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2007年4月27日

懐かしい品々300点、時代を振り返る
4月28・29日に城南会館で「昭和の日」展
 4月29日の「昭和の日」にちなみ、昭和の時代を振り返ろうと、女布の城南会館(村尾義重館長)で、同28日と29日の両日、「昭和の日」展が開かれる。地域の市民から提供を受けた日活の石原裕次郎シリーズなどの映画ポスター、農機具、書籍、電気製品など娯楽や暮らしに関わる約300点を並べる。展示品を前に懐かしい話題でにぎわいそう。午前9時〜午後5時。入場無料。  同館が、昭和元年から現在までの約80年を、馴染みのある品々でたどろうと企画。地域の住民に品物の提供を呼びかけたところ、七日市の阿部國彦さんら6人から多くの品物が寄せられた。中には、昭和7年の5・15事件で暗殺された犬養毅首相の筆によるとされる書もあり、昭和史を彩る一品もある。  戦後の映画ポスターには、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」など日活シリーズほか、「旗本退屈男」、「霧笛が俺を呼んでいる」「男はつらいよ」、吉永小百合主演シリーズなど人気俳優や作品のものが並ぶ。また、「ローマの休日」の名場面を使ったポストカード、昭和51年製作の映画「岸壁の母」のスチール写真などもある。  このほかにも蒸気機関車の映像、浪曲のレコード、蛇腹式カメラなども展示される。村尾館長は「みんなが知っているものを並べることで、当日は懐かしい話題が出てくると思います」と話していた。
【問い合わせ】電話78・1800、同館。

写真=展示される人気スターの映画ポスターの数々
4月28日、西高フリーマーケットに来場を
能登半島地震被災者の義援金に
 能登半島地震の被災者に義援金を贈ろうと、西舞鶴高校の生徒会と文科系クラブの生徒たちが4月28日、円満寺の西市民プラザふれあい広場で、西高フリーマーケットを開催する。クラブ員の発表の場も兼ねて作品を販売したり、教諭らも提供した日用品を並べてバザーをし、売上金を募金に充てる。市民に来場を呼びかけている。  西高生徒会とクラブを中心に、2004年の台風23号の際、被災者の支援でフリーマーケットを開いたのを最初に、パキスタンの地震、フィリピィンの地滑り災害の被災地に、毎回フリーマーケットをして義援金を贈った。昨年はジャワ中部地震で9万315円を送金した。  3月の能登半島地震では、現在も250人を超す人が避難生活を送る。28日は被害を伝えるパネル展示のほか、写真部や美術部、ボランティア部らがコーヒー(50円)、クッキー、ポストカードなどを販売する。生徒会長の鈴木翔他さん(3年)は「避難所ではまだ大変な生活が続いているのを知った。多くの人の協力をお願いします」と話す。時間は午前10時半〜午後2時。

写真=フリーマーケット開催に向け準備をする生徒たち
2007年4月24日

明治のころ、縁起ものの図柄で売り出しPR
7月8日まで市郷土資料館で「舞鶴の引札」展
 明治のころ、商店が発行した広告である引札(ひきふだ)を出品した「舞鶴の引札」展が、北田辺の市郷土資料館(市民会館内)で開かれている。正月に得意先に配られたことから、初日の出や大黒など縁起ものの図柄が、色鮮やかに印刷されており、明治期の舞鶴の商店や商売の様子を伝える資料となっている。7月8日まで。途中入れ替えをする。  引札は商店の開店や売出しを宣伝する広告(チラシ)で、江戸期の18世紀中ごろに始まり、明治になって地方都市で盛んになった。次第に新聞が普及すると、新聞の折り込み、やがてはポスターなどへと引き継がれた。  舞鶴の商店の引札は、ほとんどが明治以降に大阪の印刷所で刷られた。印刷技術が進み安価になったことや、見本から図柄を選び自分の商店名を入れて簡単に作れるようになった。正月に得意客に配ったため、図柄にはおめでたい絵や暦を使った。  同館が寄贈を受けて収蔵する約80点の中から、今回は29点を展示した。竹屋町の乾物・荒物商「江戸屋」、魚屋の履物商「中磯本店」、小間物などを扱う商店が、えびすさんや相撲取り、安売りを意味する「大勉強正札店」の宣伝文を入れたり、当時社会で話題になった博覧会や飛行機などの絵を載せている。入場無料。午前9時〜午後5時。月曜休み。

写真=縁起ものの図柄で色鮮やかに印刷された引札
5月4日に舞鶴つつじまつりメーン行事
遊びコーナーや模擬店など、3日には前夜祭
 第24回舞鶴つつじまつり(同協賛会主催)が、4月22日から行永の東舞鶴公園一帯で始まった。メーン行事は5月4日、同公園で開かれ、音楽や舞踊などが繰り広げられるほか、子供たちの遊びコーナー、模擬店なども設けられる。  ツツジは市の花ともなっており、同公園周辺には約2万5000本のツツジがある。花の季節の5月には白やピンクなど満開の花が咲き、市民に親しまれている名所。22日〜5月12日は夜間にボンボリを点灯している。  前夜祭の5月3日は、同公園で午後7時からアニメ映画「あらしのよるに」を上映する。4日は午前9時45分に開会し、蛇切岩縁起の芝居、市民吹奏楽団の演奏、創作舞踊、クレインズ舞の太鼓、歌謡ショーなどが特設ステージである。周辺では野点、尺八演奏、盆栽展も行う。雨天の場合は南公民館で。JR東駅南側から会場までバスを運行する。

写真=つつじまつりのポスター
2007年4月20日

京月東町の谷田さん、自宅前に掲示板
小学生ら下校時に立ち寄りクイズなど
 京月東町の会社員、谷田吉久さん(67)が自宅前に設置した掲示板を使って、地域の小学生たちとクイズを出し合ったり、学校の様子を質問するなど交流を深めている。与保呂小学校の児童たちが下校時、掲示板に次々立ち寄り、谷田さんが出したクイズに答えを書き込むだけでなく、日々の出来事を伝えたり、休日に一緒に遊ぶ約束をするなど、1枚の掲示板が地域をつないでる。  谷田さんは「夢のマジック宅配便」と名乗って、多くの学校や福祉施設でショーや指導をしたり、東公民館でマジック教室の講師を務める。また、子供たちに一輪車も教えるなど、熱心に地域に出かけて子供からお年寄りまでと触れ合う。  昨年秋に与保呂小でマジックを披露した際、児童たちから次回の開催日を尋ねられ、11月ごろ、玄関前に置いたベニア板に予定日を書き、自宅前を通学路にする子供たちへ知らせた。すると子供たちが板に返事を書いてくれたことから、書きやすい高さで丈夫な掲示板を置くことにした。  ある日、クイズを出題すると、下校する子供たちが掲示板に張られた白い紙に思い思いの答えをペンで記入。正解を次の日朝に張り出し、登校する子供たちが見て行った。いつしか毎日の日課となり、その様子を見た近所の人がボードと白いチラシを提供。先日は、「グランドのすみで『ボーッ』としているものはナンダ?」といったクイズを出した。子供たちは谷田さんの家が見えると、駆けだして掲示板の前に集まる。  時には子供たちからクイズを出したり、谷田さんの「今日うれしかったことは」「先生の顔を書いて」という問い掛けに、大縄跳びの回数、給食を残したこと、友達とけんかして謝れなかったことなど毎日の様子を記す。「いやなことがあれば家の人や先生に聞いてもらって」とアドバイスすることも。休日にはマジックで一緒に遊ぶ約束もする。これまで書き込まれた紙は全て保存している。  掲示板の名前を子供たちから募集し、「NIKOWAKU(にこわく)ボード」と名付けた。いま掲示板には「ゲームきよりも にんげんとあそぼや」と書いた紙を張り出している。近所の与保呂小5年の西尾夕夏子さんは「毎日クイズを解けて楽しい。ずっと続けてほしい」と話す。谷田さんは「こんなに続くとは思ってもみなかった。子供たちから元気をもらっている毎日です」と日夜クイズを考えている。

写真=クイズの回答や学校生活の様子を掲示板に書く小学生らと谷田さん
小橋に地元の海を活かした交流拠点
市漁協「ととのいえ」4月22日オープン
 舞鶴市漁業協同組合(西川順之輔組合長)の竜宮浜漁村活性化施設「ととのいえ」が完成し、4月19日、小橋の現地で竣工式があった。冠島や近くの磯でのスキューバダイビンクの案内、鮮魚の朝市、釣船の予約など、地元の海を活かしたレジャーを提供し、都市住民との交流を図る拠点。同22日、オープニングイベントを開く。  同組合が国、府、市の補助を得て約8080万円で建設。木造平屋建てで203.74平方メートル。売店、加工施設、温水シャワーと更衣室などを備える。愛称とロゴマークは京都精華大学が考案した。漁業組合が自らの漁場をダイビングに開放する施設を直営するのは、日本海側では初めて。  冠島などでのダイビングの申し込みを7月から実施。インストラクターが指導したり、エアータンクの貸し出しもする。毎週土・日曜(午前10時〜正午)は鮮魚販売の朝市、常時は加工品やワカメの販売、軽食の提供、また冠島遊覧も行う。  22日は沿岸遊覧、大漁鍋の振る舞いなどをする。営業は午前10時〜午後6時。火曜休み。
【問い合わせ】電話68・0013、ととのいえ。

写真=竣工式でテープカットする西川組合長ら
2007年4月17日

北近畿鉄道友の会、旧中舞鶴線のジオラマ製作
4月28日オープンの「まいづる智恵蔵」で常設展示
 旧海軍が1902(明治35)年に建設した北吸の赤煉瓦倉庫を活用し、4月28日にオープンする市のまちづくりの拠点施設「まいづる智恵蔵」で、北近畿鉄道友の会舞鶴支部(福原習作支部長、16人)が常設展示される旧中舞鶴線鉄道のジオラマの製作に取り組んでいる。昭和30年代ごろの中舞鶴線の鉄道と沿線の風景を再現し、当時使われていたディーゼルカーや客車など、150分1のスケールの鉄道模型をレールで走らせる。  赤煉瓦倉庫群は旧海軍鎮守府の軍需品の保管倉庫として、1900(明治33)年から次々に建設。当時、いまの赤れんが博物館裏の埠頭で荷揚げされた物資が、各倉庫につながる構内鉄道で運ばれた。04年(同37)年には、新舞鶴〜北吸〜余部までの軍港引き込み線が開通し、現存する自衛隊の3棟を除く全ての倉庫に接続され、貨車で物資を運搬。戦後は国鉄中舞鶴線となったが、72(昭和47)年に廃線となった。  昨年秋の赤れんがフェスタで、同支部は舞鶴の鉄道に関する資料や映像を展示した。それを見学した市教委職員が同支部に働きかけ、舞鶴の近代化に貢献し、赤煉瓦倉庫とも関わる中舞鶴線の展示の企画ができあがった。同支部事務局長の嵯峨根八郎さんが、企画と基本設計を担当。1月に設計図を完成させ、2月から智恵蔵に週4日ほど会員たちが集まって作業をした。  4枚の板を並べて、縦1.8メートル、横3.6メートルの土台に、発砲スチロールなどを材料に山などを仕上げ、その間にレールやトンネルなども作った。車両は当時のディーゼルカーのキハ17型、蒸気機関車のC12の模型を入手。模型の発売後かなり年数が経っており、インターネットで個人の収集家を突き止め購入した。レールや駅舎など海軍の地図や記憶を手掛かりに配置した。  嵯峨根さんは「こんな大仕掛けのものは初めてで試行錯誤の繰り返し。工作材料も舞鶴で調達が難しく、大阪まで探しに行きました。海軍とともに発展した鉄道の歴史を知ってもらえれば」と話している。

写真=旧中舞鶴線のジオラマ作りをする「友の会」のみなさん
日ごろの鍛練の成果披露、形や組手で熱戦
小・中・高生府北部空手道選手権大会で
 第31回小学・中学・高校生京都府北部空手道選手権大会(日本空手協会京都府北部連合会主催)が4月15日、上安久の文化公園体育館で行われ、選手たちは日ごろの鍛練の成果を発揮して、形や組手で熱戦を繰り広げた。  大会には、東舞鶴、舞鶴田辺、西舞鶴各支部と福知山支部、綾部支部から小、中、高校生163人が出場。小学低学年、同高学年、中学・高校生の部の各チーム3選手による形の部の団体戦、個人戦の形の部と組手の部で優勝が争われた。

写真=熱戦を繰り広げる選手
2007年4月13日

本堂でライブ・パフォーマンスと講演会
4月29日の開山忌に合わせ桂林寺で
 紺屋の桂林寺(能登春夫住職)は、市民に開かれた寺院の活動の一環として、開山忌の4月29日、同寺本堂でライブ・パフォーマンスを開催する。シンガーソングライターの花(か)れんさん、サルサバンド「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のメンバーとしてNHK紅白歌合戦にも出場したピアニストの扇谷ケントさんが共演する。また、広島大学大学院教授の町田宗鳳師が講演する。入場無料。来場を呼びかけている。  桂林寺は室町時代の応永8年(1401)に開かれたとされ、市内と丹後地方の曹洞宗寺院の要寺として信仰を集めてきた。2001年に開創600年を迎えたのを機に、本堂屋根などの全面葺き替えなどの記念事業に取り組んだ。  4月29日は初代住職の法要の開山忌の日で、これまでは檀信徒の役員だけで開いてきたが、市民に親しまれる寺院にと、1996年から著名人らを招き文化事業を行う。一時記念事業で中断したが、昨年、歌手のペギー葉山さんの講演をして再開した。  出演する花れんさんは、日本語の美しい響きの詩と歌の才能が評価される。FMよこはまでパーソナリティーも務める。昨年、ファーストマキシシングル「古の風」を発表した。扇谷さんはゴスペラーズとも共演する。2003年からサルサバンドのメンバーとして活躍し、グラミー賞ノミネート、日本レコード大賞特別賞などを受けた。  哲学博士の町田師は14歳で出家し、20年間京都の大徳寺で修行の後、米国の大学で博士号を取得。東京外国語大学教授なども務めた。29日は「今を楽しむ生き方を身につけよう」と題して話す。  開山忌は午前10時から。同11時からライブ、講演会をはさんで再び演奏をする。終了は午後0時半。
【問い合わせ】電話75・0168、同寺。

写真左=出演するシンガーソングライターの花れんさん
写真右=出演するピアノの扇谷さん
市体育協会、特別功労賞に椿さんと紀田さん
児玉さんら3人を功労者表彰
 舞鶴市体育協会(安達渉会長)の平成18年度表彰式が4月11日、北吸の市政記念館であった。特別功労者として、舞鶴卓球協会会長の椿恒雄さん(74)、舞鶴バドミントン協会会長の紀田文男さん(80)に感謝状が贈られた。  長年、各スポーツ分野の発展に努めた人たちを顕彰する制度。特別功労賞は特に顕著な功績のあった人に贈られる。椿さんは4都市体育大会の選手役員として54回の出場を果たし、同協会の理事長、1993年から会長を務める。紀田さんは同協会の理事、会長はじめ、同体育協会の副理事長などを歴任、92年から府バドミントン協会顧問も務める。  また、功労者表彰には舞鶴剣道連盟会長の児玉輝之さん(77)、舞鶴ボート協会会長の村田匡さん(73)、舞鶴市水泳協会顧問の坂口忍さん(70)が選ばれた。  表彰式では安達会長と斎藤彰市長らが五人の功績を讃え、「今後もスポーツの発展にお力添えを」とあいさつした。

写真=特別功労賞の椿さんと紀田さん、功労賞の児玉さん、村田さん、坂口さん(左から)
2007年4月10日

赤煉瓦倶楽部舞鶴が倉庫群を模型で復元
今月下旬開館「まいづる智恵蔵」に展示
 舞鶴市が北吸の赤れんが倉庫を活用して、今月下旬に開館する展示交流施設「まいづる智恵蔵」に、展示される同地区の赤れんが倉庫群周辺の立体模型づくりが進んでいる。市教委の依頼を受けたNPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴が製作を担当。いまは取り壊された戦後の昭和20年代ごろの倉庫群や海岸線の様子を、750分の1の模型で再現している。  智恵蔵は舞鶴の歴史文化遺産を収蔵し展示する施設。舞鶴が軍港として発展するのに伴い、北吸の赤れんが倉庫群は舞鶴鎮守府の軍需物資の保管倉庫として、1900(明治33)年から1921(大正10)年までに次々と建設された。戦後は民間の倉庫などに使用され、現在は12棟が残る。その内2棟は赤れんが博物館などに活用されている。  舞鶴の宝物の紹介の一環として東山地区から市役所、北吸の浄水場周辺までの戦後の様子を立体模型で再現して展示する。これまでにも神崎ホフマン窯などの模型を製作した同倶楽部舞鶴の松井功副理事長を中心に、昨年暮れから準備を開始。軍の統治下にあった地域のため、当時を知る写真などの資料がほとんどなく、お年寄りたちから聞き取った記憶の断片をつなぎ合わせ、基本となる図面を作った。  750分の1のスケールで、縦90センチ、横2.2メートルのベニア板を土台にし、その上に紙や発泡スチロールなどを材料に山を築いた。その上に彩色したおが屑をボントでくっつけるなど風景を仕上げた。赤れんが倉庫は紙でつくり、当時残っていた20棟を復元し配した。海上には軍艦も浮かべている。  松井さんは「資料がほとんどない中での復元作業に苦労しました。当時はこんな場所に多くの倉庫があったことが、模型で一目で分かります」と話していた。

写真=750分の1のスケールの模型づくりを進める松井さん(左)ら
まちづくりサポートクが子育て支援情報誌
第3号を作成、相談窓口などを紹介
 NPO法人まちづくりサポートクラブ(増山寛一代表)が、子育て支援情報誌「まいづる発信 えがおのもと〜子育て情報〜」第3号(A5判、16ページ)を作成し、配布している。3号では、子育てに関する悩みに対応する相談窓口の施設を取材し紹介した。  同クラブ親子部会が、子育て中の母親のグループと協力し、当事者の立場で子育て支援に役立つ情報誌を作成。2005年の第1号は、親子連れでも利用できる美容院などを紹介、06年の第2号では、子供連れでも利用しやすい公共施設などのトイレ設備一覧を掲載した。  3号では子育てに関する様々な悩みに声を傾け、子育ての手助けをしてくれる相談窓口を取材した。各施設の利用時間、相談内容、相談員として心がけていること、相談したくてもできない母への一言メッセージも伝えている。  舞鶴医療センター母子保健センター助産師外来▽児童家庭センター中丹こども家庭センターなど、13施設を紹介した。また、岡安の青葉山ろく公園キャンプ場で、親子で焼きそばなどの食事づくりの体験記も掲載した。1000部作成した。冊子は無料。保健センター、城南会館、共済病院などに置いている。
【問い合わせ】電話77・0086、同クラブ。

写真=配布している情報誌「えがおのもと」
2007年4月6日

NPO法人舞鶴・引揚語りの会
語り部養成通信講座の受講者募る!
 引き揚げの語り部養成講座を運営するNPO法人舞鶴・引揚語りの会(豊田信明理事長)は、今年から通信講座で語り部を養成する事業を開始する。平の引揚記念館に通っての受講が困難な人にも、自宅で引き揚げの歴史を学んでもらおうとの企画で、これを機会に全国の人に引き揚げと記念館の存在を知ってもらえればとしている。受講者を募っている。  戦争直後から1958(昭和33)年までの間、舞鶴港は旧ソ連や中国からの引き揚げ者を受け入れてきた。その史実を後世に伝えるため88年に同記念館が開館。しかし、引き揚げ体験者の高齢化で、その歴史を伝える語り部養成講座を市と市教委が2004年に始めた。1期は31人、2期が12人、昨年3期目からは同語りの会に運営を受託し10人が受講。現在会員は34人。  同語りの会は記念館での活動の中で、来館者から養成講座に関心はあっても物理的・時間的に来れないという声を多く聞き、毎回受講できなくても自宅で学べる通信講座を開くことにした。  講座は記念館発行の「母なる港舞鶴」を基本テキストに、抑留体験者の話をまとめたDVDの映像記録、体験者の手記などの資料を配布し、年6回レポートを提出してもらい添削して返却する。立命館大学など年2回のスクーリングも予定。関東在住の受講者は東京都内の平和基金の資料館でのスクーリングを選べる。期間は5月から翌年3月まで。定員はない。資料代6000円。  同語りの会理事の中田照造さんは「個々の受講者の興味に応じて、資料を集めて送ったり指導もしていきたい。実際にここに来れなくても各地で引き揚げの歴史を伝える活動をしてもらえれば」と話している。  第4期の養成講座も受講者を募っている。5月から翌年3月までの10講座。毎月第3土曜日の午後1時半〜同5時、同記念館などで。定員は20人(先着順)。資料代1000円。通信講座ともに申し込みは5月18日までにNPO法人舞鶴・引揚語りの会(〒625―0133 平 舞鶴引揚記念館内 電話68・0568、ファクス68・0370)。

写真=通信講座で使うテキストとDVDなどの資料
全国中学選抜卓球で活躍、団体3位入賞
一条ク出身の藤原選手(高知・明徳義塾中)
 一条卓球クラブ(小畑喜生代表)出身の高知・明徳義塾中学1年の藤原祥選手が、このほど千歳市スポーツセンターで開催された第8回全国中学選抜卓球大会(団体戦)で、同校のメンバーとして3位に入賞した。  藤原選手は、高野小から明徳義塾中に進み、昨年夏の全国中学選手権の団体戦で、1年生ながら上級生と組んだダブルスで出場、3位に入賞した。今回の選抜大会では、シングルスで出場、予選リーグ2試合、決勝トーナメントの1回戦、準々決勝、準決勝の5試合で4勝1敗の成績だった。  今春から2年生となり、同校の主力として全国制覇をめざす。小畑代表は「明徳義塾で一段と力を伸ばしたと思う。全国優勝をめざしてほしい」と期待している。

写真=藤原選手
2007年4月3日

吉田さん、戦時中の映画教育明らかに
立命館大大学院での研究成果まとめ本出版
 戦前、戦時中の舞鶴の小学校での映画を活用した視聴覚教育の実態を調査してきた立命館大学大学院博士課程3回生の吉田ちづゑさん(72)=京都市右京区=が、その研究成果をまとめ、『「講堂映画会」の子どもたち』(桂書房、四六判、305ページ)と題してこのほど出版した。大阪毎日新聞社による全国の学校を巡回した映画会で、戦時中の新舞鶴小と明倫小で、映画教育に熱心だった様子や上映映画の移り変わりなどを明らかにした7年がかりの労作となっている。  主婦だった吉田さんは65歳で同大学文学部史学科に入学した。舞鶴との関わりは、明倫小学校教諭の梅田作次郎さんが1939(昭和14)年から5年間、担任した児童たちが描いた図画との出会いだった。梅田さんが亡くなった後、自宅に保管されていた図画500点が、遺族から教え子の元に返され、教え子たちが図画の展覧会を開いた。  60年前の図画教育と舞鶴を知る資料として、吉田さんは強く引かれ見学し、99年に立命館大学国際平和ミュージアムへ図画寄贈のきっかけを作った。また、その図画を元に学部の卒業論文「軍都舞鶴の児童画」を提出した。  その図画の中に「講堂映画会」と名付けられた絵があり、初めて知った名称から興味を持ち調べ始め、2005年に同大学院文学研究科の修士論文「講堂映画会の子どもたち」としてまとめた。分析しきれなかった不十分な点があり、論文提出後に再調査をする中、桂書房(富山市)から出版の誘いを受け、論文を元に執筆した。  講堂映画会は1928(昭和3)年から、大阪毎日新聞社が教育事業の一環として日本各地の小学校で実施した有料の巡回映画会。43年に文部省によって事業が吸収されるまで、約5500校が会員となった。  しかし、この事業は大毎社史には記録されておらず、吉田さんは明倫小と新舞鶴小の当時の学校日誌や、講堂映画会の機関紙「映画教育」などの資料を集め、映画プログラムなどを発掘した。特に明倫小には5年間通って日誌を筆写した。  本書の1部では、大毎社長だった本山彦一氏の日本精神の復興の教育は児童から行うべきとする信念、映画会が生まれる背景となった当時の日本社会と政治状況、深まる戦争によって変わる映画プログラムなどを紹介した。  2部の「軍港の町舞鶴の映画教育」では、明倫小は「文部省推薦映画を教師の劇場引率による観覧」だった一方、新舞鶴小は「講堂映画会による校内映画会に基本を置いている」と分析した。  映画厳禁だった明倫小が、27(昭和2)年に引率観覧に転じ、41年には丹後映画教育聨盟を結成し、明倫小に本部を置いた。新舞鶴小の映画教育は28年に父兄の映写機の寄付から始まり、その時に京都府内で最初の講堂映画会会員となり、大槻平治郎校長の強い指導があったことを記した。当時日本は不況にあり、中でも軍港舞鶴は軍縮の時代にあって、有料の巡回映画を1地方で実施したのは「異例に属する」と指摘する。  吉田さんは「講堂映画会の府内で唯一の記録である新舞鶴小の日誌が残っていたのは奇跡に近い」とし、いまでは戦前の教育への批判から講堂映画会は忘れ去られているが、「中には外国の児童映画の名作やいまでも十分利用できる佳品が多数ある。映像教育の先駆けとなった面も評価すべき」と話している。  3部に資料編として巡回映画プログラム一覧、明倫小と新舞鶴小の映画観覧記録などを載せている。定価2800円(税別)。
【問い合わせ】電話076・434・4600、桂書房。

写真=研究の成果を本にまとめた吉田さん
来場者を魅了、ジャズの一夜楽しむ
ニューサウンズ・オーケストラ、滝さんの歌
 赤れんがライブハウス実行委員会主催の赤煉瓦jazz nightが3月31日、北吸の市政記念館で開かれた。戦後、米軍が日本に残した楽譜を元に、ニューサウンズ・オーケストラが忠実に再現して演奏したほか、市内在住の元プロジャズ歌手の滝えり子さんが懐かしい曲などを歌い、来場者を魅了した。  同オーケストラは舞鶴などの社会人で結成するビックバンドで、ジャズやラテンなど幅広いレパートリーを持って演奏活動する。この日は、戦後間もないころに米軍が関東のダンスホールのクラブに残した楽譜を忠実に演奏。当時、米国で流行したポピュラーな曲と解説しながら「アイル・リメンバー・トゥデー」などを奏でた。  滝さんは1937年神戸市生まれ。米軍キャンプなどを回り、62年に渡米してジャズを学び、神戸でジャズライブハウスを経営しながら演奏活動をしてきた。2002年に舞鶴に転居した。赤いドレスに身をつつみステージに登場し、同オーケストラの演奏をバックに、「慕情」など雰囲気を放ちながら聴かせた。

写真=ニューサウンズ・オーケストラの演奏で歌う滝えり子さん
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