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2012年7月31日

パイオニアの足跡伝える
舞鶴出身の菅谷さん ロス五輪水泳女子に出場
市政記念館に展示コーナー

 1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで、水泳女子に出場した舞鶴出身の菅谷(旧姓・松澤)初穂さんの功績を紹介するコーナーが、北吸の市政記念館2階に開設された。写真やゆかりの品々で足跡を振り返ることができる。7月26日のオープン式には菅谷さんの3人の娘や、母校である新舞鶴小学校の児童たちも訪れた。  菅谷さんは新舞鶴尋常高等小学校(現・新舞鶴小)と舞鶴高等女学校(現・城北中)で学んだ。18歳でロス五輪の自由形100メートルに出場、初参加の日本女子水泳陣の主将も務めた。ベルリン五輪ではコーチとして、前畑秀子選手の金メダル獲得をサポート。晩年は在住した西宮市で水泳グループを作り、昨年1月に96歳で亡くなった。  同館2階にある舞鶴出身のベルリン五輪のメダリスト、大江季雄選手のコーナー横に、市が新たに展示スペースを設置。与保呂川(新川)で遊ぶ少女時代の写真、ロス五輪出場にエールを送る寄せ書き、前畑選手からのハガキ、菅谷さんへ送った新舞鶴小と明倫小の児童たちの作文など、家族から提供された39点が並ぶ。  開設式では長女の菅谷典子さん(71)=西宮市=が「きっと母も喜んでくれていると思います」とお礼を述べ、多々見良三市長らがテープカット。コーナー開設に尽力した舞鶴出身の版画家、田主誠さん=茨木市=も、菅谷さんと大江さんを偲んだ作文を朗読した。  3女の辻礼子さん(65)=芦屋市=と4女の岡智子さん(62)=豊中市=は「母は舞鶴がとても好きで、亡くなる前にも行きたいと言っていました」と話している。  展示は今年12月末まで。

写真=展示資料と開設式に訪れた菅谷さんの娘たち



みなと舞鶴ちゃったまつり
花火5000発 夜空彩る
前夜祭
民踊ながしは1300人が踊りの輪

 第37回みなと舞鶴ちゃったまつり(同実行委員会主催)のフィナーレを飾る花火大会が7月29日夜、浜の東地区海岸であり、夜空を彩る大輪の花火に市民らが酔いしれた。  同海岸は、浴衣姿で訪れた市民らで埋め尽くされ、轟音とともに5000発の花火が打ち上げられた。最後に市民の「まい花火募金」による「みんなの花火」が打ち上げられ、ひときわ大きな歓声があがった。  また、同まつり前夜祭は28日夜、西地区商店街で開催された。4団体約140人が手作りみこしを繰り出し、民踊りながしは、「舞鶴音頭」に合わせて26団体、約1300人が、踊りの輪をつくった。

写真左=夜空を彩る花火
写真右=踊りの輪をつくった民謡ながし


2012年7月27日

北京五輪ウエートリフティング8位入賞
斉藤さんの健闘たたえ記念碑
応援する会 母校の城南中に建立

 北京五輪のウエートリフティング競技女子69キロ級で8位に入賞した斎藤里香さん(29)の健闘をたたえる記念碑が、母校の城南中学校=京田=に建立され、7月24日、斎藤さんらが出席して除幕式が行われた。  記念碑は、北京五輪出場を決めた斎藤さんを物心両面で応援するため、市民有志でつくった「斎藤里香選手を応援する会」(小西剛会長)が、校門近くに建立した。桜御影石製で、高さ110センチ、幅65センチ。五輪マークと「北京オリンピック競技大会出場記念碑」のタイトルと斎藤さんの成績が刻まれている。  斎藤さんは、ロンドン五輪の出場をめざし、今年4月の日本選手権で優勝するなど活躍。しかし、5月の五輪選考会で日本代表に選ばれなかったことから現役を引退した。応援する会では、斎藤さんの活躍を見守ってきたが、現役引退を期に、記念碑を建立した。  除幕式では、櫻井秀之校長や生徒会本部役員、陸上競技部員ら約30人が見守る中、斎藤さんが幕を引いて記念碑を披露。生徒会長の3年、堀江李さん(16)が「オリンピックという世界最高の舞台で、先輩が活躍されたことを誇りに思います」と功績をたたえた。  斎藤は「素晴らしい記念碑を建てていただき感謝しています。これが刺激となって、舞鶴からオリンピックに出場する後輩が誕生すればうれしい」と話した。

写真=記念碑を除幕した斎藤さん(右)



スライドショーで甦る町並み
東舞鶴はまっこ 夜市八島幻燈夜会

 東地区商店街「はまっこ夜の市」の最終日の7月21日、八島商店街のyashima art port前で、市民らが提供した戦前から昭和50年代にかけて撮影された八島商店街や東舞鶴地域の写真を、アーケードから吊した縦1.8メートル×横4メートルの巨大特設スクリーンに投影する「夜市八島幻燈夜会」が開かれた。照明の落とされた商店街に映し出された昔の舞鶴の姿に、多くの市民が足を止め見入った。  まいづるRBの主催。夜の市期間中を「やしまアートナイト4DAYS」と名付け、毎週違うコーディネーターが企画を行うという新しい試みをした。最終週のこの夜は、地域文化に関する情報と記録・調査をする大阪の2つのNPO団体のユニット「レシップ+レモ」が企画した。  主婦の奥田純子さんや、菅野商会、宝林寺、舞鶴実業会事業協同組合などから多数の写真提供があった。アーケードのまだない八島商店街の姿や、昭和30年代のだるま祭りの様子、昭和40年前後の市民プールの様子などがあった。他に、大正時代の浜地区の地図などの提供もあり、展示もした。  特設スクリーンは、木工作家の田中雅理さんが、蚊帳などに使用する布の寒冷紗(かんれいしゃ)と木材を使い手作りしたものを使った。午後8時半にアーケードの照明が落とされスライドショーが始まると、多くの市民が集まり、映されたモノクロの写真の場所などを話していた。また、八島商店街の昔をよく知る、商店主の伊庭八郎さんや菅野哲夫さんらが、写真の解説をマイクで加えるなどし、商店街の夏の夜を盛り上げた。

写真=巨大特設スクリーンに映し出された昔の舞鶴の写真を見る市民たち(レシップ+レモ提供)


2012年7月24日

舞鶴空襲 語り継ぐ
編さん委員会 7月29日刊行、手記と座談会収録
平和の集いも

 舞鶴空襲を記録に残そうと、「戦争・空襲メッセージ」編さん委員会(蒲田忠夫・呼びかけ人代表)が、元動員学徒ら空襲体験者から寄せられた手記などを収録した本『手記と座談会で語り継ぐ舞鶴空襲』を、7月29日に刊行する。この日午後1時から北吸の赤れんが4号棟で市民の平和の集いも開き、空襲犠牲者への追悼と平和の大切さを伝える。  1945年7月29日、舞鶴海軍工廠に米軍の模擬原爆の爆弾が投下され、翌30日には艦上機の攻撃を受け、動員学徒や工員ら184人が犠牲となった。体験者が高齢化し少なくなる中、戦争の悲惨さと舞鶴空襲の事実を後世に伝えようと、市民九人が呼びかけ人となって手記集の作成に取り組んだ。  舞鶴第一高等女学校など学校や工場別に動員された学徒や住民ら79人の参加を得て座談会を13回開き、次々と話が引き出され具体的な工場の様子を聞き取った。手記は67人から寄せられ、その平均年齢は82歳だった。港で荷役作業をしていた人、爆弾投下を目撃した人らも文章や絵図などを寄せた。  こうした聞き取りや手記の応募の中で、元工員が所有していた海軍工廠の配置図、工廠喜多分工場の写真などが見つかった。また、配置図に記された建物について、関係者の証言で施設名が判明したほか、従来は5452人とされた動員学徒が、今回の調査で7000人を超えることもわかった。  同編さん委員会事務局長の関本長三郎さんは「戦争の風化が叫ばれる中、語り継ぎたいという想いが多くの方にあることに感激しました。そこには戦争はだめだ、二度と起こしてはいけないという気持ちが込められています」と話す。  本はA4版で202ページ。1500部発行する。定価2,100円。申し込みはFAX(62・5736)で関本さんへ。なみえらぽーる店や舞鶴堂書店、ブックスアスカなどでも販売する。  市民の平和の集いは犠牲者への献花に続き、空襲で両目を失明するなど大けがを負った元洛北実務女学校生徒の橋本時代さんら3人が体験を語る。最後に市民へ平和のメッセージをアピールする。入場無料。
【問い合わせ】電話62・5736、関本さん

写真=手記などを収めた本



戦争展 7月27〜29日
市政記念館で

 2012年平和のための舞鶴の戦争展(同実行委員会主催)が、7月27日〜29日、北吸の市政記念館で開かれる。  「原発・原爆・放射能と戦争」をテーマに舞鶴空襲、舞鶴の戦争遺跡、浮島丸事件、戦時下の暮らし、人間魚雷「回天」の模型、紙芝居などの展示や発表がある。午前9時半〜午後8時(最終日は午後6時)。入場無料。  28日午後2時からは浮島丸事件などのフィールドワークを行う。費用は1,200円。
【問い合わせ】電話76・8304、同会




被災地で継続的支援を実感
日星高生徒たち 報告会

 釜石など東日本大震災の被災地に向かった日星高校の生徒たちが7月20日、上安久の同校で全校生にその支援活動の様子を報告した。被災者から話を聞いたりがれきの撤去を手伝うなどし、今後の継続的な支援の必要を述べた。  被災地へ折り鶴や募金を送るなどの活動をしてきたが、直接現地でボランティアに取り組もうと、生徒会を中心に生徒15人と教員らがバスで向かい、7月14日と15日、宮城県南三陸町、岩手県釜石市と大船渡市に分かれて活動した。  南三陸町で活動した3年生の高橋美穂さんは、復興とは程遠い町の様子、一軒の民家のがれきの片付けに約60人のボランティアがあたったが人手と時間がかかる現状、漁業者たちから前向きな気持ちに触れ、「被災者から震災を伝えたい気持ちを感じ、勇気と笑顔をもらいました」と語った。  釜石に滞在した3年生の塩見有加さんは服のバザーや写真洗浄の手伝い、地域の集いの場や仮設住宅で話を聞くなどをし、「約1年半たった今でも順調に復興しているとは言えません。私たちにも何かできることがあることが分かり、今後も継続した活動ができれば」と話した。  生徒たちの支援活動は、「日星だより」に特集としてまとめ発行した。学校とは別に、市民たちが7月2日〜6日、釜石市などで支援物資を届けた活動に参加した同校の齋藤亮壽講師も、その報告を掲載している。

写真=漁業の網の手入れをする漁師と生徒たち(南三陸町で、日星高提供)


2012年7月20日

全国高校総体
東高、西高から4選手が出場

東高ボート部 女子ダブルスカル
木戸選手と磯田選手
息の合った漕ぎ 決勝レースめざす

 新潟県など北信越5県で開催される全国高校総合体育大会(インターハイ)が、7月28日開幕する。舞鶴からは、ボート競技とソフトテニス競技に男女各2人の計4選手が出場、全国から集う高校生と力と技を競う。  ボート競技に出場するのは、東舞鶴高ボート部女子ダブルスカルの木戸口真理絵選手(17)と磯田彩織選手(18)=ともに3年。磯田選手は、昨年の全国高校総体に女子舵手付クォドルプルのクルーとして出場、木戸口選手は全国高校総体は初出場。  2人は、今年4月からダブルスカルのコンビを組んだ。顧問の八木千尋教諭が「体格が似通っており、練習でも息が合っている」と勧めた。これが見事に的中、西日本の強豪校が出場する5月上旬の「朝日レガッタ」で4位に入賞。これで弾みをつけ、5月18日に琵琶湖漕艇場で行われた府予選決勝で、朱雀高クルーに2挺身の大差をつけて優勝した。  2人は、陸上のボートマシーンを使った練習で、お互いのフォームをチェック。ボートに乗って再確認するなど練習に励み、目標としていた全国高校総体の出場を決めた。  2人は最後まであきらめないでレースすることを誓い、木戸口選手は「決勝レースに残る」、磯田選手は「入賞をめざす」と抱負を話す。  ボート競技は、8月1日〜5日、新潟県阿賀町の県立浅川漕艇場で開催される。

写真=ダブルスカルの磯田選手(左)と木戸口選手(右)



西高ソフトテニス部 男子個人戦
藤田選手、井川選手組
筋トレでパワーアップ 悔いのない試合めざす

 ソフトテニス競技に出場するのは、西舞鶴高ソフトテニス部の藤田緑選手(17)と井川佳祐選手(17)=ともに3年=のペア。2人は、小学生時代に「舞鶴ひまわりクラブ」で一緒にプレーした仲間。小、中学校とも学校は違ったが、高校で一緒になり、全国高校総体に初出場する。  昨年秋からペアを組み、初の公式戦となった秋の府大会でベスト32。冬の府インドア大会でベスト16に入り、両丹地区予選を免除され、6月2日に丹波自然運動公園コートで開催された全国高校総体府予選に出場。準決勝で優勝した西城陽高のペアに敗れたが、3位に入賞。上位6ペアに与えられる全国高校総体の出場権を得た。  藤田選手は「基礎練習に力を注いだ成果」、井川選手は「試合でコミュニケーションが図れた」ことが、全国高校総体出場の要因と分析。顧問の谷村郁子教諭は「冬場の筋力トレーニングでパワーアップし、ボールのスピードが増した」と話す。  全国高校総体では、藤田選手は「悔いのない試合をしたい」、井川選手は「1試合、1試合大事に戦い、自分たちの力を出したい」と話す。  ソフトテニス競技男子は、8月11日〜14日、新潟市庭球場で開催される。

写真=ソフトテニスの藤田選手(左)と井川選手(右)



この日は万願寺甘とうを
食べ物、グッズ、催し
7月28日 上野家でまつり

 舞鶴の特産品の万願寺甘とうを使って地域を盛り上げようと、万願寺まつり2012(同実行委員会主催)が7月28日、西方寺の大庄屋上野家で開かれる。万願寺甘とうを使った食べ物の出店、グッズ販売、詰め放題など万願寺三昧の催しを繰り広げる。  万願寺甘とうの生産者が多い加佐地域ににぎわいを作ろうと、加佐地区の農業者や移住した住民らが中心になって企画。地元グループなどが万願寺甘とうの串カツやおやき、カレーなどの出店をするほか、詰め放題、竹に甘とうを流してつかむ流し万願寺、高く積み上げるタワー選手権、紙芝居など多くの企画を準備した。  実行委員長の徳永啓二さんは「食べ物のメニューもいろいろ揃い、万願寺にこだわったおもしろい祭りにしたい」と来場を呼びかける。午前10時〜午後3時。入場無料だが一部の催しは有料。
【問い合わせ】電話090・2109・6068、徳永さん

写真=西の夜の市で万願寺まつりをPRするスタッフたち


2012年7月17日

花に包まれ作品コーナー
みずなぎ鹿原学園
花優田中店で展示販売

 鹿原のみずなぎ鹿原学園を利用する障害者たちが手作りした作品の常設コーナーが、田中町のフラワーショップ「花優」田中店に設けられた。草花に囲まれた中、タペストリーや陶器、手芸品などオリジナルな品々が並んでいる。  鹿原学園の喫茶&ベーカリー「cocoかわら」で、同店の切り花などを委託販売するのを機に、障害者たちが製作する作品を展示販売をと同店が持ちかけた。店内の一角にカップ、オリジナルデザインのTシャツ、ポーチ、刺繍ブローチなど色とりどりのかわいい作品が置かれた。  同学園の仲野亜弓支援員は「たくさんの人に見ていただける発信の場を、お店に作っていただき感謝しています。一つでもいいなあと思ってもらえる作品があれば」、同店の今西みやけ店長は「かわいい作品が並びお店も華やかになりました。お役に立ててよかったです」と話している。  営業は毎日午前9時〜午後7時。
【問い合わせ】電話64・0757、花優田中店

写真=障害者の手作り品が並んだ店内



山ほどおいしかった!
朝来幼稚園児 杉山でピザづくり

 吉野の朝来幼稚園の年長組22人が7月13日、杉山のパン工房で、ピザづくりに挑戦した。NPO法人名水の里杉山のメンバーたちの協力で、地元で収穫した米粉の生地を伸ばして石窯で焼いた熱々を頬張った。  友達と助け合い集団生活を体験しようと、幼稚園で一泊するお泊り保育の中で、夕食づくりにと取り組んだ。昨年も杉山を訪れたが、ピザづくりは初めて。  青葉山中腹に位置する杉山地区は名水や棚田で知られ、地元の人らでつくる同法人がお酒づくり、水車や石窯の設置、ピザやパンづくりのワークショップも取り組む。  この日は同法人理事長の松岡良啓さんや地元住民ら8人も協力した。地元の米を水車で粉に挽いた生地を、園児たちが教わりながら棒で直径20センチほどの円状に伸ばし、地場産の玉ネギなどの野菜をトッピング。300度に熱した窯に入れ約10分で焼きあがった。  園児たちは地元の人たちが作ってくれたカレースープ、サラダなども笑顔で味わった。完食した園児の伊波幸喜君は「ピザも野菜も山ほどおいしかった」と地元の女性に元気にお礼を述べた。

写真=ピザづくりをする年長の園児たち


2012年7月13日

命かけた東学研究熱く語る
韓国の朴教授
国越え心つなぐ希望

 東学農民革命の研究の第一人者である韓国・圓光大学の朴孟洙(パク・メンス)教授の講演会(実行委員会主催)がこのほど、南田辺の西総合会館であり、約60人の市民に向け、研究にいたるまでの自らの歩み、1番弱い民衆が犠牲になる戦争の実態、市民との連帯への希望を熱く語った。  日清戦争(1894〜95年)の最中、朝鮮(韓国)民衆が朝鮮政府の圧制に蜂起した東学農民革命だが、日本軍によって弾圧され、その後の植民地化へとつながった。市内の橋本安彦さんと余江勝彦さんが、韓国で作成されたマンガ冊子を日本語に翻訳・発行し、講演会を企画した。  1980年の光州事件で、朴さんは韓国陸軍の連絡将校として軍事機密を扱う立場にいた。戒厳令下、市民たちが軍人によって鎮圧されたことは知っていたが、除隊後に虐殺だった光州事件の真実を当事者から知り、加担した軍人だったことから社会変革運動に進み、韓国の近現代史、その中でも農民革命を学ぶことにした。  農民リーダーの頭蓋骨が持ち帰られた北海道大学にも留学して研究。弾圧に関わった軍人の子孫が残していた多数の資料から新しい事実が見つかり、日本軍は朝鮮政府の派兵要請の前に、農民軍の全滅作戦を立案していたことなどを説明した。  朴さんは「来日して研究をする中で、東学の戦いで日本の民衆も犠牲を強いられたことが分かった。戦争は双方の国の1番弱い部分を犠牲にする。国を越えて皆さんと心をつなぐことに大きな希望を感じている」と結んだ。

写真=東学農民革命について話す朴さん



地域の心のよりどころに
行永の大雲寺 新本堂など完成

 行永の大雲寺(菅野憲司住職)の新しい本堂などが完成し、7月7、8日、見学会が開かれた。地域の住民たちが真新しくなった本堂に入り、参拝して完成を祝った。  大雲寺の前身は怡雲庵(いうんあん)と呼ばれ、1537(天文6)年に建立、その20年後に現在地に移された。旧本堂は1626(寛永3)年、1815(文化12)年にも再建されている。明治時代には戸長役場と行永校が同庵内に設置された。  本堂の屋根の傷みが激しく手狭になっていたことから、前住職の祥典氏が建て替えを願いながら7年前に急逝し、檀家たちがその遺志を受け2008年に建立委員会を発足。2年後に本堂などの解体に着手し、本堂や納骨堂、庫裏などが完成した。  本尊が安置された内陣や、1856(安政3)年に作られ、今回修復された開山像が置かれた位牌堂などを、参拝者たちが見て回った。建立委員会の高橋照委員長は「皆さんのご寄進によって完成したことに感謝申し上げます。檀家の人たちはもちろん、地域の誰もがいつでも安心して立ち寄り、心の平安が得られる場所になることを願っています」と話している。

写真=新しくなった大雲寺本堂


2012年7月10日

第23回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会
対戦相手決まる 8月5日、舞鶴球場で開幕
組み合わせ抽選会 傷病の予防に講習会も開く
少年、学童上級、学童下級の計36チーム
本社など後援

 第23回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)の組み合わせ抽選会が7日、伊佐津の西駅交流センターで行われた。少年、学童上級、同下級の部の1回戦から決勝までの対戦が決まり、日焼けした球児たちは、大会に向けて闘志を新たにしていた。大会は8月5日、行永の舞鶴球場で開幕する。  組み合わせ抽選会には、大会に出場する少年8、学童上級15、同下級13の計36チームの主将や選手、監督、保護者ら約120人が出席。舞鶴野球連盟少年部から大会日程などの説明があり、抽選に移った。  大会参加申し込み順に、各チームの主将が緊張した面持ちで封筒に入ったくじを引き、組み合わせ表にチームが掲示された。また、学童上級の抽選で、一番くじを引いた与保呂スポーツ少年団の丹波元希主将が、開会式で選手宣誓することが決まった。  大会は8月5日午前8時から舞鶴球場で開会式があり、選手たちが入場行進する。試合は同球場で少年の部、隣接する東舞鶴公園陸上競技場で学童上級の部の1回戦が行われる。同11日に学童上級の2回戦、同12日に少年、学童上級の準決勝、決勝戦。学童下級は同28日、9月1、2日の日程で行われる。  抽選に先立ち、子どもたちの傷病を防ぐための講習会が開かれ、舞鶴赤十字病院リハビリテーション科部の理学療法士、水嶋祐史さんら4人が講師を務めた。投球障害「野球肘」の症状と早期発見・治療の必要性や熱中症対策について説明した。水嶋さんらは、大会初日の8月5日、東舞鶴公園陸上競技場に「スポーツ相談所」を開設、選手たちにアドバイスする。  大会出場チームは次の通り。
 【少年の部】与保呂スポ少A▽舞鶴東スポ少▽中筋少年野球ク▽鶴友ク▽与保呂スポ少B▽高野ドジャース▽南舞鶴スポ少▽舞星野球ク
 【学童上級の部】与保呂スポ少▽中筋少年野球ク▽明倫ヘッピリーズ▽舞鶴東スポ少▽志楽少年野球ク▽南舞鶴スポ少A▽福井少年野球ク▽池内少年野球ク▽三笠少年野球ク▽高野少年野球ク▽南舞鶴スポ少B▽共楽少年野球ク▽余内少年野球ク▽茜が丘ベースボールク▽朝来少年野球ク
 【学童下級の部】与保呂スポ少▽茜が丘ベースボールク▽中筋少年野球ク▽福井少年野球ク▽明倫ヘッピリーズ▽高野少年野球ク▽朝来少年野球ク▽南舞鶴スポ少▽余内少年野球ク▽舞鶴東スポ少▽志楽少年野球ク▽池内少年野球ク

写真=くじを引き組み合わせ表を見る主将



被災地で 直接活動したい
日星高生徒たち
7月14、15日に大船度や釜石などで

 上安久の日星高校(水嶋純作校長)の生徒と教員たちが、東日本大震災で被災した大船渡市など三カ所で、7月14日と15日、ボランティア活動に取り組む。募金活動や折り鶴などを現地に届けたが、被災地で直接活動したいとの生徒の想いから、生徒会が中心になって実現した。7月20日に報告会を行い、支援の輪をつないでいく。  日星高は震災以後、募金活動のほか、被災地の看護学生に励ましのメッセージを送った。昨年12月には生徒会役員の生徒たちが、折り鶴を津波で多くの人が亡くなった宮城県名取市の被災者に届けた。  その時、復興が進んでいない町の様子を目の当たりにし、「自分たちでも現地でできる支援をやろう」と、生徒たちが被災地でのボランティア活動を発案し、学校側も後押しすることにした。  仙台市のカトリック仙台教区サポートセンターから、ボランティアの受け入れ先を紹介され、参加を募ったところ32人の生徒が手を挙げ、定員の15人に絞った。バスで7月13日学校を出発、同16日に戻る。交通費約33万円の内、20万円以上を保護者や市民が募金を寄せ協力する。  生徒たちは3グループに分かれ、宮城県登米(とめ)市の集会所、岩手県大船渡市の「地ノ森いこいの家」、釜石市のカトリック釜石教会を拠点に、話を聞く傾聴活動やカフェサービス、写真洗浄などをする。  生徒会長の3年、塩見有加さん(17)は「被災者の方が1人で溜め込んでいる気持ちが軽くなるよう、たくさん話を聞きたい」、2年の河津夢さん(16)は「見ているだけでなく自分で何かをしたいと思いました」、2年の田中亜希保さん(同)は「震災への関心が薄れているけれど、直接訪れ忘れていないと伝えたい」と話す。

写真=活動を呼びかけた生徒会の生徒たち


2012年7月6日

持続可能な社会考えよう
小出さん(京大原子炉実験所)の講演
7月14日に総合文化会館で
自然エネルギーの見本市も

 40年前から研究者の立場で、原発の危険性に警鐘を鳴らし続ける京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの講演が7月14日、浜の総合文化会館小ホールで開かれる。また、手作りの線量計や自然エネルギーの装置などを集めた見本市も同時に行う。主催団体は福島第一原発事故の現状を知るだけでなく、持続可能な社会のあり方も考えたいとする。  環境やエネルギーについて学び合おうと、舞鶴ピースプロジェクトなど、宮津や綾部、丹波などの団体が連携し、「小出裕章さんのお話を聴く会」を発足。「未来に生きるこどもたちへ」をテーマに、14日に舞鶴、続く15日に亀岡市で連続講演会を企画した。  小出さんは原子力の平和利用を志し研究に入ったが、その危険性に気づき、放射線被害を受ける住民の立場に立って、危険を訴える活動を一貫して続けている。専門は放射線計測、原子力安全。  「未来をひらく市」とした見本市は、燃焼効率を最大まで高めた煙の出ない手作りロケットストーブ、太陽光で調理できる手作りソーラーオーブン、セシウムを除去できる手作り浄水器、排泄物や生ごみからできるバイオガスプラント、近隣企業の開発した風力や太陽光発電システムなどが並ぶ。ワークショップや販売もある。  同聴く会代表の村本さゆりさん=長谷=は「消費電力を減らす社会をどうしたら実現できるのか、実践できることを取り入れながら、これからの暮らしに向けた智恵を交換する場にもなれば」と話す。  講演は午後2時から。入場無料(カンパ制)。資料は有料(部数に限りがある)。見本市は午前10時〜午後5時、小ホール前庭で。
【問い合わせ】電話82・1032、村本さん

写真=講演と見本市をPRするチラシ



支援にかける熱い想い触れる
被災地の医師 桑山さん
体験談、日星高と看護学校へ

 紛争地での医療支援や東日本大震災の被災地で心のケアに取り組む宮城県名取市の医師、桑山紀彦さんの公演「地球のステージ」がこのほど北田辺の市民会館であった。来場した日星高校生徒と舞鶴医療センター付属看護学校の学生たちは、桑山さんと交流する機会を持ち活動にかける想いを聞き、看護師になる決意を新たにした。  公演では、自らも被災した名取市での体験などを歌と映像、語りで伝え、昼の部は両校の生徒と学生の約400人、夜の部は市民たちが来場。交流会は同館近くのカトリック西舞鶴教会リグリアンホールであり、両校の14人が「被災地に行けないもどかしさを感じる」などを問いかけた。 桑山さんは来院した被災者の話を聞き一緒に泣き、時には被災者が失った家の跡に立ち診療を続けた体験を語り、「思いやりを持った看護師になるためには想像力を豊かにしてほしい」と語った。  日星高看護科2年の河津夢さんは「被災した子供たちが心のケアを受けて前へ進んでいく姿に感動しました。看護師になってボランティアにも参加したい」、看護学校2年の緒方美雪さんは「看護師として海外でも活動したいという想いを強くしました」と話した。  桑山さんは「病院で2、3年経験を積み、笑顔と折り紙などの小さな芸があれば、海外で十分相手に受け入れられます」とアドバイスし、「きょうは話を聞いてもらって自分の気持ちも楽になった」と涙を流した。  看護学校学生会の小野山和さんは、学生全員で作った被災者への励ましのメッセージと募金を桑山さんに託した。

写真=桑山さんの想いに触発された日星高と看護学校の生徒たち


2012年7月3日

テコンドー 小学女子の部で優勝
中筋小3年の谷口さん 関西トーナメントで
得意の回し蹴り 組手競技勝ち抜く

 オリンピック種目で韓国武道・テコンドーの練習に励む中筋小学校3年、谷口紫音さん(8)が、このほど府立体育館で行われた第12回関西テコンドーオープントーナメント(府テコンドー連盟主催)の小学3・4年女子の部で優勝した。  谷口さんは、小学1年生から「強くなりたい」とテコンドーを始めた。日本国際テコンドー協会副師範で3段の李祥漢さん=リ・サンハン=(34)が指導する「テコンドー教室」で練習を続けてきた。  テコンドーは、空手と同じ組手と形の競技がある。ただし、相手と対戦する組手は、空手と異なり、突き、蹴りの本数だけでなく、回転跳びによる蹴りの大技などのポイント数で勝敗を競う。  谷口さんは、回し蹴りが得意技で、今回は組手競技で勝ち抜き優勝した。「テコンドーは形の競技もありおもしろい。これからもっと強くなりたい」と話す。  李さんは「ものおじせずに組手ができる。積極的に自信をもってやれば大活躍できる」と期待している。  「テコンドー教室」は、毎週火曜日午後7時から同9時、上安久の文化公園体育館で開かれている。
【問い合わせ】電話090・3996・1222、李さん

写真=李さんの指導で練習する谷口さん



ギャラリー・サンムーン
多彩なアートに光当て
15周年記念展 市民のかけがえのない場に

 浜のギャラリー・サンムーン(佐藤保明代表)が、開設から15周年を迎え、多彩なアートに光を当て続ける画廊の歩みをたどる記念展を開いている。多くの作家の作品と資料、案内のDMはがきなども並べ、サンムーンを愛する市民たちと佐藤さんが、かけがえのない場で作品展の思い出話を時間を忘れて楽しんでいた。7月9日まで。  佐藤さんが脱サラして1997年にオープン。第1回目の上村松園氏の作品を皮切りに、ピカソら著名作家、現代美術の草間弥生、人気銅版画家の山本容子、地元や若い美術家たちを紹介し、展覧会は463回にのぼる。  少年時代を舞鶴で過ごした上前智祐さんの作品寄贈を市に働きかけたり、陶芸家の神山清子さんの作品を通じ骨髄バンク運動に協力も。新酒のワインを楽しむ会やコンサートなど多彩な活動も繰り広げ、自ら絵封筒の創作をして市民と交流も続ける。いつも来場者を温かく迎える佐藤さんと珍しいアートに引かれ、ファンにはなくてはならない空間になっている。  これまでの企画展の絵画や陶器、ガラスなど80点、絵封筒、新聞資料なども展示する。開設時から通っている水間の大槻光代さんは「ピアニストのフジ子・ヘミングの多彩な創作や近辺の作家をここで知ることができました。佐藤さんの人柄もあって気軽に立ち寄れ話ができる場です」と15周年を祝福した。  佐藤さんは「市民の皆さんの支えがあったからこそ続けてこられました。アートではお腹がいっぱいになりませんが、生活を潤す大切なもので絶対に必要だと思っています」と話す。入場無料。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。

写真=企画展の思い出を話す市民と佐藤さん(左)


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