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2007年12月28日

“赤れんがライトアートin舞鶴2007”
12月31日にカウントダウンイベント
 北吸の赤れんが倉庫群一帯を、ライトアップやイルミネーションなどで彩る「赤れんがライトアートin舞鶴2007」が行われている。NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴(馬場英男理事長)が、冬の風物詩にと企画、今年で3回目。12月31日には新年を迎えるカウントダウンイベントを開催する。市民の来場を呼びかけている。  赤れんがライトアートは、赤れんが倉庫群の魅力をアピールするため始まった。赤れんが倉庫のライトアップ、イルミネーションの「光のゲート」、竹を組んでビニールで覆ったドーム型の明かりなどが並び、ロマンチックな雰囲気に演出している。  カウントダウンイベントは、31日午後10時から開催する。アマチュアバンドによるジャズライブや豪華商品の当たるクイズなどを楽しみ、年越しのカウントダウンを行う。また、午前0時からは、全員で歌って新春を祝う。会費1000円(1ドリンク、または年越しそば付き)。
【問い合わせ】電話66・1096、赤煉瓦倶楽部舞鶴

写真=光で彩られた赤れんが倉庫群
神崎海水浴場に3メートル超の巨大イカ
砂浜に打ち上げられ住民ら驚きの声
 神崎海水浴場の砂浜に12月27日、体長3メートルを超える巨大なイカが打ち上げられているのを地元の人が見つけた。住民らもこんな大きなイカは初めてと驚いている。  この日の朝、散歩をしていた人が西神崎の由良川河口近くの砂浜で見つけた。胴と腕の長さを入れると約3.3メートルもあった。区長の井上茂さんは「これまで50センチほどのタルイカなら冬場に打ち上げられていたことがあるが、こんなに大きなイカは見たことがない」と話す。住民の中には味見をしてみようと、包丁を持って身の一部を切りわけ持って帰る人もいた。  イカはダイオウイカと見られる。普通は暖かい海の水深600〜1200メートルの深海に生息し、めったに生きた姿を見ることができず、死骸が台風などで海岸に打ち上げられるか、低い海水温に弱って流されるケースがあるという。

写真=見つかった3.3メートルのイカ。右は2メートルの竹
2007年12月25日

カトリック吉祥寺教会の後藤神父(東京都武蔵野市)
日星高で講演、カンボジア辺境の地での学校づくり語る
 カトリック吉祥寺教会神父の後藤文雄さん(78)=東京都武蔵野市=が、カンボジアでの辺境の貧しい農村で学校づくりに取り組む。同国の難民の子供14人の里親になったのがきっかけで、その里子の“息子”と一緒に14校目を建設中だ。12月21日、上安久の日星高校(北村司郎校長、273人)のクリスマス週間行事で講演した後藤さんは、「人の幸せのために本当に必要ならできる」と生徒たちに語りかけた。  来日して行き場のない難民の子供たちを1981年から引き取り育てた。その1人にメアス・ブン・ラーさんがいる。陸軍将校の父と王族出身の母を持っていたが十歳のころ、国民を大虐殺したポル・ポト派に連行され、殺されないために身元を隠し少年兵になった。命令でベトナム兵を襲い、ナイフで3人を刺殺した。80年ごろ、難民キャンプに逃げた。  働きながら学校を卒業し就職もしたが、過去の忌まわしい記憶に苦しみ何度も自殺を考えた。そんな彼と一緒に後藤さんは94年、カンボジアを訪れラーさんは妹1人と再会した。そしてプノンペン近郊の農村の僧侶から手紙を渡される。「村人に希望を与えたい。日本の皆さんの力で学校を作って下さい」。  二人は学校建設を決意し、翌年から後藤さんの私財150万円で活動を始めた。日本に永住の予定だったラーさんは祖国に戻って活動の実務を引き受け、後藤さんは継続的な取り組みができるようにと、NPO法人「AMATAK カンボジアと共に生きる会」を設立。援助の手が行き届かない辺境の村々に、13の小学校を作ってきた。  今秋、第19回毎日国際交流賞(毎日新聞社主催)も受賞した後藤さんは招かれた日星高で、子連れの神父の存在を拒絶された当時や学校作りの経過、来年1月に14校目の竣工式を迎えると紹介。「人の幸せのために自分に何が出来るか真剣に考えることが大切。言葉は違えどもハートがあれば通じる。こうした行動は自分の心を豊かにしてくれます」と温かく話した。続いてクリスマス・ミサを執り行い、世界の平和のために生徒らと一緒に祈った。

写真=日星高の生徒たちに活動を語る後藤さん
特養ホーム「グレイスヴィルまいづる」へ
土岐市などの陶磁器製造販売会社5社が食器2500点寄贈
 社会福祉法人グレイスまいづる(荒木義正理事長)が運営する布敷の特別養護老人ホーム「グレイスヴィルまいづる」は、岐阜県の土岐(とき)市と瑞浪(みずなみ)市の陶磁器製造販売会社の5社からこのほど、スープ皿や大皿など磁器製の食器2500点の寄贈を受けた。同施設では利用者たちに食器を披露し、家族らも参加した食事会で使い初めをした。  地産地消の食事作りに取り組む同施設は、自宅に近い食べ方の工夫も凝らそうと、食事に合わせた食器のバリエーションにも配慮する。しかし、必要な食器を買い揃えることができずにいたところ、同法人役員の陶磁器製造の仕事をする友人が、五社の担当者に呼びかけ寄贈が実現した。両市とも美濃焼の産地で、特に土岐市は陶磁器の生産日本一で知られる。  同施設職員が車2台で持ち帰った食器はサラダボウル、カップ、ケーキ皿、強化磁器のスープ皿など多くの種類が含まれる。利用者と家族らは昼の食事会で、料理を小皿に取り分けるなどして使っていた。半分はストックしておき、季節の行事などで食事に彩りを添えるのに使う。  施設長の淡路由紀子さんは「利用者からスープをスープ皿で飲みたいという要望も受けていましたが、なかなか揃えることができずにいただけに、本当に寄贈はありがたいです」と話していた。

写真=贈られた皿などで食事を楽しむ利用者と家族ら
2007年12月21日

「まいづる福祉会」が障害者の願い実現への歩み
共同作業所開設30周年記念で記録を出版
 社会福祉法人まいづる福祉会(黒田隆男理事長)は、まいづる共同作業所の開設30周年を記念し、様々な形で作業所に関わった73人が寄稿するなどして、その歩みを記録した本「『愚直』に まいづる共同作業所30年のこころ」(B5判、241ページ)をこのほど出版した。障害を持つ仲間たちの願いの実現に向け、多くの人たちから寄せられた「共同の心」への感謝とともに、今後も願いを大切に歩んでいきたいと結んでいる。  1977年に無認可の授産施設として、障害者10人と職員3人でスタート。92年認可施設ができ、米屋事業などを展開、共同作業所は昨年9月に法人化に移行し同福祉会に統廃合された。本は1部で利用者や親たち、まいづる共同作業所・まいづる作業所友の会会員、ボランティア、行政職員らが寄稿。2部で職員らが30年の活動などを文章や写真で紹介した。1000部発行。1冊2000円  女性の利用者は作業所で同じ悩みを持つ仲間と出会え、「将来は1人になっても安心して暮らせるグループホームに入りたい」と述べる。レストランで働く男性の利用者は結婚して生まれた子供の存在が「僕を成長させてくれている」とし、「お客様の満足そうな笑顔が自分たちの仕事の向こうに見えることで頑張れます」と書いた。  レストラン立ち上げに関わった接遇マナー講師の荒木真由美さんは仲間たちは私の宝物、いつも大切なものをその姿から教えてくれると綴った。職員の1人は親たちの募金やバザーなどの最前線での活動が、関係者を励まし原動力になっているとし、親の1人も「必死で頑張ってきて良かったと胸に熱いものがこみ上げてきます」と振り返る。  ほのぼの屋の西澤心施設長は「多くの人とつながってきた30年だと感謝の気持ちで一杯。全職員がその歴史と課題を確認でき、今後に活かしたい」とする。開設当初から勤務するまいづる作業所の新谷篤則所長は「障害者への偏見が強かった当時、自分を外に出せない人たちの話を聞くことが大切でした。今後も仲間たちが安心して働き暮らせる社会にという願いに向け進んでいきたい」と話す。  ブックハウスやワークショップほのぼの屋などで販売している。
【問い合わせ】電話68・0600、同福祉会。

写真=出版された本「『愚直』に」=ブックハウスほのぼの屋で
「市老連女性委ふれあい」が高齢者福祉施設友愛訪問
干支マスコット500個とタオル1000本贈る
 市老人クラブ連合会女性委員会ふれあい(大谷静子委員長)のメンバーらが12月18日、市内10カ所の高齢者福祉施設に出向き、来年の干支の子を型どったマスコット500個とタオル1000本などを贈る友愛訪問をした。  施設の利用者に喜んでもらおうと、会員たちから寄せられた友愛募金を元に、毎年手作り品をプレゼントしている。昨年はお手玉を作った。安岡園や寿荘などに届けている。  今回は10人の役員が1人50個ずつ、10月からネズミのマスコットを製作。型紙通りに切り取った布に綿を詰め、ボタンの目や耳などを縫い付ける作業をした。また、会員らが広告チラシで小物入れも作った。この日は役員10人が手分けして贈った。大谷さんは「元気によい年をお迎え下さいとの気持ちを込めて作りました」と話していた。

写真=手作りのマスコットやタオルを届ける委員ら
2007年12月18日

バンダーレさん、地域に溶け込み交流深める
京大水産実験所で学ぶインド人留学生
 長浜の京都大学舞鶴水産実験所で学ぶインド人留学生、チャイタンニャ・バンダーレさん(29)=余部下=が、舞鶴ライオンズクラブの日本語教室「かもめの学校」で学んだり、小中学校で講演するなど地域の人たちと交流を深めている。12月13日には円満寺の舞鶴グランドホテルで、同クラブの例会にゲストとして招かれスピーチし、「舞鶴が自分のまちになった」と語った。  インド中央部のマハラシュトラ州内のダルマバァドゥの出身。山間部で生まれ育ったが、旅行で海を見たことをきっかけに、国立海洋生物研究所で3年間、インド洋を研究した。昨年、文部科学省の留学生として京大農学部に入学し、今年4月から同実験所でヒラメの研究に取り組む。日本語や英語など6カ国語を使いこなす。  同クラブの会員約50人の前でスピーチ。舞鶴に来た当初は寂しかったが、同クラブが舞鶴在住の外国人のために開く「かもめの学校」に5月に入学して生活が変わった。アジア各国の出身者約80人と学び、日本語を指導する元小中学校校長と親しくなった。高倉神社祭礼への参加、小学校での交流など地域に溶け込んでいる。  また、両親はハンディキャップを持つ貧しい家庭の子供たちを受け入れる無償の学校を自宅に開設しており、バンダーレさんも経済的に支援している。「将来、同じような学校づくりの奉仕活動をしたい」と述べ、「困っている時、舞鶴の人たちに助けてもらいました。今後も交流を続けたい」とする。3年間舞鶴に滞在し、博士号の取得を目指す。

写真=「舞鶴が自分のまちになった」と話すバンダーレさん
通学路・北吸自転車道のごみ回収や清掃
三笠小と同PTA、三笠子育て支援協
 三笠小学校(吉田信夫校長)と同校PTA(由里敬治会長)、三笠子育て支援協議会(田中佐智子会長)のメンバーが12月15日、児童たちの通学路にもなっている北吸自転車道で、ごみを回収したり溝の泥をさらう清掃活動に取り組んだ。  自転車道に迫る山から樹木の枝が道の頭上を覆っていたことから、防犯の点から道を明るくしようと、同協議会などから依頼を受けた市が10月、枝を伐採したり垣根を刈り込み低くした。また、道に通じる北吸トンネルも清掃したが、地域の住民でもできる活動をと清掃を実施した。  三宅神社下から市役所前までの道で、約20人が道の溝の落ち葉や泥をスコップでさらい、山の斜面に捨てられた空き缶などを拾い集めた。会長の田中さんは「枝を切ってもらって随分明るくなりました。また来年、残る自転車道の清掃をやりたい」と話していた。

写真=溝の泥をさらう参加者たち
2007年12月14日

布敷の特養ホーム「グレイスヴィルまいづる」
府が「たんとおあがり 京都府産」施設の認定
 社会福祉法人グレイスまいづるが運営する布敷の特別養護老人ホーム「グレイスヴィルまいづる」がこのほど、府などが実施する「たんとおあがり 京都府産」施設の認定を受けた。府内産農産物の利用促進の取り組みが評価された。2005年に開設の同まいづるは、提供する食事に地元の米と野菜を使い、農園での交流など田園地帯の地の利を活かし地産地消を積極的に進めている。  新鮮で安全な府内の農産物の利用啓発と地域農業への理解を図ろうと、福祉施設や病院などを対象に、昨年から認定制度を設けた。一定基準を満たしているか審査を経て、今年度は11施設が認定を受けた。舞鶴市内では同施設が初めて。  同施設は、地元の安全な食材を使おうと、周囲に田畑が広がる環境を活かし、1カ月約150キロを消費する米を全て地元池内の米で賄うほか、農家の女性グループ「ひまわり会」などから野菜を仕入れる。栄養士らが利用者から自宅での食事を聞き取りメニューを作成し、施設内の厨房で調理。入所者やデイサービス利用者らに1日のべ約300食を提供する。  また、施設横の農園で利用者と職員、農家らが一緒に作物を栽培し食材に使ったり、近くの池内小学校の児童も招き、収穫体験などの交流も続ける。小規模の10ユニットごとのリビングで、利用者の必要な分を大皿から盛りつけ、自宅に近い食べ方を工夫した。  認定証を受け取った施設長の淡路由紀子さん(44)は「農家の皆さんにも食べてくれる人の顔が見え、喜んでもらっています。この仕事を通し農業の振興につながれば」、管理栄養士の南陽子さん(37)は「地域の方たちとの交流にも役立つことができうれしい」と話していた。

写真=認定章を手にする食事作りに関わるスタッフら
吉原婦人消防隊が夜回り活動続ける
「火の用心」の声、師走の路地に響く
 吉原婦人消防隊(柏原百合子隊長、隊員11人)が、地域の住民たちの防火意識を持ってもらおうと、長年夜回りの活動に取り組んでいる。冷え込みが厳しくなり火を使う機会が多くなる師走の夜、隊員らの「火の用心」の声と拍子木を打つ音が、吉原地区に響いていた。  同婦人消防隊は1986年3月に結成され、89年から年末の12月だけ、吉原で火の用心の夜回りを始めた。東西の吉原地区は民家が密集し狭い路地もあるため、火の元への注意を高めてもらおうと、96年6月からは毎月第1水曜日と回数を増やし、雨や雪の日にも回っている。  隊員たちが西中公民館に集合し、5、6人が午後7時半から揃いの活動服で夜回りをスタート。約1時間かけ地区内の路地から路地を歩いて、火の用心を呼びかける。柏原隊長は「外に出て『ごくろうさま』と声を掛けてもらっています。特に冬場は火の元に気をつけてと歩いています」と話す。今月は25日前後にも夜回りをし、年末の西消防団の警戒活動の応援もする。

写真=吉原地区を拍子木を打って注意を呼びかける隊員たち
2007年12月11日

非戦の思い、戦死した夫との570通の書簡
阿部さんが60年の封印解き語り部活動
 舞鶴出身で元小学校教師の阿部(旧姓・富田)鈴子さん(88)=城陽市=が、太平洋戦争中、南方戦線で28歳で亡くなった夫と10年間に交わした約570通の手紙とハガキを、約60年間封印してきた後に、その手紙を通して夫への思慕と戦争体験を語る活動を続けている。12月8日、余部下の中総合会館で教え子ら約70人を前に、「あの時代、私も戦争を許容した1人。2度と繰り返してはいけない」と力強く話した。  阿部さんと3つ年上の夫、四郎さんは七日市生まれで、家は隣同士の幼馴染み。鈴子さんが女学校に、四郎さんは進学を目指し東京に上京した1934年から文通が始まった。36年2月6日付の四郎さんからの手紙には「唯一の鈴子さんを戀(こい)してゐる。愛してゐる。」とストレートな想いが綴られる。41年に結婚した。  43年に四郎さんは妻と長女、お腹に2人目の子供を残しニューギニアへ出征した。戦地から「ヨウコチャン カゼヲヒカナイヨウに オトウサンハイツモイノッテイマスヨ」と家族を思いやるハガキなどが届いた。44年2月17日付の戦地からの約60通目のハガキが最後の便りに。  ニューギニアのアイタペで同年4月26日、戦死していたと知ったのは終戦後の46年。夫の死を認めることができず、手紙と思い出を遠ざけた。戦後教師に復帰し、中筋小や明倫小勤務を経て、63年に城陽市に転勤した。  転機は昨年訪れる。親類の誘いでニューギニアへの訪問を控えたある日、押入れから手紙を入れた箱が落ち、読み始めると涙が止まらなくなった。同年4月に現地で「やっと来れました」と夫に呼びかけると過去の封印が解け、「戦争のことを伝えなければ」との思いが湧いた。  太平洋戦争開戦日の8日、舞鶴母親連絡会主催の学習会に招かれた。「戦地へ行く夫を引き止めもしなかった。戦争は音もなくやってくる。戦争を起こしてはいけないと皆さんの前で話すのが私の生きる目標です」と語った。

写真=手紙を通し戦争体験を語る阿部さん=中総合会館で
五老ケ岳花回廊づくり、新たに100本植樹
「育てる会」海保学校生らも参加し下草刈りも
 舞鶴の観光名所の五老岳に植栽されたツツジを守り、さらに植樹をつづける市民グループ「五老ケ岳花回廊を育てる会」(西村敏弘代表)は12月9日、同岳山頂付近の散策路に、カバレンゲとキレンギの苗木各50本を植樹した。植樹には、海上保安学校の学生や西舞鶴高校の野球部員も加わり、会員とともに汗を流した。  「五老ケ岳花回廊」づくりは、舞鶴東、舞鶴両ロータリークラブが、2000年から観光客が訪れる五老岳の美観と地域の活性化を願って、社会奉仕活動として取り組んできた。これまでに、五老岳ドライブウエー沿いや山頂散策路の延べ6キロに渡り、約4000本のツツジを植樹した。  今年4月に「育てる会」が発足して、この取り組みを受け継いだ。毎月2回、同会の会員が植栽の世話を続けている。今回は、さらに花回廊づくりのボランティアの輪を広げようと、海上保安学校などに参加を呼びかけた。  この日、参加したのは海上保安学校の園芸班の学生や西舞鶴高校野球部員、会員ら約60人。小雨の振るなか、参加者は手にスコップや鎌など持って、山頂散策路に100本のツツジを植樹したほか、下草刈りを行った。

写真=五老ケ岳山頂の散策路に植樹する海上保安学校生ら
2007年12月7日

「ワークショップほのぼの屋」施設長・西澤さん
ヤマト福祉財団の小倉昌男賞を受賞
 まいづる福祉会が運営する「ワークショップほのぼの屋」施設長の西澤心(しん)さん(45)=下安久=が、ヤマト福祉財団の小倉昌男賞を受賞した。全国で唯一、障害者授産施設がフランス料理のレストランやウエディング事業を手掛けるなど、障害者の雇用創出や自立支援に努めたことが認められた。西澤さんは「全員でいただいた賞。みんなの努力が評価されうれしい」とする。12月5日、東京都内での贈呈式に働く仲間らと臨んだ。  同財団は障害者の社会参加の支援を目的に、ヤマト運輸の故・小倉昌男会長が個人資産を寄付し、1993年に設立。障害者の雇用などに取り組んだ功労者へ、小倉氏の名前を冠した同賞を贈っている。8回目の今年は2人が受賞した。  レストラン誕生のヒントは98年の古本屋の開店。従来の授産施設で障害者は低賃金しか受け取れなかったが、「もっと給料を」との願いに応えようと、多くの利用者の店をやりたいとの希望で、資源回収の在庫本を活かし、古本などの販売を開始。店を拠点にリサイクルプラザなど様々な仕事をし、賃金も5、6万円とアップした。  するとお洒落をしたり飲みに出掛けたり、貯金をして車を購入するなど生活が変わる姿を目の当たりにした。西澤さんは「お洒落に興味がなかったわけではなく、お金がなかったからできなかった。活き活きとする顔を見て経済的基盤の確立が大切と実感した」とこの体験が転機になった。買い物を通して福祉とは縁のなかった地域の人たちとの交流も生まれた。  こうした成果を踏まえて、障害者らの食への関心が高いことから、レストラン事業に向け職員らでプロジェクトを立ち上げた。多くのアドバイスを受け、フレンチの店にとアイデアが固まり、市民たちから募金も得て、2002年大波下にほのぼの屋を開設。味とサービスで勝負できる店にと調理補助や接客、清掃などでスキルアップし、5年半で来店者は約7万5000人を数えるまでになった。  昨年、隣接地にホテルを開業、食事と宿泊のセットのサービスを始め、シェフの糸井和夫さんのつながりで京阪神からの来店と宿泊者も増える。また、開店時からレストランで結婚式を引き受けるが、最近では職員自らが式のプロデュースまでこなし、100組が式を挙げた。  いま障害者のメンバー20人が働き、多い人で月10万円を超す給料を手にする。障害者福祉にフレンチ、ホテル、ウエディングのビジネスを持ち込む異色の実践は、全国からの視察が続く。  西澤さんは「レストラン開店時、忙しくて何の援助もできなかったことで、メンバーたちは自分で考え働くようになった。プロ意識を持って働くメンバーと職員は僕の誇り」と話す。活動の原点となったまいづる共同作業所の開設30周年の年での受賞に対し、「みんなと歩んできたことが評価されたのだと思う。ここまでこれたのも多くの人の支えがあったからこそです」と感謝の気持ちを述べた。  12月9日の同30周年記念のフォーラムで受賞を報告する。

写真=レストランで働くメンバーと職員たち。「みんなの努力が評価されうれしい」と話す西澤さん(前列右から4人目)
“魚の街 舞鶴はカニの宝庫”
市漁協など知名度アップへキャンペーン
 舞鶴市漁業協同組合と舞鶴市水産協会、舞鶴観光協会はこのほど、「舞鶴かに地域ブランド化推進キャンペーン協議会」を結成した。舞鶴で水揚げされたズワイガニの知名度アップを目指し、「魚の街 舞鶴はカニの宝庫」をキャッチフレーズに、市内や京阪神でPR作戦を展開する。  福井の越前ガニや間人の間人ガニに比べて、舞鶴で水揚げされるズワイガニの知名度がいま一つだったため、漁業や観光の関係者が連携して、舞鶴カニの地域ブランド化に向け取り組むを始めた。舞鶴底曳網組合(川口哲也組合長)所属の九隻が丹後半島沖で捕るズワイガイニの水揚量は、府内全体(15隻)の約4割になる。八隻には冷水器を設置し、捕れたばかりのカニを入れて鮮度を保っている。  キャンペーンでは新たにPR用ポスター300枚、あぶらとり紙のノベルティ3000個を作成し、12月1日の府農林水産フェスティバルでPRしたほか、同14日にはJR京都駅前でクイーン舞鶴らも一緒にキャンペーンを実施する。同組合の西川順之輔組合長は「これまではPR不足で舞鶴でカニを食べられることを知らない人もいた。新鮮でおいしい舞鶴カニをもっともっとアピールしたい」と話す。今後は地域団体商標制度の登録も目指す。

写真=新しくポスター(後方)を作り舞鶴カニをPRする
2007年12月4日

浮草アゾラが水面覆い住民ら清掃活動
公文名・七日市、真名井の清水の湧き水池
 公文名と七日市の真名井の清水の湧き水池に、浮草の水生シダ植物のアゾラ(オオアカウキクサ類)が繁茂しており、12月1日、住民たちが水面全体を緑色に染めるアゾラを網で取り除く清掃活動をした。全国の池や水田などでもアゾラが繁殖し、除去しても繁殖力が強いため再び広がることが報告されている。有効な手だてもなく、住民たちは名水で知られる池の維持に頭を痛めている。  日本在来のアゾラは、環境省の絶滅危惧種にもなる一方、外来種のアゾラの内、アゾラ・クリスタータは2005年に特定外来生物に指定された。ただ、繁茂するアゾラが在来か外来種かの判別は難しい。京都市内の深泥池や府立植物園の池でも報告され、除去などが行われたという。生態系への影響や水質を変えてしまうなどの指摘もされる。人の手による回収しか対策はなく、各地で問題となっている。  中筋地区の休耕田に昨年からアゾラが見られるようになり、今年は池にまで拡大し、夏には水面にマットを敷いたように爆発的に繁殖。池に泳ぐ鯉に子供たちがエサを与えるなど清水の池は親しまれており、住民らが2度ほど除去したが1カ月経つとまた広がった。  寒くなり勢いは衰えたものの池一面に広がったため、この日、公文名と七日市の両町内会役員ら10人が網などで浮草を掬って外へ出した。七日市町内会の自治会長、藤本功さんは「飛来するカモに付着してアゾラが入り込む例もあると聞いた。毎回手作業による除去で困った」と話す。  泉源寺などの水田でもアゾラが広がり、小さな苗を倒すなどの被害が出た。冬、寒さが厳しくなると枯れてなくなるが、暖冬だと冬を越すこともある。一方、全国には水田の雑草抑制や肥料に役立てる農家もいる。

写真=池一面を緑色に染めるアゾラを掬う住民たち
12月15日に「地雷撤去チャリティーコンサート」
6人全員現役東大生の「ソノダバンド」が出演
 地雷撤去チャリティーコンサートが、12月15日午後6時半から北吸の市政記念館ホールで開かれる。出演するソノダバンドはメンバー6人全員が現役東大生という異色のユニット。様々な楽器を駆使し、ラテンやクラシックなどの要素を融合させたポップな音楽を演奏する。来場を呼びかけている。  地雷撤去の支援活動に取り組むNPO法人難民を助ける会関西支部(鷲田マリ支部長)の主催。メンバーの1人、チェロの橋本怜さんの母親が舞鶴出身で、鷲田さんの英会話教室の生徒だった関係から、今回のライブが実現した。  ソノダバンドは、2006年にシンセサイザーコンクールで全国1位を受賞した園田涼さんを中心にしたインストルメンタルバンド。キーボードやバイオリンなどを駆使し、園田さん作曲のオリジナル作品を演奏する。これまでも地雷撤去チャリティーライブはじめ、小椋桂「歌談の会」のオープニング出演など演奏活動を続ける。  前売り2000円(当日500円増し)。収益金の一部を撤去活動に役立てる。
【問い合わせ】電話63・7177、同館内jazz。

写真=異色のユニット「ソノダバンド」のメンバー6人
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