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2014年8月29日

祈りと決意の誓い改め
浮島丸事件69周年追悼集会 300人参加
「教訓学びとり、平和の確立へ」

 戦争直後に舞鶴湾で起きた浮島丸事件の犠牲者を悼む69周年追悼集会が8月24日、下佐波賀の殉難の碑公園であった。市内や近隣、京都市内などから約300人が参加し、朝鮮半島へ帰国途中で亡くなった多くの犠牲者に対して、花や舞、茶、歌を捧げて冥福を祈った。また、史実を次の世代に伝えて再び戦争の惨禍を起さないことを誓った。
 戦時中、青森県下北半島で鉄道敷設工事などに従事させられていた朝鮮人労働者や家族を乗せた旧海軍輸送船「浮島丸」が、1945年8月22日に大湊港を出港。釜山に向かう予定だったがGHQによる船舶運行禁止を受け、24日に近くの舞鶴港に寄港したが、突然大爆発が発生して沈没、乗客524人、乗組員25人の計549人が亡くなったとされる。爆発原因は触雷説、船内での自爆説があり謎が残っている。
 爆沈現場の海に近い場所に、市民たちが殉難の碑を建立し、浮島丸殉難者を追悼する会を組織して毎年集会を続けている。最近では在日韓国・朝鮮人、遠方の市民、中高校生たちの参加も増えている。
 同会の余江勝彦会長が事件に至るまでの歴史背景を示し、「事件から教訓を学びとり、平和の確立に向けてこれからも日本人の責任として追悼集会を続けていくことが犠牲者の皆さんとの約束であると考えます」と碑に向け述べた。続いて在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部の金英王(キムヨンワン)支団長、在日本朝鮮人総連合会京都府三丹支部代表の李宗一(リチョンイル)さんが追悼の辞を述べた。
 また、韓国茶道協会京都支部長の尹道心(ユンドウシン)さんが茶を献じ、韓国伝統舞踊家の金一志(キムイルチ)さんが追悼の舞を踊り、京都朝鮮中高級学校の生徒たちが追悼歌を合唱し、最後に参加者全員で海に向かって花を投げた。

写真=殉難の碑の前で捧げられた追悼の舞













赤十字病院
東館リハビリセンター完成
放射線検査施設も備える

 府中丹地域医療再生計画に基づき増築工事を行っていた、倉谷の舞I赤十字病院の東館(リハビリテーションセンター)が完成し、8月24日に竣工式が行われた。4月末に同館東隣に療養型病院として移転した市民病院と連携し、地域リハビリテーションセンターとしての機能の充実と強化を図る。移転前の市民病院にあった府緊急時放射線検査施設も備え、9月1日から業務を開始する。
 鉄骨造3階建て、延べ4088平方メートル。事業費は2期工事として来年3月まで実施される本館、南館の改修工事を含め17億3800万円。
 3階に市内初のリハビリ専門の回復期病棟48床、2階に既存の3倍に拡充されたリハビリセンター(670平方メートル)を備え、市民病院2階への連絡通路も設けられている。
 1階には、移転前の市民病院が持っていた「緊急被ばく医療体制」を継承し、府緊急時放射線検査施設(204平方メートル)を整備。原発事故の際に使われる、除染シャワーや体表面モニター、ホールボディーカウンターなどが設置されている。
 西田和夫院長は「隣接する市民病院と連携を図る中で、急性期、回復期、慢性期、在宅医療へとシームレスに提供できる運営をこころがけ本市の地域医療に一層貢献してまいります」と話した。

写真左=府緊急時放射線検査施設の内部被ばくを測定するホールボディーカウンター
写真右=本館と市民病院の間に完成した東館



2014年8月26日












濱口代表へ感謝伝える
中筋少年野球クラブ創設者 4月に急逝
偲ぶ会、チーム20周年の歩み

 城南中生徒でつくる軟式野球チーム「中筋少年野球クラブ」の創設者で、今年4月に急逝した濱口芳雄さんを偲ぼうと、8月16日、円満寺の舞鶴グランドホテルで、現役部員27人やOB、保護者ら総勢110人が集まった。今年は同クラブの結成20周年にもあたり、参加者たちはチームワークを大切にした濱口さんとクラブの歩みを振り返り、思い出を語った。
 チーム代表を務め、創設時の1994年の市長旗大会で準優勝、翌年から3シーズン連続で優勝した。議長杯で優勝4回、舞鶴リーグで優勝6回などを重ねた。中学チームの試合の機会を増やそうと、濱口さんの呼びかけで池内と高野地区のチームと城南リーグを結成し、全市域を対象とするMJBリーグへと発展した。
 今春の亀岡市長旗争奪少年野球大会に出場し、2回戦で抽選勝ちした時には濱口さんは元気な様子だったが、脳幹出血で4月1日に63歳で亡くなった。選手たちは葬儀で優勝を誓って見送り、決勝まで全て完封勝利で約束を果たした。
 今年が20周年になることから生前、濱口さんは記念の集いをやろうと話していた。そのためチームスタッフと父母会が、遺志を継ぎ20周年と偲ぶ会を開いた。京阪神からOBや野球関係者らが、濱口さんの微笑む写真が置かれた祭壇に献花、黙祷した。
 舞鶴野球連盟の倉橋貢会長が「濱口さんは相手の気持ちを尊重した人。今後も中筋クラブの活躍に期待したい」、MJBリーグの平野光雄会長が「私にとって兄貴分のような存在で、子供と野球が大好きだった」とあいさつした。
 キャプテンの高田智哉選手(15)は「夏にはTシャツの汗が搾りだせるほどノックをしていた濱口さんの姿が印象にあります。秋の西京都大会で優勝することを伝えたい」と話す。父母会の馬場優子会長(41)は「グラウンドの草引きなど雑用にも自らが率先して動き、選手たちの見本になっていました。反抗期の子供たちを受け止めてもらい、進路などの相談にものっていただきました。突然のお別れでお礼を言えなかったのが残念です」と振り返っていた。
 妻の信子さん(65)は「諦めずに最後まで全力で戦い、そして楽しんで野球をしてほしいと口にしていました。野球を続けてこられたのもスタッフ、父母会のおかげです。きょうはたくさんの方に集まっていただき、主人が野球を通してこんなにも多くの財産を残してくれたことを誇りに思います」とお礼を述べた。

写真左=110人の参加者の前で思い出を語る妻の信子さん
写真右=「楽しんで野球を」と話していた故濱口芳雄さん













神崎の住民グループ
ラッキョウで地域を元気に
荒廃農地を有効活用 高齢者が集まる場に

 耕作放棄地となっている畑を有効活用しようと、神崎地区の住民たちがラッキョウづくりに取り組んでいる。砂地でも栽培できる作物であるラッキョウに目をつけ、高齢者たちが共同作業で集まる機会も兼ねようと始めた。神崎の新たな特産品に育てばとにぎやかに話し合っている。
 神崎では落花生が有名だが、高齢化や獣害で畑をつくる人が減っていることから、農地の荒廃を防ぐことが地域の課題になっていた。住民たちで何か野菜を栽培することにし、ラッキョウなら獣害も少ないのではと始めた。
 神崎では昔から畑と畑の境界に、ラッキョウを植えるほど身近な野菜で、いまでも自家用に作っている人もいる。昨年、栽培が盛んな鳥取県の砂丘でその様子を見学し、種用の球根を分けてもらった。
 住民約20人で神崎らっきょうの会を結成、約5アールの畑を耕し昨年8月に球根を植え、その後は協同で草取りや肥料やりをした。6月からは収穫をし食用にする球根だけをハサミで切り取り、土を水で洗い落す作業を数回行なった。「神崎浜のらっきょう」と書いたラベルを張って袋詰めにし、口コミで1キロ700円で販売した。
 河田春枝さん(73)=西神崎=は「お茶を飲みながらみんなでワイワイと作業をするのも楽しみです。負担にならない程度にやっていきたい」、同会代表の西之上至さん(75)=同=は「長続きさせるためには楽しみながらすることが大切。ラッキョウづくりが地域のつながりを深め活性化になれば」と話している。
 今年の収穫は終えたが、来シーズンに向け畑を広げ、今月下旬から球根植えを始めた。

写真左=球根だけを取り除く作業をする女性たち
写真右=収穫されるラッキョウ畑



2014年8月22日












萩尾さん エイベックスからデビュー
ユニット「EDGE of LIFE」のボーカルで
8月23日、らぽーるで握手会&サイン会

 舞I出身で芸能事務所ケイダッシュ(東京都渋谷区)所属の萩尾圭志さん(19)が、ギター&ボーカルのロックユニット「EDGEofLIFE(エッジオブライフ)」のボーカルとして、8月13日にシングル「Can‘t Stop」で、浜崎あゆみらが所属する大手レコード会社のエイベックスからデビューした。デビューを記念して、23日午後2時から南浜町のショッピングセンターらぽーるセントラルコートで、店内のCDショップ「イガラシヤ」でデビューシングルを購入した人を対象にした、2人との握手会と商品へのサイン会が開催される。
 「EDGEofLIFE」は、ボーカルの萩尾さんとギターの今村将也さん(19)=東京都=のユニット。昨年の秋からエイベックスが、新しいヴィジュアルとサウンドを兼ね備えたロックユニットを生みだそうとプロジェクトをスタートさせ今年の春に誕生した。
 歌手志望だった萩尾さんは、芸能界での活動に強い憧れを持ち、筋力トレーニングでスタイル維持を心掛けるなどして多数のオーディションを受け、昨年の「JUNON SUPER BOYコンテスト」のファイナリストとなった。甘いマスクと179センチの身長、若さと荒々しさを兼ね備えた美声がスタッフに支持され、今年3月に上京した。新舞鶴小4年生の時から高校生まで和太鼓を習い、海洋高校ではボート部に所属していた。
 ギターの今村さんは全国規模で行われたスカウトやブログでの聞き込み情報などで、延べ1000人以上の候補者の中から選ばれた。
 2人の疾走感溢れるデビュー曲は、テレビ朝日系ドラマ「匿名探偵」の主題歌と、ミス・ユニバースジャパンの妹版「ミスティーンジャパン」のイメージソングに起用され注目を集めている。
 萩尾さんは「夢を追いかけて東舞鶴を離れて単身上京した僕ですが、こうしてふるさとでイベントを開け、地元の方々にお会いできるのを凄く楽しみにしています」と話している。

写真左=ロックユニット「EDGE of LIFE」のボーカルでデビューした萩尾さん
写真右=デビューシングル「Can‘t Stop」のDVD付き盤のCDジャケット



フリースタイルフットボール「アレッグ」
ブラジルでも注目集める
W杯開催地でパフォーマンス披露

 フリースタイルフットボールチーム「ALEG―Re(アレッグ)」が、6月〜7月にサッカーワールドカップが開催されたブラジルに乗り込み、自分たちのパフォーマンスを披露した。メンバーの山本佳史さん(Y0SSHI、24)=愛宕上町=、守島裕二さん(YU―J、23)=浜=が連日、イベント会場や街角で演技を繰り広げ、世界から集まったサッカーファンらを楽しませた。
 サッカーのリフティングなどから発展し、アクロバティックな技もある新しい競技。2人は白糸中学校の同級生で高校生のころから練習をしてきた。京都市のメンバーも加え3人のチームで昨年の全国大会で優勝した。
 世界中の注目が集まるサッカー王国で、演技を披露することを目標に過ごしてきた。出発前にはブラジルに何のつてもなかったが、ダイナミックな新しい足技とポルトガル語での自己紹介をした音楽を準備。到着後は積極的に演技を売り込み、通訳や演技を見た人の紹介を受け、サンパウロとリオデジャネイロで大会公式スポンサーが行なうイベント会場などに出演した。
 息の合ったコンビネーション、音楽に合わせた動きと演技構成が人気となり、同じ競技者からの勧めもあって催しの出演依頼が増える一方、競技場近くのストリートでもパフォーマンスをし、道行く人たちの足を止めさせ、現地の新聞とテレビの取材も受けた。現地の競技者とも一緒に練習し、日本と異なるスタイルや技術の高さを学ぶことができた。
 守島さんは「毎日ボールを蹴る生活で上手くなれた。日本ではできない経験を積めた」、山本さんは「自信につながった部分と、ブラジル人たちの自分のやりたいことはストレートに伝えていく姿勢に影響を受けた」と話していた。2人は今後、世界を意識してパフォーマンスを磨いていく。

写真=演技を見せる守島さん(左)と山本さん(リオデジャネイロ、アレッグ提供)



2014年8月19日

難曲で挑み箏日本一に
尾松優希さん(東高3年)全国邦楽コンクールで優勝
8月31日 斗為巾コンサートで受賞曲披露

 岡山市でこのほど開かれた第24回全国高校生邦楽コンクールで、東舞鶴高校3年で箏アンサンブル斗為巾メンバーの尾松優希(ゆうき)さん(18)=矢之助町=が、昨年の銅賞(3位)を上回り優勝した。高校生には難曲とされる「情景三章」で自由曲に挑み、稽古に稽古を重ねて自分のできる最善の演奏を発表した。8月31日午後1時から北田辺の市民会館で開かれる斗為巾コンサートで受賞曲を披露する。
 同コンクールには全国の高校生15人が出場した。課題曲は古典の「六段」だった。入賞者の大半が東京藝大に進み、プロへの道に進んでおり、実力者が集まる大会として知られる。尾松さんは中学3年で全国小・中学生筝曲コンクールで銅賞、昨年は第20回賢順記念くるめ全国箏曲祭で、次代を担う若手演奏家に贈られる岸邊成雄(しげお)賞を受けた。
 昨年、コンサートで女性演奏家が弾いた「情景三章」に魅了され、自由曲に選んだ。いつもならコンクールに向け1年かけて稽古をするが、今年は半年しかない不安と、自分の演奏法でいいのか迷いもあった中、指の骨が曲がるほど稽古に没頭した。
 コンクール本番では積み重ねた稽古を支えに、結果を気にせず落ちつき集中して弾くことができた。審査員からは「技術が高くバランスのいい演奏だった」「自分の想いを伝えていた」などの評価を受けた。
 尾松さんは「名前が呼びあげられたときはびっくりしました。1人でできたことではないので、先生とお母さんへの感謝の気持ちが溢れてきました。練習してコンサートで受賞曲をしっかりと弾きたい」と話していた。
 指導する沢井箏曲院師範で演奏家の立道明美さんは「演奏中、そばにいなくても大丈夫だと思うほどいろんな面で成長し、いまできることを精一杯した演奏でした。これからも多くの人の支えがあることを分かる人になってほしい」と見守る。

写真=稽古に励む尾松さん



避難の不安、緊迫感伝える
福島事故と若狭の原発考える集い

 福島第1原発事故と若狭の原発を考える集いが、このほど余部下の中総合会館で開かれた。福島からの避難者たちが当時の緊迫した判断をした様子、事故が忘れさられようとしていることへの危惧を、作家の広瀬隆さんが事故による高線量の被曝の危険性を語った。福島での支援活動や若狭地方で原発問題を考える福福ネットの主催。
 南相馬市から大津市に避難中の青田恵子さんは事故時、バスに乗せられ避難したがどこに連れていかれるのか分からず、どんな生活が待っているのか予想もつかない不安にあったと振り返り、自宅待機の指示には食料の備蓄も生活物資の供給もなく無理があると指摘。
 「南相馬市ではいま松の植林を子供たちが手伝わされ、被曝の危険が高まっている。原発事故で潤う地元業者、補償をもらって宝くじに当たったという人もいる。私たちの体験が忘れられないよう伝えていかなければ」と述べた。
 浪江町から綾部市へ夫と子供と避難した井上美和子さんは、第1原発の爆発を知ってすぐさま車で避難し、福島空港で飛行機を利用しようしたが人が一杯だったため次の判断を迫られ、残りのガソリンが少ない中、新潟からフェリーで避難するため車を使い、途中の小さなガソリンスタンドで頼み込んで10リットルを補給したなどをリアルに伝えた。
 「いま私は福島の子供たちを守るため、保養の場所と費用をつくる講演活動をしています。こんな事態にならないことが一番いい」と話した。

写真=浪江町からの避難の様子を語る井上さん



2014年8月12日

舞鶴ウイルス性肝炎を考える会
被害患者の声聞いて
リーフレット作成 医療機関に配布
命を尊重する医療体制を
手軽に読んで理解深めて

 肝炎の被害患者の実態を知らせ、支援の輪を広げるため、「舞鶴ウイルス性肝炎を考える会」(三宅あき世話人代表、会員39人)が、手軽に読んでもらえるリーフレット600部をこのほど作成した。患者本人が精神的・肉体的・経済的に苦しい闘病を続ける様子や、再発の恐怖におびえる日々などを短い文章で語っている。医療機関などに無料配布する。
 B型肝炎は集団予防接種での注射針の使い回しで、C型肝炎は汚染された血液製剤の使用など大半が不適切な医療行為による感染と言われ、放置すると肝がんへと進行する。患者団体による訴訟で国の肝炎基本法が成立したが、カルテがないため訴訟で救済された原告もわずかしかいない。
 同会は2012年には手記集500部を作り、高額な医療費や偏見に苦しむ声を伝えた。昨年は会員が実名で出演して闘病の苦しさを語るDVD300枚を作成し配った。
 しかし、8人の会員が亡くなり、重症化して活動できない会員も増えている厳しい現実を前に、手軽に手に取ってもらえるリーフレットを企画。支援会員の阪本みさ子さんがパソコンで作成・プリントし、会員たちで折るなど手作りした。  リーフレットはA4版で四つ折り。8人の患者と妻を亡くした遺族が体験を綴った。「安心して治療が受けられ、命を尊重する医療体制を国や行政に切に望みます」「感染判明から13年後に肝臓がんが見つかり、大阪の病院で5回目の手術を受けたが遠方で負担が大きい。府北部に専門の医療機関を」「希望のない、納得のいかない毎日を生きている」など率直な想いを伝えた。同会の入会の案内、連絡先も書いている。
 三宅さんは「病院の待合室に置いてもらい、待ち時間に読んでもらえるような簡単な形態にしました。肝炎患者のことが忘れさられないよう、考えてもらえるきっかけにしたい」と話している。希望者にも無料配布する。
【問い合わせ】電話78・9133、三宅さん

写真=手作りのリーフレットを折る作業をする会員たち



8月13日〜18日、サンムーンで
初のふるさと人形展
東高出身の河地(旧姓小山)さん

 東舞鶴高校出身の河地住美(旧姓小山寿美枝)さん=富山県=の人形展が8月13日〜18日、浜のギャラリー・サンムーンで開かれる。初めてのふるさと展で、初期から最新作まで約20点を出品する。入場無料。
 昭和22年生まれの河地さんは、東高2年の時に人形の世界に出会った。京都祗園の「京ほりや」に内弟子として入門し、木彫りと嵯峨彩色を学び、江戸御所人形師の鈴木賢一さんに胡粉仕上げを教わった。
 京展や日本工芸会人形部会などで入選、日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞するなどし、高い評価を受けている。
 展示は午前11時〜午後6時(最終日は午後5時)。河地さんは8月14日を除いて期間中、画廊に滞在する。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン

写真=河地さんの作品



2014年8月8日

394人の球児たちの夏、開幕
第25回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会
福井少年野球ク 奥野主将が選手宣誓

 第25回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞I野球連盟主催、舞I市民新聞社など後援)が8月3日、行永の舞I球場で開幕した。小・中学生の球児たちが闘志溢れる入場行進を行い、市長旗、舞I市民新聞社杯をめざした熱戦が始まった。
 開会式では、学童上級(小学6年生主体)の部14、同下級(小学5年生主体)の部12、少年(中学生)の部7の計33チーム、総勢394人の球児たちが入場。昨年の優勝チームから市長旗などが返還され、レプリカが贈呈された。
 舞I野球連盟の倉橋貢会長が「家族や監督、コーチに、ありがとうの感謝の気持ちを伝えられるのは今しかないと胸に刻み、堂々とした試合を展開してください」とあいさつ。多々見良三市長が「仲間との絆をもとにチームワークを存分に発揮し、この大会が夏休みの楽しい思い出になることを心から願っております」と祝辞を述べた。
 福井少年野球クラブ(学童上級の部)の奥野翔琉(かける)主将が「プレーに気持ちを込めて最後まで諦めずに戦うことを誓います」と宣誓した。
 大会第1日は、少年の部1回戦2試合が同球場で行われ、学童上級の部は隣接する東舞鶴公園陸上競技場で1回戦4試合と2回戦3試合が行われた。
 8月9日に同球場で少年の部1回戦1試合、学童上級の部1回戦2試合と2回戦1試合があり、各部のベスト4が決まる。同10日に上安久の西運動広場で少年の部、同16日に余部下の中舞I市民グラウンドで学童上級の部のそれぞれ準決勝と決勝が行われる。  学童下級の部は東舞鶴公園陸上競技場で同24、30日の日程で行われる。雨天の場合は順延。
 大会第1日目の結果は次の通り。
 【少年の部】1回戦=与保呂スポ少9―0南舞鶴スポ少B、舞I東スポ少2―1中筋少年野球ク
 【学童上級の部】1回戦=福井少年野球ク19―0池内少年野球ク、南舞鶴スポ少7―1茜ヶ丘ベースボールク、朝来少年野球ク8―4中筋少年野球ク、高野少年野球ク7―3与保呂スポ少▽2回戦=福井少年野球ク5―2南舞鶴スポ少、明倫ヘッピリーズ14―1志楽少年野球クスポ少、朝来少年野球ク5―4高野少年野球ク

写真=覚書の調印を交わした多々見市長と白川校長













「まいづる総おどり」華やかに
80チーム800人が披露

 「海フェスタ京都」最終日の8月3日、舞I西港の大野辺緑地特設ステージと北吸の東体育館前屋外ステージで、「まいづる総おどり」(同実行委、舞I青年会議所主催)が開催され、小雨の降る中、幼稚園児から大人までの幅広い年齢層の市内外80チーム約800人が様々な踊りのパフォーマンスを披露した。
 開会式で稗田一義実行委員長が「踊り≠テーマにした祭りを根付かせることで舞Iを盛り上げようと企画しました。ジャンルの垣根を越えて参加してくださったチームの皆さんは思う存分、実力を発揮してください」とあいさつ。
 ステージでは、園児によるキッズダンス、よさこい、フラダンス、ヒップホップ、ベリーダンス、阿波踊り、和太鼓などが次々と披露され、多くの来場者が写真を撮るなどして踊りを楽しんでいた。
 また、ベリーダンスなどの体験コーナーも設けられ、最後は出演者や実行委のメンバーらが一緒になって踊る総踊り≠ナ締めくくられた。

写真左上=舞鶴幼稚園園児の音頭
写真左下=「Rainbow chirdren Project kukui&京都丹波よさこい連」のよさこい
写真右上=「M.F.P’sync」のヒップホップダンス
写真右下=「La pua」のフラダンス



2014年8月5日

ものづくり担い手育成へ
市、ポリテク京都の学生対象に奨学金創設へ
市内の事業所就職者に返還免除
若者たちが働きたい地域産業の充実化も

 舞鶴市内のものづくり産業の担い手を育成するため、将来市内で就職する意思のあるポリテクカレッジ京都で学ぶ学生を対象に、舞鶴市はものづくり「たから者」育成奨学金を創設した。このほど上安の同校で、多々見良三市長と同校の白川幸太郎校長が覚書の調印を交した。一定期間市内の事業所で就業した場合は返還が免除される。
 ポリテク京都は実践的な技術者を養成する京都職業能力開発短期大学校。独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構が運営し、高卒者を受け入れ2年間学ぶカリキュラムを組む。金属加工などを学ぶ生産技術科(定員20人)、電気・電子回路を学ぶ電子情報技術科(同)などを開設するほか、今春からはIT技術を学ぶ情報通信サービス科(定員15人)を新設した。今年度は24人が入学し、全校で61人が在籍している。
 奨学金はポリテク京都に在籍中の成績が3・5以上で、市内に就職の意思のある学生を対象に、ポリテク京都の校長が舞鶴市に推薦し、入学金16万9200円と年間授業料39万円の計60万円を上限に貸与する。今年の1年生から対象になる。卒業後に返還するが、一定期間(1年半〜3年間)、市内の事業所に就業した場合は返還免除となる。ポリテクカレッジは全国に24校あるが、自治体が人材育成のための奨学金を設けるのは今回が初めて。
 多々見市長は「ものづくりの人材育成をするポリテクカレッジ京都は重要な役割を担っている。若者たちが将来働きたい地域産業の充実にも努め、舞鶴で活躍することを願っている」、白川校長は「この5年間で舞鶴市内で就職した学生は卒業生の内約30%だが、奨学金の活用で50%にまで高めたい」と話していた。

写真=覚書の調印を交わした多々見市長と白川校長



村上代表が依頼
「京夏みかん」の新レシピを
西高料理部が開発中

 「舞I夏みかんの会」(村上貴是代表)が神崎地区や宮津などで生産している「京夏みかん」をPRするため、引土の西舞鶴高校料理部に夏ミカンを使った料理のメニューづくりを依頼し、同校でこのほど、村上代表を招き開発中のパスタとケーキの試食会が行われた。同会は今後、西高生のレシピを参考にした料理を京都の大学食堂などで提供してもらうことにしている。
 夏ミカンは昭和30〜40年代に需要のピークを迎え、酸味が嫌われ始めてからは木は放置されているものが多かった。しかし、最近は酸味が夏の清涼感として受け、都市部の料理店や菓子店で需要が高まっている。神崎地区の活性化に取り組む村上代表らは昨年同会を結成。京都市内の料亭や菓子店などに出荷し、「京夏みかん」と名付けて売り出している。
 高校生にも夏ミカンのことを知ってもらい、若者の感覚で新しい利用法を開発してもらおうと、村上代表が同校に「京夏みかん」20個を提供。料理部2年生8人が2つのグループに分かれ、果皮と果汁入りのケーキと、果肉を生ハム、イカ、エビ、オリーブオイルで和えた冷製パスタを考案した。
 ケーキはレモンのケーキを参考に、夏ミカンの苦みが出ないよう、レモンより少量の果汁を使い、表面に砂糖掛けをした。冷製パスタはさっぱりした味にするため果汁を少し加え食べやすくした。
 ケーキを担当した加堂未歩さん(16)は「夏ミカンは酸っぱいので甘くするのが難しかった。初めてにしてはうまくできた」と話していた。同部はオリジナルメニューを完成させ、文化祭で発表することを目標にしている。
 村上代表は「若い世代は夏ミカンを見たこともないのではと提案させてもらった。柔らかい頭で新しいレシピを考えてもらい全国にアピールしたい」と語った。

写真=「舞鶴夏みかんの会」の村上代表(中央)とケーキとパスタを試作した西高料理部員たち



2014年8月1日









「戦争の悲劇繰り返さない」
犠牲者刻み永久の平和願う
舞鶴空襲 学徒慰霊碑の除幕式
体験、後の世代まで語り継ぐ

 舞鶴空襲で犠牲になった勤労動員学徒と教師を追悼する慰霊碑の除幕式が、空襲の日の7月29日、余部上の共楽公園であった。空襲を体験した学徒、遺族、戦争を知る市民ら約100人が次々と献花し、犠牲者を刻んだ碑に戦争の悲劇を繰り返さないことを誓った。
 1945年7月29日、米軍が模擬原爆の5トン爆弾を舞鶴海軍工廠に投下し、97人が亡くなり、30日には艦載機による攻撃で83人が死亡。この内、京都師範学校などの学徒、教師の犠牲は20人だった。
 失明の大けがを負った洛北実務女学校の元生徒、橋本時代さんが1977年から毎年、工廠に勤務して戦争の犠牲となった人を追悼する同公園の鎮魂碑に慰霊に訪れていたが、昨年12月に84歳で亡くなる前に、学徒犠牲者の慰霊碑を作ってほしいと舞鶴市民に託した。建立委員会をつくって募金を募り、橋本さんの遺族をはじめ、元学徒、市民ら335人から目標を超える692万円が寄せられた。
 元工廠の造船所を見下ろす場所に碑が建てられ、多々見良三市長や遺族らが除幕をし、建立委員会の戸祭武委員長が「願はくは、生き残れる者の追慕の情を解し、後を継ぐ世代の志をうけ結ひ、而して世の永久に平和を願ふ心をあはれみ、世の平安なるに助力せられんことを乞ひ、慰霊碑建立の願文となす」と献辞を述べた。
 京都市立第二商業学校生徒で犠牲となった安藤良瑞さんの弟の寺西克実さん(79)=京都市伏見区=は「二度と戦争の悲劇を起してはいけない。戦争体験者の私たちが声を大にして上げるべきときだ」と語った。
 橋本時代さんの遺族の橋本二郎さん(77)=京都市左京区=は「最後まで碑ができるのを楽しみにしていました。おばあちゃんへの一番の供養になります」と話した。
 舞鶴第二高等女学校教師で犠牲となった藤田至譲さんの教え子だった川ア美幸さん(83)=行永東町=は、生徒を探しに建物の2階から1階へ降りた藤田さんが爆風に飛ばされ即死した姿をいまも覚えている。自らも爆風で防空壕の奥へ飛ばされたことで九死に一生をえた。「当時の様子を思い出すといまも胸が痛む。100年先も平和であるように戦争の体験を碑とともに語り継いでほしい」と涙を浮かべながら話した。
 市民たちで碑を守り、慰霊式を続けていく。

写真左=慰霊碑と並ぶ遺族と関係者たち
写真右=碑に献花する市民たち














海フェスタ京都
帆船「海王丸」18年ぶりに寄港
実習生がセイルドリルや登檣礼
船内を3190人が見学

 「海フェスタ京都」の西地区メーン会場の舞I西港第2埠頭に7月25日から29日、練習帆船「海王丸」(2556トン)が18年ぶりに寄港した。4回目の寄港で、帆を張る実技訓練のセイルドリルや船内の一般公開、出港時の登檣礼(とうしょうれい)など、「海の貴婦人」と呼ばれる船を一目見ようと多くの家族連れらが訪れた。
 「海王丸」は横浜市の独立行政法人航海訓練所の船舶で、115人の実習生を含む177人が乗船し、航海訓練の途中で舞Iに寄港した。25日の歓迎式典では阪本義治船長が「訓練や船内の公開を通して、海や船、船乗りに親しみを持ってもらいたい」とあいさつした。
 26日には停泊した状態でセイルドリルが行われ、帆を張った船体を見ようと多くの人が岸壁に訪れカメラを向けていた。実習生たちは高さ30メートルまでマストを登り、号令とともにロープを引っ張って帆を張った。強風と気温37度を超える猛暑のため、6段のうち下から3段だけしか帆は張られなかったが、4本のマストに美しく帆が広がった姿に大きな拍手が贈られた。
 7月27日には一般公開が行われ3190人が船内を見学。綾部市の小学4年生・出口諒一(あきと)君(9)は「船の下の方にもいっぱい部屋があって驚いた。初めて見たけどすごくかっこよかった」と話していた。
 同29日には、実習生たちがマストを登って帆桁に立ち、「ごきげんよう」と感謝の気持ちを伝える「登檣礼」が行われ、多くの市民に見送られて船は下関港を目指し出港した。
 8月8日には姉妹船「日本丸」が同埠頭に寄港し、8月9、10日に一般公開が行われる。

写真左=出港時に実習生が舳先や帆桁に立ち感謝の気持ちを伝えた登檣礼
写真右=セイルドリルで帆を広げた「海王丸」



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