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2010年4月30日

京都生協舞鶴行政区委員の金井さん(公文名)
国連NPT再検討会議に合わせ核兵器廃絶のメッセージ
 5月3日〜同28日に米国ニューヨークの国連本部で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれるのに合わせ、日本から広島と長崎の被爆者や市民らが現地に向かう。その中に、全国の生協106人の代表団の一員として、京都生活協同組合から舞鶴行政区委員の金井和枝さん(55)=公文名=が派遣される。署名や寄せ書きで託された核兵器廃絶を願う想いを携え、各国から集まる市民とともに、核なき世界に向けたメッセージを伝える。  NPTは1970年に発効、95年に無期限延長された。現在約190カ国が加盟し、核軍縮など実効性ある方策を探るため五年に一度、再検討会議が開かれる。今回の会議は、核兵器廃絶の国際機運が高まる一方、核テロの脅威も増すなど、これまで以上に論議の行方に注目が集まる。  会議の期間中、各国代表らに核兵器廃絶を直接訴えようと、各国のNGOがニューヨークに集まる。京都生協でも組合員から派遣する代表1人を募集。5年前に広島を訪れ原爆の悲惨さを知り、前回会議に出席した被爆者で京都生協役員の話に触発された金井さんは、仲間たちから背中を押されて応募し、昨年10月に決定を知らされた。  出発準備を進める中、今年2月、広島平和文化センター理事長の講演で「廃絶を願うなら1歩踏み出す行動を」との話を機に、平和市長会議が呼びかけ国連に届ける核兵器廃絶の署名集めに取り組もうと、500筆を目標に活動を開始。その姿に次々と友人らが協力を申し出て、署名の輪が広がり1100筆が集まった。京都生協全体では3万筆を超えた。  派遣は5月1日〜6日。学校や教会などで体験を話す被爆者の活動をサポートしたり、2日には国連近くでデモ行進に参加する。よさこいグループで踊っていたこともあり、府北部の組合員たちが、平和への想いを寄せ書きしたよさこいの衣装を着て歩き、仲間たちと一緒に手作りした折り鶴を付けたしおりを、国連の原爆展などで配り平和をアピールする。  金井さんは「行動を起こした短期間の署名活動の中で、想いがあれば人に伝わり多くの人と手をつないでいけるんだと自信になりました。現地ではオバマ米大統領の発言に注目し、米国市民と交流し原爆への関心のありようを知りたい」と平和への熱い想いを胸に現地入りする。帰国後は各地で報告会を開く。

写真=平和への想いを寄せ書きしたよさこいの衣装でデモに参加する予定の金井さん
5月3日の朝代神社春季例大祭を前に
西市街地老人クラブ連合会会員ら境内を清掃
 舞鶴市西市街地老人クラブ連合会(増山寛一会長)の会員たちが4月26日、朝代の朝代神社境内で、ボランティア活動として雑草刈りやごみ拾いに汗を流した。  同クラブは、西市街地の13単位クラブで構成。会員には同神社の氏子も多く、同神社の春、秋の例大祭を前に、恒例活動として清掃奉仕に取り組んでいる。  この日の清掃には35人が参加。同神社の春季例大祭(5月3日)を前に、会員たちは鎌で雑草を刈り取ったほか、道路沿いの側溝に入りごみを拾い集めた。  同クラブ副会長の堀江守さん(76)は「会員の皆さんが集まってくれ、春季例大祭を前に朝代神社境内もきれいになりました」と話していた。

写真=雑草刈りや側溝を清掃する会員たち
2010年4月27日

新しい桜の名所の敷地内に八重咲きの花見ごろ
丸玉産業舞鶴工場、5年がかりで独自に護岸も整備
 建築用木工部材の設計や製造を手掛ける平の丸玉産業舞鶴工場(小林永政工場長)の敷地内に、多くの桜の木が植えられている。工場の環境整備として職員たちの手で毎年少しずつ苗を作って増やし、苗木も含めて約50本の桜があり、5年がかりで工事が完了した護岸には、鬱金(うこん)桜や天の川桜など珍しい八重咲きの花がいま見ごろを迎えている。舞鶴の新しい桜の名所に育てよようと取り組みが続く。  桜の多い舞鶴の土地柄を意識し、工場内でも桜を増やそうと、約20年前から植え始めた。当初はソメイヨシノやオオシマザクラを主に、工場の敷地約6万6000平方メートルの境の土手や庭などに植えた。  その後も、木のそばから出てきたひこばえや実生の苗を育て、大きくなった苗木を植え替えるなど職員たちが自ら世話をして増やしてきた。いまでは職員たちが花見をして楽しめるまで大きくなっている。  また、海岸の護岸工事も独自に着手。土手だった海岸は大きな波によって浸食されたり、近くの引揚公園の頂上から見える位置にあることから、府などにも工事を陳情したが実現せず、約5年前から整備を始め、潮位の低くなる冬場に少しずつ進めた。コンクリートで固めることはせず、自然石を積み上げた工法を採用し、今年3月に長さ150メートル、幅2メートルの護岸が完成した。  その護岸そばにも引揚公園頂上からも見て楽しんでもらえるようにと、数年前から八重咲きの珍しい品種を植えている。淡黄緑色の鬱金桜、枝を張らずに真っ直ぐ伸びる天の川桜、松のような樹形の松月(しょうげつ)桜、紅普賢像(べにふげんぞう)桜、関山(かんざん)桜の花が、海とクレインブリッジの風景の中で咲き、休憩時間中には職員たちもこの景色を楽しんでいる。  小林工場長(64)は「今年は寒い春の影響で一斉には咲かなかった。あと10年もすれば見事な桜の木になるでしょう。今後も植樹を続けていきたい」と話している。

写真=自然石を積み上げた護岸に咲く八重咲きの桜の木々
梅田さん夫妻の新シリーズ絵本の講演会と原画展
5月8日、『おかあさんもようちえん』出版記念
 絵本作家の梅田俊作さんと佳子さん夫妻の新シリーズ「まるごとようちえん」の第一作『おかあさんもようちえん』の出版を記念して、この本だいすきの会舞鶴支部が、5月8日、北吸の市政記念館で俊作さんの講演会と原画展を開く。実在する徳島のフリースクールを題材にした絵本で、自然の中で豊かに遊びながら育っていく子供と親の姿を伝えている。  梅田俊作さんは1942年、網野町生まれ。いびつになった人間関係に苦しみ、いじめを描いた『しらんぷり』で日本絵本大賞を受賞するなど、多くの作品を発表している。妻との共作に『ゆきみち』など。  新シリーズは阿南市の幼稚園や小学生たちが通う「自然スクールTOEC」を題材にした。田畑に囲まれた中に1軒だけ立つ建物、子供たちは日課を自分で決めて過ごす。泥んこ遊びで始まり、泥んこ遊びで終わる日も多く、いつでもお風呂が沸いている。  スクールの近くの美波町に住む梅田さんが、寛大でたくましい心を育んでいる様子を見て、4冊の絵本シリーズにすることにし、1作目はNPO法人「絵本で子育て」センターから発行した。散歩する母親と男の子がまるごとえんを訪れ、夢中になって遊ぶ様子を描く。とことん遊ぶことで自信や喜びを回復する。  同支部の水野友晴支部長は「いまは子供たちも忙しく、ゆっくり伸び伸びと育つ環境が少ない。スクールは大人も一緒に遊ぶことで人間性を見つめなおす場になっています」と話す。  原画展は正午〜午後4時。次回作「おとうさんもようちえん」の原画を展示する。講演は同1時半から。テーマは「『しらんぷり』をぶっとばせ」。子供の本や専門書なども並ぶ。参加協力券は1000円。同記念館内の喫茶店ジャズなどで扱っている。
【問い合わせ】電話64・6079、辻さん

写真左=『おかあさんもようちえん』の1場面(「絵本で子育て」センター提供)
写真右=梅田俊作さん(同センター提供)
2010年4月23日

こいのぼり泳ぎ住民交流、5月4日にフェスタも
倉谷西町内の有志「倉谷西やろう会」
 倉谷西町内の有志でつくる「倉谷西やろう会」(国光昭会長、会員26人)が、町内を流れる天清川沿いの区間に、5竿を設置して大きなこいのぼりを揚げたり、小さなこいのぼり約600匹を川の両岸から掲げて、地域の住民や登下校の小学生たちを楽しませている。年々飾られる数は増え続け、住宅地の空を泳ぐこいが地域の交流に役立っている。5月4日は倉谷橋のたもとでこいのぼりフェスタを開き、模擬店を並べたり撮影会などをする。  倉谷西は余内の区民運動会で、ゴジラなどを作って応援したりと活動が活発な地域でもあった。そうした活動が好きな住民らが区民運動会がなくなり、代わりの場をつくろうと2005年にやろう会を結成。「何でもやろう」という気持ちから名付けた。  町内会の倉谷西まつりや地蔵盆などの行事で中心的な活動を担っている。キャラクターのピカチューを題材に、ダンボールなどで巨大な人形を作ったりもした。また、冬には余内小学校の通学路を雪かきするなど、男女の会員たちが全てボランティアで取り組んでいる。  設立時から続けているのが、端午の節句に合わせたこいのぼりの設置。倉谷橋と浜田橋の192メートル区間の天清川沿いに竹を立てて、住民から提供を受けた大きなこいのぼりを揚げ、川幅約10メートルにロープを渡し、1本のロープに小さなこいのぼり24匹を掲げている。倉谷西は川を挟んで南北にまたがっているため、ちょうどこいのぼりを見に来る住民が顔を揃える場になっている。4月25日にもう1竿立てる予定。  次第に評判を呼び、他町内の人がこいのぼりを提供してくれたり、写真撮影に訪れる人も増えている。国光会長は「連休に来る孫と見に行くので楽しみにしていますという人もおられ、地域の風物詩になりつつあります。ただ、交通に注意して見て下さい」と話している。フェスタは5月4日午前11時〜午後1時。こいのぼりは5月9日に撤収するまで飾っている。

写真=天清川沿いに泳ぐこいのぼり
鹿原川土手、2匹のホタルの大模型が夜間LED発光
今年はヒメホタルも加わり自然環境啓発看板設置
 地域の農地や水など環境保全に取り組む鹿原活動組織(福村一実代表)が、自然環境への関心を高めてもらう啓発看板を、今年も鹿原川土手に設置した。100倍サイズのゲンジボタルの模型に加え、ヒメホタルの模型を新たに製作し、夜間にLEDで発光している。  農林水産省の事業として、鹿原地区では2007年から町内会や農事組合などで活動組織をつくり、田植えや生き物の観察会などを行ってきた。昨年から設置する啓発看板には、ビニール製のプレートを外枠にしたゲンジボタルの模型(2メートル)、子供たちが描いた生き物の絵が張りつけられている。府の農地・水・環境保全向上対策協議会の啓発看板・ポスターコンクールで優秀賞も受けた。  昨年、地域のホタル調査を行い、山中で陸性のヒメホタルを見つけたことから、今年はヒメホタルの模型(50センチ)も製作。発光の間隔も本物と同じにし、ゲンジボタルは2秒に1回、ヒメホタルは0.5秒に1回点灯するようにした。4月18日に住民たちが集まる中、点灯式を開いた。11月末まで日没後の6時間、自動的に点滅する。

写真=設置されたホタルの模型の環境保全啓発看板
2010年4月20日

3Dデジタルシネマを楽しんで!
北近畿で初、八千代館が最新の上映システム導入
 最新の映像技術として注目されている3D(三次元)のデジタルシネマの上映システムが、浜の八千代館に導入され、4月17日から公開されている「アリス・イン・ワンダーランド」から3D上映が始まった。都市部での大手シネコンではすでに3Dシステムは設置されているが、全国的にみても地方の単館での導入はまれ。映画館でもフィルムからデジタル時代になり、奥行きと躍動感ある映像が新たな魅力として映画ファンを楽しませている。  3D映画は特殊な機材を含む2台のカメラで撮影する。劇場ではデジタルの映写機で上映し、観客は3D用の眼鏡をかけて見る。立体感と飛び出してきそうな映像が特徴で、3D映画の大作「アバター」が昨年公開されると国外で大ヒット。日本でも、いち早くシステムを導入した大手のシネマコンプレックス(複数のスクリーンを持つ劇場)で上映した。  映画製作や映画館の運営をするシマフィルム(志摩敏樹代表)が、今後も多くの映画が3Dで製作される流れを受け、デジタル化に対応した劇場づくりへ手を打とうと、3スクリーンを持つ八千代館で、北近畿初となる導入に踏み切った。初期投資が嵩み、地方の独立系映画館ではまだ導入は進んでいない。  3Dと2D(二次元)のデジタル映画に対応した映写機、スクリーン、スピーカーなどの機材を新たに設置。映写機は稼働式とし、スクリーン1、もしくは2で上映する。また、大手の製作ではない映画監督たちが撮る映画も、フィルムではなくDVDによる作品も増えていることから、そうした作品を上映するため専用の映写機も同時に備える予定。これまで通りフィルム映写機も併用し、アナログとデジタルを使い分ける。  「アリス・イン・ワンダーランド」の初日に来場した木村美由紀さん(42)=北浜町=は「3Dを初めて見ましたが、映像に手を伸ばしたら届きそうな感じがして、映画の世界に入っていくことができ、最高に面白かったです。近くに映画館があって最新の封切り映画が観られることはとてもうれしい。これからもがんばってほしい」と話していた。  志摩代表は「3Dをきっかけに、映画離れしていた人が再び劇場に足を運んでもらえれば。フィルム映画や上映の機会の少ない若手監督の作品など、幅広くいい映画を今後も紹介していきたい」と地方での映画文化の灯を守ることに情熱を燃やす。6月に「アバター」、7月に「トイ・ストーリー3」の3Dを予定している。
【問い合わせ】電話62・3583、同館

写真=新しい3D映写機と志摩代表
舞鶴の蒲鉾メーカー5社製品が並ぶ販売コーナー
西駅交流センター内「まいづる観光ステーション 」に
 昨年12月に市が伊佐津の西駅交流センター内に開設したまいづる観光ステーションで、舞鶴の蒲鉾メーカー5社の製品が並び、便利な販売コーナーとして利用者が増えている。これまで観光施設や交通機関に隣接した場所で全てのメーカーの製品が買える場所がなかっただけに、駅の利用者や観光客が土産用に、また近所の市民たちが日常の食事用にと買い物に訪れている。  地域ブランドになっている舞鶴蒲鉾だが、土産用や贈答用には、スーパーや鮮魚店で購入する人が多かったが、必ずしも5社全ての製品があるわけでなく、観光客やビジネスマンが利用する駅やその周辺で、いつでも5社の製品が買える販売店を求める要望があった。  観光ステーションは西交流センター1階にオープン。観光案内や情報発信、舞鶴の土産品の販売などをする。そのコーナーに冷蔵ショーケースを置き、5社の蒲鉾と竹輪の約20品を販売している。「藤六商店」のように製造元でしか売っていない商品も並ぶ。  観光客や舞鶴から出掛ける市民らが、単品や箱詰めで買い求めている。ビジネスマンには帰りの車中で食べるためか、お手ごろないわしちくわ(200円)が人気。ここにない品でも舞鶴蒲鉾協同組合が行う通販のパンフレットを、ステーション職員が紹介する。  交流センターでのイベントの帰りがけに買う人や、スーパーにない品物も置いているため常連の住民も増えており、品物が不足し急遽補充する日も。真向かいにある同組合のかまぼこ資料館でも、ステーションでの販売を知らせている。  ステーション・観光キーパーソンの井上正さんは「連休などには多めに入荷するなど、組合と相談しながらどの種類をいくら置くかを決めています。単に売るだけでなく、お客さんとの会話を通して舞鶴と蒲鉾のイメージアップにつながれば」とする。同組合は「駅に販売拠点を作ることが課題だっただけに、コーナーの設置はありがたい。売上も右肩上がりです」と喜んでいる。  近く舞鶴の地酒コーナーも設ける。開業時間は午前9時半〜午後6時半。休みは12月31日〜1月2日。
【問い合わせ】電話75・8600、観光ステーション

写真=5社の蒲鉾と竹輪を並べたコーナー
2010年4月16日

府難聴者協会元舞鶴支部長・濱元さんを
4月18日に舞鶴グランドホテルで偲ぶ会
 難聴者の人権回復に向けて、仲間づくりや耳の聞こえの相談拠点の開設、要約筆記の普及などに尽力した京都府難聴者協会舞鶴支部の元支部長、濱元俊吉(しゅんきち)さんが、昨年12月16日、59歳で亡くなった。関係する団体で実行委員会を作って4月18日、円満寺の舞鶴グランドホテルで偲ぶ会を開く。濱元さんの思い出を語りながら、遺志を継いで今後も福祉の前進に力を合わせていく。  濱元さんは小学校5年で軽度の難聴と診断された。後年は重度にまで進み、補聴器を着けるがほぼ聞こえず、手話や筆談、口許を読み取ってコミュニケーションを取った。  聞こえないことで社会からの孤立を感じていた20代、手話教室で出会った難聴者たちが同じ悩みを持っていることを知ったのを機に、自分の障害を受け入れることができ、仲間の交流をしようと1978年6月に舞鶴難聴者協会を設立、会長に押された。  難聴者の社会参加を進めるため、会話などを書いて伝える要約筆記者の養成講座を80年に開催。翌年からは市主催で毎年開かれ、82年には修了者で舞鶴要約筆記サークル「みみかき」が結成されるなど、「難聴者と要約筆記者は車の両輪」と支援団体の育成にも努めた。  聞こえの悩みや補聴器について相談できる拠点を行政に要望し、2001年に舞鶴市聴覚言語障害者支援センターが開所、3年後には言語聴覚士が配置され相談業務が強化された。難聴は見えない障害でその程度も人によって異なることから、市民や医療機関などへの啓発活動にも力を入れた。  若い難聴者の会員を増やし、さらに聴言センターを活用し孤立しがちな人が当たり前に参加できる地域づくりの課題に意欲を持ち続けていたが、約1年半前に突発性間質性肺炎の難病にかかり、入退院を繰り返し志半ばで亡くなった。  偲ぶ会は府下一円から約百人が出席する。各人が思い出を語ったり、写真で当時を振り返る。親交のあった人たちが座談会を開き、その活動を話し合って作成した追悼冊子も配布する。  舞鶴市聴言センター・言語聴覚士の白杉拓哉さんは「要望を言う時は曲げない厳しさを持つ反面、周囲の人には気を使う優しい人柄で、会員の皆さんが濱元さんを慕ってついていかれていました」、30数年間親交を持つ要約筆記者の迫田邦子さんは「地方にいても府や全国的な運動の動きをつかみ、まず自分から行動してみんなを引っ張っていくリーダーシップを持っていた」と早すぎる死を悼んでいた。

写真=交流会で笑顔を見せるありし日の濱元さん(右端)
癒しの「天女座」ライブコンサート
4月29日の桂林寺開山忌にあわせ、講演も
 紺屋の桂林寺で4月29日、開山忌が営まれるのにあわせ、癒しの音楽を奏でるくまの「天女座」のライブコンサート、子ども家庭教育フォーラム代表でカウンセラーの富田富士也さんの講演がある。だれでも参加できる。入場無料。  桂林寺は室町時代の応永8(1401)年の開創と伝えられ、市内と丹後地方の曹洞宗寺院を束ねる要寺。開山忌は初代住職の法要で毎年営んでいるが、それに合わせて地域の人たちにも開かれ、親しまれる寺院活動をと文化行事も実施している。  ライブコンサートは、矢吹紫帆さん(ピアノ・シンセサイザー)、矢中鷹光さん(ボーカル)、綱澤僚さん(シンセサイザー・ピアノ)が出演する。3人は「100万人とふれあうコンサート」で世界500カ所以上でライブ行脚中。癒しを与える演奏活動の先駆けとなった。富田さんは「あなたに還(かえ)る家はありますか」をテーマに話す。法要が終わる午前11時から。
【問い合わせ】電話75・0168、桂林寺

写真=開山忌、ライブと講演のちらし
2010年4月13日

スーパーにしがき東舞鶴店駐車場に
CO2削減へリサイクルポイントステーション
 古紙を運び込むと実質的な二酸化炭素(CO2)の削減量が表示され、古紙の重さによって提携先の店で使えるポイントが加算される全国初のシステムを備えたリサイクルポイントステーションが、溝尻のスーパー「にしがき東舞鶴店」駐車場に設置されている。舞鶴などに事業所を置く産業廃棄物処理業者の「大山産業」(本社・綾部市)が試験的に導入した。市民たちが買い物がてらに利用している。  リサイクルのコンサルタント会社「環境思考」(三重県四日市市)と三重大学が、「エミッション・バンク」と呼ぶシステムを共同開発。利用者にCO2削減への意識付けをしつつ買い物ポイントが得られるメリットのほかに、古紙回収業者の収集のコスト減などを狙いに仕組みを考案した。試験導入は、まだ全国でも四日市と舞鶴の両市でしか行われていないという。  利用者がコンテナに古紙を入れた後、お財布機能付き携帯電話を端末にかざすと、画面に表示された「(買い物や仕事の)ついで」か「わざわざ」を選択。続いて「ガソリン」「軽油」「小型車」「トラック」「走行時間」など、乗ってきた車の排気量などの質問に答えると、リサイクルによるCO2削減量から、交通移動でかかったCO2排出量を差し引いた実質的な削減量が表示される。  また、ポイントは古紙1キロにつき2ポイントが加算され、500ポイントで提携先の小売店で500円分の商品券に交換できる。同システムでのポイント機の稼働時間は午前9時〜午後7時。それ以外の時間に持ち込むとポイントは加算されない。  大山産業は京丹後市のにしがきの店舗で、古紙を持ち込むことでポイントが付く回収に取り組んでいることから、協力を得た東舞鶴店で今回このシステムを備えたステーションを置くことにした。対象としている古紙は新聞と雑誌のみ。同社は「CO2削減の数字が目に見えることで楽しみながらリサイクルできるのでは。今後、舞鶴で数店舗増やしていきたい」と話す。  ポイントの交換は7月以降の予定で東舞鶴店で行われる。
【問い合わせ】電話0773・49・1111、大山産業

写真左=CO2削減量とポイントが表示される「エミッション・バンク」
写真右=回収コンテナとシステムを備えたステーション
不登校児童・生徒の民間教育施設「 聖母の小さな学校」
創立20周年教育シンポで卒業生らが語った体験まとめ記念誌に
 不登校の児童・生徒のための上安の民間教育施設「聖母の小さな学校」が、昨年創立20周年を迎えて開いた教育シンポジウムで、卒業生らが語った体験などをまとめた記念誌が完成し、府内の全ての小・中・高校などに配布した。不登校と向き合うことで、あるがままの自分や人とのつながりを回復し、成長する様子が記録されている。希望者にも無料で配布する。  学校は元中学・高校教諭の梅澤秀明さんと良子さん夫妻が1989年に設立。現役の学校教師や市民もボランティアで授業を手伝うなどし、これまでに約200人が巣立った。多くの卒業生や父母、市民らが運営を支援している。シンポは昨年2月に開かれた。  記念誌はA4判で48ページ。秋に行うスポーツフェスタで不登校の自分と向き合って、いまの自分を表現したパネル九枚の絵、同学校顧問の大塚喜直さんが、「人は人とのつながりによって、人間になっていくという2人の思いが聖母の教育の根底にある」と述べた基調講演を掲載した。  聖母を卒業した社会人や大学生ら3人が発表した体験の発言も収録されている。「草取りをするなど自然に人と一緒に何かをできるという体験が、積み重なっていったのがすごく大きかった」「不登校は私の原点。あるがままの自分で生きられるようになった」と1歩1歩変わる姿が記録されている。  1200部作成した。関心のある人にも読んでほしいとする。希望者は送料のみ自己負担を。
【問い合わせ】電話&FAX77・0579、聖母の小さな学校

写真=卒業生らの体験をまとめた記念誌
2010年4月9日

「フツーの仕事がしたい」が国際映画祭で最優秀
土屋さん(舞鶴出身・横浜市 )監督・撮影のドキュメンタリー
 舞鶴出身の映像ディレクター、土屋トカチさん(38)=横浜市=が、監督・撮影したドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」が、2008年の発表からいまも各地で上映が続き、ドバイ国際映画祭でも最優秀を受賞した。1日18時間以上働かされ、会社から暴力で労働組合の脱退を強要される神奈川県内のトラック運転手が、労働条件を改善させるまでを、土屋さんも暴力を受けながら体を張って追った。同じ境遇の人たちへの励ましとなり大きな反響を呼ぶ。全国の高校へ出前上映し、助け合うことの大切さを語りかけている。  映画は、大手セメント会社の孫請けの運送会社で働く皆倉信和さん(当時36)が主人公。月550時間以上の労働でトラックに寝泊まりし、残業代も支払われないなど法律違反の元で働かされていた。  個人加入できる労働組合に職場からただ1人加入したが、会社側は関係者を名乗る男を使って脱退を迫った。毎夜、自宅に押しかけるだけでなく、母親の葬儀にまで手下を連れて現れ暴力をふるって脅した。  心身を壊し入院したが脅しに屈せず、労組の支援を受け親会社に問題解決に向けた約束を取り付け、事実上所属会社を廃業に追い込み、新会社で「フツーの仕事」が保障される運転手として再び働き始める。  労組の依頼で土屋さんはたまたま撮影を始めたが、同年齢の皆倉さんに自分の姿が重なり、途中から自費でカメラを回し続けた。東舞鶴高校を経て新聞配達をしながら京都の大学を卒業し、日雇い派遣などをした。映像制作会社で働くが会社都合で解雇を通告され、1人で労組に入り解決金でビデオカメラを買い、以後フリーで活動という経緯を持つ。  撮影中、タバコの火を足に押しつけられたり、葬儀で自身も男たちから殴られ恐怖を感じたが、それでもカメラを止めなかった。十歳で父を事故で亡くしたことから、「家族との別れの大切な時間に土足で踏み込んでくる行為が許せなかった」からだ。  ワーキングプア、厳しい雇用・労働情勢が問題となる中、映画は大阪、鹿児島などの劇場のほか、年越し派遣村など各地で自主上映会も開かれ、観る人たちから勇気づけられたと反響が寄せられた。初監督作品がイギリスとドバイの映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞の評価を受けた。  上映の輪はいまも広がり続け、皆倉さんと一緒に全国を回って体験を話している。また、若者たちに働く権利を知ってほしいと、東京都内の定時制高校などで出前上映もした。土屋さんは「闘わなれば何も変わらないということを体験から学んだ。命と助け合うことの大切さとととに、その実行の手段の1つに労組や労働法があることを映画で伝えたかった。舞鶴でも上映の機会を作ってもらえれば」と話す。

写真左=土屋トカチさん
写真右=トラックを運転する皆倉信和さん(映画の1シーン、映像グループ ローポジション提供)
「くらぶ恋写」久保さん、京都の舞妓と四季を撮る
4月12日まで上安久の喫茶店「禅」で写真展
 写真グループ「くらぶ恋写(れんしゃ)」の久保敦之さん(73)=引土=の個展が、上安久の喫茶店「禅」で開かれている。京都・祇園などで桜など四季を背景に撮影した舞妓さんの写真6点が並ぶ。4月12日まで。  写真歴15年を超える久保さんは、山里の風景などをフィルムとデジタルカメラで撮影してきた。ここ3年ほどは祇園などである舞妓さんの撮影会に出掛けている。  恋写のメンバー7人が2月から同店でリレー方式で順番に個展を開く。久保さんはモミジと着物姿の舞妓さん、夏には浴衣姿で町を歩く舞妓さんなど、季節を織りまぜながら京都ならではの風情を捉えている。日曜休み。
【問い合わせ】電話75・8280、禅

写真=作品と久保さん
2010年4月6日

西国29番札所・松尾寺の木造金剛力士像
2008年には阿形像、吽形像の修理終え2体揃う
 西国29番札所、松尾寺の木造金剛力士像の吽(うん)形像(高さ229センチ)の解体修理が終わり、このほど同寺宝物殿に搬入された。もう1体の阿(あ)形像は2008年に戻されており、2年5カ月ぶりに2体が揃った。鎌倉時代に制作され、長い歴史の間に積もった汚れを落とし、美しく力感ある仁王さんの姿が蘇った。解体中に文化財の研究者による調査も行われ、今後の研究発表も待たれる。  市指定文化財の金剛力士像は、長年にわたって山門に安置されていたこともあり、老朽化が進んでいたため、07年10月から京都市の財団法人美術院で解体修理が行われ、先に修復を済ませた阿形像が戻されていた。2体とも手を上げていない仁王像として珍しく、研究者も注目している。  檜で造られた吽形像には、表面に江戸後期に塗られたと思われる漆にべんがらを混ぜた赤い塗料を落とした後、鉄のかすがいなどで組み上げられていた500近い部材を解体した。阿形像はこの半分ほどの部材だったことから、山門が倒れるなどして吽形像の上に加重がかかって壊れた可能性も考えられるという。  部材についたにかわを取り除き、鉄のかすがいも抜いたことで85.1キロから1.6キロ軽くなった。部材には化学樹脂をしみ込ませ木質を強化し、漆を接着剤にして組み上げた。また、新しく台座を作製、像の足ほぞの先端を継ぎ足し、安定して立つようにはめ込んだ。  作者を示すようなものは出てこなかったが、頭部にあった墨書には「永禄3年(1560)」「慶安3年(1650)」「正徳2年(1712)」の年号があり、修復した時期を示すものとみられる。修理技師の八坂寿史さんは「1000年たっても倒れないように組み上げました。彫り口や体の構えなどから、東大寺南大門の仁王像を造った運慶、快慶の流れを汲む仏師の作ではないか。仁王像を研究する上で貴重なものだ」と話す。  松尾心空名誉住職は「家族がひさしぶりに帰ってきてくれたようで胸にこみ上げてくる思いがあります。美しさと逞しさが増し、新しい歴史の心音を伝えてくれています」と2体の里帰りを喜んでいた。4月20日までの春季展観で見ることができる。
【問い合わせ】電話62・2900、同寺

写真=修理を終えた吽形像。奥は阿形像
サッカーW杯日本代表に応援メッセージを!
キリンビバレッジ舞鶴工場、見学者に専用折り紙で
 6月から開催される2010FIFAワールドッカップ南アフリカ大会に出場するサッカー日本代表チームを応援しようと、倉谷のキリンビバレッジ舞鶴工場(大津圭二工場長)が、専用折り紙で折ったカラスに見学者に応援メッセージを書き込んでもらうイベントを行っている。メッセージは代表選手たちに届けられる。  南アフリカ大会は6月11日〜7月11日まで開催され、4度目の出場となる日本代表はカメルーンやオランダ、デンマークと対戦する。ワールドカップに先立ち、日本サッカー協会が日本代表応援活動「サムライ・ブルー・クロウ・プロジェクト」を実施。長年サッカーの日本代表チームを支援するキリングループがその活動に参加している。  同工場では、送られてきた日本代表のカラーである青い折り紙300枚を、日本サッカー協会のシンボルである3本足のカラスをイメージして折っている。その折り紙に応援メッセージを書き、専用応募箱に入れてもらう。工場で応募できるのは小学校の社会科で工場見学をする小学生。工場での応募期間は5月6日まで。直接工場まで持参できる人は、5月20日までに持ってきてもらえればプロジェクト事務局に送る。
【問い合わせ】電話75・6868、同工場

写真=メッセージを書き込んでもらう折り紙で折ったカラス
2010年4月2日

民生児童委員などの活動する村尾さん(丸山中町)
フォト歳時記自費出版へ、予約注文を受け付け中!
 民生児童委員などの活動をする村尾幸作さん(70)=丸山中町=が、これまで舞鶴を巡って撮りためてきた写真の集大成として、フォト歳時記「ふるさとの光 まいづる100物語」の自費出版に向け準備を進めている。10年前に写真集を作成して以降、再発見した景色や新しい名所、伝説や歴史の地、舞鶴医療センター前の桜並木の四季など新たに撮影した写真を収録する。ふるさとの宝物の風景などを後世に伝えたいとしている。  村尾さんは舞鶴共済病院事務部長を退職時の2000年に、院内広報誌に紹介した舞鶴の四季折々の風景写真などをまとめた写真集を自費出版した。その後も福祉分野など様々な活動をしながら、柔らかな画質のフィルムにこだわり撮り続け、01年〜06年には本紙で「ふる里みてある記」と題して地域の歴史や文化などを写真で紹介するなどした。  10年を経過する中で、なくなった景色がある一方、新しい建造物や地域の名所ができたり、見慣れた風景の中に新たに魅力を見つけたりし、記録として残しておこうと、前作から10年の節目と古希の記念に総集編として出版に取り組むことにした。  写真集は縦24センチ、横25センチ。130ページに約200点のカラー写真を掲載する。第1章「四季を歩く」は、新しい桜の名所になった与保呂川沿いや舞鶴高専前の桜並木、昨年完成した杉山の水車などを載せる。第2章「まいづる100物語」は、「ふる里みてある記」に紹介した100カ所を元に民話の舞台などを地図を入れて紹介。第3章「桜トンネルこの1年」で、医療センター前の桜並木での花見、初夏の緑、雪をかぶった木々など四季を追った。  村尾さんは「退職以降は心にゆとりを持て、また歳をとることでものを見る目が変わり、何気ない風景の中の深みを味わうことができるようになりました。この1冊がふるさとの再発見になれば幸せです」と話している。  写真集は5月初めに完成の予定。1冊2500円。出版に費用がかかるため事前に予約注文を受けてから印刷する。申込締切りは4月30日。5月下旬ごろに配達、もしくは郵送する。申し込みは村尾さん(FAX62・3272)へ。

写真=この10年間に撮りためた写真を見る村尾さん
嵯峨根さんが一目でわかるマップ「真倉歴史散歩」作成
明治時代の絵地図に神社の由来や京街道など24カ所紹介
 真倉にある神社の由来や京街道、分校などを紹介したマップ「真倉歴史散歩」を、地元の嵯峨根一正さん(69)が作成した。国道27号線に沿って南北に長い地域の歴史を一目で知ってもらおうと、24カ所の位置と説明文を明治時代の絵地図の中で記している。  嵯峨根さんは1989年に真倉の郷土誌を作るなど、京街道沿いに南北に長い独特の地形の集落の歴史に関心を持ち調べている。史跡めぐりを開いて、子供たちに地域の由来なども紹介したが、一目でわかる地図のアイデアを長年温めてきた。  マップは縦約29センチ、横約110センチ。四つ折りでA4サイズに畳むことができる。地域の小字名の入った明治時代の絵地図に、現在の国道やJR線路を書き加え、奉納相撲をとる薬王寺、昔は伊佐津川に架かる橋がないために歩いて渡った渡し場跡、明治の真倉分校、昭和に利用した精米所跡、田辺藩時代の刑場跡などを掲載した。  希望者には実費で配布している。嵯峨根さんは「真倉には歴史の見所はたくさんあります。子供たちとマップを手に一緒に歩く機会も作れれば」と話している。

写真=マップを作った嵯峨根さん
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