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2014年5月30日









「BONO」浜に10月オープン
ワークショップほのぼの屋
カフェ、ショップ、弁当配達の新事業所
障害者らの新たな就労の場に

 平の社会福祉法人まいづる福祉会(飯田仁理事長)が運営する、大波下の事業所「ワークショップほのぼの屋」が、知的・精神障害者らの新たな就労の場として、カフェや弁当配達などを行う新事業「BONO(ぼの)」を、浜で10月に開始する。ひきこもりなどの就労困難者も積極的に採用し、東地区の新たなにぎわいの場とする。
 同会は2002年に「ワークショップほのぼの屋」を開設。現在は就労継続支援施設として、障害者たちが敷地内のフレンチレストランやホテル、浜の「米蔵なごみ本舗」の業務や、赤れんがパークのメンテナンス、舞I市民新聞の配達・集金などの就労に従事している。同事業所は、就労希望者が受け入れ枠の40人を上回っているため、事業を拡大し定員を60人に増やす。
 「BONO」は、浜の二条・潮路通り角の、元海上保安学校の研修施設だった修練館の国有地と建物を、昨年10月に3780万円で購入し、今年1月から1億2000万円かけて改修・増築工事中で、8月末の完成を目標にしている。鉄筋コンクリート一部木造2階建て、延べ床面積は約630平方メートル。
 2階は海を見下ろせるカフェで、女性客向けのスイーツやワンプレートランチなどを提供するほか、ディナーやバータイムも設け、午前10時〜午前0時まで営業する。
 1階はショップで、カフェメニューのテイクアウトや、「ほのぼの屋」のクッキーやドレッシング、米などの他施設の製品も販売する。弁当配達の調理や仕出しの拠点も置き、保冷車で高齢者宅への個別配送や一般向けへの配送を行う。
 西澤心施設長は「障害者が誇りを持って働き、お客様に満足していただける質の高いサービスを提供する施設にしたい」と話している。

写真左=「BONO」の完成イメージ図(まいづる福祉会提供)
写真右=旧修練館を改修・増築工事中の「BONO」の建物














まいづる細川幽斎田辺城まつり
城下町の伝統と文化伝える

 第23回まいづる細川幽斎田辺城まつり(同実行委員会主催)が6月25日、南田辺の舞I公園一帯で開かれ、同24日の前夜祭も含め約3万5000人の人出でにぎわった。
 午前8時半に、幽斎花灯籠神輿への魂入れ儀式が、平野屋通りの原田商会の裏手にある幽斎神社と近くの駐車場で、神職の加藤晃さん(69)によって行われ、担ぎ手を日星高校野球部員が務めた。
 今年は府登録無形文化財の「吉原の太刀振り」が初披露され、戦国時代の田辺籠城戦で活躍した漁師たちから受け継がれる武道の型を、小学生から20代までの16人が、大薙刀や小太刀などを手に、2人一組で勇壮に披露した。
 恒例の武者行列には、海上自衛隊員らが扮する鎧武者や、幼・保育園のちびっこ武者、町内太鼓らが参加。7月20日の舞I若狭自動車道の小浜―敦賀間開通や、幽斎が朝倉義景を頼って越前の一乗谷に一時住んでいた縁もあり、福井県と舞Iの交流を深めようと、若狭越前の一乗谷朝倉鎧武者らも行列に参加し、約900人が西地区市街地を練り歩いた。
 また、福井県内の4劇団が合同で、舞Iと一乗谷とのつながりを寸劇で紹介した。

写真左から=幽斎神社近くの駐車場で行われた幽斎花灯籠神輿への魂入れ儀式
        舞鶴公園のステージで初披露された「吉原の太刀振り」
        恒例の武者行列で田辺城門を出発する園児たち
        福井県内の劇団による寸劇











前夜祭 よさこい、講談で盛り上げ

 前夜祭が5月24日夜、南田辺の舞鶴公園で開かれた。  午後6時ごろから前夜祭はスタート。舞鶴市内や京丹波市などのよさこいグループが、正調よさこい踊りやオリジナル曲に合わせ、鳴子を手にして踊った。  続いて、みつる幼稚園の園児たちが田辺八景の場面を元気に演じたほか、明倫小学校の5年生18人が春休みから練習してきた講談「田辺城籠城の一席」を演じ、幽斎やガラシャなどの役になりきって古今伝授のシーンなどを語った。  会場は夕暮れ時になると、市内の園児たちが製作した絵灯籠400基の火が灯され、公園を幻想的に浮かび上がらせた

写真左から=よさこい踊りを披露する市民たち
        田辺八景を語るみつる幼稚園児たち
        田辺城籠城の一席を演じる明倫小5年生たち



2014年5月27日

笑って元気、時々ほろり
市民演劇サークル「谺」 5月31日、6月1日公演
貧乏神と母娘滑稽に描く

 市民たちでつくる舞鶴演劇サークル「谺(やまびこ)」が、第4回目の定期公演に向けて稽古に熱が入っている。民話をもとにした芝居「貧乏神の宿賃」、実話にもとづいた朗読劇「いのちの色えんぴつ」の2作を演じる。5月31日午後6時からと、6月1日午後1時から浜の総合文化会館小ホールで上演する。来場を呼びかけている。入場無料。
 福知山と綾部で演劇サークルが活動しているが、舞鶴になかったため芝居好きの市民たちが地域に芝居を根付かせようと2012年2月に結成し、毎年趣向を凝らした定期公演を企画してきた。現在は21歳から60代の団員16人が毎週火曜日に稽古に取り組む。
 「貧乏神の宿賃」は牧杜子尾さんの作で1時間の芝居。やまあいのある一軒屋が舞台。夫を亡くした母と娘が暮らすが、年貢や借金の取り立てにぐちばかりいう母。そんな家に貧乏神が住み着くようになり、騒動が巻き起こる。同サークルで独自に演出もした。  通し稽古ではステージに舞台セットを並べ、親子や侍、貧乏神などの役を担当する団員たちが、登場の仕方、立ち位置、体の向け方、台詞などを確認しながら進めた。
 母親役を演じる代表の粕谷美枝子さん(66)は「笑いの中にもちょっとほろりとするところもあります。見ていただいた方に笑ってもらって元気を出してもらえれば」、貧乏神役で演出担当の山崎博さん(68)は「貧乏神とのやりとりの中に滑稽さを出すように気をつけています。文化系の団体も頑張っているところを見せたい」と話している。
 「いのちの色えんぴつ」はこやま峰子さんの作。脳腫瘍になった少女が、弱音をはかず両親に明るく接し、11歳で亡くなった実話。30分の朗読劇で紹介する。
【問い合わせ】電話64・5046、粕谷さん

写真=稽古に励む団員たち



台風水害から復旧
万願寺甘とう出荷
増収目指し順調に

 京のブランド産品の「万願寺甘とう」が出荷シーズンを迎え、下福井のJA京都にのくに選果場で5月20日、初出荷・出発式があった。今年は出荷量435トン、販売高2億7000万円を目指す。
 「万願寺甘とう」は大正末期頃に万願寺地区で栽培が始まったとされ、大型の肉厚で柔らかく、甘味がありビタミンAなどが豊富な舞I発祥の京野菜。昨年は舞Iと綾部、福知山のにのくに管内で、347トンを出荷し、販売額は過去最高の2億2800万円だった。9月に台風18号でハウスや畑が浸水被害を受けたが、災害後も高値で販売され、過去最高額となった。
 今年は栽培面積が約1割増え、同管内で403人が1488アールで栽培。舞Iでは133人が611アールで作付する。初出荷のこの日は舞Iから445キロ、管内で630キロが集まり、長さや形で「秀」「優」「良」に選別され、箱詰めが行われた。
 式では、舞I万願寺甘とう部会の米原浩朝会長が「台風の水害から関係機関の努力によって復旧することができ、栽培面積も増やすことができた。まだまだ売れる魅力ある商品。ブランド維持のために出荷量を増やしていきたい」とあいさつした。11月末まで約8割が京都市場へ、2割が首都圏などへ出荷される。

写真=万願寺甘とうの出荷作業



2014年5月23日












体験の市民たち 共楽公園に
学徒の遺志受け慰霊碑を
舞鶴空襲の犠牲者を刻む

 終戦間近の1945年7月29日の舞鶴空襲で犠牲となった勤労動員学徒と教師の20人を追悼しようと、空襲を体験した元学徒たちが、爆心地近くの共楽公園=余部上=に、慰霊碑の建立を計画している。空襲で両目を失明し昨年亡くなった橋本時代さん=京都市=の遺志を引き継いだ。市民に募金への協力を呼びかけている。
 米軍機が舞鶴海軍工廠に5トンの模擬原爆を投下し、97人の犠牲者が出た。米軍は日本の49カ所に模擬原爆を落としたが、犠牲者の数としては舞鶴が最も多い。翌日の30日には142機の艦載機による攻撃で、83人が亡くなった。舞鶴には約2万人の学生が勤労動員されていたが、いまだにその全貌と空襲被害の詳細はよくわかっていない。
 京都市にある洛北実務女学校の生徒だった橋本さん(当時16歳)は、工廠造兵部で人間魚雷の部品を磨く作業中に爆弾が落ち、一瞬の内に目の前が血の色に染まり気を失った。爆風で吹き飛ぶガラス片が全身に突き刺さり失明した。コールタールで全身真っ黒になり、遺体置場に並べられたが、足が動いたのに気づいた人によって救助された。
 戦後もガラス片が残ったまま、右耳も聴こえなくなるが、マッサージ師の資格を取り懸命に生きた。自宅で毎朝、水を供えて亡くなった旧友らの名前を呼び、「平和を守って」と声をかけ、77年から毎年空襲の日に、共楽公園山頂の鎮魂碑を訪れ、「また、今年も来たよ」と語りかけ続けた。昨年12月、84歳で亡くなった。
 舞鶴空襲の体験者たちの手記をまとめた編さん委員会事務局長の関本長三郎さん(70)=大波上=が昨年、橋本さん宅を訪れ、学徒の慰霊碑建立と費用の寄付の想いを伝えられ、今年2月に市民たちで建立委員会を結成した。舞鶴市の了解も得て、爆心地を見下ろすことができる用地を確保した。
 慰霊碑は自然石で高さ1・65メートル。京都師範学校などの生徒、舞鶴第ニ高等女学校教諭だった藤田譲二さんら20人の名前と建立の趣旨を刻んだ説明板も建てる。費用は600万円で、橋本さんの遺族からの寄付と市民の募金をあてる。7月29日に除幕をする。
 同委員会の戸祭武委員長(84)=昭和台=は「勤労学徒は84、5歳となり体験者は少なくなっている。平和への願いを込めて碑を建立したい」と話している。募金は6月末まで。送金先は郵便振替00930―3―234497 舞鶴空襲学徒犠牲者慰霊碑建立委員会。 【問い合わせ】電話62・5736、関本さん

写真左=爆心地を見渡すことができる建立予定地(共楽公園)
写真右=亡くなった旧友たちの冥福を祈る生前の橋本さん(2009年、同公園)



桑山さんの「地球のステージ4」
5月31日、市民会館 歌と映像と語りで伝える
被災地と紛争地のいま

 宮城県名取市の医師、桑山紀彦さんによる公演「地球のステージ4〜果てなき回帰〜」が、5月31日午後1時半から北田辺の市民会館で開かれる。世界の紛争地の子供たちや東日本大震災の被災地の現状と復興の歩みを歌と映像と語りで伝える。市民たちが被災地への支援活動として継続して主催している。
 桑山さんは中東やアジアなどの紛争地や貧困の地域で医療支援活動を続ける。そうした地でたくましく生きる子供たちの姿を伝えようと、NPO法人地球のステージを設立して、ソマリアやカンボジアなどの難民キャンプの様子など6部シリーズにまとめ、各地で公演している。
 2011年の震災では名取市も津波に襲われ、自らの診療施設も被災したが、家族や仕事を失くした子供や大人たちの心のケアやワークショップ、映画製作、被災者が語り合う集会所兼津波資料館の建設などにも取り組み、その様子も公演で伝えている。それを受け各地で支援の輪が広がっている。
 舞鶴でも多くの市民、団体、学校関係者が協力して実行委員会を組織し、毎年公演の企画や募金活動を実施し、今年で5回目になる。来鶴するたびに桑山さんは、日星高校や舞鶴医療センター付属看護学校の生徒たちとも交流を深めている。
 「地球のステージ4」では、パキスタン震災復興編で、避難民キャンプでの子供たちのサッカー大会を通して子らの心の成長を見つめ、パレスチナ編で少年たちとの打楽器ワークショップと破壊された町の様子を紹介する。震災の復活編ではいまの名取市閖上での取り組みを述べる。
 実行委員長の橋本希久子さんは「被災地ではいまも行方不明者の捜索が続いています。被災地への関心が薄れる中、いまの様子を知ってもらい心を寄せてほしい」と話している。会場では閖上の女性たちが作った手芸品なども販売する。
 入場料は前売り1,000円(当日は200円増し)、学生は半額。託児もする(要予約)。市民会館、総合文化会館などで販売中。
【問い合わせ】電話090・5665・1902、橋本さん

写真=更地のままの宮城県名取市閖上地区(2014年3月撮影、地球のステージ提供)



2014年5月20日

城下町の歴史たっぷりと
5月24、25日開催
細川幽斎田辺城まつり
ゆかりある若狭越前との交流も

 第23回まいづる細川幽斎田辺城まつり(同実行委員会主催)が、5月24、25日、南田辺の舞鶴公園一帯で開かれる。城下町として発展した歴史と文化にふれる一大イベントになっている。京都府登録無形文化財の吉原の太刀振り、幽斎とゆかりのある若狭越前の朝倉氏遺跡保存会(福井市)による寸劇などが披露される。
 地域の歴史をまちづくりに活かそうと、西地区の住民たちが田辺城城門の再建をきっかけに始めた。田辺城を築いた細川幽斎が慶長5(1600)年の関ケ原の戦いの2カ月前、500の兵で城に立て籠もり、敵方の西軍1万5000を釘付けにし徳川の東軍を優勢に導いた籠城戦、古今伝授の伝承者である幽斎を助けようと、後陽成天皇が勅使を送って和睦を勧めた史実などを軸にまつりが繰り広げられる。
 5月24日の前夜祭は、同公園で午後6時からよさこい踊りに続き、みつる幼稚園児による「田辺八景」、明倫小学校児童の「田辺城籠城の一席」の講談が演じられる。市内13の幼稚園と保育園の子供たちが描いた絵灯籠400基を公園に設置し、午後7時から点火する。
 5月25日は午前8時半に平野屋の幽斎神社で神輿に魂を入れる儀式をして公園に出発し、同9時に城門前で開会宣言。「いざ籠城に候」と藩士らが登城し、芝居仕立てで進行する。また、古今伝授の一場面も演じられる。
 朝代神社の祭礼で4年に一度、吉原地区の保存会で奉納される吉原の太刀振りは、籠城戦の際に吉原の漁師たたちが協力し活躍したことから、その功に報いるために許した武道の型を伝えたものとされる。大薙刀や小太刀などを手にして2人1組で8つの演技がある。同10時ごろに披露される。
 同11時からは鎧を着た武者、園児たち、各町内太鼓のみこし連など総勢1000人の行列が城門前からスタート。マナイ商店街などを練り歩く。
 幽斎は室町幕府の足利義明将軍と朝倉義景を頼って、いっとき越前の一乗寺に暮らしていたことがある。また、幽斎の妻である麝香(じゃこう)は若狭熊川宿出身。田辺の城下町をつくる際には越前の商工衆を多く呼び寄せまちの基礎を作った。その越前との交流を深めようと、同遺跡保存会と遺跡案内ボランティアを招き、武者行列に参加してもらうほか、福井県の劇団員が幽斎や朝倉氏などの戦国を寸劇で語る。午後1時から。
 このほかステージでは和太鼓演奏、日星高校チアリーディング、韓国民団舞鶴支部のサムルノリなどがある。公園では福井県の名産を販売する物産展、野菜市、野点、芸屋台などが並ぶ。同4時に閉会。
 雨天の場合は一部の催しを西市民プラザで行なう。
【問い合わせ】電話75・0933、舞鶴商工振興会内の事務局

写真=まつりで披露される吉原の太刀振り(同保存会提供)



自然保護の道一筋
理学博士の荒木さん 環境大臣表彰を受賞

 自然公園の保護などに功績のある個人・団体を讃える「平成26年度自然公園関係功労者環境大臣表彰」を、理学博士の荒木邦雄さん(71)=丹波=が受賞した。5月24日に長野県伊那市で行われる式典で表彰される。
 環境省自然公園指導員歴22年の荒木さんは、若狭湾国定公園や丹後天橋立大江山国定公園の動植物の保護、自然観察会のガイドなどを務め、自然保護思想の普及啓発に尽力。青葉山レインジャー隊の隊長やネイチャーガイド養成講座の校長、府希少野生生物保全推進委員、市文化財保護委員など多岐に渡り活動を行っている。
 荒木さんは貝類の研究が専門で、現在約1万5000種類の貝殻を所有している。本紙の創刊号から100回に亘り「若狭湾貝類紳士録」を連載していた。1988年に青葉山の自然保護に取り組む青葉山レインジャー隊を始め、2004年には全国で舞Iが初となる、市民が地域の自然を学ぶネイチャーガイド養成講座を開講し、貝類や化石、野生獣に関する講師も務めている。
 02年に青葉山レインジャー隊で「地域環境保全功労者環境大臣表彰」を団体で受彰して以来、個人では初受彰。荒木さんは「全国で約2700人いる自然公園指導員の中から、個人で選んでもらえたのはとても貴重なのでありがたい。若い人達に自然保護を伝え、後継者を育成するのが今の私の使命です」と話していた。

写真=ネイチャーガイド養成講座で基調講演を行う荒木さん



2014年5月16日

神崎の夏ミカンをPR 市民グループ 京都市の料亭へ出荷 「夏の清涼感の味」需要高まる

 神崎地区などで作る夏ミカンを特産品としてPRしようと、市民たちがこのほど収穫し、京都市の老舗料亭に向けて出荷した。一時は酸味が嫌われ世話もされてこなかったが、都市部の料理店や菓子店で需要が高まっている。市民らは「京夏みかん」と名付け、売れる果物として認知度を高めていくことにしている。
 神崎や宮津市の由良地区で、約130年前の明治期に北前船で山口県萩から運ばれ、栽培が始まったとされる。昭和30〜40年代が需要のピークで、甘い果実に好みが移ると、木は放置されたり伐採されるなどしてきた。神崎地区でも現在は自家用に食べる程度だった。
 神崎でスカイレジャーを楽しみ、地区の活性化に取り組む村上貴是さん(66)=女布=らが昨年、仲間たちと「舞鶴夏みかんの会」を結成し、夏ミカンの売り込みを開始した。
 生産地の萩などを見学し、京都や神戸などの有名な飲食店や菓子店などに持ち込むと、いまでは夏ミカンはその酸味が夏の清涼感として受け、新しい料理やお菓子に加工され人気になっていることがわかった。ある店では年間、50万個を仕入れていることも知った。神崎の夏みかんの美しさと味も高い評価を受けた。
 昨年は知人の店や市内の保育所などで販売をした。今年は初日の収穫日に、西神崎のミカン畑で5人のメンバーが、直径10センチ以上で表皮に傷のない果実をもぎ取り、50個を出荷した。その後も料亭から追加注文の80個、市内の和菓子店から20個の注文を受け出荷した。
 村上さんは「いまはニーズを見つければ、売り込み先はたくさんあります。注文の個数に足りないので、地元の農家と協力して生産が広がり、地域づくりに役立てられれば」と話している。
 同会は5月22日午前10時〜午後4時、北吸の市政記念館で、夏みかんを使った商品の試食会や販売などをする。先着30人に夏みかんをプレゼントする。
【問い合わせ】電話82・5115、事務局

写真=夏みかんを収穫するメンバーたち(西神崎)



歴史の証人ピカピカに
「松栄館」旧館 ボランティアら清掃

 明治期の木造建築である浜の「松栄館」旧館を7月の海フェスタで公開するのに合わせ、5月12日、市民ボランティアたちが室内の清掃活動をした。階段や廊下の埃を払って拭き、歴史を漂わせる建物の構造や客室の調度に懐かしさを感じていた。
 松栄館は1904(明治37)年に創業された老舗旅館。木造2階建ての旧館は能舞台を備えた72畳の大広間を持つ。戦前は旧海軍関係者が宴会に利用し、映画「飢餓海峡」のロケ撮影も行なわれた。
 2004年から経営母体が変わり、本館はビジネスホテル「アマービレ」(吉田正子社長)に変わり、旧館も手直しをしたが宿泊客を受け入れていない。一時は取り壊しも検討されたが、市民の要望も受け維持を続けてきた。
 無料公開に合わせ、ボランティアの力を借りて清掃することにし、この日は市民やホテルスタッフら13人が掃除機をかけたり、窓枠を外して拭くなどした。また、休憩時間にはここを利用するアイデアや建物の歴史などを語り合った。
 石原絢子さん=桃山町=は「宴会などで利用したことがあって懐かしい。何十年ぶりかで入りましたが、立派な能舞台のある建物を利用してほしい」と話していた。吉田社長は「ボランティアで協力していただいた皆さんには感謝しています。市民や観光客に見ていただければ」と述べた。
 5月17日は庭園の剪定作業をする。ボランティアを募っている。見学会は7月19日〜21日、26、27日、8月2、3日。 【問い合わせ】電話65・5000、アマービレ

写真=2階の窓を拭く市民たち



2014年5月13日

人生の最期お気に入りの衣装で
デザイナーのよしださん「おしゃれに自分らしく」
5月17、18日 エンディングドレス展
地域に愛される店に

 人生の最期をお気に入りのドレスで着飾っては― 七条中町のデザイナー、よしだ敦子さん(61)が自分らしい旅立ちの衣装を提案している。大切な着物をおしゃれにリメークして、夢と実用性を兼ね備えた洋服へと生前に準備しておく。よしださんと洋裁教室の生徒たちが5月17、18日、北吸のまいづる智恵蔵で開くエンディング・ドレス展で展示する。
 2006年から着物のリメークを仕事として手掛けるが、葬儀での最期の衣装に生前のその人らしさを感じないことが多かったため、お気に入りの着物を生前に作り直して準備することを提案し、2012年に京都市内でドレス展をしたこともある。
 丹後ちりめんの着物や洋服生地を素材にして、華やかに見えるように胸元にフリルやギャザーをたっぷり使い、手を組んだときも美しくなるように袖口を大きくとる。バラをイメージして真っ赤なドレスで胸元にはケープ状のものを巻いた。
 また、どんな体型の変化にも対応でき、着せやすいようにと、袖ぐりに余裕をもたせ、パンツのサイドを開けたり、前開きにして組ひもボタンを採用した。実際に依頼を受けた人がそれを着用して旅立ったり、生徒の中にも夫に着せて見送った人もいる。
 よしださんは「8年前に提案したときにはまだ理解してもらえませんでしたが、生前の間に自分の最期を決める終活が認知され、やっと受け入れられるようになりました。ファッションショーも開いて、理解を広げていきたい」と話している。自らも白生地の丹後ちりめんで最期のドレスを用意した。
 エンディング・ドレス展にはよしださんが7点、生徒たちが10点を出品する。家族の一員であるペットの犬と猫の最期の衣装も展示する。午前10時〜午後5時。入場無料。
【問い合わせ】電話64・4424、よしだ洋裁

写真=着物を華やかに仕立てた洋服とよしださん



写真家・鋤田さん回顧展
ロックの歴史 赤れんがに
5号棟で 舞鶴の風景も

 デヴィッド・ボウイやYMO、忌野清志郎など、国内外の多数のミュージシャンを撮影し続けてきた、写真家・鋤田正義さん(76)の回顧展「SOUND&VISION」が、北吸の赤れんがパーク5号棟で開催されている。アルバムジャケットやポートレート、広告写真のほか、今年4月に舞Iで撮影した風景写真まで、半世紀に亘る鋤田さんの歴史を263点の作品で振り返ることができる。7月6日まで。
 福岡県出身の鋤田さんは高校生の頃に写真を始め、広告会社でファッションの写真を手掛けた後、1970年にフリーとなり、英国のロックバンド、T・REXに関心を抱き単身渡英。独自撮影に成功したのを機に、現在まで様々なミュージシャンたちを撮り続けてきた。また、何気ない風景の一瞬を切り取る写真も多く、「SOUND&VISION」はボウイの曲名から取られ、ミュージシャン(サウンド)と風景(ビジョン)を表している。
 今回の回顧展は2012年の夏から東京、福岡、大阪を巡回し、舞I赤れんがパークブランディング機構が、プロデューサーの立川直樹さん(65)を通じて誘致し、国内最終展が舞Iとなった。
 立川さんのプロデュースにより、5号棟の奥行き約50メートルを使って36枚並べられた、沢田研二やシーナ&ザ・ロケッツ、小泉今日子などの著名なミュージシャンを中心とした写真や、高さ2・7メートル×幅10・4メートルのボウイの緞帳、YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のアルバムジャケット、70年代のロンドンや東京のパンクとニュー・ウェーヴ、寺山修司の映画「書を捨てよ町へ出よう」の写真などが倉庫内を飾っている。
 舞Iを撮影した風景写真は、モノクロで撮られた五老岳からの舞I湾や丹後富士、イージス艦、カラーの成生の朝、桂貯水池など。
 鋤田さんは「写真も予定通りに収まっていないものが好きなので、赤れんが倉庫をギャラリーにするという、はみ出した部分が気に入ってます。有名人の顔でも風景でも、見て楽しんだり感じて、写真っておもしろいなと思ってほしい」と話していた。
 入場料は一般300円、市民は200円、高校生以下無料。午前10時から午後4時半。月曜休館。
【問い合わせ】電話66・1096、舞I観光協会

写真=巨大なデヴィッド・ボウイの緞帳(左)など作品の前に立つ鋤田さん



2014年5月9日











全舞鶴勤労者福祉協議会
安くておいしい食守ろう
「レストラン二条」田園町に移転オープン
地域に愛される店に

 浜の市勤労者福祉センター1階にあった「レストラン二条」が、同センターの耐震化工事によって建物から退去し、田園町の元飲食店にこのほど移転オープンした。運営する全舞鶴勤労者福祉協議会(長柄俊治理事長)は、労働者のためのレストラン事業を続けようと決断。守ってきた安くておいしい料理を基本にしつつ、地域に根ざした新しいメニューや店舗づくりも目指している。
 同協議会は労働団体で1963年に設立し、現在は連合京都北部地域協議会や舞鶴地方労働組合協議会などに加入する約40の団体からなる。働く者の社会福祉の向上を目的に、美術展などに取り組む。
 79年からレストラン事業として浜二条通りで営業を開始。同福祉センター内での結婚式、労働者の会合や宴会の仕出しを作り、市民や東公民館の利用者が気軽に店舗に訪れるなど親しまれていた。近年は結婚式の減少や周囲に飲食店が増えるなど、経営環境は厳しさをましている。
 市が介護専門学校を誘致し、同福祉センター内に入居して来年4月開校に向け、改修工事を行なうため、施設の使用ができなくなった。同協議会はこれを機にレストラン事業の撤退も検討したが、OBたちが続けてきた事業を守ろうと移転を決めた。
 「レストラン二条」の店名を残した新店舗は、志楽小学校近くの田園町の釣具店隣り。テーブル席の約60席のほか、カウンター席もある。これまで通り仕出しも行い、店舗では定食や丼ものなどを提供する。チキンライス(400円)を復活させ、子供や若者たちを意識したセットメニューも揃えた。
 このほど開店記念レセプションが開かれ、労働団体や市関係者ら60人が出席し、移転オープンを祝った。長柄理事長は「組合員や市民たちが気軽に使える店だった。今後はこれまで以上に地域に愛されるレストランにしていきたい」と話している。
 営業は午前11時〜午後3時(2時オーダーストップ)。5月13日からは居酒屋風レストランとして夜間も開ける。月曜休み。
【問い合わせ】電話62・2184、同店

写真左=開店を祝う関係者たち
写真右=「レストラン二条」の名を残した新店舗



清掃ボランティア募る
明治の老舗旅館 海フェスで公開
「松栄館」旧館 映画ロケにも

 浜のビジネスホテル「アマービレ」は、映画「飢餓海峡」のロケも行われた老舗旅館「松栄館」旧館を、7月の海フェスタに合わせ無料公開する。12日と17日に清掃と剪定作業を行なう。ボランティアを募っている。
 松栄館は1904(明治37)年に創業。木造2階建ての旧館は、能舞台を備えた72畳の大広間があり、建物の外観や各部屋は明治の雰囲気を残す。戦前は旧海軍関係者が宴会に利用し、戦後は引き揚げ取材の報道関係者の定宿として賑わった。
 2004年9月に廃業し、新しい経営者が本館をビジネスホテルにし、「聚幸庵(じゅこうあん)」と呼ぶ旧館は宿泊客を受け入れていない。
 5月12日は午前9時〜午後3時半、建物の清掃、5月17日午前8時半〜午後5時、庭園の剪定をする。お茶と昼食はホテルで用意する。
【問い合わせ】電話65・5000、同ホテル

写真=能舞台を備えた大広間



2014年5月2日











舞鶴2チームで初 京都ベスト4
中信杯全京都学童軟式野球春季大会
福井ク優勝、共楽ク3位
北部から 連日遠征のハンデ乗り越え

 五老スカイリーグ(阿波正明会長)所属の福井少年野球クラブ(加藤正監督)と共楽少年野球クラブ(西川幸満監督)の2チームが、舞I代表として3月26日から4月6日まで京都市左京区の岡崎公園球場などで行われた「第43回中信杯全京都学童軟式野球春季大会」に出場し、学童の部で福井少年野球クが北部勢として初優勝、共楽少年野球クが3位の成績を収めた。
 158チームが参加した同大会で両チームは、北部地域から連日遠征するハンデを乗り越え、福井少年野球クは7試合、共楽少年野球クは6試合を戦い、舞I勢同士の決勝戦実現はならなかったものの、2チームがベスト4入りする初の快挙を成し遂げた。
 両チームは5月10日から亀岡市で行われる、「高円宮賜杯第34回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント京都府予選大会」に出場。福井少年野球クは8月に徳島県で行われる「大鳴門峡大会」に府代表として出場する。
 試合結果は次の通り。
【2回戦】
小向山少年野球倶楽部 0000000  0
福井少年野球ク      001100× 2

金閣リトルタイガース  200000  2
共楽少年野球ク    20100× 3

【3回戦】
福井少年野球ク  1253 11
北城陽OIクラブ   0000  0

共楽少年野球ク   201010 4
東寺ベースボールク 010000 1

【4回戦】
福井少年野球ク 0100101 3
鏡山ク       0000010 1

共楽少年野球ク  000102 3
山科ヒーローズ  100000 1

【5回戦】
向日ウイングス 0020000 2
福井少年野球ク 1010001 3

共楽少年野球ク 000104 5
御蔵山スポ少   103000 4

【準々決勝】
福井少年野球ク 0002001 3
山科ク       0000000 0

いずみク      000100 1
共楽少年野球ク 000101 2

【準決勝】
福井少年野球ク 0000020 2
西城陽MVク   1000000 1

小野エースク   0000021 3
共楽少年野球ク 0000020 2

【決勝】
小野エースク   0000000  0
福井少年野球ク 001030× 4

写真左=優勝した福井少年野球ク(同ク父母会提供)
写真右=3位の共楽少年野球ク(同ク父母会提供)



設立20周年 中筋少年野球ク
濱口代表へ捧げる優勝
亀岡市長旗野球大会 チーム一丸で戦う

 今年で創設20周年を迎えた軟式野球チームの中筋少年野球クラブが、第36回亀岡市長旗争奪少年野球大会(西京都少年野球振興会主催)中学の部で優勝した。2回戦後にチーム代表の濱口芳雄さんが急逝し、3回戦から喪章を付けて一丸となって戦った。
 城南中生徒でつくる中筋少年野球クは2回戦で亀岡イースタンと1―1と引分け、抽選勝ちをした。この時には濱口さんは元気だったが、急な病気で4月1日に63歳で急死した。選手たちは全員ユニフォームを着用して葬儀に参列し、チーム設立者の濱口さんに、高田智哉主将らは優勝を誓い見送った。
 3回戦は飛翔野球クに2―0、準決勝は久美浜クに1―0、4月27日の決勝はオール千代川に3―0と、全て完封勝利をし、持ち味の守り勝つ野球を発揮した。
 速水伸也監督(56)は「選手や保護者、関係者全員が気持ちを一つにして戦い、濱口代表も見守ってくれたのだと思います。四十九日には優勝旗を持って報告したい」と話していた。

写真=喪章をつけて戦い優勝した中筋少年野球クの選手と関係者たち(同クラブ提供)



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