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2015年7月31日










語り継ぐ 舞鶴・下北ともに歩み
浮島丸事件700年 青森の市民来鶴 追悼、平和の思い述べる
村上さん「不戦の思いを共有」 鳴海さん「事件の謎迫りたい」

 終戦直後、朝鮮人らが乗船していた旧海軍特設輸送艦が舞鶴湾で爆発沈没し、多くの犠牲者を出した「浮島丸事件」から70年を前に、市民グループが7月25日、浜の市商工観光センターで70のつどいを開いた。浮島丸が出航した青森県大湊港のむつ市で活動する「浮島丸下北の会」の市民2人も参加し、舞鶴と下北の取り組みが報告され、連携して事件を伝えていこうと絆を強めた。
 下北半島で鉄道建設などに従事させられていた朝鮮人労働者と家族らを乗せ、朝鮮半島へ帰国のため出航した浮島丸が、1945年8月24日に寄港した舞鶴湾で謎の爆沈をした。
 舞鶴市民で組織する「浮島丸殉難者を追悼する会」(余江勝彦会長)が、8月24日に追悼集会を続ける一方、出港地のむつ市で過酷な労働の証言集を作った下北の会をこれまで2回訪問。4年前の2011年には、事件を描いた紙芝居を携えむつ市で上演した。下北の会メンバーも2度来鶴した。
 つどい前日の24日、下北の会顧問の鳴海健太郎さん(84)と会長の村上準一さん(68)が、余江会長の案内で五老岳山頂から舞鶴湾を眺め、下佐波賀の殉難の碑で献花し、爆沈した海を目の前にして説明を受けた。初めて現場を訪れた鳴海さんは「こんなに平和な海が、かつて悲劇の海だったことを痛感した」と静かに碑に手を合わせた。
 つどいには約250人が参加。長年追悼活動に関わる追悼する会顧問の須永安郎さん(90)が、自らのシベリア抑留体験や兄の戦死がその後の平和運動の原点になったとし、「浮島丸事件を歴史の教訓とし、平和で世界に貢献する日本をつくっていくべき」と訴えた。
 村上さんは下北での聞き取りや出港日の8月22日の集会などを紹介、「浮島丸は戦争の犠牲者であり、その傷跡は時を経ても消えずますます胸に突き刺さる。二度と戦争を起してはならない思いを舞鶴市民と共有できることを心強く思う」と述べた。
 鳴海さんは浮島丸が急いで出港した背景には、旧ソ連が千島列島と樺太に進攻し北海道の半分を占領しようとしたことに合わせ、朝鮮人の暴動を恐れたからではないかと指摘し、「歴史に時効はない。過去と現在との対話を続け事件の謎に迫りたい」と事件を追及する姿勢を示した。
 事件を題材に20年前に製作された映画「エイジアン・ブルー」も上映され、来場者たちは映画に込められたメッセージを改めて考えていた。
 余江さんは「下北との交流が確かなものとなってきた。今後も互いに学びあい、事件を風化させず伝えていくため、きょうを出発点にしたい」と話した。



写真左=余江さんから爆沈の説明を受ける鳴海さん(左)と村上さん(中央)
写真右=舞鶴と下北の活動が報告されたつどい
















第40回ちゃったまつり
花火の大輪 夜空と海彩る
民踊流し、レガッタで盛り上げ

 第40回みなと舞鶴ちゃったまつり(同実行委員会主催)が7月26日、東地区の浜海岸一帯で開かれた。日没後にはフィナーレの花火大会があり、約5000発の花火が夏の夜空を彩った。
 今年は「海の京都博」の協賛事業として開催された。恒例の「舞I市民ちゃったレガッタ」には、企業などでつくる40チームが参加し、湾内に設けられたコースで選手たちが力強くオールをこぎ、タイムを競い合った。
 第36代クイーンまいづる3人を乗せた船の海上パレードも行われ、午後7時半に海上自衛隊舞鶴教育隊から花火が打ち上げられた。
 各企業や団体などがスポンサーとなって、「夜空の花畑」「光の波しぶき」などのスターマインが次々と上がり、潮路通り沿いや前島一帯の海岸に集まった観客らが歓声を上げていた。市民が募金した「みんなの花火」がフィナーレを飾り、4万人(主催者発表)が楽しんだ。
 ちゃったまつりの前夜祭が同25日、西地区商店街で行なわれた。22の団体の約1100人が舞鶴音頭に合わせ練り歩いた。
 マナイ商店街内で民踊流しがスタート。職場や踊りのグループの団体ごとに連をつくり、舞鶴音頭の歌声と演奏に合わせ、それぞれの踊りを競った。
 第36代のクイーンまいづるに選ばれた藤井遥さん、野々垣真帆さん、町谷茜さんも参加し、市民へのお披露目となった。
 また、手作りの神輿4基も繰り出され、まつりを盛り上げた。
   
写真左=海自舞鶴教育隊から打ち上げられた花火
写真右=民踊流しを楽しむ参加者たち(舞鶴市提供)


2015年7月28日















短歌と足跡刻み後世に
歌壇活躍の西村さん偲び 朝代神社に歌碑建立
飛聲短歌主宰、大学で教鞭も

 飛聲(ひせい)短歌会を主宰し、昨年11月1日に79歳で亡くなった西村尚(ひさし)さんの歌碑が完成し、宮司を務めた朝代の朝代神社境内に建立された。神社の森に来るフクロウを詠んだ短歌が石に刻まれた。舞鶴にいながら中央歌壇でも活躍した西村さんを偲び、教えを受けた人たちが集まり、7月20日に除幕式が行なわれた。
 西村さんは舞鶴市出身。西舞鶴高校在学時から和歌の方面で才能を評価された。国学院大学大学院博士課程を修了した後に帰郷。福田栄一氏に師事し、95年に飛聲短歌会を結成した。第1歌集「少し近き風」を出版し、2012年には最後となった第6歌集「瑞歯(みづは)」を出した。
 地方のみならず中央歌壇でも作品や評論を発表し、後進の指導にも励んだ。京都市の白峯神宮の宮司や、京都創成大学(現・成美大)で国文学などを教える教授も務めた。日本文藝家協会と現代歌人協会の会員。
 西村さんの短歌の歌碑は白峯神宮や佐渡島など3カ所に立つが、生前に朝代神社にもあればと話していたことから、妻の美濤(みなみ)さん(73)が短歌会の教え子たちの協力を得て鳥居前に建立した。
 碑は幅約1・5メートル、高さ約1・4メートルで黒御影石。数多くある歌の中から朝代神社に関係する歌を選んだ。「三日月の おぼろの夜や 梟は   今年はじめて 森番をなす」の短歌が、西村さんの筆致で刻まれている。
 除幕式には短歌関係者や友人ら約60人が出席。美濤さんは「生前に朝代神社にも歌碑が1つあればと言っていた。夫の文字で残すことができうれしい。みなさんに感謝しています」と話していた。



写真左=79歳で亡くなった西村尚さん
写真右=西村さんの短歌を刻んだ歌碑と妻の美濤さん


赤れんがパーク駐車場に
しらねのいかり設置
市民と海自 友好の証

 北吸の赤れんがパーク駐車場に、今年3月に退役した海上自衛隊の護衛艦「しらね」のいかりが、モニュメントとして設置され、「海の日」の7月20日、除幕式が行われた。
 1980年就役のしらねは、2009年から舞鶴に配備され、東日本大震災の災害派遣などで活躍。新型艦「ひゅうが」が舞鶴に配備され、退役した。
 舞鶴で最後を迎えるしらねの記憶を残そうと、市民らが昨年、「舞鶴しらね会」を結成し、海自舞鶴地方総監部などにいかりの保存を要望。市が海自から貸与を受け、高さ約2・4メートルのモニュメントとして、赤れんが倉庫や艦艇を見渡すことができる駐車場入り口に設置した。
 除幕式には、多々見良三市長、堂下哲郎舞鶴地方総監、海自関係者や舞鶴しらね会のメンバーら約50人が出席した。
 「しらね」最後の先任伍長だった辻原健二准海尉(53)は「舞鶴に記憶が残り、とてもありがたい」、しらね会の塩見邦夫会長(70)は「市民と海自の友好の証であり、舞鶴と海を象徴できるモニュメントになった」と喜んでいた。
   
写真=モニュメントとして設置された護衛艦「しらね」のいかりと完成を喜ぶ市民ら


2015年7月24日

体験もとに仕事のコツ紹介
「アクア」女性管理職の井上さん ビジネス書出版
資料作成、お客様対応など50例
「褒められること意識を」

 廃棄物の収集運搬や下水道施設の維持管理などをする伊佐津の「アクア」(池田雅美代表)で、女性管理職を務める井上幸葉(こうよう)さん(43)が、主体的に楽しく仕事に取り組める仕事術を指南したビジネス書「『ちょっとできる人』がやっている仕事のコツ50」を執筆、同文舘出版から出した。自らの体験をもとに褒められる仕事のやり方をわかりやすく書き、企業研修でも指導している。
 井上さんは19歳で同社に入社し、秘書や現場事務、経理などキャリアを積み、男性の部下もいる。教育担当として社内研修を任されていたが、2011年にビジネスマナーインストラクターの資格を取得し、依頼を受けて企業研修の講師も務めている。現在は月に半分は大阪などの企業で人材育成にあたる。
 原稿企画を求める同出版社の会議に知人の紹介で参加したところ、編集長からアイデアを没にされたことから挑戦する意欲が湧き、1年にわたって何度も企画を練り直して採用され、それから1年かけて原稿を書いた。
 入社当初は仕事を淡々とこなす日々を送っていたが、ある時書店で手にしたビジネス書で自分を振り返る機会を持ち、楽しく仕事をする自分に変ろうと決めた。また、仕事を評価されると楽しくなることにも気づき、上司や同僚、顧客から褒められることを目標に据えて仕事を進めることにした。
 「仕事を楽しむ極意は、毎日の仕事の『困った』や『苦手』をひとつずつ『自信』に変えていって、自分が磨かれていくおもしろさを感じることにあります」と書き、これまでの自分が工夫してきたことなどの体験をもとに、「簡単マニュアルづくり」「資料作成で差をつける」「信頼感のあるお客様対応」「クレームを受けたら」「職場に苦手な人がいたら」など具体的な50のコツを紹介した。
 井上さんは「新人社員には自己啓発に、教育担当者にはテキストとして、ベテラン社員には自分の見直しに役立ててもらえれば。褒められることを意識して次々と仕事ができると、自信につながりやり甲斐を感じるようになります」と話し、今後も企業研修に務めたいとしている。
 全国の書店で販売中。市内ではらぽーる、宮脇書店、アスカ、バザールタウン舞鶴に置いている。1冊1,300円(税別)。



写真=出版した本を手にする井上さん


人物館より
地域に愛着持つ手助けを
舞IYMCA国際福祉専門学校校長
神ア清一(かんざきせいいち)さん
介護人材の育成へ

 今年4月に開校した浜の舞鶴YMCA国際福祉専門学校と、京都市中京区三条通りにある京都YMCA国際福祉専門学校の校長を兼任。
   小学4年生の時に大阪で参加したYMCAのキャンプで、ボランティア活動に興味を持った。大阪体育大学卒業後、茨城県の筑波大学大学院で体育野学教育を学び、27歳の時に青少年育成を目標に、京都YMCAの職員となった。
   キャンプの指導で宮津市のマリーンピアや由良を訪れ、08年に閉鎖された戸島にも、活用を検討する委員として視察に来ていた。
   舞鶴には、市の介護福祉士育成の講師として2年ほど前から通うようになった。「人材不足が深刻だと言われ、地域貢献は私たちのミッションでもあるので、お声掛けいただいて一緒に協議しながら進めてきた」
   府が地域連携による北部の介護人材確保を目指す中、市が舞鶴校を開設。開校後は、府専修学校各種学校協会の会長としても全国各地へ出向き、舞鶴には月に2日ほどしか足を運べていないが、舞鶴校の授業では、「学生たちには、あたりまえのことに感動できる人間でいてほしい」と、福祉の心や、他国・他文化の人との共生、人に優しくすることの大切さなどを伝えている。
   介護福祉学科と国際観光ビジネス学科の1期生は17人。東高と日星高出身が半数を占め、寮は無く、車や電車などで通学している。福祉学科は、舞鶴を中心に府北部の実習先を広げていくことに努め、国際観光学科は3人の少数を活かした実践的な指導を行っている。
   「高専や看護学校、各高校と協力し、高校生が体験を通してリーダーシップをとれるような活動もしていきたい。地域の産業を興すことはできないが、中高生が地域への愛着を持つ手助けや、ネットワーク作りの仕事をしたい」
   海沿いの町の風景が好きで、時間が取れたら舞鶴をゆっくり眺めながら歩いてみたいという。
   
プロフィール:1953年生まれ。大阪市港区出身。学校法人京都YMCA学園常務理事。公益財団法人京都YMCA総主事。日本キャンプ協会常務理事。京都市西京区

2015年7月21日

自己ベストでインターハイへ
東高ボート部 東孝輔選手と林知春選手
上位入賞で部のアピールを
7月31日から豊岡市で シングルスカルに出場

 東舞鶴高校ボート部の2選手が、全国高校総合体育大会(インターハイ)の男子シングルスカルと女子シングルスカルに出場する。ともに京都府予選で自己ベストを出し優勝した。ボート部のインターハイ出場はこれで23年連続になる。上位入賞を目指し、ボート部の存在をアピールしたいとする。
 男子シングルスカルにただ1人の男子3年生の東孝輔選手(17)、女子シングルスカルに3年生の林知春選手(同)が出場する。インターハイボート競技は7月31日〜8月4日、兵庫県豊岡市の丸山川漕艇場で開かれる。
 東選手は昨年、5人乗りのクォドルプルでインターハイに出た。その後、1人乗りのシングルスカルに転向し、5月16日に琵琶湖漕艇場でのインターハイ京都府予選で1000メートルのコースを自己ベストの3分37秒4で優勝。スタートから飛び出して突き放し、2位と9秒差の大差をつけた。「優勝を目標にしていたのでいいレースができた」という。
 林選手はダブルスカルに取り組んでいたが、京都府予選の直前にシングルスカルに変更した。府予選決勝では700メートル付近まで同じ東高部員3選手がトップで並んでいたが、最後のラストスパートで抜け出し自己ベストの4分07秒4で勝った。「ひさしぶりのシングルスカルのレースだったので心配もありましたが、優勝できうれしい」と振り返る。
 インターハイに向け東選手は「シングルスカルは精神的にきつい種目ですが、優勝して部をアピールしたい」、林選手は「相手を見ながら自分との戦いでもある。1つでも勝てるようがんばりたい」と話している。
 顧問の八木千尋教諭は「2人とも1年生からまじめに練習をして力をつけてきた。自分の力を出し切り、決勝に進出してほしい」と励ましている。



写真=出場を決めた林選手(左)と東選手


彌加宜神社で例大祭
大名行列 南舞鶴地区を巡行
スポーツ少年団の記念神輿も

 森の彌加宜(みかげ)神社(大森神社)の例大祭が7月14日に営まれ、大森神社奉賛会による大名行列や、スポーツ少年団などの子供神輿(みこし)が南舞鶴地区を練り歩いた。
 例大祭は神社創建の7月14日に合わせ営まれている。大名行列は、1953(昭和28)年の台風13号で市内が大きな被害を受けたことから、森と行永地区の住民らが五穀豊穣と地域の発展を願って翌年から始め、今年で62年目を迎えた。
 大名の第62代丹後守には矢野慶吾さん、第17代正室には南賀子さんが扮し、家老や奉行、腰元などの衣装をまとった約70人が、南公民館前から神社までの約2キロの道のりを笛や太鼓の音色に合わせてゆっくり歩き、奴(やっこ)による毛槍(けやり)振りなどに沿道の住民たちが見入っていた。
 また、南舞鶴スポーツ少年団は設立45周年を記念して、特別に段ボールと金色の紙などを使って作成した2基の神輿を、倉梯小と倉梯第二小の4〜6年生65人が野球部とバレー部に分かれて担ぎ、元気な掛け声とともに白鳥通りや七条通りなどを保護者らと巡行した。
   

写真左=南公民館を出発する大名行列
写真右=創立45周年の記念神輿を担ぐ南舞鶴スポ少の野球部員たち


2015年7月17日

私費で学ぶ高専留学生を支援
舞鶴東ロータリークが初の取り組み
グエンさんへ米山記念奨学金

 舞鶴東ロータリークラブ(西村敏弘会長、会員38人)が7月9日、浜のホテルマーレたかたで開いた例会で、舞鶴高専のベトナム人留学生、チュンタン・グエンさん(24)に、公益財団法人ロータリー米山記念奨学会(東京都)の地区奨励ロータリー米山記念奨学金を贈呈した。グエンさんは機械工学科4年に進級した4月から奨学生となり、来年3月まで月額7万円の支援を受け学業に専念する。
 米山記念奨学金は62年の歴史がある日本最大規模の奨学金制度で、これまで123の国と地域の約1万8000人の留学生を支援している。
 舞鶴高専には、日本政府とマレーシア政府からの奨学生以外の、私費で学ぶ留学生への奨学金制度がなかった。3年前、米山記念奨学金に、短大や高専など大学以外の教育機関の留学生を対象とした地区奨励奨学金制度ができ、同クラブと同校が連携し取り組みを進めてきた。私費留学生が少ないため、同クラブにとって初めての取り組みとなる。
 グエンさんは日本で機械について学ぶため、高校卒業後にホーチミン市の日本語学校に1年半通い、2011年に来日した。静岡日本語教育センター、三重大学で学び、昨年4月に舞鶴高専に3年生として編入。12月にロータリーの選考試験に合格し奨学生となった。
 奨学金は毎月、例会の席で手渡されており、西村会長からグエンさんに7月分の7万円が贈られた。グエンさんは「皆様からの思いに元気をもらって勉強でき、感謝しています。高専卒業後は日本の企業に就職して技術を学び、将来はベトナムで車の部品やネジなどを作る小さな会社を経営し、大企業を支えたい」と話していた。



写真=奨学金を受けたベトナム人留学生のグエンさん(左)と贈呈した西村会長


帰省客、書作品でお出迎え
東高書道部 東駅の展示夏仕様に

 東舞鶴高校書道部の2、3年生部員たちが、浜のJR東舞鶴駅構内に常設展示している書作品が、夏らしい俳句や風鈴などを書いた作品にこのほど入れ替えられ、夏休みの帰省客や観光客を迎えている。
    2013年に市制70周年の記念式典で書パフォーマンスを披露した同書道部の作品を見た駅関係者から依頼を受け、その年の7月から書作品(縦1・7メートル、横3メートル)を、東駅改札を入ったガラス窓の壁面に飾り、季節ごとに作品を入れ替えている。
    今夏に合わせ2年生たちが与謝蕪村の「夏山や通ひなれたる若狭人」などの句と、その背景に風鈴と青空と山の絵を書いた。駅外側から見える面には3年生が「ようこそ東舞鶴駅」の書と建物の絵を描いた。
    部長の3年生本谷葵さん(17)は「たくさんの人に見てもらえればうれしい」と話していた。
    8月末まで展示される。
   

写真=東駅に飾った書と部員たち


2015年7月14日

浮島丸事件から70周年
もう一つの引き揚げ 未来へ
7月25日、舞鶴と下北市民らが活動を報告
映画「エイジアン・ブルー」上映も

 終戦直後、旧海軍の特設輸送船が舞鶴湾で爆発沈没し、帰国途中の多くの朝鮮人労働者が亡くなった「浮島丸事件」から70周年を迎える今夏、「浮島丸殉難者を追悼する会」(余江勝彦会長)が、7月25日午後1時から浜の市商工観光センターでつどいを開く。船が出港した青森県下北と爆沈した舞鶴で、長年事件を伝え追悼する市民たちが取り組みを報告。事件を題材にした映画「エイジアン・ブルー」を上映する。参加を呼びかけている。
 青森県下北半島で鉄道建設などに従事させられていた朝鮮人労働者と家族を乗せた「浮島丸」が大湊港を出港し、釜山に向う途中に寄港した舞鶴港で1945年8月24日に謎の爆沈をし、524人が犠牲となった。地元住民などが救助にあたったが発生当時に報道もされず、船は海上にマストを出したまま9年間も放置された。
 市民らが爆沈現場近くに建立した殉難の碑前で、追悼する会が毎年8月24日に集会を開いている。60周年の2005年には追悼する会は韓国や中国から研究者を招いて国際シンポジウムを開き、最近では事件を紙芝居にして伝える。日本各地や韓国からも来鶴し、事件を学ぶ人も増えている。
 しかし、犠牲者の遺骨280体は東京都内の祐天寺に残されたままで返還も進まない。旧ソ連などから舞鶴港への引揚者と対置して、朝鮮半島へ戻るはずだったもう一つの引き揚げとしていまも事件は解決していない。
 70年の節目に平和を求める新たな出発点にしようとつどいを企画。元シベリア抑留者で当初から追悼に関わる同会顧問の須永安郎さん(90)、青森県むつ市で強制労働の証言集を作り追悼活動を続ける「浮島丸下北の会」顧問の鳴海健太郎さんと会長の村上準一さんが、それぞれの取り組みを報告する。
 その後、戦後50年の1995年、京都市民グループが企画した映画「エイジアン・ブルー」の上映会を開く。映画撮影は舞鶴市内でも行なわれ、多数の市民もエキストラ出演した。
 須永さんは「朝鮮人たちが祖国に戻って新しい生活や国づくりをしようとした希望が事件によって打ち砕かれた。戦争の歴史を繰り返さないために、浮島丸を伝え歴史を学ぶ場になれば」と話している。参加費800円。
【問い合わせ】電話63・2539、余江さん



写真=沈没し海面にレーダーと機銃をのぞかせる「浮島丸」。その向こうに見えるのは入港する引揚船「興安丸」(1945年9月、故三浦日出夫さん撮影)


セリフと効果音 楽しく表現
舞鶴アートデリバリー 高野小3年生が音読劇

 高野台の高野小学校(池田弘一校長)でこのほど、3年生児童26人が、プロの演出家の指導を受けて練習してきた音読劇「きつつきの商売」を保護者らに披露した。
     市文化事業団主催の育成・創造型事業「舞鶴アート・プログラム・デリバリー」で、演劇の脚本や演出を手掛ける、ニットキャップシアター代表のごまのはえさん(38)=大阪府高槻市=と、同シアターの俳優・高原綾子さん(33)=京都市=が講師を務め、児童たちは表現することの楽しさを学んだ。
     国語の教科書に載っている、キツツキが林の中で動物たちに音を聞かせる物語を題材に、3回のワークショップで音さがしや音読の練習、セットづくりなどを行った。
     児童たちは、ナレーター、登場人物、効果音のグループに分かれ、覚えたセリフを元気よく大きな声で発声し、劇中の雨の音などを、ペットボトルや紙を使って手作りした小道具で見事に表現した。
     キツツキの役を演じた林田大和君(8)は「本番はいつもより声が出せた。言葉をみんなに伝えるのがおもしろかった」と話していた。
   

写真=演出家に指導を受けた「きつつきの商売」を保護者に披露する児童たち


2015年7月10日

熱き戦い8月2日開幕
第26回市長旗全舞鶴少年野球大会
三笠の赤坂哲平主将が宣誓
少年9、学童上級14、同下級11が出場

 第26回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)の日程と1回戦の組み合わせが決まった。少年、学童上級、同下級の部と合わせ34チームが出場する。選手たちは「舞鶴の甲子園」ともされる大会で優勝を目指している。8月2日、行永の舞鶴球場で開会式が行なわれる。
 大会には少年の部(中学生)に9、学童上級の部(小学生6年生が主体)14、同下級の部(同5年生以下)11のチームが出場する。今回は下級の部で選手が少ないチームがあるため、朝来少年野球クラブと志楽少年野球クラブスポーツ少年団の2チーム、余内と共楽、福井の少年野球クラブ3チームが連合チームを組む。
 組み合わせ抽選会が7月4日、伊佐津の西駅交流センターで開かれ、選手、監督、連盟役員らが出席。連盟の山内重紀副会長のあいさつに続き、さっそく各チームの主将がくじを引き、1回戦の対戦相手が決まった。
 また、学童上級の抽選で1番くじを引いた三笠少年野球クラブの赤坂哲平主将(三笠小6年)が、開会式で選手宣誓をする。赤坂主将は「しっかりと走塁や打撃をして試合に勝ち、思い出をつくりたい」と抱負を述べた。
 8月2日午前8時から舞鶴球場で開会式、続いて少年の部の1、2回戦、隣接する東舞鶴公園陸上競技場で学童上級の部の1回戦がある。少年の準決勝と決勝は9日に舞鶴球場で、学童上級の2回戦と準決勝は同8日に競技場、決勝は同9日に舞鶴球場で行なわれる。学童下級の1回戦は同23日に中舞鶴市民グラウンド、2回戦と準決勝が同29日に競技場、決勝が30日に市民グラウンドである。
 出場チームは次の通り。
【少年の部】鶴友クB▽高野ドジャースB▽南舞鶴スポ少B▽中筋少年野球ク▽舞鶴東スポ少▽高野ドジャースA▽南舞鶴スポ少A▽与保呂スポ少▽鶴友クA
【学童上級の部】三笠少年野球ク▽南舞鶴スポ少▽余内少年野球ク▽池内少年野球ク▽福井少年野球ク▽志楽少年野球クラブスポ少▽中筋少年野球ク▽与保呂スポ少▽朝来少年野球ク▽明倫ヘッピリーズ▽茜ケ丘ベースボールク▽高野少年野球ク▽共楽少年野球ク▽舞鶴東スポ少
【学童下級の部】与保呂スポ少▽茜ケ丘ベースボールク▽舞鶴東スポ少▽南舞鶴スポ少▽明倫ヘッピリーズ▽池内少年野球ク▽余内・共楽・福井連合▽中筋少年野球ク▽高野少年野球ク▽志楽・朝来連合▽三笠少年野球ク



写真=組み合わせのくじを引く各チームの主将たち


上位入賞し全国大会出場へ
ひまわりクの2ペア、府大会で

 ソフトテニスの「舞鶴ひまわりクラブ」(南部照一代表)所属の小学生2ペアが、京都府小学生ソフトテニス選手権大会・女子ダブルスの部で優勝するなどし、京都府代表として7月30日〜8月2日に富山県高岡市で開かれる全国大会への出場を決めた。
   5月にあった京都府大会で、柴田七海選手(福井小6年)と市川満璃華選手(明倫小6年)ペアが、女子ダブルスの部決勝で京都市内のペアを4―3で破り優勝した。加藤佑都選手(三笠小6年)と渡辺心愛選手(高野小6年)ペアは3位に入り、2ペアが全国への切符を手にした。1月の府大会で柴田・市川ペアは3位、加藤・渡辺ペアが2位となり、3月の全国大会にも出場した。
   柴田選手は「声を掛け合って負けていたところから粘って逆転できました」、市川選手は「全国では春の大会よりも1試合でも多く勝てるようにしたい」、加藤選手は「優勝できずに悔しいですが声を掛け合ってプレーできました」、渡辺選手は「全国では自分たちのプレーを発揮して勝ち進みたい」と話していた。
   南部代表は「2ペアとも練習熱心でラリーの力がついてきた。いろんなコースへの打ち分けやカット打法の長短の戦法をさらに磨き、心を一つにしてのびのびと全国大会で実力を発揮してほしい」と励ます。
   

写真=全国大会に出場する渡辺さん、加藤さん、市川さん、柴田さん(左から)


2015年7月7日











生きる姿、命のつながり熱演
音楽劇「君よ生きて」 抑留と引き揚げ描く
市民、高校生メッセージ受け取る

 シベリア抑留と舞鶴港への引き揚げを描いた望月龍平シアターカンパニーの音楽劇「君よ生きて」の上演などの取り組み(市などの主催)が、7月1日〜5日にかけて浜の総合文化会館小ホールなどで行なわれた。俳優たちが抑留関係者から体験を聞き抑留の厳しさや舞鶴でのもてなしを熱演し、高校生や市民らが必死に生きる姿や命のつながりのメッセージを受け取った。
 物語は仕事を辞め人生に不安を感じる若者、トモキが舞鶴港に到着したところからスタートする。そこで亡くなったはずの曽祖父・善吉と出会い、時空を超えて、第2次大戦後のシベリア抑留の収容所にたどり着く。過酷な労働と飢餓に、トモキは抑留者が次々と亡くなる現実を目にした。芝居と歌と音楽を織り込み演じられる。
 13年間に約66万人の引揚者を受け入れた舞鶴市は、戦争を知らない世代に演劇を通じて史実を伝えようと、演出家の望月さんらに取材協力、舞鶴観光協会など各団体も公演を盛り上げる会を設立し後押しした。全国ツアーのトップを切って舞鶴公演が決まった。
 出演者一行は1日、北吸の赤れんがパークで開催中の引き揚げ記念館特別展を見学、抑留体験者の原田二郎さんから話を聞き役作りに活かした。2日夜は報道や団体関係者を招き、本番さながらの通し稽古を実施した。
 3日は日星高校生徒約210人が団体鑑賞し、役者たちからオープニング曲「メッセージ」の歌唱指導を受けた。4、5日の本公演では、引揚港近くの大浦小学校の小学生約70人や市民たちが来場し、ほぼ満席となった。
 俳優らはわずかなパンを奪い合い、家族の待つ日本へ必ず帰国する望みを支えに必死に生きながらも、飢えや病気で亡くなる仲間、舞鶴港での市民によるお茶の振る舞い、帰国後はソ連のスパイと蔑まれ殺された場面などを演じた。
 望月さんは「9月の世界記憶遺産登録に向け弾みとなる舞台となれば」、善吉役の小西のりゆきさんは「舞鶴の海と山を見て、引揚者が見た景色をリアルに感じることができた」と語った。
 鑑賞した日星校3年の杉本渚さん(17)は「抑留シーンは迫力があり自分が体験しているように感じ、最後まで日本へ帰る希望を捨てなかった場面が印象に残りました。いま生きている幸せや家族の大切さを忘れずに生きていきたい」と話していた。同校の水嶋純作校長は「舞鶴の引き揚げと戦争を若い人たちが語り継いでいってほしい」と述べた。



写真左=舞I市民が引揚者をもてなす場面
写真右=俳優たちから歌唱指導を受けた日星高生徒たち



ちゃったまつりの花
クイーンまいづる決定
7月25日、前夜祭でデビュー

 ちゃったまつり実行委員会はこのほど、第36代のクイーンまいづるの3人を発表した。7月25日のまつり前夜祭の民踊流しや26日本日の海上パレードに参加する。
 7人の応募者の中から選ばれたのは市役所勤務の藤井遥さん(18)=境谷▽朝来幼稚園教諭の野々垣真帆さん(23)=吉野▽海上自衛隊舞鶴総監部勤務の町谷茜さん(21)=余部下。
 藤井さんは大好きなふるさと舞鶴の海をPRしようと応募した。「舞鶴の岩がきなど海産物を紹介したい」とする。小学生から高校1年まで空手をした。
 勤務する同幼稚園を卒園した野々垣さんはよさこいにっぽん聖のメンバーとして、市内の行事や高知でのイベントに出演している。「舞鶴のかまぼこや万願寺甘とうなどの食べ物を笑顔でPRしたい」と話す。
 町谷さんは北海道函館市出身で、幼稚園から小学4年まで舞鶴に住んだ。五老岳山頂から見える舞鶴湾と自衛艦の風景がお気に入り。「自衛官募集のため出かける各地で舞鶴を紹介したい」とする。
   

写真=クイーンまいづるを務める藤井さん、野々垣さん、町谷さん(左から)


2015年7月3日

大人倒し全国つかむ
青葉中の相川選手 アームレスリング京都大会で
鉄腕舞鶴でトレーニング
初出場で5位、主催者推薦受け
同チームの3選手も活躍

 アームレスリングチーム「鉄腕舞鶴」所属の4選手が、京都府アームレスリング大会などで上位入賞する活躍を見せた。その中の1人で最年少で出場した青葉中学校3年生の相川匡汰朗選手(14)=森=が、大人と対戦して2勝する善戦が評価され、主催者推薦で7月の全国大会出場を決めた。
 青葉中で柔道部に入る相川選手は、父の友人が同チームで活動している縁で半年前から鉄腕舞鶴の道場に通い練習を続ける。腕相撲が強く自信があったが大人ばかりのチームでは負けてばかりだった。その中で攻め方やフォーム、日頃の筋力トレーニングの大切さを教わった。アームレスリングの練習になるだけでなく、柔道で組手の強化にもつながっている。
 先月14日に京都市内であった全国大会の予選を兼ねた京都府大会に初出場した。大人の選手に混じって男子右のマイナス60キロ級で参戦し、2勝して5位に入った。その活躍を認められ、主催の京都府アームレスリング連盟の鎌田功会長の推薦を受け、7月5日に東京都内で開かれる全国大会の高校生以下の部出場への道が開いた。
 相川選手は「鉄腕での練習がとても役立ち勝てました。全国に行けることが決まりとてもうれしい。次はぜひ優勝したい」と話していた。
 同大会の男子左・マイナス60キロ級で秋田有志選手(24)=宮津市=が3位、同・80キロ級で上野洋司選手(44)=浜=が3位。2人とも初の入賞で、秋田選手は「緊張したが精一杯がんばった」、上野選手は「普段の練習と応援が入賞につながった」と喜んでいた。また、関西オープン大会で男子右・マイナス65キロ級で安久友規選手(23)=倉谷=が2位だった。



写真=京都などの大会で活躍した相川選手(右から2人目)と秋田選手、上野選手、安久選手(左から)



ピティナ・ピアノコンペ
52人が京都本選に出場
舞鶴予選 市長賞に川上君

 社団法人全日本ピアノ指導者協会舞鶴支部(竹内晴代支部長)主催の第39回ピティナ・ピアノコンペティション舞鶴地区予選が6月28日、浜の総合文化会館小ホールで開かれた。園児から高校生までの123人が演奏を披露し、52人が京都地区の本選出場を決めた。
 エントリーした参加者は年代別のカテゴリーに分かれ、ソロや連弾でそれぞれの課題曲を演奏して審査を受けた。審査の結果、52人が8月上旬に京都市の東部文化会館ホールである西日本京都地区本選への切符をつかんだ。
 表彰式では本選出場者と奨励賞10人が発表され、その中から成績優秀者に特別賞が贈られた。
 特別賞の受賞者は次の皆さん。
 舞鶴市長賞=川上侑泰(倉梯小2年)▽舞I市教育委員会教育長賞=田中月菜(京都共栄学園中2年)▽ピティナ舞鶴支部賞=高橋里奈(中名田小4年)▽カワイ賞=高橋佳奈(倉梯小6年)▽JEUGIA賞=川上桃花(同4年)▽検定の部最優秀賞=吉澤直紀(中舞鶴小4年)
   

写真=特別賞を受賞した出場者たち


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