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2006年3月31日

朝来の旧海軍第3火薬廠を調査し本に
出版した関本さんに反響の手紙届く
 昨年7月、朝来地区の旧海軍第3火薬廠の実態をまとめ出版した大波上の関本長三郎さん(62)の元に、本を読んだ元勤務者らから多くの反響の手紙が寄せられている。執筆の取材中に、概要だけしか知ることができなかった工場宿舎の厳しい生活について、具体的な体験や思いを吐露した手紙もあった。関本さんは託された手紙は貴重な記録として、こうした声を伝えるために手紙を集めた証言集を作りたいと思いを強めている。  第3火薬廠は長浜にあった工場が手狭となり、移転先の旧朝来村の住民を立ち退かせ、1941年に完成した。海軍が使った半分の爆薬を製造したとの指摘があり、最大で学徒動員も含め5000人が働いた。関本さんは2年がかりで元勤務者123人に聞き取り、『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』として自費出版。800部作成し、1冊1200円で書店などで販売したが昨年12月で完売した。  本を手にした元学徒や工員たちから、先月・2月までに手紙67通、ハガキ32通が寄せられた。18歳で徴用工になった京都市の男性(83)は、登尾宿舎での生活について、「長靴を夜朝鮮人バラックに持って行き、少量の大豆を交換し、宿舎でアルミの弁当箱で大切そうに布団の中で1粒ずつ口に放り込んで寝た」など便箋5枚にびっしりと綴った。  長浜爆薬部に勤務した綾部市の94歳の男性は、誰にも話せなかった思いを手紙にし、「胸がスーとした」と書いた。このほかにも「私の履歴書が書いてある」との感想、火薬庫の厳重な管理、大雪での作業の様子などが記された。依頼の増えた現地案内や講演会でも手紙を紹介している。  関本さんは「手紙からは、自分の体験を伝えたいという思いをひしひしと感じ、火薬廠について私は触りしか知らなかったと教えられた。皆さんが心の奥に秘めていた生の声を残したいと思いが膨らんでいます」と話していた。

写真=貴重な体験を綴った手紙を見る関本さん
中筋小から志楽小に火の見櫓の梵鐘戻る
30年ぶり、志楽ダイヤモンド会館に展示
 30年前に小倉の志楽小学校校庭の火の見櫓に掛けられていた梵鐘が、このほど公文名の中筋小学校で見つかり、戻された志楽小から志楽ダイヤモンド協議会に贈られ、3月29日、小倉の志楽ダイヤモンド会館で引き渡し式があった。地域の幸せを見守る鐘にと同会館に展示される。  梵鐘は高さ62.5センチ、口径37.5センチ。銘には、近江の国坂田郡樋口村の舛屋伝九衛門が文化2年(1805)に、亡くなった釈智円と釈尼妙貞の追善のため、下多良村(滋賀県米原市)の仏道寺下道場に翌年寄進したとある。志楽に移された経過は分からない。  30年前に火の見櫓を取り壊した際、処分を依頼された滝口国雄さんが中筋小に届けた。大切に保管されていたのが最近分かり、戻された志楽小荒木弘子校長は地域を見守る鐘にと同協議会に寄贈した。同協議会の片又喜八郎会長は「志楽の幸せの鐘に」と話した。

写真=志楽ダイヤモンド会館に置かれた梵鐘
2006年3月28日

日本ユネスコ協会「わたしの町のたからもの絵画展」
前田さん(新舞鶴小5年)に全国審査大賞
 舞鶴ユネスコ協会(古森輝彦会長)の「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの絵画展」で、日本ユネスコ協会連盟会長賞を受賞した新舞鶴小5年、前田夏花さん(11)の作品「桜の木のある風景」が、全国各地のユネスコ協会の優秀作品の中から全国審査大賞を受賞した。舞鶴ユネスコ協会から初めての全国レベルでの受賞という。  絵画展は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の登録する世界遺産について広く紹介するとともに、地域の文化財や身近な自然環境のすばらしさを見つめなおし、未来へ引き継いでいく気持ちを育てることを目的に、1998年からスタートした。各地のユネスコ協会が「わたしの町のたからもの」をテーマに、小中学生から絵画作品を募集して展示会を行っている。2005年度の応募総数は1万9870点だった。  前田さんの作品は、各地のユネスコ協会から選出された優秀作品171点の中から全国審査大賞に選ばれた。審査は日本ユネスコ協会連盟副会長の平山郁夫画伯が特別審査委員長を務めて行われ、「満開の桜を見た感動が豊かな色使いで表現されている」との講評を得た。  全国審査大賞には、3点が決まり、前田さんは舞鶴ユネスコ協会での受賞と同じ日本ユネスコ協会連盟会長賞に選ばれた。他の2点は、絵画展を共催するあいおい損害保険会社賞と全国審査会賞。このほか、全国審査特選の9点が選ばれた。表彰式は3月28日、東京のあいおい損害保険本社で行われた。

写真=前田さんの作品「桜の木のある風景」
火災予防と救急法の知識や技術を
舞鶴市東少年消防クラブの修了・入部式
 東地区の小学5、6年生がつくる舞鶴市東少年消防クラブの修了・入部式が3月26日、余部下の中総合会館であり、修了クラブ員に修了証、新入クラブ員に少年消防クラブの帽子が贈られた。  火災予防と救急法の知識や技術を学び、青少年の健全育成をめざす同クラブは、1年間の活動期間を終えて、毎年この時期に修了・入部式を行っている。今年度は21期生58人が活動を終え、新たに継続クラブ員を含めて22期生45人を迎えた。  式では、クラブ代表の前田浩二幹事長が「修了クラブ員にとっては、クラブで培った経験、友情は将来役立つものと思う。新入クラブ員は、火災予防などの知識や技術を身につけるとともに友情を育んでほしい」とあいさつ。修了クラブ員のチーフリーダー、大槻武史君(新舞鶴小6年)らに修了証を授与したほか、成績優秀者や優良者を表彰した。  スライドを上映して活動報告があり、新年度のチーフリーダー、渡邊拳斗君(新舞鶴小5年)ら新入クラブ員1人1人に、クラブの帽子が贈られた。クラブ旗が新旧のチーフリーダーによって引き継がれ、全員で「火の用心に努めます」など、少年消防クラブの5つの誓いを唱和した。

写真=クラブの帽子を受けた新入クラブ員
2006年3月24日

市指定文化財、新たに10件
「平野屋区有文書」「多禰寺大般若経」など
 市教委は3月23日、3月定例教育委員会を開き、10件の文化財を新たに市指定文化財に指定した。市民が大学と連携して調査研究した「平野屋区有文書」、地元に伝わる文化財を地域の人たちの手で調査し修復した「多禰寺大般若経」「河辺八幡神社大般若経」などが含まれたのが、今回の特徴となった。  市文化財保護委員会(山内恙児会長)の答申を受け、指定を決めた。今回の指定で市指定文化財の総件数は90件。新たな10件の内、建造物は安岡13仏笠塔婆(安岡区)、彫刻は木造金剛力士立像(松尾寺)、古文書は平野屋区有文書(平野屋自治会)、典籍は多禰寺大般若経(多禰寺)と河辺八幡神社大般若経(同神社)、歴史資料は河辺八幡神社棟札群16枚(同神社)と明倫小学校関係資料(舞鶴市)、黒漆塗縦矧(たてはぎ)5枚胴具足(同)、考古資料は浦入遺跡出土の丸木舟(同)、庭園は松尾寺庭園(同寺)。  この内、仏教最大の教典である多禰寺の大般若経は、地元の郷土史家、真下克己さんが約600巻を8年がかりで調査し、前後編の報告書を1997年と2002年に刊行した。多くが平安から鎌倉時代に書き写されて、いくつかは丹波地方の複数の寺院を経て多禰寺にもたらされたことを明らかにした。  また、大浦地区の村々から寄進・修復され、五穀豊穣などを祈願する民俗行事の中で伝えられ、信仰の厚さも知ることができた。さらに昨年12月から今年にかけ、地元の大浦歴史研究会のメンバーたちが、傷みの目立つ大般若経を修復するなどし、後世に伝えようと取り組んだ。

写真=大切に地元に伝えられた多禰寺の大般若経
フジ子・ヘミングさんの絵画展
作品に言葉添え、4月2日まで「サンムーン」
 耳に障害を持ち、波乱の道を歩むピアニスト、フジ子・ヘミングさんの絵画展が、浜のギャラリー・サンムーンで開かれている。演奏のかたわら、子供のころから絵を描き続け、人生や恋愛などを独特の感性で表現している。人生を見つめたヘミングさんの数々の言葉が作品に添えられ、見る人の心にしみこんでいく。4月2日まで。  ヒトラーの時代のベルリンに生まれ、日本人ピアニストの母と5歳から日本で暮らした。ウィーンで指揮者のレナード・バーシュタインの援助を受けるが、コンサート直前に左耳の聴力を失った。右耳はすでに16歳で聞こえなくなった。  ピアノから離れ、左耳は40%まで回復するが、ドイツなどで約20年間放浪生活を送った。帰国した日本で小さな演奏会を続け、その様子がNHKで放映され大きな反響を呼んだ。リストの「ラ・カンパネラ」を収めたデビューCDが異例の大ヒットに。苦難を乗り越えた魂の音楽家とし称賛を受ける。  独特なタッチと色使いで花や人物などを描いた作品約30点が並び、失意と極貧をなめ尽くし、そこから音楽を取り戻した人生が重なる。猫を描いた作品横には、「不幸せになって初めて誰が本当の友だったかが、はっきりする」という言葉が掲げられている。午前10時〜午後7時。火曜休み。入場無料。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。

写真=独特の感性で表現し、数々の言葉が作品に添えられたヘミングさんの絵画
2006年3月22日

五老岳の花回廊、ハイキング道にも
舞鶴・舞鶴東RCがレンゲツツジ植樹
 五老岳の花回廊づくりに取り組む舞鶴ロータリークラブ(神原康夫会長)と舞鶴東ロータリークラブ(稲田尚会長)は、共楽公園から五老岳山頂までのハイキング道も花回廊にしようと、3月18日、余部上の中舞鶴小学校前の道で、レンゲツツジ100本を植樹した。同校の児童や地元の人たちも協力した。国の近畿自然歩道になっているハイキング道2.5キロを、今後5年かけてツツジを敷きつめる。  両クラブは社会奉仕活動の1つとして、多数の観光客が訪れる五老岳で花の回廊づくりをと、2000年に事業をスタート。五老岳ドライブウエー登り口から山頂までの約3キロの道路沿いと、頂上散策路に順次取り組み、これまでに6500本のカバレンゲとキレンゲを植えた。  今回からは山頂につながるハイキング道に花回廊を伸ばすことにした。環境省の近畿自然歩道でもあり、共楽公園から3.1キロのコース。この内、花回廊は中舞鶴小前の道を起点にする。この日は児童3人のほか約20人が、道沿いにレンゲツツジを植えた。5月の連休後に橙や黄色の花を咲かせる。  花回廊事業の実行委員長の西村敏弘さんは「五老岳がより一層憩いの場になるように、地域の方々と協力して取り組んでいきたい」と話していた。

写真=中舞鶴小児童も参加してレンゲツツジを植える
桜の風景取り戻したいと山桜植樹
岡田下小裏山の桜ケ丘で地元の人と6年生
 久田美の岡田下小学校(木下きく枝校長)裏山の桜ケ丘で、昔のような桜の風景を取り戻そうと、地元の人たちと6年生らが3月16日、30本の山桜の植樹に取り組んだ。下草刈りなどをして桜を守るお年寄りたちが、子供たちに桜を大切にしてほしいと植樹を呼びかけた。6年生12人が卒業の記念にと、若木に土をかける作業をした。  同校の裏山は戦前のころ、春には一面に咲く桜の名所だった。「桜ケ丘」の名は校歌にも出てくる。戦後は山の手入れがされなくなり桜はいつしか枯れ、当時の桜はいまグラウンド周辺に残るだけとなっている。  昔の様子を知るお年寄りらが桜ケ丘を復活させようと、1991年から5回にわたって計200本のソメイヨシノなどを植樹。「ボランティア桜ケ丘公園部」を組織し、春と秋の2回、下草刈りなど世話を続けた。花は咲くようになったが、咲き具合がいま一つだった。  児童らもこの丘を遊び場所にするなど親しみを持ち、今回初めて植樹を一緒に取り組んだ。同部が20本を購入、残る10本は府森と緑の公社の提供を受け、6年生12人と同部の6人が作業をした。同部部長の山崎定雄さん(71)=志高=は「子供たちが大人になっても桜を守ってくれれば」と期待をかける。6年生の南亜里さんは「植えた桜が大きくなり、いつか花見ができれば」と話していた。

写真=卒業記念に植樹する6年生らと地元の人たち
2006年3月17日

4月から施行、障害者自立支援法
考えるフォーラムで不安な思い訴える
 4月から施行される障害者自立支援法について考えるフォーラム(まいづる福祉会など主催)が3月12日、南田辺の西総合会館で開かれた。愛知淑徳大学の谷口明広教授が、難解な支援法の具体的内容などを解説、また作業所を利用する障害者や保護者たちがリレーディスカッションし、施設で働くために賃金以上の利用料を支払わねばならない支援法は自立につながらないと訴えた。  障害者がホームヘルプなどのサービスを利用した場合、これまで所得に応じて自己負担していたが、国の障害者自立支援法では、サービス量に応じて原則一割負担となる。障害者には負担増になるとして、関係団体が反対し、京都府では負担を緩和する独自の制度を三年間実施する。  この日は会場一杯の約250人が来場。谷口さんはサービスの地域間の格差をなくすなどの支援法の狙いや、障害程度区分の判定の聞き取り調査で、調査員が何を記入しているのか確認が必要と助言した。  続くディスカッションでは、まいづる作業所に通いグループホームで生活する娘を持つ母親が、「お金がないと福祉サービスを利用できない。これ以上苦しめないでほしい」と切実な思いを述べた。ほのぼの屋で働く障害者は「支援法では地域で安心して暮らす当たり前の願いが叶えられず、納得いかない」と語った。  まいづる作業所施設長の新谷篤則さんは「障害者が月5000円の賃金を得るため、1〜3万円の利用料の負担が生じる。障害者に重い負担となるだけでなく、施設側もこれまで以上に厳しい運営を強いられるが、サービスの現状維持と給料アップを図り、施設利用の断念者を出さないようにしたい」と話した。

写真=難解な支援法の内容を解説する愛知淑徳大の谷口教授
4月2日まで丹後郷土資料館で企画展
写真で昭和30年代の川べりの暮らしなど
 この写真の風景はどこ? 宮津市国分の府立丹後郷土資料館で、郷土史家の故中嶋利雄さんが撮影した昭和30年代の丹後の写真が展示されている。その中の1点は川べりの民家とその暮らしの様子が写っており、場所は舞鶴らしいと思われる。この風景に心当たりのある人を探している。  福井小学校などで教師をした宮津市喜多の中嶋さんは、舞鶴市文化財保護委員を務めるなど多くの研究を発表した。2002年に90歳で亡くなったが、残された膨大な写真フィルムが同館に寄贈された。  今回はその中から丹後の生活に関わる貴重な写真106点を展示。舞鶴で撮影されたものも多い。川べりに暮らす様子を伝えるこの写真には石垣を組んだ岸、ふとんを干す姿、土蔵などが見える。前後のネガから舞鶴らしいと判断できたが、詳しい場所までは特定できなかった。土蔵から高野川かもしれないが、現在は写真のような石垣は残っていない。
 問い合わせは同資料館(電話0772・27・0230)か、市民新聞社(電話78・2055)ヘ。写真展は4月2日まで。月曜休み。

写真=ふとんを干すなど川べりの暮らしを伝える写真(故中嶋利雄さん撮影)
2006年3月14日

地元の人ら5メートルの「幻の滝」写真に
城屋の山中、大蛇退治伝説の舞台近く
 夏の夜の奇祭で知られる「揚松明」が行われる城屋で、祭りに結びついたとされる大蛇退治の伝説の舞台の「蛇ケ池」近くの山中に、約5メートルの高さの滝があることが分かり、探索した地元の人が写真撮影をした。城屋でもごく一部の人しか見たことがなく、「幻の滝」とされてきた。  滝を見たことがある地元の堀田信行さんの案内で、3月7日、坂根正喜さんらが綾部との市境近くの蛇ケ池と滝の探索に出かけた。車で府道物部西舞鶴線の奥城屋の突き当たりまで行き、そこから徒歩で人が入らない山道を木を払いながら進み、池ケ谷と呼ばれる場所に到着。  さらに奥の蛇ケ池を目指し歩くと、「ゴウゴウ」と流れ落ちる水音が聞こえてきた。歩き始めて約2時間かけて目的の滝を見つけた。市内の滝では真倉の不動の滝が知られるが、「それよりも高いかもしれない」という。坂根さんがカメラで撮影した。  城屋に伝わる伝説では、弘治2年(1556)、女布に住む一色家の家臣森脇宗坡(そうは)の娘が、隣村の志賀郷(綾部市)に嫁いでいたが、登尾峠を越えて里帰りの途中、蛇ケ池に棲む大蛇に襲われ命を落とした。その大蛇の頭部が城屋の雨引神社に祀られ、神社の祭礼として毎年8月14日に揚松明が奉納されている。

写真=高さ約5メートルの滝(坂根正喜さん撮影)
西高生がフィリピン地滑り被災者の支援へ
3月18・21日、フリーマーケット
 2月にフィリピンで発生した地滑り災害の被災者を支援しようと、西舞鶴高校(北野茂校長)は義援金の募金活動として、3月18日と21日の両日、円満寺の西市民プラザふれあい広場で、西高フリーマーケットを開催する。西高生徒会とボランティア部、美術部などの生徒が協力し、被害の様子を伝えたりクッキーやポストカードなどを販売。当日ミサンガ作りの教室も開く。来場を呼びかけている。  2月17日にフィリピンのレイテ島で大規模な地滑りが起き、救出作業が難航し、いまも約1000人が行方不明とされている。西高生徒会と各クラブは、1昨年の台風23号と昨年のパキスタン地震の被災者を支援するため、2年続けてゑびす市で募金活動に取り組んだ体験をもとに、今回も義援金を送ることにした。  生徒会とボランティア部、料理部、美術部、写真部、手芸部、商業科の生徒たちが3月10日から準備を開始し、調べた被害の様子を写真や文章で紹介したパネルを作成したり、出品する作品づくりをした。両日は真名井の清水で作ったコーヒーやイラスト作品などを販売し、タオルのぬいぐるみ作りも体験できる。ミサンガ作りは小学高学年以上が対象で当日予約を。  フリーマーケットでは雑貨などを販売する。不要品があれば提供の協力も呼びかけている。生徒会会長の品田裕美さん(2年)は「日ごろの活動の発表も兼ねて、手作りのボランティアに取り組みます。高校生ならではの活動に協力をお願いします」と話していた。収益金は市を通して被災地に送る。両日とも午前10時半〜午後2時。
【問い合わせ】電話75・3131、西高。

写真=被害を伝えるパネルを作る生徒会の役員たち
2006年3月10日

写真で神崎ホフマン窯の煉瓦づくり風景など
4月2日まで「府立丹後郷土資料館(宮津市)」
 舞鶴市文化財保護委員などを務め、2002年に90歳で亡くなった宮津市喜多の郷土史家、中嶋利雄さんが撮影した膨大な写真フィルムの中から、昭和30年代の白黒写真を展示した企画展が、宮津市国分の府立丹後郷土資料館で開かれている。その中には、国登録有形文化財の神崎ホフマン窯(西神崎)で、人が煉瓦を製造したり運搬する風景を撮影した同31年ごろの写真が並ぶ。工場内の作業の様子を伝える写真は今回が初めての公開で、貴重な記録となっている。  由良川中学校などに勤務した中嶋さんは、舞鶴市史専門委員として市史通史編(上)で中世の執筆を担当、被差別部落の歴史を解きあかした。宮津市文化財保護審議会会長も務め、丹後の中世から近代にかけ、雪舟天橋立図などを研究した。  その傍ら写真撮影にも力を入れ、1954年から丹後の生活や祭りなどにカメラを向け、70年以降は文書などの撮影に関心が移った。膨大なフィルムが残されたが、家族から寄贈を受けた同館が、その中から丹後の風景や暮らしなどに絞って、「中嶋利雄の見た丹後」を企画、A3サイズなど106点を展示した。  神崎ホフマン窯に関するものは4点。3人の女性が生乾きの煉瓦の面取りをし、その後方には積み上げられた煉瓦にこもが被せられる。さらに、工場内に荷物を運搬するために敷かれたレールの上の台車を引っ張る風景、瓦を積んだリヤカーを押す青年の姿も写る。撮影は五六年ごろで、煉瓦製造を中止した58年の直前の様子が分かる。  1897年に登り窯として建設され、大正末期にホフマン式輪窯(りんよう)に改造し、製造された煉瓦は旧海軍鎮守府の施設建設に使われた。高さ約24メートルの主煙突などを備える。赤煉瓦の町・舞鶴のシンボル的存在となるが、小型煙突は半数以上が半倒壊し、主煙突にもひびが入る。現在は舞鶴文化教育財団の理事が所有する。  窯の保存運動に取り組むNPO法人・赤煉瓦倶楽部舞鶴の松井功理事長は「過去にはあまり写真の調査は行われておらず、今回のように人が作業したり、運搬用レールや建物などの具体的な姿を伝える写真は初めてで、窯の歴史を知る上で貴重な記録になる」と話していた。

 企画展では「暮らし」「学校」「台風・豪雪」など10テーマで、写真が現像風景のように吊り下げられる。伊根の青島を背景に船から海に飛び込む子供、59年の伊勢湾台風による由良川洪水で、家の屋根に登る子供などを捉えている。舞鶴の風景では、吉原入江を木造小型和船(トモブト)を櫂で漕いだり、由良川中でのフォークダンスをする生徒の一コマがある。  同館資料課長の井之本泰さんは「カットごとに何を表現したいのか狙いが明確。単に懐かしいというのでなく、いろんな問題をはらんでいた昭和30年代の暮らしのひだを、中嶋さんの目を借りて見てもらえれば」と話していた。寄贈フィルムはいまも整理中で、今後シリーズを企画する。4月2日まで。午前9時〜午後4時半。大人200円。月曜休み。
【問い合わせ】電話0772・27・0230、同館。

写真左=作業する女性とこもを被せて積まれた煉瓦を写した写真
写真右=吉原入江を木造のトモブトに乗ってを櫂を漕ぐ(2枚とも宮津市の郷土史家・故中嶋利雄さん撮影)
酒米栽培と仕込水に名水使い「純米吟醸 大杉」
NPO法人・名水の里杉山が地酒販売始める
 杉山地区の名水「大杉の清水」を保存・活用する事業に取り組む地元住民でつくる特定非営利(NPO)活動法人「名水の里杉山」(潮見清重理事長)が、名水を酒米栽培と仕込水に使用して製造した地酒「純米吟醸 大杉」が出来上がり、このほど販売を始めた。  「純米吟醸 大杉」は、昨年春に同地区の棚田50アールに酒米「五百万石」を作付けして、大杉神社から湧く「大杉の清水」を引水して栽培。収穫した約1トンの酒米と清水を仕込水に使って、宮津市のハクレイ酒造に醸造を依頼して出来上がった。潮見理事長は「のどごしのさわやな飲み口の酒で、女性にも好評です。これからも酒造りに取り組みたい」と話している。  720ミリリットル瓶3100本を販売。ラベルの「大杉」の文字は、松尾寺の松尾心空住職が揮毫した。価格は1本1800円(税込)、化粧箱入り2本3600円(同)。
【問い合わせ】電話63・9620、名水の里杉山事務所。

写真=販売を始めた地酒「純米吟醸 大杉」を持つ潮見理事長
2006年3月7日

国道27号「桜街道づくり」綾部市まで延伸
モナミゼミ、ソメイヨシノ80本植樹
 舞鶴市から京丹波町の国道27号線の「桜街道づくり」に取り組む、まちづくりを考える市民グループ「モナミゼミ」(今安隆之会長)は3月5日、綾部市八田地区などでソメイヨシノの若木80本を植樹した。平成10年から京田、真倉地区で植樹を始め、その活動の輪は綾部市にも広がり、この日も同市内のグループと一緒に植樹を行った。  桜街道づくりは、平成九年の舞鶴市主催の「都市デザイン賞」の提言部門で、同ゼミのメンバー、田中俊樹さん(62)の「桜街道づくり」が受賞。国道27号線の舞鶴市から京丹波町までの延長約50キロを桜街道にしようとする構想で、この受賞を契機に、同ゼミでは構想実現に向けて植樹を始めた。  計画では、綾部市、京丹波町の地域住民と協力して、約1000本を植樹する。この計画に沿って、平成12年からは綾部市白杉地区の市民グループ「白杉の会」、昨年からは山家地区の同「山家さくら会」も加わり、合同で植樹に取り組んでいる。  植樹開始から9年目を迎えた今年は、綾部市の八田、山家地区で植樹を行った。八田地区は、日東精工八田工場の国道27号沿いの斜面にモナミゼミと「白杉の会」のメンバーに、同工場の社員も加わり約30人が植樹。また、山家地区でも「山家さくら会」のメンバー約20人が植樹した。  植樹したのは、ソメイヨシノの高さ約2.5メートルの若木。綾部市花と緑の公社と財団法人都市緑化基金の「花王みんなの森づくり活動助成」から提供された。八田地区では、メンバーらは斜面に穴を掘って若木を植え、大きく成長するようにと副木の杭を打ち込んでいた。  桜街道づくりでは、今年を含めて580本を植樹した。田中さんは「よくここまで来たものと思う。これもゼミのメンバーや綾部市の地域の皆さんのお陰です。あとは京丹波町の地域の皆さんに呼びかけて桜街道を完成させたい」と話していた。

写真=日東精工八田工場の斜面に植樹する参加者=綾部市八田地区
五老岳を紅葉の新名所へイロハモミジ植樹
西高11回卒業生の同窓会「たつみ会」
 五老岳山頂に舞鶴の新名所をつくろうと、西舞鶴高校の11回の卒業生でつくる同窓会「たつみ会」(秋保洸二会長)が3月5日、同山頂第1駐車場西側の山に、イロハモミジの苗木200本を植樹した。市が景観を妨げていた雑木を伐採した跡地に、今後も数年植樹を続ける予定で、秋には美しい紅葉で観光客を迎え、同窓会を開く夢を語りながら作業に取り組んだ。  西高11回生は昭和34年卒業の400人。辰年と巳年生まれにちなみ「たつみ会」と名付けた。04年に45周年記念式典を同山頂のかんぽの宿舞鶴で開き、宿そばの第1駐車場近くに桜の苗木一本を植えた。その際、同駐車場西側は樹木が伸びて、西湾の景色を眺めることができないのに気づき、近畿百景第1位の五老岳の眺望を取り戻そうと、市に伐採を陳情。昨年11月に伐採が行われ、同会メンバーも空き缶拾いなどに取り組んだ。  その跡地に紅葉の新名所づくりを呼びかけ、メンバーから1本500円の募金を集め、京都嵐山と同じ種類のイロハモミジ200本を準備した。この日は地元の約20人のメンバーがプロの造園家のアドバイスで、高さ約1メートルの苗木を山の斜面に穴を掘って植え、支柱にひもで結んだ。空き地に今後も植えていき、手入れも取り組む。5、6年先には美しい紅葉を見ることができる。  秋保会長(65)は「将来は若い西高OBにも植樹の和が広がり、数年後にはみんなで紅葉狩りを楽しみたい」と話していた。

写真=モミジの苗木を植える「たつみ会」メンバー=山頂第1駐車場西側
2006年3月3日

日星高卓球部上田選手(1年)
ろうあ者の全国大会初出場で優勝
 上安久の日星高校卓球部1年の上田萌選手(16)=浜=が、2月25、26日に春日井市で開かれた第28回全日本ろうあ者卓球選手権大会に初出場で優勝した。聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」の元金メダリストの選手を破って、念願の日本チャンピオンに輝いた。「ハンデイがあってもなくても、みんな同じだということを証明したい」と卓球を続け、2009年のデフリンピック出場の夢に大きく近づいた。  大会には14人が出場し、上田さんは主催者の推薦で聴覚障害者の大会に初めて臨んだ。健常者と違って球の変化にクセがあり、慣れるのに時間がかかり予選リーグの初戦を落とした。次の相手はこの大会で7年連続優勝し、04年のデフリンピックで個人・複・団体で銀の小浜京子選手(大阪府)だった。2セットを先取されたが逆転勝ちし、波に乗って6連勝して予選を1位通過。  4人による決勝は、1セットしか落とさず3戦全勝で優勝した。今大会は次のデフリンピック(開催国・台湾)の代表選考会も兼ね、上田さんは代表に近づいた。「小浜さんに2セット取られたけれど、競っていたので3セット目は必ず取ろうと思った。目標の優勝ができてうれしい」と笑顔を見せた。  生まれつきほぼ両耳が聞こえない上田さんは、5歳から卓球を始めた。小学6年で全日本選手権ベスト8入り、白糸中時代は単・団体で全国大会に出場。日星高でも昨年は先輩の植山実穂選手とのダブルスで高校総体、今年1月には全日本選手権に聴覚障害者の高校生として初出場した。ラケットに当たる球の音で回転などを聞き分けるため、音が聞こえないのはハンディになるが、小さなころから卓球に親しむことで克服し、独自の感覚を身につけた。  上田さんは「ラリーをすることは友だちと話をしているみたいで、ラリーを続けたくて練習をしてきました。私が頑張ることで聞こえる人にも聞こえない人にも勇気を感じてもらえれば。夢はデフリンピックで世界チャンピオンになること」と話す。同部監督の谷上宏樹教諭は「次のデフリンピックの日本代表チームの中心選手と期待されている」とその成長を見守っている。

写真=「夢はデフリンピックで金メダル」と話す上田さん
卒業研究で3DCG動画の空間デザイン
高専の渡邊さん、しおじ浜地区テーマに発表
 海岸に接したしおじプラザと隣接する浜地区について、舞鶴高専建設システム工学科5年生の渡邊健志さん(20)が卒業研究のテーマとして取り組み、3DCG(3次元コンピューターグラフィックス)による動画(アニメーション)の空間デザインを作成した。舞鶴をイメージした親水性や安全性などに配慮した公園などを視覚的に提案する。まちづくりの参考につながればとしている。  潮路通り沿いの同プラザと浜一帯は、整備が検討されており、まちづくりに関わる市民から、この地域のアイデアを提案してほしいとの要望を受け取り組んだ。3DCGを使って視覚的なデザインを作ることで、行政と市民が意見交換しやすい材料になると考え、1分間の動画とA4判30ページの論文にまとめた。  しおじプラザの現状を水辺の利点がうまく活用できていないと分析。開放的で安全な空間▽海の活用などをデザインのコンセプトにし、しおじ全体を港のイメージで組み立て、陸側に海水を引き込んだり、護岸を階段状にした。また、公園の噴水周囲にブロックを置き、潮の干満によって見え隠れする工夫をした。続く浜に鶴をイメージした庭を作る。  昨年11月、市職員と市民からこの提案に対する意見を求め、舞鶴らしいアイデアやリピーターを増やす施設などがほしいとの課題を受け、改善案を作成した。新たに噴水の周囲のデザインをリアス式海岸の舞鶴の地形をイメージし、歩道側に商業スペースの店舗を設置。護岸に転落防止柵を作るなどした。  渡邊さんは「アイデアを具体的な形にするのが難しかった。背景の景色を取り入れる課題が残った」と話している。指導教官の高谷富也助教授は「舞鶴のまちづくりに関する卒業研究は増えている。今回は自分のアイデアをしっかりを出した研究になっている」と評価していた。3月13日に舞鶴TMOの会合で発表する。

写真左=パソコンで公園を描く渡邊さん
写真右=海水を引き込んだ噴水と商業スペースの3DCG画像
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