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2014年6月27日









旧丸山小の活用目指して
赤煉瓦倶楽部舞鶴 清掃、修復作業進める
三浜・小橋両区と 市内唯一の木造校舎再生へ
高専生や市民らも参加

 舞Iに残る近代化遺産や赤煉瓦建造物などを使ったまちづくりに取り組む、NPO法人・赤煉瓦倶楽部舞鶴(馬場英男理事長)が、市内で唯一残る三浜の旧丸山小学校の木造校舎を保存しようと活動を始めている。昨年から校舎の一部を管理する三浜・小橋両区と協力し、校舎内の清掃や破損箇所の修復作業などを行っている。海辺に立つ懐かしい校舎の活用に夢を膨らませている。
 旧丸山小は、1876(明治9)年に三浜の海蔵寺の一部を校舎として開校し、91(同24)年に現地に移転。1942(昭和17)年に平屋建て校舎、50(同25)年に2階建て校舎、体育館、給食室、教員宿舎が建設された。三浜・小橋両区の児童が通っていたが、98(平成10)年3月に児童減少のため大浦小と統合され閉校となった。その後は市と両区が管理を行っている。
 同倶楽部は昨年度から同校の保存・活用に向け両区に説明し理解を得た後、7月に校舎裏手に生い茂っていた竹や樹木を伐採し、校舎の窓の欠損箇所をベニヤ板で仮修復した。12月から毎月1回の清掃活動を始め、教室や廊下のモップ掛けや老朽下した廊下の修理、排水改善作業、雨風の浸入を防ぐために軒下開口部の修復などを行った。
 6月21日には7回目の清掃作業が行われ、会員のほか、同校を研究材料にした作品づくりを進める舞I高専建設システム工学科の学生たちや、校舎脇に朝顔を植えるプロジェクトを希望する市民ら計11人が参加。天井が一部破損し落下している平屋建て校舎の教室や、2階建て校舎西側の階段や廊下などをモップで水拭きし、校舎前の草木の伐採も行った。清掃・修復作業は今後も継続して行っていく。
 馬場理事長は「海と山の素晴らしい景色に囲まれた、唯一の木造校舎をとにかく残したい。残すには活用が必要で、地域の理解を得て、学生や地元の興味ある人たちと計画を進めていきたい」と話している。

写真左=1998年に廃校となった旧丸山小学校の校舎
写真右=平屋建て校舎の教室をモップで水拭きする参加者たち



橘幼稚園児 寺川の花壇に
苗植えて笑顔咲かそう

 舞鶴市花と緑の公社は管理する浜の寺川に架かる花壇で6月24日、近くの橘幼稚園の年長園児約60人によるベコニアなど約160本の花の苗を植える作業をした。
 同公社は、市民と一緒に花のあるまちづくり事業を実施している。市民に作ってもらったハンギングバスケットをJR東、西駅前に飾るなどする。
 この日は朝日橋と初瀬橋の間の寺川に架かる4カ所の花壇で、園児たちがマリーゴールドなど5種類の花の苗を、公社職員に教わりながら植えた。
 6月28日には多祢寺の同公社で、市民たちがハンギングバスケットづくりをする。

写真=苗を植える園児たち



2014年6月24日









加佐にハウス団地整備へ
2度の台風被害受け 市、農業者らと協議
候補地選び経営手法など検討

 2004年の台風23号と昨年9月の台風18号による由良川の氾濫で、大きな被害を受けた加佐地区の農業を立て直すため、市は浸水の心配のない高台で生産拠点となるハウス団地の整備事業に取り組むことになり、今年度に全体構想の検討を行う。農業者やJA、行政の関係者で候補地の選定や経営手法などの課題を話し合いながら事業を進めるため、検討委員会を設置した。
 加佐地区はこの10年で二度の洪水の被害を受けた。昨年の台風では9月だったこともあり、収穫シーズンの万願寺甘とうなどが泥を被り出荷できなかった。
 昨年11月30日までに市がまとめた市内全体の農業被害は、米3750万円▽万願寺甘とうが1488万円▽小豆1174万円など計8185万円。ビニールハウス87棟が損壊、農業機械などが水没するなどし、被害の多くは加佐地区に集中した。万願寺甘とうは舞鶴にとって主力の特産品だがハウスだけで16棟が全壊し、再建できたハウスは4棟のみで、農家の中には露地栽培に転換した人もいる。農業地区の加佐には新規就農者も増え、若手からはもっとハウスを広げたいという要望も出ている。  そのため市はハウスを利用して栽培をする作物のハウス団地を整備し、新たな雇用の場にもつなげようと計画。今年度は200万円の事業費を計上し、候補地の調査、経営・運営手法の検討などをする。
 加佐の農業グループ「若い衆でやろかい」の霜尾喜三代表、市農業委員会の石束輝己会長、京都丹の国農業協同組合舞鶴統括営農経済センター長の林浩二さんら関係者10人と市職員らが、今月上旬に第1回検討委員会を開催した。
 市側から事業のイメージ案として、農道などの基盤整備は行政主体で行う▽ハウス設置は国・府・市の補助を活用しながら農業者が設置▽候補地の選定の基礎調査は専門コンサルタントへ業務委託、事業の進め方について小規模の場合は2、3年の短期で、農地整備などを伴なうハウス設置は5〜10年の中期、10年以上の将来を見据えた経営・地域のあり方を検討する長期に分けた考え方を提案した。
 市と委員からは、「ハウス団地での栽培は市場が望んでいる作物を想定するとともに、農業者の意向も反映して品目を決めたい」「まずは万願寺甘とう団地を作っては。販路拡大の余地があり、安定的に売れる」など意見が出た。  舞鶴万願寺甘とう部会の添田潤副部会長は「小規模農家が10軒いたほうが経済効果がある。農家側はどんな規模でやりたいのか、ヒアリングしないといけない」と述べた。
 今後は、農業者らによるワーキンググループをつくって、要望や意見を聞き素案を作成して、検討委員会に提出して議論することにする。市は今年度中に構想をまとめたいとする。

写真左=関係者と市とによる検討委員会が開かれた
写真右=昨年9月の台風で倒壊した加佐のビニールハウス



一目5万本≠ワもなく見ごろ
舞鶴自然文化園で アジサイ園 7月9日まで

 多祢寺の舞鶴自然文化園でアジサイ園が開かれている。一目で5万本のアジサイの海を一望できることで知られ、多くの観光客が訪れている。7月5日にはイベントも予定している。
 文化園は風化した酸性土壌がアジサイの青色を際立たせている。約2ヘクタールの敷地に日本種と西洋アジサイの60品種の5万本が育ち、シーズンには多い時で1日に約30台の観光バスが京阪神などから来園する。
 初日の6月18日はまだ五分咲きだが、最近の雨で順調に咲いている。園内には北米のカシワバアジサイ、一時幻のアジサイといわれた七段花などがある。展示会場には200品種の鉢植えのアジサイが並ぶ。ピンク色のアナベル、日光にあたると白から赤に花色が変わるクレナイ、ダンスパーティーなどが人気を集めている。
 神戸市から家族で訪れた山口光太郎さん(46)は「舞鶴の友人に誘われ、初めて来ました。見ごたえがあり来てよかったです」と話していた。
 7月9日まで。午前9時〜午後5時。入園料は大人300円、小人150円。7月5日はアジサイのさし木のプレゼント、ストラップづくり、地元の物産販売のテント市、茶席などをする。
【問い合わせ】電話68・0221、同園

写真=これから見ごろを迎える園内を埋め尽くすアジサイの花



2014年6月20日

再び高校で学びたい
48歳で東高浮島分校へ 海上自衛隊の笠巻輝秀さん
職場と家族の協力受けて
「同級生揃って卒業したい」

 海上自衛官の笠巻輝秀(てるひで)さん(48)=竹屋=が、溝尻の夜間定時制「東舞鶴高校浮島分校」に今春入学し、若者たちと机を並べて学び、放課後にはクラブ活動にも励んでいる。定年を6年後に控えて高校で学び直そうと、職場と家族の協力を得て入学を決意した。4年後には同級生全員揃っての卒業を目標に掲げている。  佐賀市出身。同市の定時制高校に通って大工の仕事をしていたが、勉強が苦手で2年の途中で退学した。18歳で海上自衛隊に入隊し、舞鶴基地での勤務を続ける。その間、横須賀基地への転勤のほか、南極観測を支援する砕氷艦や硫黄島で勤務もした。24歳の長男、20歳の次男、小学6年生の三男の父親である。  定年を控えてやり残したことを実行しよう、また高校卒と胸を張って履歴書に書けるようにとの思いで、陸上勤務になったのを機会に浮島分校を受験した。  在学する1年生は39人。仕事を終えて午後5時45分から授業が始まり、校内で夕食を済ませ同9時まで学ぶ。当初は自分の子供と同じ世代の若者とともに学ぶことに気恥ずかしさもあったが、いまでは慣れてきた。同級生からは親しみを込め「おっちゃん」と呼ばれ、「なんで高校に来たの?」「勉強教えて」と話しかけられる。笠巻さんも年長者ぶらず、クラスメートとして接し自分の体験を伝えている。今月あった体育祭でも積極的に応援の声をかけた。  授業に間に合うように職場の協力で仕事の調整をして通い、同寮や後輩たちから勉強を教わることもある。午後10時過ぎに帰宅した後、妻が洗濯や週末のテスト勉強で協力してくれる。  放課後には、バドミントン部と生け花をする文化部で活動もする。午前5時には起床し出勤するほか、授業を終えてそのまま翌日の午前2時ごろまでの夜勤もある。きつい時もあるが無欠席を続けている。  笠巻さんは「ここで学ぶ生徒はみんないい子たち。バドミントンの大会で優勝し全員揃って卒業したい。定時制でできることを楽しみたい」と話している。

写真=体育祭で仲間たちを応援する笠巻さん



「ダイヤモンド・プリンセス」の外国人客へ
東舞鶴高生が「和」のもてなし
美術部書道部 うちわの絵付けなどで交流

 大型外国クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス」(11万6000トン)が6月15日、松陰の舞I港第2埠頭に寄港した。円満寺の西市民プラザでは、東舞鶴高校の生徒たちが日本文化を伝えようと、うちわの絵付けと書道体験で外国人客をもてなした。
 船客は約2100人で、8割が欧米を中心とした外国人客だった。同プラザでは、前回の寄港時同様に琴演奏や和雑貨販売などのおもてなしイベントが行われ、東高の美術部7人、書道部13人、ガイド補助の国際文化コースの生徒5人の25人も体験コーナーを設け、同校OBの京都北都信用金庫の職員らも協力した。
 美術部はこの日のために3週間かけ、和風で夏をイメージした朝顔や花火、風鈴などを200枚のうちわに描いて準備。絵柄を切り絵にした台紙も用意し、無地のうちわの上に置き、雲母(うんも)とにかわを混ぜた水彩絵の具を使って布や筆で絵付けを体験してもらった。書道部は絵柄の入ったうちわに、「海」「和」「祭」などから好きな漢字一文字を書き込んでもらうサポートをした。
 多くの外国人客が訪れ、美術部員たちは色や絵柄を選んでもらい、英会話や身振りで絵付けを指導。色鮮やかで文字の入ったうちわが完成すると、拍手をしたりポーズを取って喜び合っていた。予想を上回る反響で、200枚以上のうちわがプレゼントされた。
 タイ人のノワン・ナパーさん(61)は「とてもていねいに教えてもらえてすごく楽しかった。日本の良い思い出ができたので、うちわは額に飾ります」と喜んでいた。美術部部長で3年生の長井碧さん(17)は「色の浮き出させ方を伝えるのが大変でしたが、みんなで考えたアイデアが喜んでもらえて嬉しいです」と話していた。7月21日の寄港時にも行うことにしている。

写真=うちわの絵付けで外国人客と交流する東高美術部員



2014年6月17日









平和への願い舞鶴から
シベリア抑留、引き揚げ資料候補に
ユネスコ世界記憶遺産登録
来年5月可否決定「やっとスタートラインに」

 日本ユネスコ国内委員は6月12日、ユネスコ世界記憶遺産登録を目指し、申請のあった4件の国内選考を行ない、候補枠2件の内の一つに、舞鶴市から申請のあったシベリア抑留と引き揚げ関係資料を選んだと発表した。知らせを受けた多々見良三市長は「多くの方々の後押しのおかげと感謝し、感無量の思い。やっとスタートラインに立てた」と述べた。早くて戦後70年にあたる来年5月に登録の可否が決まる。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)に、国内から舞鶴引揚記念館所蔵の抑留と引き揚げ資料▽京都府立総合資料館所蔵の東寺百合文書▽柳原銀行記念資料館(京都市)などの全国水平社創立宣言▽知覧特攻平和記念館(鹿児島県南九州市)の特攻隊員遺書が申請されたが、国からの推薦は1国2件までのため同国内委員会に差し戻され、抑留関係資料と東寺文書が候補に選ばれた。ユネスコでの審査は2年に1回行なわれる。
 舞鶴市は、戦争の記憶が風化する中、引揚体験者たちから抑留などの史実を後世に語り継ぎ、平和の願いを発信したいとの熱い想いに応えたいと、2012年7月に記憶遺産登録への取り組みを表明。東京女子大学の黒沢文貴教授らをメンバーに有識者会議で、資料の意義や選定を行い、市と姉妹都市のロシア・ナホトカ市に協力を求めた。また、市民団体も申請を応援しようと署名活動を展開し、国内外から4万2000筆以上を集めた。
 引揚記念館にある1万2000点の資料から570点を選んで申請した。抑留生活や望郷の想いを白樺の皮に綴った「白樺日誌」、抑留先の夫と日本にいる家族の間でやりとりされ、互いを思いやる文面のはがき、抑留中に労働の様子などを描き没収を逃れて持ち帰られた絵画など、絶望的な状況の中でなお生きる希望や命の強さなどを伝える資料だ。
 同国内委員会はこれらの資料について、市文化財に指定されておりそれに対応する保存管理がなされている▽市と姉妹都市であるナホトカ市の理解と協力があり、より広い視点から世界的な重要性が説明されている▽絵画、日記、手紙など記録媒体の多様性などの点を評価した。
 この日午後8時ごろ、候補の知らせを受けた多々見市長と尾関善之市議会議長は、赤れんがパーク4号棟で記者会見した。多々見市長は「資料は普遍的な主題を含む記録であり、戦争の悲惨さや平和の尊さを広く世界に語り継いでゆけると強く確信している。登録が実現するよう資料の活用と保存、記念館の環境整備などに取り組みたい」と語った。
 実務を担当した山下美晴館長は「市民の皆さんや全国の方からいただいた気持ちが原動力になりました。この喜びを引揚者と分かち合いたい」と話した。
 市政記念館ではこの日夜、舞鶴を舞台に引き揚げを描いた音楽劇「君よ生きて」の演出家と音楽家を招き、市民有志による交流会が開かれ、多々見市長らも出席し、市民から祝福を受けた。
 署名活動に取り組んだ舞鶴自治連・区長連協議会の倉橋貢会長は「自治連始まって以来のエネルギーで署名を呼びかけた。熱意が通じたと思うと、涙がじわっと出て来た。今後も全力で協力したい」と喜ぶ。NPO法人舞鶴・引揚語りの会の谷口栄一理事長は「次世代に語り継ぐ責任を強く感じました。新たな目標を定めて活動を続けたい」と話し、参加者たちと握手を交わした。

写真左から=候補に決まり発表する多々見市長と尾関市議会議長
        選定の知らせを聞き喜ぶ市民たち
        抑留中の夫と妻との間でやりとりされたはがき
        抑留中に描き、日本に持ち帰られた記録画



慣れない左腕で創作
岩佐さん 陶、書、絵展示
身障者福祉センター・サロンで

 森の岩佐松三郎さん(75)の個展が、余部下の市身体障害者福祉センター・サロンで開かれている。不自由な利き腕に代わって左腕で作った陶器や書、絵画を展示している。6月25日まで。
 西陣の帯をつくる仕事に従事していた。2003年に脳梗塞になり、右半身麻痺と言葉が不自由になった。言語障害者のグループ「この指とまれ」に入会し、仲間たちと交流するうちに作品づくりに取り組むように。
 同センターの陶芸や書、絵画教室などに通ってきた。根気強く左腕で製作に打ち込んだ。初めての個展には落款、カップ、夕暮れの風景の油絵、「ありのまま生きる」としたためた書などを出品した。
 岩佐さんは「センターに来るのが楽しみ。作品展は気恥ずかしいですが、たくさんの人に見ていただければ」と話している。午前10時〜午後4時。入場無料。
【問い合わせ】電話63・3008、同センター

写真=作品と岩佐さん



2014年6月13日

朗読愛好会かざはな
気持ち込めて50回
市民に定着の催し 物語の世界誘う

 市民でつくる朗読愛好会かざはなが、北吸のまいづる智恵蔵でほぼ毎月続ける朗読コンサートが、6月で50回目を迎えた。多い日には約30人が来場するなど、朗読を楽しみにする人たちの間ですっかり定着している。6月6日の記念コンサートには約50人が集まり、読み語りに耳をすませ物語の世界に誘われていた。
 かざはなは2007年に結成し、会員の7人が月一度の定例会での勉強や年に一度のコンサートなどを実施。会員たちの発表の場をつくり、朗読の魅力を知ってもらおうと、同年から年に9、10回程度(第1金曜日)、智恵蔵2階を会場に入場無料でコンサートを継続してきた。
 朗読するレパートリーは藤沢周平の時代小説、小泉八雲の怪談、源氏物語、絵本など古典から現代までと幅広く選んでいる。最近では音楽グループが友情出演し、演奏で演出してくれる。当初、来場者は少なかったが口コミで広がり、少ない時で20人、多い時には30人以上が訪れる。
 50回記念のこの日は、太田美智子さんと岡見公子さん、吉崎和明さん、矢野武さんが絵門ゆう子作の「うさぎのユック」、田岡紀代子さんが映画「ローズ」の中の詩を、山本友子さんと加藤秀美さん、田岡さんが壺井栄作の「二十四の瞳」を朗読した。メンバーたちが交代しながら登場人物の気持ちを込めながら朗読すると、聴く人たちは目をつぶって場面の情景を思い浮かべていた。
 代表の矢野さん(84)は「まだまだ未熟ですが、作者の思いを声に乗せて届けていきたい。文化的な雰囲気をつくるためにも今後も続けます」、岡見さん(67)は「もう50回なのかと思うと感激です。これからも少しずつ向上していきたい」と話している。

写真=記念の50回目には約50人の来場者が集まり、会員らが朗読した














高校総体 レスリング府予選初開催
東高2選手 全力で戦う
ポリテクでネット中継も

 平成26年度全国高校総体(インターハイ)のレスリング競技京都府予選が6月7、8日、上安のポリテクカレッジ京都で初開催された。4月に発足した東舞鶴高校レスリング同好会(水島大樹監督)の2選手も個人戦ビギナーの部に出場し、初めての公式戦を体験した。
 舞I市は来年度のインターハイでレスリング競技会場になることから、競技普及に向けて初めて府予選が開催された。会場となったポリテクカレッジ京都が協力し、情報通信サービス科の学生たちが、地方大会では全国で初となるインターネットでの生中継も行った。
 府内7校から約60人が出場し、8月に神奈川県横須賀市で行われるインターハイ本選を目指して学校対抗戦と個人戦が行われた。学校対抗戦には5校が出場し、京丹後市の網野高校が優勝。個人戦では、8階級でトーナメント戦が行われ熱戦が繰り広げられた。
 東高レスリング同好会からは、齋藤竜馬選手(1年)と西村佳祐選手(同)が出場。同校は競技環境がまだ整っておらず、週2日はウエートトレーニングなどの体力作りをし、マットを使った練習は市レスリング協会の「ちびっこレスリング教室」で週1日しか行っていないため、本戦出場権のない個人対抗戦ビギナー重量級に出場した。
 齋藤選手は柔道経験を活かし、京都八幡高の選手に力強い攻めを見せ、タックルや場外への押し出しなどでポイントを奪った。西村選手は、京都廣学館高の選手を相手に、素早い動きでタックルを決め、粘り強く果敢に攻め続けた。両選手とも全力を尽くしたが、1ラウンドの3分以内で力及ばずフォール負けを喫した。
 齋藤選手は「投げ技を決めたかったが、柔道より動きが激しくきつかった。やれることは精一杯やれた」、西村選手は「がむしゃらに動いて自分から攻めていけた。少しずつがんばっていきたい」と話していた。
 市レスリング協会の三村和人理事長は「もっとへこたれて負けるかと思ったが、最後まであきらめずにがんばっていた。手応えがつかめて悔しかったと思う。まずは1勝を」と健闘を讃えていた。

写真左=力強い攻めを見せた齋藤選手(左)
写真右=果敢に攻め続けた西村選手(左)



2014年6月10日

スペース広げて定員倍増
舞鶴かまぼこ協同組合 体験施設リニューアル
外国クルーズ客船や京阪神からの観光客
団体利用に対応で

 舞鶴かまぼこ協同組合(高野真一代表理事、5社)は、下安久の組合事務所に併設するかまぼこ製造体験施設を拡張するリニューアルをした。昨年5月にオープンしてから1年を経過したが、団体からの利用の問い合わせが多く、そのニーズに対応するため、スペースを広げてこれまでの定員10人から25人へと倍増した。京阪神からの観光客や外国クルーズ船の乗客らの利用も増えている。
 舞鶴の特産品であるかまぼこは、同組合が一括して良質な原材料を購入して品質を維持、舞鶴や近海で獲れたシログチなどの生すりみを4割以上使い、45度と85度の2段階の蒸し方を採用し、しなやかな弾力を特徴としている。
 学校関係者などから「自分でも作ってみたい」との要望を受け、市のチャレンジファンドの補助を得て、事務所倉庫を改修して体験施設「かまぼこ工房」を設置。広さ30平方メートルに魚の身をミンチにするチョッパー、工場と同じように2段蒸しできる機器などを備え、特有のこしのあるかまぼこをその場で仕上げ、味わうことができる。
 利用者はこの1年間で約300人あった。市内と市外の人の割合は半々で、市外からは京阪神からのカップル、女性グループなど、ネットを見て来る人が多いという。最近では外国クルーズ船が寄港する機会が増えたことで、乗客の韓国人や中国人も訪れている。
 当初は小学生や地域の利用者を想定し、施設の広さの制約もあって定員を10人にしていたが、それ以上の団体利用の問い合わせもあり、断ることも少なくなかった。そのため発送作業場を体験スペースに改修、60平方メートルに拡充した。25〜30人まで受け入れが可能となった。
 また、改修したスペースの壁には、かまぼこやちくわの原材料の捕獲から加工、包装、流通までを絵と日本語と英語で解説した製造工程図を掲示し、理解を深めてもらうことに活用することにした。
 同組合参事の辻義雄さんは「中高年のグループやカップル同士などの利用があります。申し込みがあった時には赤れんがパークやかき小屋なども紹介していますが、他の施設も回遊し観光客を増やすこともしていきたい」と話している。
 体験費用は1人1,600円。申し込みは1週間前に。海フェスタ京都の期間中のみ、午前中に申し込みを受ければ午後から利用できる。
【問い合わせ】電話76・0101、まいづる広域観光公社

写真=スペースを広げた体験施設。壁には製造工程図も掲示した












初夏の味覚 京のブランド産品
「丹後とり貝」出荷始まる
大型、肉厚、甘い身に舌鼓

 府北部沿岸の初夏の味覚「丹後とり貝」の出荷が、6月5日から始まった。昨年夏の高水温や台風の影響などもあり、貝が十分に生育するのを待って、昨年より半月遅れの出荷となった。今月末まで、府では昨年並の約7万個の出荷を予定している。
 「丹後とり貝」は、舞I湾や宮津市の栗田湾などで養殖された、出荷サイズ100グラム以上の大型のトリガイで、京のブランド産品に認定されている。宮津市の府海洋センターで生産された種苗を約1センチの稚貝にし、7月頃に粒状の無煙炭のアンスラサイトを敷いたコンテナに入れ、育成いかだで海中約8メートルに沈め1年間育てる。肉厚で大きな身は甘味があって人気が高く、主に京阪神や東京へ出荷される。
 出荷前の4日には、舞Iとり貝組合(川ア芳彦代表、23人)が青井沖のいかだで、海中からコンテナを引き揚げて貝を重量別に選別した。今年は8センチ以上で150グラム以上の「大」は少なめで、大半が「中」と「小」だった。生産者の川ア弥一郎さん(29)は「台風の影響などで変形したり規定サイズに育たなかったものも多いが、身の大きさや甘味は十分」と話していた。
 5日には舞Iから約6000個が初出荷され、下福井の「道の駅 舞I港とれとれセンター」では、昨年同様に「大」1個1,200〜1,300円、「中」950〜1,000円で販売を始めた。店内でも、湯通しした刺し身や握りずしで味わうことができる。
 初めて食べた、奈良県天理市の服部みやびさん(25)は「シャキシャキした食感で歯ごたえがあって、何回噛んでも味が出て美味しい」と舌鼓を打っていた。

写真左=いかだの上で丹後とり貝の大きさを測る生産者
写真右=「道の駅 舞鶴港とれとれセンター」で味わえる丹後とり貝の刺し身



2014年6月6日












山頂目指して絆深める
舞鶴勤労者山岳会 創立40周年記念の集い
登山の思い出語り合う

 舞鶴勤労者山岳会(亀井義充会長、会員29人)が、創立40周年を迎えた。伊佐津の西駅交流センターでこのほど記念の集いを開催し、旧会員らも含め約50人が、これまでともに山頂を目指した登山の思い出を語り合い、さらに絆を深め合った。6月1日には青葉山で40年間続けるクリーンハイクもした。
 同会は1975(昭和50)年8月に登山愛好家たちで結成し、今年で数え年で40年を迎える。これまで北アルプスや富士山へも出掛けた。
 いまも月2回、近隣の大江山などでの日帰り登山、毎月一度の安全登山のための学習会、市民にも参加を呼びかけての公開登山、6月の青葉山の清掃登山、毎月機関誌の発行などに取り組む。会員は30代〜70代の男女がいる。
 集いでは同会と親交をもつ府内の山岳会も招かれた。懐かしい登山の写真などが写される中、OB会員たちが思い出を語った。設立当初から夫婦で会員の永井稔章さん(72)=森本町=は「山の仲間たちの温かさに支えられてきました。一つ一つの山行きが楽しい思い出で、仲間は大切な宝です」、妻の暁子さん(71)は「山に行くと自然の雄大さの前に、自分の悩みの小ささに気づかされます。体調が悪くて登山ができない時も、トレーニングをして復帰しようと励んできました」と話し、仲間たちから長年の活動に花束が贈られた。
 1日のクリーンハイクには会員と市民の17人が参加。松尾寺から出発し、ごみを拾いながら山頂に着いた。10数年前から環境への意識の高まりで、ごみは減っているという。
 亀井会長は「入会して最初の山行きが青葉山への元旦登山だった。会で出会ったいろんな人たちとの関係は財産です」と述べていた。8月2、3日に立山への記念登山を、記念誌の発行を12月ごろに計画している。会員を募集している。 【問い合わせ】電話64・0036、事務局の森下さん

写真左=青葉山クリーンハイクの参加者たち
写真中=記念の集いで語り合う会員たち
写真右=40年間の活動を仲間から祝福された永井さん夫妻



西高芸術鑑賞会
MALTAさん迎える
生演奏とレッスンで刺激
吹奏楽部にアドバイス

 西舞鶴高校の芸術鑑賞会が6月3日、北田辺の市民会館であり、世界的サックス奏者のMALTAさんの演奏が繰り広げられた。ライブ終了後には同高吹奏楽部の部員たちがMALTAさんの前で演奏を披露し、指導を受けた。
 東京藝術大学卒業後に名門ライオネル・ハンプトン楽団でコンサートマスターに就任。デビューアルバムが第1回日本ゴールド・ディスク賞に輝く。全国のアマチュア吹奏楽団と共演や指導も行なっている。
 MALTAさん率いるグループと、ジャズトランペット奏者の岡崎好朗さんが鑑賞会に出演した。「キラキラ星」をジャズのメロディーで、「コーヒールンバ」をサルサのリズムで演奏するなど、サックスやピアノ、ドラムなどで多彩なメロディーを奏でた。
 その後、部員たちがMALTAさんと岡崎さんからレッスンを受けた。サックスのパートの3年生4人はアンサンブルでアルゼンチン・タンゴの曲を演奏し、MALTAさんから「音色はいいし上手な領域にある。曲調によって演奏を変えるとか工夫をしてみては」とアドバイスを受けた。
 部長の3年生、村田友理佳さん(17)は「MALTAさんの同じ楽器なのに、様々な楽しみ方がある演奏を聴いて新しい感覚を受け取り、さらにサックスが好きになりました」と話していた。

写真=MALTAさん(左)から指導を受ける部員たち



2014年6月3日









西運動広場、国から市へ
旧軍用地 2017年度に譲渡
多目的グラウンドやテニスコート備える
都市公園へ整備

 西運動広場として利用されている上安久の国有地が、舞鶴市に2017年度に無償譲渡されることになった。財務省の諮問機関旧軍港市国有財産処理審議会が、市への譲渡を認めることをこのほど近畿財務局に答申した。戦時中は旧舞鶴海軍工廠の資材置き場だったが、市は多目的グラウンドなどを備えた正式の都市公園として整備する。
 国有地の面積は4・76ヘクタール。市が1976年に管理委託を受け、大学誘致の候補地としていたが、この間は土を仮に敷いただけの運動広場として市民に開放。子供や中学生のクラブ、老人会らがサッカー、野球、グラウンドゴルフなどの場として活用している。
 その後、市は大学誘致を断念し、国に都市公園用地として譲渡を求めてきた。旧軍港市転換法にもとづき譲渡が決まった。
 市管財契約課によると、今年度に実施設計を行い、15、16年度に着工する。多目的グラウンド2面、テニスコート4面、芝生広場、拡張した142台分の舗装駐車場を整備する計画。

写真左=市への譲渡が決まった西運動広場
写真右=市の利用計画図



充実の日々作品で表現
南部さん 洋服、陶芸、絵、書
「仲間たちと交流楽しい」

 両耳が不自由な南部詩文子(しずこ)さん(76)=松陰=の作品展が、余部下の市身体障害者福祉センター・サロンで開かれている。丁寧に作り上げた洋服、灯りの陶器、絵画、書など多彩な作品に、充実した日々の想いが込められている。6月11日まで。
 出産に伴って脳麻痺と聴力に障害を持つようになった。13歳のころ、自宅近くの港そばの税関支署で掃除の手伝いをするようになり、雑巾を作ろうと思って大人たちに混じって洋裁教室で学んだ。続いて和服づくりのためミシンを勉強しようと、学校に6年間通った。その後約30年間、自宅で仕立ての仕事を続けた。
 1989年、友人に誘われて身障センターの存在を知って相談に訪れたり、陶芸や書道、手芸の教室で多くの友人もできた。難聴者協会や聴覚障害者協会にも入会、同じ障害を持つ仲間たちとも交流を深めている。サロン「ぽーれぽーれ」の喫茶コーナーではボランティアとして手伝い、昨年は最多の回数で表彰を受けた。
 仕立ての仕事は辞めたが、いまも自分の服は自作している。その中からワンピース、バッグ、コサージュなどを展示。また、五線譜のような模様を刻み音楽が聴こえてきそうな球体、細いひも状の土を重ねた大皿などの陶器、色えんぴつで描いた絵画なども出品した。
 南部さんは「センターに通って協会で活動するようになり、生きる喜びを感じています。初めて作品展ができ、とてもうれしいです」と筆談と手話を交えて話していた。入場無料。
【問い合わせ】電話63・3008、同センター

写真=洋服などの作品と南部さん



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