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2013年7月30日

甘〜いメロン 収穫真っ最中
椋本さん、赤野のハウスで初めて栽培
汗の結晶、たわわに実る
平保育園児らがお手伝い 「大きくてびっくり!」

 泉源寺の専業農家、椋本和明さん(48)が、赤野地区のビニールハウスで、今年から初めてメロンの栽培に挑戦し、収穫シーズンを迎えている。ハウスの中には、大きく実ったメロンがゴロゴロと並んでいる。近くの平保育園の園児たちが収穫体験に訪れ、給食などで味わった。
 自衛官を退官して専業農家に転身して今年で4年目になる。実家の農地を守るほか、他地区の田畑の世話も引き受け、2町(ヘクタール)の規模で米や野菜を作る。
 昨年まで赤野のハウス(長さ50メートル、幅6メートル)2棟で万願寺甘とうを作っていたが、作業を手伝う園児たちにも喜んでもらえるメロンを作ることにした。昨年まで西地区でメロンを栽培していた男性農家の指導を受け、京丹後市網野でも栽培する品種「ハピネス」の苗200本を4月下旬に植えた。1株から4個の実だけをつけるように、芽を摘み取る作業に追われた。
 今月中旬ごろから収穫を開始した。重さは平均で約2キロ、大きなものでは3・4キロがあった。7月25日には苗植えをした園児39人がはさみを使って蔓から切り、自分の頭の大きさほどもあるメロンを抱えた。真下莉緒ちゃん(5)は「大きくてびっくりした」と喜んでいた。
 椋本さんは「初めてにしてはよくできたと思います。甘さもあっておいしいです」と話し、蒸し風呂のようなハウスの中で汗をかきながら作業を続けている。Sサイズ以下が800円、S1,000円、M1,300円、L1,500円。浜町の彩菜館東舞鶴店で販売している。

写真=栽培する椋本さんと収穫体験した平保育園の園児たち



舞鶴出身 全盲のシンガーソングライター
福本さんの里帰りコンサート
8月10日、総合文化会館で
懐かしい人とも出会える場に

 舞鶴出身の全盲のシンガーソングライター、福本淳(きよし)さん(43)=大阪市=が、13年ぶりの里帰りコンサートに向け準備をしている。8月10日午後2時から浜の総合文化会館小ホールで開く。
 先天性の視覚障害を持ち、15回に及ぶ手術をした。目の状態によって中筋小学校、盲学校舞鶴分校、城南中学校などを繰り返し転校した。音楽や歌うことは元々好きで、目のコンディションに関わりなく音楽に接することができた。
 15歳で音楽の進路に向けた準備のため、京都市の府立盲学校で学びながら声楽のレッスンなどを受けた。19歳で全盲となるが心身のリハビリのため、演奏のボランティア活動を開始した。
 大阪芸術大学声楽コースを卒業後、自作の曲を中心にしたピアノの弾き語りの演奏活動を続ける。その一方、ヒーリングスタジオを開設し、障害者向けの音楽指導や発表会も開いている。ラジオ番組への出演、全国の学校などでコンサートを開くなど幅広い活動をする。
 保育園児から高校1年までの3児の父親。子育ての体験や自然などへの想いを歌にしている。福本さんは「ふるさとはほっとする場所。コンサートは懐かしい人とも出会える場にもしたい。たくさんの人に生の音楽を聴いてもらえれば」と話している。
 チケットは前売り一般2,000円(当日500円増し)、小学生以下1,000円(当日も)。同館で販売している。
【問い合わせ】電話06・6359・5024、ケーエスインターナショナル

写真=ピアノの弾き語りをする福本さん



2013年7月26日












若狭湾はホットスポット
京大水産実験所の松井さん 多様なハゼ類55種を確認
日本海初記録の4種も

 長浜の京都大学舞鶴水産実験所で研究活動をする同大学大学院農学研究科・博士課程3年の松井彰子さん(27)が、舞鶴湾を含む若狭湾でハゼ類の採集と研究に取り組んでいる。生息を確認した55種の内、4種は日本海側で初記録だった。これまで日本海沿岸域ではハゼ類の種類が少ないと考えられてきたが、若狭湾は多様なハゼ類が生息しているホットスポットであることが明らかになった。
 舞鶴湾に流れ込む中小河川の河口域や、同湾を含む府内の若狭湾西部の海域で、主に2000年以降に採集された標本を基に記録し、自身も09年からフィールド調査を開始した。舞鶴湾内では1970年代に海洋生物相の調査がなされたのみで、ハゼ類に絞った継続調査はされておらず、どれだけの種が生息しているのか不明だった。
 調査の結果、2科34属55種を確認した。この内、21種は若狭湾初記録で、少なくとも7種において若狭湾が日本海側の分布の北限、及び東限の記録となった。また、環境省レッドリストに載る稀少な汽水域の魚類が6種含まれていた。
 10年に舞鶴湾内で初の採集となったタビラクチは、13年版レッドリストで絶滅危惧種に指定されている。約30年前まで舞鶴湾内でよく見られたキヌバリは、近年ではほとんど目にされなくなった。水通しのよい藻場を生息地にしているが、河川改修や護岸工事による藻場の消失が影響する可能性がある。ツマグロスジハゼ、スジハゼ、ヨモウハゼは元々同種と考えられていたが、半年前に別々の和名が定まった。
 若狭湾で多種のハゼ類が生息している理由について、松井さんは「典型的なリアス式海岸や、由良川河口のように大規模な砂浜海岸、水深200メートルを超える深場、良質な砂泥底の環境が湾奥部の河口域に形成されているなど、様々な水深、塩分、底質が多様な組み合わせで存在することが大きい」と環境の多様性との関連性を指摘している。詳細については近く論文で発表する予定。

写真左=舞鶴湾でハゼ類の採集をする松井さん
写真中=@舞鶴湾で近年見られなくなったキヌバリ
写真右=A半年前に和名が定まったツマグロスジハゼ
(写真@Aは松井さん提供)



南相馬市の青田さんが講演
原発事故後の対応、課題示す
障害者の避難、職員の安全は?

 福島県南相馬市で障害者施設を運営するNPO法人さぽーとセンターぴあの青田由幸代表が7月21日来鶴し、浜の市商工観光センターで講演した。東日本大震災と原発事故が重なった同市で、避難後に体調を崩して亡くなる人が多い現状、障害や病気を抱える人たちの避難困難者の対応、職員の安全確保など難しい課題を明らかにした。
 南相馬市は地震と津波、原発事故に襲われ、直接の死者と行方不明者は636人。一方、避難中や避難先で体調を崩すなどして亡くなった震災関連死は409人にも上り、原発事故で避難指示が出た富岡町など他の町村では関連死が直接死よりも多くなっている。震災前同市の人口は約7万1000人、一時避難で1万人になったが現在は4万6000人。
 同法人は生活介護など3つの施設を運営する。高台にあり津波の被害は受けなかったが、福島第1原発から20〜30キロ圏内にあり、当初は屋内待避、次に避難準備地域になり市外へ避難した。障害の重い人は避難できず、難聴者は情報が入手できず孤立し、電源がない状態で健常者もテレビとラジオから情報を得ていた。避難所に入っても障害者たちは生活が困難なため、自宅に戻るケースも多かった。
 震災当日、施設職員たちは利用者を守って家族の元に戻すことができたが、「職員の家族のことが頭から抜け落ちていた。たまたま家族に犠牲者が出なかったが、子供だけ置いて職員が職場に来ることはできない。そういう状況で何ができるか考えないといけない」と述べた上で、「障害を持つ仲間たちは職員が助けてくれると信頼している。私たちの仲間や職員の苦しみを他の地域でしてほしくない。備えや想定を広く考えておくべきだ」と指摘した。
 原発事故を想定した舞鶴市の避難計画にも触れ、「本当に8万人が一斉に避難できるのか? 入院患者や施設入所者ら約3000人をどうやって避難させるのか?南相馬市の場合、バスを手配しても運転手は町に入るのをいやがった。運転手を確保できるのか?」と次々と疑問点を示した。
 京都北部で障害者施設を運営する6つの福祉法人の役員や職員たちの研修交流会の中で、講演会が開かれ約80人が出席した。

写真=「避難後に多くの人が亡くなった」と話す青田さん



2013年7月23日

世界ジュニア女子バレーで大活躍
西高の井上さん 日本28年ぶりの銀メダルに貢献
全試合に出場し 87得点

 西舞鶴高校女子バレー部3年の井上愛里沙(ありさ)さん(18)=福来=が、6月21〜30日にチェコで開催された「第17回世界ジュニア女子バレーボール選手権大会(U―20)」に出場し、日本代表チームを28年ぶりの準優勝に導く活躍をした。同校の福井秀之校長と霜尾季桃(りいど)監督とともにこのほど、市役所を訪れ、多々見良三市長に銀メダル獲得の報告を行った。
 井上さんは、日本代表チーム12人中、唯一の高校生選手として出場。身長178センチ、ボールの最高到達点は297センチのレフトのウィングスパイカーで、予選1次リーグ初戦のタイ戦で途中出場し世界デビュー。持ち味のパワー溢れるスパイクを叩き込み、チームの得点力として活躍した。予選リーグ5試合全てに出場し、準々決勝のトルコ戦からはフル出場。
 準決勝のイタリア戦、決勝の中国戦でも、チームの中心選手として、試合の流れを呼び込む得点を何度も叩き出した。計8試合で、スパイク70、サーブ13、ブロック4の計87得点をあげ、スコアラーランキングは日本チームトップ、参加20ヵ国の全チーム中でも12位と、メダル獲得の原動力として大きく貢献した。
 井上さんは大会を振り返り、「高校生1人での長期遠征は不安だったが、周りの人たちのサポートのおかげで最高のチームになり、メダルがとれた。決勝まで行くとは思っていなかったが、世界ランキング1位のトルコに勝って勢いにのれた。日本は平均身長が4番目に低いが、レシーブ力と繋ぎで勝ち抜けた。地方の高校でも自分の意志をもってやることで世界に繋がったと思う。学んできたことを、来月の高校選抜のタイ遠征で活かしたい」と語った。
 霜尾監督は「自分の教え子になってくれて感謝したい。これからも井上らしくやっていってほしい」と言葉を送った。
 多々見市長は「期待以上の成績を上げられ、市民の多くが勇気をもらいました。より上を目指してください」と祝福した。市は、井上さんの活躍を多くの市民に知ってもらおうと、8月31日まで市役所本庁に懸垂幕、西支所に横断幕を掲出する。
 日本の対戦成績は次の通り。
 【予選1次リーグ】日本3―1タイ、日本3―0コロンビア、中国3―0日本、セルビア3―2日本(2勝2敗)【2次リーグ】日本3―0ペルー【準々決勝】日本3―0トルコ【準決勝】日本3―1イタリア【決勝】中国3―0日本

写真=左から、西高の福井校長、世界デビューを飾りメダルを獲得した井上さん、多々見市長、霜尾監督



日星高生徒たち
復興の道のり、まだ遠く…
南三陸町で活動 支援の必要性を実感

 東日本大震災の被災地支援を続ける日星高校の生徒と教諭たちが7月12日〜16日、宮城県南三陸町に入り、がれきの撤去作業や子供たちとの交流に取り組んだ。復興には長い時間がかかる現状を目にして、継続した支援の必要性を実感した。
 日星高が被災地を訪れるのは今回で4回目。現地でのボランティア活動は、昨年7月に釜石市などで行なったのに続き2回目になる。名取市の閖上わかば幼稚園の再建も応援している。
 生徒6人と教諭2人が参加し、登米市にある米川ベースを拠点に南三陸町で活動。炎天下の中、重機が入らない河川で汚泥をバケツリレーで運び出し、商店街があった地区の土砂やがれきの撤去、北海道から送られてきた定置網を南三陸町の漁業に使えるようロープをほどく作業をした。また、小学校を訪れ子供たちとゲームをして話をした。
 津波で町全体が流された南三陸町だが、まだまだがれきが残り片付けが終っていない様子や、親や先生から離れようとしない子供たちの姿に震災が残した爪跡の大きさを目の当たりにした。金山友則教諭は「建物をつくる許可がまだ出ていないと地元の人は話し、復興にはほど遠い」という。
 3年生の村松文明君(18)は「3年経ってもがれきが多く、ボランティアの人手が足りていないと感じました。みんなに報告して支援を続けていかなければと伝えたい」と話している。

写真=片付け作業をする生徒たち(日星高提供)



2013年7月19日

デフリンピック2大会連続出場
舞鶴出身の上田萌さん 卓球女子の日本代表に選出
聴覚障害者のオリンピック メダルの期待高まる

 舞鶴出身で日立化成所属の上田萌選手(23)=茨城県日立市=が、4年に1度開催される聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」の卓球女子競技に、2大会連続で日本代表に選ばれ出場する。昨年の世界ろう者卓球選手権で上田さんは団体、ダブルス、シングルスで金メダルを獲得し、今大会ではエースとして活躍が期待される。7月26日〜8月4日、ブルガリア・ソフィア市で開かれる。
 感音性難聴でほぼ両耳が聞こえない上田さんは、5歳から舞鶴市内の一条クラブで卓球を始め、日星高校で全国高校総体に出場し健常者と互角に戦った。東京富士大学に進学し全国ろうあ者大会で優勝。2009年に台湾で開かれたデフリンピックに出場し、女子団体とシングルスで銀メダルを獲得した。
 日立化成に就職して実業団選手としてプレーを続け、実力を伸ばしてきた。昨年の世界ろう者選手権で強豪の中国人選手を破り3冠を達成し、世界チャンピオンに輝いた。この大会の実績によって、日本ろうあ者卓球協会のデフリンピック代表選手の選考基準を満たし、代表に選出された。
 上田さんは左利きのドライブ型のプレースタイル。「周囲の応援をパワーに変えて、いままでやってきたことを全て発揮できるようがんばりたい」と抱負を述べている。
 小学生時代から上田さんを指導してきた一条クラブ代表の小畑喜生さんは「サーブからショートで崩し、長いラリーで最後に決めるプレーを得意にしている。前回のデフリンピックは金を逃しただけに、今大会には期するものがあると思う。あせらず自分の卓球を貫いてほしい」と応援している。

写真=壮行会で笑顔を見せる上田さん(前列中央)=日本ろうあ者卓球協会提供



卓球ワールドツアー・ジャパンカップ
上田選手(青森大)初優勝
シニア国際大会の男子ダブルスで

 卓球のITTFワールドツアー・ジャパンカップ荻村杯がこのほど横浜市で開かれ、男子ダブルスの部で、舞鶴出身で青森大学4年の上田仁選手が愛知工業大2年の吉村真晴選手と組み、優勝した。上田選手にとってシニアの国際大会での優勝はシングルス、ダブルス通じて初めて。
 舞鶴の一条クラブで3歳から卓球をスタートし、親元を離れて名門校の青森山田中学校へ進み、厳しい練習を乗り越えてきた。青森山田高時代に全日本卓球選手権大会・ジュニアの部男子シングルスで2年連続優勝をした。昨年は全日本大学総合卓球大会・男子シングルスで、吉村選手を破って学生日本一に輝いた。
 ジャパンカップには日本卓球協会の推薦で出場。予選でスウェーデン選手のペアと対戦し、2ゲーム連続で落とす苦しい立ち上がりだったが、そこから逆転勝ちした。初めて吉村選手と組んだがコンビネーションもよく、準決勝まで3―0と快勝。決勝は日本チャンピオンの丹羽孝希選手(明治大1年)と松平健太選手(早稲田大4年)の強豪だったが、3―1で破った。

写真=プレーをする上田選手(左)



考える会が配布
ウイルス性肝炎患者ら闘病語る
被害者の叫びをDVDで

 ウイルス性肝炎の患者たちが実名で自らの闘病体験を映像で語ったDVD「ウイルス性肝炎 救済なき被害者たちの声」が、このほど完成した。製作した「舞鶴ウイスル性肝炎を考える会」(三宅あき世話人、会員40人)は、高齢化し病状が進む患者たちが、安心して治療と生活ができる体制を国に求めている。
 治療の苦しさといまも差別や偏見が残っていること、不適切な医療行為が原因にも関わらず治療費支援もない実態などを知ってもらおうと、同会は昨年の手記集に続き今回は映像で訴えた。
 会員4人が大量輸血などを機に急性肝炎を発症するなどし、肝硬変や肝がんへと進み、高額なインターフェロン治療や大阪への通院、治療による副作用に苦しむ体験を吐露した。
 冒頭では三宅さんが国内の感染者は約350万人、全国で1日に120人以上が命を失っているにも関わらず、カルテなどがなく大部分の被害者は救済の対象にならない現状に触れ、「患者たちは壮絶な戦いを強いられています。年々高齢化し免疫力を失い重症化しており、残された時間は少ない。府北部に肝炎専門の医療機関の設置を」と語っている。
 体験の聞き取りと撮影を担当した支援会員の阪本みさ子さん(63)=市場=は「自分に何の落ち度もなく病気にかかり、症状が進行していく患者さんたちのことを忘れてはいけない、支援しなければと強く感じました。1人でも多くの人に見てほしい」と協力を呼びかけている。
 DVDの収録時間は約1時間。300枚作成し、医療機関や患者団体などに送った。希望者に無料で配布している。
【問い合わせ】電話78・9133、三宅さん

写真=DVDの普及に務める三宅さん(右)と撮影をした阪本さん



2013年7月16日

東・西高校から全国大会へ
インターハイ 7月28日から九州4県で開幕

 福岡県など九州北部4県で開かれる全国高校総合体育大会(インターハイ)が、7月28日から開幕する。舞鶴からは東舞鶴高校ボート部と西舞鶴高校ソフトテニス部男子ペアが出場し、全国から集まった高校生選手たちに挑む。



東高 男子舵手付クォドルプル
息合わせ 決勝目指す
8月3〜6日、福岡県で

 ボート競技に出場するのは、東高ボート部男子舵手付クォドルプルの谷田知以(ともゆき)選手(3年)、柳詰称毅(みつき)選手(同)、河口海平(かいへい)選手(2年)、渡辺瑠(りゅう)選手(3年)、森廣治選手(同)、補漕の小嶋啓太選手(同)の6人。
 昨年9月に全国選抜大会の京都府予選で優勝し、11月の近畿大会に臨んだが、惜しくも4位で全国大会への切符を逃した。その後、3月までのオフシーズンに猛練習を重ね、体力面での弱さを克服。5月18日に琵琶湖漕艇場で行われたインターハイ府予選の決勝では、2位に大差をつけて優勝した。
 顧問の八木千尋教諭は「記録が伸びているので、決勝進出も期待できる」と話す。キャプテンの渡辺選手は「インターハイまでに細かい今ある課題を修復していきたい。オールを水面に入れる時のキャッチの長さがみんなで合わせられれば、絶対全国に通用するスピードが出せると思う。決勝進出が目標」と抱負を語った。
 ボート競技は、8月3日〜6日、福岡県遠賀(おんが)町の遠賀川漕艇場で開催される。

写真=右から、ボートの進行方向の順でポジションにつく、谷田選手、柳詰選手、河口選手、渡辺選手、森選手



8月1〜4日、大分市で
ソフトテニス男子
西高の井上・波多野組
小学時代からのペア 念願の全国へ

 西高の井上侑選手(17)と波多野慧(さとき)(同)選手の3年生ペアが、ソフトテニス競技男子の部に出場する。小学6年からソフトテニスの「舞鶴ひまわりクラブ」で一緒にプレーし、城南中・高校でもペアを組み、初の全国大会の出場を勝ち取った。西高から同競技に出るのは2年連続。
 インターハイ予選の京都大会で準々決勝で破れたが、出場権の残り一枠をかけ紫野高ペアと対戦。準々決勝の負けが尾を引き、苦しい気持ちで試合に臨み2ゲームを先取された。ここで2人は開き直り1球に集中して、4ゲームを連取して逆転勝ちしベスト5に入った。
 練習時間が少ないため試合を想定し、2人でよく話し合い考えながら練習に取り組んでいる。井上選手は「小学校時代からペアを組んでくれているハタッチに感謝しています。やっと2人で全国大会に出られてうれしい」、波多野選手は「ゆうと長い間一緒にやってきて、レベルの高いところでプレーできることを喜んでいます」と話す。
 2人はベスト32入りを目標にしている。ソフトテニス競技男子は8月1日〜4日、大分市の大分スポーツ公園で開催される。

写真=出場を喜ぶ井上選手(左)と波多野選手



舞鶴の昔話と和楽器楽しんで
7月20日、マイコムで「おとぎ草子の会」

 舞鶴の昔話と和楽器の演奏を楽しんでもらう「おとぎ草子の会」が、7月20日午後7時から浜のマイコム1階で開かれる。入場無料。
 舞鶴小唄保存会の主催、舞鶴市民新聞社など後援。京都府文化力チャレンジ事業にも採択され、夜の市を開く商店街と連携した催し。
 ラジオパーソナリティーの下田えつ子さんが、瀬崎や久田美地区の昔話を朗読し、太鼓グループ「クレインズ'舞太鼓」、三味線と大正琴、太鼓のユニット「賽CORO」が演奏する。無料のお茶席も設ける。三味線を弾く芦田照美さんは「舞鶴の文化や歴史はかけがえのない宝。子供から大人まで楽しめるものにしたい」と話す。問い合わせは同会(art.maizuru@gmail.com)。

写真=出演するクレインズ'舞太鼓と芦田さんら



2013年7月12日












「舞鶴の甲子園」8月4日開幕
第24回市長旗全舞鶴少年野球大会
少年、学童上級・下級 34チーム

 第24回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)の組み合わせ抽選会が7月6日、伊佐津の西駅交流センターで開かれた。少年、学童上級、同下級の各部の1回戦から決勝までの対戦が決まり、球児たちは「舞鶴の甲子園」の頂点を目指し闘志を燃やしている。大会は8月4日、行永の舞鶴球場で開幕する。
 抽選会には中学生の少年の部8、小学6年生中心の学童上級の部14、同5年生以下の同下級の部12の計34チームの主将や選手、監督、保護者の約100人が出席。はじめに同連盟の千葉博正理事長が「この大会はみんなの力で運営していることが自慢で、府内でも有数の大会に育ちました。体調に気をつけて普段の力を出してほしい」とあいさつした。
 大会の参加申し込み順に、各チームの主将が封筒に入ったくじを引き、組み合わせ表にチームが掲示された。学童上級の部の抽選で1番くじを引いた中筋少年野球クラブの元木貫太郎主将(11)が、開会式で選手宣誓することが決まった。元木主将は「まさか1番くじを引き当てるとは思わなかった。でも、がんばって宣誓をしたい」と意気込む。
 大会は8月4日午前8時から舞鶴球場で開会式があり、選手たちが入場行進する。試合は同球場で少年の部、隣接する東舞鶴陸上競技場で学童上級の部の1回戦がある。8月10日に同上級の部の2回戦、8月11日に少年の部と同上級の部の準決勝と決勝が行なわれる。学童下級は8月17、同25、同31日の日程で行なわれる。
 出場チームは次の通り。
 【少年の部】与保呂スポ少▽舞鶴東スポ少▽高野ドジャース▽南舞鶴スポ少A▽中筋少年野球ク▽舞星野球ク▽鶴友ク▽南舞鶴スポ少B
 【学童上級の部】中筋少年野球ク▽共楽少年野球ク▽余内少年野球ク▽与保呂スポ少▽福井少年野球ク▽朝来少年野球ク▽志楽少年野球クスポ少▽池内少年野球ク▽三笠少年野球ク▽明倫ヘッピリーズ▽高野少年野球ク▽南舞鶴スポ少▽茜ケ丘ベースボールク▽舞鶴東スポ少
 【学童下級の部】池内少年野球ク▽朝来少年野球ク▽福井少年野球ク▽南舞鶴スポ少▽明倫ヘッピリーズ▽三笠少年野球ク▽志楽少年野球クスポ少▽高野少年野球ク▽中筋少年野球ク▽舞鶴東スポ少▽共楽少年野球ク▽余内少年野球ク

写真=組み合わせのくじを引く主将



第34代クイーンまいづる決定
海をイメージした衣装でPR

 舞Iの夏を彩る恒例イベント「みなと舞Iちゃったまつり」に花を添える第34代クイーンまいづるの3人が決まり、7月9日、同まつり実行委員会(広瀬久哲実行委員長)から発表された。
 府信用漁業協同組合連合会職員の蝶勢(ちょうせい)晶充(てるみ)さん(25)=河辺中=▽宮城県出身で海上自衛隊舞I音楽隊の木川田(きかわだ)麻衣子さん(26)=余部下=▽舞I納税協会職員の城代(じょうだい)泉さん(28)=倉谷=の3人。応募者6人の中から選ばれた。
 蝶勢さんは「成生や田井など、あまり知られていない美しい海や自然をPRしたい」、木川田さんは「歴史色付く赤れんがと、目の前に広がる艦船の迫力を伝えたい」、城代さんは「四季の美味しい食べ物や風景のある、京都の中の舞Iをより多くの人に知ってもらいたい」と、抱負を話した。
 3人は、「海の日」の7月15日、浜の市商工観光センターで開かれる「海の日のつどい」で引き継ぎ式を行い、デビューする。7月27、28日に開催される「第38回みなと舞Iちゃったまつり」の民踊流しや海上パレードに参加するほか、今後1年間、観光イベントなどに出演し、舞IのPRに努める。

写真=第34代「クイーンまいづる」に決まった、蝶勢さん、木川田さん、城代さん(左から)



2013年7月9日

戦争・空襲メッセージ編さん委員会
戦争一色の市民生活後世に
一言集づくり、地域で座談会開き伝える
7月29日、市政記念館で集会

 昨年夏、舞鶴空襲の体験を聞き取りまとめた本を刊行した戦争・空襲メッセージ編さん委員会(蒲田忠夫・呼びかけ人代表)が、戦争一色だった暮らしや思い出を掘り起こそうと、一言集づくりや地域での座談会に取り組んでいる。戦争を潜り抜けた人たちから、体験を残しておきたいと次々と話が寄せられている。7月29日に体験を聞く集会を開くほか、冊子やDVDづくりも計画中だ。
 1945年7月29、30日に舞鶴海軍工廠に米軍の模擬原爆の爆弾が投下されるなどし、184人が犠牲となった。同委員会は元動員学徒や工員たちから話を聞き、手記を寄せてもらうなどして昨年7月に出版した。
 その後、感想などが30通寄せられたのをはじめ、多くの反響が届いた。その中には舞鶴空襲以外の記録することができなかった具体的な体験も多くあり、非戦闘員だった市民の生活にも光を当て、証言を集めることにした。
 元学徒や本の購入者たちに、心から離れない体験を短文で綴ってもらう一言集をつくることにし、5月から約100人に募ったところ、約30人から寄せられた。
 1943年、小学校5年生だった女性は「父が南洋方面で戦死し、3人の子供をかかえた母の苦労は並大抵ではなかった」、中舞鶴に住んでいた人は「2階に工員が下宿し中舞鶴の住宅は海軍のための住宅と化していた。朝出かける行進の『ザクザク』という音がした」などと記す。多くの人が「日本は神国で戦争に負けるはずがない」「鬼畜米兵と憎み、必ず敵をとってやると思った」と軍国少年少女だったと振り返る。
 老人会の協力も得て、6月から各地域で座談会を開き、体験を語り合う活動も開始。すでに溝尻や中舞鶴地区で行い、今月は行永大迫などでも予定している。こうした体験談をDVDにまとめる計画も立てている。また、集会は7月29日に北吸の市政記念館で予定している。
 同会事務局長の関本長三郎さんは「話を聞けば聞くほど、心の片隅にあった思いが噴き出して、だまっていた人も体験を語り始めるようになっています。子供たちにも伝えていけるような取り組みにつなげたい」と話す。

写真=同会事務局長の関本さんの元に届けられた戦争体験を綴った一言集



ポリテクカレッジ京都
来春開設 情報通信科で新しい産業の人材育成を
7月13日、オープンキャンパス
ウェブ作成など学ぶ

 ポリテクカレッジ京都の愛称で知られる上安の京都職業能力開発短期大学校(白川幸太郎校長)に、来春から新たに情報通信サービス科が開設される。ウェブ作成や最新のタブレット端末などを使い、新しい情報産業分野の人材を育成する。7月13日に体験実習できるオープンキャンパスを実施する。
 高校卒業者や社会人を対象に、ものづくりに必要な理論と技術を身につけた実践者を育成する2年間の専門課程の教育機関。舞鶴や近隣市町、豊岡、四国などからも学ぶ。最新の機器を使った実習、少人数クラスでの指導、国公立大学並の学費の安さなどが特徴。昨年の就職率は90%以上で、応用課程である近畿職業能力開発大学校(岸和田市)に進学する学生もいる。
 生産技術科、電子情報技術科、住居環境科の3科の学生は現在88人。新しく開設する情報通信サービス科は定員15人。ウェブ作成、ネットワーク環境の整備、事業所での長期間のインターンシップなどをプログラムとする。住居環境科は来春入学の募集を中止し、同大学校に移される。
 オープンキャンパスは学校説明、施設見学など。午後1時〜同3時半。8月3、同24日も開く。無料。小・中・高校生だれでも来場できる。
【問い合わせ】電話75・7609、同校学務係

写真=来春、新しい科を開くポリテクカレッジ京都



2013年7月5日









「もくよう会」
障害持つ子供の受け皿を
上福井の民家で「もくもくvillage」開設
生活介護と就労支援目的に

 心身の発達に遅れを持つ子供たちの高校卒業後の受け皿となる施設を作ろうと、その家族でつくるグループ「もくよう会」(中野和子代表)が中心になって、上福井の民家を活用して、生活介護と就労支援の施設「もくもくvillage」を開設した。しばらく試行的な運営を続け、来年春に舞鶴支援学校高等部の卒業生を受け入れ、本格的に活動をする。
 染色体異常や自閉症など様々な障害を持つ子供の母親たちが主となって2002年に同会を結成し、現在は50家族が入会する。家族参加の行事や母親たちの交流会、子供たちの日中の一時預かり事業「もくもくハウス」へと活動を広げている。
 子供たちは高校卒業後の進路として、市内の福祉作業所などに入るケースが多いが、どこの施設も定員一杯で、親たちは学校を出た後の社会での居場所づくりを自分たちでしようと、10年前から計画を描いていた。来春には8人が高校を卒業し、施設づくりが急務となった。
 上福井の国道175号沿いにオープンした「もくもくvillage」は、木造二階建て。1階にキッチンや和室など6部屋ある。重度の障害者を対象とした生活介護はリハビリや創作活動、音楽療法などをプログラムにする。比較的軽度の人を対象とする就労継続支援B型は、生協商品の仕分けなどの仕事で工賃を受け取るほか、パソコン教室や調理などを内容とする。いまは2人が利用する。
 同会の副会長の長水智恵さんと夫の孝治郎さん(43)が運営にあたり、看護師やヘルパーなどの資格を持つ会員5人がスタッフとなる。所長を務める長水孝治郎さんは「子供たち1人1人が、楽しく過ごしやすいと思ってもらえる環境を整えていきたい」と話す。中野代表は「夢だった施設がみんなの力でできあがり本当にうれしい。子供たちに対してきめ細かな対応ができる場になれば」と誕生を喜んでいる。
 生活介護と就労支援の定員は各10人。利用は月〜土曜の午前10時〜午後3時。市内で片道30分程度の地域なら送迎する。利用料などの問い合わせは同施設(電話60・2083)。

写真左=開設した「もくもくvillage」
写真右=お披露目式であいさつする所長の長水さん(左)



フジバカマの苗木 地域住民に
城北中 アサギマダラの飛来願って
旅するチョウの拠り所増やそう

 旅するチョウのアサギマダラの飛来地を舞鶴に増やそうと、城北中学校(阿部秀雄校長)の生徒たちが、えさとなる準絶滅危惧種の植物フジバカマを挿し木で増やし、その苗木をこのほど地域住民たちに贈った。
 2011年に生徒たちはフジバカマを学校中庭に植え、昨年秋にはアサギマダラが飛来した。今年5月17日、同校地域支援協議会の会員と協力してポットに挿し木にし、生徒たちが水やりなど世話を続けてきた。
 苗木のポットは630個できあがり、福井や明倫などの校区の会員、由良川小学校と舞鶴・神崎フライトエリア同好会などに230個を贈呈した。その後、学校や各校区の住民に配布し育ててもらう。
 生徒会会長の3年生、井上輝之君(15)は「フジバカマを増やしていく第一歩です。秋にはたくさんのアサギマダラが飛んできてくれることを願っています」と話していた。
 城北中は希望者に苗木を無料で配布する。
【問い合わせ】電話75・0158、同校の堺谷教頭

写真=住民たちにフジバカマの苗木を贈る生徒たち



2013年7月2日

NHK杯全国放送コンテスト
東・西高校から出場

 第60回NHK杯全国高校放送コンテストに、東舞鶴高校放送メディア部がラジオドキュメント部門とテレビドキュメント部門で、西舞鶴高校放送部2年の杉原幸香さん(16)が、朗読部門で出場する。NHK杯京都府予選会で東高同部がラジオ部門で2位、テレビ部門で3位、杉原さんが5位に入って出場権を得た。本選は7月22日〜25日、東京都内のオリンピックセンターなどで開かれる。




引き揚げを語り、KTRを撮る
東高放送メディア部
ラジオ・テレビドキュメント部門で
市民の歴史と観光を発信

 ラジオ・テレビドキュメント部門の課題テーマは「高校生と放送」。東高放送メディア部は、ラジオ部門で引揚記念館を取材し、テレビ部門で北近畿タンゴ鉄道(KTR)の新観光車両「あかまつ・あおまつ」を取りあげた。
 ラジオ部門は、部長で3年の植田真優さんら4人が、国際交流都市として舞Iがさらに発展していくためには、背景にある引き揚げなどの過去の歴史を、これからは自分たちが語り部として伝えていかなければならないと、7分の音声作品「こちらは平和発信基地〜CQCQ、今日も祈りはとどいていますか?〜」を制作した。
 作品は、5月に寄港した大型外航クルーズ船「サン・プリンセス」の舞I出港時のアナウンスから始まり、引揚記念館のカリオンの鐘の音が流れ、植田さんと2年の倉橋咲子さんのナレーションで史実を伝えていく。引揚語りの会のシベリア抑留体験者へのインタビューや、引揚記念館で行われたイベントでの抑留地の丸太切り体験、味がほとんどしない満州のコーリャン粥を食べた感想、引き揚げの絵本の読み聞かせなどで構成されている。
 企画、脚本、編集を3年生が担当し、1年生が主に取材を行った。植田さんは「戦争の体験を語れる人が減っている現実を、舞Iから全国へ向けて発信したい」と話していた。
 テレビ部門は、2年の奥森彩加さんら3人が、市民参加の地元密着型で運営を続けるKTRの姿を、新観光車両を通して伝えようと、宮津駅まで「あかまつ・あおまつ」に乗車し、8分の映像作品「KTRでいこう〜みんなでつくるよRailway〜」を制作した。
 作品は、乗客が海を眺められるよう、駅でない場所でも停車する「あかまつ・あおまつ」のサービスの紹介から始まり、KTR職員による内装の説明や乗客へのインタビュー、由良川橋りょうでのアテンダントの案内などが収録されている。また、海洋高校の生徒が企画した、栗田駅の駅舎に水槽を置いて身近な魚を展示しているミニ水族館を紹介し、自分たちと同じ高校生も参加して運営を盛り上げていこうとしているKTRの良さを伝えている。
 奥森さんが企画、脚本、編集を担当。倉橋さんが撮影と編集、1年の松吉優海さんと一緒にナレーションを担当した。奥森さんは「素材を多く撮ったので、編集が大変でした。日本一の赤字路線ががんばっていることを、全国に広めたい」と話していた。
 同クラブは、8月に長崎県で行われる全国高等学校総合文化祭の放送・ビデオメッセージ部門にも、「舞鶴発 金曜日はカレーの日」で出場する。

写真=府予選ラジオ2位、テレビ3位で全国大会へ出場する東高放送メディア部



さだまさしさんの「茨の木」を朗読で
西高放送部の杉原さん
登場人物の心情、丁寧に読み解く

 昨年12月に放送部に入部した杉原さんは、6月に宇治市の京都文教大学であった府予選会に出場。朗読の部は5つの課題がある中から、シンガーソングライターのさだまさしさんが書いた長編小説「茨の木」を選んだ。主人公の真二が、父の形見であるヴァイオリンの製作者を探しにイギリスを訪れ、日本人ガイドの響子、宿泊したホテルの支配人の女性マリーらと出会い物語が進む。
 2分間の発表時間の中で、響子やマリーらの会話の部分を読んだ。登場人物の性格を考えながら、声の調子や言葉のアクセントなどの使い分けが難しかったという。朗読を録音して部員に聴いてもらい批評を受けたり、OB部員からアドバイスを送られた。
 杉原さんは「予選会の決勝のステージでは緊張せず楽しくできました。全国に行けるのはうれしいですが、不安もあります。次は出だしと終わり方を意識して読み、準決勝に進めるようにしたい」と話している。

写真=府予選5位の賞状を手にする西高の杉原さん



ギャラリーサンムーン
ピカソの希少な作品公開
開廊16周年 市民に愛され交流も

 浜のギャラリー・サンムーンが開廊16周年を迎え、記念のピカソ展を開いている。画廊オーナーの佐藤保明さん(64)=浜=が所蔵するピカソが挿絵として描いた希少なイラストレーションを初めて公開している。7月7日まで。
 「街に文化を、心に豊かさを」の志を持ち、佐藤さんが脱サラして1997年にオープン。古今東西のアート作品を紹介し、著名な作家から若手、地域のアマチュアら幅広く展示してきた。アートを通して骨髄バンク運動への協力や、東日本大震災のチャリティ作品の企画などもし、芸術好きの市民たちの交流の場にもなっている。
 今回で486回目となる企画展では、20世紀最大の巨匠ピカソ(1881〜1973)が描き、フランスを代表する版画家ジョルジュ・オーベルが限定140部だけ制作した作品集「ヘレーヌ・ジェズ・アルキメデ」に収められたイラストレーションを展示した。佐藤さんが美術オークションで入手した。太い線などを使って、幾何学模様や切り絵などのような不思議な絵が目を引く。実物の本も置かれ、手にすることができる。
 このほか「笑う王様」「花束」などリトグラフ版画など、多彩なピカソの作品が並ぶ。佐藤さんは「質の高い作品にこだわって展示してきました。始める時は手探り状態でしたが、たくさんの人に支えられたからこそここまで来ることができました。感慨もひとしおです」と話す。
 入場無料。午前10時〜午後7時(最終日は午後5時)。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン

写真=ピカソが描いたイラストレーションと佐藤さん



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