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2011年5月31日

青森舞台の映画上映で被災地支援
東北の映画館、震災で公開ピンチを受け
八千代館で6月11日から、収益の一部を義援金に
「津軽百年食堂」 オリエンタルラジオ、福田沙紀ら出演
 青森県弘前市を舞台にした映画「津軽百年食堂」(大森一樹監督)が、東北各地の映画館で公開予定だったが、東日本大震災で被災したため上映のピンチに立ったのを受け、映画製作に関わった舞鶴のシマフィルム(志摩敏樹代表)が、被災地の支援にと運営する浜の八千代館で6月11日から上映することを決めた。津波で変貌する前の東北の美しい風景が、スクリーンに映し出されている。配給収益の一部が復興に役立てられる。  弘前に4代、100年続く津軽そばの食堂が舞台。4代目の若い陽一は父との確執から東京で暮らすが、故郷への複雑な思いに揺れていた。しかし、祖母や東京で知り合った同郷の七海によって、陽一の気持ちも変化してゆく。父の交通事故で帰省する中、さくらまつりの日を迎える。出演はオリエンタルラジオの藤森慎吾と中田敦彦、福田沙紀ら。  映画は全編を青森でロケ撮影しローカル色豊かに作られた。震災の比較的被害が少ない弘前市内が主だったが、津波で大きな被害を受けた八戸市内も一部含まれる。東北全体を盛り上げる映画にと岩手や宮城などの企業も協力。また、シマフィルムが出資する企画会社「LIBエンタテインメント」が、製作委員会の主メンバーとなり支援した。  4月からの公開予定を控え、キャンペーンをスタートさせた翌日に震災が発生したため、配給会社が関西圏の映画館に上映を打診。製作委員会も東北に支えられ完成した映画だからこそ上映を通して支援をと、配給収入の一部を義援金にあてる。兵庫在住の大森監督も阪神・淡路大震災で被災している。  八千代館で6月11日〜24日上映する。同館は「被災地支援のため多くの人に見てほしい」と来場を呼びかけている。上映時間は@午後1時5分A同3時15分B同6時。
【問い合わせ】電話62・3583、同館
写真=映画の1シーン(2011「津軽百年食堂」製作委員会提供)



パシフィックウエーブ
寝たきりの人ら支えたい
床ずれ防止用クッション材
気仙沼市の被災者へ無償提供
 新素材のクッション材「ジェルトロン」の製造販売をする京田の「パシフィックウエーブ」(田中啓介代表)が、東日本大震災の被災地の宮城県気仙沼市で寝たきりの人たちを支援する医師たちに向け、床ずれ防止用のマットレスなどを無償で提供するため、5月27日に発送した。在宅で療養する人たちの元に届けられる。  宇宙船内用の衝撃緩衝材の研究からできた立体構造ジェルを独自に改良して開発したジェルトロンは、耐圧分散性などに優れ、介護用ベッドのマットレスなどが床ずれ防止に効果を発揮し、10万人以上の利用実績を上げている。  介護を受ける被災者の支援にと、田中さんが大阪市内の福祉機器展示会で無償提供を呼びかけたところ、知人を通して紹介を受けた愛媛県の永田康徳医師が田中さんに依頼。永田さんは気仙沼市で在宅患者の巡回療養支援の活動に参加している。  用意したジェルトロン商品(1,350万円相当)の内、第一陣として7分の1のマットレス10台、車椅子用クッション10枚、パッド10枚を発送。床ずれの心配がある在宅療養者44人に届けられる。田中さんは「療養者だけでなく、介護する家族の負担の軽減にも役立てば。他の被災地で床ずれで困っている人がいれば提供したい。情報があれば寄せてほしい」と話す。
【問い合わせ】電話75・0654、同社
写真=発送したマットレスなど


2011年5月27日

南米でサッカー武者修行
竹辺くん(朝来小3年)
父の母国パラグアイで
プロクラブのU―10でキャプテン
MFで得点決め準優勝に貢献
 南米パラグアイのプロサッカークラブのジュニアチームに、朝来小学校3年生の竹辺榛里(しんり)君(8)=朝来中=が、昨年4月から今年1月にかけてサッカー留学をした。チームではキャプテンを務め大会の準優勝にも貢献。父親の母国で武者修行した経験を、いま所属するフットサルチームで友達にも伝えている。将来はプロ選手を目指し練習に励んでいる。  パラグアイ出身の父、エイジさんを相手にボールで遊び、5人制サッカーのフットサルを5歳から始めた。エイジさんは中学生のころ一家で日本に移住後、母国のプロサッカー選手を経て、日本のフットサルリーグの全国大会で優勝もした。  そんな父親からパラグアイでのサッカー留学を勧められ挑戦した。プロクラブのU―10(10歳以下)のチーム「エスポルティポ・タジャスアペ」に、その実力が認められ入団。エイジさんの祖母宅に滞在しながら練習に参加した。スペイン語が分からず苦労したが、徐々にチームメイトにも溶け込んだ。  走り込みやリフティング、ボールのキープなどの練習に明け暮れ、最初はうまいと感じていた地元の選手たちに追いつき、ミッドフィルダーとしてスタメンで出場しゴールを決めた。次第にチームの信頼を得てキャプテンを任され、トーナメント大会で準優勝までした。  帰国後、フットサルクラブなどで練習を続けるが、「テクニックとキック力がついた」と友達らが評する。海外のチームでもまれたことで、「自分のことは自分でできるようになり、落ち着いて周囲を見て人にアドバイスもできるようになった。チームにいい刺激を与えています」とエイジさんは息子の成長を感じている。  榛里君は「留学してとても楽しかった。またパラグアイでサッカーをしてみたい。将来はゲームを作って点も取れる選手になりたい」と夢を膨らませている。
写真左=帰国後、フットサルの練習に励む竹辺君
写真右=所属したチームが大会で準優勝した。後列右から3人目が竹辺君


被災地へ必要な支援継続を
第2陣派遣前に
ボランティア報告会
 被災地で支援活動をしたボランティアらによる報告会が5月24日、余部下の中総合会館であり、舞鶴災害ボランティア支援センターの石橋裕志副センター長が、福島県いわき市に入浴施設を設置した活動を来場した約40人に報告した。  京都府災害ボランティア支援センターの被災地への第2陣の派遣を前にした研修会に合わせ、舞鶴の支援センターが開催した。  4月29日〜5月2日、第1陣として福島県郡山市の避難所で活動した大槻秋夫さんは、福島第1原発から20キロ圏内から避難する川内村の住民たちの、先が見えない不安な様子を語り、「風評被害に対し福島の観光や農産物の応援もしたい。現地に行く人は被災地の様子を目に焼付け、周囲に伝えて」と述べた。  石橋さんはいわき市の住民の要請で、ユニットバス二基やせっけんなどをトラックで運び、4月28日に設置した。がれきの撤去なども進まず、食糧やボランティアも少なく原発の風評被害で支援が行き届いてない状況を紹介し、「今後も必要な支援を続けたい」と語った。
写真=お風呂の設置活動を話す石橋さん


2011年5月24日

細川佳代子さんが女武者姿で初参加
第20回まいづる
細川幽斎田辺城まつり
家族連れら1万5千人でにぎわう
雨天の中、西地区商店街で盛大に
旧城下町に
「麝香」と「ゆうさいくん」
 第20回まいづる細川幽斎田辺城まつり(同実行委員会主催)が5月22日、雨天のため円満寺の西市民プラザで開かれ、家族連れら約1万5千人の人出でにぎわった。 旧城下町・西舞鶴地区の伝統文化の継承と地域活性化をめざす恒例のイベント。今回は20回を記念して、田辺城を築城した細川幽斎の子孫で、細川家18代当主の細川護煕元首相と妻の佳代子さんが初めて参加した。  細川元首相は、同21日の前夜祭のみの参加だったが、佳代子さんは、イベント恒例の「鎧武者御城下大行列」に加わった。女武者の衣裳で幽斎夫人の「麝香」に扮して、先頭を歩き、途中、舞鶴商工会議所青年部の製作したイメージキャラクター「ゆうさいくん」の着ぐるみと対面する場面もあった。  大行列では、市内の幼・保育園児の可愛いちびっこ武者や鎧兜を身につけた勇壮な武者が、西地区商店街を練り歩いた。  このほか、明倫小児童のソーラン踊り、和太鼓や吹奏楽の演奏などのほか、府登録無形民俗文化財の「神崎の扇踊」が披露された。
写真左=「ゆうさいくん」の着ぐるみと幽斎夫人の「麝香」に扮した佳代子さん
写真右=明倫小児童のソーラン踊り


田辺城まつり前夜祭
細川夫妻、鎮魂と復興願う
 田辺城まつりの前夜祭が5月21日、南田辺の舞鶴公園で開かれた。細川幽斎の子孫にあたる細川護煕元総理と佳代子夫人が来鶴、園児たちが描いた絵灯籠の点火式を行い、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興を来場者とともに願った。公園には200基の絵灯籠が並んだ。  続いて、国の重要無形民俗文化財「松尾寺の仏舞」が公園のステージで演じられ、夕闇の中で金色の仏面が一層輝きを放った。細川夫妻らは公園を訪れるのに先立ち、市民約120人と舞鶴グランドホテルで夕食も過ごし交流した。
写真=絵灯篭に点火する細川夫妻


料理教室「ル・セルネ」がオープンガーデン&カフェ
得意の料理で被災地支援
高橋さんと生徒たち収益金を
 料理教室を主宰する高橋万里子さん(62)と教室生たちが、料理を通して東日本大震災の被災者を支援しようと、5月21日、森の「ル・セルネ」でチャリティーイベント「オープンガーデン&カフェ」を開いた。庭を楽しみながらテラスなどで食事をしてもらい、手作り品も販売した。収益金を被災地に送る。  料理好きな高橋さんは、雑誌「家庭画報」の料理コンテストで入賞した。料理と食で人との出会いの場をつくろうと、自宅隣のログハウスで約24年前料理教室「ル・セルネ」を始めた。家庭料理を基本に和・洋・中の料理を指導してきた。  2009年に料理本を自費出版した後に充電のため教室を2年間休んでいた中、震災の発生を受け市民らが義援金を送るため4月にフリーマーケットを企画し、高橋さんも料理の腕を活かして協力したことがきっかけで、教室を再開するとともに、自分にできる支援をとイベントを考えた。  ランチとケーキを提供するため、生徒たちの協力も受け準備に取り組んだ。ランチに参加した40人が、様々な花が咲く庭を見ながらテラスなどでフレンチを楽しんだ。 また、知人らが手作りパンや花の苗なども販売し、多くの市民が来場した。  高橋さんは「みんなで1つに力を合わせることで、支援ができればと思いました」と話す。食事料金の収益金と入場料100円の計20万円を義援金として、難民を助ける会を通して被災地に役立てる。
写真=テラスで食事を楽しむ参加者と話す高橋さん


2011年5月20日

手作りトートバッグ贈る
洋裁教室と洋服リフォームボランティア
NPO通して震災被災地へ
「大切なものを入れて持ち歩いて」
約2週間で51個製作
 洋裁教室と障害者のための洋服リフォームのボランティアグループのメンバーたちが、東日本大震災の被災者に使ってもらうため、トートバッグづくりに取り組んだ。完成した51個は、依頼をしたNPO法人難民を助ける会(本部・東京都品川区)を通して被災者に届けられる。  被災地で支援活動を続ける同会に、「物資や身の回りのものを入れるバッグがなく不便」との声が寄せられたことから、手作りのトートバッグの提供を全国に呼びかけていた。被災地に義援金を送るため、市民たちが四月に開いたフリーマーケットで、クッションづくりを仲間たちとした吉田敦子さんが、舞鶴に在住する同会理事の鷲田マリさんから話を聞き協力した。  指導する洋裁教室の生徒たちとボランティアグループ「ピンクッション」のメンバーたち、三重県にいる妹にも協力を呼びかけ、5月から約2週間かけて製作した。生徒から提供を受けた生地を材料に、吉田さんや生徒が独自にデザインし、ベージュや黒などをベースにした2種類の大きさの和風のバッグを仕上げた。中には元気が出るようにと、オレンジ色の生地を使ったものもある。  完成したバッグは同会に集められ、絵本「地雷ではなく花をください」の主人公のウサギで、同会のイメージキャラクターのサニーちゃんのぬいぐるみストラップを付けて被災地に届けられる。  吉田さんは「みんなと一緒に取り組めたことに感謝しています。大切なものを入れるのに持ち歩いてもらえれば」と話していた。
写真=多くの有志が作ったトートバッグ


被災者への思いハートで伝える
日比野克彦さんが市民と「ハートマークビューイング」
まいづるRB 八島アートポートで
 東日本大震災の被災地にハートマークのタペストリーを届ける活動を始めた美術家の日比野克彦さん(52)が、まいづるRBと協力して5月15日、浜の八島アートポートでワークショップを開いた。参加した約30人の市民が日比野さんの活動報告を聞き、布で思い思いのハートを縫った。  日比野さんは避難所を心温まる空間にし、被災者のことを思う気持ちをハートの形で伝えようと、復興支援活動「ハートマークビューイング」を提案。正方形の布にハートマークの形にした布を縫いつけ、これらを複数つなげタペストリーにする。各地でワークショップを開き、5月5日〜8日にかけ岩手などの避難所で作品を届け、被災者にも作ってもらいながら交流した。  種船プロジェクトを舞鶴で取り組むことから、市民にも製作への協力を呼びかけた。子供たちも参加していろいろな色とデザインのハートを作った。今後、東地区商店街の夜の市でも実施する予定。参加方法はサイト(http://heartmarkviewing.jp/)でも紹介している。
写真=布でハートマークを作る日比野さん(右)と参加者(まいづるRB提供)


2011年5月17日

被災地の復興願ってエール
5月21、22日舞鶴公園
第20回まいづる細川幽斎田辺城まつり
ゆるキャラ勢揃いで応援、募金活動も
夕食会、武者行列 細川元総理夫妻も初参加
 20回目を迎えるまいづる細川幽斎田辺城まつりが5月22日、南田辺の舞鶴公園一帯で繰り広げられる。前夜祭の21日には幽斎の子孫である細川護煕元総理夫妻を囲んでの夕食会、松尾寺の仏舞の披露、22日は佳代子夫人が幽斎の奥方に扮して武者行列に参加する。また、東日本大震災の被災地の復興を願って、ゆうさいくんらゆるキャラが勢揃いして応援メッセージを送る。  城下町の歴史を持つ舞鶴で、町衆の伝統と文化を楽しんでもらうイベントとして、田辺城城門の再建を機に、西地区の住民たちが中心になって始めた。田辺城を築いた細川幽斎が、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの2カ月前、敵1万5千の兵に対してわずか500の兵で、城に籠城した史実を軸にまつりを展開する。  昨年、佳代子夫人が舞鶴で講演したのを縁に、幽斎の子孫である細川夫妻が初めて祭りに参加することになった。21日、舞鶴グランドホテルで市民と夕食をともにし、前夜祭会場の舞鶴公園を訪れる。復興を祈って園児が描いた絵灯籠200基が灯り、国指定重要無形民俗文化財「松尾寺の仏舞」が演じられる。22日は佳代子夫人が幽斎の妻の麝香に扮し、武者とともに行列に加わる。  また、今回は東日本大震災を受け被災地を支援しようと、夕食会の参加費の一部やまつり関係者から寄せられた義援金を被災地へ送る。当日会場でも募金箱を設置し募金を呼びかける。細川幽斎のイメージキャラクター「ゆうさいくん」ほか、地元のゆるキャラなど10体が集合し被災地へエールを送る。  前夜祭は午後6時50分から。22日は午前9時〜午後4時。小学生による講談籠城の一席、吹奏楽演奏、韓国サムルノリの演奏、府無形民俗文化財の神崎の扇踊り、よさこい踊り、物産展などがある。  雨天の場合は西市民プラザとマナイ商店街で一部のイベントが行われる。
【問い合わせ】電話75・0933、舞鶴商工振興会内の実行委員会事務局
写真=田辺城まつりをPRするポスター


5月22日、市政記念館で
法太さんチャリティーライブ
どん底から再起「次は自分が励ましたい」
音楽で被災者笑顔に
 東日本大震災の被災者を支援しようと、上安のシンガーソングライターの法太さん(45)が5月22日、北吸の市政記念館でチャリティーライブ「再生U」を開く。自身、プロとして活躍中に病気や家族の死など苦しい体験から再起したことから、音楽の力で被災者を少しでも笑顔にしたいと企画した。入場はカンパ制で収益は全額義援金に役立てる。  法太さんは仲間らとロックバンドを結成し、まいづる共同作業所で演奏したり、収益金を寄付するなどのボランティア活動に取り組んだ。プロデビューを果たしアルバムの発表やライブ活動で活躍した。  年間120回を超えるライブ演奏と曲づくり、ボランティアなど一挙に多忙を極めたことで、軽度の統合失調症を発病。同時に子供の死産や離婚も重なった。2年間治療に専念したことで体調が戻り、昨年復活ライブ「再生」を開いた。  苦しかった時、周囲の人と歌に支えられ乗り切ったことで、以前よりも目の前にいる人を励まし笑顔にしたいと強く思うようになり、震災後に発表したアルバムの収益金の一部を義援金として被災地に送る。  会員制のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)」で、福島から避難している被災者と知り合い、ブログで励まし合っている。  法太さんは「7年前に人生の被災者になったが今度は自分が恩に報いる番だと思った。歌を聴いてもらっている時間だけでも元気になってもらえれば。仏法の抜苦与楽(ばっくよらく)の精神でうたいたい」と話す。午後1時開演。長谷の村本敏さんの家族バンド、姉妹ユニットも出演する。
【問い合わせ】電話76・0390、バリアブレイカーズ
写真=ライブのPRチラシを手にする法太さん


2011年5月13日

思い出の場所で恩返し
日星高支えた、聖母訪問会の天台修道院で
元教諭や卒業生ら環境整備手伝う
シスターらの高齢を理由に定期的な取り組みへ
 日星高校の運営に関わり支えてきた聖母訪問会(本部・鎌倉市)の上安の天台修道院で、同高の元教諭や卒業生たちが敷地内の草刈など、環境整備の支援に今月から定期的に取り組むことになった。修道院に在住するシスター(修道女)たちの高齢化に伴い、広い敷地の手入れが難しくなったため。シスターたちと交流する関係者たちが5月7日、思い出の修道院の清掃に汗を流した。  聖母訪問会はかつての日星中学校、日星高校の運営母体となり、学校法人ヨゼフ学園の運営以後もシスターが校長を務めたほか授業も担当した。教師たちも修道院を訪れ生徒と一緒に活動したり、庭の桜で花見を楽しむなどしてきた。現在赴任する6人のシスターが修道院で活動、日星との関わりは減ってきたが学校でのミサには参加している。  長年シスターと交流を続ける日星高の山田達磨元教頭が、「高齢で畑もできなくなり敷地内も荒れてきた」と便りで知ったことから、お世話になったシスターたちに感謝の気持ちを表そうと、元教員や卒業生、学校を応援する市民グループ「ステラ ソル」に環境整備の支援を提案した。  1回目は12人が参加し、庭の花壇で草取りや庭木の剪定をした。日星高で英語教諭を務めた二谷淑子さんは「学校でのバザーに出すクッキーを修道院で生徒たちと一緒に焼いたりし、とても懐かしい場所。またここで花見ができるようになれば」と話す。  シスター田村さんは「私たちだけでは敷地の手入れが出来なくなってきたのでほんとうに感謝しています。こうしたつながりがあることをうれしく思っています」とお礼を述べていた。  山田さんは「息の長い活動にしていきたい。日星高の生徒や保護者たちにも輪を広げ、活動を通して新しい結びつきも生まれれば」と協力を呼びかけている。  毎月第1土曜日(雨天の場合は第2土曜)の午前9時〜正午に実施する。
【問い合わせ】電話090・1586・1367、山田さん
写真=庭の草取りに励む参加者たち


立体的なキルト並ぶ
パッチワーク「さくら草」の早川さん
「森のとけい」で初作品展 5月22日まで
 パッチワークキルト教室「さくら草」を主宰する早川喜代子さん(67)=上安久=の第1回作品展が、上安の森のとけいで開かれている。だれにでも簡単にできる技法で、アップリケを多用しシックでかわいい立体的な作品を展示している。5月22日まで。  早川さんは5年前から、高槻市のキルターズクラブ「花みずき」の貝田明美さんから指導を受け、アシスタントを務めた。昨年同市から出身地の舞鶴市に戻ってからも貝田さんの元に通いながら、自宅でも教えている。  グレイや黒などのシックな色の木綿を材料に、草花や人、動物などのアップリケを多用し、立体的に仕上げる。手間のかかるアップリケも、薄いふしょく布と固定ピンセットを使って簡単にできる。タペストリーや様々なバッグ、クッションなどが並ぶ。午前10時〜午後6時(最終日は午後5時)。入場無料。  6月からは森のとけいのイベントハウス「笑々(にこ)のかくれ家」で毎月第1、3木曜日、パッチワーク教室を開く。
【問い合わせ】電話76・1153、同店
写真=展示される作品と早川さん


2011年5月10日

新たなメディアで伝える
浮島丸事件追悼する会
紙芝居をDVDに収録
余江さん夫妻と元教員仲間が協力
上映、販売で多くの人へ
 浮島丸殉難者を追悼する会(余江勝彦会長)は、浮島丸事件を題材に昨年完成させた紙芝居をこのほどDVDに収録し、事件を伝える活動に活用している。大きな会場では、プロジェクターでスクリーンに上映するなど、視覚的に事件を具体的に説明するのに役立っている。上演に出かけにくい遠隔地で浮島丸を知ってもらうため、DVDの販売も始めた。  浮島丸事件は、戦時中に青森県で強制労働をさせられた朝鮮人労働者と家族らを乗せた海軍特設輸送艦「浮島丸」が、1945年8月22日に下北半島大湊港を出港、釜山に向かう途中に寄港した舞鶴湾で24日、謎の爆沈をし、朝鮮人と乗組員の計549人が亡くなった。  舞鶴市民らで爆沈現場近くの下佐波賀で、毎年8月24日に犠牲者を悼む集会を続け、最近では韓国からも参加する人も増えてきた。会長の余江さん(70)らを中心に殉難者追悼の碑も建立し、追悼事業のシンボルになっている。  余江さんの妻で追悼する会会員の美穂さん(66)が、子供たちにも事件を知ってもらおうと、昨年紙芝居を制作。青森県を訪れ、下北浮島丸の会会長の斎藤作治さんらの案内で取材した。昨年7月から市内外の集りで披露し、犠牲者の望郷の思いを込めた絵が見る者を引きつけ、事件を目撃した人から忘れていた記憶も引き出している。  依頼があれば紙芝居を上演しているが、大きな会場で多人数を相手に事件を説明する場合に対応しようと、約40分のDVDを制作した。余江さん夫妻の元教員仲間たちが協力し、紙芝居の絵28枚を写真撮影して取り込み、台詞を吹き込んだほか、年金者組合舞鶴支部のコーラスサークルが追悼歌「はまなすの花 咲きそめて」を合唱した歌を収録した。  DVDの上映だけに頼らず、追悼する会のメンバーが説明するように心がけている。余江会長は「映像があることでイメージがわきやすく、伝えていく活動を広げやすくなった。学校でも教材として使ってもらえれば」と話している。DVDは1枚1,000円。
【問い合わせ】電話63・2539、余江さん
写真=スクリーンに上映される紙芝居の1場面


森源太さん(箕面市)ライブ、被災地の話も
まっすぐな歌届けたい
市民が企画
5月14日、市政記念館
 大阪の箕面市在住のシンガーソングライター、森源太さん(32)のライブが、5月14日午後7時半から北吸の市政記念館で開かれる。森さんのまっすぐなメッセージソングを舞鶴に届けたいと1人の市民が企画した。森さんは4月に支援活動で入った宮城県石巻市の被災地の様子も話す。  森さんは長崎県出身。大学卒業後プロを目指して上京し、路上ライブをしながら自分の歌で生きていく覚悟を決めてライブ活動を始めた。カンボジアに数多く残る地雷撤去イベントにも関わり、現地に移住して活動した後帰国。自分の心の声に耳を傾け一歩前に踏み出す勇気をもつ曲づくりをし、ライブや講演で伝えている。  今回のライブを主催する浜の介護施設職員、間杉宗臣(ますぎむねのり)さん(37)も、そうした森さん自身の弱かった自分への励ましの歌が深く胸に残り、「新しい一歩を踏み出し不安の中にいる人たちに、苦しいときの支えになる歌を聴いてほしい」と思い、舞鶴での公演を企画した。  歌だけでなく、石巻市で泥出しなどの支援に訪れた被災地の状況も話してもらう。会場には募金箱を置き、義援金への協力も呼びかける。ゲストに女性ヴォーカリストのAilingさんを迎える。  入場料は2,000円(中・高校生1,000円)。小学生以下は無料。障害者も無料だが事前に参加人数の連絡を。手話通訳・要約筆記の必要な人も事前に申し込みを。今春就職や進学した人(先着50人)にはポストカードを会場でプレゼントする。
【問い合わせ】電話090・8552・5001、間杉さん
写真=演奏する森さん(森源太事務所提供)


2011年5月6日

もったいない精神でボール再生
舞鶴市テニス協会・副理事長の有本さん
硬式テニスボール蘇生器を手作りで
面白グッズを次々と
 フリーのテニスコーチで、舞鶴市テニス協会副理事長の有本和彦さん(53)=高野台=が、様々な手作りの面白テニスグッズを作製している。中でも硬式テニスボールは打ち続けていくうちに空気が抜け、しかも簡単に空気を入れることができないため、我慢して使うか処分されてきたが、簡単に空気を入れるボール蘇生装置の考案に取り組んできた。低コストの蘇生器が完成し販売も始めている。  フェルトとゴムでできている硬式テニスのボールは、約1カ月も使い続けると空気が自然に抜け、打球も飛ばなくなる。練習と試合での打つ感覚がずれるのを承知で、空気の少ない状態で使い続けるか、クッションがわりに使うぐらいしかリサイクルの使い道がなく、最後は多くが焼却処分されていた。  大学時代から硬式テニスを続ける有本さんは、テニスグッズのカタログにあったポンプ付きの携帯用ボール保管容器を見て、ボールが蘇生できることを知った。日頃からボールの再生法を考えていたため、仕事とする機械設計の技を活かし、約20年前に第1号の加圧保管装置を製作。市販の耐圧ステンレス製容器にボール65個を入れ、徐々に容器内を加圧して保管しておくと元のようなボールに復元できる。  しかし、その容器自体が高価だったため、脱サラしてコーチ業に専念した2年前、大容量の業務用2号機と家庭用の3号機を作った。透明耐圧ホースをらせん状に曲げ、約200個のボールを入れ加圧することで約1カ月で元の状態に。ボールも取り出しやすくした。家庭用は塩化ビニール管を材料に、管の中にボールを入れてふたをしてコンプレッサーで空気を送って再生させる。  今回改良した3号機は、市販の材料ばかりで製作コストは従来から半分以下に抑え、自転車の空気入れで約20回加圧する。空気が漏れにくく1カ月でボールに空気が入る。4メートルの長さの管に62個のボールを収納できる。自分で使うだけでなく、1台3,000〜3,500円で販売する。テニス協会のホームページでも紹介したところ、数台が売れた。  有本さんは「だれでも簡単に手作りできます。もったいない精神でボールを育ててもらえれば」と話す。
【問い合わせ】電話090・9701・5777、有本さん
写真=作製したボール蘇生器に空気を入れる有本さん


舞鶴湾から
初夏の海の味覚出荷へ
「育成岩がき」「丹後とり貝」
 ミネラル豊富な舞鶴湾で育成された岩がきと丹後とり貝の出荷が始まった。いずれも初夏の味覚として、関東や京阪神などに送られ人気の海の幸になっている。  舞鶴かき組合イワガキ部会(大下敏明組合長、組合員16人)が青井などの湾内の筏で取り組む。府海洋センターで育てられた種苗を3年間海中で育てると出荷サイズになる。昨年夏の猛暑で水温が高くなり、イガイなどが死に手入れがスムーズに進んだ。  大下さんは「今年は身も大きく数も多くよくできた」と話す。大きさごとに分別して作業を海上で行っている。今年は約4万個の出荷の見込みで、8月末まで作業が続く。  京のブランド産品になっている丹後とり貝は、大きな身で甘味があるのが特徴。舞鶴とり貝組合(川崎芳彦代表、組合員20人)が戸島沖などに筏を浮かべて育成している。府海洋センターでつくった種苗を育て1年で出荷できる。出荷サイズは100グラム以上だが舞鶴では大サイズの150グラム以上を出荷している。  とり貝は夏の高温に弱いため、昨年猛暑で水温が高くなった影響でわずかながらも稚貝が死んだため、今年は例年に比べ出荷個数は少ない約14万個を見込んでいる。  川崎さんは「よすぎた昨年に比べると今年は若干小ぶりの大きさ。1昨年は5月20日が初出荷だったが、関東から出荷時期の要望がだんだん早くなっています」と話す。  出荷は7月中ごろまでの予定。地元での消費拡大も目指しキャンペーンを実施している。
写真左=大きく育った岩がき
写真右=出荷される丹後とり貝


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