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2007年8月31日

全国中学生ウエイトリフティング男女各体重別
白糸中7選手、自己ベストを更新し上位入賞
 羽曳野市の総合スポーツセンターで8月25日に開かれた男女の全国中学生ウエイトリフティング競技選手権大会で、白糸中学校の7選手が各体重別で上位入賞を果たした。7人は同校陸上部に所属する短距離選手で、筋力トレーニングを兼ねてウエイトリフティングの練習に取り組んできた。いずれも自己ベストを更新しての入賞に喜び合っている。  男子の大会では48キロ級に出場した山本宗佑選手(2年)がスナッチ33キロ、クリン(C)&ジャーク47キロのトータル80キロで3位、53キロ級の坂元祐介選手(3年)がスナッチ47キロ、C&ジャーク67キロのトータル114キロで3位。  女子の大会では48キロ級の村田一姫選手(2年)がスナッチ27キロ、C&ジャーク33キロのトータル60キロで5位、同級の福西優里選手(3年)がスナッチ27n、C&ジャーク38キロのトータル65キロで4位、53キロ級の喜多千佳選手(2年)がスナッチ32キロ、C&ジャーク40キロのトータル72キロで2位、同級の足達美優選手(3年)がスナッチ29キロ、C&ジャーク40キロのトータル69キロで3位、63キロ級の松本千佳選手(同)がスナッチ31キロ、C&ジャーク46キロのトータル77キロで2位。  白糸中陸上部は以前から筋力アップのため、短距離の選手がウエイトリフティングの練習を導入している。グラウンドの一角で器具を使ってトレーニングをしたり、この競技の強豪校である加悦谷高校(与謝野町)に出掛けて指導を受ける。日々の練習だけに留まらず、その成果を知るためにも競技の大会にも挑戦してきた。部員の中には加悦谷高に進んで本格的に取り組み、今年インターハイで優勝した選手もいる。  練習を開始して4カ月から8カ月になる七人は、それぞれ府記録会などで基準記録を突破し、全国大会への初出場の切符を手にした。全員が全国の大舞台で自己ベスト更新をなし遂げた。同部顧問の秋原栄人教諭は「この補強練習によって力の伝達がよくなり、瞬発力を養うことができる」という。松本選手は「ウエイトリフティングの練習は陸上競技にも役立った。自己ベストを出せてうれしい」と話していた。

写真=それぞれが自己ベストを更新し上位入賞した男女7選手たち
舞鶴海洋少年団、新舞鶴小6年の
四方君が「我ら海の子展」で特選入賞
 第35回「我ら海の子展(絵画展)」で、舞鶴海洋少年団の新舞鶴小6年、四方慶明君(12)の作品「また会おうね」が、特選に入賞した。約5600点の応募作から、特別賞8点に次ぐ特選10点に選ばれ、入選作40点とともに、9月5日まで東京・銀座ギャラリーで展示されている。  海の子展は、財団法人サークルクラブ協会、社団法人日本海洋少年団連盟主催。「私の海」をテーマに、海を自由に表現した絵画作品を、全国の幼児、小学生を対象に募集。今年5月1日から6月30日までの募集期間に、約5600点の応募があった。応募作品は審査され、国土交通大臣賞など特別賞8点と特選10点などが決まった。  四方君の作品「また会おうね」は、海原と遠景の山並みを背景に、手のひらに乗る魚を、海に放そうとする瞬間を描いている。魚が大きくなって帰ってくるようにとの思いを作品にしたという。「特選に選ばれるとは思ってもいませんでした。すごいと思った」と話している。

写真左=特選に選ばれた四方君の作品「また会おうね」
写真右=四方君
2007年8月28日

韓国伝統舞踊家・金さんらが慰霊の舞
浮島丸事件の犠牲者追悼集会で
 終戦直後の1945年8月24日に起きた浮島丸事件の犠牲者を追悼する集会が8月24日、事件現場近くの下佐波賀の殉難の碑公園で開かれた。京都市在住の韓国伝統舞踊家、金一志(キム・イルチ)さん(40)が初めて参加し、爆沈現場の舞鶴湾に響きわたるトランペットの演奏に合わせ、5人が慰霊の舞を踊った。  朝鮮半島に帰る途中の船「浮島丸」が寄港した舞鶴湾で爆沈し、朝鮮人労働者ら549人が亡くなった。その後、市民らで殉難の碑を建立し、毎年追悼を続けている。事件から今年で62年を迎える。  この日の追悼集会には約250人が出席。はじめに主催の「浮島丸殉難者を追悼する会」の余江勝彦会長が「事件から教訓を学びとり、平和の確立に向けて追悼事業を続けていくことが、犠牲者の皆さんとの約束であると思います」と追悼の辞を読み上げた。続いて在日朝鮮人と在日韓国人の団体の代表者が、同胞の犠牲者に言葉を送り、斎藤彰市長らが花輪を献花した。  韓国出身の金さんとその生徒たちは、白いチマ・チョゴリを着て碑に一礼した後、京都交響楽団のトランペット奏者が録音演奏した「はまなすの花咲きそめて」の曲に合わせ、慰霊のための創作舞を踊った。トランペットの音が静かな舞鶴湾を駆ける中、5人は死者への祈りを捧げた。また、朝鮮初中級学校の生徒7人が、同じく「はまなすの花咲きそめて」を合唱し、美しい歌声を響かせていた。  踊り終えた金さんは「踊っていて無念さで胸がいっぱいになりました。いまを生きる私たちが悲しい歴史を2度と作らないようにしたい。今後も機会があれば集会に参加できれば」と話していた。

写真=殉難の碑の前で慰霊の舞を踊る金さんら
舞鶴リトルシニアが初優勝
会長杯争奪野球大会に17チーム
 第4回舞鶴リトルシニア会長杯争奪野球大会(舞鶴リトルシニア野球協会主催)が8月25、26日、福井・高浜町の高浜中央球場などで行われ、舞鶴リトルシニアが初優勝した。  同野球協会(村尾利博会長)が、リトルシニア関西連盟や東海連盟の各チームを招待して開催している大会。今回は17チームが参加、トーナメントで優勝を争った。  舞鶴リトルシニアは、2回戦で京都リトルシニアと対戦、互いに譲らず0―0の延長戦の末、抽選勝ちした。3回戦の奈良リトルシニア、準決勝の南京都リトルシニアに大勝、決勝では木津川リトルシニアを3―2で破った。  閉会式では、村尾会長が舞鶴リトルシニアの竹本佑紀主将に会長杯、木津川リトルシニアに準優勝盾を贈ったほか、選手1人1人に記念メダルを授与し、「決勝戦にふさわしい好試合だった。来年は協会設立10周年を迎え、さらに盛大な大会にしたい」とあいさつした。  また、同協会の発展に貢献した西舞鶴高校野球部OBで、プロ野球セリーグ審判員として活躍した故・上本孝一氏の功績をたたえて設けられた最優秀選手賞を舞鶴リトルシニアの金田悠吾捕手、優秀選手賞を木津川リトルシニアの吉田幸太1塁手に贈った。

写真=会長杯を受ける舞鶴リトルシニアの竹本主将
2007年8月24日

アームレスリングチーム「鉄腕舞鶴」
連盟公認初の府選手権優勝などで全日本大会へ
 アームレスリング競技のチーム「鉄腕舞鶴」のメンバー5人が、このほど京都市内で開かれた日本アームレスリング連盟(JAWA)公認の第1回京都府アームレスリング選手権に出場し、各体重別クラスの個人戦で優勝するなど大活躍した。チーム全体のレベルアップに励んできた成果を発揮した5人は、11月に東京で開催される全日本大会への出場権を獲得し、次回も旋風を巻き起こしたいとしている。  腕相撲をルールに従って競技化したアームレスリングは、5キロごとの体重別の階級で対戦し、右腕と左腕のどちらもエントリーできる。相手の手を握って組み、競技台に手の甲がつけば負け。  円満寺の会社員、泉政徒(まさと)さん(36)が、8年前にこの競技に出会ったのを機に、日本チャンピオンに弟子入り志願した。各大会で優勝し、一時はJAWAランキング五位にまであがり、世界を目指している。また、競技を府北部で普及させようと若者らに呼びかけ、2年前にチームを結成しトレーニング法を指導する。メンバーらは各大会で上位入賞し力をつけてきたが優勝はなかった。  全国大会の京都府予選も兼ねた今大会では、「鉄腕舞鶴」から泉さんが70キロ級のレフトとライトハンドの両方で優勝▽大工の古川修吾さん(30)=浜=が80キロ級のライトで優勝▽会社員の松本隼介さん(27)=西吉原=が60キロ級のライトで優勝、レフトで2位▽会社員の平田隆さん(36)=余部下=が90超キロ級のレフトで優勝▽塗装工の津田貴弘さん(22)=公文名=が80キロ級のレフトで2位、ライトで3位だった。  初優勝した古川さんは「自分の体重より8キロ重いクラスに出場したが、決勝以外ストレートで勝ち上がれた」、同じく初優勝の松本さんは「いつも負けていた相手に決勝で勝つことができうれしい」と喜びを語った。泉さんは「うちのメンバーは練習の内容とモチベーションの高さが他の選手と違う。全国大会はみんな優勝を狙いたい」と話し、来年は団体戦の出場を狙っている。

写真=京都大会で活躍した「鉄腕舞鶴」の選手たち
韓国の伝統芸能「サムルノリ」を楽しもう
民団舞鶴支部がサークル活動再開、参加者募る
 韓国の伝統芸能サムルノリを一緒に楽しもうと、在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部(金榮吉支部長)は、チャング(鼓)など4種類の打楽器の演奏をする参加者を募っている。年齢や国籍は問わないメンバー構成でサムルノリサークルの活動を再開し、文化を通して両国の市民交流を図る場にしたいとしている。  サムルノリは朝鮮半島の舞踊の農楽がルーツで約1600年の歴史を持ち、豊作に感謝して演じられるなどした。その後、演奏家グループ「サムルノリ」がケンガリ(鉦)とチン(どら)、プク(太鼓)、チャングの民族楽器を使って、農楽をもとにダイナミックな新しい音楽スタイルを生み出し、グループ名がそのまま音楽の1ジャンルを指すまでになった。  舞鶴の在日コリアンで組織する同支部は、3、4世の子供たちに韓国の伝統文化に触れるとともに、市民との交流の機会になればと、在日のメンバーでサムルノリサークルを結成。今春から練習を重ねて5月27日の田辺城まつりで初披露した。その後、しばらく活動を小休止し、新たに国籍を問わずにメンバーを募集して活動を再開することにした。  練習日程は8月29日午後7時から第1回目、2回目は9月2日午前10時から。次回以降については今後決める。会場は上安の韓国人会館。会費は中学生以上が月300円。
【問い合わせ】電話75・1150、民団舞鶴支部。

写真=5月の田辺城まつりでサムルノリを披露したメンバー
2007年8月21日

西高通信制の今中さん(3年)
全国定通卓球女子個人戦で初優勝
 西舞鶴高校通信制課程3年の今中咲子さん(17)=八反田南町=が、8月7日〜同9日に東京都内で開かれた第40回全国高等学校定時制通信制卓球大会の女子個人戦で初優勝した。鳥取県の全日制の高校から転校し、一時は卓球を止めようと思っていたが、高校生活の最後にただ1人の部員による練習不足を、東高浮島分校での合同練習で補い、日本一をつかんだ。「優勝の実感はないけれどうれしい。自分の卓球に徹したのがよかった」と振り返った。  府予選で優勝し同全国大会に2年連続で出場。昨年は練習不足もあって5回戦で敗退した。毎週日曜日に通学し平日昼間はアルバイトをする中で練習時間をつくるが、部員一人のため学校では練習できず、指導を手伝う青葉中学校で時々練習する程度。そこで今回は、夜間定時制の東舞鶴高校浮島分校4年の田中麻貴さんも出場することから、大会までの毎夜、同分校で田中さんらと合同練習に取り組んだ。  小学生から一条卓球クラブで卓球を始めた。ドライブを多用する攻撃型のプレーで、青葉中2年でダブルスとシングルスで全国大会へ、進学した強豪校の鳥取敬愛高校でも1年時にダブルスで高校総体に出場した。が、部に馴染めず昨年春に舞鶴に戻って西高通信制へ転校。卓球を止めることを考えたが、青葉中の練習を手伝う中で、卓球が好きな自分を見つけ、十分な練習ができない悩みを抱えつつ再び試合に挑戦した。  全国大会の4回戦。昨年の優勝者、竹村佳恵選手(高知北高)と対戦し、接戦を制して3―0と勝ち大きな自信につながった。準々決勝では栃木県1位の選手とあたり、勝ちへのプレッシャーから先に2セット連取された。卓球部顧問の千阪宏教諭から「自分の卓球をしよう」とアドバイスを受け、気持ちの切り替えができ3セット連取して逆転勝ち。  決勝の行われた8月9日は祖母の命日。小学四年生の時にクリスマスプレゼントにラケットを買ってもらい、「めざせ日本一」と書き込んだことを試合をしながら思い出した。「きょうはおばあちゃんが見守ってくれている。勝っても負けても一生懸命やればいい」と思い、福岡県1位に3―0のストレートで勝ち優勝した。  今中さんは「事前の練習で調子を整えることができ、自分の卓球をしようと自分に言い聞かせ、気持ちを前に出してプレーできたのがよかった。飽き性だったのに卓球は止めることができなかった」と話している。  西高通信制では2005年にも同大会陸上・男子砲丸投げで、当時2年の大江佑樹君が優勝した。

写真=優勝トロフィーなどを手にする今中さん
一条ク出身の青森山田高・上田選手(1年)
インターハイ卓球で活躍、団体戦優勝など
 一条卓球クラブ(小畑喜生代表)出身で青森山田高校1年の上田仁選手(15)が、8月9日から同14日、佐賀県総合体育館で行われた全国高校総体(インターハイ)卓球競技で、同校のメンバーとして団体戦で優勝、個人戦のダブルスで準優勝、シングルスで5位に入った。次は12月の世界ジュニア選手権で、全日本ジュニアのメンバーとして、「優勝をめざしたい」としている。  上田選手は、新舞鶴小時代に一条卓球クラブに所属して、全国大会に出場するなど活躍。青森山田中に進み、全国中学選手権で団体優勝を果たした。今年、青森山田高1年となり、団体戦のメンバーに選ばれた。団体戦では、同校は圧倒的強さで優勝したため出番はなかった。  個人戦では、松平健太選手(1年)と組んだダブルスで、決勝で先輩の水谷隼・松平賢二組(3年)に敗れ準優勝。シングルスでは、準々決勝で江藤遼選手(大分・明豊)に敗れ、ランキング5位となった。シングルスではベスト4を目標にしており、一歩届かなかった。  上田選手は、次の目標として、12月の世界ジュニア選手権での団体戦優勝、来年1月の全日本選手権一般の部で、シングルスのランク入りを目標にしている。さらに、3年生となる2009年に横浜市で開催される世界選手権の出場と、インターハイの3冠をめざしている。  小畑代表は「これまで力の差があった選手に着実に迫っている。これからも高い目標を持って頑張ってほしい」とエールを送っている。

写真=インターハイで活躍した上田選手。次は12月の世界ジュニア選手権
2007年8月17日

浮島丸事件、追悼集会で慰霊の舞
8月24日に韓国出身の伝統舞踊家・金一志さん
 浮島丸事件から間もなく62年を迎える8月24日。事件の犠牲者に鎮魂の祈りと平和への願いを捧げようと、韓国出身の伝統舞踊家、金一志(キム・イルチ)さん(40)=京都市西京区=が初めて追悼集会に参加し、下佐波賀の殉難の碑前で慰霊の舞を踊ることになった。金さんと在日コリアン3、4世の計5人が出演し、追悼歌「はまなすの花咲きそめて」の曲に合わせて舞う。集会は午前11時から。  浮島丸事件は終戦直後の1945年8月24日に起きた。下北半島で土木工事などを強いられていた朝鮮人労働者とその家族を乗せた輸送艦「浮島丸」が、朝鮮の釜山に向かう途中に寄港した舞鶴湾内で爆沈し、549人が死亡。その後、戦争の悲劇を繰り返させないため、舞鶴市民が殉難の碑を建立し毎年追悼集会を続ける。国内各地をはじめ、韓国からの出席者も増えてきた。  金さんは京都市から集会に参加する在日韓国人から事件の話を聞き、昨年12月に現地に立ち寄る機会を持った。殉難の碑の前に立ち、「無念でたまらない気持ち」が湧き起こり、集会で鎮魂の舞を捧げることができたらと碑を後にした。その想いが知人を通して、主催の「浮島丸殉難者を追悼する会」に伝わり、実現することに。広島でも原爆の韓国人犠牲者の慰霊のため踊っている。  韓国で小学1年から伝統舞踊を始め、18歳で語学留学のため来日。日韓を往復して人間国宝の舞踊家に師事して技を磨いた。96年に京都市内で教室を開校し在日や日本人に韓国の民族舞踊を指導、プロ集団「金一志韓国伝統芸術院」を設立し各地で公演を行うなど、文化交流で日韓の架け橋も担う。昨年は、プロを対象にソウルで開かれ大韓民国国楽コンクールに出場、「僧舞」で最高の長官賞を受賞した。  金さんは「碑を前にして慟哭の叫びに耳を傾け、忘れてはいけないとの思いがこみ上げてきました。亡くなられた人の慰霊とともに、追悼を続ける日本人の皆さんにお礼の気持ちも込めて踊りたい」と話す。京都市交響楽団のトランペット奏者が「はまなすの花咲きそめて」を録音演奏した曲に合わせ、創作舞を披露する。

写真=「慰霊の舞を踊りたい」とする金さん(写真は「僧舞」)
引揚記念公園で万国戦没者慰霊追悼式
遺族や市民ら300人、世界平和祈り参列
 終戦記念日の8月15日、平の引揚記念公園で、「平和祈願・万国戦没者慰霊追悼式」が営まれ、参列した遺族や市民ら約300人が、世界平和を祈った。  市老人クラブ連合会など市内の10団体で構成する「平和祈願・万国戦没者慰霊の会」主催で、今年で22回目。参列者が黙とうを捧げた後、慰霊の会の増山寛一会長(78)が「平和の尊さと戦争の恐ろしさを、次の世代に語り継ぐとともに、広島・長崎の原子爆弾投下の歴史を世界に訴え、核のない戦争もない21世紀を追求することが今日大きく求められている」と式辞の述べた。  この後、斎藤彰市長らの追悼の辞に続いて、参列者が祭壇に白菊を献花して、戦没者の冥福を祈った。  舞鶴ユネスコ協会(古森輝彦会長)は同15日、平の引揚記念館玄関で、市民らに引き揚げ船「興安丸」の時鐘を打ち鳴らしてもらい、平和の尊さに感謝する取り組みを行った。

写真=祭壇に白菊を献花する参列者
2007年8月10日

太平洋戦争末期の特攻隊員が残した
「特攻花」を荒木さん(水間)が育て咲かせる
 太平洋戦争末期、特攻隊員たちが鹿児島県喜界島に残したことから、「特攻花」として知られる。特攻などで3人の従兄弟らを亡くした水間の荒木花子さん(82)は、島から手に入れた種を畑にまき、このほど鮮やかな花を咲かせた。戦争で亡くなった人たちの魂の化身として花に想いを寄せるとともに、今後大切に守っていきたいとする。  アメリカ艦隊に戦闘機で体当たり攻撃をするため、鹿児島県知覧から飛び立った特攻隊員らが、給油で降り立った喜界島で、島の人から贈られた野の花の天人菊を滑走路に置いた。その種が芽を出し、現在も使用する滑走路周辺に群生地を作るようになった。島では「特攻花」と呼び、平和を願う花として大切にしている。  荒木さんは特攻花の存在を20年前にテレビで知った。また、エッセーを縁に知り合った愛知県の友人が特攻花を育てていたり、めいの娘で写真家の仲田千穂さんが特攻花をテーマに写真集を出版し、2005年に引揚記念館で写真展も開き、この花をいつも意識していた。  兄のように慕っていた母方の従兄弟ら3人が特攻などで戦死した体験から、自分で花を育ててみたいと思っていたところ、友人を通して喜界島から種をもらうなどした。昨年9月にプランターに種をまき、冬場は部屋に入れて保温し、今年4月に畑に植え替えると3株が順調に育ち、5月から花を咲かせ多い時には50輪もの花を付けた。まだ蕾のものもあり、これからも咲かせる。  昨年亡くなった兄と姉の写真に花を供えたり、若者たちの平和展が開かれるサンムーンに届けるなどした。荒木さんは「花が咲いて亡くなった人達が私の元に帰ってくれたように思えました。種を採取して来年も咲かせたい」と話していた。

写真=鮮やかな橙色の「特攻花」と荒木さん
「Peace2007 若者たちの平和展」
8月18日までサンムーンで13人がグループ展
 府北部などの若手アーティスト13人による「Peace2007 若者たちの平和展」が、浜のギャラリー・サンムーンで開かれている。陶芸や絵画、布などでそれぞれの平和への想いを表現した。8月18日まで。  昨年11月、学生や社会人らのアーティストがサンムーンでグループ展を開催した後、同画廊代表の佐藤保明さんから次回は平和をテーマに創作をと提案を受け、月1度のミーティングで話し合いテーマを掘り下げた。  舞鶴高専生や福知山、大阪府内などの13人が出品。日常から平和を考えたり、戦争の悲惨さを伝える想いを陶製の手足のパーツ、命をテーマにしたオブジェ、麻雀の役「平和(ピンフ)」をモチーフにした絵画などに込めた。参加した福祉施設職員の松岡沙織さん=松原市=は「1人の命を大切にすることが平和につながると思う」と話していた。入場無料。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。

写真=自作について話す出品者の松岡さん(左)
2007年8月7日

全国小・中学生箏曲コンクールで最優秀賞
泉さん(白糸中)、8月25日のコンサートで受賞曲披露
 先月(7月)26、27日に広島県福山市で開かれた「第25回全国小・中学生箏曲コンクール」の中学生個人の部で、白糸中学校2年の泉ひかりさん(14)=小倉=が最優秀賞を受賞した。小学生時代にこのコンクールで、3位の優良賞を2年連続で受け、早くから才能を発揮するも昨年は予選落ちを経験した。そこから日本一をつかんだ。8月25日の箏アンサンブル斗為巾のコンサートで、泉さんは受賞曲をソロで演奏する。  泉さんは三歳年上の姉、知里さんの後をついて、生田流の沢井箏曲院教師で同斗為巾を主宰する立道明美さん=矢之助町=の教室に小学2年生から通って指導を受ける。志楽小5年で同コンクールの小学生個人の部で優良賞、翌年には中学生個人の部に出場した姉とともに優良賞を受賞するなど、二人で競い合ってきた。  同コンクールは流派を越えて新しい才能を育てることを目的とし、将来プロをも目指す小・中学生が出場するレベルの高さでも知られる。立道さんはコンクールを通して成長することを願って生徒たちに挑戦を勧め、その中から2003年の宮下早知さん(当時城北中3年)と今回の泉さんが最優秀賞に輝いた。  今年は全国から24人の中学生が出場。この内、予選を突破した12人が本選に進んだ。泉さんは昨年の挑戦で予選落ちしたため、今回は予選通過を目標に臨んだ。軽やかに速く指を動かせる自分の特徴を活かすため、音の数が多く難易度の高い「鳥のように」を課題曲に選び、約10カ月かけて完成させ予選と本選で演奏した。  泉さんは「本選はあまりうまく弾けず、最優秀賞をとれるとは思ってもみなかったけれどうれしい。昨年の悔しさがバネになりました」と話し、来年は受賞者の中から最高の演奏者に贈られる牧本賞を目標に掲げる。立道さんは「一年間の稽古によく耐えてくれました。来年は注目される立場ですが、自分に勝って乗り越えてほしい」と受賞を讃えている。  8月25日午後7時半から北田辺の市民会館で開かれるコンサートに出演する。入場料1000円。

写真=稽古に励む泉さん(左)と指導する立道さん
本社など後援 「市長旗全舞鶴少年野球」
球児たちの夏開幕、少年と学童上級のベスト4決まる
 第18回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)が8月5日、行永の舞鶴球場で開幕した。日焼けした球児たちが、堂々とした入場行進をした開会式の後、優勝めざした熱い戦いが繰り広げられ、少年と学童上級の部のベスト4が決まった。  開会式では、学童上級15、同下級13、少年12の計40チーム、総勢525人の球児たちが入場行進。内野に整列した後、国旗、市旗、舞鶴野球連盟旗の掲揚を行い、同連盟少年部の山内重紀部長が開会で宣言した。  昨年度優勝チームの舞鶴東スポーツ少年団(学童上級)、池内少年野球クラブ(同下級)、南舞鶴スポーツ少年団A(少年)から市長旗、舞鶴市民新聞社杯が返還され、レプリカが贈られた。舞鶴野球連盟の倉橋貢会長が「野球の素晴らしさをもう一度かみしめてほしい。また、野球を通じて人間として一番大切なものをみつけてほしい。健闘を祈ります」とあいさつした。  斎藤彰市長は「自分が何かができる幸せを感じて、プレーしてほしい。頑張ってください」と激励。志楽少年野球クラブの川端千都主将が「全力でプレーすることを誓います」と選手宣誓した。  斎藤市長の始球式で、少年の部の高野ドジャース対与保呂スポーツ少年団Bで熱戦の幕を開けた。5日は少年と学童上級の1、2回戦が行われ、ベスト4が決まった。準決勝、決勝戦は同12日、舞鶴球場などで行われる。
 試合の結果は次の通り。
 【学童上級の部】1回戦=余内少年野球ク7―1中舞鶴少年野球ク、三笠少年野球ク6―4南舞鶴スポ少、高野少年野球ク9―1与保呂スポ少、池内少年野球ク5―2志楽ドリームズ、舞鶴東スポ少9―1茜が丘ベースボールク、中筋少年野球ク4―1明倫ヘッピリーズ、福井少年野球ク20―2朝来少年野球ク▽2回戦=余内少年野球ク14―6志楽少年野球ク、高野少年野球ク10―5三笠少年野球ク、池内少年野球ク7―5舞鶴東スポ少、福井少年野球ク5―4中筋少年野球ク
 【少年の部】1回戦=高野ドジャース12―3与保呂スポ少B、鶴友クA1―0中筋少年野球ク、南舞鶴スポ少A11―0志楽シャークス、舞鶴東スポ少A8―0与保呂スポ少A▽2回戦=高野ドジャース7―0南舞鶴スポ少B、鶴友クA12―4舞鶴東スポ少B、南舞鶴スポ少A2―1舞星野球ク、舞鶴東スポ少A9―4鶴友クB

写真=開会式で選手宣誓する志楽少年野球クの川端主将
2007年8月3日

中越沖地震被災者支援へフリーマーケット
8月5日、城南会館夏祭で西高生たち
 7月16日に起きた新潟県中越沖地震の被災者へ義援金を贈ろうと、西舞鶴高校の生徒たちが8月5日、女布の城南会館で開かれる夏祭に参加し、募金活動に取り組む。西高フリーマーケットでバザーやポストカード、手作りお菓子などを販売し収益金を義援金にあてる。来場を呼びかけている。  この地震で柏崎市などで多くの被害が出て、いまも1000人以上の市民が避難生活を送っており、水道などの復旧も遅れている。3年前にも十日町市など中越地域は大きな地震で被害にみまわれた。  生徒たちは2004年の台風23号をきっかけに、パキスタンの地震、今年3月の能登半島地震などの被災者を支援するため、次々に西高フリーマーケットを開催。文化系クラブ員も部活動の発表を兼ね、作品を販売し義援金にあてた。  5日の夏祭は城南会館の主催。地域の市民らが発表や模擬店などをする。生徒会や美術部などの生徒たちがバザーなどに取り組む。生徒会長の渡辺充樹君(3年)は「新潟の人たちの力になれれば」と話していた。収益金は市を通して被災地に届けられる。  5日は午後3時〜同5時半。
【問い合わせ】電話78・1800、城南会館。

写真=バザーの準備などをする生徒たち
9月2日まで市郷土資料館で夏季企画展
近世の染や織の技術、瀬崎人形浄瑠璃の衣装など
 市郷土資料館の夏季企画展「織・染・刺繍―瀬崎人形浄瑠璃の衣装から―」が、北田辺の同館(市民会館2階)で開かれている。瀬崎区に伝わる府登録有形民俗文化財となっている衣装を展示し、近世の染や織などの技術を紹介している。関連企画として8月22、23日、はたおり講座も開く。展示は9月2日まで。  養蚕が盛んだった瀬崎では、江戸末から大正初期にかけて人形浄瑠璃の衣装と人形を揃えた。最初は村の青年団組織が、明治以降は有志の芸能グループが担い、神社や各地で上演したとされる。用具は衣装70点など185点にのぼり、1990年に府の文化財の登録を受け、瀬崎区から寄託を受けた同館が保管している。  初めて人形浄瑠璃の衣装をテーマに約20点を展示。有名な「傾城阿波鳴門」のおつるが着る西国三十三所巡礼衣装は、木綿地に赤と茶、青の3色で型染されており、背中に嘉永二酉ノ年(1849年)の墨書が入っている。紅花や藍を使って華やかに型染した衣装なども並ぶ。衣装から当時の技術と創意工夫がうかがえる。入場無料。  はたおり講座は両日とも午後1時〜同3時。場所は北田辺の西公民館。定員20人で2講座とも参加できる人。参加費500円。
【問い合わせ】電話75・8836、同資料館。

写真=会場に並んだ華やかな衣装
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