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2009年7月31日

舞鶴空襲から64年、亡き旧友らの冥福と平和祈る
毎年7月29日に橋本さん(京都市 )が共楽公園山頂の鎮魂碑へ
 多くの犠牲者を出した1945年7月29日と30日の舞鶴空襲から64年。犠牲者らを悼む慰霊祭が初めて営まれた77年から毎年7月29日に、現場近くの共楽公園山頂の鎮魂碑を訪れる女性がいる。京都市左京区の橋本時代(ときよ)さん(80)。自らも空襲で両目を失明し、左耳がほぼ聞こえない大けがを負った。今夏も亡くなった旧友らの冥福と平和を祈った。  29日午前8時半ごろ、米軍機が500キロ爆弾1個を舞鶴海軍工厰に投下、学徒動員の生徒ら97人が死亡し100数人の重軽傷者を出した。30日も米軍機の爆撃と機銃掃射で、舞鶴湾内に停泊中の艦船の大半が沈められ、約80人が亡くなったというが、いまだに正確な犠牲者数は不明のままだ。被災者や遺族らが77年、余部上の雲門寺で合同慰霊祭を初めて営み、翌年多くの募金で共楽公園山頂に鎮魂碑を建立。毎年多くの関係者が鎮魂碑を訪れ、同寺で法要を営んできた。  洛北実務女学校の生徒だった橋本さん(当時16歳)は、工厰造兵部で人間魚雷の部品を磨く作業中、工場前の山に爆弾が落ち、一瞬の内に目の前が血の色に染まり気を失った。コールタールで全身真っ黒になり、死体置場に並べられたが足が動いたのに気がついた人によって救助された。  爆風で吹き飛ぶガラス片が全身に突き刺さり失明した。「ガラス片をピンセットで取るときは生き地獄だった」。いまもガラス片は体に残っている。右耳も補聴器を付けなければ聞こえない。作業に使っていたやすりを左手に握ったまま倒れ、人指し指にはその傷痕がはっきりと残る。  友人7人を含む同級生44人が亡くなり、自宅で毎朝、水を供えて旧友らの名前を呼び「平和を守って」と声をかける。50回忌を境に慰霊に訪れる人が少なくなったが、工厰技手で被災者の勝部隆三さんの案内で慰霊を続けた。勝部さんは2004年97歳で亡くなったが、長女の玉林悦子さん=白浜台=と3女の鈴木孝子さん=余部上=らが橋本さんの手助けをする。  姪に付き添われた橋本さんは鎮魂碑の前で、「また今年も来たよ」と手を合わせ、雲門寺で同じく被災者二人も参列し法要が営まれた。橋本さんは「足が痛くなり止めようかと思うこともありますが、みんなが待っているような気がして。悲しい犠牲者を再び出さないため、平和を守らなければ」と祈った。玉林さんは「いまもお寺で法要を続けていることを知らない被災者もいらっしゃいます。空襲を伝えるためにも慰霊の灯を守っていきたい」と話す。

写真=鎮魂碑にろうそくの火を灯し亡き友らに語りかける橋本さん
8月6〜9日、文化公園プール管理棟外壁に
海モチーフに絵を!京都精華大生らが下絵  参加者募る
 上安久の舞鶴文化公園プールの管理棟の外壁をキャンバスに見立て、京都精華大学の学生たちのアートグループが海をモチーフにした絵を描く。市と市コミュニティ振興公社と同大学との連携事業で、8月6日〜9日には市民にも創作活動に加わってもらって完成させる。子供から大人までの参加者を募っている。  開業から今年で24年目を迎える同プールの管理棟の外壁は、汚れが目立っていたことから、外壁の補修と合わせて交流の場にしようと、水辺キャンバス・キャンパス事業を企画。市と学術交流のある同大学の学生たちで結成したアートグループ「ダイニーズ」が、下絵の作成や制作の指導をする。  描くのは管理棟南側の外壁(高さ3.8メートル、長さ約23メートル)。学生たちが海をバックに走る列車などの絵のアイデアを出し、8月1日〜3日にかけて下絵を作成する。6日〜9日のプール営業終了後の午後5時半〜同8時、市民と学生たちで色を塗って完成させる。23日には完成イベントも計画している。  参加定員は約30人。事前申し込みは不要で、午後5時に同プール管理棟前に集合。参加は無料。1日だけの参加でもよい。
【問い合わせ】電話66・1061、同振興公社

写真=キャンバスとなる文化公園プール管理棟の外壁
2009年7月28日

アマカメラマンの故・原修一さんの1周忌を前に
仲間たちが追悼写真展、8月に遺作30点並ぶ
 舞鶴市展で記念大賞などを受賞し、昨年9月に68歳で亡くなったアマチュアカメラマンの原修一さん=常新町=の追悼写真展が、まいづる写真クラブの仲間たちによって開かれる。故郷に近い高野山の金剛峯寺の姿や五老岳の朝日などをありのままに写し取り、がんに侵されてからも好きな写真への意欲は衰えなかった。よく立ち寄った浜の喫茶店「ボヌール」で、8月1日〜29日、遺作30点を展示する。  タクシー運転手だった原さんは、1999年の第30回舞鶴市展にくつろぐ猫の写真を出品し、舞鶴記念大賞を受賞。それを機に写真に熱中し、近隣市町のコンテストでも幾度も入賞した。2005年仲間7人とまいづる写真クラブを結成。ボヌールに集まり写真談義をしグループ展を重ねた。  最も熱心にレンズを向けたのが、出身地の和歌山県九度山町に近い高野山。奥の院への参道や8月のろうそく祭り、行き交う僧侶の姿などにシャッターを切った。また、四季折々の自然の風景をありのままにの気持ちで瀬崎の夕日、富士山などを撮影。五老岳の朝日を撮るため、午前2時に深夜勤務が終わった後、山頂で日の出を待った。  時には厳しく写真術の助言をしたが、仲間たちと撮影旅行に出掛けた際には、仕事柄運転や道案内をするなど面倒みのいい人柄で慕われた。三年前がんと分かってからも、治療を受けながら亡くなる直前の8月まで仕事と写真を続けた。カメラを手に出掛ける姿が家族を安心させ、仲間たちはその姿に叱咤激励のメッセージを受け取った。  1周忌を前に、同クラブが追悼となる写真展を企画。残された膨大なフィルムや作品の中から原さんの集大成となる写真を選び、2部構成で30点を展示する。1部は高野山と松尾寺、17日からの2部で舞鶴近隣や琵琶湖などの風景に入れ替える。自然光や照明を活かした印象的な作品や受賞作も並べる。  会員の馬屋原信行さん(60)=金屋町=と松本房雄さん(75)=田中町=は「お酒の飲めない方でしたがとても人付きあいがよく、知られていない撮影場所もよく案内してもらいました」と振り返る。事務局の嵯峨根徹さん(71)=清美が丘=は「撮影先で見つけた花や草木を花瓶に活けて店に飾る心遣いもありました。みんなと原さんを偲びたい」と話す。  展示は午前8時〜午後6時半。入場無料。日曜休み。
【問い合わせ】電話62・6008、ボヌール

写真左=仲間たちと飛騨白川村へ撮影旅行で訪れた原さん(左端)=松岡清さん撮影
写真右=原さんが故郷に近い高野山で撮影した金剛峯寺の根本大堂の作品
農業・大戸さん(安岡)の水田にびっしりと
花蓮が大きなピンク色の花をつけ見ごろ
 安岡の農業、大戸英二さん(71)の水田で、大きなピンク色の花をつける花蓮が一面をびっしり埋め、見ごろを迎えている。突然極楽浄土が現れたような、たくさんの花を咲かせた風景に、アマチュアカメラマンたちが撮影に訪れるなど話題になっている。  大戸さんの母が旅先で蓮の花の景色を見て、自分で育ててみようと約30年前に食用ではない花蓮の種を購入、6アールの田んぼで栽培を始めた。繁殖力が強く数株が自然に根を広げて田を覆うまでになり、毎年春にトラクターで田を起こしても根から芽を出し、水を入れるだけの世話で育つ。大きな円形の葉は墓参りのお供えものの容器として利用され、花が終わる盆前には約1600枚収穫し市場に出荷している。  人の背丈ほどに伸びた茎の先に大きなピンク色の蕾を多数つけ、7月10日ごろから咲き始めた。口コミで知ったカメラマンたちが撮影したり、車で見に来る人がいる。大戸さんは「今年は天候の影響か背丈が不揃いで低いですが花つきは例年並み。いまが花の最盛期で8月10日ごろまで見ることができるのでは」と話している。場所は安岡公会堂の南側。

写真=びっしりと田を埋めた花蓮
2009年7月24日

アイエムスポーツ倶楽部の越後選手(中筋小6年 )
全国少年少女水泳・とびうお杯で3種目制覇めざす
 アイエムスポーツ倶楽部に所属する中筋小学校六年の越後智行選手(11)が、8月1、2日、浜松市で開催される第24回全国少年少女水泳競技大会とびうお杯に出場する。男子50メートルと100メートルのバタフライ、同200メートル自由形の3種目で招待選手記録を突破して招待された。  越後選手は、今春の府下公認大会で、50メートルバタフライ28秒98(招待選手記録29秒00)、100メートルバタフライ1分3秒71(同1分3秒90)、200メートル自由形2分7秒40(同2分8秒30)の招待選手記録を上回る記録を出した。また、いずれも自己ベストだった。  越後選手は、昨年のジュニアオリンピックで、50メートルバタフライで2位、200メートル個人メドレーで3位に入賞している。とびうお杯では「さらにスピードアップと自分のレースをして3種目制覇をめざしたい」と抱負を話す。  指導するゼネラルコーチの平岡真さんは「水をうまくキャッチする天性の素質を持っている選手。また、一日も練習を休まない努力も大きい。優勝も期待できる」と話している。  とびうお杯は、浜松市出身で「フジヤマのトビウオ」として知られる日本水泳連盟名誉会長の古橋廣之進氏にちなんで設けられた大会。アテネ、北京五輪の金メダリストの北島康介選手らも、かつて出場している。

写真=3種目で招待選手記録を上回る記録を出した越後選手
池内地区を藤袴の里にと養護学校小学生たち
贈られた株を育て、増やした苗を地域に戻す
 地域住民から贈られた植物の藤袴(フジバカマ)の株を育てた堀の舞鶴養護学校の小学部の児童36人が、花を池内地区に広げようと、7月21日、挿し木をして増やした苗を池内地区振興協議会会長の櫻井裕さんに手渡した。  藤袴は「源氏物語」にも登場し、薬草や染料にも利用されてきたが、現在は環境省のレッドデータブックで準絶滅危惧種になっている。昨年5月、庭で藤袴を育てている桜井さんが同校に5株の苗を寄贈し、児童たちが世話を続け、秋にはきれいな花を咲かせた。  児童たちは苗を増やして地域に戻し、池内全体に貴重な花を広げようと取り組み、きっかけを作った櫻井さんに約100鉢を託した。4年生の蒲原良介君と藤原龍二君は「花はきれいでした。地域でたくさん増やしてほしい」と話していた。櫻井さんは「池内が藤袴の里になるように広げたい。学校の染織の授業にも提供できれば」とお礼を述べ、区長会で紹介して住民に苗を配布する。

写真=櫻井さんに藤袴の苗を手渡す児童
2009年7月21日

7月22〜27日、京都市の翻訳家・伊藤さん
うつと向き合い描いた絵本原画展
 京都市の翻訳家、伊藤史織さん(31)がうつと向き合いながら描いた絵本「天おじさんのお空の舞台」の原画展が、7月22日から浜のギャラリー・サンムーンで開かれる。物語に登場する星や雪などをイメージした陶芸作品も並ぶ。同25日は伊藤さんによる朗読と、母でシンガーソングライター、阿部ひろ江さんのライブ演奏もある。  伊藤さんは大学在学中に妊娠し22歳で出産。演劇や詩の朗読などの活動に没頭していた生活から、家事と育児に追われうつ病に。そんな中、元々好きな絵を描き始め元気を少しずつ取り戻し、支えてくれた母の勧めで絵本にまとめ、2007年に自費出版した。  作品は舞台に見立てた空で、天気の監督や演出をする天おじさんが主人公。風たちやお日さまなども登場する。がんばりすぎた天おじさんが病気で倒れ、お月さまたちが協力して美しい風景を作りだしていく。  原画の展示のほか、三田市の女性陶芸家hisakaさんが、絵本に合わせた器などを出品する。午前10時〜午後7時(最終日は午後5時)。7月27日まで。入場無料。25日の朗読などは午後1時半から。参加費1000円(小学生以下無料)。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン

写真=絵本の1場面
愛称「にのみやくん」が八千代館で出迎え
71年間植え込みに、駐車場の整備に伴い石像除幕
 映画企画製作会社「シマフィルム」(志摩敏樹代表)が運営する浜の映画館「八千代館」前に、来館者専用の駐車場の整備に伴い、長年人目に触れずにいた二宮尊徳の石像が設置され、7月18日、除幕し披露された。愛称「にのみやくん」の石像が利用者たちを迎えている。  尊徳は江戸時代後期に農村復興政策を指導した農政家。両親を亡くした後農業に励んで生家を復興、小田原藩に用いられ財政を再建した。様々な逸話が残るが勤勉さを表すものとして、薪を背に担いで歩きながら本を読む像が最も知られ、各地に立てられている。  映画興行を起こした野村鎌太郎氏が、事業の成功後に自分への戒めとするため、1938年に映画館隣の自宅の植え込みに尊徳の石像を置いたという。像は台座も含め高さ150センチ。植え込みに遮られ外からは見えず、石像の存在は家人しか知らなかった。  民家を撤去して駐車場を整備するにあたり、石像の行き場を思案していたが、志摩代表が71年間見守ってきた映画館の側で今後も過ごしてもらおうと設置した。「にのみやくん」と書いた札も立て、来場した子供たちも親しみを込めて眺めている。駐車場は27台のスペースで、営業時間内に利用できる。
【問い合わせ】電話62・3583、同館

写真=八千代館前に置かれた二宮尊徳の石像と整備された駐車場
2009年7月17日












8月2日に舞鶴赤煉瓦ジャズ祭2009
市政記念館などで多彩なメンバーが競演
 赤煉瓦を舞台にジャズの音色を奏でる舞鶴赤煉瓦ジャズ祭2009(同実行委員会主催)が8月2日、北吸の市政記念館とまいづる智恵蔵、7号倉庫で開かれる。TOMMYクインテットや女性ヴォーカリスト、ドイツのミュージシャンら多彩なメンバーが出演し、華やかで熱いジャズの競演を繰り広げる。来場を呼びかけている。  舞鶴の近代化遺産の赤煉瓦倉庫群をアピールしようと、1991年から倉庫群で野外ジャズ祭を毎年夏に続け、各地から音楽ファンが集う恒例のジャズイベントに定着した。今年は19回目。午後3時半からスタートし、同9時まで3つの会場で奏でる。  出演者はTOMMYクインテット、有馬靖彦&デキシージャイブ、谷口英治スイングクインテットwith沢村まみ、八木隆幸トリオwithチカ・シンガー&おぬきのりこ、アンドレアス・パスターナックトリオ。  クラリネットの谷口さんは国内最高の実力をもつ演奏家として活躍し、日本ジャズ界の中心的人物。女性ヴォーカルのチカさんは父は大橋巨泉、母はヴォーカル界の大御所マーサ三宅。日本ジャズヴォーカル賞新人賞なども受け人気と実力を兼ねる。ジャズ歌手・サックス奏者のアンドレアスさんは、ドイツ・ロストック市を中心に活動する。  チケットは前売り3500円(3会場共通)、当日は500円増し。中学生以下は無料(保護者同伴に限る)。市政記念館、市民会館などで発売中。
【問い合わせ】電話0772・22・4147、同実行委員会事務局

写真左から=有馬靖彦&デキシージャイブ 、TOMMYさん 、チカ・シンガーさん 、沢村まみさん
目標に向かって努力を!後輩たちにエール
北京五輪女子重量挙げ・齋藤選手が母校城南中で講演
 昨年の北京オリンピック女子重量挙げ69キロ級で8位に入賞した齋藤里香選手(26)=金沢学院大学職員=が7月13日、母校の城南中学校(福島治校長、561人)に来校し講演した。五輪への出場をあきらめずに練習した経験や、目標に向かって努力することはかっこいいことと後輩たちに語った。  齋藤選手は城南中を経て加悦谷高校でウエートリフティングを始めた。高3の女子ジュニア世界選手権ではトータルで銅メダルを獲得。北京五輪に向けた最後の選考会のアジア選手権で出場権をつかみ、五輪の舞台でもジャーク123キロの日本新記録を出した。  講演は城南中同窓会(白石明会長)の主催。全校生徒を前に中学時代は陸上部に入り、筋力トレーニングのため加悦谷高のウエートリフティング部を訪れ、部員たちが真剣にバーベルに向かい緊張感ある雰囲気に驚いたと振り返る。アテネ五輪を目指し立命館大学に進学したがけがなどで記録が伸びず、手術をして苦しいリハビリも経験した。  十分な練習ができずアテネを逃した悔しさから「北京に出れなくても納得いくまで練習しよう」とその時の気持ちを紹介。腰を痛めて試合を棄権するなどしたが、諦めることなく最後のチャンスをつかんだ。北京では日本新記録や入賞を目標に臨み、それを叶えた。  「勝つためにやってきた選手たちは、目が輝き内面から出てくるかっこよさがあった。私もそんな選手になりたい。多くの人に出会えたことが財産になった」と体験を披露し、「皆さんも目標を立ててそれに向かってがんばり抜いてほしい」と励ました。  生徒たちは齋藤選手の前でバーベル挙げに挑戦したり、腕相撲の勝負をした。生徒会長の藤田昌太君(3年)は「齋藤さんの体験を聞き夢に向かってがんばろうと思いました」と感想を述べた。

写真=男子生徒と腕相撲の勝負をする齋藤選手(左)
2009年7月14日

西高放送部の前田さん(3年 )
NHK杯全国放送コンテストへ
 引土の西舞鶴高校放送部の3年生、前田浩花さん(17)=泉源寺=が、京都府高校放送コンテストのアナウンス部門で3位に入賞し、NHK杯全国放送コンテストに出場する。同じ西高生たちが若狭湾沖の冠島で行ったオオミズナギドリの調査を取材し、原稿にまとめて読み上げた。最後の夏に念願を叶えた前田さんは、全国高校総合文化祭にも出場することが決まっている。  冠島でのオオミズナギドリ調査を昨年から復活させた西高は、今年も理数探究科の生徒たちが5月の2日間、無人島の冠島に泊り込み調査をした。前田さんは出発前の準備をはじめ、学校に戻った生徒たちに取材し、島の自然や調査の様子、オオミズナギドリの生態の紹介、最後に調査への参加の呼びかけを原稿にまとめ、1分の制限時間内でアナウンスした。  美術部の活動をしていた白糸中学校3年生の時にも、府中学校放送コンテストに出場し入賞したことがきっかけとなり、当時16年連続で全国放送コンテストに出場していた西高に進学し放送部に入部。連続出場は1年生の時に途絶え、自身もこの2年間全国への切符を逃していた。それだけに誰よりも全国へ行きたいという願いは強く、放送部の先輩たちからも励ましを受け、部長として最後の夏に臨んだ。  前田さんは「聴いてくれる人が聴きやすいと思ってもらえるようなアナウンスを普段から心掛けています。全国の舞台では練習した成果を全部出せるようにしたい」と意欲を見せている。第56回NHK杯は7月22日から東京都代々木で開かれる。  また、昨年11月の府高校総合文化祭放送部門アナウス小部門で金賞を受賞し、8月1日から三重県松阪市で開かれる全国総文に出場する。

写真=最後の夏に出場をつかんだ前田さん
クイーンまいづるに竹内さんら3人決まる
7月20日、海の日のつどいでデビュー
 7月25日と26日のちゃったまつりに華を添えるクイーンまいづるの3人がこのほど決まった。同20日の海の日のつどいでデビューする。  ちゃったまつり実行委員会(上西勝己実行委員長)が募集し、応募者の中から選考された。3人は関西学院大学3年の竹内望結(みゆ)さん(21)=三田市=、大阪国際大学4年の東海冴矢加さん(21)=寝屋川市=、海上自衛隊第23航空隊勤務の美濃島愛美さん(19)=舞鶴市。竹内さんと東海さんは舞鶴市出身。  竹内さんは「舞鶴を離れて実感した舞鶴のよさを伝えたい」、東海さんは「舞鶴に住んでいる人が舞鶴を好きになってもらえるようアピールしたい」、美濃島さんは「みんなが明るく元気でいられるためのお手伝いをしたい」と抱負を述べた。来年7月までの1年間、観光キャンペーンなどでも活躍する予定。

写真=クイーンまいづるに決まった竹内さん、東海さん、美濃島さん(左から)=ちゃったまつり実行委員会提供
2009年7月10日

森谷さん(中山 )が40年間採集
地元の小中学校などに蝶の標本1200匹寄贈
 中山の森谷重敏さん(89)が、40年間採集してきた蝶の標本約1200匹を地域の子供たちの教育に役立ててもらおうと、八雲保育園と八雲小学校、由良川中学校に寄贈した。国蝶のオオムラサキ、沖縄のオオゴマダラ、小さなムラサキシジミなど美しい蝶が並ぶ。7月8日、由良川中を訪れ手渡した。  小学生だった長女の夏休みの宿題で蝶の標本作りを手伝ったのを機に、その美しさに引かれて採集を始めた。加悦郵便局長を退職後、車の運転免許を取得して大江山などに出掛けたり、旅行先にも道具を持参し捕まえた。丹後・若狭虫の会にも入会し、野山で出会った沖縄などの採集家から蝶を送ってもらい、全国の蝶の収集品が増えた。  長い採集活動の間、地球温暖化の影響か、九州などに多く生息しこの近辺にはいなかったナガサキアゲハを神崎で見つけたり、たくさんいたコムラサキがえさとなる柳の木が減ったためほとんど見かけなくなったりと、自然環境の変化を蝶を通して感じてきた。  現在は採集はせず、散歩で見かけるとカメラで撮影している。作った標本の行く末を気にかけていたところ、八雲公民館の奥野庄司朗館長の勧めもあり、地元の保育園と学校に贈ることにし、約1200匹を15ケースに収めて届けた。  森谷さんは「子供たちに蝶に関心を持ってもらうきっかけになれば」と話す。由良川中の藤原博校長は「子供たちが自然や環境を考える教材に役立てます」とお礼を述べた。両学校で保管し、展示などして活用する。

写真=多くの蝶の標本を寄贈した森谷さん(右から2人目)
高野小6年生が高野川の汚染度チェック
水生生物や水質を調べる環境学習
 高野台の高野小学校(齋藤紀子校長)の6年生45人が7月7日、近くの高野川で、河川を管理する府中丹東土木事務所の協力を得て、水生生物や水質を調べる環境学習を行った。  同土木事務所では、今年度に高野川の環境調査を実施することから、同校の6年生の「環境」をテーマにした総合学習で、河川についての学習を呼びかけた。アドバイスする専門スタッフのほか、魚の捕獲網や水質試験用具などを準備した。  児童たちは、川での注意事項を聞いた後、さっそく網を手に川に入り、魚を追いかけた。オイカワ、カワムツなどの魚のほか、アメリカザリガニ、トンボの幼虫のヤゴなど捕まえ、水槽に入れた。この後、魚などの名前を調べ、魚が生息する「きれいな水」から「大変汚い水」まで4段階に分類して、高野川の汚染度をチェックした。  このほか、試薬を使って水質も調べ、高野川の清掃も行った。松本和香さん(11)は「知らない魚もいて勉強になりました。いつまでも魚の住める川にしたいです」と話していた。

写真=網ですくって水生生物を調べる児童たち
2009年7月7日

20回記念市長旗全舞鶴少年野球選手権大会
組み合わせ抽選会、8月2日に舞鶴球場で開幕
 第20回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)の組み合わせ抽選会が4日、浜の市商工観光センターで行われた。学童上級、同下級、少年の部の1回戦から決勝戦までの組み合わせが決まり、日焼けした球児たちが、はやくも闘志をみなぎらせていた。大会は8月2日、行永の舞鶴球場で開幕する。  組み合わせ抽選会には、学童上級の部15、同下級の部14、少年の部12の計41チームの主将や選手、監督ら約80人が出席。舞鶴野球連盟少年部の山内重紀部長が「今年は20回の記念大会。盛大な大会となるよう協力をお願いするとともに、選手たちは精一杯頑張ってほしい」とあいさつした。  組み合わせ抽選は、学童上級、同下級、少年の部に順に行われた。各チームの主将が予備抽選でくじ順を決め、本抽選のカードを引いて対戦相手が決まった。また、選手宣誓は、学童上級の部の本抽選で1番くじを引いた福井少年野球クの福本海斗主将が行う。  大会は、8月2日午前8時から舞鶴球場で開会式を行い、全チームの選手たちが入場行進する。式典の後、同球場で少年の部の1、2回戦、隣接する東舞鶴運動公園で学童上級の部の1、2回戦を行う。準決勝、決勝戦は、同9日に舞鶴球場で行う。学童下級の部は、同8日に1、2回戦、同30日に準決勝、決勝戦を行う。
 出場チームは次の通り(組み合わせ順)。
 【学童上級の部】福井少年野球ク▽朝来少年野球ク▽池内少年野球ク▽中筋少年野球ク▽共楽少年野球ク▽南舞鶴スポ少B▽高野少年野球ク▽茜が丘ベースボールク▽与保呂スポ少▽志楽少年野球ク▽南舞鶴スポ少A▽明倫ヘッピリーズ▽三笠少年野球ク▽舞鶴東スポ少▽余内少年野球ク
 【学童下級の部】南舞鶴スポ少A▽高野少年野球ク▽明倫ヘッピリーズ▽中筋少年野球ク▽朝来少年野球ク▽池内少年野球ク▽舞鶴東スポ少▽福井少年野球ク▽志楽少年野球ク▽茜が丘ベースボールク▽与保呂スポ少▽南舞鶴スポ少B▽余内少年野球ク▽三笠少年野球ク
 【少年の部】中筋少年野球クB▽鶴友クB▽高野ドジャース▽志楽シャークスB▽南舞鶴スポ少▽与保呂スポ少A▽舞星野球ク▽志楽シャークスA▽鶴友クA▽中筋少年野球クA▽舞鶴東スポ少▽与保呂スポ少B

写真=本抽選のカードを引く球児たち
鷲田さん「舞鶴のまちを元気にしよう」
八島商店街の空き店舗活用に取り組む
 舞鶴のまちを元気にしようと、丸山西町の鷲田マリさんが浜の八島商店街の空き店舗の活用に取り組んでいる。通常は鷲田さんが雑貨店として営業するが、参加者による作品展や手作りマーケット、レッスンなど、ギャラリーや教室にもなる参加型の店舗。夢のチャレンジへの一歩を応援したいとする。第1回はがんを克服した北吸の主婦、白川一恵さんの石猫アート展が開かれている。  NPO法人難民を助ける会理事として、多くの支援活動をする鷲田さんが、夢を持っている人の応援にもなればと、空き店舗を活用。舞台は八島四条北側の約20平方メートルの小さな空間。店名は「KARITENPO(かりてんぽ)」。手作り品の販売や教室など、希望者が自分の企画を実現できる店に変身する。  鷲田さんは「やりたいことにトライするお手伝になれば」と話す。7月11日は吉田裕さんのプリザーブドフラワーレッスン(材料費込み3800円、【問い合わせ】電話64・4424)、同18日は石井満弓さんのカラーセラピーの予定。利用は1日単位(8時間)。利用料は平日2500円、土・日曜3500円。【問い合わせ】電話090・3718・8242、鷲田さん。  石に愛猫の絵が描かれた石猫アート作品が展示されている。創作したのは白川さん。猫への愛情の気持ちが作品に命を吹き込み、愛くるしい目と毛並みで、いまにも動きだしそうに見える。  掌サイズの石にアクリエ絵の具で飼い猫をモデルに描いたのがきっかけとなり、友人らの猫も描くようになった。いつか作品展をと思っていた2003年、血液のがんと言われる悪性のリンパ腫を患い、手術と抗がん剤治療を受け、入院中も病室のベッドで描き生きる支えにし回復。退院後の06年には念願の作品展を開いた。  その後も猫好きの友人の輪が広がり、依頼が相次ぎ約200点を描いて贈った。石も次第に両手で持つほどの大きなサイズになり意欲も出てきた。この間、愛猫のりんが亡くなるなど気持ちが沈みこむ時もあるが友人らが励ましてくれ、気分がいい時に創作に没頭する。  今回は、りんを描いた作品など30点を展示している。白川さんは「石の猫たちが私を守ってくれています」と話している。展示は7月9日まで。

写真=展示された石猫アート作品を見る制作者の白川さん(右)と鷲田さん
2009年7月3日

「飛聲」短歌会会員の生野さん(魚屋)
第一歌集自費出版、内面の自分の心詠む
 50歳から短歌を始め、家族や社会からの刺戟に反応して詠みつづけている「飛聲」短歌会会員の生野玲子さん(80)=魚屋=が、このほど第一歌集『ポシェット』(A5判224ページ、不識書院刊)を自費出版した。歌集は、全国各地の短歌結社などに送り、同好の仲間から「明るくさわやかな作品。私も力を与えられる」と賛辞を綴った手紙が届いている。  生野さんと短歌の出会いは、舞鶴市教委主催の「短歌講座」。「鉛筆1本、ノート1冊で感性を表現できる」と教えられ、短歌づくりを始めた。受講修了後、昭和56年に同講座の講師を務めた歌人・西村尚さんの所属する「古今」短歌会に入会。その後、平成7年に西村さんが立ち上げた「飛聲」短歌会に入会した。  歌集は「春の楽章」「なに色の夢」「桜の後も」の各章題とともに、「飛聲」短歌会の平成7年から17年までの10年間に詠んだ歌の中から選歌した500首を収録している。タイトルの「ポシェット」は、青森・山内遺跡を旅行で訪れて詠んだ歌「今流行るポシェット既に青森の遺跡にもあり歩みのほどは」から採った。  500部作成した歌集は、批評を仰ぐため、「飛聲」短歌会の会員らに配布した。これまでに同好の仲間から約200通の手紙が寄せられた。生野さんは「歌に共鳴された感想が多く感謝しています。これからも内面にある自分の心を通して感じるものを歌に詠んでいきます」と話している。

写真=第一歌集『ポシェット』を手にする生野さん
土曜の夜の夏の風物詩、東地区商店街で夜の市
西地区は4日からで模擬店並び様々な企画
 土曜の夜の夏の風物詩である夜の市が、東地区の商店街で始まった。初回はアームレスリング大会の予選や大道芸などのショーがあり、子供たちが予選に参加したり親子で皿回しなどに挑戦した。西地区の商店街は4日から始まる。  6月下旬から7月にかけての土曜日の夜、夕涼みと買い物を兼ねた夜の市では、東西の商店街で様々な企画が催される。東地区では八島と三条商店街を会場に、6月27日から開始。演歌舞踊ショーや模擬店が並び、多くの親子連れらがそぞろ歩きをしながら催しを楽しんだ。  今後の夜の市の主なイベントの予定は次の通り。  【東地区】4日=バンド演奏、マジックショー、アームレスリング大会▽11日=皿わり、幼稚園絵画展(18日も)、福引大会、アームレスリング大会▽18日=舞鶴高専のロボコン、アームレスリング大会決勝  【西地区】4日=生ビール、幽斎そばなどのうまいもん横町(マナイ、平野屋、新世界、中央)▽11日=和太鼓集団「かわら屋」演奏(マナイ)、ギター弾き語り(平野屋)、マジックキューブライブ(新世界)▽18日=府警音楽隊・カラーガード隊(マナイ)、サックスキーボード演奏(平野屋)、カラオケ大会(新世界)▽25日=ちゃったまつり前夜祭

写真=皿回しに挑戦する子供たち(八島商店街で)
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