舞鶴市民新聞社の運営する舞鶴市近郊ローカルニュースサイト
      Web みなと舞鶴    http://www.maipress.co.jp
現在地は?
ホーム>> 過去のトピックス >>2012年6月
2012年6月29日

バスケでまちを元気に
プロチーム「京都ハンナリーズ」
10月に舞鶴で公式戦
市民ら後援会設立でPR

 bjリーグに参戦しているプロバスケットボールチーム「京都ハンナリーズ」が、2012―2013年シーズンの公式戦を、10月27、28日、上安久の文化公園体育館で行うことを決め、開催を盛り上げようと舞鶴の実業家たちが後援会組織を立ち上げた。スポーツを通じてまちの活性化を目指し、試合のPRなど支援に取り組んでいく。  bjリーグは日本初のプロバスケットボールリーグ。京都ハンナリーズは2011―12年の3季目のレギュラーシーズンは34勝18敗で西地区3位、ファイナルズに初進出し4位だった。チームワークを重視し最後まであきらめない姿勢で臨み、多くの試合で逆転勝ちをしてシーズンで最高の成績を収めた。10月から開幕する新シーズンは東・西地区合わせて21チームが52試合を行う。  京都ハンナリーズは京都市内のアリーナを本拠地にするが、府北部でもファンを増やそうと以前に子供たち対象の教室を開いた舞鶴で、10月に初めて公式戦2試合を、続く12月に福知山市でも主催を決定。  京都市内には後援会はあるが、今回の開催を受け舞鶴の実業家たちが「京都ハンナリーズ舞鶴後援会」を作り、6月26日、浜のホテルマーレたかたで設立式をした。スポーツ関係者にも呼びかけ、会員30人でスタートし、今後市民にも入会を働きかける。  後援会の小西剛会長は「スポーツを通して舞鶴を元気に、青少年の健全育成を図っていきたい」、発足式に出席した同チームの多田羅隆文社長は「最後まであきらめないプレーを見てほしい」と話している。

写真=設立式に集まった実業家たち



フリーライターの守田さん
東北の放射能汚染 報告
被曝対策で支援を
現状 国民に伝わらず

 東電福島第1原発事故後の福島で取材をするフリーライターの守田敏也さん=京都市=の講演会「震災がれき問題と内部被曝」が6月23日、南田辺の西総合会館で開かれた。舞鶴社会保障推進協議会主催。約100人を前に、守田さんは放射線量が高い福島の現状、事故後は東北・関東のごみ焼却施設で通常ごみの灰から高い放射性物質が検出されていることを報告した。  福島市内の学校に親が子供を迎えに来る車で渋滞している映像を見せ、いま学校ではマスクをしている子が3割、していない子、車で送り迎えをしてもらっている子、転校した子と対応が分かれていると紹介した。  放射線の専門家が「1番いけないのは放射線を怖がりすぎること。それが子供に心的ストレスを与える」と話したことで、子供の身を守ろうとする親が、「あなたの子がマスクをするからうちの子が怖がる」と非難されるなどし、さらに同じ家族の中でも対立が起き人間関係が壊れている現状を指摘。  学校の通学路のそばでも毎時5マイクロシーベルトなど、高い放射線量の地点が多数見つかっているが、福島ではニュースにもならず国民にも知らされていないとする。  「チェルノブイリ事故の場合だと、こうした汚染レベルの地域は国が責任を持って避難させる避難権利区域に入り、日本では100万人を超える人が住んでいる」とし、「福島の人たちは見捨てられていると感じている。がれきのことを言う前に、このひどい被曝を何とかすることが東北への支援になる」と訴えた。  次に環境省がHPで発表している各地のごみ焼却施設の灰に含まれる放射性物質濃度を説明。事故後、一般ごみから岩手県一関市では1キロあたり3万ベクレル、茨城県日立では1万2千ベクレルなど東北、関東では軒並み高くなっているとし、京都市でも前年の0.2から26ベクレルと100倍に跳ね上がっており、放射性物質の拡散の現状を示した。  守田さんは「焼却施設そのものが汚染され、放射性物質を封じ込める機能はない。放射線を検査するにしても灰を混ぜてから測定し、60万秒連続して測らないと実測値が出ないと京都大学原子炉実験所の小出さんは指摘している。土壌の測定も煙突の高さの10倍の距離ですべき」と話した。

写真=守田さんの話を熱心に聞く市民たち


2012年6月26日

悲痛な命の叫び 綴る
患者たち 手記集発刊
理解求める 救済には遠い現実

 「舞鶴ウィルス性肝炎を考える会」(三宅あき世話人)が、肝炎患者と支援会員による手記集をこのほど発刊した。肝炎から様々な病気を発症した闘病生活や救済されない現実、手記を書き終えた後に亡くなった患者もいるなど、悲痛な命の叫びが綴られる。肝炎問題への理解を深めてと呼びかけている。  肝炎患者は全国で約350万人とされ、大半が輸血など不適切な医療行為による感染とも言われる。全国の患者団体などが国の感染症対策がなおざりだったことで感染が広がったとし、訴訟を起こすなどしてきた。重症肝炎患者への障害者手帳の交付が決まり、国の肝炎基本法が成立した。  肝炎ウイルスの無料検査は一部の医療機関などで行われるのみで、重症患者への医療費助成はなく、肝炎訴訟で救済された原告もごくわずか。舞鶴の会でも2010年にいた38人の会員の内、既に5人が亡くなり、重い病と高額な医療費、いまも差別や偏見に苦しむ患者の声を知ってもらおうと、手記を作ることにした。  手記は92ページ。21人の患者と支援の会員が、自身や家族の闘病や救済への訴えを書いた。原稿を完成させた後に亡くなった患者も1人いる。手記集がきっかけで1人で悩んでいた患者から相談を受けるケースもあった。500部作成した。  ある女性は大量輸血を受けた後にC型ウイルス性肝炎と診断され、インターフェロンの治療による全身の倦怠感など副作用に苦しみ、その後も激しい頭痛、意識消失などに襲われ、肝硬変にと移行して様々な病気を併発して亡くなり、残された家族は絶望感でいっぱいだったと記す。  三宅さんは「訴訟や基本法ができ、肝炎の問題は決着済みと思っている人もいますが、救済にはほど遠いのが現実です。府北部での肝炎専門医の配置など課題も多く、この問題への関心を持ってほしい」と話す。  一部実費の200円と送料200円で配布している。
【問い合わせ】電話78・9133、三宅さん

写真=闘病生活などをまとめた手記集



舞鶴医療センター付属看護学校
アジサイから看護学ぶ
入院の少年が見守った花 城南中から里帰り

 行永の舞鶴医療センター付属看護学校の花壇に、看護学生たちが大切に育てているアジサイが花を咲かせている。20年以上前に同センターに入院していた少年が見守り続けたアジサイが元で、株分けされた城南中学校から里帰りして植えられた。学生たちはアジサイと少年から看護と命の大切さを教わっている。  少年は中筋小6年だった1986年、急性骨髄性白血病で同センター(当時は国立舞鶴病院)に入院した。小児科病棟で治療を受ける中、「季節を忘れずに花が咲き、挿し木で増えるアジサイを植えては」と看護婦長に話したのがきっかけで、病棟庭に植えられ少年もいつも病室の窓際から眺めていた。  そして88年7月2日、亡くなる直前まで「花に水をやろう」と気にかけていた。その後、看護婦長が少年が通うはずだった城南中で講演したのを機に、このアジサイの挿し木が同校に植えられ、いまでは大きく育ち記念碑も立っている。  一昨年、看護学校職員が同校を訪れた際、当時の城南中校長からアジサイの里帰りを提案され、看護学校校舎前の花壇に1株を移植。学生会を中心に水やりと草とりを続け、昨年から徐々に花を付け、今年は7輪の花が咲いている。  学生会役員の人見明穂さん(19)は「アジサイから病院の中だけで行うことが看護ではないと教わった。亡くなった後も少年はみんなの心の中に生きています」、同会会長の小野山和さん(20)は「今年もきれいに咲いてくれたので、これからも後輩たちが世話を続け大切にしてほしい」と話す。

写真=いまは亡き少年の想いを大切に、花の世話をする学生たち


2012年6月22日

極薄で高硬度のマイクロギア作る
舞鶴高専・清原研究室
製造法、初めて開発
11月にボストンで研究成果を発表
医療用ナノロボット部品に応用

 白屋の舞鶴高専電子制御工学科の清原修二准教授と、豊橋技術科学大学電気・電子情報系の滝川浩史教授らの研究グループは、極薄で高硬度な炭素構造物の製造技術を初めて開発した。ナノテクノロジー分野に挑む清原さんの研究室が、3年がかりでマイクロギアを作り上げた。今後は、医療用ナノロボットなどの部品に応用するため、大量生産できる製造法の開発に取り組む。  研究グループによると、シリコン基板上にダイヤモンドに似た材質のカーボン(DLC)幕を形成し、その上に保護膜を塗る。それを電子ビームでギア形状の保護膜を形成し、次に酸素イオンビームでDLCの一部を削って、最後にフッ化キセノンで基板のシリコンを溶かしてギアを完成させる。  ギアの大きさは直径が3〜10マイクロメートル(1メートルの100万分の1)、厚さは400ナノメートル(1メートルの10億分の1)。DLC膜は、従来のものに比べて硬度が4〜8倍の60〜80ギガパスカル(ギガは10億)をもつ。また、炭素でできているため体内に入れても無害である。  イオンビームによる超微細金型の形成技術を確立した清原研究室では、専攻科の2年の伊藤茅さん、1年の池垣斗夢さんと松田将平さんが、ギアパターンの保護膜の厚さを制御するための条件、イオンビーム加工のためのビームの強さやどの方向から照射するかなどの条件などを求める研究に取り組んだ。純度の高いDLC膜の形成技術を持つ豊橋技科大が、シリコンの除去技術などを担当した。  清原准教授は「やっと形になってうれしい。今後は企業や大学など共同研究のパートナーを探し、低コストで大量に生産できる製造法を開発し、5年後には手術用ロボットなどの部品として実用化できれば」と話す。  11月に米国ボストンで開かれる国際会議「2012 MRS Fall Meeting」で研究成果を発表する。

写真左=製造技術を開発した清原准教授(前列右)と専攻科の学生たち
写真右=DLCを加工して作ったマイクロギア(舞鶴高専提供)



園田涼さん ピアノソロライブ
収益金、被災者支援へ

 「ソノダバンド」のリーダー、園田涼さんのピアノソロライブが、7月1日午後5時から北吸の市政記念館で開かれる。収益金の一部は、東日本大震災で被災者支援活動をするNPO法人難民を助ける会に寄付する。来場を呼びかけている。  現役東大生で結成された「ソノダバンド」はメジャーデビュー前、2007年に同助ける会が行う地雷撤去キャンペーンのコンサートに出演した。その後、舞鶴でもライブを開いて、白糸中学校を訪れ生徒たちと交流も。様々な音楽番組への出演や、フェルメール展の音楽の担当、アルバム発表など活躍を続けている。  今回は、舞鶴在住の同助ける会理事の鷲田マリさんが主催する。園田さんは学生時代に大阪ブルーノートにも出演し、シンセサイザーの演奏で日本一のタイトルも獲得した。繊細で透明感あるピアノ演奏で多くの人を魅了している。  チケットは一般3,000円、高校生以下2,000円、当日は各500円増し。
【問い合わせ】電話63・7177、Cafe jazz

写真=出演する園田涼さん


2012年6月19日

被災地のいまと復興伝える
名取市の医師・桑山さん 6月30日に市民会館で
舞I市民たちが支援へと企画

 東日本大震災の被災地を支援しようと、舞鶴市民たちが大きな被害を受けた宮城県名取市の医師、桑山紀彦さんを招き、歌と映像と語りで被災地の現状と復興を伝える公演「地球のステージ〜災害特別編〜」を企画した。桑山さんは心のケアやワークショップなどに取り組んでいる。公演は6月30日午後6時から北田辺の市民会館で。来場を呼びかけている。  桑山さんはパレスチナなど世界の紛争地で医療支援活動などを続け、NPO法人地球のステージを立ち上げ、その地でたくましく生きる子供たちを5部シリーズの公演にして全国で紹介している。  大震災では仙台平野にある名取市を巨大津波が襲い約1000人が亡くなり、閖上地区で生徒も犠牲になった中学校には舞鶴市内の中学生たちが折り鶴を送った。桑山さんの診療所も被災する中、いち早く再開して24時間態勢で患者を受け入れ、避難所も巡回診療した。  その後も仕事や家族、友達を失った人たちの心のケアに、全国からの支援を受け継続して取り組む。子供たちが自分たちのまちの将来像を形にしたジオラマ作り、がれきを楽器にした音楽ワークショップ、手芸教室と販売の支援、被災者が語り合う集会所兼津波資料館の建設など多岐にわたる。  舞鶴での開催は多くの市民・団体、学校が協力する。呼びかけた橋本希久子さんは「震災から1年以上が過ぎたいまの被災地の様子をぜひ知ってください。被災者たちがつくる手芸品も販売します」と話す。入場料の一部は被災地支援に役立てる。  チケットは前売り1,000円(当日200円増し)。託児もする(無料、要予約)。昼には、日星高校生徒と舞鶴医療センター附属看護学校の生徒たちに向けた公演をする。
【問い合わせ】電話090・5665・1902、実行委員会の橋本さん

写真=がれきを使って音楽ワークショップに取り組む子供たちと桑山さん(NPO法人地球のステージ提供)



魚のさばき方 伝授
吉原小3年生 地域の暮らし学ぶ

 東吉原の吉原小学校でこのほど魚のさばき方教室が開かれ、3年生9人が獲れたてのアジなどを地域の人たちから教わり、庖丁で3枚におろす体験をした。  水産業に関わる人が多く住む地域の暮らしを学ぶ総合的な学習と食育の一環として、毎年地域の人たちの協力で取り組んでいる。元底引き漁船船長の長崎忠雄さんや婦人会、老人会、保護者ら15人が来校した。  若狭湾内で水揚げされたばかりのアジ、トビウオを材料に、長崎さんらが児童の手を取って頭を落とし内蔵を取って3枚におろす方法を伝授。さばいた魚はフライにし、アラから出汁を取って味噌汁にして味わった。  3年生の岩間大典君は「庖丁は家で使ったことはあるけれど魚をさばいたのは初めて。3枚にするのは難しかった」と話していた。

写真=地域の人たちから魚のさばき方を教わる3年生たち


2012年6月15日

韓国の東学農民革命伝えたい
橋本さんと余江さん 冊子を翻訳発行
6月23日 研究の第一人者、朴教授が講演

 日清戦争(1894〜95年)の最中、朝鮮(韓国)民衆が蜂起した東学党の乱を知ってほしいと、舞鶴市民2人が冊子「マンガで見る『東學農民革命』」を作成した。韓国の国立東学農民革命記念館が製作した冊子を、日本語に翻訳し発行にこぎつけた。東学農民革命研究の第一人者、韓国・圓光大学校教学大学の朴孟洙(パク・メンス)教授を招き、6月23日午後2時から南田辺の西総合会館で講演会を開催する。  朝鮮政府と支配層の圧制に苦しんでいた農民たちが、1894年の第1次蜂起で各地に自治政府を樹立するなど勝利を治めた。そして、東学の戦いを口実に朝鮮半島に派兵しようとする日本軍の動きを制するため、農民軍は朝鮮政府と和議を結んだが、半島の支配を巡って日清戦争が起こり、再び農民軍が集結し日本軍と戦うが弾圧された。  日本の歴史研究者や韓国の市民グループが企画した東学農民軍の戦跡を訪ねるツアーに、2008年参加した舞鶴の戦争展実行委員会事務局長の橋本安彦さんが、記念館が作る資料の冊子を持ち帰り、日本でほとんど知られていない東学党の戦い(甲午農民戦争)を紹介しようと、浮島丸殉難者を追悼する会会長で、ハングル語を学ぶ余江勝彦さんに翻訳を依頼した。  翻訳作業を進める中、翌年に余江さんも韓国を歩き、20〜30万人が日本軍に弾圧された過酷さを肌で感じた上で、朴さんらのアドバイスを受け約3年がかりで完成させた。同資料館から日本語版発行の許可を得た冊子(B5版、14ページ)は、東学の思想や戦いの背景などをマンガを使ってわかりやすく伝えている。  橋本さんは「日本の教科書では東学農民戦争はほんの少ししか書かれていない。日清戦争の中、朝鮮半島で何が起こったのか知ってほしい」、余江さんは「日本によるアジアの植民地支配の最初になったのが東学党の弾圧だった。東学の思想はその後の韓国の民主化運動に受け継がれている」と話す。1000部作成した。1部500円で配布している。
【問い合わせ】電話75・4809、橋本さん
 講演会は同追悼する会などでつくる実行委員会の主催。東学農民革命とその研究の最前線について、現在、京都大学大学院で客員教授も務める朴さんが話す。資料代500円(冊子を配布する)。
【問い合わせ】電話76・8304、地労協内

写真=マンガでわかりやすく紹介している日本語版冊子



古民家でゆっくり過ごして
ぎゃらりー・喫茶「こもれび」
白屋町に移転
田畑の景色眺めながら

 ぎゃらりー・喫茶の「こもれび」が市場から白屋町に移転し、古民家を改築した店舗で再開した。天井には大きな梁がむき出しになって昔の民家のたたずまいを残し、大きな窓からは外の田畑と桜並木を眺めることができ、ゆっくりとした時間が流れている。  かずら編みの創作や廿日の市実行委員長も務める永井玲子さん(58)が、市場の実家でこもれびを営んでいたが、田舎の民家に移そうと白屋町の空き屋を購入し自宅兼店舗にした。1941(昭和16)年、海軍の第3火薬廠が朝来地区に移転したのに合わせ、建物は白屋町に移築されており、使われている部材は100年以上経過しているという。  引っ越しを決め店の設計を考え再開するまでに1年をかけた。自らも壁に漆喰を塗り板を磨くなどしたほか、地域の住民も手伝ってくれた。天井板をはずし曲がった形そのままの梁を見せ、壁に大きな窓を嵌めてカウンター席を設けた。のどかな田畑の農作業が目に入り、さっそくスケッチする画家もいた。  展示スペースには作家たちの染め、陶器、岩手県大槌町の復興を支援する品物が置かれている。今後、発表の場として企画展も開いていく。  永井さんは「来られた方は懐かしいとおっしゃっています。のんびりとした空間で時間を過ごしてもらえれば」と話す。飲み物、ピタパン、食事、天然・自家製酵母パン(6月は26日販売)もメニューにある。6月22日午後7時からは山里優作さんらによる歌とギターなどのコンサート。2,500円(1ドリンク付き)。  営業は午前10時〜午後6時。休みは水・木・第1日曜日と20日。
【問い合わせ】電話63・0058、こもれび

写真左=大きな窓から田畑を見ることができる店内
写真右=作品の展示スペースと店主の永井さん


2012年6月12日

ゆったり泳ぐマンボー 心和ませて
東高出身のみなみさん 3作目の絵本発表
震災以後、ストレス抱える親子たちへ

 中学、高校を舞鶴で過ごした絵本作家のみなみじゅんこさん(旧姓鹿田さん)=東京都立川市=が、3作目となる絵本『ゆーらり まんぼー』(アリス館)をこのほど出版した。ゆったりと海の中を泳ぐマンボーの世界が繰り広げられており、震災と原発事故以後ストレスを抱える親子たちにも心を和らげる1冊になればとする。  両親の帰郷に伴なって白糸中と東舞鶴高校を卒業し、大阪市内で幼稚園教諭をしながら夜間の美術専門学校で学び、創作意欲が高まり手作り絵本づくりに取り組むようになった。絵本サークルにも入会し、実家の家電店を舞台にした作品など1年に1作のペースで作り続け、東京都立美術館の東京展・絵本の部で優秀賞を受賞した。  2人の息子がダンゴ虫と遊ぶ様子をヒントにした絵本『てとてとだんごむし』と『ととととだんごむし』の2冊を、2008年にひさかたチャイルドから同時出版し、作家デビューを果たした。今作はそれ以来の作品になった。  どんな作品を作るか、自分の内面を見つめる作業を編集者と時間をかけて行い、企画を練り上げた。母親が赤ちゃんに読み聞かせをしてコミュニケーションをとれる絵本にと、マンボーを主人公にしてイメージを膨らませた。  完成した絵本は24センチ×19センチ、32ページ。シルクスクリーンの技法で絵を描いた。大海原を散歩するマンボーに、小さな魚たちが寄り添って泳いだり、カモメと触れ合ったりする様子を、朝から夜までの海の色の変化も合わせ描いている。国分寺市の絵本専門店で原画展も開いた。  みなみさんは「ゆったりと海を泳ぐ不思議な存在のマンボーの心地よさやうれしさを、味わってもらえたらうれしいです」と話している。  1冊1,365円。全国の書店で販売中。

写真=出版した絵本『ゆーらり まんぼー』



処理費用 復興支援へ使うべき
がれき問題考える
母親たち ミーティング

 東日本大震災のがれきの広域処理と原発事故による内部被曝を考えようと、母親たちでつくる復興ミーティング「ままコモ会」が6月7日、余部下の中総合会館で学習会を開いた。小さな子供を連れた母親や市民ら約50人が、2人の講師から広域処理の問題点などを聞いた。  被災地の支援活動などに取り組んできた西方寺の今井葉波さんらが呼びかけ企画。阪南大学の下地真樹准教授と、生活協同組合コープ自然派ピュア大阪の黒河内繁美理事が講師を務めた。  下地さんは、がれきの安全性を評価する環境省の会議は議事録をつくっておらず、バグフィルターの実証データも存在しないことなど、あまりにも議論のプロセスが不誠実な点を指摘。1平方メートルあたり数千から数万ベクレルという高濃度の放射能汚染地が東日本にはあり、汚染物質を拡散させないのが処理の原則であり、低線量の内部被曝の危険性を過小評価しているとする。  「今回のがれきの処分費用には約1兆円かかると試算されており、膨大な輸送費を避難を希望する人や安全な食料と水の確保など復興支援に使うべき。福島の被災者は困難な状況にあることを知り、必要な支援を考えるべきだ」と話した。  また、黒河内さんは事前に大波上の最終処分場を視察し、焼却灰による作業員の被曝の危険性があること、一度焼却炉が汚染されれば使えないリスクについて述べた。

写真=問題点を話す講師の下地さん


2012年6月8日

サヨナラ逆転で初優勝
舞鶴高専野球部 近畿高専大会で
8月 全国大会へ 集大成の気持ち

 舞鶴高専の野球部が、このほど神戸市内で開かれた第49回近畿地区高専体育大会・硬式野球の部で初優勝を果たした。攻撃的な試合で勝ち上がり、決勝では延長で劇的なサヨナラ逆転勝ちを収めた。8月18日と19日に山口県で開かれる全国大会に初めて出場し、最上級生は5年間の集大成の気持ちで臨む。  近畿大会には7高専が出場。4、5年生の舞鶴高専チームは初戦、大阪府立高専に10―6で勝ち、準決勝は和歌山高専に14―5で8回コールドで勝利した。1番の森友也選手(5年)が盗塁など機動力を発揮し、強打者の3番・上西雅信選手(4年)を軸に攻撃で相手チームを圧倒した。  決勝は強豪の近大高専を破った神戸高専と対戦。エースの中津徳人選手(5年)を立て、1回表に2点を取られたが、3回裏に3点を取って逆転したが、7回に不運な1点を奪われ同点に。10回表に1点を勝ち越されたが、その裏、2アウト2、3塁と攻め、9番の岡田淳太郎選手(4年)が、セカンド横を抜くセンター前ヒットで、2点を入れて逆転サヨナラ勝利をした。  主将の中谷謙介選手(5年)は「優勝でき最高です。石川監督、応援して下さった保護者やOBに感謝しています」とナインと喜び合った。石川一平監督は「今年のチームに手応えを感じ優勝を期待していました。高専に赴任して5年になり、部員たちが1年生の時から一緒に練習し成長を見守ってきただけに、本当にうれしいです。全国大会も優勝を目指したい」と話している。  全国大会には10校が出場する。

写真=初優勝をした舞鶴高専野球部



クラブユース関西大会に初出場
舞鶴少年サッカーク
府北部勢で初の快挙

 舞鶴少年サッカークラブは、6月2日から兵庫、大阪で開幕した第27回日本クラブユースサッカー選手権関西大会(U―15)に、1998年のチーム創設以来、初めて出場。これまで同大会に出場できなかった府北部勢で、初の快挙を達成した。  同クラブは、府予選3位で関西大会出場を決めた。4月から行われた府予選では、1次、2次リーグをともにグループ2位で通過。予選リーグを勝ち抜いた8チームによる決勝トーナメントでは、準決勝で朱六FCに1―3で敗れたが、3位決定戦で久御山FCを2―1で下した。  1次リーグの初戦で福知山FCに0―5と大敗したが、決勝トーナメント1回戦で対戦し、3―1で破り雪辱。また、2次リーグでは、府予選で優勝した紫光に1―1で引き分けるなど、試合を重ねるごとに力をつけた。  メンバーは市内の中学生24人で、うち3年生10人を中心としたチーム。飯田利一監督は「3年生が日ごろのトレーニングからリーダーシップを発揮していた。これが勢いとなった」と話す。  また、関西大会では、同監督は「どのチームも実力は数段上。最後まで諦めないで戦う」と話し、高居周矢主将(14)=城北中3年=は「チーム1つになって、勝ちをめざして頑張りたい」と決意している。  関西大会は、近畿2府4県から32チームが出場。4チームずつによる予選リーグ、決勝トーナメントで優勝を争う。舞鶴少年サッカークは、セレッソ大阪と同じグループで予選を戦う。

写真=府予選3位の賞状を持つメンバーら


2012年6月5日

舞鶴出身のピアニスト 桑原さん
リストが描くスイスの美しさ熱演
ハンガリーから帰国後 初のアルバム発表

 10年以上にわたってハンガリーに滞在し、昨年日本に拠点を移した舞鶴出身のピアニスト、桑原怜子さん=大阪府在住=が、帰国後初めてのCDアルバム「リスト巡礼の年・第1年スイス」をこのほど発表した。ハンガリー生まれのリストが旅したスイスの美しい自然と風景を元に書いた曲を、ヨーロッパで実力を磨いた桑原さんが渾身の想いを込め奏でている。  4歳から本格的にレッスンを始めた桑原さんは、神戸女学院大学ピアノ科の池田洋子教授らに師事し、桐朋女子高校音楽科に進学。3年生の時、日本クラシック音楽コンクール全国大会・高校の部で2位に入り、卒業後は同大学へ進んだ。  ハンガリー国立リスト音楽院のジョルジュ・ナードル教授が桑原さんを指導する機会を持ち、情熱的で力強い演奏の才能を見抜き、同音楽院への留学を勧め2000年にハンガリーに渡った。Gianluca Campochiaro国際音楽コンクールで1位など評価を高め、06年卒業後もハンガリーに留まり、欧州や日本で室内楽やソロリサイタルで活躍していた。  完全帰国後初のアルバムは、DPICレーベル発足の記念すべき第1作。リストが旅の中で心に留めた出来事をモチーフに書いた作品を、「巡礼の年」として第1年〜3年のシリーズの曲集に再編集したアルバムで、若手実力派の桑原さんが第1年を担当する。  若きリストが旅したスイスの印象を元に作曲した「田園」「泉のほとりで」など、10曲が収録されている。桑原さんは「ハンガリーに留学しリスト音楽院で学んだピアノ人生の集大成として制作に挑みました。リストが癒されたスイスの自然を感じてもらえればうれしい」と話している。CDは2,000円。

写真=桑原さんが演奏したCDアルバムのジャケット



それぞれの絆を活写
フォトトーク彩 森のとけいで写真展

 写真グループ「フォトトーク彩(いろどり)」(湯浅好造代表)の第5回写真展が、上安の「森のとけい」で開かれている。「絆」をテーマに約10人のメンバーたちが、親子や友達、動物たちの日常の風景から絆を切り取っている。6月17日まで。  同グループは3年前に結成、舞鶴や福知山のプロからアマチュアのカメラマンがメンバー。智恵蔵でグループ展を企画してきたが、初めてテーマを決めて撮影に取り組んだ。  今回は「絆」のテーマで各メンバーが感じる絆を表現した。親子がつなぐ手をアップで捉えた写真、川辺で遊ぶ子供たち、花を摘んで母親に「取れたよ」と見せようとする女の子、大都会のビルで仲睦まじそうに寄り添う2羽のハトを電車の車窓から撮影したモノクロ写真などが並ぶ。  湯浅さんは「それぞれのイメージで絆を表現した。8月19日からはエル・マールで写真展を開きます。会員も募集中です」と話す。月〜水曜は休み。
【問い合わせ】電話76・1153、同店

写真=展示した作品とメンバーたち


2012年6月1日












ジャンボニンニク収穫に期待
まいづる作業所 乾燥機と大型冷蔵庫導入
摘み取った茎も食材として販売中

 社会福祉法人まいづる福祉会が運営する平のまいづる作業所が、近くの西屋の畑でジャンボニンニクの栽培に取り組んでおり、収穫後の保存のため乾燥機と大型冷蔵庫を導入した。障害者たちが世話を続け順調に成育し、いま花芽を摘み取ってその茎も販売している。7月ごろの収穫へ期待が膨らんでいる。  作業所ではこれまで西屋の休耕田を借り、カボチャやナスなどを栽培してきたが、障害者たちの給料アップを目指し、手間がかからず獣害被害も少ないとされるジャンボニンニクに目を付けた。人のこぶし大のサイズになり、ニンニク特有のにおいが少なく、一方でうまみ成分が多く、においづけに使わず天ぷらやカレーなど食材として利用されている。  昨年秋に20.5アールの畑を耕し、ジャンボニンニク5千本、普通のニンニク1万本の苗を植えた。車いすの重度障害者も自分たちにできる範囲で作業を分担。農協の支援や農家からアドバイスを受けながら無農薬で世話を続け、その様子をブログで紹介している。  収穫後は乾燥させ保存する必要があるため、野菜専用乾燥機と大型冷蔵庫など府の補助を受けて購入、作業所そばの倉庫に設置した。数時間で約30%の水分をカットでき、冷蔵庫で約1年間保存し順次出荷する。すでに試験稼動させ、障害者たちが切り干し大根づくりに挑戦している。  支援員の泉伸也さんは「今後さらに休耕田の活用を進めていき、少しでも地域に還元できれば」と話している。焼肉店への出荷や産直市場などでの販売を目指す。  ニンニクの球根を太らせるため花芽を摘み取る作業をしており、その茎を食材として販売している。1本10グラム前後で100グラム入り200円。収穫は今後2週間続く予定。注文は同作業所(電話68・0600)で受け、配達する。

写真左=順調に育つジャンボニンニク(西屋)
写真中=設置された乾燥機
写真右=試験乾燥のため切干大根を作る利用者たち



ヒマワリで「夢」の花文字を
鹿原里山夢ネット
ジャンボカボチャ苗植えも

 鹿原地区の住民たちでつくる「鹿原里山夢ネット」(富室孝代表)が、鹿原ハロウィンとひまわりアートを企画し、5月27日、親子や住民たちの約40人が地域の畑でジャンボカボチャの苗植えと、「夢」の1文字になるようにヒマワリの種蒔きをした。  京都府中丹ふるさと再生推進事業を活用して、コンテスト用のジャンボカボチャを栽培・収穫し、秋に中身をくりぬきキャンドルを灯してオブジェづくりをしようと、アトランチック・ジャイアントの苗60本を地域の子供たちが植えた。オブジェは地域に展示する。  また、ヒマワリの花で「夢」の1文字を描く活動も実施。事前に畑に籾殻を敷いて夢の文字を畑に書き、トラクターで文字の部分を耕し、1キロの種をみんなで蒔いた。花文字を楽しんだ後は畑にすき込み、そばの種を蒔く。白糸中学校1年の東亮太君は「大きなカボチャときれいな花になってほしい」と話す。

写真=「夢」の文字になるようヒマワリの種蒔きに参加した住民たち


サイトマップお問い合わせメールマガジンお申込み
当サイトに掲載されている情報・画像を、無断で転用・複製することを禁じます。
Copyright © maizurushiminshinbun all rights reserved.