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2012年4月27日

高齢者に水中ウォーキング
健康増進に好評 安全で間接の負担軽減
アイエムスポーツ倶楽部で、毎週水・金
60〜80代の30人が参加

 高齢者がプールの中を歩いて、運動不足の解消や健康増進を図るアイエムスポーツ倶楽部=上安久=の「水中ウオーキング」コースが好評だ。水中の歩行は、けがの心配がなく安全なのが、陸上との大きな違いという。  同コースは、1年前から毎週水、金曜日の午前に開設されている。現在、60代から最高齢86歳までの30人が参加。25メートルの温水プールの中を歩いて何回も往復する。  インストラクターの指導で、前向き、後ろ向きや横歩き、さらに腕で水をかいたり、上げたりして歩く。腰痛予防や関節痛の解消など、参加者のそれぞれの状態を把握して指導するという。  水中の歩行は、水深による水圧の変化で、足首と腹部の血流がよくなり、浮力で関節の負担が軽減される効用がある。また、手を広げて歩くなど、抵抗を自分で変えることもできる。同倶楽部顧問の浜野潤さんは「けがの心配がなく安心してできるので、楽しんで健康づくりに励まれています」と話す。  昨年7月から参加している男性(65)は「膝の関節が痛かったが、水中歩行を始めて、草刈などで踏ん張っても膝の痛みがなくなりました」と喜んでいる。
 【問い合わせ】電話76・0450、同スポーツ倶楽部

写真=プールの水中を歩く参加者



文化芸術創造都市部門受彰
近藤文化庁長官 舞鶴のまちづくり視察
新潟へ向け5月19日出港「種は船プロジェクト」のRB、
オープン間近の赤れんがパークなど

 平成23年度の文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)を舞鶴市が受彰し、近藤誠一長官が授与式で来鶴。記念講演をした翌日の4月24日、浜の八島アートポートを訪れ、まいづるRBの活動などを視察した。  同部門の表彰は、文化芸術の創造性を地域振興などに活用している取り組みをする市町村を対象に贈られる。舞鶴市の煉瓦倉庫の整備と重要文化財指定の取り組み、市民グループが中心となったサマージャズ、RBのアート活動などが高く評価された。  同ポートでは、RBアート・ディレクターの森真理子さんが近藤長官に、老人福祉施設でのダンス体験、種船プロジェクトなど行政と協力しての取り組みを説明。近藤長官はメモを取りながら質問し、森さんが「福祉施設や学校でのアート活動を増やし、市民の熱気を次につなげていきたい」と答えた。  このほかにもオープン間近の赤れんがパークなども視察した。

写真=まいづるRBの活動を聞く近藤長官(右)


2012年4月24日

被災地へ想い寄せ朗読を
「こだま会」10周年記念コンサート
陸前高田の松の物語上演
5月6日 市政記念館
NHKアナの岩井さんも出演

 朗読ボランティア「こだま会」(村田功成代表)が、発足10周年を記念した朗読コンサートに向け練習に取り組んでいる。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の1本だけ残った松の物語『希望の木』も取り上げ、被災地に想いを寄せる。2部ではNHKアナウンサーの岩井正さんが朗読と公開レッスンをする。5月6日、北吸の市政記念館で開かれる。  こだま会は2002年7月に結成し、会員は70人。小学校や公民館、老人介護施設などでの朗読、重度身体障害者への対面朗読、視覚障害者向けの録音テープの作成、入門講座などに取り組み、朗読の技術を高め魅力を伝えている。  記念コンサートの1部に会員たちが7編を上演する。その中で今野令子さんと多田弘子さんは、新井満さん作の『希望の木』(大和出版)を選んだ。陸前高田市の海岸には7万本の松林があったが、大震災の津波で奇跡的に1本だけが残った。その松を擬人化して、失意の中から希望と再生、命の絆を紡いだ作品を書き上げた。  2人はグループ内の勉強会のテキストにも使い、中舞鶴小学校などでも子供たちに読み聞かせをした。「最初に読んだ時、自然と涙が溢れてきました。被災地のことを思いながら、被害の記憶が風化しないよう読み続けていきたい」と話す。  このほか中井貴恵・作「わが家のアルバム」、山本茂実・作「あゝ野麦峠」、芥川龍之介・作「羅生門」などを朗読する。第2部では岩井さんが浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」を読み、続いて指導もする。村田代表は「今後も楽しく仲間づくりをしながら、朗読の力を高めていきたい」と話している。午後1時開演。入場無料。
【問い合わせ】電話62・6731、木村さん

写真=朗読の練習をする会員たち



電子制御の開発・実験を強化
日立造船 拠点のセンター完成

 日立造船(本社・大阪市)は、電子制御機器事業の拠点強化のため、余部下の舞鶴工場内に制御機器センターを完成させ、4月19日、報道関係者に公開した。風力発電などを使って電力需給に合わせて発電量を制御するマイクログリッドシステムの開発・実証実験や、関連機器の製造などに取り組む。  同社は電子制御機器の研究開発と設計を大阪本社で、製造を舞鶴工場で行っている。今回新設した同センターでは制御装置などの製造だけでなく、実証実験を担う施設。建物は鉄骨造2階建てで延べ床面積3246平方メートル。昨年9月に着工した。総事業費は約5億円。現在の従業員は30人。今年度新たに5人を雇用する予定。  電力需給の状況に合わせて発電量をコントロールする小規模電力をマイクログリッドシステムと呼び、工場やビルなど電力使用量500キロワット以下の事業体をターゲットにニーズを掘り起こし、システムを売り込む。同センターでは、屋根に設置した70キロワットの太陽光発電パネルと屋外の風力発電装置、蓄電池などを組み合わせ実験する。2013年度後半に商品化を目指す。  このほか、セキュリティシステム関連機器、映像監視システム、電子看板の表示端末にデータを配信する制御装置のデジタルサイネージの実証実験も行う。また、屋根の太陽光パネルで同センターで使う電力量の約30%を賄うことにしている。  機器の調整を行った後、10月1日から本格的に操業を開始する。

写真=完成した制御機器センター


2012年4月20日

「まだできることある」
大船渡へクッション送り1000個
洋裁デザイナーよしださん 仲間たちと支援続ける
被災地訪れ、山積みのがれきを見て

 東日本大震災で被災した岩手県大船渡市の市民たちを支援しようと、七条中町の洋裁デザイナー、よしだ敦子さん(59)が、三角クッションを作って送る活動を続けている。友人や教室生の協力も得て、昨年4月から始めて今月で作った数は1000個。被災地を訪れ復興にまだまだ遠い様子に、継続して取り組む気持ちを強くするとともに、被災地の現状を伝える報告も行っている。  震災後、支援金をつくるバザーで三角クッションを製作・販売したのが始まり。その後、硬い床の避難所で休むときに使ってもらおうと、洋裁教室の生徒らの協力で毎月50個を目標に作り、知人の紹介で知り合った大船渡市在住の志田克子さんが被災者に配っている。  既成の四角形のクッションを三角に畳み、伸縮性の高い布地を裁断し、ポケットやリボン付けなど役割分担して完成させる。毎月一度、作業日を設けているが自主的に集まってくれている。材料費、送料の約2万円の費用はよしださんが負担するほか、市民や生徒たちも協力してくれた。  仮設住宅で暮らす人たちからお礼のはがきが届く。体一つで高台に逃げた美容師(67)からは「仕事を再開し、美容室の椅子の背もたれに使っています」とある。別のはがきには「うたた寝の時に使っています。1年たって少し落ち着いた」と記されている。  毎回作業に参加している教室生の今儀弥生さん(78)=行永東町=は「被災地のみなさんの前向きな様子を感じています。喜んで使っていただけていることが私たちの励みです」と話す。  よしださんは昨年7月には大船渡市の仮設住宅を回って直接被災者に手渡し、今年1月〜2月にかけ南三陸町や釜石市もNPO法人難民を助ける会の案内で視察。津波で2人が亡くなった福祉作業所、最後まで避難を呼びかけ津波にのまれた防災対策庁舎、廃墟となった学校など痛ましい現場を次々と目にした。  「山積みのがれきを見て、まだ自分にはできることがあると思い、向こうから『もういいよ』と言われるまで支援を続けようと決めました。小さな活動ですが、協力してくれている仲間たちと気持ちも一緒に届けたい」と話している。  4月22日午後1半時から森の南公民館で開かれる南舞鶴女性の会の総会で、よしださんが支援活動や被災地の様子を話す。クッション作りへの参加も歓迎している。
【問い合わせ】電話64・4424、よしだ洋裁

写真=300句を収めた句集「志楽」と南さん



能の魅力 楽しんで
桂林寺 開山忌の4月29日
能楽師の山中さん迎え

 紺屋の桂林寺(能登春夫住職)が、4月29日の開山忌に合わせ、午前11時から同寺本堂で、「能への誘い〜仕舞とレクチャー〜」を開催する。観世流梅若会能楽師の山中がしょうさんを迎える。だれでも来場できる。入場無料。  桂林寺は応永8年(1401)、竺翁雄仙(ちくおうゆうせん)和尚の開基と伝えられ、丹後の曹洞宗寺院を束ねる中本山の寺院の役割を務める。開山忌は初代住職の法要として営まれているが、市民に開かれた寺院を目指そうと、毎年この日に合わせ講演会や音楽行事などを企画し、檀信徒に限らず来場を呼びかけている。  山中さんは2歳で仕舞「老松」で初舞台を踏んだ。京都造形芸術大学の非常勤講師を務め能楽部を創設したり、各地で能の面白さを伝える活動を展開する。また、宝塚歌劇団の振り付けやテレビCMなどにも出演した。2005年から仙台に居を移し活動している。  29日のレクチャーは午後0時半まで。寺所蔵の「仏涅槃図」なども公開する。
【問い合わせ】電話75・0168、同寺

写真=「経政」を演じる山中さん


2012年4月17日

自然に向き合い 17文字へ昇華
南さん 第2句集「志楽」出版
季語を体感 畑仕事と俳句楽しむ

 俳句結社「風土」同人の南うみをさん(60)=安岡町=が、この10年に詠んだ300句を収めた第2句集『志楽』(四六版、173ページ、ふらんす堂発行)を出版した。田畑での農作業を通して人間は自然の一部を実感し、その想いを17文字の言葉に昇華させた。志楽の地域に根付きながら、京都や大阪などで俳人たちと研鑽も重ねてきた。  現代詩を作っていたが、約20年前に俳句に出合って「風土」に入会。2000年に第1句集『丹後』を出版し、第24回俳人協会新人賞を受けた。53歳で体調を崩して福祉施設を退職した後、健康を取り戻すことと、自然に触れて季語を体感し俳句を詠もうと畑仕事を始めた。  自宅近くの荒地だった畑を3年がかりで機械を使わず開墾し、手作業と無農薬にこだわって作物を収穫するが、時にはサルに収穫物を荒らされたり、田んぼで田植えなどの作業も手伝うこともある。  一方、従来の句を乗り越えるため、京都市内などの句会にも出席して学び、角川学芸出版の総合誌「俳句」にも執筆。地元でも結社を越えた勉強会「うの会」でアドバイスをし、3月からは初心者対象の基礎講座を南公民館で始めた。舞鶴市民新聞でも俳句の魅力を紹介するコーナーで連載を続ける。  第2句集は句会などで発表した300句を収録し、その7割が自然に触れた中から生まれた句だ。「てのひらに吸ひつく茄子もぎにけり」「田を植うる一歩の水の濁りかな」「先客の蛇に声かけ草清水」「肥料袋どすんと水の温みけり」と、どれも作者のリアルな体験と光景が、平易な言葉で読む者に伝わってくる。  このほか、「くらがりを重石としたり茎の樽」は蔵の暗闇をも重石と捉え、「肩書きをはづせば見ゆる柿の花」は、肩書きのない素の自分になったことで見過ごしていた小さな自然に目を留めることができた想いを込めた。  南さんは「野菜作りと俳句作りを楽しみ、それが句集になりました。自然の一部としての人間があることをより強く感じています。俳句を通して1人でも多くの人が自然と向き合ってほしい」と話す。句集は500部作成した。1冊2,400円。電話090・1484・4706、南さん。

写真=300句を収めた句集「志楽」と南さん



聴覚障害児童デイサービス
放課後も交流の場を
市聴言センターでスタート

 聴覚障害を持つ子供たちを対象に、授業が終わった放課後などに実施する児童デイサービス事業が、余部上の市聴覚言語障害者支援センターで始まった。府内では初の取り組みで、子供たちは友達と遊んだり学習支援などを受ける。  市民たちのボランティアグループ「舞鶴聴覚言語障害児支援ネットワーク」(内藤道子代表)が、夏休みと冬休みの長期休業の間、耳の不自由な児童たちの孤立を防ぎ、預かる場を作って交流を図ろうと、児童デイサービスでこぼこクラブを2010年から実施した。  その中で、保護者たちから毎日の放課後でのデイサービスを求める声を受け、京都聴覚言語障害者福祉協会が同センターで事業を計画。4月12日には開所式が開かれ、利用する子供たちや関係者が出席した。  南田辺の府立聾学校舞鶴分校の幼稚部と小学部の6人が登録し、毎週月・火・木・金曜日の午後3時半〜同5時まで利用できる。コミュニケーション力の向上や成人の聴覚障害者との交流、創作活動などに取り組む。夏休み・冬休みも実施する。また、同ネットワークも引き続き長期休業にでこぼこクラブを開催する。
【問い合わせ】電話64・3911、同支援センター

写真=開所式に参加した関係者たち


2012年4月13日

被災の故郷のため看護師に
宮城県岩沼市から 日星高へ入学
小野寺さん 東日本大震災を体験して

 東日本大震災で被災した宮城県岩沼市から、看護師を目指して私立日星高校(水嶋純作校長)看護科5年課程に入学した生徒がいる。小野寺泰世(たより)さん(15)。震災後、けが人の治療にあたった看護師の姿を知って進路を決め、被災地出身の生徒を支援する日星高を受験した。親元を離れて歩み始める小野寺さんは強い想いを胸に4月10日、母とともに入学式へ臨んだ。  昨年の3月11日は兄の崇良(たから)さん(16)の卒業式だった。家族で食事のため車で外出中に大地震に遭遇し、普段なら30分の距離を信号が消え、2時間かかって自宅へ戻った。岩沼市職員で保健師の母、由紀子さん(44)はしばらく自宅に戻れないと考え、家にあるだけの食料を出して、「2人で計画的に食べるように」と言い残し、救護所になっている市保健センターに向かった。  岩沼市は名取市南部に隣接し、太平洋沿岸の仙台平野を襲った津波で、市域の48%が浸水し約200人が亡くなった。由紀子さんは停電で情報が入らない状況下、避難誘導のため出かけたきり戻らない同僚や、救護所に次々と自衛隊員が遺体を運ぶ光景に津波の被害を知った。  町では2日目の夜から炊き出しが行われ、ピンポン玉のようなおにぎりが1個渡された。水道と電気、ガスが使えない中、避難所には行かず津波の難を逃れた自宅に兄と留まり、四日間ほど不安な日々を2人で過ごす。  震災前、看護師や保健師の仕事を聞いたことはなかったが、日赤の救急チームが駆けつけ、けが人の治療にあたる活動を語る母の話に、「私には何もできない」と感じる一方、やりがいのある職業と思えるようになった。  地元の私立高校に合格していたが、日星高が3年間の学費と寮費を免除する制度を作ったことを知り、寮生活で勉強にも集中できると受験に挑んだ。合格後に日星高の生徒が福島などの看護科生徒や名取市に義援金や折り鶴を送ったことを聞き、「全国から支援してくれているんだと分かった」と先輩たちの応援を心強く思った。  故郷を遠く離れる選択に、「看護師になれるのだったら宮城でなくても同じ」と前を向く。その先には医療従事者が不足する被災地に戻る道が続く。「生まれ育ち、母がいる地元で人の気持ちが理解でき、周囲から頼りにされる看護師になりたい」と想いを口にする。  そんな娘を送り出す由紀子さん。「決心が揺らいだ時にそばにいてやれなくて心配ですが、娘を信じて行かせようと思いました。学校のサポートも手厚いので安心しています」と見守っている。  日星高の2012年度の新入生は普通科が80人、看護科5年課程が37人。

写真=入学式に出席し、歩み始めた小野寺さん



社会の価値観 問い直しを
若狭で40年運動
中嶌住職 脱原発へ対話

 世界一の原発銀座の若狭で40年にわたって脱原発運動を続ける小浜市の明通寺住職、中嶌哲演さんの講演会(舞鶴ピースプロジェクトなど主催)が4月7日夜、余部下の中総合会館であった。約70人の市民を前に、原発を必要としてきた大量消費・大量廃棄の価値観を、根本から見つめ直すことが求められていると語った。  大飯原発3、4号機の再稼動反対を訴えるとともに、大震災と原発事故の犠牲者と被災者に思いを寄せ、中嶌さんは3月25日から31日まで、福井県庁内に座り込み断食を行った。  講演会は来場者との対話形式で進められた。福島原発の事故はこれまでの積み上げによって起きたことであり、私たちの責任はゼロではなく1人1人が問われているとした。また、放射性物質で汚染されたがれきは東電の広大な敷地に引き取るべきであり、それ以外のがれきは「復興を目指し被災地との連帯を示すため受け入れもありえるが、もっと議論すべきで結論を急ぐべきでない」とした。   大飯原発の再稼動に関して、そのネックになるのが、「都市部の電気の受益者たちがどう対応するかであり、原発が止まれば仕事がなくなるという地元の不安にどう答えるかだ。命と金とどっちを取るかと問うのでは解決しない」と述べた。  さらに原発問題を大きな視点で考える必要も指摘。「原発を必要としてきた社会や経済の価値観を問い直すことが大切。違うエネルギーを見つけても、これまでと同じエネルギーを使う生活をしていては何も変わらない」  原発停止後には、お金にはならないが安心安全を取り戻せる▽美しい豊かな海の再生が生活の糧になる▽自然・文化・風土の再発見ができる▽被曝労働者の安全を最優先して後始末をすることを示し、「廃炉と地域再生の事例をドイツなどに学びながら、原発なき後の経済的施策を国が講じるべき」と力説した。

写真=市民と語る中嶌さん


2012年4月10日

ゆるりと過ごし きらりを見つけて
みき助産院 コミュニティーカフェ開設
4月17日オープン 世代越え集いの場
子育て、心身語るワークショップも

 妊娠中や子育て中の女性だけでなく、様々な世代の人たちが気軽に集える場をつくろうと、喜多のみき助産院(新宮美紀院長)が院内の一室にコミュニティーカフェを開設した。女性たちのグループ「ゆるり☆きらり」が、自家製天然酵母パンなどを出すカフェを運営し、心と体について語り合えるワークショップや健康サロンも定期的に開く予定。4月17日にオープンする。  病院勤務だった助産師の新宮さん(41)が退職後、自然分娩を扱う助産院を2007年12月に開院。舞鶴はじめ近隣の女性たちが来院し、これまでに26人の出産をとり上げた。一方で自然分娩を望む女性は増えているが、体づくりができておらず産めない人もいる。  その前年の06年、女性たちが安心して妊娠や出産などができる環境を考えようと、「おかだの里からお産といのちを守る会」を結成し、話し合う場を同院で開くなど連携し、今年1月から名称を「ゆるり☆きらり」に変更した。  出産後も母乳のケアなどで同院を訪れ、様々な悩みを打ち明けたりする人も多いが、通院が終わると気軽に立ち寄れないとの声を受けた。また、子育てから手が離れた人からも心身の相談を聞いてもらえる場が少ないことを聞き、独身者から高齢者まで男女を問わずだれでもつながりを持てるカフェを作った。  院内の当直室とキッチンだった部屋(7坪)を改装。木をふんだんに使って、木目を活かした床や高い天井で居心地のいい空間に仕上げた。カウンターとテーブル席、絵本などを置く棚なども備える。「ゆるり☆きらり」と名付けた。  同グループのメンバーが自家製の焼き菓子、ハーブティーなどを提供したり、体にやさしい食べ物やおんぶ紐などのグッズも委託販売する。玄関は助産院とは別にし、建物の横から入れる。営業日は毎週月・水・金曜日の午前10時〜午後3時半。  ワークショップは母乳育児などをテーマにした子育てを語る会が毎月第2木曜日(参加費・お茶代込み600円)、お産を語る会が毎月第4木曜日(同1,000円)、孫育て中の女性と心身について語るおしゃべりの会が毎月第4火曜日(同600円)、布ナプキンを作る会が偶数月の第3火曜日(参加費1,200円)。時間はいずれも午前10時〜正午。新宮さんと勤務する助産師の奥野和子さん(71)も参加する。  新宮さんは「心と体を大切にすることを伝えていくとともに、いろんな世代の人たちがゆるりとリラックスして、楽しく健康に生きてきらりと光る自分を見つけてもらえる場になれば」と話している。  助産院でお産があれば、カフェと各ワークショップは休業の場合がある。休業はブログ(http ://adishcafe.blog.fc2.com/)で知らせる。
【問い合わせ】電話77・7153、みき助産院

写真=多くの木を使い温もりのある空間のカフェ



創作の楽しさ見て下さい
生徒4人と田端さん
アート盆栽&粘土細工作品展
4月13〜15日 田中町で

 アート盆栽&粘土細工の第3回教室展が、4月13日〜15日、田中町の舞夢工房で開かれる。4人の生徒たちが、樹皮の質感や葉の1つ1つの形と色を本物そっくりに仕上げた。同工房を主宰する田端みつ子さん(69)もウサギたちの茶会や餅つきなどの粘土人形をずらりと並べ、40年間の創作を一堂に紹介している。  アート盆栽の講師資格を持つ田端さんが、自宅を教室にして月2回教え、2年に1度生徒たちの発表の場を開き、今回は60代以上の女性4人がスイセンやフキノトウなどに取り組んだ。  樹脂や石粉粘土を使って幹の膨らみを出し、蛇ノヒゲの細長い葉1枚1枚は中に細長い針金を通して、周囲に粘土を付け根気よく完成させた。色付きの粘土を混ぜて色を出すほかに、アクリル絵の具も加え、細部まで丁寧に仕上げている。  20代のころ粘土細工を自己流で始めた田端さん。いまではチラシなども材料に工作や絵封筒、アクセサリーなどと創作の幅を広げ、廿日の市などへの出品、小学校や図書館でワークショップもする。  40年前に紙粘土で作ったお雛様、和服を着たキツネの嫁入りの宴席、ごちそうを食べるブタたちのパーティーなど、どれも賑やかな話し声が聞こえてきそうな1こまを人形で表現し展示している。  田端さんは「子供のころから人形を作って遊んでいました。いつもアンテナを張って面白いものを見つけ、自分でもやってみようといろいろ挑戦しています」と話す。場所は志楽幼稚園の東隣。10時〜午後4時。入場無料。田端さんの作品は今月末まで展示。
【問い合わせ】電話64・2168、田端さん

写真左=生徒たちによる草花の作品
写真右=40年間に作った粘土人形と田端さん


2012年4月6日

総勢20人 気仙沼訪れ活動を
桂林寺の能登住職たち 復興応援プロジェクト設立
法要、茶会、マッサージなど
5月6日、現地の海蔵寺で

 「祈るこころ 生きる力」を合言葉に、桂林寺の能登春夫住職たちが、東日本大震災復興応援プロジェクト「縁」を立ち上げた。清水寺の森清範貫主ら宗教者をはじめ、茶人や整体師、市民たち総勢約20人が5月6日、宮城県気仙沼市の海蔵寺を訪れ、犠牲者の法要や茶会、そばの接待、マッサージなどのボランティア活動に取り組む。協力を呼びかけている。  気仙沼市は死者・行方不明者合わせて約1300人と、宮城県内では石巻市に次いで大きな被害を受けた。能登住職は友人である海蔵寺の大場文隆(ぶんりゅう)住職を昨年5月に訪ね、寺の約30メートル手前まで押し寄せた津波の爪跡を見た。そんな中で不屈の心で前に進む現地の人たちの姿に触れ、何か応援しようと考えていたところ、年末の「今年の漢字」を書く森貫主や市民たちが次々と協力を申し出てくれた。  5月6日は表千家流堀内長生庵社中らによる茶会、綾部市の2軒のそば店店主による手打ちそばの接待、舞鶴市在住の整体師たちによるマッサージ、僧侶らによる慰霊法要、森貫主の講演と揮毫が行われ、集まった被災者たちと交流する。  このほかにも桂林寺のご詠歌グループ「梅花講」の女性たちが、手作りしたビーズのキーホルダーとメッセージ、市民たちが持ち寄ったポーチやコーヒーなどを託され、被災者に届ける。5月4日に舞鶴をバスで出発する。  能登住職は「ほんの一時ではありますが、現地の人たちと集い元気のでる応援をしてきたい。1人1人が様々な形で寄り添い、息の長い取り組みになれば」と話す。1口1,000円の協賛金を募っている。郵便口座01090―6―10826加入者名 桂林寺。
【問い合わせ】電話75・0168、同寺

写真=被災地に届けるビーズのキーホルダーを作る桂林寺・梅花講の女性たち



未来のエネルギー考えよう
MMP 4月15日、宮津で上映会 監督講演
「ミツバチの羽音と地球の回転」
祝島とスウェーデンを取材

 府北部の有志たちでつくる「みやづ・ミツバチプロジェクト」(MMP)が、上関原発の建設地に近い山口県祝島を舞台にしたドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会を、4月15日、宮津市鶴賀のみやづ歴史の館で開催する。鎌仲ひとみ監督の講演もあり、原発事故が起きた福島の現状などを話す。  昨年の東日本大震災後、宮津市在住の中蔦はるかさん(26)と西谷絵里さん(同)が、中心となってMMPを結成。原発群のある若狭に近い地域に暮らす者として、今後のエネルギーや地域のあり方を様々な立場の人と対話して考えようと、勉強会などに取り組んでいる。  上関原発は1982年に山口県上関町に計画され、建設が進んでいたが震災後工事は中断。予定地周辺には絶滅が危惧される希少生物が生息する。瀬戸内海に浮かぶ対岸の祝島では、島民たちが自然とともに暮らす営みを続け、計画以来ずっと反対している。  映画は持続可能な社会づくりの先進国スウェーデンと、祝島でのエネルギーの自立に向けた取り組みを描いている。西谷さんは「いろんな人たちに見て事実を知ってもらい、考えるきっかけになれば」と話す。  上映は午後1時と同6時の2回。同0時半からRay&Amaライブ、同3時半から鎌仲監督の講演、同5時半から舞鶴在住のTHE FAMILYライブ。上映協力金は1,000円(前売り)、当日は500円増し。中高校生300円、小学生以下無料。託児(午後0時半〜同5時、要予約)もする。
【問い合わせ】電話090・6234・1808、中蔦さん(午後6時以降)

写真=豊かな漁場で鯛をとる祝島の漁師(映画「ミツバチの羽音と地球の回転」より)


2012年4月3日

愛した舞鶴の風景 絵画に残す
故阪口さん サンムーンで遺作展
4月4日〜8日
息子たち 父を偲ぶ

 舞鶴百景などの創作に取り組み、文庫山学園の絵画教室で指導した阪口浩一さんが昨年8月に91歳で亡くなり、遺族たちがあす4月4日から8日まで浜のギャラリー・サンムーンで遺作展を開催する。愛し続けた舞鶴の風景を描いた油彩と水彩の絵画を中心に約25点を展示し、親交のあった市民たちと追悼しようと企画した。入場無料。  阪口さんは宮津市生まれ。京都刑務所舞鶴拘置支所事務官として、1946年に舞鶴に転居し住み続けた。若いころから好きだった絵を独学で描き始め、78年からは二科会理事の吉村勲さんに師事。山歩きが好きでスケッチや写真をとって風景画に仕上げ、上野の森美術館主催の「日本の自然を描く展」で10年連続入選し、92年には優秀賞を受けた。  舞鶴の風景にも力を入れ、職場から近い高野川周辺や文庫山学園からの景色、バイクの後ろに画材を積んで大浦や加佐地区などにも出かけ描き、08年に米寿記念で息子たちが舞鶴百景の作品集を作成した。妻を介護し買い物の途中に、個展を開いたこともあるサンムーンに寄り、美術談義も楽しんでいた。  体調を崩してからは長男のいる京都市の病院に入院したが、病室でもスケッチをして過ごした。昨年亡くなった後、舞鶴の自宅に約260点の絵が残されているのが分かり、息子たちが遺作展で父を偲ぶことにした。赤れんが倉庫、瀬崎の道と民家、船が係留される高野川などの風景画などを並べる。  次男の修一さん(55)=千葉県船橋市=は「1人で黙々と静かに描いていた父ですが、子供のころに尾瀬に写生旅行に連れて行ってもらった思い出があります。書き残した舞鶴の風景を見てもらうことが一番の供養になると思います」と話している。午前10時〜午後7時(最終日は午後5時)。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン

写真左=91歳で昨年亡くなった阪口さん
写真右=瀬崎を描いた水彩画



趣味の楽しさ 絵筆に
堀江さん水墨画展
市身障センターで

 松陰の堀江守さん(78)の水墨画展が、余部下の市身体障害者福祉センター・サロン「ぽーれぽーれ」で開かれている。菜の花や天橋立など墨彩画や俳画なども並べ、趣味の楽しさを伝えている。4月15日まで。  元郵便局員の堀江さんは退職後、西公民館の水墨画教室で故井上緑峰さんから指導を受け、水墨画を始め「緑峰会」にも入会した。  2005年狭心症で心臓のバイパス手術を受け、その後に脊柱管狭窄(きょうさく)症で左足が不自由になり、いまは同センターにリハビリに通う。そんな中でも創作を楽しみ、老人クラブの役員など地域活動も励んでいた。  個展は今回が初めて。中国旅行の思い出の風景やカニ、ホトトギスなどを題材に、20号の額絵から色紙、短冊まで達者な筆さばきの作品約20点を展示した。堀江さんは「こうして並べて見ると描いていた時が思い出され感慨もひとしおです」と話していた。

写真=展示された作品と堀江さん


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