれば」と話していた。霜尾さんは「本当に助かります。何とか6月には田植えができるようにしたい」という。  また、近くの定方克之さん(41)の畑でもボランティアが水路の泥出しをした。すでに2度手伝いを受けるなどして徐々に片付き、一部の畑は土を起こしニンジンなどの種を蒔いた。「残る畑も乾き具合を見て耕したい。6月には野菜の収穫ができるかもしれない」と、少しずつ歩を進めている。  5月も強化日を設けるが日程は未定。
【問い合わせ】電話66・1023、市農林課。

写真=田の排水路を埋めた泥や流木を上げる参加者たち
舞鶴引揚記念館「語り部の会」設立
養成講座修了者ら4月24日から活動スタート
 引き揚げの歴史を後世に語り継いでいこうと、市主催の語り部養成講座を修了した人たちが、舞鶴引揚記念館「語り部の会」を設立し、4月16日、三浜の大浦ハイランドで設立総会を開催した。修了者28人の内25人が入会した。平の引揚記念館を拠点として、来館者に説明する活動を中心に取り組む計画を話し合った。同24日からスタートさせる。  養成講座は昨年5月から3月までの計10回開き、市内はじめ、京都市や茨木市などの31人が受講した。設立総会には20人が出席。活動計画として記念館での説明、講演会への講師派遣、養成講座への協力、会員の研修会などを確認した。記念館での説明は毎日開館時間に合わせて、会員ができる範囲で担当する。また、会長に真下正さん、事務局長に谷口榮一さんを選んだ。  会員たちは「子供たちにわかりやすく伝えたい」(徳永悦子さん)、「記念館でごみ拾いをしている間に体験者から聞いた生の声を伝えたい」(岩田鶴松さん)、「宝塚市に住んでいて記念館で活動できませんが、紙芝居を作って身近な所で子供たちに紹介したい」(高橋潤さん)と抱負を語った。真下会長は「息長く活動していければ」と話していた。  市と市教委は平成17年度舞鶴引揚記念館「語り部」養成講座を5月〜来年3月まで開催する。受講者を募っている。  講座は抑留体験者の話を聞いたり、時代背景などを学ぶ内容で全10回。会場は大浦会館など。近代史に興味があり、修了後は語り部として活動する意欲のある人。定員は10人程度(先着順)。無料。  申し込みは4月20日〜5月13日に、はがきかFAXなどで。住所、氏名、性別、年齢、電話番号を明記し、市教委社会教育課(〒625―8555北吸1044、FAX62・9897)へ。
【問い合わせ】電話66・1073、同課。

写真=設立総会であいさつする真下会長
2005年4月15日

今春開校の舞鶴養護学校
トータルサポートセンター開設
 今春開校した舞鶴養護学校(大林三樹彦校長)は、「特別支援教育トータルサポートセンター」を堀の学校内にこのほど開設した。府立の養護学校では専任のスタッフを置くセンターは初めて。医療と福祉などの専門家や教諭たちによるチームが、障害を持つ子供たちの教育・生活支援に関する相談や、障害児教育に関わる学校の教員らの支援に取り組んでいく。  同学校の備えるトレーニングプールや言語指導室などの充実した施設や教材を活用し、地域における障害を持つ子供たちや親、教員たちを総合的に支援する役割を担う。前与謝の海養護学校校長の津島徹さんが所長を務める。所長とコーディネーターの計2人の専任者のほか、同学校教諭7人がスタッフを兼ねる。さらに臨床心理士らを加えた21人で相談支援チームを構成する。  教育や生活支援に関する相談に応じる業務をスタートさせた。今後は、障害児教育を担当する幼稚園・小・中・高校の教員をサポートするため、教員たちの研究グループの育成にも力を入れる。また、教材などの貸し出し、就学相談、研修会への講師派遣、ボランティアの養成講座の開催などを計画している。  津島所長は「地域の障害を持つ子供たちのニーズに対応し、養護学校の機能を還元していきたい」と話していた。
【問い合わせ】電話78・3133、同学校内。

写真=センターの看板を設置する大林校長(右)と津島所長
4月23日にブルース・ロック・ライブ
WANTや妹尾さんら骨太で熱い音楽
 市内の3つの飲食店の経営者が主催するブルース・ロック・ライブVOL.2が、4月23日午後7時から女布の城南会館で開かれる。ダウンタウン・ブキ・ウギ・バンドのメンバーだった和田静男さんらのWANT、日本のブルースハーモニカの第一人者、妹尾隆一郎さんらが骨太で熱い音楽を聴かせてくれる。  飲食店の「じんべー」(北吸)と「ドッカリー・ファームス」(引土)、「ギルド」(マナイ)の経営者たちでつくる「The 3rd Gauge」の主催。それぞれ演奏活動をしたり、音楽好きの共通点があり、日ごろから交流を続け、昨年に第1回のライブを開いた。  出演するWANTはダウンタウン・ブキ・ウギ・バンドでベースを担当した新井武士さん、宇崎竜童さんらと共演した長洲辰三さん、チャーリー石黒&東京パンチョスオーケストラに26歳で参加した寺本修さん、和田さんがメンバー。矢沢永吉さんらとキャロルを結成しリードギターを担当した内海利勝さん、ブルースハープの妹尾さんも出演する。また、ブルースバー「ドッカリー・ファームス」を経営する稲葉浩幸さん率いるBLUES800がオープニングを飾る。  前売りは3000円(当日500円増し)。中学生・高校生は当日立ち見のみ500円。
【問い合わせ】電話090・4496・9793、谷口さん。

写真=出演するWANTの4人
2005年4月12日

桜の名所「共楽公園」にソメイヨシノ植樹
にぎわい取り戻したいと中舞鶴老人ク連
 中舞鶴老人クラブ連合会(梅垣直会長)の役員たちが4月8日、桜の名所として知られる余部上の共楽公園で、ソメイヨシノ1本を植樹した。高さ4メートルほどの若木はこの暖かさで花を咲かせている。お年寄りたちは今後は草刈りなどの世話をしたり、来年はお花見を楽しみ、にぎわいを取り戻そうと、桜の下で話の花も咲かせていた。  同連合会は中舞鶴地区の16クラブの550人が所属する。桜で有名な共楽公園だが、地元のお年寄りは高齢化で公園に上る機会が少なくなったことから、自分たちで植えた桜を見てもらおうと、同連合会が同公園で初めて植樹に取り組んだ。  公園が見渡せる場所で日当たりもよい公園の南西側の平地に植えた。桜のそばには「中舞鶴老人クラブ連合会会員一同」と記した杭を立てた。お年寄りたちは花を見上げながらこれからの世話について話したり、桜をバックに記念写真を撮影した。  会長の梅垣さんは「造船に勤めていたころは勤務後に職場の者と公園に上ってよくお花見をしました。娯楽が少なかった時代の楽しみの一つでした。植樹をきっかけに多くの人が山に上がってにぎわうようになれば」と話していた。

写真=植樹したソメイヨシノの花を見る会員たち
市内唯一の木造校舎の旧丸山小
京都精華大と地元住民協力し清掃活動
 市内唯一の木造校舎の旧丸山小学校の再生と活用について、地元住民と一体となって検討を進めるため、京都精華大学環境ソリューション研究機構は4月10日、三浜の同校で、地元の人たちと協力して校舎の清掃活動に取り組んだ。  同研究機構では、舞鶴市の委託を受けて、多祢寺の舞鶴自然文化園の活用方策についての研究を行った。この成果を踏まえ、大浦半島一帯の活性化に向け、近隣の旧丸山小に着目。自然文化園を「山の学校」、海辺にある丸山小を「海の学校」とする「竜宮浜学校」の構想をまとめた。  清掃活動は、地元住民との交流を図り、この構想を検討するきっかけとするために行った。地元の小橋、三浜区の住民と学生合わせて45人が参加、持参したマスクを付け、廊下や教室内に残る椅子や机を移動して床磨きに汗を流した。  同大学芸術学部の葉山勉助教授は「海水浴場の付加として『海の学校』を開校すれば、リピーターも増える。清掃活動を地元の人たちと検討するスタートにしたい」と話していた。また、小橋の酒井祥吾区長は「学校が閉校となり、小橋、三浜区民の交流が途絶えたが、これを契機に交流して活性化につなげたい」と話していた。

写真=校舎の廊下を清掃する参加者たち
2005年4月8日

東舞鶴高等女学校の卒業生たち
喜寿77歳迎え母校跡で当時を偲ぶ
 昭和20年の舞鶴空襲を体験した府立東舞鶴高等女学校の卒業生たちが、77歳の喜寿を迎えたのを記念し、4月5日、懐かしい学校跡を訪れるなどした。行永の学校跡は青葉中学校になっており、当時の学校を偲ぶものは玄関前の松や与保呂川沿いの桜しか残っていない。各地から集まった女性たち37人は、川の土手を散策して当時は若木だった桜を思い浮かべたり、戦時下の思い出を語り合った。  同女学校は昭和15年に開校し、同18年に舞鶴第2高等女学校に改称された。戦後は同23年に東舞鶴女子高等学校となり、同年12月に旧舞鶴第2中学校などと統合し、東舞鶴高校になった。  喜寿を迎えたのは同21年と22年の卒業生138人。戦時中は学徒動員で海軍工廠で働き、20年7月29日には97人の犠牲者を出した舞鶴空襲を体験した。同工廠に出勤のため中舞鶴駅に到着すると空襲警報が鳴り、機銃掃射に追われながら防空壕に逃げたという。教諭が1人亡くなった。  卒業生たちはほぼ毎年クラス会を開いてきたが、今回は市内はじめ、静岡や京阪神などから37人が参加した。女学校で終礼の鐘として使われていた「まごころの鐘」を展示する泉源寺の東高を来訪。続く青葉中では当時からある松を眺めたりして、卒業から約60年ぶりに訪れた人は盛んに懐かしがっていた。  クラス会幹事の福嶋綾子さん(76)=倉梯町=は「学校ではグラウンドにいも畑を作りました。海軍工廠への動員と空襲が一番記憶に残っています」と戦時下の学校の思い出を同級生らと振り返っていた。

写真=当時は若木だった桜を思い浮かべ、与保呂川沿いを歩く卒業生ら
同窓会寄付金で念願の楽器ハープ購入
東高ウィンドアンサンブル部に届く
 泉源寺の東舞鶴高校ウィンドアンサンブル部に、念願の楽器ハープ(約170万円相当)がこのほど届いた。東高同窓会(田中康弘会長)から同高へ贈られた寄付金で購入した。同部は美しい音色を響かせるハープで、表現の幅を広げた演奏を目指そうと、担当する部員は熱心に練習に取り組んでいる。  7年前には部員6人で廃部寸前だったが、部員数の増加で楽器が不足すると、OBらが楽器を寄贈、市民たちからの寄付金で楽器を購入した。そうした協力で12パートの楽器100本以上が揃った。市民の応援に応えようと演奏の実力も磨き、昨年は京都府吹奏楽コンクールの大編成の部で初の金賞を受賞。府北部から30数年ぶりとなる関西コンクールに出場した。  同窓会は毎年高校へ寄付金を贈り、学校側は必要に応じて各クラブの備品などに当てている。今回は同部の希望を受けハープを購入した。府立高では2校目。ハープは48本の弦が張られる。同部技術部長の3年、井本温子さん(17)が担当し、演奏経験者を招き指導を受け、指先の皮が破れて指が真っ赤になるほど、練習に熱を入れている。  井本さんは「色々な弦の弾き方があり難しいけれど、ハープのきれいな音を出せるようになりたい」と取り組んでいた。顧問の早田太郎教諭は「ハープによってオーケストラのような響きを生み出せます。来年夏に舞鶴で開かれる全国高等学校総合文化祭の吹奏楽大会に向け、ハープを活用できれば。今春も多くの新入部員を迎えたい」と話していた。

写真=届いたハープと演奏を担当する井本さん
2005年4月5日

久保さん(余部下)が『伊佐津川』を作詞、CDに
子供のころに魚を取って遊んだ思いを歌う
 子供のころに魚を取って遊んだ伊佐津川への思いを歌にしようと、元海上自衛官の久保明生さん(63)=余部下=が、『伊佐津川』の題名で作詞した。知人の音楽家に依頼して付けてもらった曲を自らギターを弾き、清き流れが永久に続くことを願って歌ったCDを作った。  久保さんは、今田の出身で、実家の前を伊佐津川が流れている。子供のころには、この川でアユやウグイ、フナ、モズクガニなどを取って遊んだ。泳ぎを覚えたのも、この川だった。初夏には無数のホタルが飛び交い、ホタル狩り楽しんだ。  49歳の若さで亡くなった父親も、この川で魚を取り、父親が亡くなった後、母親は子供たちを育てるために、砂利の採取業に汗を流すなど、まさに伊佐津川は自分たちを育てた川でもあったという。  和歌や俳句を独習したことを生かして、思い出深い伊佐津川をテーマに、これまでも詩に書いていた。今回の作詞は、海上自衛官を退官して、2度目の務めも終えたことから、再び思いを整理して書き上げた。曲は海上自衛隊横須賀基地の勤務時代に知り合った小宮佐地子さん(横須賀在住)に付けてもらった。  2年前から舞鶴ギター合奏団にも加わり、練習しているギターの弾き語りで歌った。これにナレーションも入れて、同合奏団のメンバーの協力でパソコンでCDを製作した。CDは兄弟や子供たちに渡すという。  久保さんは「伊佐津川の思い出を、子供たちに知ってもらい、いつまでも清流であってほしいとの願いを込めました。この歌が、川の美化の一助になれば望外の喜びです」と話している。
 『伊佐津川』
1、仰げば貴き 弥仙の峰
  神の与えし 無量の恵み
  ふところ深く 受けとめて
  尽きぬ流れは 生命育む
  あゝ天の川 伊佐津川
2、白雪とけて 水ぬるむ
  早魚のぼり 桜花流るる
  濁流ときに 渦巻くも
  やがては若鮎の銀鱗躍る
  あゝ父の川 伊佐津川
3、清みなす流れ ゆったりと
  水鳥あそび 笑顔が集う
  想いは尽きぬ 故郷と
  はるかな海へ 虹のかけ橋
  あゝ母の川 伊佐津川

写真=ギターを弾いて『伊佐津川』を歌う久保さん
「春だ! メダカと一緒に花見をしよう!」
4月10日に「舞鶴メダカの学校」与保呂分校で
 メダカの生息できる自然環境を取り戻そうと活動する「舞鶴メダカの学校」(冨崎伸博教育長、会員9人)は4月10日、木ノ下のメダカの里与保呂分校で、「春だ! メダカと一緒に花見をしよう!」を開催する。分校の近くを流れる与保呂川沿いの桜の花とメダカを話題にして、春の1日を過ごそうと参加を呼びかけている。  昔は小川や田んぼの水路でよく見かけたメダカだが、最近は農薬の使用などで水質が悪化し、全国的にメダカの姿が少なくなり、絶滅の危機に瀕していると言われている。そんな中、メダカを愛する市民たちがメダカを増やし、生息できる環境を復活させたり、市内の小学校に贈って分校を開校する活動を続けてきた。  与保呂小学校近くの与保呂分校は、会員の所有する休耕田を池に活用し、昨年4月に子供たちと一緒に約200匹のメダカを放流して開いた。その後、会員らが池が涸れないように水の管理を続けた甲斐があり、すくすくと育って増えていった。子供たちも観察に訪れて親しんでいる。  分校そばを流れる与保呂川土手には市民グループが植樹した桜並木が続く。10日は花見とメダカ談義を一緒に楽しもうという企画。午前10時〜午後2時ごろ。だれでも参加できる(無料)。参加者は弁当と水筒を持参。事前の申し込みは不要。雨天の場合は中止。
【問い合わせ】電話75・1200、嵯峨根さん。

写真=子供らがメダカを放流した与保呂分校=昨年4月29日
2005年4月1日

亡き夫偲びアロハ桜と再会へ
贈り主・高木さんの妻、ハワイから来鶴
 終戦後、米軍の日系2世部隊員として舞鶴に駐在し、平和と復興を願って桜の苗木を舞鶴に贈った故高木藤雄さんの妻、弥生さん(77)が、在住するハワイから来鶴することになった。4月8日〜同10日の滞在期間中に余部上の共楽公園を訪れ、いまでは日米友好のシンボルとして知られるアロハ桜に11年ぶりに再会する。戦後60年の今年、亡き藤雄さんを偲ぶとともに、当時植樹に協力してくれた市民にもお礼を述べたいとしている。アロハ桜に関する思い出の写真なども探している。  ハワイで生まれ育った高木さんは、1947年(昭和22年)に舞鶴に進駐。GHQ直轄のCIC分遣隊長として、シベリアなどからの引揚者を対象に情報収集活動に務めた。また、山口県に住む両親の元を何度も訪れた。こうした中、戦後の荒廃の中で疲れ切った市民を励ましたいと、桜を贈ることを決め自費で苗木を購入した。  49年11月、急な転勤で舞鶴を離れる前日に、東舞鶴駅に到着した貨車に積み込まれたソメイヨシノの苗木百本を確認した。植樹を手配する時間がなく、駅で出会った日系2世の兵士らに植樹を依頼。この兵士らを中心に協力者が増え、共楽公園に70本が植えられ、残りの30本は近くの学校に配られた。公園には36本が育ち、アロハ桜として親しまれるようになり、その後も市民らが公園に植樹を続け桜の名所になった。  しかし、高木さんの名は引き継がれず、長い間本当の贈り主は分からずじまいだった。10数年前に舞鶴の海上自衛隊の艦隊がハワイに寄港した際、艦隊司令がハワイ市民にアロハ桜の贈り主探しを願い出て、数年後にハワイに住む高木さんにたどり着いた。高木さんは日系人向けの新聞で桜のことを知り、元気なうちに桜を見ようと94年4月に妻と娘とともに来鶴し、桜と再会した。  その高木さんは昨年1月に86歳で亡くなった。舞鶴で知り合い結婚した弥生さんは夫に代わってもう1度、桜に会おうと来日を決めた。滞在中、植樹を手伝ってくれた市民や当時の和田中学校生徒にお礼を述べたいとしている。手伝ってくれた人やアロハ桜にまつわる写真や文集などを探している。連絡は舞鶴市民新聞社(電話78・2055)へ。

写真=1994年4月に来鶴し、アロハ桜に再会した当時の高木さん(中央)と妻の弥生さん(右)
「春の女神」ギフチョウの羽化始まる
市内の男性、五老岳で卵を見つけ飼育
 「春の女神」の愛称で知られるギフチョウの羽化が始まっている。市内の男性(69)が昨年5月、五老岳で卵30個を見つけて飼育を続け、羽化に成功した。春の訪れを知らせるかのように、美しい黒と黄色のしま模様の羽を広げている。  アゲハチョウ科で日本特産種。羽を開いた大きさは約5センチ。分布域は本州。府の天然記念物になっており、環境省のレッドデータブックでは「絶滅危惧U種」になっている。桜の開花に合わせるように羽化し、4月の短い時期にしか成虫の姿を見ることができないことから、春を告げるチョウとして知られる。  男性が見つけた卵は、6月にサナギになりそのまま越冬した。サナギの間は霧吹きを欠かさず、乾燥させないように気を配った。室内に置いた自作の飼育かごの中で、3月24日に最初の羽化が始まり、いま3匹が成虫になった。暖かくなってから山に放すことにしている。  「丹後・若狭虫の会」事務局長の安川謙二さんは「舞鶴では五老岳や青葉山でよく見かける。春らしい美しいチョウです」と話していた。

写真=美しい羽を広げるギフチョウ
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