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2013年12月27日

充実した学校生活へバス発車
NPO法人せんげん 東高生徒の通学を支援
1月7日から70人が利用

 東舞鶴高校の生徒たちの通学を支援しようと、NPO法人せんげん(寺田俊男理事長、会員25人)がスクールバスを運行することになり、12月25日、森町のJR東舞鶴駅南口ロータリーで出発式があった。来年1月7日から約70人の生徒が利用し、4月から本格運用をする。
 市街地郊外に位置する東高は、最寄のJR東駅やバス停からも離れ、9割以上の生徒が自転車通学をし、登校時の混雑や冬場の凍結で転倒する人もいた。
 東高OBや元校長らでNPO法人を設立、スクールバスの運営を決めた。府内の公立高校では初めてのケース。実際の運行はコスモ観光に委託する。
 バス2台でJR西駅から中舞鶴を経て学校、大浦小から学校をつなぐ2コース。朝1本、夕方は下校時と部活動終了時の2本。利用する生徒から運賃を集金せず、企業や個人からの賛助金、PTAの教育振興会からの協力金などで運営費を賄う。
 出発式では生徒30人が集まる中、青色のスクールバスが披露され、関係者5人がテープカットした。
 続いて泉源寺の東高で式典があった。竹内浩校長は「通学の利便性が高まり、生徒たちはさらに学校生活を充実させてほしい」とあいさつ、生徒会長の四方晃介君(2年)は「多くの方から寄せられた東高への期待に応えられるよう、勉強と部活動に励みたい」とお礼を述べた。
 寺田理事長は「皆さんの協力で生徒たちの安心安全と利便性が確保でき、送迎が難しい保護者たちからも喜んでもらえました」と話した。
 賛助会員を募っている。
【問い合わせ】電話62・5510、東高

写真=出発式でスクールバスに乗車する関係者ら(JR東駅南口で)



第九演奏会 市民合唱団歌う
高揚感包まれフィナーレ

 市合唱連盟創立30周年などを記念し、15年ぶりに企画されたまいづる市民第九演奏会が12月23日、浜の総合文化会館で開かれた。京都市交響楽団の演奏で、306人が迫力ある合唱を響かせ、高揚感に包まれたフィナーレを迎えた。
 合唱団に所属する人をはじめ、加佐中と青葉中の合唱部、合唱未経験者ら12歳〜85歳の市民が第九合唱団を結成し、5月から32回のドイツ語で歌う練習を積み重ねた。
 団員たちは終盤の約30分間に出演。アルトなどのパート別にずらりと整列し、ベートーヴェン交響曲第九番を高らかに歌い上げ、ほぼ満席の1315人の来場者から大きな拍手を受けた。演奏後、市文化事業団代表で団長の江守光起さんが「練習の成果をすべて出し切った演奏で、本当に感激しました」と演奏の成功を祝った。
 加佐中合唱部の部長、南瑠星(りゅうせい)君(15)=3年生=は「多くの人に聴いてもらい、最後の大きな拍手を受け、がんばってよかった」と喜んでいた。

写真=京都市交響楽団の演奏で歌った市民たち



2013年12月24日

西高通信制の卒業生など有志たち
「新彩雲」25年間の発行に幕
本づくりで生まれた絆 大切に

 西舞鶴高校通信制課程の卒業生などの有志たちが発行を続けてきた同人誌「新彩雲(あやぐも)」が、今月の特別号で25年間の幕を下ろす。身辺雑記のエッセイ、地域の歴史研究、五行詩などを寄せ、51号まで重ねた。編集作業を務めた委員たちが思い出を綴り、本づくりで生まれた絆を今後も大切にしたいとする。
 卒業生たちの輪をつくろうと、西高文芸部顧問だった林幸子教諭が呼びかけ、1988年9月に赤いリボンで綴じた手書きの第1号を送り出した。教師たちにも原稿を依頼し、編集や印刷、製本など全て手作り。1冊は100ページ前後だった。
 発行当初は寄稿する人も多く、年4回出した年もあったが、その後2回、1回になった。会費をもらった会員に発送し、府北部を中心に最大で60人に届けていた。広島県に住む読者もいる。しかし近年は会員の高齢化と減少で30部にとどまり、廃刊を決めた。
 最後の特別号には通信でも教えた西高校長の故高宮健さんが、同誌に書き綴った連載「丹後の神の風土記」の63回目の最終回のほか、11人の文章や短歌などを掲載した。あとがきには編集委員、歴代の3人の編集長が思い出を記した。
 89歳で委員最年長の桃井種夫さん=京月町=は「63歳で卒業と同時に発行がスタートした。故郷の佐渡のことを書いた」、引土の小谷要一さん(74)は「ここまで長く続いたと思う。編集作業は楽しく、これで最後かと思うと寂しい」と話す。
 2代目編集長の三木伊都子さん(82)=宮津市=は、夫を亡くし二児の子育てをしながら37歳で入学し、苦手な数学と英語を居残って教師から指導を受け、7年間かけて卒業した。学ぶ喜びを知りさらに短大の通信に通った。「高宮先生が亡くなられた時には追悼の特集号を作りました。最終号になり残念ですが、仲間たちとこれからも集まることにしています」と語った。
 最後の編集長の森脇ふさ子さん(64)=福来=は、「教科書を開けるだけで楽しかった」と通信で学んだ体験を振り返り、あとがきに「何でも言える 喧嘩も出来る ごめんなさい ありがとう 大切な仲間」と五行歌でいまの気持ちを伝えた。

写真=最後の特別号の発送をする編集委員たち(西市民プラザで)



支援継続の大切さ現地で感じ
日星高 宮城県訪問活動報告
幼稚園再建へ募金届ける

 12月13、14日に震災被災地の宮城県石巻市と名取市を訪れた日星高校の2年生3人と教員2人が12月18日、上安久の同校で全生徒に活動報告をした。幼稚園の再建のため募金を届け、さら地のままの現地とそこで生きる人たちに強い印象を受けた。
 日星高は、南三陸町でがれき撤去などボランティア活動や、募金活動を継続して取り組む。名取市で全壊した閖上わかば幼稚園の前園長、菊池富紀子さんが同高を訪れ、現地の様子も話しつながりを深めている。
 今回は名取市を訪れ、市民や団体などから寄せられた募金30万円と1万羽の折り鶴、市内の中学生のメッセージを菊池さんらに届けた。閖上地区はかさ上げ工事が進むが建物を建てることができないため、近くの美田園(みたぞの)地区に幼稚園を再建し来春完成させる。
 報告会で生徒会書記の上島紗英さん(17)は「石巻市の大川小学校の被害を聞き、いつでも避難できるよう準備の大切さを知った」、同会副会長の橋本幹介君(同)は「3年近くたっても何も変わらない様子に空しさを覚えましたが、立ち上がろうという強い意志も感じた」、同会会長の高原寧子(ねね)さん(同)は「できることを続けよう、また行かなければと思いました」と話す。
 青葉謙一教諭は「被災地では若者の自殺や孤独死が増えている現実を聞いた。被災地に関心を向け続けることの大切さを感じた」と述べた。

写真=幼稚園再建の募金と中学生のメッセージを贈った生徒と関係者ら(日星高提供)



2013年12月20日

母国の被害心痛める
台風30号受けて
衣類と募金を送り支援
フィリピン出身の女性たち 日本人も協力

 フィリピン出身で舞鶴市在住の女性たちが、11月に台風30号で大きな被害を受けた母国を支援しようと、衣類や募金を集めて送ることにした。その活動を知った日本人や友人たちからも募金や物品が寄せられ、協力の輪が広がっている。いまも現地で連絡が取れない家族がいたり、多くの人が避難生活を過ごしており、故郷の惨状に心を痛めている。
 世界最大級の台風30号はフィリピンのレイト島などを襲い、5000人以上が亡くなり、高潮と強風で街は壊滅状態となった。いまも約400万人が避難生活を続けているとされる。
 仕事や結婚のため来日したフィリピン女性たちは長年、舞鶴で暮らし地域に溶け込んでいる。中には日本国籍を取得し、すでに日本で生まれた子供たちが大学に進学した人もいる。その中の1人、山下みゆきさん(45)が営む円満寺のフィリピン料理店で、女性たちがよく集まっている。
 母国の台風被害の情報をネットで集め、家族たちと連絡を取るなどする中で、衣料品が足りないことを聞き、仲間の22人が段ボール3箱分の洋服や布団、食料品、現金を持ち寄った。レイテ島に近いセブ島に祖母が住むセシーリヤ・嵯峨根さん(33)は「おばあちゃんの家が流され、いまはマニラに避難しています」と話す。
 NPO法人舞鶴国際交流協会のクリスマス会で女性たちが支援への協力を呼びかけたところ、参加者たちから物品の送料1万5,000円が贈られた。また、女性たちに日本語を教える上安の聖母訪問会修道院のシスター、原田従子さんの元にも、特別養護老人ホーム「寿荘」の利用者と職員、小浜市の教会から16万円の募金が届けられた。
 パナイ島出身で来日して28年になる霜田マリンさんは、自分で衣類などを島に住む母に送った。「パナイ島はあまり支援がなく、送った衣類などは母が周囲の被災者に配った。海に流出した油を日本の自衛隊が回収をしてくれており、『日本人にとても感謝している』と母から連絡がありました。いま病気が広がっていると聞き心配しています」と述べた。
 12月25日までに母国のテレビ局に支援物資と募金を送る。

写真=持ち寄った衣類を母国へ届ける準備をする女性たち



八千代館
戦争の現実語り継ぎたい
映画「永遠の0」 高校生招いて試写会

 百田尚樹さんのベストセラー小説を映画化した「永遠の0(ゼロ)」(山崎貴監督)の試写会が12月12日、浜の八千代館であった。戦争の現実を知ってもらおうと、高校生に限定した初の企画。作品に込められたメッセージを受け取った高校生たちは、いま生きていることへの感謝や戦争を語りつぐ大切さを感想に綴った。
 2004年。進路に迷う26歳の健太郎(三浦春馬)は、ゼロ戦の天才パイロットと言われた祖父の宮部久蔵(岡田准一)のことを調べる。必ず戻ってくると妻子に誓って戦地に赴いたが、終戦間際に自ら特攻に志願して26歳で亡くなった。健太郎は戦友のもとを訪ねるが、久蔵は海軍一の臆病者だったと聞かされる。
 試写会には希望した東・西高、日星、舞鶴高専の98人が参加。同館を運営するシマフィルムの志摩敏樹代表が「特攻で亡くなっていった若者と同世代の皆さんに、戦争に向きあってほしい」とあいさつ。高校生たちは主人公が遺したメッセージを、戦友たちが語り伝えるシーンなどに涙を浮かべた。
 西高2年の岩ア結香さん(17)は「生きたいというメッセージが伝わり、戦争を忘れてはいけないと強く思いました。祖父に戦争中の話を聞いてみます」と話した。
 映画は12月21日から同館と福知山シネマで上映される。
【問い合わせ】電話62・3583、八千代館

写真=試写を前にあいさつする志摩代表



2013年12月17日












万葉集 話し言葉で解説
東高出身の稲田さん(福岡県糸島市) 入門書を出版
古代人の心、いまも生き生きと

 東舞鶴高校出身で、万葉研究家の稲田宰(つかさ)さん(73)=福岡県糸島市=がこのほど、万葉集を話し口調でわかりやすく解説した入門書「万葉の愛をたずねて 蘇る犬養万葉のこころ」(文芸社)を執筆し出版した。夫婦や恋人、防人などの愛の歌132首を取り上げ、そこに込められた古代の人たちの心がいまでも共感を呼び、忘れられた大切なことを伝えている。
 万葉集は約1300年前の629年〜759年に作られ、現存する日本最古の歌集。全部で20巻、4516首あり、夫婦の情愛、死を悼み、別れを悲しむなどの心を詠んだ。原本はなく写本のみが残る。歴史学や地理学などの学術の貴重な資料でもある。
 1959年東高卒業後、進学した大阪大学薬学部の教養課程の授業で、万葉学者として著名な国文学教授の犬養孝さんのわかりやすい講義を受け、いまも人の心に響く万葉集の魅力を教えられ、在学中、犬養さんの萬葉旅行の会に入って歌が詠まれた地を訪ね、万葉ファンになった。
 薬剤師だったサラリーマン時代は転勤が多く、研究に費やす時間は減ったが、定年間近の92年に筑紫萬葉旅行の会を主宰し、九州各地や奈良など故地を案内。これまで183回開催し、約6000人が参加した。最後の勤務地が福岡で、故地の糸島半島のまちに居を構えた。
 さまざまな場で講師に招かれ、多くの教えを受けた犬養さんの研究を咀嚼し、自分の言葉で講義を重ねてきた。犬養さんの没後15年を機に、その遺志と万葉人の心を知ってほしいと、今作の執筆をした。
 本は四六版、196ページ。親しみやすい本とするため、自ら講演や旅行で話してきた内容を話し言葉で記した。「信濃なる 千曲の川の 細石(さざれし)も 君し踏みてば 玉と拾はむ」などお気に入りの東歌、防人の歌、女流歌人の歌などを紹介し、解説をつけた。また、日本人の自然観や防人の歌への誤解などの豆知識も掲載している。
 稲田さんは「万葉の人たちの心には、いまでも通じる素晴らしさがあります。わかりやすく説明し万葉集の世界を広めた犬養先生にならい、気軽に読んでもらえるような本にしました」と話す。1冊1,260円。なみえらぽーる店などで販売中。

写真左=講演する稲田宰さん
写真右=文芸社から出版した著書



舞鶴共済病院
スタッフが24時間対応で安心
自宅で人工透析始まる
自分の好きな時間帯に治療可能

 浜の舞鶴共済病院は、血液の人工透析を自宅にいながら行なえる在宅透析治療を開始した。通院しなくても患者が自分の生活時間に合わせて行なえるメリットがあり、すでに2人が受けている。北近畿では初めて、府内では2カ所目の導入になる。
 慢性腎臓病などで人工透析を病院で受ける場合、平均で週3回、1回3〜5時間程度が必要で、開院時間内に限られるため患者の仕事や生活への負担が大きい。全国で30万人の患者がいる。
 在宅透析は透析機器を貸し出し自宅に置き、患者自らが針を腕に刺して行う。時間帯と回数を自分の都合に合わせることができる。事前に患者と介助者が3、4カ月の講習を受ける。機器貸し出しは全額保険が適用され、水道代と光熱費(月約1万円)、排水施設のための自宅改修費が自己負担になる。
 自分で行なうことへの恐怖感や病院スタッフが十分いないなどで在宅透析はまだ進まず、全国でも300人程度、府内では透析患者約6000人中、京都武田病院(京都市)で6人が受ける。
 共済では9月から50代の男性、今月から30代の女性が実施。体調の変化や機器のトラブルなどに備え、24時間体制で対応し、臨床工学技士が2週間に1度、患者宅を訪問している。
 同病院透析センター長を兼ねる布施春樹院長は「昼間に仕事などに時間を使えるようになり、食事制限も緩和できるようになる。適用を進めていきたい」と話す。
【問い合わせ】電話62・2510、同病院

写真=在宅と同じタイプの透析機



2013年12月13日

高井さんの作品 光放つ
22年かけ節目の10回入選
今年の日展で 復興への希望土に込め

 大浦半島成生在住の陶芸家、高井晴美さん(49)が、第45回日展・工芸美術部門で、2009年以来の入選を果たした。1991年に初入選をしてから、22年をかけて区切りの10回目を迎えた。ここ2年以上は陸前高田市の被災者支援に取り組みながら、創作に向き合っている。今回の作品にも復興への希望を土に込めた。
 91年から作家活動を始め、国内で最大規模の公募美術展の日展に出品し、3年連続で入選した。94年に舞鶴に帰郷し窯を築き、地方からでも全国レベルの作品を作れることを示そうと、日展に挑戦を続ける。パリの公募展でも入賞、ニューヨークで作品展もした。
 工房前から見える海を一貫してテーマに据え、岩にくだける波しぶき、波の音などを表現した大作のオブジェで入選を重ねた。10回を目標にしてきたが、03年に7回目の入選後は数年おきになり、途中であきらめかけたが周囲の友人らの応援を受けた。
 そんな中、巨大津波の被害を受けた陸前高田の支援を始めた。海を題材にしているだけに一時は作品づくりができなかったが、陶芸を通して自分にできることをしようと心に決めた。
 チャリティー陶展で収益金を学校の楽器購入費にあてたり、両親を亡くした震災遺児に贈った。陶芸教室の生徒と市民の協力を受け、マグカップやマフラーづくりもし、陸前高田へ支援ツアーを組むなどして、つながりのできた被災者と交流を続けている。
 何度も被災地を歩き、仮設住宅に暮らす人たちから先が見えないと聞いたことから、創作に復興の願いを込めるようになった。今回応募した作品名は「滄望(そうぼう)」(高さ64センチ、幅58センチ、奥行き30センチ)。真ん中の空間に3本の線をつなぎ、その間からかすかでも希望の光が見えるようにと願った。
 高井さんは「支援の体験が自分の内面に影響し、作品づくりにも反映するようになりました。長い時間がかかったけれど、支えてもらった人たちへの恩返しができたかなと思います。陶芸をいろんなことに活かすことができ、ありがたい仕事です」と話していた。10回の入選で会友になったが、今後も出品と被災地支援を続けていく。
 日展京都展は12月14日〜来年1月19日、京都市の市美術館で開かれる。


写真=希望の光が見えるようにと創作した10回目の入選作品



12月21日、総文で
箏アンサンブル斗為巾 コンサート
箏の魅力に触れて
ワークショップ参加者と

 若い人たちに箏に触れ魅力を知ってもらおうと、箏アンサンブル斗為巾とワークショップに参加する小・中学生によるコンサートが12月21日、浜の総合文化会館小ホールで開かれる。箏の演奏が初めてという参加者たちが、発表に向け練習に取り組んでいる。来場を呼びかけている。
 箏の音色を聞く機会の少ないことから、子供と大人の演奏者でつくる箏アンサンブル斗為巾(立道明美代表)が、府の次世代等古典芸能普及促進の補助を受け企画した。
 ワークショップの公募に応じた小・中学生の16人が、9月から東と西地区に分かれて練習を始めた。「ord.(オルド)」のグループ名で出演する。
 白糸中3年の河野希望(のぞみ)さん(15)は「私が中1だったとき、演奏している3年生をみてやってみたいと思いました。みんなと音を合わせきれいな音で演奏したい」と話している。
 午後1時から開演。曲は「黒髪」「君をのせて」や映画音楽メドレー、最後に「歓喜の歌」を全員で合奏する。入場料500円。 【問い合わせ】電話090・3997・8477、立道さん

写真=練習に励む小・中学生たち



2013年12月10日

地域根付く作物に光当て
ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」
12月16日上映、監督のトークも
山形で種守り、料理に利用する人々

 大量に作りやすい野菜が出回る中で姿を消しつつある在来野菜。山形の地域に根付き栽培されてきた在来作物を伝える農家や、新しい料理の食材として光を当てたシェフらを追ったドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の上映会が16日、北吸の市政記念館で開かれる。渡辺智史監督のトークもある。舞鶴ふるさと地域づくり協議会と市の主催。参加無料。
 各地域で作られてきた野菜などの在来作物は、高度経済成長の時代、品種改良された作物より収量が少なく、作りにくいなどといった理由で徐々に姿を消し、農家の努力でわずかなものが伝えられるだけだ。
 山形ではそうした在来作物を守ろうと取り組む人たちがいる。鶴岡市の集落で焼き畑を続け「藤沢カブ」を復活させた生産者、自家採種した「だだちゃ豆」を作りつづける女性農家、「外内島キュウリ」を守り続ける男性。
 これらの野菜を使ってイタリア料理づくりをするシェフの奥田政行さん、焼き畑農業を研究し在来作物を地域の宝と述べる山形大学農学部の江頭宏昌准教授たちが、生産者の活動を後押しする。
 映画はいまの農業や食を見直すきっかけとして、各地で上映され話題を呼ぶ。2012年香港国際映画祭にも出品された。1981年生まれの渡辺監督も山形生まれ。東北芸術工科大学在学中に民俗映像制作に関わり、フリー活動後に今作を撮影した。
 上映会は地域ブランド事業セミナーの2回目として開催。上映は午後1時半と同7時の2回。監督のトークは1回目の上映後のみ。定員は各回70人程度。申し込みは市農林課(電話66・1023、nourin@post.city.maizuru.kyoto.jp)。


写真=山形に伝わる外内島キュウリを手にする子供たち((c)映画「よみがえりのレシピ」製作委員会)













「ちぬや」と共同開発
販売数1千万個突破!
肉じゃがコロッケ 実行委員会が祝う

 舞鶴が発祥の肉じゃがをPRする「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」(伊庭節子会長)と、大手食品メーカー「味のちぬや」(本社・香川県三豊市)が共同開発した「舞鶴元祖肉じゃがコロッケ」の販売数が1000万個を突破し、このほど浜のホテルマーレたかたで記念の会が開かれた。会員や関係者たちがこれまでの歩みを振り返り祝った。
 舞鶴鎮守府初代長官の東郷平八郎が英国留学中に食べたビーフシチューが忘れられず、日本の調味料で作らせた甘煮が肉じゃがのルーツとされ、舞鶴の海上自衛隊第4術科学校に残されていた「海軍厨業管理教科書」にその作り方が記されていた。
 市民有志が1995年に実行委員会を結成し、肉じゃがでまちづくりに取り組んでいる。肉じゃがを使ったコロッケをと同社にレシピを提供し、試作を重ねて2006年12月から各地のスーパーや生協で販売を始め、今年2月までに1000万個の販売を達成した。市内では浜の坂井精肉店でいつでも扱っている。
 記念の会には約40人が出席。伊庭会長が「肉じゃがを持ち帰りたいという声を聞き、いつでもどこでも食べられるコロッケにしようとのアイデアで誕生しました。これを機にさらに肉じゃがで舞鶴を発信したい」とあいさつ。同社の今津秀(ひでし)社長が「これだけ継続して売れるとは思っていなかった。今後も舞鶴の宣伝をしながら売っていきたい」と述べた。

写真左=あいさつする伊庭会長
写真右=舞鶴元祖肉じゃがコロッケ



2013年12月6日

最難関の英検1級合格
日星高3年 田中亜紀さん 3度目の挑戦で
3年前来日 日本語も猛勉強
「語学使って社会に役立つ仕事を」

 日星高校3年生の田中亜紀さん(20)が、3度目の挑戦で実用英語技能検定(英検)の最高位1級に合格した。1級は大学生や社会人の上級クラスの人でも取得が難しいとされる。3年前にフィリピンから来日して、まったくわからなかった日本語も猛勉強して学校の授業や検定の時事問題にも対応した。来春から上智大学英語学科に進むことも決まり、語学を使って社会に役立つ仕事をしたいと夢を持つ。
 英検は日本英語検定協会が毎年3回実施する。最難関の1級は広く社会生活で求められる英語のレベルが要求され、合格率は10%にも満たない。高校生で合格するケースはまれで、日星高では初めてという。
 田中さんは父が日本人、母がフィリピン出身。母の実家があるパナイ島の町は、台風30号で大きな被害を受けた。舞鶴で生まれて5歳まで過ごし、その後は11年間フィリピンで生活し高校を卒業。暮らしやすい日本の大学に進もうと、来日して日星に入学した。
 日本語ができなかったため、舞鶴ライオンズクラブの「かもめの学校」と、聖母訪問会のシスター、原田従子さんの日本語教室に通って基礎を学んだ。また、父や学校の友人から教わり、いつもそばに置く電子辞書で不明な言葉を調べて覚えた。いまでは本も読める。
 大学への推薦資格を得るため、2年生の時に英検2級、準1級に合格。大学の学費で両親の経済的負担を減らそうと、進学後に英語を使ったアルバイトに有利なようにと、さらに1級取得を目指した。1級の2次試験は時事問題に対して、自分の考えを述べるスピーチ力が試される。フィリピンでは英語も使われているため読み書きはある程度できたが、話す機会は少なく苦手だった。そのためスピーチの指導をする塾に通い、新聞を読みテレビでニュースをチェックし、先生から時事について教わり試験へ備えた。
 1級の筆記などの1次試験は満点の7割が合格ライン。2度目は2点足りず悔し涙を流した。3度目の正直で10月に挑戦して1次を通過、2次のスピーチテストで課題の中から臓器提供をテーマに選び、自らの意見を英語で述べ、質問に答えた。
 田中さんは「合格に友達もよろこんでくれ、本当にうれしい。大学ではもっと英語と日本語を勉強して、将来は教師か同時通訳者になりたい」と話していた。いまは台風被害を受けたフィリピンのため、自分にもできる支援を考えている。


写真=1級の合格証を手にする田中さん



舞鶴LC
不要な眼鏡 役立てて
市民らが提供、開発途上国へ

 眼鏡がないため仕事や勉強の機会に恵まれない開発途上国の人たちに使ってもらおうと、舞鶴ライオンズクラブ(塩崎幸生会長)は、不要になった眼鏡の回収に取り組んでいる。集まった眼鏡379個とレンズ270組を梱包し、12月2日、オーストラリアのリサイクルセンターに発送した。
 開発途上国の中には、眼科治療が十分に行なわれておらず、視力検査の費用も高額という。また、矯正レンズが手に入らないため近視や乱視に対処できず、仕事に就けず勉強も進まないためさらなる貧困に追い込まれている。
 ライオンズクラブ国際協会は開発途上国支援の一環で、毎年数百万個の眼鏡を回収し、オーストラリアなどのリサイクルセンターで、洗浄やレンズの度の強さごとに分類し、アジアやアフリカなどの人たちに送っている。
 舞鶴ライオンズクラブでも2010年から取り組みを始めた。3回目の今年は、市内の公共施設や眼鏡店など17カ所に回収箱を置いたほか、廃業した眼鏡店からレンズの提供、舞鶴みなとライオンズクラブや京丹後市のライオンズクラブの協力も得て、眼鏡379個、フレームのみの眼鏡150個などが寄せられた。
 メンバーたちは老眼鏡や近視用眼鏡などを新聞紙などに包み、箱詰めした。同クラブ福祉環境委員会の榎本康彦委員長は「こうした眼鏡が役立つと思うとうれしい。今後も提供を呼びかけたい」と話していた。

写真=眼鏡の発送作業をするクラブ員たち



2013年12月3日









12月14、15日は市民会館へ
舞鶴ロケの「飢餓海峡」蘇る
「市民名画座」社会派4作品を上映

 今年亡くなった俳優の三国連太郎さん主演で、1965年に舞鶴市内の旅館や竜宮浜などでロケ撮影が行なわれた映画「飢餓海峡」など社会派作品4本を集めた市民名画座(市文化事業団など主催)が12月14、15日、北田辺の市民会館で開かれる。同じく先ごろ亡くなった山崎豊子さん原作の「白い巨塔」も上映される。
 「飢餓海峡」は水上勉さんの原作。主人公の男が北海道で犯罪をおかし、青函連絡船に乗って本州へ逃げ延びる。嵐で多くの遭難者を出した同連絡船「洞爺丸」の海難事故も取り上げられる。内田吐夢監督の代表作であり、三国さんの俳優としての評価をうち立てた1作となった。刑事役の伴淳三郎、男を追いかける女役の左幸子も好演した。
 三国さん演じる男は、引き揚げの町・舞鶴で名前を変え新しい人生を生きていた。その自宅のシーンが浜の老舗旅館の「松栄館」で撮影されたほか、東舞鶴駅などでロケがあり、戦後を色濃く残す雰囲気がスクリーンからも伝わる。「松栄館」は現在、宿泊客を受け入れていないが建物は現存している。
 14日上映の映画は松本清張原作、野村芳太郎監督、大木実出演の「張込み」。ドキュメンタリータッチな描写で緊迫感あふれる。午前10時半から。山本薩夫監督、田宮二郎出演の「白い巨塔」は医学部教授への昇進をめぐり、大学内部での権謀術数、田宮演じる助教授の野心に燃える演技が光る。午後2時から。
 15日は午前10時半から「黒い画集」。松本清張原作、堀川弘通監督、小林桂樹出演。何気ない日常から徐々に追い込まれていく恐怖を描いた。「飢餓海峡」は午後1時半から。
 完全入れ替え制。入場料は1本500円。各日2本セット券は800円。
【問い合わせ】電話75・0513、市民会館


写真左=「飢餓海峡」の1シーン(市文化事業団提供)
写真右=「飢餓海峡」の撮影が行われた浜の旧松栄館の一室



デザイナー・よしだ敦子さん
防災ずきんで身を守って
予期せぬ災害に備え 普及に教室

 七条中町のデザイナー、よしだ敦子さんが、予期せぬ災害に備えようと、防災ずきんの普及に取り組んでいる。デザインと機能性を備えたずきんで、洋裁教室の生徒たちに指導している。
 東日本大震災後の2011年4月から、よしださんは大船渡市の仮設住宅に暮らす被災者に向け、三角クッションを生徒らと一緒につくり贈り続けている。次は自分たちの命を守ろうと、名古屋でバスタオルを使った防災ずきんに触発され、オリジナルなずきんを考案した。
 布地は目につきやすい色や柄を吟味し、中には着火しても広がらない綿を使い、内側にファスナー付きポケット、外側にはポケットを配した。防災をテーマにしたシンポジウムで紹介したり、先月から洋裁教室で指導を始めた。受講した森本佳代さん=丸山中町=は「デザインもよく考えてあります。家族の分をつくり防災用品のそばに置いておきます」と話した。
 毎月第2火曜日に七条中町の教室で防災ずきん作りをする。12月は10日午前9時半から。午後も開く。費用は材料費込みで2,800円。
【問い合わせ】電話64・4424、よしださん

写真=仕上がった防災ずきんをかぶる受講者



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