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2014年2月28日

陸前高田で自宅再建
被災地から勇気送る
ドキュメンタリー映画 3月9日上映会

 東日本大震災からまもなく3年。震災を忘れないでほしいと、市民たちが映画上映会に取り組む。巨大津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で撮影されたドキュメンタリー映画「先祖になる」(池谷薫監督)。息子を亡くした79歳の農林業の男性が、自宅を再建するまでを追った。被災地から勇気を送っている。3月9日午後1時半から浜の商工観光センターで開かれる。
 舞台の同市気仙町荒町地区は、津波でほとんどの家が流され、16人が犠牲となった。佐藤直志さんは自宅2階まで浸水し、消防団員の長男が老人を背負って避難中に波にさらわれた。震災直後の4月には、亡くなった人たちの供養と元気を出そうと花見をした。
 地区を離れる人が相次ぎ町内会の解散話が出て紛糾する集会で、元の場所に自宅を再建することを宣言。仮設住宅への入居を市に求められるが、自宅にとどまり続け、友人らの助けを受け被災木を伐り出し、自宅再建へ準備を進めた。ベルリン国際映画祭エキュメニカル賞特別賞、日本カトリック映画賞などを受けた。
 市介護相談員などを務める眞下幸代さんと友人らが、実行委員会を組織して上映会を企画。眞下さんは陸前高田を訪れ、支援活動に取り組む。「震災後の生活の様子、高齢者の佐藤さんの一人暮らしを周囲の人たちがサポートする姿も描かれています。震災を忘れないとともに助け合いの大切さが伝われば」と話している。
 入場料は前売り1,000円(当日200円増し)、中学生以下500円。余部下の市社会福祉協議会、引土のだいにんぐ舞虎、浜のボンなどで販売中。託児は1人300円。収益金の一部は陸前高田市で桜を植樹する活動と、図書館をつくる活動に役立てる。 【問い合わせ】電話090・3267・8341、眞下さん

写真=映画の主人公になった佐藤さん(Photo by Hiroko Masuike(c)Ren Universe.inc)



三笠小6年生41人
20歳の夢タイムカプセルに
8年後に開封約束

 三笠小学校(山本寛子校長)の6年生41人が、卒業の記念にしようと、2月22日、桃山町の校門近くで、タイムカプセルを埋めた。将来の夢や親たちからのメッセージの手紙を入れた。8年後の20歳になった時に開封する。
 昨年10月に、昭和36年度の卒業生たちが50年ぶりの同窓会を開き、校歌碑とタイムカプセルを6年生に寄贈した。
 タイムカプセルはステンレス製で、縦横、深さ50センチ。6年生たちは20歳の自分に向けた手紙や将来の夢、親たちは20歳になった子供たちへの思いを書き、写真などと一緒にカプセルに入れた。
 カプセルを製作した36年度卒業生の小阪憲一さんや保護者たちも見守る中、6年生たちは校門横の空き地にカプセルを埋め、スコップで土をかぶせた。6年生の坂本佳菜美さん(12)は「人を助ける仕事の看護師の夢を書きました」と話していた。

写真=タイムカプセルを埋める6年生たち



2014年2月25日

ポリテクカレッジ京都
ソーラーカーに夢乗せて
3月7、8日 卒業制作品一堂に展示
8月、世界大会に出場 後輩へ想い託す

 上安のポリテクカレッジ京都電子情報技術科の2年生たちが、ソーラーカーの製作に取り組んでいる。春からは新2年生に引き継ぎ、8月に鈴鹿サーキットで行なわれる世界大会で入賞を目指す。3月7、8日に同校で開かれるポリテックビジョンで、他学科の卒業制作品とともに展示する。
 クリーンな自然エネルギーを利用したものづくりをしようと、2012年からソーラーカーのプロジェクトチーム(KPS)を立ち上げ、ポリテク滋賀から赴任した椎葉裕一郎指導員の元、3年計画でスタートさせた。1年目はソーラーカーに搭載するコントロールパネルをマイコンで作り、太陽電池から最大の電力を取り出すためのMPPTの開発などをした。
 2年目は2年生7人が担当している。鈴鹿でのレースで、高校生以外がエントリーするエンジョイクラス2の4時間耐久レースに出場することに決め、前年の車両をもとに取り組んだ。
 電子科では学ばない溶接技術がアルミを使って軽量化したシャーシづくりに必要なことから、生産技術科で教わった。サスペンションはF1レースの車両にも採用されているダブルウッシュボーン構造に、コントロールパネルには速度計をつけるなど改良した。  ボディーは断熱材を利用し、空気抵抗を減らす形状に仕上げた。1枚40ワットの太陽電池パネルを12枚搭載する。モーターやパネル以外の材料は、同校にあったものを再利用した。6月に鈴鹿サーキットで試走させる。
 プロジェクトリーダーの2年、中山慶祐さん(20)は「関われる時間はもう少ないけれどできるだけ完成に近づけ、後輩たちにはレースで表彰台に上がってほしい」と話す。椎葉さんは「環境を意識したものづくりをテーマにしています。本物を製作することで技術力を高め、ものづくりの姿勢を学んでもらえれば」とアドバイスを送っている。
 ポリテックビジョンは3科の卒業制作作品の展示と発表、1年生の作品コンテスト、地元企業と連携して開発した竹伐採装置の展示などを行なう。7日午前11時から卒業生で島津製作所に勤務する中西政人さんの講演、8日午前10時から多々見良三市長の講演がある。入場無料。
【問い合わせ】電話75・7609、同校

写真=レース出場を目指してソーラーカーを作る電子技術科の2年生たち



ギャラリー・サンムーン
市民に支えられ500回
思い出の作品で歩みたどる
3月2日まで展覧会

 浜のギャラリー・サンムーンが500回目の展覧会を迎えた。佐藤保明さん(65)が地方にあってアートに出合える場をつくろうと開き、文化活動に携わったり佐藤さんの人柄に引かれる市民に欠かせない画廊になっている。思い出の作品や作家などを紹介し、これまでの歩みをたどっている。3月2日まで。
 ギャラリーの夢を温めていた佐藤さんが、1997年に開設した。月2、3回の展覧会を重ねた。有名な国内外のアーティストのほか、地元や近辺で活動する作家らの作品を展示するだけでなく、アマチュアや若手の美術家らに発表の場を提供した。また、ワークショップやコンサート、朗読会などを開き、東日本大震災の支援のチャリティーにも協力している。
 500回の節目の展覧会では、思い出に残る作品を展示している。舞鶴にゆかりのある現代美術の上前智祐さん、骨髄バンク設立に尽力した陶芸家の神山清子さん、舞鶴と中国内モンゴル自治区に鯉のぼりを寄贈した京丹後市の鯉のぼり職人の奥田稔さんなどを紹介した。
 また、亡くなった切り絵作家で府立海洋センター元所長の篠田正俊さん、木や金属などで半立体作品を制作し、穏やかな表情が印象に残った岐阜の彫刻家の若森良夫さんらを偲んでいる。これまでのDMはがきも並べた。
 佐藤さんは「たくさんの人たちに支えられてきました。感慨もひとしおです。これからも続けていきたい」と話している。午前11時〜午後6時(最終日は午後5時)。入場無料。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン

写真=思い出の作品と佐藤さん



2014年2月21日

ゾウのいない世界に想像力を
舞鶴出身の井上さんが絵本出版 「『喪失』に可能性」
3月に赤れんがパークで原画展

 舞鶴出身の画家・アーティストの井上奈奈さん=東京都在住=が、初めての絵本「さいごのぞう」(キーステージ21)をこのほど出版した。絶滅の危機にあるゾウへ想像力をめぐらせてもらう物語を、印象的な絵と言葉で伝えている。「ゾウの置かれている理不尽な状況を変えてゆきたい」との想いを作品に込めた。3月には赤れんがパーク3号棟で原画展が開かれる。
 井上さんは城南中、西舞鶴高出身。16歳でアメリカへ留学し、美術を学んだ。主に女性や動物をモチーフにした絵画を制作し、ニューヨークや上海、国内で作品を発表している。舞鶴市内でも個展を開いた。
 NPO法人トラ・ゾウ保護基金(東京都港区)のロゴマークを手がけたことがきっかけで、ゾウの保護活動を広げたいとする同基金の相談を受け、メッセージを込めた絵本を井上さんが提案した。1979年には134万頭のアフリカゾウがいたとされるが、89年に象牙の国際取引が禁止されるまでの10年間に約62万頭にまで激減した。
 絵本は主人公のひとりぼっちのゾウが旅に出る物語。のっそ、のっそと進んでいく。主に色鉛筆を使って、霧がかかった風景の中にゾウがいるような表現を試みた。あとがきにかえての中で「読み手が、見て感じて想像力を連ね、未来が変わってゆくことによって完成される『欠けた絵本』」と記す。また、同基金が取り組む人とゾウとの共存の活動なども紹介している。A4変形横型、32ページ。1,600円(+税)。書店で発売中。
 井上さんは「自分の大切な何かに対して『喪失』の可能性を想像する時を持ってほしいという気持ちで、今回の絵本を作りました。絵本という特別なツールの魅力を自分自身が気づくことにもなりました」と話す。
 原画展(舞鶴観光協会主催)は3月8日〜17日の午前9時〜午後5時、北吸の智恵蔵で開かれる。初日は井上さんが来館する。 【問い合わせ】電話66・1035、同蔵

写真=絵本「さいごのぞう」を手にする井上さん



久田美の民家ガレージで
巨大なハチの巣を除去
70代女性2人が2時間かけ

 久田美の真下洋子さん(70)が、自宅ガレージの屋根最上部の軒下にできた外周約1・5メートル、重さ約2キロの巨大なスズメバチの巣を取り除いた。
 真下さんによると、昨年10月、車庫の外側に付いている電気メーターを点検する業者が巣を発見し、知らせてくれた。夏の間、自宅前の柿の木の下にスズメバチがよく集まってくるなと思っていたが、普段毎日歩いているガレージ付近の頭上に巨大な巣が作られていたことに全く気が付かなかったため、その大きさにとても驚いたという。
 ハチの姿がなくなった今月13日に、姉の芦田幸子さん(73)=福知山市=と2人で脚立に登り、高さ約5メートルの軒下に作られていた巣を、小さな手鍬を使って約2時間かけて除去した。
 真下さんは「上部が柱に食い込んで、引っ付いている部分がコンクリートみたいに固くてなかなか取れず苦労しました。大きなハチの巣なので、岡田小学校の児童たちにも教材として見てもらいたい」と話し、同校に提供することにしている。

写真=除去した外周約1・5メートルのスズメバチの巣と、天井に引っ付いていた巣の上部を手に持つ真下さん



2014年2月17日

市身障センターサロン「ぽーれぽーれ」
障害者生き生き働く
接客やものづくりで就労支援の場に
14人が自分のペースで

 余部下の市身体障害者支援センターが、障害者の就労支援事業に取り組んでいる。喫茶コーナーがあるサロン「ぼーれぽーれ」で、コーヒーなどをいれ接客したり、ものづくりの作業に分かれ、14人が自分のペースで就業する。障害の軽い人が重い人を手助けするなど、意欲を引き出す場になっている。
 障害者の相談活動や創作活動などの事業を担う同センターは、市民にも気軽に来てもらって交流の場をつくろうと、2010年12月にサロン「ぽーれぽーれ」を開設した。喫茶とギャラリースペースを持ち、障害者たちが作品を発表したり、喫茶スペースで市民たちが音楽発表などで利用している。開所から昨年12月までに約7万3500人がサロンを訪れた。
 サロンの喫茶は障害者とボランティアがコーヒーを飲みながらくつろぎ、市民が待ち合わせの場に利用するなど知られるようになった。接客などは市民や障害者たちが無償で行なってきたが、障害を持つ家族たちから仕事の場として活用できないかと要望を受け、市が昨年10月から就労支援の事業を開始した。
 精神、知的、身体に障害を持つ14人が喫茶での接客、アクリルタワシ作りなどの作業に分かれ、それぞれ1日、半日、2時間など自分のペースで就労する。そうした仕事のほか、運営・企画への参加、新メニューの考案、ギャラリーの作品展示の手伝いなども行なう。時給計算で賃金が支払われている。
 サロン企画委員長の田中國雄さんは「サロンに入ると温かい雰囲気が伝わってくる。いろんな方が集まり和やかな場になっています」、同センターの富永華世所長は「外に出る機会の少なかった障害を持つ人たちが、活き活きと自分から動き、笑顔で働いておられます」とサロンの役割を話す。
 人工関節を入れ、月2、3回働く森下富子さん(61)=七日市=は「ここは人との触れ合いが生まれ、障害を知ってもらう場になっています。もっと気軽に来てもらえれば」と笑顔を見せている。
 同センターではサロンを手伝ってくれるボランティアを募っている。
【問い合わせ】電話63・3008、同センター

写真=サロンの運営について話す障害者とボランティアたち



特集「人物館より」

ものづくり一筋に歩む
村上保幸(むらかみやすゆき)さん
自然の素材を巧みに

 海の流木を使った自然の味わいある作品作りを2010年9月から始め、現在までに約400点製作し、福来の工房で展示もしている。岩場や砂利の浜に落ちている流木や根付きの竹を使い、飾りの椅子、写真立て、花器、ポーチラック、動物の形をしたボールペン立てなど、様々な作品が並ぶ。
 ユニバーサル造船で約40年間、溶接の仕事に従事。きっかけは退職後の2010年に、孫と一緒に行った海水浴場で、家の花に添えようと拾って帰った流木だった。妻の好美さん(65)から「流木で何か作品を作ってみれば」と言われ、高さ20センチ程の小さな椅子を作ったのが始まりで今も続けている。
 好美さんの実家の一戸建てを工房に作品作りを始め、当初は近所の人などにプレゼントしていたが、今では作品を見た人からの注文にも応じ、提供もしている。お店には売っていない大きさのものを注文されることが多いという。昨年春までは、瀬崎のふるるファームで販売していた。
 流木は拾った時の形のまま作品に使うため、設計図を書き、使う箇所に合った長さや曲がり具合の木を探しに、瀬崎や丹後半島の経ヶ岬、伊根などの海岸に1日掛かりで拾いに行く。海水に長く浸かっていたものが塩分を含んで虫が食わず長持ちするため、新しいものや川の流木は使わないという。折れにくく使いやすい椿が多く使用され、根付きの竹を使った花器も多数製作している。
 手の力で扱えるドリル、ジグソー、グラインダーの3種類の道具を使い、冬場は週3日、春からはほぼ毎日、朝から夜まで作業をする。2日で完成する椅子もあれば、10日かかる大型のポーチラックもある。最近では1カ月かけて、拾ってきたガラス片を貼り合わせたランプも製作している。
 木が傷まないようニスを塗り、濃淡を使って3種類の色付けをしたり、バーナーで焼き目のデザインを施すなどして仕上げる。独自の経験を重ね、今ではネジ穴を木でふさぎ、家具調に仕上げるまでになった。
 「特注で作ってもらえるのが嬉しいと言われ、やりがいになっている。どの方向から見ても良い形に仕上げるのがこだわり。たくさんの人に見てもらえるよう、外に作品を並べて展示会も開いていきたい」と、創作の意欲は尽きない。作品の見学や問い合わせは、電話090・8821・6334、村上さんまで。

【プロフィール】1947年生まれ。舞I市久田美出身。ユニバーサル造船勤務時は、府の溶接コンクールで知事賞を3回受賞。現場では若手育成の指導員も務める。福来


2014年2月14日

ミニバスケ舞鶴ロケッツ 京都制す
男子チーム 3月に近畿大会出場
スピードとディフェンスで頂点へ

 小学生バスケットボールのミニバスケットボールクラブ「舞Iロケッツ」(田口良雄代表)の男子チームが、昨年12月に南丹市の口丹波勤労者福祉会館体育館などで行われた「第31回京都ミニバスケットボール選手権大会」(京都ミニバスケットボール連盟など主催)で、6年ぶり2回目の優勝を果たした。3月1、2日に奈良県で行われる「第38回近畿ミニバスケットボール交歓大会」に出場する。
 「舞Iロケッツ」は、市内の複数校区から集まる小学1〜6年生の男子30人、女子19人が所属し、志楽小と朝来小の体育館で週に4日練習に励んでいる。京都選手権で優勝した男子チームは、6年生を中心とした15人で、身長160センチまでの小柄な選手が集まるチームだが、スピードとディフェンス力を活かし、出場した31チームの頂点に立った。
 予選3試合を順調に勝ち上がり、準々決勝で京都市の大枝を26―22で破り、チームは勢いに乗った。続く準決勝で京田辺市のイーグルスに延長の末39―38で競り勝ち、決勝で福知山を終始リードして35―30で振り切り、優勝を飾った。
 大会ルールで、4校区以内の児童で構成したチームが全国大会への出場権を得られるため、4校区を超える児童が集まる「舞Iロケッツ」は近畿大会へ出場する。6年前に出場した近畿大会では優勝を飾っている。
 男子チームの谷英一ヘッドコーチは「6年前は身長が170センチ以上ある選手が3人いたが、今回は飛び抜けて大きい選手がいない分、スピードでカバーして勝ち上がってきた。全力を尽くして決勝進出を目指したい」と話し、チームの得点力の要で主将の永田朋也君(明倫小6年)は「近畿大会もチーム一丸となって、良い結果が出せるように悔いのない戦いをしたい」と意気込みを語った。

写真=京都ミニバスケットボール選手権大会で優勝した舞Iロケッツ男子チーム



2月20日、西市民プラザで
生徒の製品人気 リピーターも
舞鶴支援学校高等部販売会

 堀の舞鶴支援学校高等部の生徒たちが、自分たちで作った木工や陶芸などの製品販売会に向け、検品や包装などの準備に取り組んでいる。アイデアを凝らした丁寧な製品は市民からの人気を集め、リピーター客も多い。2月20日午前10時20分〜午後3時半、円満寺の西市民プラザで開かれる。
 高等部48人の生徒が、働く力やコミュニケーション力を身につけようと作業学習をし、自分たちの製品を接客して販売するまでを体験する。販売会は9月に京都市内の大丸百貨店などで年に3回開く。
 陶芸、工芸、ガラス、木工のグループに分かれ、製品づくりをする。藍染の上に柿渋を染めた袱紗ポーチ、ガラスのペン立て、陶板時計など新製品も開発した。ブックカバーや一輪挿し、動物マグネットなど人気製品も準備する。
 3年生の男子生徒は「お客さんによろこんでもらえてうれしい。まちの人たちに僕たちの製品をもっと知ってほしい」と話している。
【問い合わせ】電話78・3133、同校

写真=ブックカバーの包装をする生徒たち



2014年2月12日












平安期の仏像3体と判明
善福寺 造像年代と有力氏族名の銘文見つかる
「地域の歴史知る貴重な資料」

 京田の臨済宗、善福寺(田中文秀住職)に安置されている木造の仏像3体が、平安時代後期に造られたものであることが分かった。同寺と市教委がこのほど発表した。その中の一体、地蔵菩薩坐像の胎内には「承安5(1175)年」の造った年代と、造像にあたって出資をした51人以上の名前「結縁交名(けちえんきょうみょう)」が記されており、地域の歴史を知る貴重な資料とみられる。
 仏像は本堂の阿弥陀如来坐像、地蔵堂に安置されている地蔵菩薩坐像と毘沙門天立像。仏像に傷みがあるため、昨年秋、花園大学歴史博物館研究員の東野鈴奈さんらが調査した。3体とも頭部や衣の彫り方、1本の木から3パーツほどに分けてつくる一木割矧造(いちぼくわりはぎづくり)の技法であることなどから、12世紀ごろの作とわかった。
 地蔵菩薩坐像は高さ約1・3メートル。腹部の内側に年号の銘文と、藤原氏や橘氏、土師氏、出雲氏など地域の有力者とみられる名前が記されていた。地元にあった安子(あご)池から掘り出されたとの伝承が地域に残る。
 仏像の中から多くの氏族名の銘文が見つかったのは舞鶴では初めて。近隣では兵庫県小野市や出石町などで確認されている。田中住職は「寺の開山(1417年)より前に造られた仏像だと知り、びっくりした。次の世代に残せるよう、修復を検討したい」と話す。
 地蔵菩薩坐像を調査した京都大学大学院の根立研介教授は「銘文によって平安時代に造られたことがわかる仏像は、全国に100しかなく、しかもこの像は大作で全国的にも注目される遺品である。氏族名は府北部ゆかりの人物と思われるものが数多く含まれており、この時代の北部の歴史を知る上で貴重な資料だ」としている。

写真左=胎内から銘文が見つかった地蔵菩薩坐像と田中住職
写真中=毘沙門天立像(善福寺提供)
写真右=阿弥陀如来坐像(同)














海の妖精 クリオネ「かわいい〜」
福井小へ 地域の人が提供

 下福井の福井小学校(品田正明校長)で、北海道のオホーツク海などの流氷に生息し、「海の妖精」と呼ばれている「クリオネ」3匹が児童たちの人気者になっている。海水の入った小瓶の中に入れられた体長1・2センチの小さなクリオネは、赤い内蔵の部分だけが透けて見える透明の体で、翼足を羽ばたくように動かして浮遊する姿が愛らしく、児童たちが見守っている。
 同校児童の祖父が北海道の知人から譲り受け、「子供たちに変わった生き物を見せてあげたい」と、4日に同校に提供した。クリオネが入った小瓶は、児童たちがいつでも見に来られるように、職員室前の廊下に氷水や雪で冷やして置かれている。
 クリオネは北極圏や南極圏の寒い海に生息する、学名「クリオネ・リマキナ」という種類の外殻のない動物プランクトンで、流氷の小さな穴などの中に入りオホーツク海沿岸にやってくる。和名は「ハダカカメガイ」で巻き貝の一種とされ、成長すると完全に貝殻を失う。1年以上生息するとされているが、生態についてはあまり解明されていない。生息に適した温度は0〜4度で、海水の中の動物プランクトンを餌にしている。
 児童たちは、「テレビで見たのと一緒」、「透明のコウモリみたい」と、浮遊するクリオネを指差し、顔を近付けて観察していた。1年生の竹内咲実さん(7)は「名前は知ってたけど本物は初めて見た。ちっちゃくてかわいい」と笑顔で話していた。
 自然への関心を高める取り組みに力を入れている同校の品田校長は「児童たちは新しいものや珍しいものを見ることで、興味や感受性を高められる。地域の人から提供していただき、とても感謝しています」と話していた。

写真左=小瓶の中の3匹のクリオネを観察する児童
写真右=浮遊する体長1・2センチのクリオネ



2014年2月7日

近代化の象徴 カラミれんが
赤れんが博物館中庭に展示
愛媛県・別子銅山の遺産寄贈

 浜の赤れんがパーク・赤れんが博物館に、愛媛県新居浜市から同市の別子銅山(1973年閉山)の「カラミれんが」2個が寄贈された。今月から同館入口横の中庭に、2個を重ね合わせた状態で、生野鉱山(兵庫県朝来市)の「カラミ石」と並べて展示されている。
 「カラミれんが」は、鉱石から銅や銀などの金属を取り出す時に出る、不純物として捨てられていた鉱滓(こうさい)を活用するため、鋳型(いがた)で固めて作られたもので、赤れんがの倍の重さがある。明治期に西洋の技術が入り、銅の生産が伸びて販売されるようになり、重さを活かして建物の土台や石垣に使われていた。
 昨年秋に同市議会の視察団が訪れ、同館に展示されている別子銅山の歴史の紹介や生野鉱山の「カラミ石」がきっかけとなり、一部が寄贈されることとなった。
 寄贈されたれんがは、新居浜市が銅山を運営していた住友金属鉱山別子事業所から譲り受けたもので、長さ45センチ、幅22センチ、厚さ15センチ、重さは45キロで、主な成分は鉄が40〜50%、硅酸が30〜40%程度。銅の精錬過程の際の煙害を避けるため、新居浜沖20キロにある瀬戸内海の四阪島(愛媛県今治市)で昭和初〜中期に作られたとみられる。
 別子銅山は住友家が江戸時代に開発し、閉山までの約280年間に銅70万トンを産出し、関連企業が発展することで住友財閥の基礎を築き、日本の近代化に貢献した。
 同館2階では、「カラミれんが」と連動した展示コーナー「日本の鉱山―近代化の歩み」を常設している。午前9時〜午後5時。入館料は一般300円、学生150円。
【問い合わせ】電話66・1095、同館

写真=左が新居浜市から寄贈されたカラミれんが2個。右は生野鉱山のカラミ石



市ちびっ子レスリング教室開校
世界にタックル!舞鶴っ子
協会員ら指導 54人が学ぶ

 市教育委員会スポーツ振興課主催の「ちびっ子レスリング教室」が1月31日に開校した。北吸多目的施設(旧市営プール管理棟)を道場に、1歳から中学3年生までの54人が、舞鶴市レスリング協会(佐藤優邦会長)の理事長で、五輪メダリストを育てた三村和人(53)さんらから指導を受け、汗を流した。3月末まで、毎週金曜の夜に全9回行われる。
 関係者らが出席した開校式では、佐藤会長が「世界に羽ばたくのが日本のレスリングです。一番大事な事は、辞めないことです。少しでも上達できるよう頑張ってください」と子供たちにエールを贈った。保護者らも見学する中、手作りの道場に設置された9メートル×12メートルと5・8メートル×13メートルの2つのマット上で練習が行われた。
 同協会員のほか、宮津市の海洋高校女子レスリング部員、海洋レスリング教室の小中学生ら11人が指導。海洋高の実習助手で同協会員の大畠亮平さん(30)が、レスリングを学ぶ心得として、どこでも大きな声であいさつすること、元気いっぱいに練習して汗をかくこと、痛かったりしんどい時は必ず報告すること、を子供たちに伝え練習を始めた。
 未就学児たちは主にマット運動を行い、レスリングの構えから前転や後転をしてすぐに立ち上がる動きや、手をつかずに頭だけで行うブリッジなどに挑戦した。小学生以上の生徒たちは、足を持って倒すタックルを自分よりも大きな相手に向けて行うなど、より実戦的な練習を体験した。
 中舞I小1年の榎田結輝人(ゆきと)君(7)は「少し痛かったけどすごく楽しかった」と話し、母親の真千子さんは「先生たちの教え方が上手で、子供たちも楽しそうにしているので続けてほしい。見学していても楽しい場です」と話していた。
 生徒の追加募集も受け付けている。参加費は通しで500円。申し込みは電話66・1058、同振興課。

写真=北吸多目的施設に作られた道場で三村理事長(左)にブリッジの指導を受ける未就学児たち



2014年2月4日

府担い手実践農場 東地区で初
新規就農目指し研修スタート
岩アさん河辺由里で 万願寺甘とうづくり学ぶ

 府の担い手実践農場事業を利用して、大浦の河辺由里地区で新規就農を目指す岩ア直哉さん(40)=朝来西町=の研修が2月から始まった。これまでこの事業を活用する地域は加佐がほとんどだったが、東舞鶴では初めてのケース。2年間の研修期間中に、先輩農業者から万願寺甘とうとホウレンソウの栽培から販売までを学ぶ。
 同事業は農業後継者が不足する地域で、新規就農を希望する人を受け入れるため、希望者と地元との条件整備を行い、技術の習得から就農までを支援する取り組み。栽培などをアドバイスする技術指導者、地域とのつながりを取り持つ後見人がサポートする。
 府が指導者への謝礼を負担したり、府と市で農機具やハウス施設などの賃借料を助成するなど、研修者の経済的な負担を軽減する。また、府から最大360万円の就農研修資金の借り受け、研修後は5年間営農を継続した人(39歳以下)で借受額の3分の2を府と市で補助する。
 このほか担い手事業とは関係なく、就農後5年以内の人への支援として国が年間150万円を支援する給付金制度もある。
 岩アさんは元建築業。1年間、佐波賀で佐波賀ダイコンを栽培する農家らの元で仕事を習った。実践農場ではハウスと露地の5アールで万願寺甘とうなどの栽培に取り組む。泉源寺の農業、椋本和明さん、地元の吉田邦夫さんが支援する。平のJAにのくに舞鶴東支店でこのほど、府中丹東農業改良普及センターの伊部雅也副所長が、研修通知書を交付した。
 岩アさんは研修終了後の5年間で、万願寺甘とうの栽培をハウス12アール、露地10アールにする目標を立てる。「地域の行事にも関わっていき、荒地を地域の人たちと少しずつ作物に変えていき後継者も増やしていきたい」と決意を述べた。
 府内で同事業の農場は2002年からこれまでに81カ所開設し、現在24カ所で研修を継続している。51人が終了し、47人が就農している。舞鶴市内では加佐地区を中心に6カ所で営農を継続し、現在7カ所で研修中。

写真=研修通知書の交付を受ける岩アさん(右)



子供も大人も元気に
奥野さん 岡田小で京野菜歌う

 京野菜の応援ソングを歌う歌手の奥野ひかるさん=高槻市=が1月31日、久田美の岡田小学校を訪れ、昨年の台風被害にあった児童や農家を歌とトークで元気づけるとともに、慰問ライブを続ける東日本大震災の被災地の様子を伝えた。
 NHKのど自慢チャンピオン賞に輝きプロデビューした。舞鶴で生まれた万願寺甘とうのおいしさに感動して作った曲を歌うほか、震災後は岩手県陸前高田市などの仮設住宅を2012年から回り慰問ライブで被災者を励まし、昨年12月で200回に達した。
 農家が多い加佐地区の岡田小では、給食の時間に奥野さんの「バンザイ京野菜」などを放送しており、来校を依頼した。由良川小児童と岡田保育園児も参加した。「たべないな万願寺」などを歌い、軽妙な話術で児童たちにも振り付けを指導し一緒に踊り、会場は明るい笑いで包まれた。
 奥野さんは震災で両親を亡くした子供たちの様子を伝え、「いまあることがあたり前でないと分かった。家に帰ったら両親、祖父母のお手伝いをしてください」と語った。
 6年生の真下悦子さん(12)は「とても面白く楽しい曲で私も歌っています」、万願寺甘とうを栽培する内海武さん(68)=地頭=は「奥野さんから元気をもらっている」と話した。

写真=児童と一緒に歌って踊る奥野さん



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