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2004年10月29日

台風23号 市内各地の被災地を歩く
復旧へ市民ら力合わせる
 府北部に大きな被害をもたらした台風23号。市内各地の被災地で、日常生活や営業の再開に向けて作業が進んでいる。その一方でボランティアの手が足りず後片付けができなかったり、各地で道路が陥没したままなど台風の爪跡が生々しく残っている。10月26、同27日、数カ所を歩いてみた。  志高の国道175号の観光バス水没がクローズアップされるが、JR西駅前の新世界、マナイ、平野屋の商店街、高野川両岸の竹屋町、京口、堀上などでは床上、床下浸水した店舗、住宅が多数あった。濡れた家財道具はあちこちの路上に山のように積まれた。それらの災害ゴミは次々とトラックで仮置場の西浄化センターや加佐運動場などに運び込まれているが、最終的な処分はまだこれからだ。  京口に住む女性(70)に聞いた。家の前は川のようですごい勢いで水かさが増え、10月20日午後8時ごろには膝上まで来て自宅が床上浸水した。畳を全て捨てた。2日間はおにぎりだけ食べて、後片付けに必死だった。路上にいっぱいゴミが出て、市の回収車が収集するのに2日間かかった。床下には泥が溜まったままだ。ボランティアを依頼する電話をした。  ひどい目にあったけれどいいこともあった。城下町として古くからある地域だが、最近は半分が新しく来た若い世帯となり、話もしたことがない人も増えた。同じ被害にあって声を掛け合い助け合うことができ、連帯感が生まれた。  27日、マナイ商店街では多くの店舗が営業を再開していた。そんな中、1軒のメガネ店は再開の準備をしていた。検査機器や多くの商品は無事だったが、通信機器が水に濡れ復旧に取り組んでいた。店舗奥の部屋の畳や書類も濡れた。店主の塩見昭さんは「再開は11月に入ってから。ボチボチやります」という。  円満寺の舞鶴商工振興会では相談窓口(電話75・0933、10月31日まで)を設け、被害にあった自営業者の相談に応じている。店舗の損傷などの相談が27日までに15件あった。  国道175号から入った岡田中の西方寺を見た。岡田川のコンクリート護岸の堤防が大きくえぐれているのに驚いた。川沿いの歩道と府道も陥没し、河原への通行が途絶えて、復旧が急がれていた。本紙で「農的暮らし事始め」を連載する定方克之さんの自宅と畑が近くにある。電話で自宅は無事だと聞いていたが、畑は泥をかぶり流木もあった。ビニールハウスは無事だが、畑はネギ以外は泥に覆われている。妻のかおるさんと子供たちと話す。畑の排水をする溝にも泥がたまり、ボランティアを頼んだが、日程が会わずまだ作業が出来ていない。  そこから近くの畑には、イチゴ栽培をする布施直樹さんと京子さんのビニールハウスが建つ。強風で一棟のハウスが壊れた。加佐地区の20代から30代の新規就農者の約10人でつくる「若い衆でやろうかい」(霜尾喜三代表)の仲間8人が、ハウスの再建を手伝っていた。メンバーの3人もハウスが全壊、西方寺平の霜尾共造さんは田んぼが土砂で埋まったりする被害もあった。同地区の添田潤さんは10月20日夜、大川のJA加佐支店に軽トラックで行き帰れなくなり、支店の2階に避難し助かったが、軽トラックは水没した。  イチゴの出荷は例年12月中旬というが、なんとか1月に間に合わせたいと布施さんは話す。添田さんは「若い衆はがんばっていると宣伝しといてよ」と声を出した。仲間たちで順番に壊れた施設を直していく。  まいづる災害ボランティアセンターは、ボランティアが不足しており、参加者を募っている。電話は76・0712。被災地域からのボランティア派遣要請は電話76・0722。

写真=ビニールハウスの再建に協力する新規就農者の若者たち=10月27日、西方寺で
舞鶴学園の子たち、白糸神社で
キクヅル提供の晴れ着で七五三参り
 泉源寺の児童養護施設「舞鶴学園」で生活する子供たちがこのほど、浜の白糸神社で七五三参りをした。魚屋の貸衣装店「キクヅル」(久下修社長)が晴れ着の提供と着付け、記念撮影をボランティアで行った。同席した大人たちは、着飾った4人の子供らを見守り健やかな成長を願った。  七五三の体験の機会を提供しようと、同店が平成元年から毎年行っている。今回は5歳児が3人、7歳児が1人おり、一足早く七五三参りをした。  男子は羽織袴、女子は振り袖の着物が用意され、同店の久下伊津江店長らが着付けや髪のセットを丁寧に仕上げた。晴れがましい顔の子供たちは、桑原教修園長らに付き添われ、同神社に参拝した。  また、同学園でのナイトハイキングや子供たちの夕食作りの様子が、10月31日午前8時半〜同45分、KBS京都テレビの「京都人権情報」で放映される。

写真=晴れ着姿で白糸神社に参拝する子供たち
2004年10月26日

台風23号、市内で全壊35戸半壊36戸
床上浸水850戸、床下浸水1413戸
 10月20日に台風23号によるはげしい雨と風が襲った舞鶴では、時間の経過とともに被害の実態が明らかになってきた。被災した地域の市民らは後片付けに疲労の色を見せている。  志高の国道175号では由良川の氾濫で観光バスなどが水没。路上に放置されていた車両も同21日夜までに路肩に寄せられ、開通した。その近くでは水に流されて田んぼに突っ込んだままの車も。床上浸水した国道沿いの民家や商店では、泥だらけになった家財道具を外に運び出す作業に追われていた。  府道西神崎上東線では増水した由良川の水によって、モーターボートが道路に乗り上げていたり、一部の道路と田んぼが流木やごみなどで埋め尽くされていた。20日夜には同線を通行して車で帰宅途中の人が増える水かさを見て、車を置いて北近畿タンゴ鉄道の線路を歩いて神崎まで帰宅したという。  西市街地でも雨と高野川の堤防を越えた水によって、国道27号沿いの商店街、同河川沿いの竹屋町商店などで床上、床下浸水の被害がでた。竹屋町で後片付けをする男性は「20日は見る見るうちに水が増え、21日午前1時ごろには腰上まで来た」と話していた。  市災害対策本部や西警察署の調べでは、下見谷の河田弘さん(73)と妻のシズ江さん(72)が、滝ケ宇呂の近藤フジさん(94)が自宅裏山が崩れ遺体で見つかった。乗用車で帰宅途中の西神崎の金谷茂子さん(53)が22日、水間の田んぼで亡くなっているのを西署員が見つけた。22日夕方、大川の会社員、藤田隆男さん(77)の乗っていた軽乗用車が上東で確認され、翌日に近くの山の斜面で遺体で見つかった。志高の国道で水没したトラックの運転手は行方不明のままになっている。  床上浸水は850戸、床下浸水は1413戸、全壊35戸、半壊36戸。冠水した農地は507ヘクタール。佐波賀では200羽の養鶏が死んだ。パイプハウスは298棟が倒壊した。田井漁港では15隻の漁船が転覆した。

写真左=泥だらけになった商品などを運び出す市民ら=10月22日、志高
写真右=37人が救助された観光バス。カーテンをロープ代わりに使った=10月22日、志高
10月31日、ポリテクカレッジでバザー
作業所支援で市民らから多くの物品
 障害者の人たちが働き仲間づくりをする5つの施設の運営を支援しようと、まいづる共同作業所・まいづる作業所友の会(蒲田忠夫会長)は、10月31日午前10時から上安のポリテクカレッジ京都体育館でバザーを開催する。今年は市民から多くの物品が早くから寄せられた。当日の来場を呼びかけている。  社会福祉法人・まいづる福祉会が運営する「まいづる作業所」など、無認可施設の「まいづる共同作業所」の五つの施設で、100人を超える障害者たちが働いているが、年間の運営資金が約1000万円不足しており、友の会が会員の募集やバザーなどで支援。昨年はバザーの売上金300万円を寄付した。  今回は例年より早く多くの品物が寄らせた。3年前までは不況の影響などで品物が集まりにくかったが、今年は初めてバザーを運営するバザー委員に、生協の福祉の会会員らに加わってもらったことで、これまで以上に協力の呼びかけが市民に浸透した。  品物は日用雑貨、電気製品、衣類、食品、家具製造会社から提供を受けた家具など。会場には作業所の自主製品や食べ物の模擬店も並ぶ。バザー責任者の冨室光司さんは「毎年のバザーでたくさんの物品とボランティア、来場者の姿を見て、多くの皆さんに支えてもらっているのを実感しています」と話していた。  バザーは午前10時〜午後3時。前日の準備や当日の販売などのボランティアも募っている。
【問い合わせ】電話68・0600、まいづる作業所内友の会事務局。

写真=倉庫一杯に集まった物品
2004年10月22日

10月31日、舞鶴宗教者懇話会・弁論大会
市民弁士8人が発表し有識者の論評
 市内の宗教者が宗派・教派を超えて結成した「舞鶴宗教者懇話会」(能登春夫代表)が、10月31日午後1時半から浜の総合文化会館で、「市民による宗教弁論大会」を開催する。混迷する時代の中、宗教の役割を見つめなおし、静かに心に向き合おうと企画。応募した市民20人の中から8人が弁士となり、自分の体験を語る。入場無料。  人の命が軽視される風潮の中、宗教者として何ができるかを考えようと、有志らが昨年6月に結成した。その第1回目の取り組みとして生きる指針を探ろうと、市民に心の支えとしている思いなどを語ってもらう。  発表者を募ったところ、20人が応募した。同会メンバーらが寄せられた原稿を審査し、8人を選んだ。8人は舞鶴はじめ京都市などの人もおり、16歳から78歳までの男女。無宗派の人もいた。  発表に続き、文教大学名誉教授の青木利夫さんがコーディネーターを務め、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さん、駒沢大学総長の奈良康明さん、松尾寺住職の松尾心空さんが論評する。最後に同会が市民へのメッセージを述べる。だれでも来場できる。能登さんは「発表はバラエティーに富んだ内容です。宗教者による心の市民運動として、皆さんとともに自分を振り返るきっかけになれば」と話していた。
 発表者は次の皆さん。  野崎晃邑▽関本長三郎▽木原和美▽飯田和子▽由里義雄▽河崎勝▽石川幸太郎▽山本新之介

写真左から=コーディネーターの文教大学名誉教授の青木利夫さん。発表を論評するノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さん、駒沢大学総長の奈良康明さん、松尾寺住職の松尾心空さん
特養ホーム「グレイスヴィルまいづる」布敷で建設進む
10月26日に正規職員の就職説明会
 社会福祉法人・グレイスまいづる(千坂正理事長)が、布敷の池内小学校の近くに、市内で5番目となる特別養護老人ホームの建設を進めている。全国でもまだ少数しか導入されていない、全室個室(定員80人)の小規模生活単位型のホームとなっている。オープンは来年4月の予定。58人程度の正規職員を募集するのに先立ち、10月26日に南田辺の西総合会館で就職説明会を開催する。  特養ホームは、介護保険の要介護認定で要介護1〜5の認定を受けている人で、身体の状況などで自宅での生活が困難な人が、支援を受けながら生活する施設。同法人が建設中の「グレイスヴィルまいづる」は、現在国が特養で進める小規模生活単位型に沿って、個人の生活を支援していこうと、全室が個室となっている。府北部では大江町、宮津市(来年4月に開所)に同型の施設がある。定員の規模は寿荘に続き市内で2番目。  個室八室と共有部分のリビング、台所、風呂が1つのユニット(家)を構成する。そのユニットが10ある。また、ショートステイ(定員20人)、デイサービス(定員25人/1日)のサービスも行う。建物は鉄筋コンクリート造り一部2階建て。敷地面積は7690平方メートル、建物延べ床面積は6362平方メートル。総事業費は約15億円。うち国と府、市で3分の2を補助した。  近隣に小学校や幼稚園、来年同時期に開校する養護学校があり、地域の福祉の中心的な役割を担いたいとしている。同ホーム設立準備室の淡路由紀子室長(40)は「より在宅に近い身近に感じてもらえる施設にしたい」と話していた。  募集する職員は介護職員約40人▽看護職員約15人▽管理栄養士1人▽事務職員2人。各職種とも年齢、性別、学歴は問わない。26日の就職説明会は、1回目が午後2時〜同3時、2回目が同7時〜同8時。募集期間は11月1日まで。1次試験は11月8日。
【問い合わせ】電話75・7121、準備室。

写真=来年4月にオープン予定の「グレイスヴィルまいづる」完成予想図
2004年10月19日

舞鶴舞台の映画「ニワトリはハダシだ」
東京国際映画祭から招待受ける
 舞鶴の近現代史を背景として、町そのものを舞台にそこで生きる家族の物語を映画化した「ニワトリはハダシだ」(森崎東監督)が、10月23日から同31日まで開かれる第17回東京国際映画祭(審査委員長・山田洋次監督)で、グランプリを競うコンペティション部門に招待を受け出品される。2月のベルリン国際映画祭に続いて、高い評価を受け招かれた。スティーブン・スピルバーグ監督も来日する中、舞鶴の歴史や風景がどのような印象を与えるか楽しみだ。  シマフィルム代表の志摩敏樹代表(41)=北田辺=が、舞鶴を舞台にした映画づくりの思いを森崎監督に伝え、メガホンを取った。自身は製作総指揮を務め、昨年5月から6月にかけて舞鶴ロケを開始。みずなぎ学園や市民の協力を受け、吉原や野原など各地で撮影が行われた。  物語は浮島丸事件の生存者を母に持つ在日朝鮮人2世の女性(倍賞美津子)、その夫(原田芳雄)、彼らの子供で知的障害を持つ少年、養護学校の教諭らを軸に、警察の汚職や家族の絆などをユーモアを交えて描く。石橋蓮司、塩見三省、余貴美子ら個性的な俳優陣が出演する。  完成後は昨年の第4回東京フィルメックス特別招待作品として出品、今年2月には第54回ベルリン映画祭フォーラム部門に招かれ、物語と舞鶴の風景が高い評価を受け、ドイツでの上映の申し込みがあった。  今回の東京国際映画祭は、世界の実力ある作品を掘り起こし紹介する。この映画祭のゼネラルプロデューサーの角川歴彦さんの目を引き、約350本の中からコンペティション部門の15本に選ばれた。六本木ヒルズなどをメーン会場にし、スピルバーグ監督も来日する。  志摩さんは「ベルリン映画祭と同様に、舞鶴というローカルで撮った映画に普遍的な価値を感じてもらえたのだと思う」と話していた。11月には初の公開となる舞鶴での先行上映、それに続き東京で上映される。5日は総合文化会館、7日は市民会館。時間は(1)正午(2)午後3時(3)同6時。前売りは1500円。チケットは両館などで販売中。

写真=映画の1シーン。新人の肘井美佳さんらが出演した
洋画グループ「柊」第10回記念作品展
50号に限定し10月29〜31日、市政記念館で
 洋画グループ「柊(しゅう)」(内藤喜兵衛代表、会員43人)の第10回洋画展が10月29、同30、同31日の3日間、北吸の市政記念館で開催される。今回は第10回を記念して、会員が制作した小作品(サムホール)をチャリティー出品し、売上金を社会福祉事業に寄付することにしており、市民の来場を呼びかけている。入場無料。  「柊」は、元教員や元会社員など定年退職者や主婦ら40代から70代での人たちでつくるグループ。顧問は二元会常任委員の山根由一さんが務めている。毎月第2、第4日曜日の午後、北田辺の西公民館に集い、キャンバスに向かうとともに、互いの作品を批評し合うなど楽しく切磋琢磨している。  洋画展は、会員の年1回の合同作品展で、今回は第10回を記念して、作品の大きさを50号と決め、会員が制作した38点を展示する。また、この作品とは別に、社会貢献活動として、会員の小作品40点をチャリティーとして出展。売上金を社会福祉事業に役立てるため市に寄付する。  内藤代表は「市内の老人ホームに会員の作品を展示して、お年寄りに安らぎを与える社会貢献を続けており、今回は初めてチャリティー展を企画しました。多くの人に鑑賞してもらい、協力をお願いしたい」と話している。

写真=「柊」の会員のみなさん
2004年10月15日

松尾寺「北前船大絵馬」の複製完成
宮津市の丹後郷土資料館で常設展示
 海上安全や無事の帰港を感謝して奉納され、松尾の松尾寺本堂に掛かっていた船絵馬の複製が完成し、宮津市国分の府立丹後郷土資料館の常設展「丹後の歴史と文化」で展示されている。近世に日本海の海運で活躍した北前船11隻が描かれたもので、多くの北前船が書かれた大絵馬は丹後では類例が少なく貴重。海に生きた人たちの信仰の厚さを伝えている。本物は傷みがひどいため、現在修復が進められている。  近世中期から明治中期にかけて、大阪から瀬戸内海を抜け、日本海を渡って北海道までの西廻り航路に就航したのが北前船。近辺では宮津や小浜などに寄港した。船絵馬は船頭などが自分の出身地や寄港地の神仏に海上安全を祈願したり、無事の帰港を感謝して奉納した。紙に絵を描いたものを杉板に糊付けし、幕末から明治に数多く製作された。  松尾寺の船絵馬は、小浜の廻船問屋で船の所有者の清水源兵衛や船頭の吉治郎らが、1846年(弘化3)に奉納。長福丸など11隻の船を大阪の船絵馬師の杉本春乗清舟が描いた。大きさは縦82センチ、横183 センチ。一般的な船絵馬は1〜2隻の船を描いたもので、丹後では大きなものは岩滝町の板列八幡神社にある14隻を描いた船絵馬しかない。  青葉山中腹にある松尾寺は馬頭観音を本尊としている。「松尾寺再興啓白文」には観音の加護で海難をのがれた漁師春日為光が、馬頭観音の像を作ったとの伝承がある。また、青葉山は日本海を行き交う丹後や若狭の海の民の目印だったこともあり、松尾寺同様彼らの信仰を集めていた。  同館が平成14年に同寺の船絵馬を見つけビデオ撮影したが、長年の護摩焚きで紙の表面が煤で黒ずみ、一部はヤニの艶が見られ、湿気と熱でめくれ上がるなど傷みがひどかった。そのため京都市の文化財修復の専門業者によって、黒ずみを取り除くなどの作業が進められている。  その一方で複製を作って常時見てもらおうと、同館が府の伝統産業「京の職人さん」雇用創出事業で京都神祗工芸組合の安川如風さんらの絵師に、同サイズの複製を依頼した。風をはらんで白い帆をはった船、操船する船乗り、海上安全の神として信仰を集める大阪の住吉神社が、左上の背景に描かれている。  同館資料課長の井之本泰さんは「『板子一枚下は地獄』といわれるように、命がかかっていたことを肌身で経験した人たちの神仏に感謝した信仰心を、船絵馬から感じてもらえれば」と話していた。
【問い合わせ】電話0772・27・0230、同館。

写真=北前船11隻が描かれた大絵馬の複製が完成
日本画家の小坂さんが「ミニ画廊」
10月15〜30日、地元作家絵画展
 絵画教室「舞鶴文化ライフ教室」を主宰する日本画家、小坂けいしんさん(57)が、浜の教室を「ミニ画廊」に改装、10月15日からオープン初の「地元作家絵画展」を開く。今後も地元で活躍する画家を中心に作品を展示する予定で、「見る人と出展者との距離が近くなれば…」と願っている。  ミニ画廊は、敷島通りの七条と八条の間にあり、絵画教室として使用していた建物を一部改装した。表玄関の1室(約12平方メートル)と通りに面した壁をショーウインドー風に改装して作品を展示する。17、8点の作品を展示できる。  小坂さんは、日本画や水墨画の指導をする一方、今年春の全国公募展「第21回日中水墨画合同展」で、総務大臣奨励賞を受賞するなど、国内外の作品展で数多く入賞している。ミニ画廊は、舞鶴の街に少しでも文化の香りが増すことを願ってオープンした。「かしこまらずに、買い物のついでなどに気軽に入れる画廊で、一時の心の癒しの空間になればと思います」と話している。  10月15日からの地元作家絵画展では、小坂さんの水墨画「雪上がる」(30号)をはじめ、12人の作家が日本画、油絵を展示する。同30日まで。それ以降も地元で活躍する作家の作品を随時展示するほか、展示を希望する人たちに無料で開放することにしている。
【問い合わせ】電話62・1221、ミニ画廊。

写真=「ミニ画廊」で展示作品の前に立つ小坂さん
2004年10月12日

「舞鶴アートれんが展」大賞に中津さん(倉谷)
10月17日まで、市政記念館で129点全作品展示
 舞鶴アートれんが展(舞鶴市など主催)の審査結果が10月8日に発表された。129点の応募作品の中から、中津梨沙さん(21)=倉谷=の作品「ブタの観光客」が最高の舞鶴アートれんが大賞を受賞した。全ての作品は同17日まで北吸の市政記念館ホールで展示している。  昨年から始まった同展は、れんがの表面に自由なテーマで絵を描いた作品を内容としたもので、市民から公募した作品を京都精華大学教授のヨシトミ ヤスオさんが審査。1個のれんがと数個を組み合わせた部門の一般の部、子どもの部が設けられ、129点の応募があった。  大賞の中津さんの作品は五老スカイタワーを背景に、星が輝く夜空をブタが乗った馬車が駆ける絵が描かれ、色彩とフォルムがメルヘン風に仕上がっている。このほかの受賞者は次の皆さん。  【一般の部】1個のれんが部門優秀賞=杉山しげ行(新潟県三条市)内藤久美子(矢之助町)▽組み合わせ部門優秀賞=川原崎都(京都市)田端久美子(田中町)  【子どもの部】最優秀賞=池田梨奈(北吸)▽優秀賞=近藤杏菜(南田辺)吉田悠人(福来)坂口芽依(七条中町)

写真=大賞を受賞した中津梨沙さんの作品「ブタの観光客」
「MOA美術館児童作品展」奨励賞に
吉原小の國本君(絵画)と神崎小の植村さん(書)
 第10回MOA美術館児童作品展「舞鶴展」(エム・オー・エー美術財団主催)の入賞者が、このほど決まった。最優秀のMOA美術館奨励賞には、絵画の部で吉原小6年の國本翼君、書の部で神崎小6年の植村帆高さんの作品が選ばれた。  子供たちに豊かな創造力を培うことを目的に開かれている恒例の美術展。舞鶴展では、市内の小学生を対象に、絵画、書の作品を募集、絵画316点、書181点の作品の応募があり、審査してMOA美術館奨励賞や舞鶴市長賞など各入賞者と佳作を選んだ。  舞鶴展は10月23、同24日、上安久のポリテクカレッジ京都の体育館で開かれ、応募のあった全作品を展示する。  MOA美術館奨励賞を除く各賞と佳作に選ばれたのは次の皆さん。  【絵画の部】MOA美術館金賞=藤野拓海(新舞鶴)▽舞鶴市長賞=下西亜希(岡田下)▽舞鶴市教育長賞=薄美有(福井)▽舞鶴市民新聞社賞=大坪史奈(中舞鶴)▽審査員特別賞=浜野修平(吉原)水口保乃香(岡田下)竹本佑紀(中舞鶴)▽佳作=伊藤彩香(朝来)福村航章(新舞鶴)下西沙希(岡田下)西田健斗(中舞鶴)梅原健太朗(岡田下)丸山大樹(福井)真城愛(吉原)  【書の部】MOA美術館金賞=竹内さつき(神崎)▽舞鶴市長賞=岡香織(与保呂)▽舞鶴市教育長賞=櫻井亮一朗(大浦)▽舞鶴市民新聞社賞=木下優花(大浦)▽審査員特別賞=西野佐和子(大浦)中川裕太(中筋)森下実幸(同)▽佳作=今安沙耶花(大浦)半林温子(同)藤澤直也(新舞鶴)坂根万里(岡田上)裏野莉果(倉梯第二)西尾友里(同)尾阪咲耶(同)

写真左=奨励賞・國本翼君(吉原小)の絵画
写真右=奨励賞・植村帆高さん(神崎小)の書
2004年10月8日

京都の玄関港「舞鶴港」アピールへ
10月から通称名を「京都舞鶴港」に
 京都府は、京都の玄関港としての舞鶴港のアピールを強めようと、舞鶴港の通称名に「京都舞鶴港」を使用することを、10月から始めた。また、舞鶴21はロシアなどの対岸諸国との農産物輸入の実現に向け、舞鶴21の倉庫を改修し高速くん蒸施設などを整備した。PR媒体には順次この通称名を掲載し、観光キャンペーンやポートセールスに活用していく。  府は、平成15年度の「京都産業活性化プラン」の中で、舞鶴港を広域的な物流・観光の拠点とするため、京都の玄関港として明示したPRが効果的とし、名称変更を検討。その後、舞鶴市や舞鶴商工会議所などからも、府に対して「京都舞鶴港」の名称使用の要望があった。港湾の通称名についてはなんの定めもなく、国土交通省はその使用について差し支えないという。  また、舞鶴21には臭化メチルガスによるくん蒸施設があるが、消毒処理に48時間かかり、農産物の品質低下を招き、野菜の輸入が実現してこなかった。そのため3時間で処理をする施設を、第2倉庫2号庫(約300平方メートル)に備えた。10度まで冷却できる定温機能も備えた。青果や穀物全般に対応できる。総事業費は4800万円。うち、府と市がそれぞれ2000万円を補助した。  10月1日には、ナホトカ港から積み出されたロシア産のカボチャ約200トンが、同施設利用の農産物1号として舞鶴西港に荷揚げされ、翌日にくん蒸処理された。

写真=通称名に「京都舞鶴港」を使う舞鶴港
文化祭で大型模型ロケット打ち上げ成功
府立工業高の鳥嶋君(青葉中出身)が設計・製作
 福知山市石原、府立工業高校(湊敏校長)で10月2日、文化祭があり、青葉中出身で同校電気エネルギー科2年の鳥嶋真也君が設計・製作した大型模型ロケット(全長1.5メートル、最大直径8センチ、重量800グラム)の打ち上げに成功した。  ロケット打ち上げは、鳥嶋君が部長を務める電気クラブの活動発表として行われた。鳥嶋君は同校入学後にJAXA(宇宙航空研究開発機構)で開催されたサイエンスキャンプに参加して、ロケット打ち上げに必要なライセンスを取得。大型模型ロケットの打ち上げをめざして、これまでにライセンス不要の小型模型ロケットの打ち上げ実験を続けてきた。  今回は、クラブの仲間の電気エネルギー科2年、倉橋周平君=綾部・何北中出身=と一緒に、自ら設計したロケットの機体を段ボールで製作、これに市販のロケットエンジンを取り付けた。また、このロケット打ち上げ用の火薬の1種の固体燃料の使用許可を得るため府知事に認可を受けた。  打ち上げは、鳥嶋君がノートパソコンにプログラムを組み込んで製作した発射装置で行われた。ロケットは発射後に設計到達高度200メートルまで真っ直ぐに上昇した後、パラシュートを開いて降下し打ち上げに成功した。  鳥嶋君は将来、宇宙・航空技術の仕事ができるよう大学進学をめざしているという。

写真=回収したロケットを持つ鳥嶋君(左)と倉橋君
2004年10月5日

神崎海水浴場に台風の置き土産
砂浜1キロに渡り大量の葦や藁、ごみ
 近畿地方を通過し、各地で激しい雨を降らせた台風21号によって、由良川が増水し流域の田畑が冠水したが、由良川河口の神崎海水浴場の約1キロに渡る砂浜に、川から流れ出た大量の葦や藁、ごみなどが打ち上げられた。海流と風の影響で漂着したものだが、台風の置き土産の風景に地元の人らは驚いた様子もなく慣れっこになっている。  台風21号は9月29日夜に府北部に最も接近し、由良川流域の綾部、福知山などで激しい雨をもたらした。由良川は同30日には福知山の観測所で4.28メートルと警戒水位の3.5メートルを超え、大江町では流域の田畑約240ヘクタールが冠水した。  河川敷の葦や刈り取りを終えた田の藁、竹などが河口までたどり着き、高い波によって神崎の浜に打ち上げられ、多い場所では40センチ以上の高さにまで積み上がっていた。中にはペットボトル、タイヤなどもあった。  河口西側の宮津の由良海岸にはほとんど上がらす、神崎の東側に向かうにしたがって多くの漂着物が上がっていた。河口から放流される水は地球の回転する動きの方向に合わせ、右側へ流れる法則(コペルニクスの転向力)があるため、その潮流に乗って河口東側へ漂着。しかも今回は北からの強い風も重なった。  地元の人たちは「雨がよく降る台風の後にはごみがよく打ち上げられる。今回は少ない方。やがては打ち寄せる波によって、ごみは流れ去るでしょう」と話していた。

写真=打ち上げられた大量の葦や藁が延々と続く砂浜(10月1日)
手縫いぞうきん最後の寄贈
小中学校などへ「安岡園」のお年寄り
 安岡の市立養護老人ホーム「安岡園」(福井高史園長、64人)に入所するお年寄りが手縫いしたぞうきん1000枚が、このほど市教委を通じて市内の小・中学校などへ寄贈された。昭和40年から毎年続け今回で40回目だが、ぞうきんを縫うお年寄りが1人となったために今回が最後の寄贈とした。贈った総計は2万500枚になる。  学校をきれいにして勉強をしてほしいとの希望でお年寄りらが使い古した衣類をほどいてぞうきんを縫い、毎年500枚の寄贈を続けてきた。一時は35、6人のお年寄りが作業にあたった。その後、材料が足りなくなり、旅館などから古くなった浴衣を譲り受けるようになった。贈られた学校の児童たちからお礼状が届くのが楽しみだった。  しかし、目が悪くなって細かな針仕事ができるお年寄りが一人だけとなり、材料も手に入りにくくなったため、40回目をきりに最後の寄贈と決めた。市教委の坂根章教育長が同園を訪問し、これまで縫ってきた藤村静子さん(102)、刀称ハルさん(91)、金谷きみ子さん(88)、島田ゆきさん(87)、川端ちゑ子さん(79)と面会し、ぞうきんを受けるとともに、感謝状を贈った。  藤村さんらは「子供たちに喜んでもらおうと思って縫いました」、この1年間1人で縫ってきた島田さんは「昔は夜なべをして針仕事をしました。寄贈できなくなりさびしいです」と話していた。

写真=坂根教育長にぞうきんを手渡す島田さん
2004年10月1日

細野さん(倉谷)、巡礼路を旅した記録を本に
兄の遺骨とともにスペインのキリスト教聖地へ
 昨年4月に肺がんで急逝した兄に代わって、スペインのキリスト教の聖地に向けた巡礼路740キロを約40日かけて歩いた倉谷のパート職員、細野隆史さん(55)が、その記録を本にまとめ文芸社から出版した。兄の乃武夫さんとともに歩くはずだったサンチャゴへの道を、遺骨をリュックに背負って歩いた。歩いている時に考えたことや途中に出会った多くの人との交流を綴ったほか、宿泊施設や食事なども書き旅のガイドブックにもなっている。  キリストの12弟子の1人、聖ヤコブはヨーロッパ各地で布教していたが首をはねられ墓は行方不明とされていた。九世紀初めにスペインの西部の海岸で古代の墓が見つかり、それがヤコブの墓とされ、それ以来その街サンチャゴ・デ・コンポステラがキリスト教の聖地となり、各地から巡礼者が集まるようになった。いつくもの巡礼の道がある。  クリスチャンの細野さん兄弟は巡礼路を歩くことを夢にしていたが、兄が肺がんで余命2カ月と分かり、急きょ旅を計画し2人分の旅のチケットを予約した。しかし、「お前と一緒にサンチャゴに行きたかった」との最後の言葉を残し、昨年4月に59歳で亡くなった。隆史さんは兄の代わりに歩くという気持ちで、同年6月7日にフランス国境の町ロンセスバジェスを出発。途中のクルスデ・フェローで遺骨を散骨し、7月19日に目的地に到着した。  帰国後、巡礼路を歩きたい人からの問い合わせがあり、兄の供養と参考になればと、『サンチャゴ・デ・コンポステラ』(四六判、120ページ)の題名で出版した。道や休憩先のバル(バー)で出会った世界各地の旅人や地元民との触れ合い、引き出し限度額を知らずにクレジットカードを使い、ついにはお金を借りて旅を続けた失敗談、必要最低限の荷物などについて記した。  いまも旅先で出会った人とやりとりを続ける細野さんは「時間だけはたくさんあるので歩きながら父や母、兄、自分のことを考えた。背負っていたものを捨てることで見えてくるものがあり、こだわりがなくなりました」と話していた。1冊1365円。舞鶴堂、ブックスアスカ、夢屋などで販売している。

写真=出版した本『サンチャゴ・デ・コンポステラ』を手にする細野さん
10月3日、「秋のほっとストリートinまいづる」
西地区商店街一帯で多彩なイベント
 「秋のほっとストリートinまいづる2004」(舞鶴市、舞鶴商工振興会など主催)が10月3日、西地区商店街一帯で開催される。市民に健康や消費生活、環境問題について学んでもらう「健康ふくし祭り」「消費生活展」などを合同で開催、西地区各商店街のイベントと併せて商店街の活性化を図る。  イベントは、午前9時45分にJR西舞鶴駅前から平野屋通りまで、城北中学ブラスバンド部のパレードで開幕。同通りのステージで開会式と海上自衛隊舞鶴音楽隊、西舞鶴高校ブラスバンド部の演奏、園児のステージ発表などがある。  「健康ふくし祭り」は、西市民プラザ周辺であり、医療相談や生活習慣病予防の啓発、骨密度測定などの健康コーナー、手話や点字などを体験する福祉コーナーなどある。また、献血や骨髄バンク登録も受け付ける。「消費生活展」は、真名井通りであり、手作りみそ・粉石けんの販売、野菜や農産加工品の展示・即売をする。  平野屋通りでは、リサイクル・フリーマーケット、JR西舞鶴駅前では、リサイクル・プラザに持ち込まれた中古家具を再生展示する夢ハウジングの「環境コーナー」、西市民プラザでは両丹お茶まつりもある。  このほか、新世界商店街では、午後0時半からJR西舞鶴駅前で、城南中学ブラスバンド部や女性グループの太鼓の演奏、舞鶴出身のプロ歌手、武内公美さんのショーなどのイベントを開催。会場周辺では、たこ焼き、焼きそばなどの模擬店を出店する。

写真=「秋のほっとストリート」のポスター
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