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2007年3月30日

舞鶴共済病院が創立100周年迎え
記念式典・祝賀会、2年後には新病棟完成
 国家公務員共済組合連合会・舞鶴共済病院(多々見良三病院長)が創立100周年を迎え、3月28日、浜の市商工観光センターで、記念式典・祝賀会を開いた。海軍工廠で働く工員らの病院としてスタートし、戦後は総合病院として18診療科にまで増え、地域医療の中核を担っている。2年後の2009年には新病棟を完成させ、いまの320床から370床にまで拡充し、「心臓センター」などを開設する。  舞鶴海軍工廠で働く工員とその家族の診療を担って、1907年3月に同工廠職工共済会病院として創設。戦後は財団法人共済協会に移管し、一般市民対象の医療機関に切り替わり、一時中舞鶴分院や准看護婦養成所を開設した。97年に同連合会に名称を変更、2000年に介護老人保健施設「すこやかの森」を開設。  18診療科と最新医療機器、ICUなどを備える府北部の中核病院になった。循環器科では、冠動脈形成術を通算7770件こなし、近畿内でもその活動を知られるまでに。産婦人科はWHO・ユニセフから「赤ちゃんにやさしい病院(BFH)」の認定を受け、昨年は700人がお産をした。現在は常勤医約45人を含む職員490人。  式典では約110人が出席。多々見院長が「100年を迎えることができ、諸先輩方、関係者の皆さんのお陰と職員一同喜んでいる。総合病院として専門性を高め30余年黒字経営を続けていた。これからは都会と等しい病院に向け、新病棟を建設したい」とあいさつ。斎藤彰市長らも祝辞を述べた。続いて関係者らが鏡開きをし、祝杯を上げた。  新病棟は、外科を中心としたより高度な急性期医療を拡充するため、新館北側に鉄筋6階建てで建設。産婦人科と小児科、内科、脳神経外科などが入り、約50床を予定している。各診療科が連携し、臓器別に「心臓センター」「消化器センター」を立ち上げる構想をもつ。いまの本館は外来と管理棟の機能を集約させる。今年7月に着工し、09年8月に完成の予定。  また、別会場では病院の100年の歩みを示す写真展と、引き揚げの様子を伝える写真と展示物が並べられた。

写真左=100周年を祝って鏡開きをする多々見病院長(右から2人目)ら
写真右=新病棟の完成予想図
洪水時には迅速に避難を!
市が東西市街地ハザードマップ作成
 市はこのほど、東西市街地洪水ハザードマップ=写真=を作成し、市民に配布した。  伊佐津川や志楽川など市内15の京都府管理河川の浸水想定区域図を元に、洪水時における迅速な避難を確保してもらおうと作成した。冊子(A4判、14ページ)とマップ(A1判、両面刷り)からなる。  冊子は「洪水への心構え」「水位の変化のしかた」「避難情報の収集の仕方」「避難所や避難に際しての準備品」などを掲載した。マップは2004年の台風23号時の府内最大総雨量385ミリを想定し、東西市街地の府管理の15河川の周囲で、予想される浸水区域を3メートル〜0.5メートルの4段階の浸水の深さ別に色分けした。  4万5000部作成した。費用は1214万円。希望者には市防災課、東・西消防署の窓口で配布している。

2007年3月27日

初の公式戦で「チェリーズ」が金賞
西日本チアリーディング・ジュニアスター部門
 舞鶴文化教育財団(高橋照理事長)の育成するチアリーディングチーム「チェリーズ」が3月21日、大阪市中央体育館で開催された第13回西日本チアリーディング選手権大会(日本チアリーディング協会主催)のジュニアスター部門で金賞を受賞した。公式競技会に初挑戦しての栄冠で、メンバーらは演技で見せた笑顔をさらに輝かせている。  チェリーズは、2001年6月に、舞鶴文化教育財団が、集団演技を通して互いに思いやる心の育成など子供たちの健やかな成長と、地域を元気づけようと結成した。園児から小学生がメンバーで、毎週水、土曜日に、ショッピングセンター「らぽーる」ホールや体育館などで練習を続けている。  高橋てる恵さんと松尾ユリカさんがコーチを務め、これまで各種イベントなどを盛り上げ応援するチアリーディングチームとして活躍。初の公式戦となった西日本選手権大会には、小学2年生から6年生のメンバー15人のチームで出場した。  ジュニアスター部門には14チームが出場。応援の基本形のモーション(サイドライン)や出場チームが互いに応援するチアなどを盛り込んだ演技を発表した。チェリーズは、メンバーを上に乗せるスタンツ(組み立て)を決めるなど息の合った演技で、最優秀の金賞に輝いた。  高橋さんは「金賞を狙って出場しました。メンバーは厳しい練習に耐え、また、演技中も大切な要素の笑顔を絶やさず頑張りました。多くの皆さんの支援が受賞につながったと思います」と話している。

写真=金賞を受賞した「チェリーズ」(舞鶴文化教育財団提供)
映画「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」
DVD発売、追悼集会のシーンも収録
 終戦直後、舞鶴湾で起きた浮島丸事件を題材にした映画「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」のDVDがこのほど発売された。  浮島丸事件は1945年8月24日、日本で働いていた朝鮮人労働者の家族を乗せた船が、青森県下北半島を出港し、釜山に向かう帰路に寄港した舞鶴湾内で謎の爆沈をし、549人が犠牲となった。  京都市民のグループが建都1200年を記念し、この事件を題材に映画化した。舞鶴市民も会費を募ったり、大浦半島などでロケに協力するなどした。映画では8月24日の追悼集会のシーンも収録された。映画は戦後50年の1995年に完成し、全国で上映が始まった。  97年に英国のエジンバラ芸術祭参加作品、2004年に韓国の光州国際映画祭参加作品にも選ばれた。日本だけでなく韓国や中国でも上映され、この事件が知られるきっかけも作った。それを元に05年8月には韓国と中国から研究者を招き、東アジア国際平和シンポジウムも実現できた。  DVDは1万500円。田中町の森のことび(電話64・4625)で扱っている。

写真=映画のDVD
2007年3月23日

舞鶴のまちづくりに役立ちたい!
小原さんが4月、松下政経塾に入塾
 NPO法人舞鶴市女性センターネットワークの会事務局長を経て、京都大学大学院修士課程を3月に修了した小原舞さん(32)=京都市=が、4月から松下政経塾(神奈川県茅ヶ崎市)に入塾する。松下電器産業の創業者である松下幸之助氏が、指導者の育成を目指して設立した。高校3年生で塾の存在を知ってから、いつも心の中に目標として持ち続けていた。舞鶴のまちづくりに役立つ人材になるよう、3年間の研修に臨む。  小原さんは東高生のころ、自分の生き方を考えるヒントを探す中、松下氏の本で塾を知った。自分には雲の上のような存在と思ったが、その後もずっと頭から離れることはなかった。海上自衛隊に1年半勤務した後、関西学院大学に進学。卒業後は舞鶴に帰郷した。  10代のころ大嫌いな舞鶴だったが、自分を変えようとまちづくりイベントに参加。1999年にはクイーンまいづるにも選ばれた。同ネットワークの会の事務局長を2003年から2年間務め、管理・運営を担当。男女共同参画社会などの実現に向けた様々な事業で、法人側と行政側との調整役で苦労した。そうした体験から自分の専門能力のなさを痛感し、05年に京大大学院法学研究科国際公共政策の修士課程に入学し学び直すことにした。  修了後の進路を考えた際、「志ある人の中で勉強したい」との思いと、舞鶴に役立つ人材にというライフワークも見つかったことで、昨年塾の門を叩くことを決意した。200人が応募し書類審査のほか、合宿面接での共同討論や公園のトイレ清掃など3回の面接で6人が合格した。  松下政経塾は松下氏が私財70億円を投じ、79年に設立。06年4月までに220人が卒塾し、衆議院議員などの政治家や会社経営者などを多数輩出している。決まった講師や教科書はなく、塾生たちが考えて講座を開き、現場での体験実習と実践活動を主にする。研修資金の支給を受け、様々な地に出掛け研修を積む。  合格の知らせを受けた小原さんは「途中諦めずに達成でき、感慨深く目頭が熱くなりました。地域振興に向けた市民参加の仕組みの構築、行政と市民との関係を研修テーマにしたい」と、4月7日の入塾の日を心待ちにしている。さっそく5月には戦争体験を学ぶため、引揚記念館を訪れる舞鶴研修の企画を立てている。

写真=3年間の研修を前に入塾を心待ちにする小原さん
市社協へ車椅子対応の車両1台寄贈
国際ソロプチミスト舞鶴、認証30周年で
 国際ソロプチミスト舞鶴(多田和子会長)は、認証30周年の記念事業として、舞鶴市社会福祉協議会に車椅子のまま乗降できる車両1台を寄贈した。3月22日、円満寺の舞鶴グランドホテルで贈呈式を開いた。  同協議会は公共交通機関の利用が難しい車椅子利用者の外出支援のため、福祉有償送迎サービスを実施する。5台の車両を運行するが、内1台が11年を経過し老朽化したため、代替車両の購入を検討中、同舞鶴から寄贈の申し入れを受けた。  贈呈式では多田会長が「バザーの収益金と会員の積立てを、社会福祉に役立てたいと寄贈を決めました。ご活用ください」とあいさつし、同協議会の上羽仁事務局長に目録を手渡した。上羽さんは「利用者も大変喜んでおり、有効に使わせていただきます」とお礼を述べた。  この後、姉妹クラブの会員らを招いた記念式典も開かれた。

写真=上羽事務局長に目録を手渡す多田会長(左)
2007年3月20日

不登校の児童・生徒のための民間教育施設
「聖母の小さな学校」卒業式、3人が巣立つ
 不登校の児童・生徒のための上安の民間教育施設「聖母の小さな学校」(梅澤秀明・良子代表)で3月17日、卒業式が開かれ、3人の生徒が卒業の証の色紙を受け取った。生徒たちはこれまでの自分を見つめる苦しさを経て、自分を受け入れることができるようになった聖母での日々を「一生分以上の宝」と述べた。聖母を支える関係者も出席し、その成長を温かく祝福した。  16〜19歳の男子生徒2人、女子生徒1人が卒業を迎えた。中学生のころから不登校になるなどし、聖母で約1年〜2年間学んできた。公立校などのように卒業単位が決められているわけではなく、不登校の自分を直視し困難に向き合う力をつけた生徒たちを、次の道へ送りだしている。  卒業式には父母、卒業生の社会人、公立学校や市関係者ら約20人が出席。はじめに梅澤秀明さんが「1人の人間として大切なことは何かと、自分を見つめるよう教えてきた。つらいけれど自分の課題を受け止め、教わったことを思い出し進んでほしい」と語りかけ、3人に卒業の色紙を手渡した。  3人は聖母での毎日を振り返り、卒業メッセージを発表した。「先生に話を聞いてもらい楽になった。いろんな体験ができるようになって自信がついた」「がまんすることを勉強した。先生はよくいろいろな話をしてくれました」「誰も理解してくれず苦しかった。聖母でかけがえのない先生、仲間に出会えたこと、それが僕にとって一生分以上の宝です」。  そうした発表を目の前に、梅澤良子さんは聖母に来て初めて泣いた生徒の姿を思い出し、「どれだけ1人で苦しんでいたことか。自分の心を開いてくれたことを忘れません。もう大丈夫ですよ」と言葉をかけた。一緒に不登校を考えてきた生徒らの父母は、「子供を追い込んでいたりと親として学んだこともあった」とし、3人の成長に対して支えてくれた全ての人に感謝を述べた。3人は公立高校などそれぞれの道へ進む。  また、卒業式に先立ちこのほど実施した中国学習旅行の報告会もした。人前に出るのも苦手な生徒たちが旅行への希望を膨らませ、約1年かけて準備。大連での交流の様子を紹介し、3人は「文化の大きさに驚いた」「もっといろんなことを知り広い世界を見たい」と意欲を伸ばした。  「聖母の小さな学校を支える会」(川崎弘会長)は、学校の運営を支援するため募金への協力を呼びかけている。  梅澤夫妻が1989年に設立以来、200人を超える中高校生らが在籍した。基礎教科の学習のほか、体験学習も多く取り入れる。不登校の相談にも応じている。「不登校は個人的な問題ではなく、社会の歪みが表出した問題」と捉え、困難に向き合う力を育てる取り組みに、卒業生らは「不登校になってよかった」と考えるまでに成長している。  しかし、民間施設であるため運営は厳しい。授業料、宗教者や各団体からの寄付、梅澤夫妻が非常勤講師の報酬などを運営費に充てるが、不足分を同会が募金活動で賄う。2007年度は350万円を贈った。梅澤さんは「最近も匿名の寄付をいただきました。皆さんの思いに感謝するとともに力にしていきたい」と話している。

写真=梅澤さんから卒業の色紙を受ける生徒
「舞鶴・引揚語りの会」がビデオ撮影
今夏の企画展へ新舞鶴小6年生の協力受け
 NPO法人「舞鶴・引揚語りの会」(豊田信明理事長)が、今夏に実施する企画展に向け、新舞鶴小学校の6年生たちの協力を受けて、3月15日、溝尻の同校でビデオ撮影をした。6年生の6人がカメラに向け、引揚記念館を見学しての感想や戦争の悲惨さを語った。  舞鶴港への引き揚げの史実を語り継ぐ同語りの会は、記念館で平和のメッセージの発信だけでなく、来館者の感想や反響などを展示するとともに、夏休みに子供たちの来場を増やす企画を計画。その中で放映する映像製作のため、昨年11月に記念館を見学した新舞鶴小に協力を依頼した。  6年生113人が総合的な学習で記念館を見学し、続いて同語りの会理事の中田照造さんが同校で授業をした。その後、児童たちはその感想を1人1人壁新聞にした。  ビデオ撮影には6人が協力、自分の壁新聞を見せながら戦争の悲惨さを訴えた。納谷優衣さん(12)は「ケンカや悪口などをなくし、笑顔があふれるようなことをしたい」と語った。また、学年主任の高橋久美子教諭が「子供たちは世界へ目を向けたり、身近な問題に置き換えて考えるようになり、意義ある学習ができた」と結んだ。  映像は8〜10月の企画展「引揚記念館と来館者とのかかわり」(仮称)で、児童たちの壁新聞と一緒に紹介する。

写真=カメラの前で引揚記念館を見学した感想を述べる6年生
2007年3月16日

伝統技法で新しい観光土産づくり
「舞鶴巧芸」が西陣織の重ね貼り駆使
 西陣織の帯づくりに使う重ね貼りの伝統工芸の技法を駆使して、森本町の「舞鶴巧芸」(田中光代表)が、舞鶴の新しい観光土産品づくりに取り組んでいる。市指定文化財の糸井文庫にある錦絵の図柄を元に、金箔や銀箔、螺鈿(らでん)などを貼り合わせ、七宝かさねの絵を完成させた。すでに1部は市政記念館で販売中。田中さん(57)は「長年培った技でまちづくりに役立ちたい」とする。  舞鶴巧芸は田中さんの父が終戦直後、引き揚げ者らの授産施設としてスタート、1970年ごろから織物関係の仕事を始めた。金箔やアワビなどの貝殻の螺鈿などを着色するなどし、図案を元に特殊な紙に重ね貼りする。それを細く裁断し西陣の業者へ納入。帯を織る際のよこ糸として織り込むと図柄が浮き上がる。  この技法を使った商品や観光土産の製作を、商工関係者やまちづくり団体から勧められた。1昨年に工場の1部が火事で燃え、九死に一生を得た体験をしたこともあり、自分の仕事が地元に役立つならと、昨年秋から製作に取り組んだ。  商品名は「京都舞鶴 七宝かさね」。金箔、真珠、プラチナなど七種の材料を重ね貼りした。4月下旬開館予定の「まいづる智恵蔵」に展示される糸井文庫から、石川五右衛門などの錦絵を題材にしたはがき大の額絵やカード、引揚船「興安丸」の絵、仏画などを創作した。価格もはがき大の額絵で3000円に抑えた。今後、販売場所も増えていく予定。  田中さんは「これまで織物の世界しかつきあいがなかったので、異業種の人ともつながりを持ち、知恵を借りてアイデアを広げたい」と話している。注文を受け製作もする。
【問い合わせ】電話62・0533、舞鶴巧芸。

写真左=錦絵を元にした作品と田中さん
写真右=重ね貼りの作業の様子
チェロ演奏とフランス料理楽しんで!
3月31日、ほのぼの屋で「春の宴」
 障害者施設「ワークショップほのぼの屋」が開設5周年のプレ企画として、世界的なチェリストの水谷川(みやがわ)優子さんの演奏とフランス料理を楽しんでもらおうと、3月31日、大波下のカフェレストランほのぼの屋で「春の宴」を開催する。収益は働く障害者たちの賃金に役立てられる。  ワークショップのレストラン事業は2002年4月に開始。障害者たちが接客や調理補助などの仕事を務めており、海と夕日の見える立地とフランス料理に多くの人が来店している。また、昨年秋にはレストラン横に少人数が宿泊できるホテルもオープンした。  全国の福祉施設などでボランティア演奏に取り組む水谷川さんの厚意で実現し、同店の糸井和夫シェフの料理と共演する。水谷川さんは日本の交響楽団の祖といわれる指揮者、近衛秀麿を祖父にもつ。東京国際室内楽コンクールで優勝、カーネギーホールなど国内外のリサイタルで活躍する。雄大で繊細なチェロの音色を響かせる。  ピアノのアルバート・ロトさんも出演する。第1回モントリオール国際コンクールで優勝し、数多く来日する。ホロヴィッツから「最後の弟子に」と申し出を受けた天才ピアニスト。  曲はシベリウス「ロマンス」など。演奏は午後3時半から。ランチとのセットは1万円(40人まで)、ディナーとのセットは1万2000円(20人まで)、演奏のみは3500円(同)。
【問い合わせ】電話66・7711、ほのぼの屋。

写真左=演奏する世界的チェリストの水谷川さん
写真右=ピアノのロトさん
2007年3月13日

民団舞鶴支部がサムルノリのサークル
韓国伝統芸能、田辺城まつりで初披露へ
 舞鶴に在住する韓国籍の人たちで組織する同支部は、次世代を担う在日3、4世の子供たちに韓国の伝統文化を学んでもらうとともに、最近の韓流ブームを受け、韓国の文化を通して市民との地域交流も図ろうと、機会を模索していた中、人気のサムルノリに挑戦することを決めた。京都などの都市部の民団ではサムルノリのグループはあるが、府北部の3つの民団では初の取り組み。  サムルノリは朝鮮半島の舞踊である農楽がルーツとされ、約1600年の歴史を持つ。農耕生活の中から生まれ、豊作に感謝して演じられるなどした。その後、演奏家グループ「サムルノリ」がケンガリ(鉦)とチン(どら)、プク(太鼓)、チャング(鼓)の民族楽器を使い、農楽をもとに新しい音楽のスタイルを生み出した。動きを入れ楽器を打ち鳴らす姿はダイナミックで、グループ名がそのまま音楽の1ジャンルを指すまでなった。  楽器を購入し参加者を呼びかけ、初練習には、毎年京都市内で開かれている在日韓国・朝鮮、日本の人たちの祭り「東九条マダン」の実行委員会メンバー3人を講師に迎えた。全員初心者の小学生7人や大人たちに、楽器の扱い方と基本のリズムの取り方を指導。参加者たちは最後には楽器を打ちながら歩くまででき、講師も上達ぶりに驚いていた。今後も毎週水曜日夜と日曜日午後から、上安の韓国人会館で練習を続ける。  金支団長は「目の前で演奏を聴くと迫力がある。初舞台までに何とか形になれば。民団だけでなく日本の人たちにも参加してもらい、交流を進めたい」と話していた。  5月27日の田辺城まつりで初めて披露する。東九条マダンのメンバーや綾部の東綾中学校のサムルノリ部の生徒らも応援出演する。サムルノリのほか、李氏朝鮮時代(1392〜1910年)の衣装を着た行列、韓国料理などの出店も並べる予定。  同支部ではサムルノリをやってみたい人を募っている。国籍、年齢を問わない。
【問い合わせ】電話J75・1150、民団舞鶴支部。

写真=チャングの練習をするサークル参加者ら
昭和33年西高卒業の同窓会「十期の会」
卒業50周年で舞鶴公園に桜を記念植樹
 1958(昭和33)年に西舞鶴高校を卒業した10回生でつくる同窓会「十期(とき)の会」が、卒業50周年を迎えたのを記念して、卒業式が行われた同じ3月8日、南田辺の舞鶴公園で、仙台しだれ桜の記念植樹をした。5月22、23日には宮津市のホテルで50周年記念のつどいも開く。  第10回生は55年に352人が入学し、卒業時には326人だった。88年に「十期の会」を結成し、その後は5年ごとに同窓会を開いてきた。  50周年の記念に、卒業アルバムの写真撮影をした思い出の舞鶴公園に、京都府の花であるしだれ桜の植樹を計画。しだれ桜は樹齢約25年、高さ約6メートル。仙台で苗木として育ち、その後名古屋で育てられた。  植樹式には34人が出席し、同会代表の村尾幸作さん(67)のあいさつに続き、同窓生らが天守台石垣東側に植えられた木の根元にスコップで土をかけた。また、同窓生の小由里勝さんが、今田の田んぼから掘り出した自然石を使った記念碑も設置された。兵庫県川西市の福田徹士さん(66)は「桜を植えるのを見ようと帰ってきました」と話していた。

写真=仙台しだれ桜を植える同窓生たち
2007年3月9日

社会人「東舞鶴F.C」15年ぶりに
京都フットボールリーグ1部へ昇格
 サッカークラブの「東舞鶴F.C」(荒木隆義代表)が、社会人クラブが加盟する京都フットボールリーグの1部(トップリーグ)に15年ぶりに昇格することが決まった。昨年、リーグに加盟して30周年に当たる節目の年に、昇格を決めるリーグ戦で1位になった。4月の開幕に向け、組織をまとめて戦っていきたいと練習にも熱が入っている。  東舞鶴F.Cは1977年に創部し、1部から4部まである同リーグに加盟した。部員は仕事が終わった夜に週1回、練習に集まる。15年前にも1部に昇格したが、そのシーズンは最下位となり、1年で降格した。長らく2部でプレーを続けてきたが、ここ数年新しい選手も加入し再びチームに活気が生まれた。  1部昇格をかけた昨年のシーズンは、8チームからなるCブロックに入り、4勝1敗2分で2位になった。3つのブロックの上位2チーム、計6チームが昇格を決めるリーグ戦に進出。3チームからなる2ブロックに分かれ、2勝して1位を決めた。どの試合も僅差の接戦を制した。  現在、同F.Cは35人の社会人が所属する。守備を基本にしてカウンター攻撃を持ち味にしている。キャプテンの阿波健介さん(32)は「1部昇格までに苦労したが、チームが1つになったことで目標を達成できたと思う。これからも組織力を高め、1年で降格しないよういい戦いをしたい」と話している。  また、同F.Cは小学3年生以上のジュニアチームもあり、60人の部員が所属している。

写真=ジュニアの部員と並ぶ1部昇格を決めた社会人の部員ら










市長賞に大竹さん、教育長賞は雲丹亀さん
3月21〜25日「ワンダフル舞鶴写真展」
 第16回ワンダフル舞鶴写真展(舞鶴市、同市文化事業団など主催)の入賞者が決まった。市長賞に大竹一生さん(74)=北吸=の「春濤」、教育長賞に雲丹亀円香さん(23)=朝来中=の「青春の奏」、理事長賞に森光司さん(46)=綾部市物部町=の「水辺の朝」が選ばれた。  舞鶴の素晴らしい自然景観や伝統行事、未来への新しい息吹など写真で紹介することを狙いに、舞鶴市内で撮影した写真を公募して開催している。  今回の応募作品は、86人から185点あり、前回の165点から20点増えた。日本写真家協会会員の北奥耕一郎さんが審査を行い、市長賞など3賞、特選、入選、さらに特別賞の作品を決めた。  写真展は3月21日〜同25日、浜の総合文化会館小ホールで開かれ、応募作185点のほか、審査員、委嘱作家の作品合わせて190点を展示する。入場は無料。また、最終日の25日午後2時半〜同3時半、同会館展示室で、北奥さんの写真講座「フォトセラピー(心を癒す写真)」がある。聴講無料。
 特選、入選、特別賞の入賞者は次の皆さん。
 【特選】江森勲(千葉県船橋市)奥田克己(溝尻梅ケ谷)由里章(北吸)
 【入選】吉野耕司(南田辺)中沢壽藏(田中)杉田栄紀(七日市)丸山明(喜多)石田素子(田中町)今井由一(宮津市中野)川代日出三(小倉)小林明(高浜町)馬屋原信行(金屋町)浅奥重和(浜)
 【特別賞】ふるさと賞=三田直樹(南田辺)▽ほのぼの賞=増田章(愛宕中町)▽お祭り賞=小畑繁明(余部上)▽平和賞=村田勝彦(安岡町)

写真左=市長賞に選ばれた大竹さんの「春濤」
写真右=教育長賞に選ばれた雲丹亀さんの「青春の奏」
2007年3月6日

阿部さん、4年間を無遅刻無欠席で卒業
東高浮島分校で8年ぶりに皆勤賞
 溝尻の夜間定時制の東舞鶴高校浮島分校で、阿部周(しゅう)さん(19)=浜=が4年間無遅刻無欠席の皆勤を果たし、卒業した。昼間は働きながら夜間の勉強と両立させた4年間の生活を送った。3月1日に行われた卒業式で皆勤賞を贈られたが、1998年度に表彰者が出て以来8年ぶりの快挙。苦楽をともにした仲間や教職員たちからも祝福を受けた。春からは大学に進学する。  浮島分校では午後6時45分から授業が始まり、同9時に終わる。夕暮れ時の学校には、職場から作業着のまま駆けつける生徒たちの姿を見かけることができる。ほとんどの生徒が昼間何らかの仕事をしているが、学業との両立は厳しい現実もある。今年度の卒業生も入学時には33人いたが、1日の卒業式の席についたのは17人だった。  阿部さんは食堂やスーパーで働きながら学び、無遅刻無欠席を意識しだしたのは1年の終わりごろだった。その後何度も疲れて挫折しそうになったが、最後までやり通そうと強い意志を持ちつづけた。体調管理に気を配ったが、風邪で発熱した日も出席した。4年間の楽しかった思い出に「仲間たちといろんな話ができたこと」を挙げ、それも学校へ行く励みになった。  「中学校は半分ぐらいしか通えず親に心配をかけた。その分、高校ではがんばろうと思った。いまは素直にうれしい。とても自信になった」と笑顔を見せていた。成績も優秀だったことから、財団法人全国高等学校定時制通信制教育振興会の優秀生徒表彰も受けた。卒業後は京都市内の四年制大学に進学し、日本史を学ぶことにしている。  また、同じく卒業生の井上拓磨さんが、同振興会の優秀生徒表彰のクラブ活動優良で受賞した。全国高等学校定時制通信制陸上競技大会に、井上さんは3年連続で出場。男子走り幅跳びや100メートル、400メートルリレーに出て、4年生最後の大会ではリレーで6位入賞を果たした。  卒業式では田口生夫校長が17人に卒業証書を手渡した後、「がんばった自分を誇りに思うとともに周囲への感謝を忘れないでほしい。これからも苦難に負けることなく人生を切り開いていってください」と言葉を送った。  最後に卒業生を代表して森野智恵さんがステージに上がり、「これまで経験のなかった昼働き夜学ぶ生活は、33人の仲間が次々と減り厳しさを痛感した。きょうを迎えることができたのも仲間、先生、家族の支えがあったからこそと感謝しています」と、涙で言葉を詰まらせながらいまの気持ちを伝えた。

写真左=皆勤賞を手にする阿部さん。全国高等学校定時制通信制教育振興会の優秀生徒表彰も受けた
写真右=同振興会の優秀生徒表彰のクラブ活動優良を受賞した井上さん
3年連続で全国高校選抜大会へ
日星高卓球部が女子の部団体で
 上安久の日星高校卓球部が、3月26日〜同28日、金沢市で開かれる第34回全国高等学校選抜卓球大会の女子の部団体に、3年連続出場する。新チームになって初の全国の舞台に臨む部員たちは、日星らしい卓球をしたいと練習に打ち込んでいる。  昨年秋の府大会では団体で準優勝し、上田萌選手(2年)と桟早紀選手(同)のダブルスも準優勝。シングルスでは上田選手がベスト8に入った。次の近畿大会では50校が団体に出場し、上位7校までが全国選抜のキップを手にできる。上位を狙う高校の実力は伯仲し、日星高は接戦を制して5位に入った。また、ダブルスは3位、シングルスは5位と健闘した。  主将の林実穂選手(2年)は「勝負のかかった試合で緊張して、思いどおりの結果にはならなかったけれど、次の選抜では一致団結して自分たちのプレーをしたい」と意欲を見せている。監督の谷上宏樹教諭は「基本を大切に練習を積み重ね、夏に向けてのステップにしてほしい」と話していた。

写真=全国大会に臨む卓球部の部員たち
2007年3月2日

「引揚を記念する舞鶴・全国友の会」
地域づくりに貢献、総務大臣表彰
 戦争がもたらした悲惨な引き揚げの史実を後世に伝え、恒久平和の実現を目的とする「引揚を記念する舞鶴・全国友の会」(林田悠紀夫会長)が、平成18年度地域づくり総務大臣表彰を受賞する。舞鶴引揚記念館の資料収集、引揚桟橋の復元などの活動を通して、地域の振興や個性豊かな地域づくりの貢献が認められた。  終戦後、旧ソ連のシベリアに抑留され、舞鶴港に引き揚げた人たちらでつくる同会は、平成2年4月に設立された。2年前の昭和63年に竣工した舞鶴引揚記念館の設置を要望した引き揚げ者を中心に全国組織をと立ち上げた。  舞鶴引揚記念館で開設される企画展などの事業への協力、引き揚げの史実を後世に伝える「語り部の会」の創設や市とともに「語り部養成講座」を開講した。なかでも、平成6年の引揚桟橋の復元が最大の事業といえる。  同会事務局長の藤村正巳さん(76)によると、引揚者からの「いまあるのは、生きて帰って引揚桟橋に第1歩を印したため。桟橋を造ってほしい」との要望が寄せられたためという。平成4年の第3回総会で、桟橋復元事業検討委員会を設置、建設資金の募金活動や建設許可に係わる関係機関との折衝を経て復元に至った。  総務大臣表彰の受賞について、藤村さんは「思ってもいなかったので驚いている。ご存命の引き揚げ者を舞鶴に呼びたいと活動を続けてきたが、市民の皆さんの協力で、もてなすことができました」と話している。表彰式は3月14日、東京で行われる。  同会は、平成17年10月に市主催の「海外引揚60周年記念式典」とともに開催した第14回総会で活動を終結した。現在、存続した事務局で会員や関係団体との連絡に当たっている。

写真=全国友の会が復元した引揚桟橋
3月17・18日に赤れんが映画館
舞鶴ロケの「飢餓海峡」など6本一挙上映
 舞鶴を舞台にロケ撮影された映画を集めた上映会「赤れんが映画館」が、3月17、18日、北吸の市政記念館で開かれる。昭和30年代の舞鶴のまちが映る往年の名作「飢餓海峡」(内田吐夢監督、1965年公開)、舞鶴の歴史やここで生きる人の物語を描いた「ニワトリはハダシだ」(森崎東監督、2004年公開)など6本が上映される。  NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴、舞鶴八千代館、舞鶴フィルムコミッションの共催。17日は午前10時から「飢餓海峡」、午後2時から「男たちの大和/YAMATO」(佐藤純彌監督、2005年公開)、同6時から「バルトの楽園」(出目昌伸監督、06年公開)。18日は午前10時から「ニワトリはハダシだ」、午後2時から「かぞくのひけつ」(小林聖太郎監督、06年公開)、同6時から「季夏」(07年公開予定)。  「ニワトリはハダシだ」は舞鶴を拠点にする映画製作会社シマフィルム代表の志摩敏樹さんが製作総指揮を務め、ベルリン映画祭にも招待された。昨年12月に公開されたばかりの「かぞくのひけつ」も志摩さんが企画・製作。舞鶴では初上映となる。大阪・十三の町が舞台となった人情喜劇。「季夏」は舞鶴出身の多摩美術大学学生らが製作した。  入場料金は1日券500円(何本でも鑑賞できる)。「季夏」のみ無料。150席(満席になり次第締め切る)。事前申し込みは不要で当日受け付ける。
【問い合わせ】電話66・1024、舞鶴フィルムコミッション。

写真=吉原で撮影された「ニワトリはハダシだ」の1シーン(シマフィルム提供)
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