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2015年2月27日

文化庁の研修員でマレーシアへ
torindo代表 森真理子さん
派遣受け4月から1年滞在
多民族の共生や文化政策を調査
舞鶴の活動で育んだ新しい価値観の提案

 舞鶴を拠点に様々なアートプロジェクトの企画運営を手掛ける一般社団法人torindo(トリンド)代表の森真理子さん(37)=東吉原=が、文化庁の在外派遣研修制度の研修員に選ばれ、4月からマレーシアに滞在する。期間は1年間で、同国の芸術文化の状況や地域と芸術の関わりなどをリサーチする。舞鶴でのトリンドの事業も継続していく。
 滞在先を選んだ理由について森さんは「欧米の文化圏と日本の関係性よりも、アジアの中の日本に今後の可能性を感じた。多民族が共生するマレーシアの多様性や、文化政策が機能しているかを知ることは、日本との比較対象に成り得ると思った」と話す。1年で成果を出すために、南山大学時代に文化人類学のフィールドワークで何度か訪れた経験がある国を選んだという。
 森さんは、名古屋市の美術館の学芸員や京都造形芸術大学で舞台制作を経験後、京都市内を拠点にフリーで演劇や音楽の企画運営を手掛けていた。
 舞鶴には2009年4月にNPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴の職員として赴任。市と共同で赤煉瓦倉庫活用の実証実験を行う「まいづるRB」のアートプロデューサーとして、美術家やダンサーなどを招き、改修前の倉庫で展覧会や舞台公演に取り組んだ。
 12年2月にトリンドを設立し、赤れんがパークや赤れんが配水池、八島商店街、小・中学校の支援学級、特別養護老人ホームなどで、全国各地のアーティストとともに様々な企画を行ってきた。
 森さんは「舞鶴での活動はそれまでと全く違い、地域の人に新しい価値観と出会う機会を提案するというのは、どういうことかと考えるようになった。どの企画も有機的に絡み合って次に繋がっていき、刺激を受けて自分の活動を始めた人たちもいる。動きがあれば土地の雰囲気が変わり、若い人も戻ってきやすくなると思う」と話していた。
 トリンドの事務所「八島アートポート」は3月に閉じ、4月からは引土にオープンする「アートスペースいさざ」(旧マナイ会館)に引き継がれる。5月に「明後日朝顔会議in舞鶴」、秋に「時間旅行博物館」を行う。森さんは16年に埼玉県で開催される「第1回さいたまトリエンナーレ」のプロジェクトディレクターを務めることも決まっている。


写真=「アジアの中で多民族が共生する国の文化政策を知ることに可能性を感じる」と話すアートプロデューサーの森さん


あっさり漬食品工業
佐波賀ダイコン使用「一汁三菜のすゝめ」
念願の漬物日本一!
T―1グランプリ 生産農家と強力タッグで

 下福井の食品加工業「あっさり漬食品工業」(嵯峨根隆文代表)が、舞鶴産の京の伝統野菜「佐波賀ダイコン」を使った漬物「一汁三菜のすゝめ」を開発し、2月22日に千葉市で開かれた第5回T―1グランプリ決勝大会で、日本一に輝いた。春ごろには商品化をする。
 野生種に近く濃厚な味の佐波賀ダイコンをたくあん漬けとして半年間以上熟成させると、風味とまろやかさができ、これを塩抜きして刻み、香りのいい網走産長イモをみじん切りにして合わせ、カツオと昆布の出汁で味付けした。これまでにないとろとろとさくさくの異なる食感と旨味が生まれた。
 漬物日本一を決める同グランプリの関西ブロック大会の法人の部で最高金賞を受賞。決勝大会には各ブロックを勝ち抜いた15社が出場し、同社生産物流部の嵯峨根健人部長(29)が、佐波賀ダイコンを栽培する佐藤正之さん(51)とともに商品をプレゼンテーション。審査員の1人で大相撲の豊ノ島から「ご飯にとてもあい、おいしい」と評価を受け、グランプリと農林水産大臣賞を受賞した。
 嵯峨根部長は「念願の日本一をとることができ、ほんとうにうれしい。これも多くの方たちの協力のおかげです」と喜んでいた。


写真=決勝大会でプレゼンテーションをする同社の嵯峨根さん(舞鶴市提供)


2015年2月24日

さまざまな人の死見つめ
澤田医師 府警嘱託医で感謝状
検視や留置者の健診に13年

 長年にわたって京都府警察の嘱託医として従事する医師、澤田信(まこと)さん(60)=浜=が2月17日、南田辺の舞鶴警察署で、府警本部長名の感謝状を廣瀬佳蔵署長から伝達された。約13年の間、自死や孤独死などをした人に接し、「警察官の仕事の苦労と人の世のはざまを垣間見た」と振り返る。
 2002年に嘱託医を引き受け、病院以外で亡くなった人の検視をし死因を調べたり、警察署の留置者の健康診断を担っている。現在同署管内には、澤田さんを含め2人の開業医が嘱託医になっている。開業時間に関係なく検視の要請が入る。
 これまで行なった検視で忘れられないケースがある。男兄弟の3人とも次々と自死し、母親の気持ちを察せずにはおれなかった。会社で主任をし妻子もいながら自死した男性には「相談できなかったのか。なぜ社会は救えなかったのか」と涙を流した。
 「人はいろんな亡くなり方があると身をもって知った。どんなことがあっても、自ら死んではいけないと思った」という。
 また、「医者が担うのは検視という役割だけだが、どれだけ多くの警察官が現場で動いているのかは知られていない。そちらにもっと光が当たるべきだ」と話していた。


写真=廣瀬署長から感謝状を受け取る澤田さん


府漁協が漁業者と連携
アカガレイを刺し身で
販路拡大へ試食会

 舞鶴港に水揚げされるアカガレイを、刺し身用として京都市内などに売り込もうと、府漁業協同組合が2月17日、下安久の漁協本所で仲買人や行政関係者ら約40人を招いて初の試食会を開いた。
 アカガレイは底引き網漁で秋から春に府内で年間約120トンが水揚げされている。1、2月は「子持ちカレイ」として煮付けで人気があるが、3月以降の産卵後は需要が減り、価格も下がっている。
 府漁協は、卵のないアカガレイの販路拡大に向けて漁業者と連携し、鮮度を保つため生きたまま港まで運び、活け締めして刺し身用商品での販売を企画した。新鮮な刺し身は、漁業者が漁船の上でまかないとして食べており、味には定評がある。
 試食会では、丸塩鮮魚(綾部市)の塩見秀行社長(51)が、この日の朝に活け締めされたアカガレイをその場でさばき、出席者たちが刺し身やしゃぶしゃぶで味わった。塩見社長は「甘くてこりこりした歯ごたえがあり、すしや刺し身で提供できる。新鮮な状態で京都市内で売れれば需要はある」と話していた。


写真=アカガレイの刺し身を試食する仲買人ら


2015年2月20日












ものづくりの成果発表
2月27、28日 ポリテクカレッジ京都で
女子レスリング吉田選手講演も

 2年間のものづくりの成果を展示発表するポリテックビジョンin舞鶴2015が、2月27、28日、上安のポリテクカレッジ京都で開かれる。2年生37人が卒業制作で取り組んだ風力発電装置や応急仮設住宅など、19のテーマの作品を披露する。28日には、五輪女子レスリングで3大会連続金メダリストの吉田沙保里選手と日本代表コーチの栄和人氏が講演する。
 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構が運営する同校は、実践的な技術者を養成する2年課程の職業能力開発短期大学校。発表するのは生産技術科、電子情報技術科、住居環境科の2年生。住居環境科は4月から岸和田市の近畿職業能力開発大学校に移設される。替わって昨年4月にポリテクカレッジ京都に、情報通信サービス科が新たに開設された。
 卒業制作として学生たちはソーラーカー、箪笥、自作GPSを用いた測量などを発表する。生産科では渡辺俊介さん(23)と三田村悠平さん(20)が風力発電装置に取り組む。どの方向から吹く風でも回る垂直型で、アルミ製の羽根3枚をつけた本体は高さ1・5メートル。2〜3ボルトを発電する。渡辺さんは「機械だけでなく電気のことも学ぼうとテーマに選びました。羽を曲げるのに苦労しました」と話す。
 今年度で同校からはなくなる住居科の野頭政賢さん(20)は、木造の仮設住宅を製作する。従来の仮設住宅は鉄筋で作り湿気がひどいなどの難点があるため、木と断熱材を使って改善した。「災害時に短時間で早く作れるようにと取り組みました」と話していた。
 27日は午前9時〜午後5時、28日午前9時半〜午後4時。入場無料。発表は27日のみ。各科の1年生が参加する、工作機械の技能検定や回路作りなどのものづくりコンテストを28日に行なう。吉田さんらの講演は28日午後1時半から。すでに申し込みは締め切った。
【問い合わせ】電話75・7609、同京都


写真左=3枚の羽根をつけた風力発電装置
写真右=短時間で組み上げることができる応急の仮設住宅


ちーたび
香り楽しみ地酒ファン広がる
池田酒造 市民ら蔵見学、試飲

 舞鶴で唯一の造り酒屋である中山の「池田酒造」(池田恭治代表)で、今シーズンの仕込み作業が行なわれている。昨年から全量を自家醸造に切り替え、叔母に替わって池田さんが杜氏を務める。2月14日には、京都府北部地域・大学連携機構主催の見学会があり、市民12人がいい香りのする酒蔵に入り、発酵するもろみを見た。
 由良川近くに位置する同社は1879(明治12)年創業。需要の減少に伴って大手メーカーから原酒を買い上げる「樽買い」が次第に増え、20年間醸造を休止していた。2006年から叔母の孝子さんが醸造の資格を取って杜氏を務め、試験的に自家醸造を復活させ、08年から本格的に開始した。
 10年には出荷の全量の3割だけが自家醸造だったが、昨年からは全量を占めている。一昨年に孝子さんが引退し、池田さん(45)が後を受け4月までの今期に1升瓶で6000〜7000本の生産を予定している。地元産の酒米「日本晴」などを使って、「池雲」の銘柄で純米酒などを造る。
 市民たちで「池雲会」が結成され、応援してくれる人も増え、認知度が高まるにしたがい、店で扱う市外の酒販店も増えてきた。それでも消費は市内が95%であることから、市外への販路拡大を課題に上げる。
 池田さんは「応援をいただきありがたいことです。もっと地酒のファンに届くように営業していきたい」と話す。
 見学会は地元ガイドによる交流まちあるき「ちーたび」の一環。参加者たちは洗米から蒸し、糀作り、絞りなどの工程の説明を受け、タンクで発酵中のもろみを覗いたり、品評会用に造る斗瓶に入った酒を見た。その後、中山公民館で出来たての新酒を試飲し、鹿肉料理も味わった。
 佐藤晋一さん(48)=森=は「初めて酒蔵を見学して、温度管理など大変な手間がかかることが分かった。その苦労を思い出しながら、これからは日本酒を味わおうと思います」と話していた。


写真=タンク内で発酵中のもろみの香りをかぐ参加者たち


2015年2月17日

漬け物日本一とるぞ!!
「あっさり漬食品工業」佐波賀ダイコン使って
2月22日、千葉市内で開催 T―1グランプリに出場
関西ブロックで最高金賞受賞 生産農家の思いと共に

 2月22日に千葉市内で開かれる漬物の日本一を決める第5回T―1グランプリに、下福井の食品加工業「あっさり漬食品工業」(嵯峨根隆文代表)が出場する。地元の京の伝統野菜である佐波賀ダイコンと北海道産の長イモを使って、独特の旨味と食感を作り出し、関西ブロック大会で最高金賞を受賞した。佐波賀ダイコンの復活に取り組む生産者の協力も受け、優勝を目指している。
 佐波賀ダイコンは江戸時代から佐波賀地区で栽培され、本来の野生種に近く濃厚な味で、繊維質が豊富で硬く辛味も含まれる。昭和30年代には京阪神にも出荷されていたが、生育期間が6カ月と長く、引き抜くにも力がいるなど、栽培に手間がかかることから姿を消した。
 近年になって地方固有の在来作物を見直し、地域ブランド野菜として育てようとの動きが全国的に進む中、地元農家と府、市で2010年に試験栽培が始まり、現在は9戸の農家が約25アールで栽培する。
 佐波賀ダイコンの生産拡大や情報発信などを目的に関係者で設立した食文化振興研究会で、同社生産物流部の嵯峨根健人部長(29)が、最初に栽培を復活させた佐波賀の農家、佐藤正之さん(51)と出会い、漬物に使おうと開発をスタートさせた。青首ダイコンのように浅漬けにすると、硬くて塩入りが悪く時間もかかるため難しさを感じた。
 そこで、昔ながらの伝統的な漬け方を大切にするスローフードの原点に戻って、たくわん漬けにしてみた。半年以上漬け込むと食感が抜群によく、熟成させるほど風味とまろやかさが生まれることも分かった。これを塩抜きして刻み、香りのいい網走産の長イモと合わせることに。あらみじん切りにしてトロミを出し、ダイコンとイモを1対2の割合で混ぜ、カツオと昆布を合わせた出汁で味付けした。
 たくあん漬けにしてできる風味を残しつつ、塩分調整をする塩抜きに最も苦労するなど、試行錯誤を繰り返し完成までに2年をかけた。その間、佐藤さんの畑に出かけ、栽培に手間がかかることも目にし、復活にかける農家の思いも知った。
 「一汁三菜(いちじゅうさんさい)のすゝめ」と名付け、同グランプリに2度目の挑戦をした。ふわふわとさくさくの異なる食感と旨味が、これまでにないものと関西ブロックで審査員から高く評価された。グランプリには7ブロック代表の16の漬物メーカーが出品する。
 嵯峨根さんは「古漬けと浅漬けをコラボレーションした自信作ができました。ここまで来るのに多くの人の協力を受けたので、ぜひ日本一を取りたい」と話している。佐藤さんは「とてもおいしい漬物ができ、佐波賀ダイコンにはいろんな可能性があることを感じさせてくれた。いい結果報告を聞けるようがんばってほしい」とエールを送る。
 大会には佐波賀ダイコンの葉を使って彩りを添え、改良したものを出品する。また、研究者から指摘された佐波賀ダイコンの持つ健康維持機能の高さも、アピールすることにしている。そうした準備とともに、商品化に向けた取り組みも進めており、3〜4月ごろに発売を計画している。


写真=出品する漬け物を手にする嵯峨根さん(右)と応援する農家の佐藤さん


商店街空き店舗 住宅活用案
舞I高専の学生が研究発表

 舞鶴高専の建設システム工学科の学生たちがこのほど、商店街の空き店舗や空き地を住宅として有効活用するアイデアを考え、浜の八島商店街内にある同校のサテライトラボ「よろず」で報告会を行った。同校が取り組む文部科学省の「地(知)の拠点整備事業」の一環で、市の受託研究として行われ、商店街関係者や市職員らが学生の提案を聞き意見を交わした。
 街の中心に位置し利便性が高い商店街は、高齢化社会などにも対応できることから、市民が戻り、活発な生活活動を誘発する目的で研究が行われた。
 東地区商店街(八島、大門、三条、七条)の店舗を参考に、建築コース4年の17人が、間口6メートル×奥行き20メートルの敷地を2〜3階建ての「戸建て住宅」に、専攻科建設・生産システム工学専攻2年の2人が、間口12メートル×奥行き24メートルの敷地を8階建ての「集合住宅」として活用する提案のパネルと模型を展示し、7人がプレゼンテーションも行った。
 専攻科の学生の現状調査では、八島74、大門119、三条109、七条71の店舗数に対し、空き店舗(八島15、大門37、三条20、七条8)▽空き地(八島0、大門4、三条1、七条2)▽駐車場(八島3、大門12、三条8、七条9)で、駅から離れるほど空き店舗が増え、建物の汚れや傷みが目立つことなどが挙げられた。77人に行ったアンケートでは、商店街の用途として買い物が39%、通路が15%で、空き店舗の認知は87%、有効活用すべきという声は80%を超えていた。
 専攻科2年の日浦修さん(22)は、「人が集まる場所」と「光」をコンセプトに、高齢者の終(つい)の住まいとしての集合住宅を提案。店舗の1、2階を吹き抜けにし、住人と買い物客の導線を同じにすることで交流を生み、3〜8階の住居は高齢者の気配を常に感じられるようガラス張りにし、木製の日よけで光が外に漏れる仕組みを考えた。
 戸建て住宅を提案した学生からは、1階の道路側に趣味のスペースを設けて通行人とライフスタイルを共有する家や、遊び場を設けることで子どもたちが集まってくる家、2階の大きな窓から漏れる光で商店街に生活を展示する家、道路と店舗が地続きの構造をそのまま生かし、住居と商店街が一体となった空間として活用する案などが発表された。


写真=高齢者が住む8階建ての集合住宅案をプレゼンする専攻科2年の日浦さん


2015年2月13日












戦没者名簿 戦争問いかける
至徳寺で7冊保管、厚労省へ
海軍人事部作成 戦後70年国把握せず

 太平洋戦争で亡くなった旧海軍兵士たちの戦没者通知名簿7冊を、浜の至徳寺(堀尾祐真住職)で長年保管してきたが、国が把握していなかった名簿であることがこのほど分かった。どんな経過で名簿が同寺に残されることになったのかは不明だが、多くの戦死者の名前が記された名簿は、戦後70年たったいまも戦争のありようを語りかけている。厚生労働省に引き渡された。
 明治になって海軍舞鶴鎮守府が設置され、多くの海軍や工事関係者らが舞鶴に移り住んだのに伴い、同寺は真宗大谷派新舞鶴説教所として創設された。戦時中は鎮守府の「英霊安置所」に指定され、終戦までに約4万柱の通夜、葬儀を執り行ったとされる。
 名簿は家族や役所に死亡通知を出した時に、舞鶴海軍人事部が作成した。乗り組んだ船名や舞鶴工廠などの所属、戦没年月日、戦死場所、本籍地、氏名などが記される。場所はルソン、テニヤンなど、本籍地は京都府や東北、北陸などが見られる。古いものでは「昭和十八年十二月二十八日」の日付がある。
 戦後は旧厚労省の舞鶴地方復員残務処理部が、引き揚げ者から聞き取り調査をし、名簿に追加した。「昭和二十九年十二月十五日」の日付があった。同処理部が解体された際、何らかの事情で同寺に預けられたらしい。
 時折、名簿を調べに来る元軍人や遺族たちもいたが、名簿は黄色に変色し紙の劣化も目立ってきたため、同寺が舞鶴東遺族会(坪倉大作会長)に相談し、厚労省に寄贈を決めた。厚労省調査資料室の神山正室長補佐が、同寺を訪れ名簿を確認した。
 神山さんは「名簿は当時の海軍が作った歴史的資料。旧鎮守府の呉と佐世保などで作られた名簿は厚労省に引き継がれたが、舞鶴の分は見当たらなかった。デジタル保存を検討したい」という。
 堀尾住職は「字も薄くなり、きちっと保管できるところに預けたいと願っていた。多くの20〜30代の若い人たちが志半ばで亡くなったことを思うと、改めて戦争を身近に考えさせ、いまを生きる私達に問いかけているのではないでしょうか」と話していた。


写真左=分厚い戦没者通知名簿を説明する堀尾住職(左)
写真右=氏名や戦死場所などが記されている


舞鶴アートデリバリー
三笠小4年生 演劇制作「6年生を送る会」で発表
演出家の指導受け

 桃山町の三笠小学校(山本寛子校長)の4年生児童26人が、2月28日に行われる「6年生を送る会」で演劇を発表し、思い出をプレゼントする。ニットキャップシアター代表のごまのはえさん(37)=大阪府高槻市=らから演技や朗読の指導を受けている。
 市文化事業団主催の育成・創造型事業「舞鶴アート・プログラム・デリバリー」で、芸術振興活動を市内などで行うtorindo代表の森真理子さん(37)をコーディネーターに、演劇の脚本や演出を手掛けるごまさんと、同シアターの俳優・高原綾子さん(33)=京都市=を講師に招いた。
 今年度から実施されている同事業は、市文化協会加盟団体や市内で活動する団体などを、希望する小・中学校に派遣し、文化芸術の鑑賞や体験を通して、子どもたちの持つ性格や特技を引き出すことに重点をおき実施されている。同校では、最後に発表の場を提供する育成プログラムとして行われた。
 児童たちは演目に、道徳の教科書に載っている物語「花さき山」を選んだ。体を使った表現の練習では、大縄飛びや綱渡りを縄や綱があるつもりで個性的に演じてみたり、演技に楽器で効果音をつけるなど、想像力をふくらませる楽しさを学んだ。
 高原さんが演じる主人公の動きを見ながら全員で朗読も行い、ごまさんから「読んで感じたことを、見ている人に解るように表現することが大切」とアドバイスを受けた。
 2月17、24日にもワークショップを行い、演劇形態などを児童たちと話し合いながら、作品の完成を目指す。


写真=ごまさん(左)の指導を受けて「花さき山」を朗読する4年生たち


2015年2月10日

多々見氏大差で再選果たす
舞I市長選挙 地方発展へ新たな決意
投票率、前回大きく下回る

 任期満了に伴う舞鶴市長選挙は2月8日投開票され、無所属現職の多々見良三氏(64)が、無所属新人の山内健氏(47)を大差で破り、再選を果たした。海フェスタなど1期目の実績を強調し、「交流人口300万人、経済人口10万人」を掲げ舞鶴版地方創生を訴えた。投票率は前回の61・41%を大幅に下回り、戦後4番目に低い42・88%だった。当日の有権者総数は6万9095人。
 多々見氏は「赤ひげ&葬゚の会」を選挙母体に、前回はなかった自民、民主、公明の推薦を受け、舞鶴医師会や連合京都など幅広い団体、市議会与党の各会派の支援も得て、手堅く組織を固め市民からの支持を得た。前回選挙では保守分裂となったが、今回は非共産対共産の構図となった。
 市内の公的病院の機能強化と連携、シベリア抑留資料のユネスコ世界記憶遺産への国内候補決定などの実績を前面にアピールし、海上自衛隊基地を集約し赤れんがパーク一帯のさらなる観光拠点としての整備、若者の農漁村への移住定住の促進などを公約にした。
 山内氏は労働団体や共産党などでつくる「みんなで市民参加の舞鶴≠つくる会」の要請を受け立候補した。国や府の言いなりにならず原発再稼働や集団的自衛権容認に反対と主張、多々見市政をイベント偏重と批判し市民が安心して暮らせる市政への転換を訴えたが、出馬表明したのが1月20日と取り組みの遅さもあり支持を広げられなかった。


写真=支持者たちと万歳をする多々見氏


多々見氏
まちづくりの方向性示す

 1回目の開票速報で2万票の得票がボードに書き込まれ、多々見氏が浜の選挙事務所に姿を現すと拍手が起こり、支持者らと笑顔で握手を交し、万歳三唱をしてくす球を割って当選を喜び合った。  多々見氏は「今回は争点がかみ合わず難しい選挙だった。そんな中、力強い支援をいただき感謝申し上げます。選挙で今後のまちづくりの方向性を示すことができた。北部5市2町が一丸となり地方の発展のため一生懸命働きたい」と決意を語った。



山内氏
市長選で訴え大きな意義

 山内氏は引土の選挙事務所で、支持者らを前に、「立候補を表明して3週間、全力でがんばりぬけた」と選挙戦を振り返り、敗戦の弁を述べた。山内氏は「私の力不足がこの結果だったと思うが、今の国の暴走政治による集団的自衛権の行使、原発再稼働など、直接舞鶴に関わる問題に対し、はっきりものを言う市政をつくろうと、市長選を戦うという形で訴えられたことは、選挙結果に留まらない大きな意義がある」と述べた。


パワフルな演奏で心元気に
2月14日 盲目の山下純一さんコンサート

 目が不自由で車椅子に乗るミュージシャン、山下純一さん(39)のコンサート&トークが、2月14日午後2時から女布の城南会館で開かれる。障害にめげず心を元気にするブルースとジャズを、歌とハーモニカでパワフルに奏でる。入場無料。
 京田のマットレスなどの製造販売会社「パシフィックウエーブ」が、設立20周年を記念して、地域への感謝の気持ちを表そうと企画した。
 山下さんは2歳で若年性間接リュウマチと診断され、小学生から車椅子生活を送る。大学進学後に失明し、さらに右肩が上がらなくなりドラムが出来なくなったが、ハーモニカを演奏してバンド「珍獣王国」を結成した。
 32歳で左耳が聴こえなくなり、3度の手術を経て音楽活動を再開。独自のハーモニカの演奏法を編み出し、2009年の全国障害者ミュージシャンのコンテストでグランプリを受賞、13年にはグランドチャンピオンを獲得した。同じく目の見えないミュージシャンであるスティービーワンダーともセッションを行なった。
 コンサートの問い合わせは同社(電話75・8688)


写真=ハーモニカを奏でる山下さん


2015年2月6日










由良川のサケを増やそう
山本さん 自宅で飼育
実行委配布の卵200粒ふ化

 引土の山本新之介さん(43)が、綾部、福知山、舞鶴の市民らでつくる由良川サケ環境保全実行委員会(綾部市)の取り組みに初めて参加し、サケの卵200粒を自宅の水槽でふ化させた。由良川に帰ってくるサケが増えることを願いながら、3月の放流に向け日々成長を見守っている。
 由良川のサケの放流事業は、府が1979年度に始めた。81年度には地場産と他市の移植分を合わせた計193万匹を放流。由良川河口沿岸部と支流の牧川(福知山市)で回帰数を調査し、91年度には計4044匹が確認されていたが、回帰率が低いことなどから2007年度に事業を終了した。
 08年度以降は、綾部や福知山の市民らが同実行委を立ち上げ、府の地域力再生プロジェクト支援事業の交付金を受けて継続し、10年から舞鶴サケ放流実行委員会も参加した。牧川と新潟県の名立川で採取された発眼卵を、ふ化から放流まで行う飼育希望者の個人や団体に配布している。
 昨年3月は3万9000匹を放流。11月に河口沿岸部で3931匹、牧川で31匹の回帰が確認された。福知山と綾部で12月〜今年1月に、発眼卵5万粒が府北部などの220人に、100粒1,000円で配布された。舞鶴でも小学校など、18の団体、個人が飼育を行っている。
 府中丹広域振興局職員の山本さんは、今年度から同実行委の担当になったのを機に、1月6日に綾部で行われた配布で200粒を受け取り、自宅での飼育を始めた。
 井戸水を入れた水槽で水温を8〜12度に保ち、直射日光を避け、水の循環や入れ替えに気を配り、1月14〜16日に全ての卵がふ化した。お腹に朱色の栄養袋を付けた体長約2センチの仔魚(しぎょ)は底の小石に隠れているが、今月中旬には水面を泳ぎ始め、餌も必要になるという。3月中旬頃まで飼育し、放流に参加することにしている。
 山本さんは「由良川に帰って来るサケは1000分の1と聞き、自分も育ててみようと思った。自宅で育てられることを多くの人に知ってもらいたい」と話している。


写真左=自宅の水槽でサケの卵をふ化させ飼育する山本さん
写真右=山本さんが育てる体長約2センチのサケの仔魚(1月27日撮影)


自転車で世界一周の坂本さん
夢持つ大切さ かなえ方
和田中生徒らに語る

 自転車で世界一周し、帰国後は講演や震災遺児の支援などをするミキハウス勤務の坂本達(たつ)さんの講演が、このほど余部下の中総合会館で開かれた。和田中学校の生徒たちと保護者に向け、旅の経験を通して夢を持つ大切さ、実現に多くの人の協力を受けたことを語った。
 1968年生まれの坂本さんは早稲田大学卒業後に同社に入社、有給休暇を使ってアフリカ、アジア、北南米などを自転車で回った。その後、勤務のかたわら全国で講演をし、ギニアでの井戸や診療所設置の支援、震災遺児に本の印税の全額寄付などを続ける。
 和田中からの要望で3年越しで講演が実現した。ギニアの民族衣装を身に着けた坂本さんは、ギニアでマラリアに感染したが村人から薬をもらって一命を取り留めたこと、イランのモスクで出会ったイスラム教徒の男性が旅人から話を聞いて世界一周をしているというエピソードを映像を使って紹介した。
 「相手が大事にしているものをどれだけ自分が大切にできるか。お金がなくても言葉ができなくても、周囲の人達に助けられ夢をかなえることができる」と話した。
 また、「あいさつ一つで見も知らない人たちが助けてくれ、旅でお世話になった人にお礼の手紙を書き、感謝することで次のチャンスがもらえる。夢や目標は待っていてもやってこない」と中学生たちに語りかけた。


写真=ギニアの民族衣装を着て話す坂本さん


2015年2月3日













山内氏(新人)、多々見氏(現職)の一騎打ち
2月8日投開票 舞I市長選挙
まちづくり、雇用、防災など争点に

 任期満了に伴う舞鶴市長選挙が2月1日告示され、新人で共産党舞鶴地区委員長の山内健氏(47)=共産推薦=と、現職で再選を目指す多々見良三氏(64)=自民、民主、公明推薦=のともに無所属の2氏が、立候補を届け出た。人口減少、少子高齢化が続く中でのまちづくり、子育て・教育、防災対策などを争点に、2月8日の投票日に向け互いに考えを訴えている。
 舞鶴市の人口は今年1月時点で8万5000人台だが、2005年には9万3000人おり、10年前に比べると8000人減り、他の地方都市と同様に減少傾向が止まらない。そうした中にあって今後、どういったまちづくりを進めるのかが、大きな課題になっている。
 また、国の経済政策の恩恵が大都市や大企業である一方、以前として停滞するまちの経済の活性化や雇用の創出、度重なる由良川など自然災害の防災対策、観光や農林漁業などの振興、地域医療と福祉の充実、さらには市と密接に関わる隣接の原発の再稼働と避難計画、集団的自衛権への姿勢なども問われる。
 山内氏は高浜原発の再稼働と集団的自衛権の行使容認、消費税増税に反対し、住民福祉の充実や地場産業の振興など市政の転換を主張する。多々見氏は「交流人口300万人、経済人口10万人」を目標として赤れんがパークを中心にした観光戦略、子育てしやすい環境づくりなどを掲げる。
 投票は2月8日午前7時〜午後8時、市内の59カ所で行なわれる。期日前・不在者投票は7日まで毎日午前8時半〜午後8時、市役所、西支所、加佐分室で受け付けている。1月31日現在の選挙人名簿登録者数は6万9701人。※掲載は届け出順。


写真左=市政転換を訴える山内候補
写真右=再選への意気込みを述べる多々見候補


山内陣営
暮らし守る市政へ転換
市民生活に平和と安心を

 引土の選挙事務所前で行われた山内陣営の出陣式には約80人の支持者たちが集まり、市政の転換に向けて気勢を上げた。
 支援団体「みんなで市民参加の舞鶴≠つくる会」代表委員で、舞鶴法律事務所の吉本晴樹弁護士が「山内さんのビジョンを広く訴え、現職の4年間に厳しい審判を突き付けましょう」とあいさつ。
 山内候補は「国や府の言いなりの冷たい市政ではなく、集団的自衛権や原発再稼働にはっきりものを言い、地域医療に対する責任を果たす市政をもう一度取り戻し、市民が平和で安心して暮らせる市政に転換する」と訴え、選挙カーに乗り込み東西の市街地を回った。
 街頭演説には、井上哲士・共産党参院議員も応援に駆け付けた。


多々見陣営
活力のあるまちづくり
前回上回る支持で再選を

 浜の選挙事務所前で行なわれた多々見陣営の出陣式には約400人の支持者が集まり、再選を目指して支援を訴えた。
 後援会組織「赤ひげ&葬゚の会」の荒木義正会長が「舞鶴の明日を夢あるものにしたこの流れを変えてはいけない。前回を上回る支持の輪を広げよう」とあいさつ。続いて参議院議員の西田昌司氏と福山哲郎氏が激励した。
 多々見候補は「安心の医療やまちづくりなど公約の8割を達成し、概ね基礎固めができた。交通網の整備や京都舞鶴港の機能強化など府北部に新しい時代がやってくる。活力あるまちづくりをするため、前回を上回る票をいただき自信とエネルギーにしたい」と述べ、選挙カーに乗り込み市内を巡った。




舞鶴ライオンズクラブ
不要眼鏡で開発途上国支援

 開発途上国の人たちに使ってもらおうと、舞鶴ライオンズクラブ(一盛広樹会長)は不要になった眼鏡の回収に取り組んでいる。協力を呼びかけられた市民や団体から前回より多い眼鏡527本が寄せられ、このほど浜の商工観光センターで、会員たちが梱包作業をし、オーストラリアのリサイクルセンターへ発送した。
 開発途上国の中には眼科治療が十分に行なわれておらず、視力検査費用も高額で、矯正レンズも手に入りにくいとされる。そのため近視や乱視に対処できず、仕事につけなかったり学習に支障をきたし、貧困に追い込まれるケースもある。
 同クラブは2010年から不要になった眼鏡やレンズなどの提供を呼びかけ、リサイクルセンターで洗浄やレンズの度の強さの分類、組み立てなどをして必要な人たちの手に届けている。公共施設や眼鏡店などに回収ボックスを置いているが、今年は26カ所のほか、舞鶴市ターゲット・バードゴルフ協会や南浜婦人会などの協力も得た。
 寄せられたのは近視などの眼鏡527本、フレーム90本、レンズ482枚、防護眼鏡30本など。7人のメンバーたちが新聞紙に包んでダンボールに梱包した。一盛会長は「活動がだんだん認知され協力の輪が広がってきました。引き続き取り組んでいきますので、皆さんに協力をお願いします」と話していた。


写真=不要眼鏡を梱包するメンバーたち


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